01年 7月30日〜 9月16日

最近の子供はどうか分らないけど、今の大人の多くはガキの頃に日記を何日か書いた経験があるのでは?
斯く言う私もその一人、当然この日記も不定期です。 (2001年8月19日、記) 

01年 7月30日(月)   昨日の参院選って?

 何だったのかねぇ。 まぁ既に予想はされてたわけだけど、与党の大勝っていうより自民党の一人勝ちってとこか。 春の自民党総裁選で小泉以外の候補が選ばれていたら、結果は間違いなく逆、自民党の惨敗だったはず。
 正真正銘、小泉人気(と真紀子人気?)だけによる結果ってわけだ。
 彼の言う「構造改革」に対する支持? いやちょっと待ってくれ。 小泉が総理になってから何か具体的な政策が実行されたのか? 「構造改革」の各論レベルの具体案が参院選前に発表されていたのか? 答えは否だ。
 そもそも小泉は既に自民党総裁にして日本国総理大臣、真紀子にしたって既に外務大臣だ。 参院選は小泉や真紀子を選ぶ選挙じゃない、もう彼らは選ばれてんだよ。 今回の選挙は参議院議員を選ぶ選挙だってことを、どれだけの日本人が冷静に考えたんだろうか? 自民党の候補を見てくれ。 選挙戦を裏で仕切ったのは橋本派幹部の青木幹雄・参院自民党幹事長、結局は橋本派候補が多数当選し、同派が極めて優位に立つ派閥の構図は何も変わっていない。

 これまでの失政の責任が何も明らかにされないまま、また、不良債権などに関する官・財の責任追及が何もなされないまま、ただ国民に「痛み」の共有を訴える。
 小泉の靖国参拝など思想も何もなく、ただ「純粋に」人は死んだらみんな仏なんだから、みんな一緒に慰霊したいって、そりゃ我々パンピーが自身の親族身内を悼む論理そのまんまだよ。総理がそれ以上の何も付加されない論理を政治の世界で貫徹する、そのどこがグローバルなんだ。 「靖国」と「国立墓地」の論理的区別も出来ない考え方なんか、国際社会じゃ絶対に通用しないって!

 とにかく参院選は終った。 昔から言い尽くされてることだけど、少なくとも形式的には民主的な制度がある以上、その国の政治はその国の民度を象徴するって言われてもやむを得ないだろう。
 小児病大国日本。
 信頼出来る政党がみつからないって? 自民党中心の政治にはもう懲りたはずだったじゃないか。 何回繰り返せばいいんだろう。 俺は少なくとも自民党には入れなかった。 しかし「日本」からは逃げられない。


01年 8月12日(日) 昼   日本のメジャー(!?)、近鉄を応援する

 朝出発して大阪へ。息子が好きな近鉄の応援に、大阪ドームでの西武戦を観戦。あいにく中村やローズのホームランは出ず、西武のカブレラが特大ホームランを打ったりしたが、試合自体は何とか近鉄が勝利。良かった、良かった。
 もともと自分は中日ファンだが、今年の中日は不甲斐無いし、大体セの野球は、巨人の金持ち大味野球のせいでツマラナイ(今年は中日はあきらめて、アンチ巨人としてヤクルトを応援している)。日本の野球は既にパの方が面白く、スピード、パワー共、セなんかよりもメジャーの雰囲気だ。本当のメジャーは、もっと試合展開もスピード感があって上だけど(TVで観てるだけ)。

 ところで、やっぱり日本のあのドンドコの応援はいただけないな。野球観戦そのものを本当に楽しんでいるのか、大いに疑問だ。それと、今日は実は雨が時々降ってドームで助かった面はあるんだけど、これもやっぱ本来は屋根が無い方が気持ちいいだろうな。
以上、二十数年ぶりに球場で野球を観た一中年の感想。


01年 8月12日(日) 夜   カーク・フランクリンをブルーノートで体験する!

