05年 4月 3日〜5月29日

最近の子供はどうか分らないけど、今の大人の多くはガキの頃に日記を何日か書いた経験があるのでは?
斯く言う私もその一人、当然この日記も不定期です。 (2001年8月19日、記)


05年 4月 3日(日)   4月になりました

 4月になりました。

 先週もひどいもんっていやヒドイもん。日、夜、っつーか月午前まで在宅シゴトやってて、月曜は22時台に家に着いたような(うーむコレはこの1年の経過においては超絶早いご帰宅)。で、火曜は最寄駅2つ手前駅終着の最終に乗り、水曜は最寄駅何とか着の終電、木曜はまた終電乗れず最寄駅2つ手前駅にて下車。金曜のみヘロヘロ疲れのなかで新入職員歓迎会ってやつでアルコール入れちまったのでもうデケヘンわ、それに土曜朝は息子のヤマハ発表会に行くんだってんでまぁまぁ早め退勤。全て妻の朝の送り、帰りの迎え。ヨメさんもほんまにご苦労様なのであります。

 昨日のヤマハ発表会は良かったね。息子達は以前やってた人気ドラマのウォーターボーイズのテーマ、“シンクロ BOM-BA-YE ”を4人で。それと、エンディングにはいろんなクラスの人達大勢と共演、「世界がひとつになるまで」って曲。これもよい曲でした。

 今日も午前と夜の部のエンディングの演奏に行く。午前は終わった。あとは夜の部。疲弊状態の僕は昨日のクラス演奏とエンディングは観聴きしていて、今日のエンディングは同じ曲なので今日は在宅に。

 僕はこの後、今日も在宅シゴトなのであります。組織改編あり、組織図上は態勢整うも、トンデモない1年の昨年度末残務が未だ続き、それに異動で来てくれる人もあと3週間程度は前の部署の仕事が続く。ってわけで、僕は4月下旬まで苦しい日々が続くのでありましょう。

 ・・・ところで、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が亡くなりました。僕はカソリックじゃないし、そもそもクリスチャンではないけれど、この人は本当に行動する宗教者だったと思います。
 十字軍当時のキリスト教徒側のイスラム(ムスリム)等に対する残虐行為を認め、謝罪しました。
 ユダヤ教徒との融和にも努めました。
 パレスチナ問題ではパレスチナにも十分理解を示していました。
 アメリカのイラク攻撃への憂慮・牽制・批判等、現代の世界に対しても積極的に平和を創造しようとしてコミットしました。
 ガリレオ「異端」裁判が誤っていたということをカソリックとして認めたのも、359年の時を経てローマ法王が公式に誤りを認めた(1992年)ことによるものでした。このヨハネ・パウロ2世の時代です。

 ・・・あ、さて、話変わって、しかし話はやはり世界の話。
 疲れ疲れて日々過ごし、パレスチナ子どものキャンペーン の今年度会費を未だ納めてなかったような気がします。ずっと資料持ったままだった。寄付などが集まりにくく財政的に厳しい折りなので(この1年、内外の地震の被害などやイラクの状況等の影響で寄付活動がいろんなものに向かい、継続して特定の活動を続けているところには反って厳しい面もあるようです)、少しでも寄付を加えて納めようと思っています。
 シゴトばかりでモノ考える余裕もなく、往復の電車通勤と朝から深夜、時には翌日の深夜までの常軌を逸した勤労生活を続けるうち、いろんなことを忘れてしまいそうです。ウチの財政だってもちろん余裕はないけれど、僕はずっとパレスチナに微力でもコミットしていきたいと決めているのです。滞納続けぬうちに明日には納めるつもりです。

 僕はずっと日本国のこの街かあの街か、とにかく田舎街に住まい続けましょう。そして、しかしアティチュードみたいなところでは、物理的距離を超えていろいろな出来事に繋がっていこうと考えているのです。僕の心身と頭が(3つは分かれるのか、みんな同じなのか、笑)、そうだと思ったらそうしていきましょう


05年 4月 8日(金)   我らが息子、中学に入学す。

 今週もノーとんでもなイジョー勤務、昨日は最寄駅2つ前の駅終着の終電。夜中1時過ぎに妻のクルマ迎え受ける。「晩」飯を食べ始めたのが「午前」2時辺り。嗚呼。あとどのくらいだろうか、そのうち徐々に改善されると期待してはいる(今日はこの件は詳細割愛)。
 ・・・今日の場合はおいらは休みを取ってあるのさ。

 本日は我らが息子の中学入学式の日。少なくともこの辺りは公立で十分だよ。っていうか、本来は公教育がしっかりしてればいいはず。何せ、カタイ(?)こと言わずとも中学って義務教育だぜ。

 学校にはよい印象です。校訓は「共に生きる」。制服はある一方で(ブレザーだな)、校則は無し。自由と責任の問題を自らが考えてもらいたい、と校長。オーストラリアで考えられたという Peace Methos という方法論(イジメ類予防策として活用されるもののよう)を教育現場に導入していると。こうやって書くと何か特徴ある私立みたいな感じになるけど、レッキとした公立です。
 息子の出た小学校の校歌は阿木耀子作詞、宇崎竜童作曲だったけど、今度入学した中学は三枝成彰作曲、作詞は中学校の名前名義、詞の方は大勢で作ったのかな。ちょっと歌うには容易でない捻った部分があるメロディでしたが、良い歌だと思いました。

 一応は触れておくけど、やっぱ冒頭で「一同起立」「国歌斉唱」ってのがありました。おいらも妻も起立なんかしねぇし、歌いもしねぇけど、周囲の保護者の皆さんはやっぱみんな起立でした。別に人それぞれなんだろうけど、おいらは嫌だなぁ。わりと歌声も聞こえてきましたね。ただ、この間の小学校卒業式の時と比べると、子供らの歌声はあんまり聞こえなかったな「君が代」。っていうか子供らはろくに歌ってなかったような。・・・ま、これはこの辺にしとくわ(ちなみにこれもやはり、校長や来賓、登壇の度に中央の「日の丸」に頭を垂れ、降壇の際も踵を返して振り返り、頭を垂れていたのでした)。

 で、その後、もう時間も昼になって準備時間無し、弁当屋さんで弁当買って、クルマでちょっとの緑深い公園に行き、花見であります。右が桜の写真ね。ほぼ真下方面から撮れば逆光効果でまたキレイなものがあります(写真左)。

 ここは特に息子の小学校入学前などはよく家族でやってきました。その後も、家族で来て3人でキャッチボールしたりしたこともある。
 桜の花の下、おいらはビールも飲みました。・・・弁当も家族で食べれば余計に美味。


 左端は息子とおいらの写真。中央は息子と我が妻ね。ちっこく映してあるから、顔はよく分からんじゃろう。今月から個人情報保護法完全施行なんやで。
 ・・・天気にも恵まれ、よい入学式日和、花見日和でありました。

 家に帰ってきてから、しばらく前から開花しているという、しかし連日の如く「午前様」帰り、土日も在宅シゴトのおいらは鑑賞していなかった、我が小庭のこぶしの花を写真撮影。それが右端の写真です。



 最近ブラジル密林から、ポール・サイモンの There Goes Rhymin' Simon を買いました。しかもボーナス・トラック付き。ああ久しぶり、これぞ極上のポピュラー・ミュージック。も一つ買ったのが、麗蘭(仲井戸麗市と土屋公平)の『 SOSが鳴ってる 』って昨年出たヤツ。今度、6月のブルーズ・カーニバル、バディ・ガイ観に行く日に彼らも演ります。うーむ、楽しみ。

 さて、春です。入学です。世間では多くの人が新生活を迎えたりするわけです。
 我らが息子の前途に幸いあれ。希望溢れる少年少女の未来に幸あれ。そして、我らにだって幸いあれ。もちろん、こう想うのであります


