04年 2月29日〜3月18日

最近の子供はどうか分らないけど、今の大人の多くはガキの頃に日記を何日か書いた経験があるのでは?
斯く言う私もその一人、当然この日記も不定期です。 (2001年8月19日、記)


04年 2月29日(日)   民主党議員の西村真悟 が求める、国のために死ねる人を生み出す教育

 今後の日本の教育では、「お国のために命を投げ出しても構わない日本人を生み出す。お国のために命をささげた人があって、今ここに祖国があるということを子供たちに教える。これに尽きる。
 「お国のために命を投げ出すことをいとわない機構、つまり国民の軍隊が明確に意識されなければならない。この中で国民教育が復活していく。」


 民主党議員の西村真悟 が4日前にこうほざいた。普通なら耳を疑い眼を疑うが、彼が言ったのなら全く疑わない。知らない人は、2004年の日本でこういう言辞を政治家の口から聞くということに驚くかもしれないが、民主党の西村 は、こんなこと、しょっちゅう言ってる。上のは 2月26日朝日朝刊から引用したが、こんな誤植は有り得んし、これは間違いなく本当なんです。民主党の西村 を何度もテレビで見てるので、ぜーんぜん不思議でない話だ。えー、衆院でも参院でも、どっちにしても大バカだけど、民主党の西村民主党所属の衆議院議員。
 今月25日の「教育基本法改正促進委員会」の設立総会で挨拶し、民主党の西村 は、上記の発言をした。

 一応念の為に書いておくと、僕は現在の教育の実態にはいろいろ問題があって変えていくべきところはあると思うが、その考えは、現行の教育基本法を改定したい大方の連中とは全然違う。僕は、教育基本法そのものに手を加えないようにしておきたいと考える。現在の政治的動きのなかで変えるのは、あまりに危険だ。ある意味、憲法改定より危険を感じる。僕は、教育基本法改定には反対だ。理由はシンプル。以下の如く考えるからだ。(強調の下線。リンクじゃないよん。)

 現在の教育基本法を「神棚」に飾っておけば理想が実現するというものではない。飾っておくだけで、人が法の精神に基づいて動くわけではないのだ。法の精神を理解し、姿勢と行動に主体的に活かしていかなくてはならないのだろう。それは、かなり難しいことだと思う。しかし、だからこそ、教育基本法の改定には反対する。
 今、教育基本法を改定しようとしている勢力は、その改定後の基本法を「神棚」に飾っておく気など、さらさらない。文科省の指導要領、教育行政、地方の教育委員会などを通し、その劣悪な思想を教育の場で徹底し、子供たちに、教師を始めとする大人を通して、さまざまな強制をしようとするだろう。教師をも今以上に徹底して縛るだろう。彼らは、人々の精神を、彼らの思い通りに、その枠のなかに、制約していこうとするだろう。そのための改定なのである。彼らは、彼らの思い通りの改定が成ったら、その改定後の教育基本法、僕から言わせれば文字通りの「改悪」をした後の教育基本法を、彼らの目的を実行するための法的根拠として強力な武器にしたいのだ。日の丸、君が代を、国旗・国歌法として法に定めた時のように。彼らが教育基本法を改定したいのは、彼らですら、現行の教育基本法下では容易にはできないことを、容易にやれるようにしたいからなのだ。そして、彼らがどんなことをしたいのかは、基本法を改定して強制力を働かせたいくらいなのだから、大体の察しはつく。簡単に想像がつくし、そもそも、子供たちに「日本国民」養成ギブスをはめようとするような発想が、教育的発想と呼べるものか。なわけないよ、それ。教育じゃなくなっちまう。

 さて、民主党の西村 は、元々は自由党だが、両党が合併したので、今は民主党 所属。つい先日は、ナンタラ義勇軍とか言ったっけ、暴力に訴えるタイプでその実績もあり逮捕された右翼幹部と、現在民主党の西村 がこれまで懇意にしていたことが話題になった。
 民主党 は、学歴詐称の元テニスおぼっちゃんコガジュンイチローなんかより、民主党の西村 を何とかしなくちゃダメだ。

