04年 3月20日〜4月11日

最近の子供はどうか分らないけど、今の大人の多くはガキの頃に日記を何日か書いた経験があるのでは?
斯く言う私もその一人、当然この日記も不定期です。 (2001年8月19日、記)


04年 3月20日(土)   西部邁が説く解り易い自由論を、坂口安吾の「堕落論」につなげてみる

 昨日発行の「週金」に西部邁のインタビュー記事があって、保守主義者・西部邁としてのイラク戦争反対論、イラク戦争否定論が展開されてた。彼は近年、西尾幹二など「新しい歴史教科書をつくる会」系バカモノ知識人や中西輝政(自称「保守知識人」だが)のような日本版ネオコンの輩と論争したりしているらしい。
 ちなみにあっしは、一応書いておくと、西部邁は好きではない。ただ、まぁ嫌いと言えば嫌いなのだが、けっこう面白い、一見偏屈で、しかしけっこう実はシンプルな解り易いことを言ってるオヤジだと思っている。

 件の「週金」の中では、西部おじさんは「予防的な先制攻撃」容認論を言っていて、アメリカのイラク攻撃は差し迫る脅威の証拠を示せなかった以上は「覇権的な先制攻撃」だから「侵略」であってダメだと主張してる。この辺り、普段はいかにも非現実を嘲う西部おじさんにしては、ずいぶん乱暴な非現実的主張だ。だいたい現実的に「覇権的な先制攻撃」だと認めて先制攻撃する覇権国家など、とりあえず21世紀の今は考えられんだろう。実際には覇権主義そのものであっても、国際社会に対しては「予防的な先制攻撃」であり「正当防衛」だと言って正当化するに決まってるんだ、今回のアメリカのように。したがって、「予防的な先制攻撃」容認論というものは現実世界では机上の空論になってしまうんです。まぁ、西部邁なら、それが「予防的」であるか「覇権的」であるかについては、国際社会のおおよそが同意する基準を設けて、その基準によって国際社会のおおよその合意形成によって判定し、前者であると認められたら、それは許容される、なーんて言うんだろうな、たぶん。

 さて、ここまでは前説。
 自由の問題について、西部邁が喋っていること。これは解かり易かった。解り易過ぎて、本当かぁと思ってしまうかもしれんが、これは素直に聴けばけっこう正しい。けっこうっていうのは、その先の真実があるかもしれないからだけど。それは形而上学の「真実」かもしれなくて難しい話になるんだけど、そこまで西部は言わないし、場合によったら西部はその先にあまり意義を認めていないから、結果として西部の「自由論」は平易な言説に留まることになる(ただし当然ながら平易だから傾聴に値しないということは全くない)。
 西部邁が言ってることを、いくらか丸めて、ついでに僕の言い方を加えて、でも西部の趣旨をきちんと踏襲してまとめてみよう。

   「自由」はそれ自体を追求すると無秩序に転落する。それゆえ、「自由」には社会制度による規制が必要。ただし、規制が過剰になると、規制は適度な規制から抑圧的な規制に転嫁する。「自由」と「規制」には、その間での微妙な平衡(バランス)が保たれる必要がある。
   では、「自由」を意義あるものにする良き規制は何か。それは、国民各位のおおよそが共有する、(おおよその)常識と良識にしたがって、当然こういう規制があってしかるべきだとみなされ(つまり僕がシンプルで極端な例を言えば殺人や窃盗等の行為は規制しなければならない)、(おおよその国民が)進んで同意できるところの「規制」である。
   上に述べた判断基準としての常識・良識の源泉は、各国の歴史や伝統に由来する。例えば、不倫に寛容な国もあれば、それを厳しく戒める国もある。伝統は国によって異なる。だとすれば、「自由」もまた、国によって異なるということになる。

 西部が言ってることに、もう少し、僕の言い方を加えてみる。
 「完全な自由」というものは観念でしかなく、現実の外在的世界には存在し得ない。すなわち、人間の「自由」は、一定の制約を受けるという条件付きで、現実の社会もしくは共同体のなかに存在することになる。それは厳密には既に「(完全な)自由 」ではない。ただ、それが現実である以上、「自由」がより「自由」度のあるものとして特定の社会のなかで存在するためには、「自由」を制約することで「自由」を現実に存在せしめることになる「規制」が、その社会のおおよその構成員によって、それはあってしかるべきものだとみなされて進んで同意(合意)されているということが条件になる。