05年 4月10日(日)   12歳も辛く感じる日本と日中韓の「いま」

 中国国内でこのところ続いていた反日デモは、昨日、北京における約1万人の規模のデモに膨れあがりました。日本大使館が投石を受け、窓ガラスが多数割られ、駐中国の日本大使公邸や日系企業が多く入っているビルのガラスも割られ、一部の日本料理店は壊されたそうです。1972年の日中国交正常化以来、これほどの規模の反日デモが北京で行なわれたのは初めてとのこと。

 昨晩、家で家族で夕食をとりながらTVニュースでこの様子を眺め、僕は、日本は国内でゴタゴタしてるよりも、冷え切ってしまってる対中・対韓の外交関係にまともに取り組むのが焦眉の急ではないかなどと大きな声で喋っていました。また、日本側に原因がある一方で、中国のこうしたデモを見ていると、彼等があまりに感情的になり過ぎていること、インターネットで呼びかけてどっと人が集まり、興奮し、日本料理店にまで石を投げるのは異常だ、ここの料理店のオヤジがどうしたっていうんだ、それに中国政府は明らかにこうした自国民の他国に対する抗議行動を放置している、中国など他の「民主主義国」と比べればずっと統制したがる国なのに、これは明らかに意図的だ・・・などとぶつぶつ文句を言っていました。

 家族の団欒の時間です、ふっと話題を変えようとして何気なく横に顔を向けると、隣で鉄板焼を食べていた息子がおとなしくなっていて、何か不安げで憂鬱な顔になっているのが分かりました。ショックを受けたような顔でした。
 訊いてみると、やはり中国の反日デモの様子、また近頃の韓国における反日デモも含め、そういうニュースは辛いようです。

 息子の考えはこういうことのようです。小泉が一番悪く、責任がある。小泉の靖国参拝、こんな時の教科書の中韓を刺激しかねない改訂状況、島根県の「竹島」条例・・・。そして、僕は想うのですが、つまり、12歳の息子は、しかし一方で、明らかに自分の国であると教わっている「日本」という国がこんなに反発され嫌われているように見えることにもショックを受けている。僕にはそう想えてなりません。

 簡単に言いましょう。
 小泉の靖国参拝は馬鹿げてる。未だに(戦前の国家)神道と関係ない国立墓地を作れない日本。

 「竹島」(韓国で言うところでは「独島」)の領有権問題は微妙なところ。これはどこにも有り得る領土問題。元々、近代になるまで国境なんて不明確だったんだから自国の主張ばかり正義とするのは唯我独尊。ただ、日本(それも当時の島根県かな)が「竹島」領有を公式宣言したのは日本の韓国植民地化、つまり「韓国併合」(1910年)のしばらく前程度、それがこの問題が韓国民を余計に刺激している背景にも有りか。
 両国が領有を主張している以上、韓国側のみが一方的に日本の教科書から「竹島」日本領の表記削除を求めるのもおかしいはず。よく知らないが、韓国の教科書では当然ずっと以前から「独島」は韓国領と「堂々と」(日本国側からすれば)書いているのでは? こういう問題は両者が冷静にならないと、文字通り「話にならない」。

 中国との間は、小泉の靖国参拝以降、冷えっ放し。東シナ海の両国を跨る海底油田の開発問題もあるし、尖閣諸島の問題もあるし、台湾の李登輝元総統の来日問題もある(李登輝氏のことで言えば、いくら統一中国のことで対立してるとは言え、実際の影響力はともかくも公式的立場は退いた人が、若き日の留学経験もあり友人も多い日本を訪れることまでトヤカク言う中国には「中国4000年の歴史」を感じさせない大人げ無さを感じますがね)。

 僕は、戦後ドイツのように真正面から戦前の自国の歴史と向き合ってこなかった日本という国の「戦後」の有り様のツケがいつまでも「いま」の日本を追い立てていると思うし、日本国総理の靖国参拝には反対するし、日本のとりわけアジアにおける対外政策には問題だらけだと思う。

 ただ、中国政府は明らかに反日デモを野放しにしている。統制すると、それが反政府デモとなって内憂となることを懸念しているのだ。国民の不満はあくまで外に吐き出させる。こういう時、日本ほど便利な対象国はない。
 日本の大使は昨夜、中国の外務次官に抗議し、相手は「政府を代表して心からお見舞いと遺憾の意を表明する」と謝罪したというが、いつもの中国政府なら「やる気があれば思い切りやってしまう」統制を、自ら抑制しているのは確かだろう。日本大使館の前では重装備の数百人の武装警察部隊を含む千人以上の警察官が「警備していた」らしいが、デモ隊の大使館への投石が始まっても、中国官憲は制止しようとしなかったのである。

 僕が想うに、元々、中国の人々の多く(「多く」という言い方も刺激的か、もしくは「少なくない」部分と言っておくべき?)に間違いなく「中華思想」が受け継がれており、日本人などバカにされているわけだ。日本が戦前の中国、中国人にひどい仕打ちをしたという背景だけでなく、僕は中国人の日本、日本人に対する侮蔑的な感情を感じるなぁ。僕としては、日本の問題を冷静に批判しつつも、今起きている、韓国よりもとりわけ中国での、反日、いや排日的なものを強烈に感じさせる大衆行動には嫌悪感を感じるね。昨年、中国で開催されたサッカー・アジア杯の時もひどかったよね。

 僕が心配なのは、おそらくは、一般の日本人、要するにね、日本大衆という漠とした塊も、中国や韓国の排日デモや反日デモを何度もTVニュースで見るうちに、中国や韓国、そして場合によっては在日の中国人や韓国人にも、嫌悪感を持つようになりかねない、ということ。中には、攻撃的な言動をとってしまう輩が出てくることも十分に考えられる。

 何より、僕の息子のように、まだ12歳程度の少年少女の心をどれだけ傷つけるか。僕は、「大人」の連中は(言っておくが10代後半や学生連中はもうそろそろ「大人」だぜ)、そして政府レベルにおいても、互いに感情的になって攻撃しあうことには何の利もないことを、よーく落ち着いて認識すべきだと思うね。当たり前だろ。それは中国人も、韓国人も、日本人も同じだ。
 そして、こういう状況になってしまっていることについて、少なくとも、ごく近年だけでも、小泉政権成立以降の日本政府の対中、対韓の政策に誠実さ、真摯な取り組みが欠けていた、そういう原因は間違いなくあるってこと、そこいら辺は日本国民ってやつも、日本政府も、やっぱり冷静に考えて、姿勢を改めて、行動に表わしていくべきだと僕は思っている


05年 4月12日(火)   お嬢さんの靴を巡る不幸な顛末

 今日は職場の我がPCが新機に交換。今日言われ、夕方、担当課がしてくれることになり(今は交換時期のようで担当課は大変)、しばらくPC無しでヤレル仕事をしていたが、そのうちに減ってきて、こういう時こそ早く帰ろうとまぁまぁの早め退勤。息子の就寝前に帰宅できて息子の顔を見れて話もできて、それは幸せなのであります。

 今から書くことはちょっとした不幸、何だか後味のわるい話。
帰りの電車は何時に乗っても大抵混んでるんだけど今日も例外にあらず。乗って最初の停車駅だったか、混み込みの為に一旦ホームに出る時に僕の直ぐ前の女性の足に僕のバッグが当たったらしく、僕は常識的な儀礼として「あ、失礼」と言ったんだね。すると、その人、お嬢さんだったのだが(この言葉遣いには何の偏見もありません、ホンマお嬢さんぽく見えたのだ僕には)、「あ、ちょっと…。靴、見当たりませんよねぇ」。その目は半ば(以上?)僕に対する非難の目線を伴っていたように感じた。
 ふっと僕が見廻すと確かにない。「ありませんね」。で、瞬時に電車とホームの間を見ると、そのちょうど間の線路下に一見して女性の靴、ヒールなのかサンダルなのかまでは分からないけど(もう片方の足に残った靴もマジマジとなんか見てないしさ)、明らかにその女性の靴と思える黒いものが落ちていた。「これは、電車が出てからでないと取れませんね」。これ言ったのは僕ね。で、お嬢さんの目は更に僕を責める目線に変わっていたように見えた。

