04年 2月 3日〜2月15日

最近の子供はどうか分らないけど、今の大人の多くはガキの頃に日記を何日か書いた経験があるのでは?
斯く言う私もその一人、当然この日記も不定期です。 (2001年8月19日、記)


04年 2月 3日(火)   陸軍イラク派兵本隊、日本出国

 リクジ本隊第1派の施設部隊約90人が、政府専用機で新千歳空港から出国した。日本を出国した。イラク南部のサマワで宿営地の設営などにあたるそうだ。でも直接は行かない。クウェートの米軍キャンプで数日間、砂漠での車両運転や射撃の訓練などをする。その後、陸路でサマワに向かうそうだ。予定では、残りは約440人。2月下旬以降、3派に分かれて日本を出国、やはりサマワに向かうことになるということです。

 この春辺りには、陸海空合わせて約1,000人の日本軍兵士派兵となる見込みってことです。

 参議院での「承認」採決は未だ、ですね。そんなのどうでもいいや、衆議院も参議院も形式なんだから、ね、そう思ってんだよね、政府の皆さんも自民も公明も。野党の多くも案外そうだったりして・・・。実際、この手続きって何なんでしょうね。誰か分かりますか? なんか全部が茶番に見えてくるんですが。ま、もちろん自民と公明が一番の茶番ですけどね、そんなの競ってどうすんですか。
 世論も既成事実になびいてきたもんね。世論って、国民のことですよね。あ、僕もそうです。いや、僕はなびいてはいないんですが、僕も日本の国民だってことです。僕が好むとか好まないとかいうことではなくて、僕は法律上そういう存在でしょ。日本に愛着だってありますよ。普通、生まれれば都(ミヤコ)と想いたいですよね。そのうえ住んでるんだし、これからも住み続けるんだから僕は、僕らは。でもま、僕は日本国民ですが、有力者ではありません。「予」め「定」められたことがどんどん進んでいます。僕は、このままでいいとは思いません。姿勢は変えません。ちょっとねこ背ですが。姿勢は、変えません。姿勢って attitude のことなんです、トム・ペティさん。


04年 2月 3日(火)   自民党の古賀誠氏、そして「敗戦後論」

 僕の嫌いな自民党に属している古賀氏のことを書きます。今朝の朝日朝刊記事から拾いながら書きます。自民党の古賀氏です。民主党の学歴詐称こと古賀氏のことではありません(詐称した時は民主党所属、別に民主党そのものの責任とは僕は言わないけれど)。

 1月31日未明の衆議院での自衛隊イラク派遣「承認」強行採決の時、自民党からは3人の棄権者が出た。一人は欠席の亀井静香氏、残りの二人は途中退席の加藤紘一氏、そして古賀誠氏だ。加藤氏はお騒がせ加藤のラン出戻り自民党(僕は小騒がせ出戻り職員!)、残りの亀井氏と古賀氏はコイズミ名だけの改革にとってのいわゆる抵抗勢力だ。この構成は偶然かもしれぬ。いや、あながち偶然とも言えないか。抵抗勢力、全否定とも言えまい(ましてコイズミ改革なんてフェイク、まがいものデス)。

 亀井静香氏の理由は、イラクが戦闘状態にあり、自衛官の安全を案じるということのようだ。
 加藤紘一氏の理由は、イラクWMDも見つからず、「大義なき戦争」への支持が元々間違っていると考えているということ。

 古賀誠氏と言えば日本遺族会会長(たしか以前は橋本龍太郎だったな・・・)。日本の戦争責任を認める平和遺族会(という名だったと思う)も小さいながらあるが、こっちの大組織は自民党の大票田でもあり、総理大臣の靖国神社公式参拝を求める団体でもある。古賀氏もそういう意見だ。
 古賀氏があの時、退席した理由は何だったのだろう。

 記事によれば、古賀氏は父親の記憶がない。自分が2歳の時、父親は赤紙で招集されて出征した。そして、1944年10月、いやこれはあえて、敢えて昭和19年10月と言った方がいいのかもしれない、父親はレイテ島で戦死したのだそうだ。
 その後、母親は行商しながら息子、古賀誠氏を育てた。古賀氏曰く、「日がとっぷり暮れて母が帰ってくる。夕日は嫌な思い出ですね」。夕日を見る時は未だ母が帰る前、古賀少年はその時いつも孤独を感じていたのかもしれない。

