04年 2月22日〜2月28日

最近の子供はどうか分らないけど、今の大人の多くはガキの頃に日記を何日か書いた経験があるのでは?
斯く言う私もその一人、当然この日記も不定期です。 (2001年8月19日、記)


04年 2月22日(日)   僕が左から右の一部に共感する理由

 知人に出した僕のメールの一部を掲載して、標題に代えます。僕のプライベートなサイトの日記ですが、僕のプライベートも含め(笑)、プライベートな部分等々を省略して掲載します。本来レス形式の返信で、その自分側のところだけなので、ところどころ読みにくいかとは思いますが、そのまんま上に。上ってウェブ「上」です。改めて、左から右(の一部)に向かって共感した自分の見解めいたものを、「備忘録」的に載せておくのが趣旨です。以下の如く、一部略した残りはそのまんま。


近頃とりとめなく話すことが多く(私自身のこと)、
話の方向をあまりコントロールしなくなっています。右往左往しております。

(当サイトでの注: 下の一段落は花粉症の話題・・・僕の今に関する「備忘録」略さず。)

私は何年か前からシーズン前に薬を飲み始めるようになってだいぶ経過
がいいのですが(それでも楽ではありません)、今年は少ないそうですね。
だからではなく、例年と違って、今年は薬を飲んでないので、ちょっと気に
はなっています。ちょっとグズつき始めてるようです。
神経科で処方されてる睡眠導入剤と合うのか確認してからにしようと
思ったまま、時期が来てしまいました。昨年、鼻風邪を引いたときに
抗ヒスタミン系とかの鼻炎用錠剤を併せ飲んで、翌朝立ち上がれないくら
いに効いてしまったという経験があるもので。
とりあえず、このまま花粉が少なめであることを願いますが。
(今日はこちらは風が強く、ちょっと心配。)


(当サイトでの注: 以下、小池清彦・現加茂市長等の件・・・)

私は私とは全然違う経歴やそこから来るのかもしれない心情、そして論理の方では
あまり私が中心に据えなかった論理から自衛隊海外派兵に反対する人として
認めています。それと、各論ではいろいろ違いがあっても、社会的地位のあるエライ
さんや過去に社会的地位というものを築いた人間が、
自分の社会に対するメッセージを明確に出す、
要するに分かりやすい意見を社会に向けて公にするということは、
この国では非常に珍しく貴重なので、そういう意義も認めています。

私自身の考えを先に言えば、自衛隊は憲法違反だと思います。
憲法9条の1項で、戦争や武力の威嚇、武力行使を、国際紛争を解決する手段として
は永久にこれを放棄すると言っていて、
第2項で、前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない
・・・そう規定しているので、自衛隊という名の軍隊、自衛隊の持つ戦力を、
国として保持していることは、憲法違反だと考えます。
たぶん、こんなまだるっこしい言い方をしなくても、小学生が9条を読んでも、
ちょっと難しい言い方はしてるけど、なんでこれで日本には自衛隊という名の軍隊が
あるの? と不思議に思うでしょう。

自衛隊を憲法違反としない説は、自衛権は自然権としてあり、その目的のために専念
する自衛隊、つまり、ひところ流行り近頃言われなくなってきたところに
危ない右傾化の状況を感じますが、
「専守防衛」のための戦力は日本国憲法も否定していない、という説です。

しかし、第2項では、戦力不保持の後に国の交戦権の否定まで規定しているので、
専守防衛目的なら軍隊を持てるというのは、かなーり苦しい論理でしょう。
9条を普通に読めば、自衛隊は違憲でしょう。

この件でたしか過去に一度、東京地裁が日米安保に絡めて違憲判断したよう
に思いますが(細部は不正確な記憶かも)、結局最高裁までいって、
「高度な政治判断なので司法は判断しない」などという判断放棄が行なわれて
しまいました。

いずれにしても、自衛隊合憲説は上記の考え方を底流とするものだと思います。

さらに自衛権には個別的自衛権と集団的自衛権があり、
国連憲章もその両方を各国に権利として認めている。
だから日本にも集団的自衛権はある、しかし憲法がこれを制約している
ので、日本はその権利を「行使しない」。
これが歴代の内閣法制局の見解だと思います。

私はこれも相当に苦しい解釈、というより詭弁で、
9条を読めば、とにもかくにも軍事力を
(自衛のためだろうが)(平時にも戦時にも、後者は現実的に無理でしょうが)
用意することを認めていないと読むのが素直な読み方だと思います。

自衛権行使のための戦力は合憲だとする人が自衛隊の存在を支持し、
あるいはこれに関わって仕事をしたりしているわけですから、
少なくともこの人たちは、その考えを基本に置いて憲法論議をすることになります。
私の考えとは違うし、私の理解の根本的な観点からすれば、私が違憲だと思う要件を
合憲だとする人たちが、それを前提にしたまま憲法論議をすることは、
(私の考えの枠の中では)矛盾ではありますが、
これを、矛盾してるから全否定するということは、私はしません。

