04年 8月8日〜8月30日

最近の子供はどうか分らないけど、今の大人の多くはガキの頃に日記を何日か書いた経験があるのでは?
斯く言う私もその一人、当然この日記も不定期です。 (2001年8月19日、記)


04年 8月 8日(日)   I WON'T BACK DOWN.

 月曜と火曜はもう忘れた。金太郎飴の作業仕事は記憶に残らないのであった。帰りが遅かったのは間違いなかろう。何時か憶えとらん。

 8月4日(水):
 っつーかさ、もう時間は 8月5日(木)のことなんよ。午前0時15分退勤。終電乗れず。午前0時35分だったか、自宅最寄駅(っつってもバスで出る駅なんよ、まぁ近頃バス乗らんでカミさんの車ばかりじゃけんのぉ)より2駅手前までの終電に乗車、遥々遠くまでカミさんのフェアレディZで迎えに来てもらう。って本当はデミオだよ。家に着いたときは午前1時45分頃かな。もっと遅かったかな。ま、スーツ放って食卓に腰落ち着けた時は午前2時回ってたと思うな。で、ビール飲んで飯食って、ヤク打って、じゃなくてヤク飲んで寝た。シャワー浴びたか憶えとらん。たぶん浴びた、暑いもんね。寝床に行ったのは3時回ってたな。何分頃だったかなんて知らん。憶えとらん。

 8月5日(木):
 だからさっきからもうこの日に入ってるんだって。睡眠不足だ。当たりキだ。8時起床にしてフレックスのコアの10時出勤にしたような気がする。憶えとらん。何時退勤かも憶えとらん。眠たいし疲れてるし、普段よりは早かったのは間違いない。格別早いわけでもないのも確か。よー憶えとらん。

 8月6日(金):
 7時起きの9時前出勤。退勤は23時40分過ぎ。日付変更線手前の終電に乗車。最寄駅までカミさんの車の迎え。毎度すみません。午前1時ほんの少し前に帰宅。シャワー、ビール、飯、ヤク打って、じゃなくてヤク飲んで寝た。

 8月7日(土曜だよっ!):
 8時過ぎまで寝てて徐に(オモムロにってこう書くんだ・・)起きて仕度、カミさんに駅まで送ってもらい土曜の「通勤」電車乗車。10時半頃からいつもの事務室で作業仕事。16時半頃まで。その後は職場が絡んだ行事の仕事に合流。21時半頃だったか、迎えに来てくれていた妻子と共に帰る。途中ラーメン屋に寄って親子3人でつけ麺2人前。その前に食べてたからねぇ。22時半近くの電車に乗車。23時半頃に帰宅。


 そういうわけで、今週もとほほな週であった。  ふざけるんじゃねえよ。

 幸福は人格である。ひとが外套を脱ぎすてるようにいつでも気楽にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である。しかし真の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命と同じように彼自身と一つのものである。この幸福をもって彼はあらゆる困難と闘うのである。幸福を武器として闘う者のみが たおれてもなお幸福である。三木清はこう語った。

 そんでもって、I WON'T BACK DOWN. そればっかしか。ええやんか。ロックはアティチュードが大事だってことを意識し続けるためだ。どうせ俺の備忘録だ。俺はロックするもんね。意味なんて知るかい


04年 8月 8日(日)   運動せねば

 こういう日々を過ごしていても、日々を乗り越えるのにリキ入れるばかりで先のことあんまり考えなくなったりしてはイカン。もう何年も前から、運動不足でこのままじゃ早いとこ足腰弱くなってヤバヤバだと思ってたけれど、この頃はそういうこと考える余裕すらなかなかない。運動不足は変わらないが、どんどん疲労困憊が嵩んでしまうばかりでやり過ごしてはイカン。変えねばいかんのじゃ。

 日々を乗り越えていくのは楽ではないが、しかし僕には武器はある。と三木清さんが言ってる。だけどとにかく人生は未だ半分はある。半分しかないのではなく、半分あるのだ。もっとあるかもしれない。ナイナイ言ってもしゃーナイ。

 首が痛い。両肩にピンポン玉が入ってる。硬いんだ、むちゃくちゃコリまくりだ。上腕も痛い。手も痺れる。腰も痛くなる。足が痺れる時もある。だ、だいじょうぶか。
 だ、だいじょうぶだ。何とかする。しっかし運動せんといかんなぁ。休日は疲労困憊蓄積でタラタラしたり作業仕事に手をつけたり。生活を変えにゃぁ。これも備忘録。生活変えにゃぁ。運動せねば。何とかせねば。
 今日は作業シゴトにちょこっと手をつけた後、息子とキャッチ・ボール。互いにゴロやフライも投げ合っていい汗かいた。息子は全然オッケーだけど、俺はへとへと。日々の疲労困憊で顔は痩せてきてるが、腹は出てきたし足腰弱くなったし、これから何とかせねばイカン。もう40代半ばじゃけんのぉ。備えも必要だってのに日々乗り切りもテーヘン。まぁ徐々に身体を鍛えるしかないのだ。いつ? 何とかするのだ、何とか。今からまた飯前に作業シゴトをしばし。けっ。適当だ、サギョウは。さしすせそ。くだらねぇ。・・・おっとっと。ナニ言ってるか分からん。いや分かる。とにかく足腰弱くならんようにせんと。金毘羅でも鍛えるで