 「完全な自由」は現実に存在し得ない。「自由」に制約を与える「規制」を伴ってはじめて、一定の「自由」は存在し得る。そして、同時代を生きるおおよその人々によって進んで同意(合意)される、万国共通の「規制」は、少なくとも今のところ存在しない。この、「万国共通の」ということが重要である。今、「自由」を現実に存在せしめる具体的かつ個別の「規制」の妥当性について、万国共通のモノサシというものが無いにもかかわらず、アメリカという現代の覇権国家が、アメリカの歴史と伝統に由来するモノサシによって妥当だとみなされる「規制」を、世界中に押し付けようとしているように見える。

 アメリカは、何かと言えばアメリカのイラク攻撃によってイラク国民は「自由」を得たとか言うが、つまりこれは、アメリカがイラク国民に「自由」を与えたと言ってるわけだが、実は、「自由」の実存からすれば、アメリカは、「自由」を存在せしめる、実存の「自由」に付随させる「規制」を、そのアメリカ社会ではおおよそ合意されている「規制」を、アメリカとは歴史も伝統も違い本来は許容する「規制」も違う、イラク国民に押し付けようとしているのである。こうしたアメリカニズムは、誤ってグローバリズムと言われることがあるが、巷間言われるグローバリズムが実はアメリカニズムによる抑圧を指すのなら、そんなグローバリズムなど、坂口安吾流に言えば「愚にもつかない物」である。経済強国の経済活動の「自由」は急激なグローバリズムを促進するのが一方の現実かもしれぬが、人間の「自由」を存在せしめる条件としての「規制」について、国により民族により異なる合意基準がある以上、グローバリズムは、少なくない国々、共同体によって、激しい抵抗に遭うだろう。彼らは、それに「進んで同意」などしないし、それは無理な(不条理な)注文というべきである。

 西部邁の言説「なんか」(笑)を、偉大なる無頼派にして哲人、坂口安吾だいせんせいにつなげていくのは気が引けるが、しかし、西部邁の上に挙げた言説は、僕ら(笑)左翼が深く考えぬままにやり過ごしてしまう、それでいて考えれば非常に解り易い現実認識を述べているのであり、これを軽々しく無視することは思考停止の、もしくは思想の怠惰の為せる業だと思うのだ。・・・というわけでね・・・

 坂口安吾の「堕落論」における言い方を援用すれば、「完全な自由」を引き受けるほど人間は「鋼鉄のごとくではあり得ない」。安吾は、武士道は倫理のたまものでなく、逆に人間は放っておくと淪落することを知っているからあみだしたもので、その中身は愚にもつかず非人間的、反人性的だが、人間を洞察する真理においては人間的であるという逆説を述べている。武士道の決め事など馬鹿らしく思えることが多いが、ある時代のあるときまでは存在理由があった。人間はいつまでも仇を追い続けたりしない、その人間の本性を理解し得たからこそ、仇を撃つべしという規律と倫理を武士道は求めた。いつの時代にも、どの共同体にも、「規制」が存在する。

 ただし、1946年の40歳の安吾はこう言っている。
 「終戦後、我々はあらゆる自由を許されたが、人はあらゆる自由を許されたとき、みずからの不可解な限定とその不自由さに気づくであろう。人間は永遠に自由ではあり得ない。なぜなら人間は生きており、また死なねばならず、そして人間は考えるからだ。政治上の改革は一日にして行なわれるが、人間の変化はそうは行かない。遠くギリシャに発見され確立の一歩を踏みだした人性が、今日、どれほどの変化を示しているであろうか。」

 「人間。戦争がどんなすさまじい破壊と運命をもって向かうにしても人間自体をどうなしうるものでもない。戦争は終わった。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。人間は変わりはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。 」

 「戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄のごとくではあり得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それゆえ愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう。だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人のごとくに日本もまた堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。」

 安吾の「堕落論」は、いつまでも古くならないと思う。
 国の歴史と伝統に由来する良識と常識、それによっておおよその国民が進んで同意する「規制」。それを西部は、一言で言えば保守したいと考える人だと思う。安吾は保守すべきとは言わない。結局人間は「鋼鉄のごとくではあり得ない」から、「武士道」のような「規制」を持たざるを得なくなる。しかし、それが「武士道」である必要はないし、おそらく後生大事に持ち続けるものでもない。人間は「武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう」が、「自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人のごとくに日本もまた堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。」、そう言っているのだ。西部とは違うだろ? 僕はちょっとしつこいな。スキゾフレーニックなパラノイアなんでね。