自衛隊の存在を、突き詰めつつ合憲だと考える人や何となく合憲だと考える人が
かなり大勢おり、この人たちが自由に持つその考えをもとに、その上に憲法論議を
したりすることは、これも自由だし、
この今や国民の過半となっているであろう人たちの間では、
自衛権の軍事力は認めるがしかし海外派兵は専守防衛ではないから否定
するのか武力行使が主目的でない国際貢献と解釈して認めるのかという争点は、
十分に論点になるところでしょう。

私は、前提が彼らと同じではないですが、その前提に立つ人が、法理をきちんと尽く
して今回のイラク特措法やこれに基づくイラクへの派兵を違憲であると主張する
ことも意味あることと評価します。

それから、中身も評価しますが、
その地位や経歴からすれば黙っていた方が楽と言えば楽、年齢も年齢だし、
しかしそれでも意見を公にした、そういう姿勢には、
日本の為政者たちの多くに見えない、
責任ある地位や過去にそういう位置にいた経歴を持つ人間の
一つのあるべき姿勢を感じ取ります。

小池加茂市長(元防衛庁教育訓練局長)や箕輪登氏(元郵政大臣、元防衛政務次官)
は、結局は「自衛隊員を危険な目に合わすな」というのが主旨だという点に
ついては、確かにそこに大きな力点があるのはよく読み取れます。
つまり、彼らの主張は、「自衛隊は専守防衛を旨としており、国の防衛に当る大事な
隊員を対米追従目的でかつ違憲であり自衛隊法違反でもある海外派兵に出すな」
という論理です。
ただ、一方で、彼らが、このこと(イラク派兵)が日本の安全を脅かす結果を生む
ことの懸念を表明してもおり、日本国民一般が平和に生活する権利を侵害する
と主張しています。

自衛隊は日本国憲法に違反しているとは思いますが、軍隊そのものがヤクザと違う
のは、実態はどうあれ、法治下で行動することが義務付けられているところです。
つまり、法の制約を前提にした存在です。
(ヤクザは、その装いはともかく、現代社会でヤクザがヤクザたるゆえんは非合法な
 存在であることを拠り所にしているところにありますから。)

そこから、シビリアン・コントロールがあり、仮に自衛隊という名の軍隊が合憲で
あっても(私自身は何度も書くように違憲だと考えますが)、
その軍隊は設置された根拠法(自衛隊の場合は自衛隊法)を守らなければ
ならないし、また、海外に軍隊が出るようなケースでは、
ジュネーブ条約等に規定される国際法を守らなければなりません。
(アメリカ軍やイスラエル軍等、国際法を守らない実態はいくらでもありますが。)

ヤクザが急に親分から戦場に行けと言われても、任侠の世界では法律を盾にした
不服従は難しいでしょうが、
自衛隊の場合は、専守防衛を主務とする(従務は国内治安維持)自衛隊法が
ありますから(札幌雪祭り協力や災害救助は「その他の任務でしょうか」、
後者は「国内治安」に関係しなくもないでしょうが・・・)、
イラク派兵を、アメリカ軍と海外のゲリラという非正規軍の海外における戦場
への派遣であり、前者に対する後方支援だと考える箕輪登氏は、
自衛隊法違反であり、憲法違反だとしています。

また、小池加茂市長は、イラク特措法においては、非正規軍との武力衝突は
当該法律上の「戦闘行為」に当らないと政府が言っているので、
その論法で法律が作られたら、つまりいろんな地域を対象に同様の特措法
を作ることが許されるなら、これでは世界中のゲリラ戦に自衛隊を派遣する
ということを可能だとする論理になってしまう、したがって、イラク特措法その
ものが、日本国憲法と専守防衛を前提とするはずの自衛隊法に違反して
いると主張しています(もちろん小池氏は、自衛隊自体は合憲という立場
からそれを言っているわけです)。

共に、ヤクザになった組員が「出入りはこわいよお」と泣いているという例とか、
「軍隊に入ったんだから死の危険にあうのは当然」なのに「アマちゃんなことを
言って」いるということとは、別の次元だと私は受け取っています。
箕輪氏はバリバリの右の人だし、小池氏も保守もしくは左右で言えば右翼系で
あることは間違いないので、
国防とか国土防衛とかいう次元では、二人とも、
自衛隊員は、一旦ことあらば「国のために命を賭けても戦う」志を持っている
はず、もしくは、そうあるべきとの考えであろうことは、想像に難くありません。