04年 8月 9日(月)   ふざけるんじゃねえよ。

 まったく、ふざけてる。オレの部屋のエライさんにはマネジメントがない。枝葉末節だけがある。とりわけこういうケースでは、組織はエライさん以上の器にはならない。普通はならない。何故か。上に戦略がなく枝葉末節重箱隅(角だけ?)ばかりだと、職制上の下位は戦略練りたくても職制下で動かされる限りどうにもならない。なるほど組織は上位者の器以上にはならない。ん? これは俺の第一の友人の職場の話なんだがね。そいつはよく俺に言ってくるのさ。御前のサイトでぶちまけてくれってな。

 ここ に一度載せたんだけどさ、またしつこくやるよ。
 今、頭脳警察聴きながらHTML打ってるんだ。


まわりを気にして生きるよりゃ ひとりで
勝手気ままに グラスでもキメてる方がいいのさ
だけどみんな俺に 手錠をかけたがるのさ
ふざけるんじゃねえよ 動物じゃねえんだぜ

バカに愛想をつかすより ぶん殴る方が好きさ
俺を邪魔するしきたりは 人が勝手に決めたもの
それでやられたって 生きてるよりゃましさ
ふざけるんじゃねえよ やられる前にやるさ

だけど縄がかけられる だんだんからみつく
どんどんからみつく もう身動き出来やしねえ
クソッタレ 馬鹿野郎 満足だろう
ふざけるんじゃねえよ 今に吠え面かくなよ

まわりを気にして生きるよりゃ ひとりで
勝手気ままに グラスでもキメてる方がいいのさ
だけどみんな俺に 手錠をかけたがるのさ
ふざけるんじゃねえよ 動物じゃねえんだぜ

ふざけるんじゃねえよ てめえの善人面を
ふざけるんじゃねえよ いつかぶっとばしてやらあ
ふざけるんじゃねえよ てめえの善人面を
ふざけるんじゃねえよ いつかぶっとばしてやらあ



 頭脳警察3、ふざけるんじゃねえよ、時々吠えることがある、頭脳警察の許可取ってない、勘弁してくれるだろう。グラスはアレのことだね。CDの歌詞カードではご丁寧に ・・・ になってたよ。ま何でも、・・・なら、リスナーが好きなように置き替えたってイイかもな。パンタはグラスと言ってるけどね。

 ふざけるんじゃねえよ。まったく。

 俺は ロックなアティチュード で生きるよ、トム・ペティさん。あんたが言う通り、ロックはアティチュードが大事なんだ。姿勢だし構えだしスタンスだし、それを言動に表現するってことだよな。生き方そのものがロックになるように生きるってことかい?

 時には(近頃は頻繁に、笑)、 ぶん殴ってやろうかって思うときがあるけどね。 まぁ「私」というものがない能面面をぶん殴っても「私」のある俺が損するだけかい? ぶん殴るのはガマンしてもいいが、言うことは言わせてもらおう。通じぬ相手でも、言論でいくしかあんめぇ。能面面が不機嫌そうな面になって退散していくだけかもしれねぇが、黙ってるよりはマシだぜ


04年 8月 9日(月)   私には 「私」 がある。

 私には「私」がある。私には「私」があり「私達」がある。「私」のない人間にはつまり、自分というものがない。上から下ろされただけ、状況の中でヒタスラ動くだけだ。

 誰もが状況のなかで生きている。状況はコントロールできない。しかし、そのなかで自分の環境をマネイジすることは可能だ。「私」がある人間はそれをやる。「私」があるからこそ私は生きているのだ。

 私には「私」がある。そこが私の砦だ。私は「私」を失うことはない。私は「私」に根を張って生きる。時に飛び立つことがあっても、私から「私」はなくならない。私には「私」があり、私はそのことによって生きている。だから私の人生は生きる価値がある。私が生き、「私」が生きる。私には 「私」 がある