 昨年2月(アメリカが始めた対イラク戦争開戦の前の月だ)、古賀氏は野中広務「翁」と共にレイテ島に出かけた。古賀氏は、「ここで父は故郷に残した妻や子を思ったのか。なぜ自分はこんなジャングルで死ぬのか、戦争とは何なのであろうかと必死に考えたのではないか」と父の戦死の地で想い、涙したそうである。

 さらに古賀氏の言葉を新聞からそのまま引用しておきたい。
 「戦争の不幸と愚かさを体験している私としては、平和が脅かされる心配のあることには慎重の上にも慎重であってほしい。慎重な国会議員もいるということを示すのも大事な発信だと思う」

 上記の言葉は、字面だけ追えば、「心情」や「情念」で戦争に反対する言辞としての限界を示しているかもしれない。しかし、その一言二言で済ますことのできない「信念」のようなものが、おそらくは古賀氏の胸中の中にはあるのではないかと思う。それは、父が戦死したレイテ島に自ら赴いた時の古賀氏の「心情」を想起すれば明らかだと思う。体験に裏打ちされた「心情」がある。それに基づく「信念」は、理によるものに優るとも劣らない強さを持っているのではないかと思うのだ。

 レイテ島に共に行ったという野中「翁」は、古賀氏とは派閥は違っても、ある部分は「師」に当たるような存在であったかもしれない。その野中「翁」は総理大臣の靖国神社参拝をも厳しく批判していた人だが、古賀氏は違う。古賀氏にとっての靖国は、「情」の還る場所としての靖国であるようだ。

 古賀氏のような存在があることを想うにつけ、加藤典洋の「敗戦後論」に書かれたような戦争と戦後の総括が日本で実現していたらと想う。そうしたら、古賀氏のような人たちの「情」は「靖国という存在」に収斂するのではなく、別の拠り所をみつけることができていたかもしれない。
 加藤典洋の「敗戦後論」は右翼からも左翼からも批判非難された。しかし、僕は彼らの批判は当たっていないと考えた。「敗戦後論」はもっと読まれるべきだったし、もっと肯定的に評価されるべきだった。書かれるのが遅すぎたくらいだ。もはや遅すぎるのか。いや、僕は未だ間に合うのだと想いたい。
 (加藤典洋の「敗戦後論」は 昨年11月 8日のこの日記 で少し触れた。)

 僕はずっと日本に住み続ける。日本に愛着も持っている。国ではなく、自分を育んだ土地であり、家族がいる土地であり、ということにですが。故郷は狭い。自分の住む街も狭い。しかし、いずれにしても、それは日本という国のなかにある。
 「予」め「定」められたことがどんどん進んでいます。僕は、このままでいいとは思いません。姿勢は変えません。ちょっとねこ背ですが。姿勢は、変えません。姿勢って attitude のことなんです、トム・ペティさん。


04年 2月 3日(火)   福よ来い福よ来い

 今日は豆まき。

 家族3人で豆まきしました。 福よ来い、福よ来い


04年 2月 4日(水)   経団連の献金査定と利権

 経団連のお下品な政党品評結果 の続報。

 今朝、経団連の奥田会長(トヨタの会長っ)ら首脳が、自民党の安部幹事長ら五役(えーっと、あと誰だ・・・)と懇談会やったんだって。経団連はつい先日、企業献金のための政党評価ってのをやって公表したんだけど、今朝の席で経団連側は自民党にこう伝えたんだって。「自民党は85点、民主党は15点。議席数換算すると(趣旨はよー分からん)9対1だから、献金は全額自民党に渡す企業も出るだろう(なんかよー分からん理屈・・・)。」

 いやぁ、安部ちゃんはウレシカッタだろうね。しっかし経団連も「献談連」に改名しますかね。「献金談合連合」ってね。
 こういうのって、チェイニーが副大統領になる前にハリバートンのCEOだったのに対して、別に奥田のおっさんは副総理になろうなんてしてない(ま、なってもモウケないもんな)って以外に、経団連傘下の企業さんたちはアメリカのハリバートン・グループとどのくらい同じで、どのくらい違うことになるんでしょうか。

 あまりにランボーですか? しかし民主党は気に入らないか、自民は与党経験買われてるか知らないけど(文字通り「買われてる」んだ)、自民が85点で民主が15点ってのも相当に乱暴じゃないかねぇ。先日は会長の奥田センセイが「自民党は85点、民主党は50点以下」って言ってたんだけど、また民主下げちゃったんだ。金出して政策買うんだよな。やっぱ労働者の賃金に金使ったり、消費者が買うモノ安くするのに金使ったりしてほしいね。ま、企業献金なんて、とにもかくにも、くっだらねーか。寄付ってのとも違うしなぁ。そんなキレイなココロザシも無いわけだし、相手も相手だし。