 ここに自民党「ネオコン」議員のおバカぶりを書いて、その時の日記の最後に、「で、案外、民主党の若手にもこういう輩がいそうだからヤヤコシイ。真の正常化はいつでしょう。」と書いたんだけど、実際、民主党にもとんでもない奴はいくらでもいそうだ。今日の日記の例は「若手」とは言えんけどね。

 自民党と民主党の議員が共に参加する、つまり両党横断型の議員連盟はたくさんある。
 「教育基本法改正促進委員会」には現在、事務局発表の役員の数だけでも自民から42人、民主党から20人が参加しているそうだ。前者は森「カミの国」喜朗・前ソーリ、平沼赳夫・前経産デージンなど、民主党は西岡武夫参院議員、松原仁衆院議員、小林憲司衆院議員、それに西村真悟衆院議員など。
 他には、イサマシイ名の「新世紀の安全保障体制を確立する若手議員の会」に自民から石破「軍事オタク」防衛庁チョーカン、小池「アラビア語達者」百合子環境デージン、武見「国際政治学者」敬三参院議員など88人、民主党は前原誠司衆院議員を始めとする79人。これは共に役員数でなく総数だな。
 只今仮称「日露戦争に学ぶ会」(どんな視点?)にも中曽根「生涯・顧問でも何でもゲンエキ長老」元ソーリや上記の平沼らと共に、民主党の鳩山由紀夫・前代表、松原仁衆院議員ら が参加している。
 他にも、「北方領土」関連とか、議員連盟はたくさんありそうで、両党はナカナカに仲がイイ。

 それにしても、民主党議員の西村真悟 は今後もずっと選挙で当選するんだろうか。こいつがいる限り、民主党 の名を比例で書く気にはやっぱナカナカなれんなぁと思いつつ(こないだ書いたんだけど)、そして 民主党 の他の議員も 民主党議員の西村真悟 に対する態度如何ではそれだけで支持できなくなるし、しかしね、そうかて 自民党政権 は早く終わってほしいから、民主党 に入れないと 自民党政権 が長続きするのもイカン。しかし、やっぱ、民主党議員の西村真悟 みたいなのがいるんじゃなぁ。あー、 だらけで眼がチカチカする。

 以上、本日のとりとめない政治バナシでした


04年 2月29日(日)   加藤紘一

 この数ヶ月、たまに日記でプラスの色として青色を使ってる。ん? 加藤紘一

 加藤紘一にしとこうと思う。でもHTMLタグ打ちがただ面倒くさいという理由で、こっから下は色は付けません。

 今朝の朝刊で、ハトとタカを巡る論稿があって、そこに、2004年1月31日未明、自衛隊イラク派兵の承認を、衆議院本会議で自民党と公明党が与党単独強行採決 をしようとする時に採決直前で退席して議場を出ようと未だ議場内を歩いている、加藤紘一の写真が出ていた。何だか、なさけなかった。いかにも、加藤「のラン」紘一らしい姿だった。
 いろいろ考えるが、すぱっといかない。優柔不断だったりする。2000年の森「カミの国」喜朗・当時ソーリの不信任決議の際の「加藤のラン」は失敗し、おまけに2002年にはいかにも政治家側がウブでヘタくそそーな印象だったスキャンダルで秘書が逮捕され、議員を辞職。キンシンきんしん謹慎生活後に、昨年の総選挙で再当選、結局はまた自民党に復党した。たぶん、周囲の自民党のおレキレキから見えるには、そしておそらく本人の心根も、「にもかかわらず」という映り方だろう、件の採決の際、自民党に協力しないで、退席した。ある意味、我を通した。いや、理由は「政府の対米支持しかないかのような選択は思考停止」、「大量破壊兵器を破棄させることを大義と謳った戦争だったが、それは見つかってないではないか」ということで、それはそれで公に訴える正論的なものなのだが、しかし、加藤の行為は、やはり、我を通した、という言い方ができる。一面で、我を通す、というような選択であったが、加藤としては、あの場あの時にはあれ以外ないという、そういう姿勢と行動だったように感じる。周囲をまとめるのはなかなかできないが、我を通す、勝手に行動する。