04年 8月10日(火)   私には 「私」 がある。PartV

 パ、パート2はどこだ? 知らんわい。3の方が好きなんだ、わしは。

 今日はいつもに増して手が痺れる。腕が痛い。上腕ですね。上腕がほんまパンパンに張ってる。さっき息子に揉んでもらった。しかし簡単に治るもんじゃない。左手が痺れる。上腕がパンパン。たまらん。疲労蓄積疲労困憊。ノーマネジメントで能面キャラや眼飛ばしキャラな部屋で働くには、私は 「私」 を保たねばならない。まぁ私には確かに 「私」 があるから大丈夫ではあるのだが。時には能面キャラや眼飛ばしキャラ相手にあえて怒りを見せてやらねばなんめぇ。ぶん殴るのは勘弁してやっけどさ。

 ふざけるんじゃなえよ。 為るようになる。 為せば成る。 そればっかし。文句あっか。とにかく手が痺れても腕がパンパンでも、私には「私」がある。そこが私の砦だ。私は「私」を失うことはない。私は「私」に根を張って生きる。時に飛び立つことがあっても、私から「私」はなくならない。私には「私」があり、私はそのことによって生きている。だから私の人生は生きる価値がある。私が生き、「私」が生きる。いやしかしね、ほんまにすっげ、手が痺れるわ。腕もすっげパンパン張ってるねん。メチコバール飲んでも完全には効かんねん。バカな作業シゴトを蹴っ飛ばさにゃあ。何故って、私には 「私」 がある んだっての


04年 8月16日(月)   SUNRISE

 家族3人で行ってきた。

 【8月10日(火)】
 寝台特急サンライズ瀬戸・出雲。東京駅22時発
 我らは岡山から松山行きのサンライズ瀬戸となる。そこで出雲行き車両と分かれるのだ。
 息子はサンライズの入線を感激して迎え、その勇姿を収めるべくシャッターを切っている。

 【8月11日(水)】
 早朝、瀬戸大橋を渡る。高松で駅弁。多度津下車。
 多度津から琴平まで特急しまんと。
 金刀比羅宮、いわゆる「こんぴら」さんの本宮まで785段の石段を登った。本宮からの景色良し。
 帰路、かき氷を食す。
 琴平から宇多津まで特急南風。
 宇多津から坂出までサンポート。
 坂出からバスで瀬戸大橋を渡り途中で与島へ降りそこで下車。昼飯。
 勝海舟の咸臨丸を模した観光船でクルーズ。与島FWで土産物購入。
 与島から再びバス、児島下車。
 児島からマリンライナーで岡山へ。岡山から、のぞみで広島へ。
 広島駅から直結してるホテル・グランヴィア泊。想像以上に「よい」ホテル。
  19階の部屋から線路がよく見え、息子には最高のシチュエーション。
 居酒屋「かき伝」で飲食。美味なり。

 【8月12日(木)】
 あんまり高いホテルの朝食はアホらしく思い、駅ビルの2階で朝食。
 路面電車で広島平和公園へ。路面電車はかなりキレイなのも走ってる。
 原爆ドームを見てから公園内へ。
 原爆の子の像。佐々木貞子さんの話を息子に説明する。
 韓国人被爆者の碑を見る。以前と違って園内にあった。背景を息子に語る。
 原爆死没者慰霊碑。
 「安らかに眠ってください。もう過ちは繰り返しませぬから。」の意味について息子と話す。
 平和記念資料館の東館と西館見学。
 黒焦げの弁当箱のところでは当時を知っていそうな年齢のおばあさんが息子に説明してくれた。
  ピース・ボランティアと呼称される人たちのようだ。わかりやすく説明してくれた。
 資料館の展示は、以前よりも更に、日本のアジア侵略をもきちんと説明していた。
 慰霊碑の向こうの今も燃えつづける火を見ながら公園を後にした。
  この火は地球から核兵器がなくなるまで燃えつづけると聞いたと息子に話して、
   あと何年ぐらいだと思うかと息子に訊いたら、
    5年とか8年とか言っていた。
     いや、もうちょっとはかかるぞと言ったら、
      15年とか18年とか言ってたな。
 公園の近くのお好み焼屋で広島のお好み焼きを食べた。
 その後は路面電車を乗り継いで比治山公園へ。
 旧陸軍の墓地らしい場所にある見晴らしヨイところから広島市街を展望す。
 路面電車で広島駅に戻り、シティライナーで宮島口へ。
 JR宮島航路で宮島へ。
 錦水館本館泊。厳島神社を見物。そこかしこに鹿。息子も鹿と戯れ楽しそう。帰館して風呂。
 夕食。部屋食。美味なり。

 【8月13日(金)】
 朝食はバイキング。歩いて紅葉谷公園を通ってロープウェイ乗り場へ。
 ロープウェイ乗り継いで頂上へ。絶景なり。頂上にも鹿。
 猿は数匹しか会えなかった。以前来たときはもっと猿がいた印象。猛暑で木陰に隠れていたか。
 ロープウェイ乗り継ぎ降り、元来た道を戻る。土産物。
 宮島航路で宮島口に戻る。山陽本線の普通電車で広島へ。
 駅弁買って、のぞみ乗車。名古屋で、ひかり乗換。浜松下車。こだま。
 そこから先は乗換あってローカル線であっしの実家へ。