 うちは田舎で夕刊も早版(なんせ明るいうちに配達されるもん)、帰宅して見たら点数載ってなかったけど、都内の職場で見た夕刊には「民主党15点」って、経団連首脳の発言が書かれてたから、そっちの方が後の情報で正確なんでしょね。あ、なんか今日、どーでもいいこと書いちゃったか。まイイや、打ったからアップしとこ。とにかく、こういう話は品が無いな。金は必要だけど、コレは品無いです。企業だって公器だよな、公器のカネは経営者の判断だけで政治に使ったりすんな。・・・って言ったってしゃーないか。やーめた、こんな話。時間有効に使わにゃ。ここまで打っといてナンだし、打った時間ももったないんで、アップはしときますわ。


04年 2月 8日(日)   日本陸軍本隊、イラク入り

 本日の1本目。この日記の続報。

 今日の午前11時過ぎ、サンプロも民主党の菅代表インタビューの後は関心を惹くテーマもなく、TBSサンジャポをぼーっと意味もなく見てたらチャラランと音が鳴って、画面上部に「JNNニュース速報」と出た。地震かなと思った。でも違ってた。陸上自衛隊本隊がイラクはサマワに向かって、クウェートを出たという。すっげ、向かっただけでチャララン「速報」しちゃうんだ。

 既にクウェート入りしていたリクジ本隊「先発隊」約90人のうちの第1陣約40人( コレ訂正します、 40人じゃなくて約60人だそうで。本隊の先発隊の第1陣の人数です、2月9日記 )が8日午前5時(日本時間午前11時)ごろ、同地の宿営地、米軍キャンプ・バージニアを出発し、陸路でイラク南部のサマワへ向かいました。午前8時25分(日本時間午後2時25分)過ぎにはイラク(領内)入り、午後4時半(日本は午後10時半)頃には、サマワに到着したようでして。このあと、9日にも第2陣が入ります。車列が長くなり過ぎるのを防ぐための分割だそうで。

 逆にサマワからクウェート入りしていたリクジ先遣隊の車両に誘導されてのイラク入り。先遣隊のサマワ入りの時にあったオランダ軍の護衛、今回は無しです。
 本隊「先発隊」は施設部隊で、サマワでは、リクジの宿営地作りにあたる予定であります。

 参議院での「承認」採決は未だ、です。ただの形式です、承認されることが「予」め「定」められています。僕は改めて言うまでもなくこの派兵反対ですが、先遣隊も本隊も出してしまってから、戦闘地域は何か、なんて未だ言ってるなんてマンガです。おまけに政府は今、正規軍の戦闘を「戦闘」というので、組織された正規軍の戦闘行為がなければ「非戦闘地域」だと言ってます。そりゃサダム・フセイン政権なんてもう存在してないんだから、イラクの正規軍の組織なんかもないしね、マンガにもならない話です。テロは戦闘じゃないわけだ。組織されたテロ行為も戦闘じゃないわけだ( コレ訂正しときましょ、政府は 組織的でないテロは戦闘行為にあたらないとの立場だそうで、2月9日記 )。そもそもイラク特措法に書いてあることが虚構なんだもんね。虚構の法律を通すのにモメ、虚構の法律に基づいて派兵するのにもモメ、しかしそのモメゴトも言わば虚構みたいなもので、これぞフィクションの極み。虚構の法律と虚構の憲法解釈によって送られる「自衛隊」の隊員、兵士はしかし、これは現実、生身の人間たちです。現地にあるのはイラクの現実。いるのは現実のイラク人。

 テレビとか新聞とか多かれ少なかれ「広報」化してます。アメリカ後方支援の広報であります。世論もどんどん流されそうな気配。僕は attitude を意識していたいと思います、トム・ペティさん。


04年 2月 8日(日)   ゴスペル再開

 2本目。本日より、ブラック・ゴスペル・ワークショップ再開。

 今日の練習曲は Look At Me と Oh Happy Day ! 、この2曲の作者は sisters in law だそうです。 Look At Me の方は初めて歌う歌。ライトなノリの明るい曲、気に入りました。