ここまでだと、これを批判する保守側の人たちからは(例えば大国主義、
日本も世界で覇権を得るべきと思う人などなど)、それでは、
あなた達は保守の人のはずなのに、さよくの一国平和主義と変わらない
だろうと論難されそうですが、
小池加茂市長は、国に出した要望書のなかで、
「イラク国民は、決して日本国自衛隊の派遣を求めてはおりません。中東諸国の国民
 も自衛隊の派遣を求めてはおりません。自衛隊は招かれざる客なのであります。」
ということを書いてもいるし(確かにイラク国民が求めているのは安寧や安定し
た生活、そのための雇用等であって、それに役立つものなら何でもよいという
のが実態です、軍隊を求めてなどいません)、また、
箕輪登氏は、「迷彩服の自衛隊より、ドイツ、フランス、中国、ロシアなどに呼びか
けて、国際赤十字の下で一緒に自国の旗を掲げるならよかった。」という言い方
をしています。

彼らは元防衛庁だったり元自民党国防族だったりして、国防を中心において論陣を
張っています。ですから、その角度からイラク特措法を批判したり、
今回のイラク派兵に反対したりしています。

私が反対するのは、主として、世界の独善的な「保安官」たろうとするアメリカに
追従して日本の外交上の政策を含む国策を決定するのは間違っていると思うし、
日本が中東の平和のために努力して取るべき政策は、
欧米と違ってその地域に武力を行使したことがなかったという自らのほぼ無関与
の歴史上の位置を有効に使って、紛争国の和平交渉を促進する仲介役になったり、
紛争が絶えずインフラが整備されないその地域の国々のインフラ造りなどに
これまで以上に貢献していく、そういうところしかないと考えるからです。


どうも、私の方は体調も沈みがちでいけませんし、
心身更年期症かと(そんなのあるかいな?)。

昨日はトム・ペティという人の I WON'T BACK DOWN という曲を訳して、
なぁ、俺はこの足で立ってやるよ、なんて打ってたら、ずっと座っていたので、
足がシビレテきました。自然が呼んだので、訳し終わったところで、
「この足で立って」やろうとしたのに、2、3歩歩いたら、ぐらぐらっときて、
後退して、BACK DOWN してしまって、壁に背中をぶつけました。
右足をひねって、湿布を2枚も貼りました。今日は未だ痛く、また貼り代えて
います。なさけない。

そっか、千葉ですか。バレンタインの千葉ロッテはどうでしょうか。
私はけっこうバレンタイン評価してたので。
日ハムとの外タレ監督対決とか(笑)。
うちにはローズのサイン・ボールがあるというのに、ローズが巨人に行って
しまって息子ともども残念無念。
私はロッテのシコースキーもファンだったのに(腕をぶんぶん回して投げる、
マウンド上がり下がりをダッシュでする、あの投手)、
シコースキーまで巨人に取られてしまいました。

しかし巨人はバカですね。ナベツネは老害だし。あれで権力なければ
ただのうるさい年寄りなんですが。
巨人はどんどん野球をつまらなくします。

今日は風が凄いですね。
うーむ、なかなか元気は出ませんが、やっぱ甘い足取りしてしまいましたから、
どうも甘い歳の取り方をしてしまうと、老けます。何とか、せねば・・・。
どうやって、勝手に生き続けようかと。

今日の前段は長くなりすぎましたが、ダラダラでもせっかく打ったので、
前段の自分の文の方は、プライベートなとこだけ削除して、プライベートな
自分のサイトに載せておこうと思います。
自分の記録用みたいなもんです、もはや。
年寄りの備忘録みたいになってきました(笑)。
一応、未だ中年ですが(爆)。

こっから下は、サイト上の付け足し。
うーむ、今日はトム・ペティさんとジョン・メレンキャンプさんの両方を聴いた日だったんだけど、やっぱ、トム・ペティよりも、ジョン・メレンキャンプのロックの方が骨太だな。音楽も骨太ですが、メレンキャンプって、腕っ節も凄そうだもんなぁ(笑)。ボーカルの「腕っ節」も曲の「腕っ節」も力強いんだけど、実際、本当に腕っ節強そうなんだ、これが。
運動しなくちゃ。勝手に生きなくちゃ。妻と息子と、家族と、人々と。勝手に生きます、勝手に。勝手に生きるをどう追及するか。ま、自分自身で分かっても分からんでも、とにかく勝手に生きますねん


04年 2月23日(月)   君の知らないメロディ、聴いたことのないヒット曲

タバコを 吸いながら いつでも つまらなそうに
タバコを 吸いながら いつでも 部屋にひとり
僕の好きな 先生 僕の好きな おじさん

タバコと 絵の具の においの あの部屋に いつもひとり
タバコを 吸いながら キャンバスに 向かってた
僕の好きな 先生 僕の好きな おじさん

タバコを 吸いながら 困ったような 顔をして
遅刻の 多い僕を  くちかずも少なく しかるのさ
僕の好きな 先生 僕の好きな おじさん
タバコと 絵の具の においの 僕の好きな おじさん

タバコを 吸いながら  あの部屋に いつもひとり
僕と同じなんだ 職員室が 嫌いなのさ
僕の好きな 先生 僕の好きな おじさん

タバコを 吸いながら 劣等生の この僕に
素敵な話をしてくれた ちっとも 先生らしくない
僕の好きな 先生 僕の好きな おじさん
タバコと 絵の具の においの 僕の好きな おじさん