 横浜時代によく仕事で外国人連れて行った瀬戸大橋、広島、宮島。
 瀬戸大橋はもちろん今も雄大だが、与島FWはちょっとさびれてきた感じがした。
 広島では、以前は平和公園を出たところにあった韓国人被爆者の碑が公園内に。
  展示も前より更に充実している気がしたな。息子のために資料を買いました。
 宮島の猿は前はもっといたと思うが、たぶん数は減ってないと思う。どこかに避暑してるんじゃろう。

 「こんぴら」は初めて。785段の石段は運動不足と作業シゴトで疲労困憊のあっしにはきつかった。
  しかし家族3人で歩くのは愉快だったし、登り切ったときも気持ち良かった。

 ずっと天気が良かったのはヨカッタ。快晴つづきでした。
 我ら家族のこれからの日々もこんな天気のようであってもらいたいもんだ。


 8月13日、田舎の家には兄貴の嫁さんと子供ら3人が来ていた。
 夜、あっしは親父と少し飲んだ後に出かけ、小中学の同級生たちと酒を交わした。
  田舎で飲む同級生は自営が多い。自営で、自分の力で生きるのは立派だ。
  日頃、組織人だとか、時に否定的意味も込めて話すが、組織がうまく回らねば烏合の衆。
  あるいは単なる徒党みたいなもんにならないだろうか。あっしは自営の同級生がまぶしい。眩しい。
  家が近くの同級生を帰路我が実家に誘って更に飲んだが、家に着いてから一気に酔いが回った。
  翌日も仕事がある職人の同級生にはわるいことしたかな。あっしは職人さんが眩しい。本当にまぶしい。
 あっしはいつでも「僕って何」だ。いいトシしてなぁ。

 【8月14日(土)】
 昨夜は兄貴の家族は長男のみ泊。次男三男はサッカー合宿。兄貴の嫁さんも付き添い。
 この日は我が兄貴が帰宅。我が兄貴は今、ミュージカルの音楽の仕事をしてる。
 今年はミュージカルは3本とか4本とか。5本?
 ミュージカルだけじゃない。音楽いろいろでご飯を食べる。家族も養う。
 あっしは兄貴が眩しい。まぶしいなぁ。

 【8月15日(日)】
 兄貴、兄貴の長男、あっし、あっしの妻、あっしの息子の5人で田舎の墓参り。
 駅まで見送りを受ける。兄貴らは兄貴らで今の住まいに戻る。
 あっしら3人は、途中の乗換駅まで、フリーパスがあるというあっしの親父お袋と同道。
 まぁ正確に言うと、親父はパスを忘れてしまったので、あっしらが切符を買った。
 親父は来月で76歳。お袋は今月73歳になった。
 苦労した親父お袋だ。まだまだ元気に、長生きしてもらいたい。あったりまえだ。


 【今日は 8月16日(月)】
 今日まで休み取ってある。明日から作業シゴトだ。
 しかし私には「私」がある。作業シゴトには負けまへんで。あったりまえだ。
 作業シゴトはいつか「仕事」に変えましょうぞ。
 私には「私」がある。作業シゴトには負けまへんで。あったりまえだ


04年 8月16日(月)   幸福は人格である。

 腕の張りはつづく。手も痺れる。それでもHTML打つ。
 ところで最近過食症気味。あくまで「気味」って程度じゃけんね。アルコもけっこう飲んじゃう。あくまで「けっこう」ね。

 明日から作業シゴト。こいつもいつか「仕事」に変えねばと思うが、容易ではない。いつか「仕事」に変えることを思考しつつ、志向しつつ。
 私には「私」がある。作業シゴトには負けまへんで。あったりまえだ。

 幸福は人格である。ひとが外套を脱ぎすてるようにいつでも気楽にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である。しかし真の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命と同じように彼自身と一つのものである。この幸福をもって彼はあらゆる困難と闘うのである。幸福を武器として闘う者のみが たおれてもなお幸福である。三木清はこう語った。

 為るようになる。 為せば成る。 そればっかし。文句あっか。とにかく手が痺れても腕がパンパンでも、ふざけるんじゃなえよ、私には「私」がある。そこが私の砦だ。
 私は「私」を失うことはない。私は「私たち」と共に生きる。必要なら彼らをぶん殴りもしよう。本当に必要ならな。しかし、いずれにしても、私は「彼ら」を克服する。いや、私は「彼ら」をはじき飛ばすだろう。現時点で私が感じている世界には、「我々」と「彼ら」とそのどちらでもないものがいる。どちらでもないものは時に「我々」のなかに入り込み、時に「彼ら」のなかに入り込むのかもしれぬ。しかし、本質的には「どちらでもない誰か」なのだと思う。私は常に「我々」のなかにいる「私」である。「我々」は「彼ら」をはじき飛ばすことになるだろう。私は、「我々」の一員である「私」として、確実に「彼ら」をはじき飛ばす。