 ブラック・ゴスペル、コンテンポラリー・ゴスペル界のリーダー的存在、カーク・フランクリンのライヴを観に(聴きに)、ブルーノート大阪に行った。これが今回の大阪行きの第一目的、つまり、これがなかったら今回大阪に行ってなかった。カークの初来日は大阪と福岡のブルーノート(は東京にもあるのになぁ)のみの公演、どうしても観たきゃ大阪に行くしかなかったってわけ。

 で、どうだったかというと、全くの期待通りのライヴ(不満は時間が1時間で、もっと長く楽しみたかったという一点のみ。もっとも一晩2回公演だからねぇ)。期待以上と言ってもいいんだけど、もともと期待がメチャクチャ大きかったから。
 メンバーはカーク以外のコーラスが女4、男1(少なくとも女の方は全員ワン・ネイション・クルーのメンバー)の5人、バンドはギター、ドラム、ベース、それにキーボードが2人の計5人。
 カークは登場して間も無くステージ前のファンの求めに応じてCDにサインするわ、ファンを抱きしめちゃうわで、やたらと陽気、その陽気さそのままにノリノリのライヴを観せてくれた。客は自然と立ち上がるしダンスするし手拍子するし、果てはカークに乗せられて激しいジャンプまでやってしまう(店は大丈夫かよ!)。途中ファンをステージに上げてちょこっと歌わせたり、カーク自身は歌ったりラップしたり、あるいは不意にキーボード弾いてしまったり、バンドメンバー一人一人がダンスをみせたり(特別に上手いわけじゃないんだけど)、とにかくエンタテイメント精神、サービス精神旺盛だ。もちろんコーラスは美しいうえにド迫力、それぞれがソロを取っても見事にキマッテる。

 カーク・フランクリンとは何者か? 教会をも批判するラジカルなクリスチャンにして一流のエンタテイナー、クワイヤやコーラス、バンドのパワーを引き出すことが出来る指揮者にしてオルガナイザー、そしてある時は一流のアジテイター。とにかく強烈な存在感だ。あんなパワフルな人って、そうそういるもんじゃない。とにかくノレて楽しめる、その場の人間にエネルギーを分け与えてくれるような、濃密なステージだった。

 ただし料金には一言。1ステージ8,500円は、カークの超人的な(!)素晴らしさとは別に、基本的に高過ぎるのではないか。1時間前から入って飲み食いし(もちろんこれでまた出費がかさむけど)、ライヴの後もしばらくは余韻を味わっていれるものの、こういうエンタテイメントがもう少し安くならないと、日本のカルチャーはなかなか育たないんじゃないか。普通のコンサートのチケット代も然り。渡航費ってものがあるにしても、例えばニューヨークのブルーノートだったら、いくらぐらいなんだろう。


01年 8月13日(月)   ユニヴァーサル・スタジオ・ジャパンに行ってみる

 そんなやたらと大阪に来ることもあるまいってわけで、ユニヴァーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)に行ってみた。時期が時期だけに混んでいた。いや、この写真じゃよくわからないだろうけど、確かに混んでた。でもディズニーランドなら、普通の土日でいつもあんな感じなのかな? ディズニーランドだって1回しか行ったことないんだから、自分にはよくわからない。
 ディズニーランドの方は、アメリカ本国以外はフランスにもあるようなんだけど(あのフランスがよくも受け入れたなぁって思うんだけど、本当にフランスにあるんだっけ?)、ユニヴァーサル・スタジオの方はどうか? まぁとにかく日本はアメリカのカルチャー大歓迎だから、何だってOKだろうな。
 というのは皮肉込めて言ってるんだけど、でもやっぱりアメリカのパワーは凄いよね。自分の場合は映画の方はそんなでもないけど、音楽の方は、アメリカが無い世界なんて考えられない。場内のそこかしこでドゥービーやオールマンなどのもろアメリカンな音楽がかかったり、コーラス・グループが生でオールディーズ聴かせてくれたりすれば、もうゴキゲンな気分になってしまう。

 肝腎のUSJの主な出し物(?)なんだけど、混んでてメジャーなヤツはBACK TO THE FUTURE モノしか入れなかった(9時過ぎに予約して、入ったのは3時間半後)。激しい揺れの中での恐竜や火山などの3Dな映像はけっこう迫力あったけど、終ってみたら、やっぱ実はクルマはドライヴしてなかったかな。
 他には場内でやってる俳優のパフォーマンスとかも面白かった。ただ、共に1回ずつの経験だけで言えば、全体として、エンタテイメントとしては今のところディズニーランドの方が上だと思う。ちなみにスタジオ・パス(って言ってたような・・・、ディズニーのパスポートに当るヤツ)はJRの緑の窓口でも買えることになってるけど、この日のはもう無かった。で、現地(入り口)で並んで当日分を買ったわけだけど、売り場が沢山あるので、並んでる待ち時間は気になる程ではなかった。