 たまたま2日前の週金で、佐高信が「人物メモワール」という連載頁で、加藤紘一 を取り上げていて、一応はさっき読んだが、そのことと、この日記は関係ない。おれ、サタカは嫌いなんだ。それはこことかこっちとかに書いた(長いよ)。
 週金のサタカはタマタマ最新号で加藤を取り上げていたが、今日のこの日記のHTMLを僕に打たせているのは、たまたま今日の朝刊を午前中布団の中でめくった時に見た、上に書いた加藤のいかにも加藤らしい写真だ。今まで、ただ勉強はできそうでもナサケナイ風情にしか見えなかった加藤だが、なぜか今日、その風情のまま、その風情が妙に僕に迫ってきた。加藤は前は関心なく、「加藤のラン」以降はただ加藤「のラン」加藤としか映ってなかったし、僕は僕でずっとふらふら風に吹かれているだけで変わらない風情でいるのだけど、今日になって、今朝改めて見た加藤「のラン」加藤の1月末のイラク派兵強行採決直前退席の写真が、妙に僕に迫ってきたのだ。

 常識的にはアタマのデキはかなわないのだろうが、妙に他人事に見えない。超絶ブキヨーだが、なんか何とか我を通して、何とか自分の本意を表現しようとする、要するに何とかそういう姿勢と行動を取っている加藤「のラン」加藤という姿だった。妙に僕は、深いところに迫ってくるものを感じたのである。僕が、そういうふうに感じた、ということだ。僕は、勝手にそう想ったのである


04年 2月29日(日)   うーむ

 一昨日、二郎さん神経科で就寝前用の処方ヤクが変わったのが、当日は以前の残りが数錠あるので、比較のためにもってことで、僕は自分で決めて、そっちの残りもんを飲んだ。だから、新ヤクは昨夜の就寝前に初めて飲んだ。

 うーむ。ヤクのせいかどうかは分からぬが、今朝はいつもと比較にならず、めちゃくちゃきつかった。頭が痛い。身体がカタイ。石のようだ。気持ちわるい。身体を起こす気になれない。というか、起きられない。しばらく、それが続いた。起きるまでひどく時間がかかった。
 うーむ。今晩からどうしようか。


04年 2月29日(日)   早く家に帰りたい

 S&Gの HOMEWARD BOUND を訳した。もちろん、ポール・サイモン作詞・作曲。
 僕は今、帰りたい家に、いる。今、帰っている。今現在、家にいる。普通、月曜から金曜は、毎日、家を出て家に帰る。今、家にいる。故郷は別のところにある。家は、家族だ。家族が一番大事。当り前のことを、当り前なのに書いている。大事なことを、書いているのだ。
 HomeTown Bound って気も湧いてくるときがあるけどな。家族で、僕の故郷に行く。みんな僕の故郷は好きだし、僕はそういう気が湧いてきたりするんだけど、実際のメシの種考えたら現実的じゃない。でも、帰りたくなるな。帰りたい。なぜか。そんなこと僕には当り前だ。書かなくてもいいや(てっことをわざわざ書くのもナンだがね)。

 この日 に訳そうとして、訳詞という自作詩をアップしようとして、やめた曲。その時の気持ちが解消されたり、緩和されたりしているわけではない。それどころか、もっと深いところに、沈み込んでしまったと言えば本当に沈み込んでしまう、入り込んでしまったと言おう。潜り込んでしまった。苦しくて、しんどくて、たまらないのに、深過ぎて、引き上げようにも、手が届かない。手が届かない。