 安吾は「人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。」と言っているが、僕は安吾のように「鋼鉄のごとくではあり得ない」から、こう言い換えておく。僕は生き、僕は転がる。その事実を事実通りに受けとめて、僕は生きることを生きる。そのこと以外の中に、僕が僕の「自由」を獲得する便利な近道はない。だから・・・
 僕は生き、僕は転がる。その事実を事実通りに受けとめて、僕は生きることを生きる。

 西洋哲学にありそうな形而上学的(?)「自由」。僕が好きなロック・ミュージシャンが口にする「自由」。フリーダム。freedom. ・・・考えることは嫌いじゃないから、また気が向いたら考えますわ。内在的「自由」、外在的「自由」、考え出したら、けっこう面白いと感じるところがあるだろう。とにもかくにも・・・
 僕は生き、僕は転がる。その事実を事実通りに受けとめて、僕は生きることを生きる。僕の、僕の姿勢は、僕の attitude は、そこにある


04年 3月21日(日)   陸自のイラク派遣主力部隊第3派

 陸自イラク派遣主力部隊第3波、約120人が今日の夕方、いつもの通り千歳基地から政府専用機にてクウェートへ。砂漠での訓練後イラクはサマワに行って、イラクの日本陸軍、俗称陸自はイラク復興支援部隊として計約 550人の展開という足し算になります。既に医療支援活動は始めてますが、今月中に、浄水・給水活動や、学校・橋・道路などの補修といった陸自による復興支援活動を開始するようです。

 昨日でアメリカのイラク攻撃開始からちょうど1年。壊しておいて石油等の利権を確保するアメリカと、サダム独裁とアメリカ主導の経済制裁とアメリカとイギリスの侵略による破壊の跡を復興して汗出す金出す場合によっては血も流すアメリカの同盟国という名の従属国。アメリカは勝手に「有志連合」と呼んでだりするが、アメリカ以外の参加国にはどんな独自の意思と意志があるのか。


04年 3月21日(日)   歌を歌う

 今日はゴスペル・ワークショップ。いつもは2週間間隔だが、先週に続いて2週連続。ただし、先週は、僕は頭痛で行けなかった。
 今日は久しぶりに、カーク・フランクリンの Gonna Be A Lovely Day を、クワイアで歌った。ラップの部分は、音楽牧師の先生のお嬢さんと息子さん。これがかなりキマッテた。何回歌っても気持ちいい歌。カークさんの THE NU NATION PROJECT に収録された曲。僕らファミリーは生でも聴いてますねん。 そらもう凄い迫力でありました。
 今日は野球帰りの息子も「見学したい」と言ってついていったが、教会の方のご好意で、途中から歌にも参加した。隣りの親父にはよく声が聞こえてきました。

 帰りはCD屋で、息子が欲しいと言ったクィーンのベスト盤を購入。うちには「オペラ座の夜」しかなかったけど、これで他のアルバムの名曲も聴けます。彼らはドラマチックな曲が得意でありました。ついでに近日発売のクラプトンの新譜 ME AND MR. JOHNSON を予約。クラプトンによるロバジョンのカバー。楽しみです。音楽がこの世にあって、本当に良かった。良いです。音楽を友に、生きている。音楽を友に、生きていく。


04年 3月27日(土)   ニュース・ステーション

 昨日でニュース・ステーションが終わった。妻がビデオ録画してくれてあったので、今日になってそれを観た。久米宏がニュース・ステーションをやり出したとき、彼は未だ40歳だったんだと。これには妙に驚いた。今の僕は43歳だ。ちゃんとせえよ、中年。
 番組が始まったのは 1985年10月7日、僕は社会人ってやつになった年。久米はその時43歳、今は59歳で、今年60歳になるって言ってた。40から60、ばりばりやなぁ。ちゃんとせえよ中年親父。

 フルタチ氏には期待していない。どういうことを言うのか、とりあえず期待していない。久米には批判も根強くあったが、自身をニュース司会者と呼んでいたらしい久米のニュース番組は、やはり群を抜いて面白かった。筑紫じいさんは、どこか新聞の社説みたいにまとめるところがあって、僕は評価していない。フルタチには期待しないが、たまに見てみて、まぁ面白かったら、ときには見ることにしてみよう。