01年 8月15日(水)   靖国についてもう一度

 7月30日の日記でも少し触れたけど、もう一度、繰り返し「靖国問題」について。

 靖国神社は、明治維新直後の1869年に東京招魂社として設立(明治元年1868年 - 1869年の戊辰戦争の官軍側の戦死者を慰霊するため明治天皇の勅命で創建=この括弧の中は2005年 8月16日に追記)、その10年後に靖国神社と改称されたもので、決して神道の伝統を代表するような神社ではない。戦前の靖国は「皇軍」の下で「国のため」すなわち「天皇のため」に戦った死者を祭り、戦意高揚に一役買ったが、250万人弱と言われる祭られた死者のうち210万人強が日中戦争以降の戦没者。

 靖国神社が霊璽(れいじ)簿に名前を載せれば合祀されたことになり、当時、言わば無理矢理「日本人」にさせられて戦地に送られた韓国・朝鮮人の旧日本軍人も、その遺族の意思も無視されたまま、祭られている。そして、驚くべきことに、戦後の、韓国・朝鮮人遺族の「外してくれ」という要望すら、靖国は「いったん合祀した英霊を外すわけにはいかない」として拒否している。また、'78年10月のA級戦犯14人の合祀が「問題の一つ」(しかし「一つ」に過ぎない)とされるが、これも遺族に知らされないままに靖国によって行なわれ、祭神とされたものである。
 一方で、靖国には西郷隆盛を始めとする、時の政府に国賊とされた「日本人」は祭られていない。そこには、後の歴史の評価と関わりの無い、「官軍」の論理があるだけである。

 例えば中曽根('85年8月15日に戦後の首相として初めて公式参拝、しかし中国・韓国の猛反発を受けて翌年から中止)はリッパな(?)思想的「確信犯」で、良くも悪くも(私の考えからすれば「悪い」)右翼としての思想を持っていた(靖国に関して)と思われる。しかし、小泉の靖国参拝などには思想も何もなく、ただ「純粋に」人は死んだらみんな仏(靖国では仏でなく神なのに)なんだから、みんな一緒に慰霊したいって、そりゃ我々が自身の親族身内を悼む論理そのまんまである。靖国の歴史を考えるならば、総理が総理としてそれ以上の何も付加されない論理を(靖国に対して)政治の世界で貫徹する、残念ながら、そこには現在の国際社会を支配する論理性はひとかけらも認められない。まして、小泉の行動には、「靖国」と「国立墓地」の論理的区別も全く見られない。

 今も日本は、諸外国にはほとんど存在する、外国からの客からも、当り前のように外交上の 儀礼を示してもらえる国の「墓地」を持ち得ていない。国立の千鳥ヶ淵戦没者墓苑は無名の戦没者を慰霊するために作られ、約35万柱の遺骨が眠っているというが、8月15日の政府主催の戦没者追悼式の会場となる以外は、靖国と比べ、とりわけ保守政治家達から不当な扱いを受けている。

 欧米だってぞんぶん他国を侵略し、そして帝国主義戦争をしたではないかという人もいるが、自分はそういう主張に対しては、まずは自らの在り方を正せという主張で十分だと思っている。それ以上の議論はそこから先にあるべきものだ。
 8月7日の朝日新聞の朝刊に、1922年生まれで、'40年12月から4年半にわたって軍隊生活を送り、中国、フィリピン、ベトナムを転戦、命からがら日本に帰って来た、それでいて、戦後「軍人恩給」の受給を拒否してきた元日本軍・陸軍軍曹の、総理の靖国参拝を痛烈に批判する文章が掲載された。その文章はあまりに痛烈で、この問題を語るに十分過ぎる程のものだった。

 戦後50年を優に超え、新世紀に入りながら、未だ先の戦争が総括出来ていない日本。
ここには、戦前ではなく、戦後の日本の「不幸」の一つの象徴がある。自分自身は、こうした戦後の日本の在り様を恥ずかしく想う日本人の一人だが、しかし「日本」からは逃げられない。

 戦前の時代に半生を過ごし、今も親族の慰霊の為に靖国を訪れる人々の純粋な心情は決して否定しない。そんなことは出来るものではない。
 しかし、戦後、連合国軍総司令部の指令で一宗教法人になった靖国だが、他に何が変わったと言えるだろうか? 時の政府の公式的な庇護の有無、それ以外は一切、戦前と「連続」している靖国、ここに現在の為政者が参拝することを、私は愚かな行為以外の何物でもないと考える。