 … 一瞬、(だけどさぁ、あなたの靴が落ちたのが俺の責任ってことはないだろう!)と言いそうになったけれども、兎にも角にも、もう電車が出てしまう。僕は結局、一旦降りていただけの電車に戻り、ドアが閉まり、僕は電車と共にその駅を去った。
 今にして思うと、あのお嬢さんも僕と同じ「一旦下車」組だったのか「そこが目的地よ」組だったのかとも思うが、それは今にして思うこと。まぁ僕自身は、彼女はそこに文字通り「下車した」人と認識していたと思うけど、僕は何だか後味がわるかった。電車に乗り、僕は彼女を一瞬見たけれど、彼女は彼女で怒ったような不満そうな、そして困ったような表情で半ば呆然としていた。その時の彼女は僕に目線を向けていなかったけれど、僕は直ぐに僕の視線を横に逸らし、それからドアが閉まり、僕は更に視線を逸らし続け、そうして僕はそこを去って行った。もしかしたら、あの後、彼女は、もう1回くらい僕に非難の視線を向けたかもしれない。それは分からない。

 僕の取る行動としては、その駅に残る、そうしたら当然、電車が行った後に(その直後に直ぐに電車が来ることもなかろうし)線路に降り、彼女の靴を拾ってあげ、彼女にそれを渡す、そして次の電車まで待ち、予定より遅れて帰宅する、乗車前には最寄駅へのクルマ迎えを頼んでおいた妻に電話して1本遅れることを伝える。そういう選択は有り得た。

 だけど僕はそれをしなかった。僕がそれをしなかったのは、彼女の非難の目線が何だか腹立たしかったのか、それとも早く帰りたくて面倒に思ったのか、その両方なのか、まぁ前者の方が強いと思うけど、後者がゼロということは正直、「ない」。ただ、とにかく、後味がわるかった。
 マジで全然関係ないことなんだけどね、そのお嬢さんはたまたま若くてルックスも良くて、普通にしてたら例えば全然タカピーでもなさそうな、何だか可愛らしい、そして何だかしっかりしてそうにも見えるお嬢さんだった(しっかし、ほんの十秒程度でそこまで観察できるかね、僕の「気のせい」かもしれん、分かりまへんわ)。例えば僕が若くて、例えば僕が愛する妻もみつけてなくて、そのうえ気持ちに余裕があったりしたら、あんまり迷わずにホームに残って靴を拾ってあげたんだろうかね。で、念の為付け加えておくけどさ、別に相手がルックスのいい女性に見えなくても、心に余裕があり、時間にも余裕があったりすれば、やっぱりホームに残って靴を拾ってあげたのかね。

 ・・・まぁ実際の僕は電車に戻り、彼女はしばし途方に暮れ、そして、おそらくは彼女自身が自分で線路に降りたりしないだろうから、駅員にでも頼んで靴を拾ってもらったのだろう、その後。そして、彼女は家に帰り、「まったく、あの中年サラリーマンったら、もう、ひどいわ」。ついでに「大体、スーツにハンチングなんか被ってイケスカないわ」なんてね。

 嗚呼、何をくどくどと書いているんだろう。・・・僕はとにかく、後味がわるかったのだ。気分がよろしくないのだ。

 ただね、一つ言いたいことは(ってココに書いてどうすんだってソレは言いっこなしよ)、彼女の靴が線路に落ちたことに関して、僕が責めを負うイワレは全く無い、あるいは少なくとも「ほとんど無い」ってこと。
 僕はリュックサックを持っていて、混んでる電車だったからそれを背負ったり肩に掛けたりもできず、手に持ち、そして停車駅でも混んでたからこそ一旦降りた、手にリュックを持ちながら。ただ普通に持っていただけで、当たり前だけど必要以上に地べたを這うように持ったりしてるわけないし、ごくごく普通に持って降りただけで、その時、つまり降りる瞬間に、僕のリュックが僕の直ぐ前で降りた瞬間の女性の靴のカカト辺りに当たった。ってことは要するに事故、アクシデントってやつで、言い方を換えれば、彼女が降りた瞬間に直ぐ後ろの中年サラリーマンの持つリュックに靴のカカトを当てた、と。で、靴が脱げた。
 問題はその直後だ。つまり、脱げた靴がホームにあれば、彼女は靴を履き直し、僕は僕で何の後味わるさも無しに電車に戻り、当然の風情で帰路に向かう。・・・それが、脱げた靴が、ホームに転がらず、線路下に落ちてしまったってこと。あーあ。

 後ろのおっさんのリュックがたまたま当たり、靴が脱げてしまう、それも線路下に落ちる結果になるように、つまり、完全に脱げてしまう。それね、例えばおいらの靴はそんなことで脱げないよな。うちのヨメさんもそんな簡単に脱げる靴は履いてない、ヨメさんに念の為に訊いてみたんだよ、おいら。

 あのくらいで完全に脱げてしまう靴ってさ、きちんと締めてないような類のサンダル履きか、そうじゃなかったら、やっぱあんまり締めてないような類のハイヒールみたいなもんだと思うんだね。で、それがいとも簡単に脱げるってことはさ、別に今日みたいなタイミングだけでなくて、ラッシュアワー時の駅の階段とかさ、混んでる「人混み」の中とかさ、いろんなところで十分に起き得るってことだと思うわけ。

 でね、今日の僕は本当に後味わるくて嫌だったんだけどさ、気が向いたなら電車を次の電車に遅らせて、ホームに残って靴を拾ってあげることもできたはずなのにって思うんだけどさ、それとは別に思うのはね・・・頼むからそんな簡単に完脱げ(完全に脱げるってことね)してしまうような靴を履かないでくれよってことね、で、そういう靴でなきゃあんな程度のことで完脱げして線路下に落ちることもなかったし、まぁつまりどう考えても僕の側に「償い」としてホームに残り靴を拾うべき責務があるわけではないってことは分かってほしいなぁ、と。

 だってさ、普通にリュック持って下車して、前のお嬢さんの靴のカカトに当たりました、靴が完脱げして線路下に落ちました、それはアナタがわるいのよ? そりゃないだろうアンタ。・・・ってことなんです。だから僕を責めないでって。こいつは全く不幸な事故だったわけで、僕が多少とも親切であればホームに残って靴を拾ってあげればよかった、そうなりゃタマの早め退勤・帰宅も予定より遅れ、疲れも多少は(?)多めに残り・・・とはなっても。・・・大体こんな止め処ない日記書きもしないで済んだのかね、結果として。

 ・・・いやぁ、思うに、残って拾ってその分遅くなればなったで、僕はそれを何だか妙な気分で日記に書いていたような気もするね。そういう、ばかな人間なんですよ、僕は。
 き、貴重な、まぁまぁ早め退勤の日の帰宅後は、こうして無情に過ぎていくんだね。お嬢さんも小さな不幸(世の中には線路に落ちる人だっている、それと比べりゃ小さな不幸であるのは間違いない)だったろうけど、僕も何だか妙に遣る瀬無いわけです。嗚呼無常、嗚呼無情、嗚呼無上。・・・つ、つかれた。