 これはRCサクセションの「僕の好きな先生」。1972年のリリースというから僕は小6辺りかな。懐かしいね。リアルタイムの記憶があります。キヨシロー(忌野清志郎ですねっ)の歌が良かったんだ。この学校は小学校か中学校くらいかな。

うー、授業をサボって 陽のあたる場所にいたんだよ
寝ころんでたのさ 屋上で
たばこのけむり とても青くて
内ポケットにいつも トランジスタ・ラジオ

彼女、教科書広げてるとき
ホットなナンバー、空に溶けてった・・・

 これは同じRCの「トランジスタ・ラジオ」。これは高校だろう。僕がこの曲をよく聴いたのは大学に入ってから。歌のリリース自体は、いつ頃だったか知らない。

 めっちゃめちゃ名曲や。なんか、すーっと抜けていく感じがいい。ゆとりって、すーっと抜けていかなくちゃ。

 今日、職場を早退して、息子の通う小学校に行った。担任の先生と会って、訊いた。話を聞いた。話をした。先生は、参観日の音楽の授業の時に、ディランの 「風に吹かれて」 と 「ミスター・タンブリンマン」をかけてた。歳は僕よりちょっと上ぐらいの男性教師。いい先生に違いない。こういう決めつけ方っておかしいのは分かってる。承知のうえでそう書いてるのさ。それでいい。
 上着の胸の Give Peace a Chance の黄色いリボン、どうしようかと思ったけど(息子の担任と初めて話すしねぇ)、そのまま着けてった。アムネスティのバッジもそのまま(小さいけどね)。
 RCは、上の2曲と「スロー・バラード」が、3大名曲だね。3大テノールだってかなわない(笑)


04年 2月23日(月)   派兵差し止め訴訟、軍隊の非効率

 箕輪登さんの札幌地裁への自衛隊イラク派遣差し止め訴訟 が話題になってるが、今日は、名古屋地裁に、北海道から沖縄までの市民1,262人が提訴。市民、国民、市民。別に東京訴訟の話も計画があるらしい。これからも拡がるみたいです。

 JVC。日本国際ボランティアセンター。日本のNGOの草分けです。・・・日本ビクターじゃないよ。
 JVCの熊岡代表理事が昨日、1週間のバグダッド訪問から帰国。JVCは、2002年 9月から、バグダッドの病院への医療援助をしているとのこと。
 熊岡氏によれば、現地で給水活動などをしているNGOから、軍隊による人道支援活動は、本来専門外の活動だし中立性も確保できない、本来的に人道支援を担う国連やNGOまで巻き添え攻撃を受ける危険性が増す、浄水・給水なら専門の経験が豊富なNGOの方がはるかに効率よくできる、等々と聞いてきたそうです。軍隊は戦争はどうかしらんが(やってほしくない)、人道支援は非効率ってわけ。

 以上2件、今日の夕刊からまとめたんじゃがな。後者について補足すると、自衛隊が過去にアフリカの方(ルワンダだったかなぁ・・・)に派遣されたときも、同じようなこと言われてました。その時は、前任のスウェーデンの少人数の消防隊員チームの方がはるかに効率的だったらしい。やってる自衛隊員自身はぜったい、たぶん(?)、ほとんど、みんな(?)、一所懸命だと思うんだ。人の気持ちと力がうまく、ピースフルに使われたらいいのに。


04年 2月23日(月)   養老「バカ」孟司「の壁」、続報

 「バカの壁」の養老孟司のバカの壁 − コイズミ日本国総理大臣の靖国参拝問題に触れて の続報。「バカの壁」とその類書、柳の下の養老ドジョー群で桁外れの銭儲けをした養老「バカの壁」孟司はほんものの馬鹿である。いや、馬鹿と書いたら馬と鹿に申し訳ない。養老「バカの壁」孟司は、やっぱり「バカ」である。

 本日の朝日夕刊の「論壇時評」の脇に、「私が選んだ3点」ってコーナーに、明治学院大学助教授(日本政治思想史)の原武史って人が、「世界」3月号の辺見庸の論稿(読んでないけど辺見さんはたぶんOK、この人もプラス評価)と併せて、養老「バカの壁」孟司の超絶マイナス評価2点が取り上げられてた。

 養老孟司 「わたしの憂国」(「諸君!」3月号)
 養老孟司 「参拝問題」(「中央公論」3月号)  (これら2点の文字群を併せて見ただけで、十二分にバカそうに見えるね。)

 原さんって人の書いた文章、ここに転載しちゃう(原さん御容赦!)。

 養老は、靖国神社を鶴岡八幡宮と同じと見なし、あそこは戦争の犠牲者をみな祀っているのだから、A級戦犯がいかんというのは「要らぬ理屈」であり、自衛隊員に犠牲者が出れば靖国に祀ればいいと言う。こういう人の書いた本が300万部も売れるいまの日本は、なるほど「一見穏和なファシズム」に覆われつつあるように見えなくもない。