 でも、答えは風の中にある とディランさんが 歌ってくれてるし 、それに、僕が好きな はっぴいえんど の歌に、 風をあつめて って歌がある。
 風をあつめて  風をあつめて  風をあつめて  蒼空を翔けたいんです  蒼空を・・・  (風をあつめて by はっぴいえんど)

 いいっす。答えは、ないわけではない。近くに感じることは、生きていけば、できる。風をあつめて、勝手に生きていく。そう、心しましょう。そう、しましょう。風をあつめて、勝手に生きていく。風をあつめて。
 勝手に生きますけんね。僕にとって既に、生きていくことは、すなわち、勝手に生きていくということ。それだけだ。
 むりやりでもなんでも笑ってやる。むりやりでもなんでも笑い倒してやる。僕は自分を笑い倒して生きていくか。そうやっても、どうやっても、こうやっても、ああやっても、生きていく。
 いっしょに笑って幸せを感じられる人が近くにいるじゃないか。共にいるじゃないか。自分を笑い倒したって、どうやったって、とにかく、僕の人生は、人生は、生きていく価値がある。それは、ある。
 いきましょか。ああ。ずっと。ときどき、笑いながら。笑い合いながら。笑ったっていいだろ。おかしくたっていいだろ。僕は、僕の生きかけの人生を、これまでと同じくらい長く、いやもっと長いかもしれんぞ、とにかく、生き抜いていくわけなんだ。笑わないと、アキテしまう。笑える、笑える、未だ未だ、いける。生きる。
 風をあつめて  風をあつめて  風を あつめて  蒼空を翔けたいんです  蒼空を・・・  (Kaze wo Atsumete by Priscilla Ahn)

 ぶつぶつ書いとるが、要するに、勝手に生きていくって、毎度言ってるが、いいじゃん、言って自分に聞かせてるんだから。勝手に生きていく。なんで何度も宣言するんだって言われたって知らん、知ってるけど、知らん、どんなもんだ、そんなもんだ。そんなもんでも、どんなもんでも、きっと、いいもんだ、これからも、生きていくってことは。そりゃ、わかってる。だから、勝手に生きていく


04年 3月 6日(土)   二郎さん神経科、臨時日誌

 今日は臨時。先週処方されたヤクがきつくて、翌朝目覚めたら筋肉弛緩状態になってて(おいおい)、身体に力が入らない、気持ちわるい。それで前の処方ヤクの残りを飲んでたんだが、もはやヤク切れへ。

 ってわけで、昨夜もう1回治験してみたんだが(おい!)、やっぱ今朝もてーへん。で、今日は臨時の二郎さん。ヤクは前のに戻してもらった。こうして、飽くなきパラノイド・スキゾフレーニックな不眠症との闘いは続く。僕は徒手空拳で闘わないで、道具を手に闘ってる。道具はヤクだ。今も生きているし、これからも生きるが、そのうち自然に還ってなお生き続けるときまで、付き合いましょう


04年 3月 6日(土)   表現すること

 昨日の朝日に出とったんだけど、1月17日、陸自イラク先遣隊が日本を出国した16日の翌日、イラク派兵に反対する3人が立川市の防衛庁宿舎の郵便受けに、自衛官と家族向けの「一緒に反対しよう」ビラを入れ、1ヶ月以上経ってから、先月末に警視庁に逮捕されたそうだ。立川市周辺で 1970年代初めから反戦運動をしてきた市民団体のメンバーらしい。事務所も自宅も捜索されたんだと。

 逮捕容疑は住居侵入。敷地には「関係者以外立ち入り禁止」との表示があるらしい。住人宛ての私的公的郵便物や宅配以外はダメだってこと? いーや、そーじゃありません。この防衛庁庁舎も、僕やあなたのオタク同様に、いろんな業者とかのチラシが入ってるそうだ。それって勝手に飛んできたわけあるめぇー。誰かが「住居侵入」罪犯して郵便受けに入れてるわけよ。
 チラシの内容、つまり、自衛隊イラク派兵反対って趣旨が狙われた以外ないじゃん。手帳やPCまで押収されたんだっていうから、何をか言わんや。なんだか、すっげぇ時代になったもんだ。