 結局、小泉は15日を避けて、13日に参拝した。しかし、ことの本質は何も変わらない。本人の「純粋な」(?)心情にも関わらず、姑息な方法というしかない。


01年 8月31日(金)   南北線ぶらり途中下車の旅

 今日は息子の夏休みの最後の日。仕事を休み、電車好きの息子のリクエストで、親子3人で「南北線ぶらり途中下車の旅」に出た。
 日テレ系で土曜の午前に放映している「ぶらり途中下車の旅」、あれが息子は小さい頃から好きで(あの番組は大人も結構楽しめる)、この頃は実際には番組そのものはあまり観なくなったけど、我が家版「ぶらり途中下車の旅」を実行するのは今も大好き。これまでもいろんな路線でやってるが、今日は南北線。まずはいくつか乗り継いで東川口駅まで出かけ、埼玉高速鉄道に乗り入れている南北線車両に乗って駒込駅下車。

 駒込では、以前遊んでた音楽スタジオを覗き、その後は当時行ったことのあるレストランで昼飯。「クロンボ」って店なんだけど、ここでは敢えて(?)難儀な差別語論議は横に措き、(たぶん)老夫婦の経営する洋食屋さんの洋食を楽しむ。息子はカレーライス、母はオムライス、父はハンバーグとコロッケ、みんな美味かった。
 次に下車したのは息子の発案で飯田橋。ぶらりと歩いて、イイ店をみつけた。店の名前は BASE MAN 、野球グッズを売っていて、1F が日本、2F がメジャー・リーグ、2F で何故か日本モノも含めてカードが売られていて、近鉄ファンの息子がローズと前川と磯部、父がせっかくだからと今年ホームランを量産中で記録更新の勢いの SFジャイアンツのボンズのカードを購入。お店のきれいなお姉さんは、本当に野球やメジャーが大好きって雰囲気で、感じもすごく良かった。各チームのヘルメットやグラブ、野球帽などはもちろんのこと、レアもの込みで各種グッズを売っていて、おそらくマニアにはたまらない店。
 次は溜池山王。ふらっと歩いて、テレ朝やサントリーホールのあるアークヒルズへ。テレ朝に入ろうと思ったが、やっぱ、ぶらっと入るのは無理だった。 ANDERSEN(だったと思う)でパンやピザ、ゼリー、カプチーノ、ジュースなど買って、しばらくテラスで休憩。その後歩いて、六本木一丁目から乗車。
 次は南北線の終点、目黒で下車。ふらふら歩いて、世界の酒と食品の店(?)、信濃屋という店をみつけ、そこでイギリスのギネスと、ドイツのレーベンブロイの瓶ビールを買った。目黒からは山手線で渋谷へ。
 もう南北線じゃないけど、とにかく渋谷をぶらり。相変わらずの人、人、人・・・。息子はともかく、我々夫婦は、高齢化社会日本では未だ未だほんの若造でも、この街ではもうほとんど見かけない年齢層だ。それでもメゲずにセンター街へ、目的の HMV でカーク・フランクリンのビデオを探すも残念ながら無し。代りに(?)、未だ持ってなかったカークさんの CD 、GOD'S PROPERTY を購入。帰路、わりと近くにタワー・レコードがあったことに気付いた。タワーさんなら、カークさんのビデオもあったかも。まぁイイか、そのうちオンライン・ショッピングででも買おう。

 夕飯は我が家の最寄駅付近の居酒屋にて。息子はかなり楽しかったみたい。親ももちろん楽しんだ。ぶらり途中下車の旅、これはけっこうイケます。次はどこの路線か? いずれまた、息子が何か提言(!)してくるはず。


01年 9月 9日(日)   王の記録は聖域か!? ― 巨人主義者、徳光の問題発言を斬る! ―

 3チームによる首位攻防の中、我が近鉄はまず西武戦に 3連敗、続くダイエー戦にも 2連敗。打撃はメジャー級の近鉄だが、残念ながら投手陣は貧弱(抑えの大塚以外は)、優勝するのはかなり難しそうだ。昨日などはローズが51、52号(5打数4安打 5打点)、中村が40号と、主砲が 3本のホームランを打ちながら、試合には負けてしまった。
 しかし、今日書きたいのはこのことではない。

 今朝たまたま観た日テレの「ザ・サンデー」という番組で、徳光が、ローズが王の日本記録(55本)を破る可能性が出てきたことに触れ、なんと! 以下のような発言をしていた。
曰く、