 普通あんまりゴスペルと思われていない曲で、機会があればクワイアで歌いたい曲があります。 Bridge Over Troubled Water と You've Got A Friend 、ポール・サイモン作曲でS&Gで大ヒットさせた名曲、それとキャロル・キング作曲でキャロルのピアノ・バージョンもジェイムス・テイラーのギター・バージョンもいい、こちらも名曲。どういう解釈で歌ってもいい歌詞だと思うけど、ゴスペルとして歌うのも十分可能。クリスチャンでない僕が言うのもなんだけど。
 事実、 Bridge Over Troubled Water では、ポールはピアノの伴奏をゴスペル風にと考えたというし、彼のソロのライヴのなかでもゴスペル・グループと共にゴスペルらしく歌っています。 You've Got A Friend も、たしかゴスペルとして歌われたりもしていると思うな。 


04年 2月 8日(日)   over and over again

 3本目。
 生命 (いのち) は本当にかけがえのないものだから、ずっと生きてゆくことです。

 ニール・ヤングの HEART OF GOLD 、ディランの BLOWIN' IN THE WINDI SHALL BE RELEASED 、ポール・サイモンの FLOWERS NEVER BEND WITH THE RAINFALLKATHY'S SONG ・・・ こういう歌や詩と出遭えてハッピーであります。ラッキーであります。こんふうに表現できる人がいて、その人を知っているということは幸せであります、僕にとって。面識はないけどね、ニール・ヤングとポール・サイモンならコンサートで客席から観聴きはしておりますです。

 パラノイド・スキゾフレーニアとも、近頃はっきりしないパラノイド・スキゾフレーニア・ハイとも、でも最近も結構イラつくんだよなぁ、首と腰の椎間板さんとも、ヤクとも、HTMLとも、僕は付き合っていくでしょう。

 ジョン・メレンキャンプの TO WASHINGTON を収録したアルバム TROUBLE NO MORE はロバジョンのカバーなどを含む、彼の音楽のルーツとなるさまざまなファクターを掘り起こした傑作です。アルバムがリリースされたのは昨年6月。でも彼は、そのずっと以前から、TO WASHINGTON だけは、曲の録音が終わるとすぐ、自分のウェブ・サイト、mellencamp.com で発表していました。当時、New York Times の記事が、その事実と歌詞の内容の一部と共に、彼の発言を取り上げています。
 その記事は昨年3月5日、つまりアメリカのイラク攻撃開始の約2週間前の日付です。一部、そこから引用してみます。

 "There's no radio station that's going to play that song," added Mr. Mellencamp, who is 51. "Guys like myself are not really heavily on the play lists any more. I don't want to be bound to any format anymore, I don't think it's my job to sit around and worry about what a teenager might want to hear."

 ・・・いいっすね。容易なこっちゃありません。

 落差は、思いっきり、あっても、僕は僕で、勝手に生きましょう。粘っこく生きましょう。勝手に生きましょう、みんなで。勝手に行きましょう。ロックな attitude でいきましょう。この 日本国南東北 でずっと勝手に生き続けましょう。

 over and over again 、言い続けましょう


04年 2月 9日(月)   2004年2月9日夜、日本軍イラク派兵、国会承認手続き完了

 最初に昨日の1本目の日記に書いたことを訂正しておきます。何だか空しい訂正ですが。
 そこにですね、
 政府は今、正規軍の戦闘を「戦闘」というので、組織された正規軍の戦闘行為がなければ「非戦闘地域」だと言ってます。そりゃサダム・フセイン政権なんてもう存在してないんだから、イラクの正規軍の組織なんかもないしね、マンガにもならない話です。テロは戦闘じゃないわけだ。組織されたテロ行為も戦闘じゃないわけだ。
 ・・・ って書いたんですが、その日記のその部分にも訂正いれときましたが、
要するに、政府は 組織的でないテロは戦闘行為にあたらないとの立場だそうでして(分かります?)。

 政府はこの 2月 6日、民主党の中川正春って名の議員の質問主意書に対し、イラクの現状について「戦闘行為が行われているのかどうか、仮に戦闘行為が行われているとしても、その主体がどのようなものであるかについては、確定的にお答えすることは困難」とする答弁書を閣議決定(!)したそうで。