 もう1件。厚生労働省の事務官で、社会保険庁に年金審査官として勤務している人が、休日に自宅周辺のマンションの郵便受け等に共産党の機関紙(「赤旗」かねぇ)を配った容疑で、今月 3日に逮捕された。東京地検は昨日、本人が事実関係は認めているという理由で釈放したが、一方で同日、この人を在宅起訴した。政治的行為の制限規定がある国家公務員法違反だって。

 こっちはしょーないって思われるかなぁ。しっかし、僕はやっぱ不当逮捕だと思うな。僕は共産党を支持してないが、平日に国家公務員をしている人が、休みの日に特定政党の機関紙を配ると逮捕されるのか。本人は別人格じゃない? そりゃそうだ。でも公務員だって、勤務時間以外は私人だろう。この人は党員なんだか違うのか知らんが、いいじゃん、休みのひとときに政治的表現したって。これが自民党の手助けとか、自民党議員の後援会にでも出て手伝ってたりしたら逮捕されるのかね。

 本人は「一律に政治活動を認めない国家公務員法は憲法違反だ」と主張してるそうだが、悪法でも遵守すべきという考え方はあるのだろうが、ここはまずは解釈だろう。憲法解釈じゃなくて、国家公務員法解釈。このくらいエエと思うで。そのうえで、どうしてもダメってんなら、やっぱ僕はこの法律は問題ありと思うなぁ。

 ついでにコイズミ靖国参拝を横蹴り。コイズミと政府の公式見解は、玉ぐし料とかってのはコイズミのポケット・マネーだから、私人としての参拝だってことらしいけど、あれは笑える。本人、靖国神社までは公用車使って来て、そのうえ秘書官伴ってるんだぜ。おまけに、本人も、「日本国総理大臣コイズミ純一郎として参拝する」って宣言してたじゃん。堂々と「公人として参拝しました」って言えよ。本心は公人のつもりなんだし、公用車も秘書官も伴っちゃキミ、あれはイカン、遺憾だなぁ。何でも堂々と説明してよ、確信持ってやってるなら。僕は早くソーリ、変わってほしいけどな。とは言え、最大野党もこれじゃなぁ。 以上、堂々とするのは容易でない転石系旗本勝手男より(何の旗だ、知らん)


04年 3月 6日(土)   跳ぶガチョウ

 この4月からガチョウになることになった。出戻り転石男は、出る前はガチョウになることは考えもしなかった。そのまま働き続けても、ずっとならんグループで活動しつつ仕事続けるつもりだったから。

 出戻り転石男は、そうそう勝手を言えない。転石も転居は無理事情ありなので言うしかなかったのだが、居がこのままですむとなれば、受けとめて、やれるだけのことをするしかないのである。もう、この場合は、僕は他になかった。
 ガチョウは跳べるのか。跳びたい。僕はガチョウ引く濁点を乗り越えて、ガチョウとして平日を過ごすのだ。仕事はきちっとやりましょう。心身を守りつつ、そのうえで跳んだガチョウになって、自分にアカウンタブルでありつつガチョウを務めましょう。ガチョウは跳ぶのだ。で、仕事はきちんと精出して、だけど毎日なるべく早く家に帰りましょう。  なんとかやって、勉強して、克服して、納得のいく貢献を心して、1週間7日、勝手に生きていきましょう。大丈夫だ、ガチョウは跳ぶ。跳んで帰る。行く。跳ぶ。跳んで帰る。跳ぶガチョウになる


04年 3月 7日(日)   風をあつめて

 ここのところ、身体が痛い。肩とか、首の椎間板とか、腰のツイカンバンとか、カタイ上腕とか、足とか。足は捻挫、もう半月目だが、捻挫は時間の問題で治るだろう。しかし、手ごわい、足の話だが。