「こう言ってはローズさんに失礼ですが、私はローズ選手の身長も体重も出身も知りません。そういう人に、あの王さんの記録が破られてしまうと思うとどうも・・・」

 ウルトラ巨人主義者の徳光とはいえ、おそらくは軽い気持ちで言ったのだろう。半ば以上は冗談だと言うかもしれない。
 しかし、こんな下らない発言は、公共の電波に乗せるもんじゃないぜ。「国粋主義的」巨人主義者(この人達は、日本の野球=巨人「軍」だと信じて疑わない)が、赤ちょうちんで酒でも飲みながら言うのなら許そう。しかし、いくら巨人を公式に応援する局のプロパガンダ番組とはいえ、今の時代にあそこまで排外的な、下らない発言が電波に乗っていいのか!?
 ローズは既に王の当時のペースを上回り、現在打点と共に 2冠王の可能性がある。打率も 3割3分を超えている。チームも、現時点でも優勝争いに残っている。そして、今年の試合数は、王が記録を作った当時と同じ 140試合。ローズの快進撃は、誰からも文句の言いようが無いものだ。
 徳光が「ローズ選手の身長も体重も出身も知りません」と言うのなら、一流アスリートであるローズに敬意を表し、あの偉大な王の記録に迫りつつある「ローズとはどんな選手か」ほんの数分間でも特集を組んだらどうなのか。あるいは、以前、阪神のバースが王の記録を破ろうとしていた時に、試合の成行きに関係あろうが無かろうが、彼のガッツに敬遠の山で応えた日本球界を改めて想い起こし(結局バースは 130試合を54本で終了)、今回は決してあんな恥さらしな事態が繰り返されないよう、番組で警告を発したらどうなのか。本当に徳光が王の記録に敬意を表したいのなら、今朝のような馬鹿げた発言は、冗談だろうが軽はずみだろうが、絶対にあってはならないものだ。

 思い出しても胸くそ悪いので、この件はこれまで。
 今日の近鉄は良かった。中村の 2本のホームラン(41、42号)で 5対0 だったのが同点に追いつかれてしまったところまではいつもの近鉄らしいパターン、その後、炎の男、タフィー・ローズの53号で勝ち越しても未だ心配だったが、今日は抑えの大塚が 8回から登板、2イニングを見事 6人で完璧にシャット・アウトした。何とかこの勢いを持続してくれればいいんだけどなぁ・・・。


01年 9月15日(土)   アメリカ同時多発テロについて

 9月11日に起きたアメリカ同時多発テロから 4日経った。衝撃を受けたこの出来事について、ここで何もコメントしないわけにはいかないと考えている。無差別テロには全く正当性がないが、背景には、パレスチナ問題を中心とする中東の問題(そこには 3大宗教の聖地エルサレムの帰属の問題も含まれる)へのアメリカの姿勢もしくは関与に対する憎悪があるだろうことは、十分に想像がつく。しかし、この絶望的な悲劇について、考えはまとまらない。
 私が(当時の)ソ連、ヨーロッパ、中東、アジアを旅したのはもう20年近く前だが、その時に逆方向から旅してきてヨーロッパとアジアが交差するイスタンブールで同じ宿となり、それ以来のつきあいとなる友人がいる。
 この、何とも整理しようのない悲劇について、考えのまとまらないままに書き綴ってその友人に送ったメールを、そのままここに掲載しておこうと思う。今、時間をかけて考えを整理する、出来る自信はとてもない。


 あの日は俺の誕生日で、早く帰宅するつもりだったのに遅くなって、10時頃に妻の作ったケーキを3人で食べた。その後シャワーを浴びてテレビをつけると、飛行機が高層ビルに飛び込むシーンが流れていた。一瞬とんでもない事故だと思い、しかし直ぐにテロだと知った。

 確かに戦慄した。顔が見えない、しかも自爆を厭わない、知識では判っても、実際には我々の理解を超えている。

 テレビでは、今回の大惨事を知って歓喜する、パレスチナの群集の映像も流された。悲しい気分だった。我々が戦慄する、そしていたたまれない気分になる、「普通の生活」をしている人間の生活や命が奪われたことを知って喜びを抑えきれない、これは我々「普通の生活」をしている人間からすれば、明らかに異常な心理状態だ。しかし、彼らは我々が持っているような意味での「普通の生活」をしていない。

 彼らは「普通の生活」を奪われ、何百何千という命が繰り返し奪われてきたが、世界は今回の大惨事ほどには彼らの境遇を注視してこなかった。占領地パレスチナを 3週間ほど旅行したのはもう20年近くも前のことだけど、その後、彼らの境遇に何か変化があったか。そして、その前は?
この数ヶ月、数年単位で言えば、むしろ悪くなっているかもしれない。いつもほんの一瞬だけ希望を抱かされ、そして絶望の日々が続く。