 全然関係ないんだけどさ、先日、クラプトンの新譜 ME AND MR. JOHNSON を買った。クラプトンによるロバジョンのカバー。やっぱええわ。 FROM THE CRADLE はクラプトンにとってある意味エポック・メイキングな力作だったし、あのアルバムは僕も好きなんだが、今回の方が力が抜けているかもしれない。クラプトンのライフはどんどん成熟してきているからね。音楽がこの世にあって、本当に良かった。いやぁ本当に良かった。良いです。お題とは関係ないな。


04年 3月27日(土)   僕は何者にも転向などできない。僕は僕だ。

 僕は今、ニカラグア人だ。ニカラグア国籍を持っている。以前はサンディニスタ民族解放戦線の活動家だった。そのうち、国のビジョンと自分の考えが重なることは将来にわたってないのだろうという想いを強く持つようになり、僕は根気が足りなかったのか暗い内政にも嫌悪感を持つようになり、そして、2年前、僕はコスタリカの国籍を取った。僕はコスタリカに移住したのだ。最初はそう思っていた。
 しかし、移住は半年ともたなかった。僕は実は、うっかり別の国に行ってしまったのだ。国名はよくわからない。慌てて他の国に行こうとしたが、霧が立ち込めて、よく見えなかった。僕には家族もいて、どうしたらいいか慌てるばかりで、そのうち頭痛もひとくなった。霧が消えかかるように見えた時もあったが、渡航許可はもらえなかった。結局、僕は、ニカラグアに戻った。統治者からは亡命するように国を出たと思われていたかもしれないし、その国の統治者が、しかもサンディニスタ民族解放戦線にいた僕の節操の無い再入国を、認める保証はなかった。そもそも、僕は、一度は決意してニカラグアを去ったのに、その国に戻る自分があまりに卑しい人間に思えた。しかし、それでも僕は戻った。僕の再入国は当然のように議論を呼んだと言われたが、最終的に僕の再入国は認められた。僕は、激しい頭痛を治せないまま、ニカラグアに還った。

 今週木曜、僕はサンディニスタの新聞を見た。隣人との間で、新聞記事の一部表現について話した。一部表現がその新聞の目的とどう関係あるか分らないもので、であれば何でこんな書き方をしたのかという、要するに批判だった。その日、法律改正を巡る国民投票があったが、サンディニスタは参選してなかった。僕は、投票した。候補者を信任した。2年前、僕と同じ時期に他国に移住した人間も見た。僕もやや驚いたが(ぼーっとした感じの驚き方だった)、相手もそんな感じだった。つまり、なぜ僕がまたニカラグアに住んでいるのか。彼もまた(また)と考えると余計に頭がくらくらする気がしたが、後で耳にしたところによると、彼は移住した国からのビジネス旅行で立ち寄ったに過ぎないらしかった。僕が移住に成功していれば、立ち寄ったりはしなかったと思うが、やはり移住の経緯は人によって違う。そんなこんなで、僕は何か思い切り沈み込む気持ちを感じ、頭も痛く、その日の帰路についた。僕はその日の信任投票は、なぜだか、それほどには気にならなかった。そのぐらい、というと語弊があるのだが、僕はヤク中だしね、意味なんか不明だよ。しかし、その日のサンディニスタ新聞についてサンディニスタに属さない隣人と話し、しかも一部記事を批判したことが、僕の精神状態に大きな影響を与えたようだった。その一部記事は、元サンディニスタの僕からしても首を傾げるところがあったのだが、ただ、それを口に出して言う自分に、自分で受け容れ難いものを感じたのだと思う。
 帰宅してからは些細なことで家族にも当たり、その日のニカラグアのできごとをメールに打ち、打ち終わって送信した頃には、僕は異様な興奮状態にあったのではないかと思う。そう思ったのは、正確には翌朝だ。僕は眠れず、うとうとしながら可笑しな可泣しな夢を見た。僕は医者で、ヤクの注射を打ってくれと頼みにくる患者を相手にしていた。僕は打ち方が分からず、他の医者に尋ねていた。奇妙な夢だった。結局ほとんど眠れず、そのうち、就寝前にヤクを飲み忘れていたことに気づいた。時既に遅し。それから飲んだら、今度は起きれず、仕事に行けなくなってしまう。そのまま悶々とやり過ごすしかなかった。頭痛がひどい。腕や足が痺れる気がする。それでも僕は起き上がり、何とか仕事に出た。くらくらしていた。夕方までデスクにいた。その後は、僕は4月から同じマナグア市内の別の地区に引っ越すのだが、その地区の人たちの飲み会に誘われていた。頭痛が激しいままに行ったが、そのうちに気分がある程度穏やかになり、そこそこの状態に戻ってから再び帰路についた。