 イラク特措法では「戦闘行為」を「国際的な武力紛争の一環」として行われるものに限定してるそうですが(意味分かります? たぶん国家対国家って言いたいんでしょうね、まぁうまく逃げれるように規定してるわけです・・・って思ったらこれが必ずしも国家対国家に限定してるわけでもないようでして・・・ フクザツ)、政府としては「組織的、計画的でないテロは戦闘行為にあたらない」との立場だそうです。
 しかしこの数年問題になってるのは「組織的、計画的なテロ」ですよね。じゃあ今イラクで起きているテロはどうなのかというと、政府としては、「現在イラクで起きている事態にこうした要件を満たすものがあるのかどうかは判断できない」ってことらしいんですね。そりゃそうでしょう、テロだもん、犯行声明が出るときだってその組織の計画だったかを示す証拠が無かったりすることが往々にあるわけだし、自爆テロだったら犯人も死人に口なし。
 件の答弁書は一方で、「9.11テロ」は「国際的な武力紛争」に「当たり得る」としてるんだって。するってぇと、必ずしも国家間紛争に限るわけでなく、組織性計画性の問題だってわけだ。「当たり得る」って、ずいぶんとマワリクドイ言い方なんだけどさ。
 しっかし、国家の後ろ盾のない戦闘行為「的」なものについて、それが組織的もしくは計画的なものかどうかなんて、簡単に分かるかい? っていうか、大抵の場合は組織的、計画的だろ、実際のところは。それに「組織的」と「計画的」って両方同時に満たせってのかねぇ。計画的だけだったら、江戸時代の仇討ちも「戦闘行為」かね。組織が背後にない、もしくは、あるいは「かつ」? 思いつきの戦闘行為性行為(まだるっこしい!)は違うってか。・・・ なんか法律ってこんなに下らんもんかのぉ。えーっと、下らんこと書き過ぎました。こういう虚構を書き上げた法律に基づいて現実の人間、自衛隊員が派兵されるなんて。ひどいもんです。

 本題をちょっとだけ書いときますが、本日夜、日本軍のイラク派兵承認案が、参議院本会議で「自民」「公明」与党の賛成で可決されました。 1月31日の衆議院に続き、これにて国会承認手続きの終了なり。

 イラク特措法によれば、元々、事後承認でいいことになっているようですが(派遣「命令」の「事後承認」)、これがですね、不承認だったらどうすることになってるか? え? まさか出してから撤退? いや、その「まさか」でして。「命令」受けて「派兵」して、その後に国会で「命令」が「不承認」になったら「速やかに撤退」するんだと。・・・ 絶句。・・・ いや、「派兵後の状況変化」による「撤退すべき」決議で「速やかに撤退」なら、順番として分かりますよ。このイラク特措法の「命令」国会「承認」規定自体は、そういう趣旨のことじゃないもんね。
 やっぱ、少なくとも国会で採決するってことにするなら、国会で採決してから「命令」しなきゃおかしいよな。そんなことしてたら派兵準備が時間かかるから遅れるって、そもそも国際紛争の武力行使じゃなくて「人道復興支援」(ヘンな日本語・・・)って言うんなら、それから準備してもいいんじゃないかと。うーん、もう書いてもしょーがないな。本当にイカサマの法律なんです、これ。イカサマ、ペテン、虚構、欺瞞、詭弁法。

 うーむ、テレビとかで現地、現場にいる日本人の自衛隊員が日本語で(!)決意語ってたりすると、視聴者の皆さん、だんだん応援したくなるよねぇ。たいへんな仕事、たいへんな任務、僕もそう思います。しかしそれと、これで本当にいいのかってのは別の話ですね。 attitude 、 attitude 、っつーわけで今日はこれにてとします、トム・ペティさん。


04年 2月11日(水)   眠たい「紀元節」、イラン・イスラム革命25周年

 眠たい「紀元節」。僕は「紀元節」なんてモチロンばからしいと思ってるし、やっぱ休みはいいけどねぇ(笑)、ナンタラ記念日って「記」して「念」じる「日」ならば幸徳秋水や大杉栄の死んだ(処刑された)日とかを休みの日にすればいいんじゃないだろうか。過去に日本国で悪しき国策を批判したカドで処刑された、そういう人たちを悼む日にしたらいい。「建国記念日」なんて無理だ。いつ建国したのかも分からないし、今から振り返れば、いつの日だったか分からないような日に、何となくできていた国なんだ、独立記念日だって植民地からの解放記念日だって日本国には存在し得ないしさ。

 何の証拠もない建国の日を無理矢理特定しても、何の意味もない。愛国心とか国に対する誇りとか、それが必要なものかどうかも怪しいが(日本人であることの誇りは別にあっても構わないと思う、もしも自然な感情として存在し得るのなら、他のナントカ人に対する優越感とか選民意識みたいな下らないことを伴わないのなら)、建国の日なるものをデッチ上げても愛国心が生まれるわけではない。ただし、時間をかけて利用すれば強制することはできるかもしれない。それも上手くソフトに使えば、国民の無意識下で強制することは、そうだなぁ、ある程度はできるのかもしれない。