 原さん、無断転載許可、深謝します。
ちなみに、「一見穏和なファシズム」とは、もう1点の辺見庸の論稿で、辺見が現代の日本を評した言葉。

 養老「バカの壁」孟司は、やっぱり「バカ」である。

 ちなみに、「バカの壁」が売れてから以降の時期では、養老孟司の「バカ」ぶりを最初に取り上げた論壇(笑)は、このわたくしめの当サイトかもよ。ここの、本年1月5日の僕の日記 、見てぴょん。僕もけっこうな転石系バカかもしれんが、養老孟司の「バカ」ぶりには負ける。完敗だ。

 養老「バカの壁」孟司は、ウルトラほんものの「バカ」なのである。日本バカ大賞グランプリ受賞、ほんまにおめでとう。カネは十二分に稼いだんだから、もう隠遁してね、いんとん。僕はイントンしたくても、できないのっ。ま、僕は僕の、勝手に生きる、を生きていくけん


04年 2月27日(金)   「大本営発表 。陸上自衛隊の主力部隊が、イラク南部サマワに到着。」

 今日、帰宅して夕食を食べ始める前、テレビがピポン!と鳴った。息子が、テレ朝のミュージック・ステーションという番組を見ていた。テレビ画面の上部に「ニュース速報。陸上自衛隊の主力部隊が、現地時間の日本時間の本日午後8時過ぎ、イラク南部サマワに到着しました。」とのテロップが出た。たしか、2度にわたって出たような気がするが、それ自体は、普通、「ニュース速報」というものは2度は出るものだったような・・・。

 つまり、この部隊がサマワに着いたわけだが、施設部隊が陸路でイラク(のサマワ)に向かってクウェートを出た時 も「ニュース速報」のテロップを見たが(その時はTBSをつけてた)、施設部隊イラク入りとかサマワ到着の時もテロップ出たんだろうし、今日サマワに着いた主力部隊がクウェートを出た時(日本時間の今日午後 2時40分頃だったらしい)も、テロップが出たのかもしれない。

 「ニュース速報」のテロップを出さなくてはいけないんだろうか。たまたまニュース番組中の出来事ならリアルタイムで速報するのは分かるが、他の番組をやってる最中に、その画面の上にテロップ流さなくてはいけないのか。僕のは論評(!)加えてるし、そもそも当然、もちのろんろん、「速報」じゃない。僕は、「速報」できない、「速報」しない。テレビが公共電波使って、「ニュース速報」のテロップを出さなくてはいけないんだろうか。

 隊員の家族は陸路の安全を心配していたに違いない。しかし、家族には、間違いなく、自衛隊から連絡が入るのではないかと思う。であれば、家族の「一旦の」安心自体はそれで済む。全国民に向けてテロップを流さなくてはいけないのか。向かったその瞬間、直後とか、入国したり目的地に到着したりした瞬間や直後というタイミングで。

 「大本営発表。陸上自衛隊の主力部隊が、現地時間の本日午後2時過ぎ、日本時間同日午後8時過ぎ、イラク南部サマワに到着しました。」ということか。他の国民の皆さんはどう感じているのだろうか。何か感じている人はどのくらいいて、感じてない人はどのくらいいるのだろう。

 今週は他にも書きたいことがあったが、常に増して疲れる、疲弊する週で・・・。もう1本、「おー無の判決か、有意の判決か」を書いて、今日はそこまで。明日、他のことを取り上げて、何かまた、他のテーマを書くだろうと思う。足痛み強く明日病院行くので、それも報告する(誰に、泣、笑)


04年 2月27日(金)   おー無の判決か、有意の判決か、反社会性・非社会性の理解は容易でない

 1995年3月の地下鉄サリン、その前の 1994年6月松本サリン、坂本弁護士一家殺害事件、その他、数々の拉致・殺害・傷害等の凶悪事件の犯行を指揮・命令した松本智津夫(自称・俗称「アサハラショーコー」、俗称「オウム真理教」元代表・俗称「尊師」っていうかソンシ)被告に対し、今日、東京地裁における判決言い渡しが行なわれた。死刑だった。現在の日本において、あれだけの事件の主犯格で、責任能力を問えないという判定でも出ない限りは、死刑判決自体は当然と言えば当然のことだった。