 今日も天気はいいようだ。風がわりとあり、いかにも3月の日曜日って感じだ。息子は今日も野球だが、今日は6年生を送る会。5年生は送る側の主役でもある。これからチームを引っ張っていかなくてはならないってことか。今日は送られる6年生とチームの父親連チームとの試合があって、そのあとみんなで飲食する会もある。息子もそこで進行の一役を担う。少しだけ喋る。妻は、5年生の母親の一人として、その会の準備に大忙しだった。席札とか、PCで上手に作ってた。大したもんだ。

 今日は僕も親父側で試合に参加するつもりでいたが、捻挫が快復せず、そのうち走るのは無理だから塁審ぐらいで手伝おうと考え始め、しかし足の痛みは思いの外ひどく、じっと立ってるのも懇親会の会場まで歩くのもきついので、今日は家に一人残った。今日も、かな。こんないい天気なのになさけない。

 外は本当にいい天気で、風はけっこう吹いてるけれども、だいたい3月の晴れの日はこんなもんだ。僕の記憶の限り、昔からずっとそうだ。気持ちいい天気。・・・のはずである。
 横浜からこっちの地方に移り住んだのが9年前。この街に居を構えてからでも8年経つ。もう10年に近いってことだ。早い、と言えば早い。横浜を出るときは2歳だった息子も、もう来月は小6、ってことは来年は中学だ。おおよそ10年というのはそう長くないのかもしれない。そして、3月の晴れた日は、昔からこんなふうに風が吹き、冬の終わりと春の到来を感じさせてきたのだろうと思う。

 僕は、こういう春を既に44回見ていることになる。まぁ赤ん坊の頃の記憶はないが、何かを見てはいたのだろう。とにかく、44回繰り返している。この10年程度の時間の短さを振り返ると、44回季節を巡らすというのも、そんなに長くはないはずだ。なのに、どうしてこんなに長く感じる。昨夜、田舎の親父やお袋と電話で話す機会があったが、やはり44回は長い。僕が今の息子と同様に11年分の季節の移り変わりを経験していた頃には、僕の親父やお袋は今の僕や妻と同じくらいの年齢だ。そう思うと、やはり昔に感じる。ただ、親父やお袋は、少なくとも今の僕なんかよりずっと若くて元気で覇気があった。生活に余裕はなかった。その頃の僕は生活の余裕とか豊かさなんてことをどれだけ正確に理解できていたのか分からないが、今は当時のことが「理解」できる。ただ、振り返って「理解」するのは脳みその中の「理解」だから、ほんものの理解じゃない。いずれにしても、親父やお袋はたくましかったと思うし、とにかく40代にして元気があんまりないなんてことはなかった。本人に言わせれば元気なくすような余裕はなかったぞ、ということにもなるのだろうが、それだけが理由でもないってこともまた間違いない。親父もお袋も、息子から見て力強かった。僕は、親父とお袋が好きだったし、尊敬してたと思う。今も好きだし、尊敬している。

 僕の息子は腕白というのとは違うが、明るく優しい子に育っている。妻は暖かく、優しい、それに僕は妻はきれいだと思う。十分に僕は幸せのはずだ。それでいて、今の僕は日々を乗り越えていくのに必要な覇気というものが欠けていて、なんだか辛い気分で日々を過ごしている。どうして、十分に幸せなはずなのに、自分が生きていくことをこんなに辛く感じているのか。僕は分かるけれど、その、何となく分かるものに、正面から向き合えていないのだろうか。正面から向き合えていないから、辛く感じるのだろうか。正面から向き合うってことは、そっちの方に顔を向けるってことじゃなくて、そういう姿勢と行動のことなんだけど。