 しかし一方で、この間に他の大半の世界は大きく変わった。彼らは取り残されている。

 旅行して学んだのは、日本では「紛争の地パレスチナ」と一言で括ってしまうかの地にも、悲しみや怒りだけでなく、喜びや笑いがあり、人間の誕生があり、成長があり、人生があり、そして、結局「普通の生活」が、日々の生活があるに違いないという事実だった。それは、考えてみれば当り前のことだ。
 しかし、彼らの「普通の生活」は我々の「普通の生活」ではない。うまく言えないが、彼らは尊厳を奪われている。飛び立つ自由を奪われている。直接的にはイスラエルによって、そして世界によって。

 それでも、やはりパレスチナの人々の日々の生活の中にだって、喜びや笑いはあるはずだ。
 そこで思うことは、では自爆する「彼ら」はどうなのか。彼らの生活にも、アラーの神への絶対的な帰依の他に、家族や恋人、友人などに対する愛情、親密に想う気持ち、それに伴う喜びや悲しみはあったのだろうか。
 自爆する「彼ら」のそれまでの人生は、日々の生活は、どのくらいパレスチナ人一般と違っていて、何が同じだったのか。
 わからない。
 生きていることに意味を絶対的に見出せない世界観を、持たざるを得ないということなのか。
 自爆する「彼ら」の人生や日々の生活は、我々のそれとどのくらいかけ離れていたのか。
 何か比較することに意味があるのかさえ見当がつかないが、自爆する「彼ら」の人生や日々の生活は、では例えば、戦前の日本の特攻隊に志願した一部の若者と何が同じで、何が違うのか。いや、そもそも共通点など何もないのか。
 わからない。

 アメリカの中東政策は明らかに誤っていると思う。イスラエルのパレスチナ占領政策も、入植政策も誤っている。アメリカはあまりにイスラエル寄りに、ことを進めてきた。イスラエルを自制させることが出来る外部の力は、アメリカにしかない。しかしアメリカは何もしなかった。

 それにしても、と想う。
ハイジャックされた旅客機から携帯電話で母親に I Love You と伝えたもの、
テロリストと格闘した乗客、
冷静な判断でテロリストの座席番号を連絡してきたスチュワーデス、
崩壊する前の世界貿易センター・ビルから夫に携帯で電話連絡し、悲痛な声で「ビルから出られない」と伝えたうえで、やはり I Love You と声を振り絞った妻、
救助に駆けつけてビルの崩壊に巻き込まれた多くの消防隊員、
・・・・・・
みんな死んでしまった。
彼らに殺される理由があったはずがない。少なくとも、テロリストでない我々からすれば。

 アメリカは報復する。多くの国々が協調する。一部は共同行動する。
日本は集団的自衛権を憲法が認めないとして、しかし、何らかの後方支援はするだろう。
 ところで、集団的自衛権の行使に対して後方支援することは、イコール集団的自衛権の行使でないのか。そうでないとすると、それは単なる言葉の遊びでしかない。目的が明らかに同じなのに、後方支援は別の行動形態です、だなんてブラック・ユーモアにしか聞こえない。
 かと言って、パキスタンやアフガニスタンに対する外交努力もしないし、その能力もない。何もしないし、出来ない。何かする術がない。お金は出せる。
おそらく日本はまた世界から軽蔑されるだろう。
軽蔑されるのは「意気地無し」だから、ではない。特定の意思が感じられないからだ。悪意も善意も希薄だ。

 欧米で、アジアで、アフリカで、世界の多くの国々で、今回の悲劇に対する公式の意思表示が行なわれた。犠牲者に対する公式の黙祷や追悼が、また国によっては追悼式典が、テロに対する抗議集会が行なわれた。

 確かにこれまで、アジアや中東、アフリカの悲劇は軽視されてきた。世界は明らかに不公平だ。

 しかし、やはりそれにしても、だ。日本はあまりに、感情がない。社会として、体温を感じられない。公式な哀悼もない。自然な集まりもない。原因なのか、結果なのか、そのどちらでもないのか、日本は蚊帳の外だ。いいことなのか、悪いことなのか、そのどちらでもないのか、そして、これからもそうなのか、そうい続けられるのか。
 わからない。

 テロは過激な思想の爆発であると共に、絶望の淵に追い込まれたものの、他者を何も思いやることのない、出来ない最終手段であるのかもしれない。
 テロが許されない行為であることは、我々には間違いなく言えるが、しかし、一般にテロという行為と、いわゆる無差別テロは、さらに区別すべきなのかもしれない。