 僕はニカラグア国籍を持っている。しかし、僕のアイデンティティは国籍ではない。僕は僕だ。僕は、僕以外の何者にもなれない。僕は、何者にも転向などできない。僕はずっと僕なのだ。僕という人間は変わらない。変わったと思う人は思えばよい。その思い込みが間違いだというだけだ。僕は僕でしかない。僕は僕のまま、生きているつもりだ。僕は可笑しなことは言っていない。だけど、話は国や国籍に置き換えたよ。面倒な書き方だったな。毎日が生々しいんでね、生々しい書き方が嫌になったりもするのさ。それはそれで面倒だけど、それでも書いた方が僕にはいい。僕に向かって書いてるだけのことさ。それをHTM語で喋って、ちょっと自分を落ち着けてみる。むかしふうに日記を書いて引き出しにしまったりしないよ。それ、僕はしない。
 僕は僕だ。僕は僕のまま生きている。僕は僕のまま生き続ける


04年 3月28日(日)   サンプロ

 何度か目覚めたが頭が痛い。身体が重たい。腕や足が痺れる。昨夜はヤク飲み忘れたりしてないのに。木曜から金曜にかけてのくらくらが今も続いてるのかよー分からん。明日はこんなならんことを願う。いや絶対ならん。しかし今日は起きるのがたいへんだった。11時前になって何とか起き、TVをつけるとサンプロをやっていて、小泉が出ていたが、それはとりあえずどうでもいい。サンプロの紳助が今日でラストらしい。ニュース・ステーションは久米からフルタチになって「報道ステーション」という番組名に変わるようだが、サンプロはそのまま。ただ、紳助の司会は今日で終わりだった。初めて知ったんだけど。最後の方でこれまでを振り返る映像を流していたが、初めの頃は未だ漫才時代の紳助のイメージが強くかなりヤンキーっぽい。改めて、こんなだったかと思った。始めた時は33歳、今は48歳かな。33歳から48歳の15年。これは何だか凄い(ボキャ貧だな)。いつも勉強を欠かさず、忙しい芸能人だが、必ず土曜の夜にスタジオに入って、スタッフを質問責めにして徹底的に勉強したそうだ。初期の頃はずいぶんと勉強のプリントをためたらしい。職業人がプロであるべきならば、紳助のそういう姿勢は職業人としてのそれと言ってよいかもしれない。33歳から48歳。15年もその姿勢を続けたってわけだ。
 来週からは、うじきつよし、らしいけど、どうかね。たまにNHKのBSのロック特集番組で見る程度ですが、とりあえず期待はせんとこう。別に個人的に知ってる人じゃないしねぇ。分からんもんね。TV番組なんて、取り立てて期待しなくてもいいんだろうけどさ、もともと。
 僕はニカラグア人。でも僕は僕。僕は何者にも転向などできない。僕は僕だ。 唐突だな。ま、いいじゃん、僕は唐突なんだ。僕は僕だ。僕は、僕以外の何者にもなれない。僕は、何者にも転向などできない。僕はずっと僕なのだ。僕という人間は変わらない。変わったと思う人は思えばよい。その思い込みが間違いだというだけだ。僕は僕でしかない。僕は僕のまま、生きているつもりだ。僕は可笑しなことは言っていない。とりあえず書いた方が僕にはいい。僕に向かって書いてるだけのことさ。それをHTM語で喋って、ちょっと自分を落ち着けてみる。HTMで喋るのはブーメランを投げることです。むかしふうに日記を書いて引き出しにしまったりしないよ。それ、僕はしない。僕は僕でしかない。僕は僕以外の何者でもない。僕は僕以外の何者にもなれない。僕の人生は僕以外の何者にも生きることができない。僕の人生は僕にしか生きることができない。僕だけに可能です。僕は僕だ。僕は僕のまま生きている。僕は僕のまま生き続ける