05年 4月17日(日)   家族と共に過ごす休日

 先週も相変わらずたまらん週間。金曜は最寄駅2つ手前駅の終着となる終電で帰路へ。夜中の1時過ぎにクルマ迎えに来てくれていた妻の運転するクルマで帰宅。バン飯食い始めたのは土曜の午前2時頃。ちょっとだけ寝て、土曜朝は床屋と歯医者。歯医者は次は6カ月後と言われた。うーん、どうすっか、面倒って言えば面倒。

 今日は外で食べようかってことになり(所謂「外食」じゃないよ)、妻が弁当作ってくれ、グラブとバット持って外に出る。郵便箱開けると パレスチナ子どものキャンペーン のニュース誌やチラシ入りの封筒が届いてた。僕らも少しだけ会費以外に寄付したけど、誌面によれば、一時は危ぶまれた今年度事業の実行のための予算も、全国からの寄付で何とかなったもよう。良かった。

 公園では、桜の下で弁当食べた。先週金曜の息子の入学式の日に花見に行った時の公園よりは近場の公園。まだ咲いてた、散りつつも。弁当のところに散った桜の花が舞い降りてくる風情。鰻入り混ぜご飯も冷しゃぶっぽい肉入りサラダも美味。美味かった。

 その後は公園内のグラウンドで妻子と3人で野球。キャッチボール。バッティング練習。天気も良くて気持ち良かった。軽くやってる間は、頚椎・腰椎の椎間板ヘルニア二重苦もさして気にならない。家族と共に過ごす時間は格別にいい気持ち。

 帰宅後は、当サイトの「ロック」 に、ニール・ヤングの3作を追加。 1972年のHARVEST 、1991年の爆音ライブ2枚組 WELD 、1992年の HARVEST MOON 、この3作です。ええなぁニール・ヤングさん。

 今は息子が頑張って母親の協力を得つつオヤツのチョコ・パンを作ってる。ちゃんと粉ねて作ってるよ。やるで、息子は。この辺は父ちゃんは全然かなわんわ。後で3人で食べます。なかなか平和でハッピーな日曜だね。
 おいらはもうじき、また休日の在宅シゴトに手を出すけど、テキトーにしとくわ、なるったけ


05年 4月24日(日)   春である。授業参観である。

 先週も相変わらずたまらん週間。そろそろ、だろうか。まぁ直ぐに改善はされんな。過去からの、そして昨年度の異常勤務態勢からの、ツケはたっぷり。ま、徐々にだろうか。
 先週は、水曜が泊り。ただし、昨年度の3回のように完全徹夜ぶっ通し勤務、というのではない。まぁ3時間弱程度の仮眠みたいなもんはしただろう。翌木曜は夜9時よりはやや前に退勤。金曜は昨年度の課の分散記念兼今年度の課歓迎会。僕はガチョウしつつ幹事ね。別に、ま、いいんだけどさ、事情は書きたい気がするけど、ま、やめとくか。書くのもナンだな。もっと行動するよ(笑)。

 流石の転石もこの1年余の疲れはひどいもんのようで、とにかく身体がきつい。心もきついのは確かだから身心がきついというのが正確な表現かもしれないが、身体のきつさがひどいんで、なにか誤魔化されてしまっているような気がする。
 昨日の土曜は、一日、ぼけっーとして過ごしました。

 今日は、先日中学に入学したばかりの息子の授業参観。妻と一緒に行った。授業は学活。クラスの目標について話し合い。「友達を大切にしよう」とか「日進月歩」とか、いろいろ案が出されていた。息子も快活にやっているようで、安心した。
 その後、妻に「教師と保護者の会」(PTAって昔呼んでたやつのこと?)総会と学級懇談会に出てもらって、僕は帰宅した。息子は一旦帰宅してから遊びに行った。僕は、また少し(かな?)在宅シゴトをするよ。
 先週の日曜と同じように、今日も天気良かったな。家に帰ってきて、ゆっくりしようとすると、というか、こうしてキー打ったりするとってとこかな、頚椎・腰椎の椎ヘル二重苦も思い出す。左手は相変わらず痺れるしなぁ。
 ま、でも今日は晴天に恵まれた春の休日、そして息子の授業参観に行けた日、良い日ですな。家族と共に過ごせる休日なら、やっぱりそれは格別。・・・ま、しかし、ここいらでちょこっと在宅シゴトに手を出すかね。気が進まんよな、在宅シゴトなんてのは


05年 5月 1日(日)   メーデー、神経、バッティング、しごと

 今日はメーデー。正直言って、あんまり意識しない。でも、2年前の日記に書いたようなことは今も思ったりはする。(再び正直言って・・・僕は正直なのさ)でも同じじゃないけどね。A rolling stone gathers no moss. 転がる石には苔が生えない のさ。こんなん、ここで持ち出す言葉か。まぁいいや。僕は、自分の規矩を持ちながら「転がる石」なんだ。

 物事に取り組むときに真に「力」の源泉となる「教養」って何?。「教養」って、どうも一筋縄ではいかない言葉なんだね。村上陽一朗教授の『やりなおし教養講座』にこんな言葉があったよ。
 「自分の中にきちんとした規矩(きく)を持っていて、そこからはみ出したことはしないぞという生き方のできる人こそが、最も原理的な意味で教養のある人と言えるのではないか」。

 俗に言う、あるいは時には揶揄する言葉してさえ使われかねない「教養」というものは、こうしたものの上にこそ論じられ、真の意味を持つようになる。『いまを生きる』でキーティング先生が生徒に教えようとした知も、こういう力強いものだったと思う。
 決して自由奔放を無条件に奨めるのではなく、自分が拠所とする「規矩」を身に付けること。何歳になってもこれは簡単なことではないけれど、人の力の源は、こういうところにあるんじゃないだろうかと思います。もちろん僕自身、過去を振り返るだけで「まだまだ」と分かりますがね。

 先週も残念ながら相変わらずたまらん週間、でした。とんでもない君は僕にとって本当にとんでもない君だし、それは誰にとってもそうだって断言できる。終わった週だ、しかし週末に影響与えたって意味で木曜だけ書いておけば、2つ手前の駅が終着の最終で帰路へ。その駅まではいつも通り、妻のクルマの迎え。すまない! 「晩」飯は夜中の2時過ぎさ。嗚呼!

 金曜は「昭和」の「天」氏の誕生日で「祝日」だと。土曜は妻にヤクを取りに行ってもらった。腰椎・頚椎の椎間板ヘルニアのメチコバールとオパルモン。自称スキゾフレーニア(他称の医師見解は「個人情報保護法」完全施行だもんね、笑)の為のルボックスとレンドルミン。近頃、また寝れねぇや。腕も張るし、左手も痺れるし。嗚呼!

 今日はね、息子と約束のバッティング・センターに家族3人で。息子はスイングは結構いいと思うけどな。あとはもちょっとパワーを付けるさね。それで今は僕は在宅しごと中よ。ちょっと横道でウェブ日記つけたのさ。また在勤に戻るよ。明日は暦通りに出勤さ。じゃ、またね


05年 5月 3日(火)   憲法記念日の横着一人リンク

 今日はケンポーキネンビ。・・・だったよね?