 今日のこの日に日本国が建国されたなんて証拠はどこにもないが、イラン・イスラム革命ならば、今日でちょうど25周年になるのだそうだ。石油国有化を進めたモサデク政権がアメリカCIAの暗躍による皇帝派軍隊のクーデター成功で転覆され、アメリカの傀儡として皇帝パーレビが実権の座につき(1953年)、その後はパーレビがアメリカとイスラエルによる支援で作った秘密警察サバックを使って反体制派を弾圧して独裁政治を続け、しかしホメイニ主導のイラン・イスラム革命により革命派が宮殿を攻撃、皇帝派を倒したのが 1979年の 2月11日(イラン・イスラーム共和国が成立してホメイニが最高指導者に就任したのは同年 4月 1日)。そのイランは現在、「文明の対話」を唱える改革派のハタミ大統領が政治の実権を握っていますが、イスラム保守派による護憲評議会というのが総選挙の候補者の審査をできることになっていて(イスラムの教えに反してないか調べるってわけ)、改革派の現職のうち約 80人を排除、結局、今は 290議席の7割を改革派が占めるというイランの国会なのに、改革派の計算では、20日投票の総選挙では、なんと過半数を優に超える 190議席分を実質無競争で保守派が握ることになりそうな状勢とのことでして。ハタミ氏危うし!

 眠たい「紀元節」。そう記したのは、グチャグチ書いちゃったけど、別に今日はこの下らない日本国「紀元節」をいちいち貶そう(ケナソウ)ってことじゃない。本当に眠いのさ。
 眠たい「紀元節」。・・・ と言っても、今日だけのことじゃない。毎日眠い。眠たい。ここのところ、夜はひところより比較的眠れるように思うのですが、何というか、いかにもヤクで眠れるって感じです。いや、分かるんですよ、不思議と。不思議でもないか、ヤクで眠れるってのは重たい眠りなんですねぇ。重たい。ただ、朝方、けっこう早く眼が覚めたりする。そっから先はあっさい(浅い)夢に身を沈めたりして、そうなると眠りは浅くて身体が重いって感じかね。まぁとにかく眠くて重い。
 やっぱヤクのせいかと思う。ヤクなしでは眠れない。でも途中眠りがさらに浅くなって就寝前2種2錠に増やしたから、また元の1錠に戻した方がいいのかとも思うんですが、どうでしょう、二郎さん。
 もちょっとトビマストビマスなヤクはありませんか。何書いているかよー分からん。少しは身体動かすか。今日はディランさんの BLOWIN' IN THE WIND でも聴きながらアップしときますわ


04年 2月13日(金)   二郎さん神経科、淡白日誌

 眠たい「紀元節」から2日後、仕事帰りに二郎さん神経科に寄った。

 眠たい。ここのところ、夜はひところより比較的眠れるように思うのですが、ヤクで眠れるって感じです。重たい眠りなんです。重たい。朝方、早く眼が覚めたりしまして、その先は浅い夢に重く身を沈めます。とにかく眠くて重い。ヤクを気にするのは主観に過ぎないのですが、就寝前の2種2錠は以前の1錠に戻したいような心持ちです。どうでしょう、二郎さん。

 「いや、ヤクは関係ないと思いますよ。ただ、気にするのもよくありませんから、戻してみましょう。」

 というわけで、就寝前はまた1錠になった。朝夕2錠ずつのトビマス(残念なことに実際は全くトバナイ、効いてるのか効いてないのか自分でもよー分からんが気休め以上な主観はある)なヤクと就寝前の1錠だ(これに椎間板のメチコバールが加わるんだから十分にヤク中である)。ただ、未だ就寝前の別種ヤクは少し残ってるから、気が向けば何回か比較してみようか。どこかにもっとトビマストビマスなヤクはありませんか。いや、そんなこと言ってたらアブナイ。そんなこと言ってる間も魔もなく、今日の二郎さんは淡白であった。
 二郎さんの前にCD屋に寄って、ロックな attitude のトム・ペティさんのCDを買おうかと思って手にしたんだけど、いや僕はトム・ペティのキャリアをよく知ってるのではないから、ちょっとチェックしてからにしようと思って今日はやめた。近いうちに手に入れたいと想うとります。今うちにあるトム・ペティさんは、ディラン30周年トリビュートのビデオと 2001年の 9.11直後追悼番組録画ビデオ、それに Concert for George(この日記では触れてないけど出演してる)のDVD、これが全て。うーん、あとはロック・ヒストリーもの録画何本かに登場してるね。そこで、ロックは attitude が大事なんだって名言をキメてたりする。近いうちに本丸(!)に触手を伸ばそう。職種も延ばしたい、夢の中、ワケ分からん(笑)