04年 4月 4日(日)   3月29日の二郎さん神経科

 バタバタしていて二郎さん神経科日誌忘れてた。本当は金曜に行くところを早めて月曜に行った。金曜は行けなかったし、その前もどたばたしそうだったから、思い切って早めた。
 いつものヤクもらったよ。わるいなりに変わらんもん。まぁつまり、そんな、わーすにもなってないってことさ。おんなじヤクでいいよ。
 二郎さんには4月からのガチョウの話も伝えといたさ。神経に影響与えること大だからな。二郎さんにはもちろん出戻り事情伝えてるから、ニカラグア現政権としては元サンディニスタの活動家をガチョウにするのは何かと都合がいいってこととかもあって、そういうことも気になるんでしょうって言われたさ。二郎さん、そんなふうに神経科のカンジャさんにストレートに言っていいのかい? ってカンジャ当人の僕も分からんのだけどさ、どう考えたらいいのか。もう知らねーよ。ヤクもらって寝るさ。そのうち、何とかなるさ。何とかなるに決まってる。何とかなるよ


04年 4月 4日(日)   今日も歌を歌う

 今日は今月1回目のブラック・ゴスペル・ワークショップ。前回の Gonna Be A Lovely Day の復習の後、同じくカーク・フランクリンの My Life Is In Your Hands の練習へ。GOD'S PROPERTY に収録されてる曲。以前もワークショップで取り上げられたことがあり、2回目です。
 この歌は一昨年の11月に訳した。 あれから、もう1年半近くになるってことか。少しは気は楽になっているのか。心身は楽になっているのか。いや、そうとも思えないな。でも中身は変わってきてるのかもな。生きてるし。生きてくし。
 明日はもう月曜。精一杯前を向いていくようにせにゃならんわけだ。繰り返し、繰り返し、週末を迎えていくのだ。ライ・クーダーさんの方法で、前を向いてみよう。意味分からん。いや、分かる。分からん。表現できない。生きることだって表現なんだから、いいじゃん。そうか、表現できるかもしれん。生きる方法だ。生きることが表現だ。何言ってんだ。何言ってんだって、何一転だ。僕には分からんようで分かる。わかる、わかる。わかりたい。ライ・クーダーの音楽のように生きたい


04年 4月 4日(日)   1972年のライ・クーダー、2003年のジョン・メレンキャンプ

 今月からちょっと仕事が変わった。いや、だいぶ変わった。務まるだろうか。いや、務まらなくてはならない。ちょっと軽い気分で生きていけないだろうか。苦しくなる。いろいろあって、疲れる。しかし苦しんでいたら続けるのがたいへんだ。苦しくないって思う。辛くないって思う。気を楽にしてかからなきゃならない。ならないって言ったら既に肩に力が入っているか。肩に力が入るとどんどん肩がこる。誰か知らない? 肩の力を抜く方法・・・。いろいろある。壁もある。きつい眼もある。どうでもいいと思っても負担にはなってる。気を楽にしてかかろう。気を楽にして。肩の力を抜いてみよう。心は溶けない。心は確かでいる。それでも肩の力を抜いてみる、ライ・クーダーのように。

 金曜の夜遅く帰って来て、駅に妻が迎えに来てくれ、家に着いて部屋に入ったとき、妻がCDをかけてくれた。最初は・・・あれ? こんなCDあったっけ? そのうち、聴いたことのあるメロディ。・・・あれ、これって、今年1月に買って近頃も時々聴いてるジョン・メレンキャンプの昨年発表のアルバム TROUBLE NO MORE に入ってた曲。じゃ、こっちのCDは? ・・・ずいぶん前から持ってたライ・クーダーの INTO THE PURPLE VALLEY 、1972年の作かな。たまたまですが、共にアルバムの 5曲目に入ってる、Teardrops Will Fall って曲。共にカヴァーです。オリジナルは、ディッキー・ドゥー&ザ・ドンツってバンドの 1959年のヒット・ナンバーらしい。