 この事件はあまりに大きい。一方で、犯行の事実や、犯行を防げなかった警察の責任、ひいては日本という国家の責任、当時のマス・メディアによる報道の在り方の問題(松本サリンで被害者にも関わらず加害者扱いをされた河野義行さんを巡る問題、そしてそれ以前からのあの団体のメディア上の扱われ方)、河野義行さんを初動捜査で犯人扱いした警察の責任、被害者や遺族の救済・支援の問題、元信者の心理・精神上等の支援の問題、現「アーレフ」信者の活動の内実、現信者の生活権の問題、現信者と地域住民の対立、信者の住民票申請受付の問題・・・。今でも、問題は終わっていない。僕が住む街でも、何年か前に幹部の家族や信者(信者でなくて「元信者」との話だったかな)が転居してきて、住民による受入拒否の署名運動やデモがあり、我が家にも署名の回覧版が回ってきて、我が家は署名しなかった、ということがあった。運動があり、議論があり、手続きがあり、かなりの時間、期間が経過してから、彼らに対する住民票が出た、と記憶している。子供が地域の学校に通い出して何年か経つが、その後は特に「騒ぎ」は聞かない。・・・と思っていたが、たまーにウワサがあったりするらしいが、ウワサはウワサなのでウワサとして耳にするに過ぎない。

 今現在の僕には、あるいは僕が主として関心を向けるところからは距離がある、いや、というより、考えることだらけで疲弊してしまっているから、このくらいで筆尽きる。
 難しいことだらけだ。僕はアムネスティの支援会員みたいな「アムネスティ・フレンズ」というもののメンバーになっているが、アムネスティは冤罪問題の如何に関わらず死刑制度全般に反対している。僕自身も反対だが、実際のところは、僕自身は、死刑制度の問題自体は、あまり深く詰めて考えたことがない。では、しばし距離を措いて、今日の死刑判決を許容すると言うとした場合、そこで、この裁判そのものにはどういう意味があったことになるのか。その裁判や判決までの経過や今日東京地裁が言い渡した判決理由の具体的内容は、例えば、被害者や遺族の精神的後遺症や現在の生活に対して、どのような意味を持つことになるのか。被告側弁護団の控訴は、そのことにどう繋がるのか、いや、やはりなのかどうなのかそれすら掴めないが、どういうことなのか。全く繋がらないのか、この問題で真に突き詰めた思考をしたことがなく、今もできておらず、しておらず、それも分からない。
 そもそも、一口に被害者・遺族と言っても個人個人、個々のケースで、被害も、今日に至る生活も、精神の動きも、今日の判決に対する反応も、おそらくは千差万別なのだろうけれども。被害者や遺族という総称で、一概に何かを語ることも困難だろう。

 今週は他にも書きたいことがあったが、常に増して疲れる、疲弊する週で・・・。明日、他のことを取り上げて、何かまた、他のテーマを書くだろうと思う。足痛み強く明日病院行くので、それも報告する(誰に、泣、笑)


04年 2月28日(土)   昨日の二郎さん神経科、ヤク変える

 昨日の帰路、二郎さん神経科へ。
 就寝前が前回以降、元通りの1錠に戻り、寝起きと日中は少しは良くなったが、就寝中はほぼ前回の前の時期に戻り、ユメ見ることばかり自覚的に繰り返しあり、眠りが非常に浅い。そう言うと、二郎さんの方は、初めて就寝前の導入剤を変える選択をした。1錠は1錠だが、種類を変えた。

 朝夕の2錠ずつは変わらず。就寝前のヤクは変更。就寝前のは昨日は前回処方分の残りにした。新ヤクは、今日から飲んで、様子見るつもりだ、僕は。
 今週は疲弊する週だった。来週は、再来週は、再々来週は。徐々にでも良くなっていきたい。自分のためにも、家族のためにも。付き合っていくのだ。そして、いつかは良くするのだ。そう心していくのだ。勝手に、生きていくのだ。勝手に。生きていくのだ。愛する妻と、息子と、家族と、そして、ひいては、かどうか知らないが、人々と。生きていくのだ、勝手に。生きていくのだ


04年 2月28日(土)   足は折れてないよ

 先週、トム・ペティの I WON'T BACK DOWN を訳した。 Hey I will stand my ground, And I won't back down ぬぁんて歌ってる曲だ。訳し終わるまでに足がシビレ、couldn't stand my ground and did back down 、しょうもな。
 そいから最初は湿布貼ってたが、2、3日で貼らなくなり、しかし痛みはひどくなり、木金は夜には右足のクルブシんとこが腫れ上がっちまい、むざん。歩きゃひどく痛い。職場でも引きずり気味だったけど、あんまし気にされんかったな。ま、関心呼ばへんのや(笑)。

 外科行った。「おっ、こりゃ腫れ上がっとるなぁ。レントゲンだな。」 2枚撮影。骨、異常なし。ズレもなし、骨折は筋違いだぜ、捻って挫いて、捻挫です。足を固定するのが一番、しかしそれじゃ生活できんだろう、ま、これでグルグル巻きしなさい。ってわけで看護婦さんが固定バンドみたいなの持ってきて、湿布貼ってからグルグル巻き。寝る前に取るんだと、ムクレるから。もうムクレてるけどなぁ。