04年 2月14日(土)   自衛隊「全面広告」の日、海自も派遣して陸海空の全軍出動へ

 自衛隊「全面広告」の日、海自も派遣ですが、偶然なのかどうか、ちょっと分からない。

 海自の大型輸送艦「おおすみ」が今日午後、海自の呉基地を出港だそうで。石破軍事オタク防衛庁長官が出席して激励行事をやった後に室蘭へ。陸自の車両や重機、燃料などを載せ、「むらさめ」(なんか戦前ぽい名だな、2/16室蘭に向け横須賀発2/16記 )と共に 20日辺りに出国、約1ヶ月かけてクウェートに向かう。物資などはクウェートから陸路で、陸自駐留のイラクはサマワへ運ばれる予定ってことです。
 これで陸海空、時系列では空陸海かね、全軍出動です。

 そんな「記念」すべき日かどうか、今日の朝日朝刊22面に自衛隊イラク派遣の「全面広告」が出ました。右肩に「政府広報 | 防衛庁」と印字されており、大見出しで「イラク再建のため」とあります。
 ちょっと分からないのは、「すでに、90を超える国と国際機関がイラクの復興を支援しています。」と書かれてるんだけど、こいつの明細はどうなってるのか。米英はもちろん入るけど、規模の大小はあれ、軍隊を出してる国はたしか40ヶ国弱だったかな。「支援」だから、行かなくても財政支援した国や機関はカウントされるだろうし、一つ興味を惹くのはこの「国際機関」に各国のNGOは入っているのか。いや、入ってればもっと多いかなぁ。よく分からん。

 「全面広告」の下部には、「自衛隊は、これまでも、世界各地で施設の復旧や医療・給水などの様々な活動を行ってきました。」(ママ、余談ですが僕は行「なって」派でして)とあって、9例も出ています。カンボジア(1992.9-1993.9)、モザンビーク(1993.5-1995.1)、ルワンダ難民救援(1994.9-12)、ゴラン高原(1996.2- 継続中)、東ティモール避難民救援(1999.11-2000.2)、アフガニスタン難民救援(2001.10)、東ティモール(2002.2- 継続中)、イラク難民救援(2003.3-4)、イラク被災民救援(2003.7-8)。
 うーん、こんなにあったか。きっと皆さんそう思うよねぇ。最後の2つのイラク向けは開戦(攻撃開始)前後辺りと米英の占領開始後ってことになるけど、具体的にはどんなことだったかな。たしかにアメリカの攻撃前は(避)難民のことがかなり報道されてた。後者で言えば、占領後の被災民救援のために自衛隊が派遣されたって一国民としては記憶無いんだけど、何だっけ。それにアフガニスタン難民救援(2001.10)って、1ヶ月以上はやってないことになるけど、これって米軍後方支援にインド洋に海自の軍艦出したあれのこと? 分からない。

 しかし「全面広告」に掲載してるんだから、とにかく公式に既にいろいろやってるってわけだ。どうすりゃいいんでしょう。その活動だけ取り上げれば、たぶん重要かつ貴重な人道支援らしいものもあるんじゃないかと、中には。それで、隊員(兵隊さん?)も大変な任務を引き受けてるのも確か。どうすりゃいい、この国? 何かきちーんと考えていかないと、ごっちゃ混ぜでいろんなことが、しかも多くは脱法(脱「憲法」)的に進んでくのかな。うーん・・・。


04年 2月14日(土)   笑えるか、お笑い自民党「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」

 自民党に「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」ってのがあるんだそうで、今年1月の大学入試センター試験の「世界史」で、「日本統治下の朝鮮」にからんで「強制連行」という言葉が使われたことに批判が相次いで、今後、歴史教科書から「強制連行」の記述の削除を求める運動に取り組む方針を決めたんだと。おお怖っ!

 未だやってんだな油断ならぬ「新しい歴史教科書をつくる会」(西部ススム爺は脱会したみたいだけど)が、1月末に大学入試センターに公開質問状を出し、問題作成者の氏名公表(恫喝目的?)や責任者の処分を求め(うわぉ!)、こう主張してるそうです。
 「強制連行は戦後、日本を糾弾するための政治的な意味合いを持った造語だ」

 バカ言うなって。全ての言葉、とりわけ名詞は造語なの。そんでもって、全ての造語は「政治的」なの。キミらが言うような狭い意味でも広い意味でも。歴史用語で当の時代に使われてなかった言葉なんて、いくらでもあるんじゃないの。「院政」とか「天皇制」とか「鎖国」とかもそうだって感じするけど。まぁ例は違ってるかもしれんが、正しい例は調べりゃいっぱいある。徴用に「強制」性とか組織性があれば「強制連行」で間違いないだろうし、無かったとしたいんなら「ナカッタ」と主張すればぁ?