 無差別テロはこれ以上ない、救いようの無い絶望的な行為だ。何も解決しない。憎しみの連鎖を生むだけだ。
 それに対する報復も、何も解決しない。憎しみの連鎖を生むだけだ。

 結局、どこかで抑圧されているパレスチナ人の解放が、救いが無ければ、憎しみの連鎖はいつまでも続くのではないか。

 自爆テロは、宗教的な、一種の興奮状態による行為なのかもしれない。確かに、背後にはイスラム原理主義の勢力があるのだろう。
 しかし、原因は宗教そのものだろうか。
それは違うと思う。本当の原因は政治であり、経済でもある。少なくとも、そうだったはずだ。
宗教の信条、思想そのものが、最初から対立しているわけではない。

 これから何かが解決に向かうのだろうか。
向かうとしても、おそろしく、まさしく恐ろしく、時間がかかるに違いない。


01年 9月16日(日)   再び、アメリカ同時多発テロについて

 再び、アメリカ同時多発テロについて、やはり友人へのメールをそのまま掲載する。


 アメリカによる報復は避けられないだろうが、相手が首謀者や支援国家に留まらないことも、アメリカは十分に認識しているはずだと思う。
 しかし、こんな戦争は終結可能なのか。戦争によって問題を解決することは可能なのか。
21世紀の戦争という通り、20世紀の「近代の戦争」とは違う。国家間の戦争にはならないし、もともとアメリカを攻撃しているのは国家ではない。テロを正当化することは出来ないが、自爆テロという形態が出て来てしまっている以上、戦争でこれを抑えることは不可能ではないか。彼らは20世紀型の「近代の戦争」に勝利することなど、最初から目的にしていないのだ。

 テロリストはテロリストとして生まれてくるわけではない(厳密に言えば、テロリストとして育てられるということは有り得る)。
 テロを生む、継続的な憎悪の感情を生む、その背景となる絶望的な閉塞感のある彼らの世界を変えること、そのことに世界が手を差し延べること無しには、この「戦争」は終結しないのではないか。彼らの世界が変わらないまま、憎悪の感情やテロの計画を察知し、外部の世界の倫理や物質的な力でテロを抑え込むことが不可能である以上、何か他に方法があるとは思えない。


 日本は遠い。日本人は今も地理的な距離のままに「遠い」と思っている。しかし、実は、グローバリズムという言葉が世界に普及するずっと以前から、日本は世界の隅々にまで侵入している。99%経済の話だけどね。

 しかし、経済が、ジャパン・マネーが一人歩きしているのではなくて、もちろん日本人が、そして日本製品が、世界中を駆け回っている。
 俺みたいな仕事をしていて時々驚くのは、え?こんな国名知らなかったな、この国どこにあるんだっけ? え?こんな極小の島国にも日本企業の代理店があるわけ?・・・というようなことだ。関心や経験、業務上の必要により、平均的な日本人よりは世界の地理や国名を知っているはずの俺も、未だ驚く時がある。つまり、そういう国々に、日本企業の子会社や合弁企業や代理店や得意先があり、日本人が商売している。
 日本人駐在員が数多くいる例も少なくない。世界の隅々まで・・・。結局、我々日本人の生活水準や経済の条件は、そうした企業活動に直接携わっていない多くの日本人が好むと好まざるに関わらず、世界の隅々まで侵入する「日本」を大前提として出来上がっている。

 しかし、世界との結びつきがあまりに「経済」だけに限定されている為、我々は日本と世界との距離を測るのに必要な想像力を持てない。政治や文化には顔があるが、金には顔がない。少なくとも見えにくい。結局、世界の中に日本の顔は見えない。

 日本から見ても世界は遠いが、世界から見ても日本は遠い。金や高品質の製品は身近に感じられるが、それ以外の世界に対する意識、意思が感じられない。悪意も見えないが、思想も感じられない。メッセージが感じられない。経済の力だけは圧倒的にある。おそらくこれは不気味だ。経済力もない「弱小国」であれば、不気味さなど全く感じられないと思うが。


 日本は50年余り前に原爆を落とされた。10万人が死んだと言われる東京大空襲もあった。他の地方都市でも、民間人が無差別に殺戮される大空襲があった。
 確かに先日のアメリカ同時多発テロは大惨事であり悲劇であって、本来は比較することに意義はないのだが、あれが大惨事だとすれば(に間違いないのだが)、一つの都市をほとんど壊滅させた(そこで一般市民が無差別に殺戮された)原爆や、逃げ惑う多くの市民を何時間もかけて殺戮し焼き殺した大空襲は、一体なんと形容したらいいのか。