 ジョン・メレンキャンプのカヴァーもいいが、やっぱりライ・クーダーのはもう彼のオリジナルみたいな表現になってる。ライ・クーダー、オリジナルのロッカ・バラッドって感じに聴こえる。ジョン・メレンキャンプで親しみ始めていた曲と同じ元歌の曲が、前から持ってた、うちのライ・クーダーのCDに入ってたなんて。ヨメさん、素晴らしい発見してくれました。
 ライ・クーダーの音楽みたいな「方法」で人生を生きたいんだけど、それってどうしたらいいんでしょう。僕の人生の「方法」に置き換えると具体的にどうなるのか、それは分からん。でも、気持ちはそれでいきましょう、ライ・クーダー


04年 4月10日(土)   イラクで日本人3人誘拐

 有り得ると思われていたことが起きてしまった。フリー・ジャーナリスト、NGO、ボランティアの3人が、反米抵抗運動をするグループと思われる者たち(しかし何者なのかはあまりに不確かだ)によって誘拐され、人質になった。自衛隊を撤退させないと殺すとのメッセージが届いている。後者の2人はイラク人支援活動が目的でイラクに入り、女性の方は以前からイラクのストリート・チルドレンの支援を、組織でなく個人として続けてきた人だ。前者のジャーナリストも、これまでアフガン取材を含み、社会的弱者の実状を、写真を通して伝えようとしてきた人だ。3人全てがアメリカのイラク攻撃に反対・批判していた人たちだろう。新聞に自己責任と書いてたシキシャもいたが、僕はそんなふうに思わない。自衛隊よりも、ずっと彼らの方が、真にイラクの民の側に立って彼らをサポートしていた、しようとしていた人たちに違いないと考える。僕はそう想う。影響の大きさは比較してもあまり意味がない。彼らのような人たちがこんなふうに巻き込まれるのはあまりに皮肉だ。

 テロに屈するなというが、そもそも自衛隊は建前ではテロとの戦いに行ったのではないし、もともと現状での自衛隊派遣は誤りだったし、最初からアメリカのイラク攻撃を支持したコイズミ日本政府が誤っていたのだ。こういうことが起きるから言われることでなく、最初から多くの人が指摘していたことだ。
 日本政府はいきなり「自衛隊の撤退はない」とのメッセージを出してしまったが、全く馬鹿げている。人質を取られている以上、限られているかもしれない時間のなかで駆け引きをしなくてはいけないはずだ。全く日本政府は愚者の政府だ。
 政府や家族がアルジャジーラの取材を受けた。政府はもっと早く、家族の声を、そして3人がイラクの民を自衛隊と違う立場で支援していた、しようとしていた人たちだということを、イラクに届くメディアを通して訴えるべきだった。しかし、間に合わせなければならない。間に合わなければならない。とりわけ家族からのメッセージにより、彼ら3人がイラクの民の側に立ち活動していたことを犯人たちが重く受けとめ、彼ら人質になっている人たちが無事解放されることを願う


04年 4月10日(土)   補助金団体で働く者のアティチュード

 補助金団体は予算規模を小さくすると翌年の予算を所管官庁から減らされると言われる。だから、予算維持もしくは予算増は至上課題。予算は確保する。だから、予算執行上、結局カネを余らせそうになると、何とかして使い切ろうとする。使い切れなければ、とにかく余る額を少しでも減らそうとする。そこで、年度末に無駄遣いをする。3月の道路工事とおんなじだよ。まぁ用途はある。だけど、長期的視野なんかに立ってない。1、2年でお役ご免になるような機械でもソフトでも、そのくせそれが 2,000万以上のカネをかけようが、とにかくカネを使う。モノを買う。ま、団体によれば、何億だってやりますか。
 そう遠くないうちに無駄になるのに、そのうえ大した合理化にもならないのに、そのうえ反って面倒になったりもするのに、おまけに導入に無茶苦茶な労力と人件費を投入することになるのに、それがなければ他の本当に意味ある仕事により多くの時間を割けるはずなのに、それでも無駄ガネ使って買ってしまっていたらもうダメだ。何とか使えるように、シチ面倒くさい打ち合わせなり説明なり関係部署へのお詫びなり、なんだってやらなくちゃいけない。

 昨日の僕は、もう4月になってるのに、僕の手で3月の日付を入れて契約書を交わしたよ。5月末にソフトが完成する予定なのに、ソフト込みの納品日の欄に、僕の手で3月31日と書いたよ。これは3月に行なわれていた決定だ。僕はこの部署に4月1日から来ている。