 おいらは疲れてるのさ。だから過去の自分にリンク貼っとく。

 いやはや、ナンだね、相も変わらず、「憲法改正は必要ですか、必要ではないですか」とか、「憲法改正に賛成ですか、反対ですか」って、そういうつまらん質問を世論調査でやってんだね。一体どこを変えるってそれがバラバラでも改正必要派とか改正賛成派とかいって一括りにするのかね。この質問はナンセンス! あ、ナンセンスって手垢ついてんな。え〜とにかく無意味です。

 どういう国のカタチにしたいのかってのがなきゃ、どんな憲法がいいもないだろうよ。それとも何かい、憲法様をおっ立てれば、自動的にそいつが金科玉条になって国をびしっとさせちまうわけかい。なわけないよな、例えばさ、国の基本法である憲法をどんどん拡大解釈して現実追認に利用してきた為政者が、今度憲法を変えればその憲法は大事にしますか? しねえよ。どうせ都合よく解釈してくのさ。

 憲法はおおよそ国の権力を縛るものと考えるのか、それとも国を治めるための基本と捉えるのか、それだってバラバラな人達が血走った眼で憲法論議してんじゃないの。

 まぁある意味、例えば自民の皆さんとか、まぁ民主くんもそうだけど、改憲したい彼等が目指す国は見えやすいよね。反って「護憲」の方が分かりにくかったりして。ただ9条護りますって言ったって、自衛隊以前に日米安保やめるとか日本の米軍基地撤廃とか同時に主張していかないと、おそろしく現実とのギャップがあるわけね。日本は悲しいかどうか(我々日本人は悲しいのか幸せだったのかも振り返らない)、外交と安全保障(軍事と呼びましょうか)をアメリカさんにお任せして、経済だけで生きてきたんです。歪はいくらもあるじゃあーりませんか(古い!)。

 え? おいらは改憲賛成か反対かって? その無意味な質問やめろっての。例えばさ、第一章「天皇」なんてのは、丸ごと無くしたいね。テンさんには、京都に戻ってもらってね、伝統宗教儀式を保存する一派の家元になればよい。家元ってのは普通「世襲」するんだろ。いいじゃん、それで。・・・ただし、現行憲法の第一章廃止する時には(そんな日来るのかな?)、「天皇」に代わるものが必要だね。いや、何も王様とか殿様とかヒトラーとかスターリンとかナポレオンとか卑弥呼とかが必要だってんじゃない。結局、国境線ってやつが現実世界からなくならない限り(なくなる日なんて来るのかな?)、クニは何らかの概念のようなもの、国としての規矩とか(いやここで「規矩」って言葉使っていいかどうか??)、まぁとにかく、おそらくは「何か」によって、おおよその統合というものはされざるを得ない。それは博愛とか自由とかでもいいんだけど、それが自らの何らかの歴史的経験に根ざしていないと無理だよね。ウソ書いても浮き足立つだけだ。できるか、日本って、そんなこと


05年 5月 3日(火)   ふざけるんじゃねえよ。

 昨日は暦通り出勤したよ。朝9時前出勤、俺のノーマルな出勤だよ。で、24時20分に退勤。最寄駅より2つ手前の駅までの終電、そこから妻の迎えクルマで帰宅。帰宅時は午前1時40分頃? 「晩」メシは午前2時ってとこだな。

 ANGER って健全かい? 怒りだよ、怒り。

 ・・・えーっと、俺の分身のようなダチは怒ってるんだよ。 Hello darkness, my old friend...
 っとね、以下は俺のダチの割り込み日誌ってことね。

 この下のリンクに書いてあることは昨年度1年間延々と続いた馬鹿らしさの中の2コマね。今年度はちょっと変化ある。だけどさ、やっぱ、この1年間のぼろ雑巾状態を続け、その深刻さが僕の友人以外のエライ人にどれだけ伝わっているのかって考えると、やっぱり僕は「ふざけるんじゃねえよ。」って感じなんだな。誰にっていうより最早、モロモロのものに。

 僕のこの1年の就業記録はどうなってるかね。僕は何回もタバコ吸っちまうと、それとか残業してて能率落ちてたなって思うと、「休憩時間」ってご丁寧に設けられた欄に例えば 45分とか、30分とか1時間とか入力してしまうんだね。で、それは超過勤務の積算からは引かれます、当然。でもね、それで引かれた数値としても、1年間で 900時間とかは超えてるんじゃねーのか。
 僕はこれ書きたくないのは、本当はもっと多いかもしれないからねぇ。1,000時間超えてっか、見かけの数字 だけどさ。・・・分からんのよ、いちいち記憶はしてないしね、ま、記録は残ってる、システムに。

 家に帰ったって、土日だって、在宅シゴトしてたりしたわけだ。一体、超過勤務だけで実質、何時間になる? 全部で労働時間はどれだけだ? こんな馬鹿らしい状態が、俺サマ一人が単に能率わるいとか何とか、そんなことで説明つくわけねーだろ!? この異常にどうして何もしなかった、俺の昨年度の部のえらーい人達よ。あんま、いねぇけどさ人数。

 朝9時から「翌日の」夜それも果ては夜9時とか夜11時とかまで「一睡もせず完全徹夜おまけに翌日も夜まで『ぶっ通し』」シゴトしたのが都合3回。他に仮眠はしても職場に泊ったのが1回。あとは帰宅しても大抵は翌日の時間帯になってるんよ、つまり最寄駅までの終電にすら乗れない日、最寄駅終電にギリギリ乗れた日、その少し前がちょっと、ほとんどそんなんばっかや。超絶な超過勤務してるがな。もう、そりゃ産業革命以前のレベルとちゃうんか。

 まぁ職場内の計算上の話でも 1,000時間とかそれ超えるとか、まぁ休憩なんて相当元々多めに入れて引いてるわけだけど、それでもヒドイ時間なのは間違いない。
 それがね、帰ってからの深夜在宅シゴトとか、ほとんど毎週だった土日の在宅シゴトの時間入れたらどうなる? 死ぬよ、ったく(あ、どーでもいいけど、ガチョウは管理職とやらで超過勤務 1,000時間やろうが死ぬほどやろうがカネは出ません、時間は関係ない世界なの、カネと)。

 昨年度は一人がほぼ1年欠員状態、同じ分野のしかし分業課員の残ったもう1人はとんでもなくコア遅れるのに連絡無し・何回も注意して直り・しかし変わらずコア遅れしばしば・しかも就業記録入力はサバ読む・外部とのアポに遅れガチョウや派遣職員が代行する・指示した時間に来ない・行程管理はしない・自分で完成させない・反省しない(少なくともしてるように見えないのよ)・以前の課は管理職爆発で2カ月で放出・・・・・・なんで俺はこれからも面倒みるわけ? やっぱりね、俺は叫びたくなるよ、馬鹿にするのもいい加減にしろって。

 死ぬぜ、ったく。俺が今死ねば、絶対に「過労死認定」されると思うな。今死なないと認定されないよ。業務環境が改善されて、そのうちしばらくしてから死んだって、老獪な悪徳弁護士が、「いやぁ奥さん、近頃のご主人のお帰りはそれほど遅くなかったようじゃないですか。ちょっと前の過労との因果関係は何とも言えませんなぁ」ってほざくわけさ。

 ・・・っと、この辺まで俺のダチが載せてくれって話、にしときますか。なんでもええわ。

 ふざけるんじゃねえよ。 だけど俺は、今、JOHN MELLENCAMP の TROUBLE NO MORE 聴きながら、この日記を打ってたのさ。俺は前向きだよ。ただ、前向いて怒ってるのさ。怒りながら、前向きでいるのさ。俺は前を向いているのさ


05年 5月 5日(木)   ファイターズ応援の旅

 昨日、5月4日、息子と約束の日ハム・西武観戦、行ってきました。日ハムっていつもは言ってるんだけどさ、ほんまは企業名よりもってことで、お題は「ファイターズ」としました。
 過去日記に時々出してきたように息子は昨年まで近鉄の大ファンであった。4年前に北川の代打逆転サヨナラ満塁ホームランで超劇的なリーグ優勝を飾ったが、実はその前の年、「万年ビリ」に見えた時代にファンになったのだから息子も大したもんであろう(笑)。・・・で、近鉄は昨年、チーム名から消えた。この辺のことについては以前何回か触れたので今回は詳述しない。
 息子は当初、バファローズの名が残ったオリックスを応援すると言っていたが、やっぱり近鉄「消滅」劇の「勝ち組」にはあまり気が移らなかったようで、そのうちに好きな北海道が本拠の北海道日本ハム・ファイターズのファンになっていった。今、息子が応援しているのは、1番はファイターズ、その他は千葉ロッテ・マリーンズ、それと東北楽天・イーグルスである(たぶんもっと応援したい気もあるのだが何せ親と同じで三木谷が好かんのだ)。