 しっかし、件のナンタラ「若手議員の会」って約80人所属してるってんだから、もうたまりません。自民党落とさなきゃ。で、案外、民主党の若手にもこういう輩がいそうだからヤヤコシイ。真の正常化はいつでしょう。


04年 2月14日(土)   みんな石になっちまったのさ (笑)

 ディランの RAINY DAY WOMEN #12 & 35 を訳しました。

 1966年の BLONDE ON BLONDE ってアルバムに収録された曲らしいけど、僕はこのアルバム知りません。ディラン・ファン、ましてやディラン・フリークなら常識中の常識的知識でしょうね。やはりこのアルバムに収録された JUST LIKE A WOMAN 、曲はもちろん知ってます。アルバム出たのがその年の5月、未だ僕なんか6歳にもなってないもんね。

 この曲、ディラン30周年トリビュートの時は、トム・ペティがカバーしてました。あれ、楽しそうで良いね。ディランのオリジナルはあれよりテンポがゆっくりめ、妙にピースフルなムード、ラリってる感じ出してんのかな? オリジナルももちろん良いです。

 なんでこの歌、RAINY DAY WOMEN #12 & 35 っていうんだろう。 「雨の日の女たち」って何? 「#12 と 35」 は? もしかしてマリワナ用語?? 僕は知らんのです。

 Everybody must get stoned は、They'll stone ya ( you ) に引っ掛けて使われてるに違いないって思うけど、正確に訳せば、後者は、「彼らはあんたに石を投げつけるだろう」、もっと言えば「あんたは彼らに石もて追われるだろう」って感じですかね。前者の方は、「誰もが酔っ払ってるに違いない」とか「ラリってるに違いない」、「前後不覚状態だ」ってとこでしょう。だけど、 stone には「石を投げつける」、俗語の「(酒・麻薬などが人を)酔わせる、前後不覚にする」って意味以外に、「石で固める」ってのもあるらしい。で、「みんな石になっちまったのさ (笑)」ってのも使わせてもらった。(笑)はラリってるってことさ。ヤク中の訳注だよ。本当に石になったりはしないよ。なったって一時のこと、ちゃんと起きるさ。 Everybody must get stoned ! ( laughing, smiling )_


04年 2月15日(日)   春二番に何か書く

 昨日は強風の1日、息子の野球もたいへんだったようだが、あれは春一番だったらしい。今日は 昨日のような風はないが、たまにわりと強く吹く時がある。天気はよくて、暖かそう。僕は眠い。とても眠い。強烈に眠い。一昨日は余ってた就寝前1錠を加えて2種2錠で、昨日は1錠にしてみたけど、そのせいかどうかは分からない。分かるはずない。ただ、昨日はあまり眠れなかった。夢もたくさん見たように思うが、内容はもう記憶にない。

 近頃、あまりよくない。長いことよくはないが、前と違うところで覇気が弱まってる。心調が低いところで停滞気味。この1、2週間で、徐々によくなくなってきているように思う。雨は嫌だが最近めったに降らないね。晴れてるのもいまいち。未だ爺さんにはほど遠いのに、こんな気分はよろしくない。ずっとではないと思おうと想う。今はそう。
 出戻りしてからイイはずが無いけど、失敗の前の旧期はどうだったか。あれが出もなく続いていても、愚痴の多い日々だったかもしれぬ。どこかで機転があれば、出戻りよりは確実にそのままの方が今の時点でよかっただろう。考えてみても空しいか。そりゃ分かってる。久しぶりにそういう気分に陥り始めた。戻れないし、そのまま続けて何か機転があったかどうかは怪しいと言えばアヤシイ。今がこんなだから、そんな可能性を想像できるってものなんだろう。いや、そうだろうな。何言ってるんだ。眠いぞ。外ではたまーに突風が吹く。音が聞こえない時もまぁまぁ吹いたりしてるかね。本当に The answer is blowin' in the wind かね。ていうか、どこかにあります。風の中にはあるでしょう。眠いものは眠い。それでも何か書きます。何もなくても何か書きます。また書きたくなるでしょう。いや、間違いない。書けばいいってわけでもない。たまに動くでしょう。いや、間違いない。ここ、日本国南東北で、勝手に生きるでしょう。いや、間違いない。勝手に