 私は「私」を失うことはない。私は「私」に根を張って生きる。私から「私」はなくならない。私には「私」があり、私はそのことによって生きている。だから私の人生は生きる価値がある。私が生き、「私」が生きる


04年 8月23日(月)   現在自己分析

 【アルコール】
  中毒ではない。暴飲ではないが、とにかく飲みたくなる。ま、もともと好きだけどさ。

 【過食】
  なんか過食症気味だな。もともと食うこと飲むこと眠ることは好きだが、暴食とは言わねど過食気味。なんかどんどん食ってしまう。これ、たぶん精神的になんかあるね。あるって思えるだけ、マシかね。もともと運動不足が、作業シゴトの疲労困憊でますます運動せず、腹は出るばかり。しかし腹以外は太らん。っていうか、顔なんかコケてる。自分じゃ気づくが、たまに人にも言われる。ま、これも自分で気づいてはいるんだ。マシだろ、たぶん。

 【眠ること】
  毎日ヤクは飲んでる。なんぼ飲んでも眠い気はする。寝ても覚めても眠い。まぁ、よく眠れとらん。作業シゴトの疲労困憊でますます眠くなるが、それでいて熟睡できんから、ますます眠い。夢もよう見るなぁ。

 【いらいら】
  毎日ヤクは飲んでる。そのヤクはたぶん抗ウツだろ。近頃はいらいらも多いんだ。イライラするんだな。おんなじか。困ったもんだ。

 【首と肩と腕と手と腰】
  首痛し。肩パンパン。両腕パンパン。手が痺れ、腰もイマイチ。首や手や腰は首と腰の椎間板さんのせいなんだろけどな。両腕は疲労困憊がパンパンに張らせてる原因のような気もするな。胸もときどき痛む。こりゃいかん。要するに、なーんも変わっとらん。というのはウソで、ほんま、もう疲れてきたわ。両腕横にして寝ていたいね、いつも。でもな、HTMLは打たんといかん。こうやって自己分析して自分を客観的に見ておかんといかんのよ。自己管理上も必要なんでね。自分が自分のためにHTMLヤク打って自分で読んでるだけですわ。ま、カウンターが増えたりするのは皆さんの御愛嬌なのである。そのうちまたロックとか映画とかのことちゃんと載せるかんね。

 【休日サギョウ】
  これは別に症状ってもんじゃないが、まぁ近頃、ひと頃のようにはやらん。職場の作業シゴト環境がよくなってるかと言うと全く左(サって漢字これでいいのかね)にあらず、環境はぜんぜん。反って更に悪化。何も手は打たれてないからよくなってない。ただ、精神と身体が疲労困憊のため、休日に作業する気持ちが起きず、パワーも出ない。休日なんか全く私的に過ごすのがノーマルなら、作業シゴトやってしまうのはアブノーマル、それもできないのはアブアブノーマル。これってノーマル? じゃねぇな。よー分からんわい。

 【終電減】
  前と比べると、終電で帰宅する日は少し(?)減ってる。未だばしばしあるし、そんな前でもない時期に終電乗り遅れだってやってるけど、でもとにかく以前よりデスク貼り付き時間は減ってる。そんな毎日毎日は超異常拘束時間は続かん。でも遅いけどな、やっぱし。金曜は夏風邪気味の不調により午後より出勤、でも結局終電。けっ。作業シゴト環境はよくなってないのだ。なーんにも。ずっとわるい状況が続いているのは結局わるくなってることと同じ。ちゃんとジョーシキ的に帰宅するのはノーマル、終電やたら多いのはアブノーマル、身体と精神の疲労困憊のため、毎日毎日遅くは無理だし気持ちも萎えて前よりは多少(?)早く帰宅する傾向ありってのはアブアブノーマル。これってノーマル? じゃねぇな。よー分からんわい。

 とにもかくにも、もうちょっと笑顔で過ごしたいね。身体も楽にしたいね。何とかせにゃ。今日は夏休みで1回休み。スゴロクみたいなもんだ。だけど休まらんよ、身体は。どうすりゃいいのか思案橋。私案や試案はないかね。シアンはだめよ。あーアタマ溶けてくる。
 ふざけるんじゃねえよ。

 幸福は人格である。ひとが外套を脱ぎすてるようにいつでも気楽にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である。しかし真の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命と同じように彼自身と一つのものである。この幸福をもって彼はあらゆる困難と闘うのである。幸福を武器として闘う者のみが たおれてもなお幸福である。三木清はこう語った。