 行きは西武池袋線利用。当日券の外野席。列に並んでる間に、列は一旦妻に任せ、ビジターのグッズ売場へ。最近まで3年間余スイミング・スクール通いを続けた息子に「よく頑張ったで」賞と理由添えてファイターズのユニフォーム買ってあげた。息子は普段無駄遣いなんかしないし、我々オヤも甘やかしてなんかいない。たまにこうやって買ってあげて息子が喜ぶ顔は父親にも母親にもよいのであった。球場入り前にもう一つ買い物、弁当買いましたね。

 実は去年の同じ日に大阪近鉄バファローズ応援でここ西武ドームに来て、やっぱり翌日の日記にアップしてる。今年は北海道日本ハム・ファイターズの応援。西武は常に我らの憎まれ役です。選手は別に憎まれ役じゃないんだけどさ、西武は好かんです。さいあくは巨人だけど。
 西武は嫌いだけどね、西武ドームはわるくない。僕らはドームは好きでなくて、ほんまの野外、Open Field がいいんだけど、西武ドームは野外にも通じているからね。外野席側の芝生に座っていると、ホーム側のスタンドの向こうに緑がよく見えます。そういう意味では、東京ドームなんかで野球観るよりはずっといい。

 写真は僕らが応援してた辺り、レフト側から撮ったもの。息子はファイターズでは元阪神の坪井のファン。坪井はレフトです。この日は残念ながら西武打線の方が爆発してしまい、3対12でファイターズの負け。ファイターズ側は2番木元が2本ホームラン打ったのと、センター新庄のファインプレーくらいが見ものだったかな。先発のナイトって投手がボロボロで1アウトも取れないうちに何点も取られ、所謂「試合を壊した」(?)って感じかな。結局ナイトはアウト一個取っただけでマウンド降り、1回に取られた点は 9点。

 蛇足。試合前は例によって「苔の生すまで」の「君が代」。「苔が生えない」転石オヤジを始め、我が一家はみーんな「君が代」嫌い。誰があんなもの認めるかいな。で、僕はどうやら寝てたらしい。マジ、横になって、その時は完全に眠ってました。知らんかったもんね。周囲はやはり立ったり、中には歌ってる人もおったらしいが、妻と息子は座り込んだままなのであった。急に眠ったりもできんしなぁ(笑)。

 試合終了後は大宮へ。大宮駅前のビル、息子がよく聴いているFM局の NACK5 のスタジオがあるところに行った。で、生収録中の様子をしばし見物。けっこう面白かったね、僕も初めてそういうのを見たし。
 で、その後は同じフロアーの店でCD1枚購入。 NEIL YOUNG の、昨秋出た GREATEST HITS を買った。デビュー以来、1991年の HARVEST MOON までに収録されてる曲から選曲されてるもの。・・・あ、あのね、ちょっとだけ脱線するんだけど、今「せんきょく」って打ったら「選挙区」が先に出たんだ。この文脈でコレって本当に現在の MS-IME はどうしようもなくバカだと思う。「先に出たんだ」だって「さき」が「咲き」って出たんだぜ。バージョン・アップして確実に前より質が悪くなってるのはどうしてかね。アップでなくてダウンだよ。

 ニール・ヤングのCDは買って良かったね。今も聴いてる。ヤングおじさんはロック界の怪人百面相だから、けっこういろんな曲入ってるのも聴き甲斐あるんだよね。まぁボックス・セットでも出ないとニール・ヤングの全貌は掴めませんがね(笑)。

 大宮駅の近くの居酒屋で晩ご飯食べてから帰りました。東武野田線経由。何しろ、息子は電車が大好きだからね。いろんな路線にトライして楽しむわけです。っていうわけで平和な1日でありました


05年 5月 5日(木)   子どもの日。

 こんな感じ の1年だからね、ひたすら疲れが溜まってるわけよ。日記には何度も書いてるけど、どんなに繰り返し書いても、あるいはどんなに詳しく書いても、これはちょっと伝わらないよな。・・・ひど過ぎるもん。この1年、人をぶん殴らなかった僕はエライね。えらいのかねぇ?

 まぁとにかく疲れいっぱいで、昨日の野球観戦以外は、GW中はとにかく出勤しない日は身体を休めようって算段です。疲れ、できる限りとっておきたいわけよ。身体をできる限り回復させたい。明日は在宅シゴトを予定してるけどね、でも兎に角できる限りは疲労回復をしておきたい・・・。

 えーっと、前置きはこのくらい。

 今日は、子どもの日。家ではもう息子も中学だし鯉のぼりは「そろそろ」にしようかなんて話もしてたけど、やっぱ今年も出しました。それが右の写真ね。

 ひたすら疲れてる僕はソファで眠っちまって、目覚めてから夕方近く、我が家の小庭に出て撮ったもの。妻と息子はその時は庭の草取りをしてました。
 息子はその後、素振りとか壁当てとかで、野球の練習してたと思うな。

 今日は、子どもの日。「子ども」の日だもんね、今日はアルコール抜くよ、妙な理屈だけど。とにかくさ、身体の調子はよくないのよ。疲れ極地だもんね。この1年の尋常でない疲れが僕の身体を沈み込ませてます。なんか出勤日以外の日は身体を動かすのが面倒なんだよね。兎に角、兎に角、ぐったりだね。アルコールも抜こう・・・そう思い立っただけですよ。

 今日は、子どもの日。庭には鯉のぼりがはためき、鯉が踊り、躍り、躍動し、僕は居眠りし、息子と妻は鯉のぼりの下で庭の草取りをし、僕は鯉のぼりを写真に撮り、ニール・ヤングを聴き、そうして夜になりました。

 僕は今、ニール・ヤングをかけながら、この日記を書いてます。家族と音楽が共にある、平和な1日なのであります


05年 5月 6日(金)   2005年5月6日の呟き

 こんな感じ の1年だからね、ひたすら疲れが溜まってるわけよ。日記には何度も書いてるけど、どんなに繰り返し書いても、あるいはどんなに詳しく書いても、これはちょっと伝わらないよな。・・・ひど過ぎるもん。この1年、人をぶん殴らなかった僕はエライね。えらいのかねぇ? ・・・って昨日も書いたよ。

 去年の今日は我がシャがシャインそれぞれに個別に認める特別休日だったけど休日出勤・・・ってのは去年のその翌日の日記 に記録されてる。今年は4月8日を特別休日にしてた。息子の中学入学式ね。この日は休みました。当たり前だがや。

 今日は有休です。今年のGWは、メーデーの日にちと在宅勤務(在勤は就業記録に残りまへん!)、5月2日は出勤して 24時20分退勤。今日は休みだね。朝から病院。ここんとこオデコにプチプチ発疹が出ててね、眉間に皺寄せ過ぎてたからかね。だんだん鬱陶(すっげ字だな)しくなってきたので病院へ。しっかし、この程度でも、頚椎・腰椎の椎ヘルのヤクのメチコバール、オパルモン、そいから自称スキゾフレーニア、他称・医師見解の何だっけのルボックスとレンドルミン、つごう4つのヤクとの相性(?)を確認してもらわにゃならんってのも面倒であります。