 ここは首と腰の椎間板でかかってる医院やがな。ついでに切れそうなメチコバールも処方してもらったわい。

 今夜っから、二郎さん神経科の新ヤク飲んでみるべ。
 今週は疲弊の週。来週は、再来週は、再々来週は。徐々にでも良くなる・・・。自分のため、家族のため。痛みと付き合っていくのだ。そして、いつかは良くするのだ。そう心する。勝手に、生きていくのだ。愛する妻と、息子と、家族と、そして、ひいては、かどうか知らないが、人々と。生きていくのだ、勝手に。生きていくのだ。さっきも書いたのだ。勝手に。生きていくのだ。しつこいのだ


04年 2月28日(土)   国際司法裁判所(ICJ)

 今月23日から、イスラエルによるパレスチナのヨルダン川西岸地区「隔離壁」建設強行と国際法との関係を問う審理が、国際司法裁判所で始まった。ここ参照じゃ。

 国際司法裁判所(ICJ)は在ハーグ(オランダ)。1945年、国連の主要機関として設立。領土権など国家間の訴訟裁判の審理をしたり、国連総会や安保理、他の国連機関の要請を受けて法律問題に関する勧告的意見を表明できる。法的強制力、拘束力はないが、国際世論に影響を与える権威を保有する国際機関。ICJの裁判官は15人で任期 9年。日本からは、2003年2月に元国連大使の小和田恒が就任しているんだと。

 上のは自分の備忘録。新聞から拾った。

 ん? 日本から小和田マシャコさまパパ恒が裁判官になってる? だめだ、こりゃ。天木直人の「さらば外務省!」に小和田の俗人・権力好き振りが描かれてるよ。・・・げっ、ICJの裁判官、今? や、やめてくれ。

 な、何を言うか、仮にも本当にも、コーゾクの嫁にいったマシャコさまの御父様であられるぞ。お前こそ、やめろ。
 いや、マシャコさんはコーゾクなんか行かないで、駐米大使でもやった方がよかったで。
 僕ですか? ・・・俺かよ。俺はやめれんの。勝手に喋って、勝手に書いて、勝手に生きることにしてる。勝手に生きる


04年 2月28日(土)   護憲運動 1960年に終焉、2003年の国連事務総長日本国会演説とイラク「君が代」

 無理矢理な組み合わせ。どうせ僕は、4月から無理矢理な組み合わせだ。よー分からん。いや、要するに、いっぱい書きたいが、実は疲れてるのだ。だから、簡単にするためにセットにした。セットって簡単なんだよ。よー分からん。

 先月号の論座が憲法特集やってて、護憲の人から、非護憲の人から、いろいろ論稿が出てたけど、護憲の人の論稿にこんなのがあった。
 改憲は 1950年代に盛り上がったけど、'60年安保の際の国民の反安保改定の高揚を受け(何たって国会議事堂取り囲み33万人かい、そりゃ今と桁が2つ違うわな)、当面は無理だろうと。で、安保と外交はいよいよ益々アメリカ依存で国際政治は捨て、おまけに国内も '55年体制の固定化でホンモノの政治はなし、そーなったらゼニだけやで。国民所得倍増計画、高度経済成長まっしぐら。ほなら、憲法はちょこちょこ解釈改憲すりゃええわ。ってのは僕のシニカルな言い方なんだけど、この論者は、要するに、'60年安保をクライマックスとして見せた国民運動の高まりが、その後の当面の改憲を阻止した、と。・・・そうだろうか。

 僕の生まれる年、その、生まれる前の 5,6月をピークに、アンポ反対の運動は盛り上がった。そして樺美智子さんという名の一人の女子大生の、尊い命が犠牲になりもした。広範な人々、広範な層が参加する大規模な運動だったのかもしれない。国民運動と呼べる規模のものだったのだろう(だけど僕の両親を含め遠目に見ていた人の方が数だけだったらきっと多い、僕の両親なんか日々の生活を乗りきっていくことに追われていたはずだ)。それを見て、'50年代に改憲を急ごうとした勢力は、当面改憲は無理と判断し、先に延ばすことを考えた(そして解釈で実質改憲を積み重ねていく)。それは事実ではあるだろう。

 ただ、僕は、実は、日本の旧来の護憲運動は、今から振り返るとその時に終焉していたのではないかと考える。改憲勢力が明文改憲を急ぐことをあきらめ、安全保障と外交をアメリカに渡し、当面は経済一本の国でいくことを選択した時、国民はそれを意識せずとも意識したうえででも受け入れ、豊かな生活を夢見た。護憲の人たちも日米安保の既成事実化には徐々に無意識なる無力感を抱くようになり、考えることをやめた。そして、護憲はゴケンになった。どういう国、どういう社会になりたいから護憲であろうとするのか、それを考え実現しようとすることから離れ、ビジョンなど何も見えない曖昧模糊としたウスモヤ、時代と共に解釈が変わる記号、「ゴケン」になった。・・・単純に言い過ぎ?