 これからもずっと、僕の部下に当る有能な課員がこのことに振り回され、あたら貴重な時間を費やす。彼ならもっと有意義な仕事が本当はできる。僕もこれに多くの時間を取られ続ける。事情を知らない他の部署からは、なんでこんなもの導入したんだってブーブー言われるだろう。

 僕が関われる間にこんな話が来たら、絶対に僕は拒否したい。なんて馬鹿らしい話なんだ。僕は拒否して処分された方がマシだ。降格されたって給料落とされたって、こんな馬鹿な話は拒否したい。年度末の意味ない道路工事はご免だ。そのうえ4月に入っても5月になっても振り回される。意味ある仕事に時間も割けず、それでも毎日深夜残業。息子の顔は朝しか見ない。メシ食うって言ったって、家族の顔が見れてナンボのもんだ。ふざけるな。僕は出戻りの大馬鹿者ものさ。だけどロックなアティチュードは失わないつもりだ。僕が生きるのは、そうやって生きるってことなんだ。生きることは表現行為なのさ。僕は出戻りの大馬鹿者さ。それでも僕は僕の一線は考えるつもりだ。死守するとは言わないよ。生きながらに主張するつもりだ。大馬鹿者だろうが何だろうが、僕は言うことは言いたい。僕には僕の流儀がある。流儀はいつも引き出しにしまったりはしないつもりだ


04年 4月11日(日)   生きているうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言

 こういうタイトルの映画があったな。僕が未だ学生の頃に話題になった映画だと思う。邦画だよ。

 なんて馬鹿らしい仕事のやり方だ。なんて馬鹿らしい税金の使い方だ。なんて馬鹿らしい年度末道路工事だ。なんて馬鹿らしい、年度末急に工事した道路の翌年度に入ってからの七面倒くさい整備作業だ。この道路は、いずれ要らなくなりにけり。そして、そのうえに、なんて馬鹿らしい目標設定だ。目的はどこにある? ミッションは共有されているのか? 課題の認識は共有されているのか? 何かまともな議論はしたのか? 本当に、意味ある目的あっての目標なのか。目的の自己目的化、というか、目標の自己目標化になってないか? おい、完全にそうなってるよ。絵に描いた餅を並べて美味しいか。しかも中に何が入っているか分からない餅だぜ。ま、絵だしな。
 意味のない労働強化を受けるよりは処分された方がマシだ。降格されたって給料落とされたって、こんな馬鹿な話よりマシだ。だけど、どうしたら、この壁を崩して、まともな仕事ができる? どうしようか。

 息子の顔は朝しか見れない。ふざけるな。メシ食うって言ったって、家族の顔が見れてナンボのもんだ。
 疲れ果てて帰宅する。社会への窓も開けられない。土曜も日曜も疲弊している。仕事に手を出す。ふざけるな。おい、ふざけるな。僕は機械じゃない。なぁ、チャップリンさんよ、僕は機械じゃない。僕は息子とキャッチ・ボールがしたい。僕は妻と散歩がしたい。僕はギターを弾きたい。

 人間は仕事をして糧を得て生き、社会性を持って生き「会社」だけでない「会社」の外の社会に関心を持って社会に参画し、そして愛する伴侶があれば伴侶と共に過ごす人生があり愛する子供がいれば愛する子供を愛情を持って育て成長を見守り成長を支援する。人間の役割は「会社」の仕事だけではない。人間の生きる目的は「会社」の仕事だけにあるのではない。当り前だ。それは出戻り大馬鹿者社員にとっても同じことだ。なぜか。出戻り大馬鹿者社員も、出戻り大馬鹿者社員である前に、一個の、一人の、人間であるからだ。
 僕は出戻り大馬鹿者社員だが、それは認めるが、その前に人間なのである。ふざけるな。おい、ふざけるな。出戻りの大馬鹿者だろうが、僕はロックなアティチュードは失わないつもりだ。僕が生きるのは、そうやって生きるってことなんだ。生きることは表現行為なのさ。僕は出戻りの大馬鹿者さ。それでも僕は僕の一線は考えるつもりだ。死守するとは言わないよ。生きながらに主張するつもりだ。大馬鹿者だろうが何だろうが、僕は言うことは言いたい。僕には僕の流儀がある。流儀はいつも引き出しにしまったりはしないつもりだ。
 生きているうちが花なのよ、死んだらそれまでよ。  生きているうちが花なのよ。 _