 左手は痺れるわ、腕は張るわ、昨日は眠れんわ、困ったもんだわ。嗚呼。

 今日はね、在勤をしばし。週明けはまたビシバシ勤務の出勤かね。・・・ってわけでね、1年余りの分のウンザリ疲弊から多少とも回復したいもんだ・・・と思っとります。多少でも回復イケると嬉しいわけよ。回復するぞっ。だんだんにな。 I WON'T BACK DOWN. だね、トム・ぺティさん。
 おいらは今、ニール・ヤングさんの COWGIRL IN THE SAND を聴いてるけどさ。 Hello, Cowgirl in the sand ..._


05年 5月 8日(日)   2005年5月8日の呟き

 こんな感じ の1年だからね、ひたすら疲れが溜まってるわけよ。日記には何度も書いてるけど、どんなに繰り返し書いても、あるいはどんなに詳しく書いても、これはちょっと伝わらないよな。・・・ひど過ぎるもん。この1年、人をぶん殴らなかった僕はエライね。えらいのかねぇ? ・・・って何回も書いとるよ。

 GWは今日で終わり。身体疲弊につき遠出せず、4日のファイターズ応援以外は僕は家ゴロたま在勤の日々でありました。この間に1年余りの分の疲労を多少とも回復しようと。しかし、やっぱハッキリした回復は現れんのです。そう簡単ではないのだよ、もともと。

 僕のこの1年の就業記録は・・・僕はタバコ何回か吸いに出れば思い切り休憩時間を計上してるからね、能率落ちたなって思った日は更に休憩膨らまして引いちまうからね、当然システム上の僕の超勤時間はそういうのを引いた数値上のものなんだね、それでも1年間で 900時間なのか、もっとなのか、感覚的には、というか実態は 1,000時間超えてんだろうけどさ。分からんのよ、いちいち記憶はしとらんし記録も付けてないし、ま、システムには記録してるから、その目減りした数字だけは残ってるわけね。

 帰宅後の在勤、土日の在勤、こんなの加えたらソラ恐ろしいね。馬鹿バカしいっすね。何度も書くけどさ、この尋常ならざる状態が、俺サマ一人が単に能率わるいとか何とか、そんなことで説明つくわけないのだよ。そういう使用者サマのエクスキューズは遥かに超えたレベルなわけね。この異常に何もしなかった人達は、この渦中にいた人間が死んじまえば当然責任取らなくちゃいかんわけ。ま、そんなもの死んでしまってから責任取ってくれたって、それは本当は取れてない責任なのよ。
 なぜなら、生命 (いのち) は本当にかけがえのないものだから
 なぜなら、生きているうちが花なのよ死んだらそれまでよ、だからね。

 上のリンク先生きているうちが花なのよ死んだらそれまでよ新党宣言って銘打ってね、ひどい中でも特に酷い労働実態についての日誌を途中までリンクしてたんだけどね、今改めて久方ぶりに見て思ったんだけど、ほんま途中まで、だね。その後もずーっと酷いままだし、完全徹夜ぶっ通し「次の日の」深夜まで勤務なんてのもまだあったんだけど、まぁあれもこれも、しかし全部ではありませんっ! ・・・まぁちょこちょことは日記にアップしてきたけど、上の新党宣言サイトにはリンク貼らなくなっちゃったね。ずーーーーーっと酷いままなんで次第に面倒臭くなったんだな、宣言し続けるのが。まぁそれほどひどかったってわけで途中から宣言サイトのリンクもやめちまったってわけで、それは要するに必要なくなったんでなくて、完全常態化、恒常化においらのリンク・ガッツがなくなっただけの話。嗚ー呼!

 ま、兎に角、ウサギにツノが生えまして、ほぼ1年、分業専任課員欠員状態、同分野残余1人はナンのソノ。・・・兎に角、僕の労働環境は放置され、他の多くの課が補充されようがどうなろうが僕のガチョウ責任を任じられた課の尋常ならざる状態は放置されまくり(途中のエライさんによる「補充されそうだ」観測発言は何だったのかね)、まぁ兎に角、ウサギにもツノが生えていくのであります。
 そもそも俺は従順なウサギさんじゃぁないわけ、ヨーヨーヨー羊さんでもないんだよ、人間なんだよ、
 ふざけるなって。
 馬鹿にするのもいい加減にしろって。

 ふざけるんじゃねえよ。

 俺は前向きだよ。ただ、前向いて怒ってるのさ。いつまでも我慢はしねぇぞ。メチコバール、オパルモン、ルボックス、レンドルミンを友、じゃなかった供にして、わしゃ頑張るのよ。ほんとはもう2種飲んでるんだけどさ、そいつは短期見込みなんで書いてやんないの。ま、兎に角、ウサギにツノ、左手が痺れようが腕が張ろうが眠れなかろうが(いや眠れんのは困る・・・)、僕は前向きなのよ。

 だんだんね、1年余りの分のウンザリ疲弊から多少とも回復していくわけ。そりゃ間違いない。回復するぞっ。だんだんにな。
 I WON'T BACK DOWN. だね、トム・ぺティさん。
 俺は今、ニール・ヤングさんの ROCKIN' IN THE FREE WORLD を聴いてるけどさ。 Keep on Rockin' in the Free world ..._


05年 5月15日(日)   ぶん殴りはしないが。

 先週もナニだよ、僕の分身的友人は。毎日ヘロヘロさ、モラルのない人間のおかげで。モラールでなくてそれ以前のモラルね。アホくさ。木曜は最寄駅に着ける終電で帰路。パートナーのクルマ迎え受け、バン飯は夜中ね。翌金曜も朝9時前から出勤、俺の分身的友人は当然だけどさ、ガチョウらしいんで、その原因を作ってるモラル崩壊人が10時出勤サマってのは何なんだろうね、バカバカしい。しかも本来は朝1から業者に来てもらうべきところを自分の出勤時間に合わせて業者にも10時だぜ(その業者は言えば9時前にだって来てくれる人なんだってさ)、ってらしいよ、俺の分身的友人はたまらない日々よ、相変わらず。・・・ぶん殴りたいってさ。そいつと同じ課になった人間はみんな似たような経験や感情を経験してるってことだけどね。なんでも最短2ヶ月だか3ヶ月だか、放り出されたんだと、キレた上司に、しっかしそれでその後にその隣の課に移した対応が僕の分身的友人にはぜーんぜん理解に苦しむこと。マジ、ぶん殴りたいらしいよ。ぶん殴って問題になっても、そいつはそのくらい酷くてそういう事態になった背景は十分説明できるって「証言しますよ」って言ってくれる人間だっているんだから。
 ・・・ま、それでも殴らんけどさ、彼は。つまらんもん。

 ・・・えーっと、俺の分身のようなダチは怒ってるんだよ。 Hello darkness, my old friend...
 っとね、以下は俺のダチの割り込み日誌ってことね。

 この下のリンクに書いてあることは昨年度1年間延々と続いた馬鹿らしさの中の2コマね。今年度はちょっと変化ある。だけどさ、やっぱ、この1年間のぼろ雑巾状態を続け、その深刻さが僕の友人以外のエライ人にどれだけ伝わっているのかって考えると、やっぱり僕は「ふざけるんじゃねえよ。」って感じなんだな。誰にっていうより最早、モロモロのものに。

 ま、延々と続いてるわけよ。今日も疲れてるし、このヘンでってさ。


 ・・・俺の話。金曜は親しい人と久方ぶりに会って、たまたま稀なタイミングの良さで都合を合せられ、飲みに行きました。

 昨日は飲み疲れでウダウダ。今日は在宅勤務。もうホンマ疲れてるしさ、妻にも打ち込みやってもらいましたよ、本当にありがとうございました。

 7月にジェフ・ベックが来るんだ。チケット3人分予約したぜ、今週。そいで久方ナツカシの時代のベックのアルバム買って、改めて何度も聴き込み(かっこいいんだ、コレ、マジよ、ボキャ貧だな、ったく)、「ロック」 に、ジェフ・ベックを追加したよ。BLOW BY BLOW !