 為るようになる。 為せば成る。 そればっかし。文句あっか。私には「私」があるんや。そこが私の砦だ。だから大丈夫だっての。「私」がないことが「公」もないことを意味するような奴とあっしは違う。私には「私」がある。「私たち」がある。「我々」がいる。私には「私」がある


04年 8月23日(月)   GREENDALE

 土曜に妻の実家に行った。長年身体が丈夫でないお母さんだが、孫の顔見りゃ笑顔。父さんも元気そうに見えた。

 日曜は墓参り。その後クルマを走らせ、袋田の滝を観に行った。結婚前、今から17年も前に、あっしら二人があっしの親父とお袋と一緒に行ったところ。息子が行きたいというので、あっしも疲労困憊の身体にムチ打って(とほほ・・・)行くことにした。ちょっと水が少なかったが、やはり見事な滝でありました。

 今日は夏休み。6日取れるうちの5日目。あと1日ある。有休はまだまだいっぱいある。もっと休ませてくれ。もっと休むぞ。休むときは休むぞおれは。

 さっき、ニール・ヤングのグリーンデイルのDVDをブラジル密林に行って予約した。たぶん映画版ね。アメリカではもう出てる。日本は9月22日発売。24日発送みたいね。配送予定日は 9/25 - 9/27 と密林から確認メールが届いた。
 家族を大事にし、そこから世界に向かうヤング爺が気持ちを込めた力作の映画版。監督の名はたぶんバーナード・シェイキー(Bernard Shakey)ね。ってのは実はニール・ヤング爺のことなんだけど。
 来月は息子の誕生日があって、その前にあっしの誕生日があって、その後にグリーンデイルの映画版が届いて3人で観る。これは楽しみです


04年 8月29日(日)   二郎さん神経科日誌

 27日の金曜。我が第一の友人が作業する部屋の職員とエライ方々が参加する歓迎会というものがあった。8月1日付で友人のいる課の隣りの課に異動してきた一人、7月中旬からその課の課長になった一人(前任課長は7月1日付で別の部屋に行き専任課長というものになり8月1日から休み入院した、今は療養中だと思う)、4月1日から(!)その課で働いている派遣職員の人、それと6月1日から友人の課にいる派遣職員の人、みんなまとめて歓迎会。友人の課は、その課の派遣職員の歓迎会はとうに実施しているけどね。で、友人は前の週より体調不良。シゴトは金曜も出てたが、水曜に欠席を幹事さんに口頭連絡。木曜に歓迎対象者の皆さんと幹事さんにメール連絡。金曜は欠席して早め退勤、病院送り。

 で、わしは金曜、早め退勤の二郎さん神経科。前回は妻が代りにヤクもらいに行ってくれたから久しぶり。もともと昨年の初夏あたりか、不眠症から始まって出戻り前後からの精神状態を話してヤクもらってるんだが、この頃は労働環境のことばかり。二郎さんも日本の労働環境の劣悪さは相当に嘆いている。ま、他にもいろいろ話したが今日は割愛。ヤクはいつもと同じ


04年 8月29日(日)   秋近し、何か収穫ありますか

 ホームページの日記、これ書かなくなるとやばい。気分乗らなかったがやっぱ書いとく、と思って二郎さん神経科日誌に続いてもう1本。

 ここんとこずっと両腕パンパンだったが、この数日以前に増してひどくなってる。金曜からロック史上(?)最強のコリ方をしてる。両腕とも文字通りパンパンに張ってて、肩のコリもすごいものがあります。
 夜、寝床について仰向けに寝てると、パンパンの両腕、肘から肩にかけての部分が、両方とも敷き布団に、床に、根を張ろうとしているかに感じるくらいに重い。ひたすら張っており、コッテおり、重くなっている。頚椎のヘルニアに4月以降の疲労困憊が重なってのことと思います。
 手が痺れるのは明らかに頚椎ヘルニアのせいね。もともとわしはこれで外科行ってMRI でヘルニア発見したのだ。昨年、これも初夏辺りだったっけ。腰もヘルニア、こいつはもっと前から。もうたまらんわ。

 わしの第一の友人のカイシャは病になる人が多い。身、心、いずれもたくさんある。友人がガチョウやってる課では、5月下旬から一人欠員状態。一人一分野遂行態勢で、一人いなくて補充がないということは肩代わりできる人がいないということ。ガチョウがやりおおせなくとも担当するしかない。実際、やり切れない。エライ人もドレドレと手を出す。指揮系統はバラバラになる。もともと友人はこの4月からその課に異動してきてガチョウになり、未だ業務遂行を実務レベルでは把握してなかった。5月から休んでる人は急だったので引継ぎもなし。ワケの分からぬまま日々が過ぎ、日々のしごとはますます仕事でなく作業と化す。欠員状態は3ヶ月以上続き、今も変わらず、休みも更に3ヶ月延びた。一時はエライ方々から補充説も流れたが、つい先日、補充なしの話がきた。なんでも年度内ずっと説も。
 大体が課の所掌としては本来異分野であるものを無理矢理くっつけて編成した課だ、とっくに解体して分割、適当な部に分散吸収した方がいいくらいなんだ。友人はもうヘトヘトになってしまった。