 僕は生きていくことに執着が強いし、だいじな家族と共に生きていくことに、強い執着がある。執着があるから辛い気持ちが生まれるのかもしれないが、僕に執着がないなんてことは有り得ないし、執着がなくなることも有り得ないけれども、執着がないってことは意味がないことに等しい。無、だ。生きていくことはもともと空っぽかもしれないが、しかしそれは無とは違う。
 僕は執着がある。だから、心底へこたれたりすることはない。僕はこの数年辛い気持ちでいるけれども、心底へこたれるってことは想像できないほどの辛さだと思う。しばらく前にそんな辛さを感じたりもしたが、今こうしているのは、ちょっと違うと思う。僕は、執着があって、心底へこたれたりすることはない。日々を過ごし、何とか乗り越えていくことはできる。しかし、もっともっと生きていくことに強い姿勢をもって、力を込めて、よく笑いながら、生きていきたいのだ。当然その方が僕にずっといいことだし、だいじな家族のためにもその方がずっといい。いきたいと言ってすむ話ではなくて、本当にそうしていきたい。 I WON'T BACK DOWN というふうに生きていきたいんだが、気持ちだけで足を捻って挫いて座り込んでるんじゃ、なかなかそうはなれない。本当に、そうなりたい。

 ホームページの日記なんて、ほんとのところは、ほどほどでありたいんだ。

 捻挫が治ったら、そのうち息子の野球にも顔を出し、自分ももう少し外に出るようにしようか。運動しようか。それに、それにギターも弾こうか。もう2年近く、ギター・ケースを開けてないんだ。ギターを、ギターを弾こうか。

 風をあつめて  風をあつめて  風を あつめて  蒼空を翔けたいんです  蒼空を・・


04年 3月13日(土)   始まりの記念日

 今日は始まりの記念日。始まりのなかにある日を記念します。

 結婚記念日は、僕らの始まりの期間のなかにある特定の日を記念できる便利な日です。
 結婚して、そのうち息子も家族に加わりました。その始まりのなかにある記念日として、僕らは結婚記念日を祝い続けるのです


04年 3月14日(日)   頭痛が治りますように

 午前1時頃に寝床についたんだが、その少し前から頭が痛かった。咳も少し出たが、とにかく頭が痛い。原因はもちろん分からん。分からんが、二郎さん神経科のヤクの朝夕用を昨日は飲まなかったからだろうか。そんなことが関係あるかどうか、分からん。結局、就寝前のヤクも飲まなかった。

 今朝はっきりと目覚めたのが10時40分頃。直前まで、何故か小沢一郎と話している夢を見ていた。目覚めたが、激しい頭痛。少し眠ろうと思うが眠れない。下に降りて新聞を手に取り、寝床に戻る。新聞をめくるが、やはり頭痛がきびしい。もう少し寝てみる。ときどき唸る。一人で唸る。ようやく12時直前に起き上がった。頭は痛い。参った。いや、参らんぞ。治るでしょう。治るに決まってる。今日はゴスペル練習日だったのに休んだ。とても歌えない。昼間も横になってた。身体が痺れる。耳や鼻から身体の中のものが出ていきそうな感じ、なんなんだこれは。腕も痺れる。足も痺れる。頭もぼーっとする。夕方少しよくなったような気がしたが、やっぱりよくない。痺れる。早く治ってくれないと困る。治るよな。すぐ治るよな。


04年 3月14日(日)   陸自のイラク派遣主力部隊第2派

 昨日、陸自のイラク派遣主力部隊第2派の約190人が、新千歳空港を出発した。政府専用機2機に分乗。衛生や通信などを担当する女性隊員も11人。例によって、クウェートの米軍キャンプに寄って、砂漠での活動等の訓練をしてから、陸路サマワに向かうとか。今日の夕方のニュースでは、クウェート着を報じてた。
 今月下旬には本隊最後の第3派が出国し、陸自イラク派遣第1陣の総勢約550人がそろうそうだ。先遣隊、先発隊、主力部隊とかいろいろ名前が付いてます。・・・ああ、頭が痛い。もうやめた。頭痛対応優先。どう対応するかって、とりあえずぼーっとしてるしかない。身体が痺れてる。辛い。早く治るように。早く治るように。早く治るように。