 しかし、日本人のほとんどに、アメリカに対する憎悪は残らなかった。少なくとも継続しなかった。
 アラブ諸国もしくはイスラム圏とアメリカとの間にそんな関係がありうるか? それはやはり無いだろう。

 日本には基本的に憎悪を継続させるような「大義」はなかった。逆に言えば、戦前「大義」とされていた「大東亜共栄圏」もその程度だった、ということだ。そもそも、そんなものは日本の伝統や歴史に根ざしたものではなく、明治維新後の日本が国家戦略として急造したものに過ぎない。

 アラブ諸国もしくはイスラム圏には、本来はどこから見ても正当であるはずの「大義」と、彼らにとっての悠久の「大義」がある。前者は不当に占領されたパレスチナをパレスチナの民に取り戻すこと、後者は聖地エルサレムの奪回である。

 しかし、もちろん彼らも今は、一部の原理主義者を除けば、50年前に欧米世界の支援によって突然建国された(それ以前からユダヤ人によるシオニズム運動はあったが、これに拍車をかけたのも欧米世界でのユダヤ人に対する偏見と迫害だろう)イスラエルを消し去るということを求めてはいない。既に、並存し、共存する道しかないと考えている。
 エルサレムについて言えば、現在は全土をイスラエルが支配しているが、そこが3大世界宗教の聖地であることからすれば、現在の深刻な紛争を解決に導くには、特定の国に帰属させることをやめ、国連による管轄下に置くというような方策しかないのではないか。
 しかし、いずれにしても、欧米を中心とする世界は、イスラエルに有効な圧力をかけようとしない。ヨーロッパには、アラブ側の声に耳を傾ける国々もあるが、とりわけアメリカはイスラエル寄りの姿勢を改めようとせず、ブッシュ政権になって反ってその姿勢を強めていた。


 ただ、日本については、もう一つ思うことがある。戦後の日本というより、現代の日本といった方がいいだろうか。
 今回のニューヨークの惨状を見て、原因は全く違うものとは言え、その悲惨さから、6年前の阪神大震災を想起することは、それほど突飛なことではないと思う。犠牲者数も大体同じ程度だ。しかし、それにしては、今回の大惨事に対して、政府レベルも含め、日本社会の感情の動きが感じられない。体温が感じられない。
 一人一人の日本人は、おそらくは多くが、テレビで映像を見て、少なくとも短時間でも悲痛な心持ちになったのではないかと思う。しかし、日本社会には何かまとまった意思や悲嘆や体温が感じられない。

 日本は遠い。少なくとも日本人の意識は世界に遠い。しかし、それ以上の何かがあるような気がする。国家にも、社会にも、何かはっきりしないが、決定的な何かが欠けてはいないか・・・
 時間の軸に対しても、空間の軸に対しても、もしかしたら日本は、おそろしく狭い範囲の意識下で存在しているのではないか・・・

 だから日本は「平和」でいられる・・・。いや、絶対にそれは違うんだ。
 本当は日本は世界の隅々までリンクしている。しかし、経済以外は、全てアメリカを中心とする世界に委ねてきた。日本が「国際政治」や「外交」、「軍事」の要らない平和で紛争の無い世界を構築したのでは全く無く、ただ日本はそれらを世界に委ねてきただけだ。こんなことずっと続けられるのだろうか。いつまでも世界がそれを許容するだろうか。

 もちろん、日本が近代的な「普通の国」になればそれでいい、などとは思わない。日本には、日本の、しかし今とは違う存在の仕方があっていい。しかし、戦後の日本は、経済以外の世界について、あまりに何も考えないで過ごしてきた。日本「人」は、経済以外の世界について、あまりに何も考えないで過ごしてきた、というべきかもしれない。
 しかし何故だろう・・・。アメリカの庇護があったから? 
だとしても、そうすると日本人の多くは、庇護されたらもう何も考えなくなってしまうってこと?
しかし、いつまでも続くとは思えない。

 いや、経済さえ回復すれば、世界は日本に、世界の金庫番として利用出来ることだけを期待するのかもしれない。だけど世界の期待や思惑ではなく、日本もしくは日本人自身の意思はどこに向かうのか。 というか、今の日本には、とにかく意思が感じられない。

 「聖域なき構造改革」で日本は変わる?
いや、少なくとも今のところ、日本を変えるような改革には思えない。相変わらず、ほんの数年の過去における責任だって、我らが改革者はまともに振り返ろうとしていないように思える。

駄目だ・・・思考がますます散漫になってきた・・・