 ガチョウの上にはフチョウがいるがそのフチョウが前任ガチョウ。何年かやってた。今年4月に友人が異動で引き継いだが(いわゆる引継ぎはほとんど無かったけど)、昨年度に終わってなければいけない今年度のある契約も済んでない、昨年度に終わってなければならない今年度のあるリンギも回ってない、ヤクショの検査前になって慌てていろいろ揃える、こんなシゴトの進め方は友人も嫌で嫌でたまらないが、どうもこのままでは自分もそうなってしまうだろうと感じるようになった。
 そのフチョウは寝泊りしたってシゴトやろうとする人間だ。ケッコンしてない。コドモない。つまり自分が始めたカゾクがない。念の為に書いとくとそのこと自体は本来は人それぞれ勝手だけどね、カゾク持つかどうかは。で、フチョウは加えてシュミもなさそうに見えるらしい。格別耳にしたことがない。作業シゴトがシュミであろう。平気で夜中まで、日付変わってもシゴトしてたりする。連日のように。けっこう眠気マナコだったりするが、それでも続ける。少なくとも友人の感覚からはフチョウはそれでいて疑問なさそうだぜって。友人の感覚からは、これはどう考えても異常だ。おいらもそう思う。ま、第一の友人とおいらはほとんど感覚同じだけどね。で、フチョウのマネなんかできない。できないし、やらないし、もちろんそんなイジョーやる気しない。でも彼もおいらも出戻りでね、自業自得と言われればハイソレまでよなんだけどさ、きついのよ、前ほどにガンガン言えん感じでね。で、友人はデスクでは作業の山に埋もれている。うんざりして、部屋のメンバーとエライ方々参加のたまの飲み会にも出る気がしない。もっとも、そんなの顔出すような体調ではない。

 当り前のことが当り前に遂行できない。仕事の納期などむちゃくちゃになる。嫌で嫌でたまらないが、しかしどんどんそうなってきた。コントロールができない。昨年より人が減り、一人一分野のメンバーが今年度2ヶ月目の途中からずっと休んで補充もなし、現フチョウの昨年ガチョウも夜中まで、あるいは泊まったりしてやっつけていたらしい作業ガチョウのシゴトが、更に一分野実務担当欠員のままのこんな態勢になってしまって既に3ヶ月半近く、そして今後数ヶ月も、果ては年度内変わらず説も、それでいて「私」を持っている、「私」なしで生きられない私というもので有り得ている友人がガチョウをやって、どうやって片付けられるというのか。もう無茶苦茶やがな。・・・ずっと前からだが、状況変化無し、つまり無茶苦茶度は増すばかり。どうするべ。
 はっきりしてるのは、いくら何でも友人は 有印私文書偽造工作 なんかはできん。できっこない。そんな、言うまでもないことまで記すってのは、つまり、そんなの当然やるわけないという以前に、とっにかくっ、作業レベルの山、能面面のノーマネジメント、ふざけるんじゃねえよ。

 で、おいらはもう土日の自宅作業シゴトもやる気がしない。やらないのは本来正常なんだけど、これはマイナスにマイナスを重ねてプラスになってるようなもの。どうするね。
 幸福は人格である。 ひとが外套を脱ぎすてるようにいつでも気楽にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である。しかし真の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命と同じように彼自身と一つのものである。この幸福をもって彼はあらゆる困難と闘うのである。 幸福を武器として闘う者のみが たおれてもなお幸福である。三木清はこう語った。
 おいらはたおれないけどさ。おいらがたおれないことは幸福の前提でもあるから。でもこの三木清の幸福論はおいらに合ってる。そういうわけでここんとこずっと世話になってる。
 さ、もう横になるか。腕を下ろして。で、家族団欒の晩飯前には、少し元気になるようにしましょう


04年 8月30日(月)   夏休みのオワリに

 6日取れる夏休みの6日目を取ってしまった。取れるんだからいいじゃん。

 両腕のパンパンな張りと肩のコリ、左手の痺れがひどい。特に両腕上腕のパンパン張りがきつい。これじゃ作業シゴトが余計に難儀なわけです。とにかくパンパンなのよ。何とかしてるけどだいぶきつくなってきた。なかなか思うように動かんのよ。HTMLは無理矢理打ってますがね。無理矢理打つって意味じゃ作業シゴトも同じこと。おいらにとって意味合いが違う。ああとにかくパンパンだ。何とかしてくれ。
 それとですね、おいらはガキの頃からあまり鼻がよくないんだけど、この数年、とりわけこの数ヶ月、特にこの1ヶ月、ことさらにこの数日、具合がわるい。朝起きると何回も鼻をかむ。詰まっている。何度もかむ。夕方も多い。シャワー浴びてからも多い。寝る前もひどい。田舎に行った時に兄貴に言われたがイビキもけっこうひどいそうだ(おいらのよめさんは幸いほとんどおいらより先に寝入るから知らない)。