05年 5月 22日(日)   衰弱中の身体持続する精神 とヤク

 衰弱中の身体・・・って大袈裟か(笑)。いや笑えねぇな。きっついもん。

 昨日は日中ほとんどソファに横になってたよ。上からいくとね、首が痛い、肩がイジョーにこる・張ってる、両腕の上腕がパンパンに張ってる、近頃は肘から下も張ってる感じ、左手はほぼ常に痺れてる、腰がちと痛い、近頃は両足の大腿も張ってる・脹脛(フクラハギって読むんだと)も張ってる・両足痺れる時も多い、嗚呼。もうさぁ、1年余の超絶異常勤務は相当に 僕を痛めつけて しまってるわけよ、嗚呼。

 頚椎・椎間板ヘルニアは 03年の 6月頃から発覚してたわけだし、えーっと腰椎・椎ヘルはたしか 02年秋からデモ実は 01年秋からだったっけかなぁ・・・。メチコバールとオパルモンのヤクは今も飲んでいますが、他にもあるんでねぇ。一昨日は二郎さん神経科のルボックスとレンドルミンも補充しております。ま、二重人格者、ちゃうちゃう、スキゾフレニーア、ちゃうちゃう、何だっけ、ま、エエがな。

 先週は、パレスチナ子どものキャンペーン から通信が。今年度の運営会員証と、しばらく前の会費や支援金寄付(って言っても微々たる額だけど)のお礼の通信、現地支援活動の報告でした。
 それから、UNICEF からも通信があったな。以前スマトラ沖大地震と大津波の時に応じた緊急募金のお礼を兼ね、ユニセフのマンスリー・サポート・プログラムへの参加を呼びかけるものでした。
 ・・・今はパレスチナとアムネスティをしてるからなぁ。他は継続的でなく単発の参加にしようかと思っています、今のところ。こういうのは大変な、あるいは想像を絶するほどの生活環境や精神環境にある人々を少しでも支援する活動に繋がるんですが、それでも、支援したい側は、できる、やれると思う範囲でやっていくというのが肝心だと思うのです。相手は無理ある生活なのに辛い気はするけれど、支援する側はある意味、無理のない範囲で、というのも大事かな、と。・・・でも、僕はとにかくこういう活動に何らかの形で関わって、僕自身も得難いものを得ている、僕も与えられているという感じです。僕らはきっと共に生きているのです、意識するしないに拘らず。

 先週は月曜は遅く、蓄積極度疲労で疲れ疲れて火曜は早め退勤、水木もけっこう早めに退勤、金曜は終電でした。今日は午後、ちと在宅勤務します。ま、だんだん減っていくだろう、と思いたい。
 Heart of Gold 探して、いろいろがんばるさね。もそっとリラックスした方がよいかどうか。ま、そういうことは意識してするもんでもなかろうってか


05年 5月 28日(土)   起きた。寝た。眠った。起きた。歩いた。

 先週の土曜よりも、もっと寝た・・・。

 ずっと、ソファに横になってた。首イタ、肩コリ・張り、上腕膨張(?)、腕張り、左手痺れ、腰張り、足張り・痺れ、嗚呼。
寝たも寝たり。朝は近所の駐車場の草刈機の轟音で起きてしまい、朝飯。妻と息子は地区のソフトボール大会の練習へ(妻は明日大会参加、息子は中学野球部の試合へモチ1年応援部隊、僕はゴロ寝と在宅シゴトだろう)。2人帰宅後に昼飯。息子は今度は小学校時代やってた地区の少年の野球部の練習へ「顔出し」参加。妻は掃除や買い物をしていたと思う。僕はずっと寝てた、ソファに寝てた、けっこう眠った、でも身体は回復しない、そう簡単に回復しないのだ、1年余の超絶異常勤務は相当に 僕を痛めつけて しまってるわけよ、嗚呼。

 木曜は24時20分まで働いたけど、他の日はけっこう早めだったな、大したことないよ、明日は在宅シゴトするけれど、だんだん減っていくはずだ、そうならなくちゃいけません、そうなるはず。

 横になりながら、CDかけてた。はっぴいえんど。なぜか(?)サラサーテのチゴイネルワイゼン。ポール・サイモンの THERE GOES RHYMIN' SIMON 、ライ・クーダーの BOOMER'S STORY 、時々目覚め、CDを変える。うとうとする。眠る。目覚める。そのうち、息子が帰ってきた。眼が覚めた。起きた。散歩がてら、タバコを買いに行った、嗚呼。

 昨日だったか、一昨日だったか、パレスチナ子どものキャンペーン から会員総会の案内が届いた。総会があり、午後にはジェニンの幼児教育センターから来日するパレスチナ人女性の講演会がある。行きたい。でも日曜は未だきつい。少なくとも来月の日曜は未だきつい。今度の土曜はバディ・ガイや麗蘭、聴きに行くけどね。総会の日は、たぶん、僕は家で休んでいるだろう。在宅シゴトはもうしたくないな。でも、未だ休んでいるだろう。・・・僕は委任状を出すと思います。そのうち、もう少しは出たいね。だんだん、もっと、出るようにしたいね。そうなるね、なるよ。

 Heart of Gold 探して、生きます。生きてるんだから、普通わざわざ「生きます」なんて言わんな。ま、生きますわ。


05年 5月 29日(日)   昨日の続き

 昨日 の続き、みたいな日記。

 昨日は早めに寝た。肩と腕を妻に揉んでもらった。しばらく前から、よく揉んでもらう。昨日はずっと、ソファに横になってたが、しかし、寝るのも早くした。首イタ、肩コリ・張り、上腕膨張(?)、腕張り、左手痺れ、腰張り、足張り・痺れ、嗚呼。身体が重たいね。

 息子は早朝から中学野球部の試合へ、モチ1年応援部隊、自転車で行ったようだ。妻は地区のソフトボール大会に参加。僕が寝床から起きてきた時は、家の中は僕だけだ。身体は、そう簡単に回復しないのだ、1年余の超絶異常勤務は相当に 僕を痛めつけて しまってる。

 近頃、去年の4月以降の1年余と比較して(これは異常でほとんど深夜、時に帰宅せず、なので本来は比較にならないんだが)、早め退勤の日がわりとある。しかし、蓄積した疲労が出てきてる感じは反って近頃の方がある。それと、休日の在宅シゴトも進まなくなった。あまりやれない。土日は身体が動かないんだ。いや、サラリーマン氏の在宅シゴトなんてやらない方がよいに決まってるんだが、平日を少しでも楽にしたいと思うと、つい手を出してしまう。今日も少しはやるだろう。・・・そのうち、こんなアホなことやめるよ。僕は個人・家庭と『会社』と社会を生きるよ。『会社』は人生の一部のはずだ。

 今はジェフ・ベックの、2年近く前にリリースされたアルバム JEFF をかけてる。買ったのは最近。

 ちょっと脱線。最近、今日は面倒で詳述しないけれど、また靖国の問題がかまびすしい。小泉の愚かは今に始まったものではないけれど、安倍も相当に昔からバカのようだ。靖国の何たるかは、今日は ここ にリンク貼っときます。

 さて、本当に身体がきつい。
 転石なのに重たい岩のようだ。
 like a Rolling Stone なのか、I am a rock なのか、ディランさん、マディさん、サイモンさん。
 巌(いわお)なんかにゃ、ならないぜ。
 「巌となりて、苔の生すまで」なんてゴメンだな。
 『転がる石には苔が生えない』。 A Rolling Stone gathers no moss.
 Give Me Strength to keep me searching for a Heart of Gold._