 その後、その10年後を小4の頃に田舎の町でテレビ画面通して眺めてた僕には、後々の耳知識、眼知識で、新左翼運動、学生運動としてのイメージが強い'70年安保で大きな運動があったわけだが、それはもう、'60年安保の国民運動とは質の違うものだった(んだと思うんじゃが)。
 で、一つの政権が倒れることにも ― っつったって自民は自民、国民を引っ張る方法を変えただけの同じ政権じゃけど ― つながった'60年安保の後に、改憲勢力が再び大声を上げ始めるのは 1980年代から。日本は経済大国になって、アメリカより景気がウハウハよくて、アメリカさんから、日本も安保で応分の負担をしなさいって言われるようになった。それで、外圧もらって改憲派は勇気百倍。その後はバブルがはじけて日米の景気も逆転したりはしたけど、やっぱ、1991年の湾岸戦争が大きかったんじゃね。日本はカネだけ出して、汗や血を流さないと言われてるような気がやたらとしてきて、早くヨソの先進国のようにカネだけじゃない国になりたいって思うようになって、後は解釈改憲のエスカレーション。

 上に挙げた論者とは別の人が書いてたけど、自衛隊の合憲違憲論の変遷が興味深くて、昔は改憲勢力が自衛隊合憲、護憲勢力が自衛隊違憲だったが、今は反対で、改憲勢力が自衛隊は違憲と読める憲法だから改憲しよう、護憲勢力(の多く)が自衛隊は合憲と認めるけど改憲はダメって。やっぱ、何になりたい、どういう国になりたい、どういう社会でありたいって、そういう明確なビジョンを持ってないと、物事の表層だけで議論するようになって「思考停止」してしまうんだ。・・・だね、たぶん。

 僕はよっぽどの議論が国民、というか、日本社会の中から沸き起こってこなくちゃ、そうならない間は、改憲しない方がいいと思う。今の憲法は日本の現実と照らして限界に来ているが、先に日米安保ありきでなく、よく議論してから国のかたちを考えて決めた方がよい、そういう天木直人氏の主張には説得力を感じる。ただ、ずっと思考停止の日本だったから、改憲するのかしないのかという契機を得ないと、僕ら日本国民は、結局自ら議論を起こしていけないのかもしれない、そういう気はしてしまう。うーむ。

 話は変わるが、世論調査における自衛隊イラク派遣賛成の比率、この間に積み上げられてきた既成事実を追認していくかのように上がってきているようだけど、先日新聞で紹介されてた、ある論者の説によれば、変わり目は派遣計画決定ではなく、その前の、2人の 日本人外交官の死(殺害) が、日本の世論の転換点だったのではないか、と。これは何となく、ふむ、なるほどと感じる。ちなみに、同時期の前後にイタリアの文官(警察官だったかな)や韓国の民間人(アメリカ企業の下請け)が相次いで、やはりイラクで殺害されたんだが、両国では逆に追加派兵とか撤退とかを巡って国内が大激論になったんだそうだ。日本では、どうやら、こういう時には議論がヒイテ(退いて)いく、らしい。だとすれば、今後どうなんかね。そもそもが、日本は、とにかく議論がもやもやしてどこの地点に辿り着いたのかも分からぬまま自然消滅していったりする。

 今週の始め頃だっけ、アナン国連事務総長さんの国会演説があって、日本のイラク貢献を「称賛されるべき連帯の姿勢」と評価し、その次のセンテンスで、困難な議論を経て復興支援のために自衛隊をイラクに派遣した、という「事実」言及。演説草稿作成担当の国連スタッフや関係者の苦労の痕が滲む。

 最近、米英がアナン氏やイラク攻撃前の安保理の賛否不明確だった理事国代表、それどころか、イラクWMD査察をしていた国連の査察委員会委員長(当時)ブリクス氏まで盗聴していたってことが複数の国のマスメディアで取り上げられている。むちゃくちゃやけど、こんなんショッチュウやってるんだろうな。ああ、無理矢理書き入れ話題。

 さっきさ、NHKニュースで見ました。イラクはサマワの陸自部隊、現地でイラク国旗と共に「日の丸」掲揚してました。そして流れるは「君が代」吹奏。せめて国歌だけでも変えたいで。「君が代」はダメだって全く。
 これまで陸自イラク派遣部隊はオランダ軍宿営地に間借りして日本国国旗は掲揚してなかったが、主力部隊到着と共に、かな、陸自宿営地に入り、朝礼での国旗掲揚と相成った。毎日やるんかなぁ。「君が代」、やだなぁ。

 僕は転石、停止、出戻り、おろおろ人間。日本国の国民・民度とか世論とかをとやかく言えるんでしょうか。護憲、ゴケンの思考停止を、とやかく言えるんでしょうか。まぁ、言うしかないんですわ、僕は。勝手に喋ってないといかんのですわ。勝手に生かせてもらいますわ。勝手に、生きますわ。ほな、また。明日は明日の 風が吹く 、強引だ、僕は、ま、生きていく、同行者と共に