04年 3月16日(火)   I WON'T BACK DOWN. 気負いすぎてもいかんが、 屈さない。

 昨日、いつもの勤務先に行き、午後3時ぐらいだったかに発って、電車乗り継ぎ4時間ほどかかる別の事業所に出かけた。そこで1泊。パラノイド・スキゾフレーニクな不眠症の僕には外泊はきつい。いや、きついというのはなるべくなら避けたい。楽でなない。今朝何とか起きた。午後4時過ぎまで仕事し、9時過ぎに帰宅した。ほっとした。
 出張先で、馴染みの顔に出会った。僕は卑屈な態度だったと思う。いや、自覚的には、明らかに卑屈だった。他人に対して顔向けできないってより、結局自分が自分に「顔向け」できないと、僕は人の前で卑屈になるしかない。相変わらずきつい体験だ。たぶん、人は普通に受けとめてる。いや、自然に受けとめてる。いや、そんなふうに僕が考えること自体、人には本当は迷惑な話かもしれない。いや、そもそも迷惑な話ですらないのかもしれぬ。
 僕は卑しい人間であろうと思ったりしない。だから、屈しないことだ。屈しない。

 本当のところ、僕は僕でいるしかないのだ。それ以外に僕ができることはない。僕は僕でいるしかない。僕が僕である限り、僕は生きている。生きることを生ききる、そのなかで何とかしたいと、俺は漠然と思っている。漠然とだろうが何だろうが、そう想っている。生きることは是だ。僕は生きる


04年 3月16日(火)   デフレと安吾とニーチェ

 すっげタイトル? 強引な組み合わせかい? 何でもいいよ。いいじゃん。僕の勝手だもんね。デフレと安吾とニーチェ。 安吾が表現したものとニーチェが表現したものが重なってるんだ。なーんて思ってる僕は素っ頓狂ではないよ。狂ってはいない。パラノイドなスキゾフレーニアってだけだ。
 出張先にも安吾 と 一番大事なカードを持ってった。通勤常時携帯なのさ。僕は僕の心のためにそれを記したいから記す。バーチャル・フリーダムだか何だか分らんが、ここに書きたいから書く。他に理由など知ったことか。知らんよ。ここに言葉を投げれば、ブーメランのように僕の心に戻ってくるのさ。

 はて、自分はどう自分自身を発見し、どう救うことができるか。そいつが問題だ。堕ちることを堕ちきるってのはとても言えない。僕は無頼派にはなれないな。でも、生きることを生ききる、そんな attitude は忘れないぜ。そのつもりで生きる。つもりが attitude に繋がる。僕が生きる意味はあるし、それに、ちゃんと、生きたいと思ってる。生きることは是なんだ。僕は生きるよ


04年 3月18日(木)   詩人ケン

 僕らは生命 (いのち) が生きてゆくために生きているか。人は生命 (いのち) が生きてゆくために生きているか。僕は生命 (いのち) が生きてゆくために生きているか。詩人ケンよ、教えてくれ。詩人ケンさんよ、あんたなら今何を喋る。僕には言葉はない。なのに書いている僕は弱いのかもしれないが、僕は僕であることをやめられないように思っている。それは弱いとか強いとかいうこととも違うことだろう。僕は生きると思う。それしか分らない。ここに言葉を載せるとブーメランのように自分に戻ってきてくれるから僕はここに書きました。僕は僕に読ませる必要がある。それをホンモノの現実なのか擬似なのか、とにもかくにも外のように想えるここに書いて僕に読ませる必要がある。僕は僕のことしか分からず、僕の家族に関わること以外におおっぴらに、そして肯定的に、特筆されることなどしないと思う。それはきっとそうだ。ただ、僕は僕が生きていくだろうと思っている。僕は僕のことしか分からない。僕の家族にしか言葉をかけられないかもしれない。僕は、僕のことなら少し分かると思う。僕は僕が生きていくだろうと思っている