 上腕と肩と手は頚椎ヘルニアのせい。そこんとこきて4月以降の作業シゴトの時間があまりに長過ぎたからってのは分かってる。はっきりしてる。昨日はヨメさんにだいぶ揉んでもらってその時は効くけど、直ぐにまた張ってくる。コッテくる。尋常じゃない。仰向けに寝てれば両腕とも根を張っていきそうに重たい。
 昨日は鼻もずいぶんとひどかった。クシャミも何回も出る。何度も鼻をかむ。病院行った方がいいんじゃないか。ヨメさんにも言われた。鼻は田舎で再会した兄貴にも言われてた。今はレーザーとかでやる方法もあるらしいぞ。

 今朝起きてから、病院行きを決めた。クルマでないと行きにくい。ヨメさんが会社を午後にしてくれた。運転はヨメさん、おいらはクルマから携帯でカイシャへ。「鼻炎がひどい。熱もある。休みます」。ほんとは熱はないと思う。昔からの鼻の具合のことや頚椎ヘルニア、腕パンパンなど電話で説明しても聞く方だってカッタルイだろう。

 っつーわけで耳鼻科、その後は別の病院の外科。

 初めてのような気がする、鼻のレントゲン撮影。前からの年中のアレルギー性鼻炎の他に副鼻腔炎があるそうで、アレグラとクラリス、朝夕1錠ずつの2種類のヤクを30日分も出されてしまった。フルナーゼ点鼻ヤクも出された。レーザーとかでやるのはもう少し後で(?)とか言われた。蓄膿症になりかけてるらしいが、帰宅後ネットで調べたら、どうも慢性副鼻腔炎が蓄膿症ってことらしいな。

 上腕肩手の方はもちろん外科。頚椎と腰のヘルニアをMRIで発見してくれた病院です。ここは総合病院ですが、おいらはいつも院長先生を指名してお願いしてる。この院長、ええ人なんや。以前、ヨメさんもずいぶんと世話になった。
 もともと頚椎の方は1年以上前に左手が長い間痺れてたので行ってみたら、MRIで調べて頚椎もヘルニアだって分かったもの。ずっとおいらはメチコバール飲んでる。この間の両腕の上腕パンパンも肩コリも、これも頚椎ヘルニアのせいなんだと。もちろん長時間労働は当然ながらよろしくないですな。

 寝る時なんか両腕とも上腕が沈み込んでいきそうなんですよ。ははは、そりゃ頚椎ヘルニアのせいなんだよ。完全に今治そうってんなら手術なんだが、それじゃ、血液の流れを良くして血管が詰まらないようにするヤクをメチコバールと一緒に出しとこう。オパルモン。
 ヤク局の説明書にはオパルモンは血が固まるのを防ぎ、なんて書いてるから動脈硬化とかも防げるのかね。もうおいらはじいさんだな。メチコと共に朝昼晩。

 この他に神経科の就寝前のレンドルミンと朝夕2錠ずつのルボックス。種類が変わった時もあったからこれからも同じかどうか。まぁおいらはとにかくヤク漬けだ。 Lucy in the Sky with Diamonds でも聴きながら寝ますかねぇ(笑)。

 今日で夏休み6日全部消化になっちまった。まだね、でも有休はあるからね。おいらは身体、身心、心身、健康を優先して作業シゴトしますよ。いつか仕事に変えたいもんだけどさ。まぁとにかく何とかするべさ。
 幸福は人格である。 ひとが外套を脱ぎすてるようにいつでも気楽にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である。しかし真の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命と同じように彼自身と一つのものである。この幸福をもって彼はあらゆる困難と闘うのである。 幸福を武器として闘う者のみが たおれてもなお幸福である。三木清はこう語った。
 おいらはたおれないけどさ。おいらがたおれないことは幸福の前提でもあるから。でもこの三木清の幸福論はおいらに合ってる。そういうわけでここんとこずっと世話になってる。同じこと書いてる。いいじゃん。
 さ、しばらく休もう、パンパンの上腕を下ろして。息子は外に遊びに行ってる。よめさんは会社。おいらは明日からまた何とか。
 何とか工夫してこうと思う。いろいろな。
 今日はおいらは夏休み。晩飯はとうぜん団欒ですね。で、今日も明日もちゃんと生きますわ、デカルトさん、詩人ケンさん、トム・ペティさん、ニール・ヤングさん