04年 5月15日〜5月25日

最近の子供はどうか分らないけど、今の大人の多くはガキの頃に日記を何日か書いた経験があるのでは?
斯く言う私もその一人、当然この日記も不定期です。 (2001年8月19日、記)


04年 5月15日(土)   人間は、いかにして、非人間(的)になるか

 人間はいかにして非人間(的)になるか。 human はいかにして inhuman になるのか。 human はいかにして inhumane になるのか。
 一昨日、僕は 人間が非人間となるおぞましい光景を間近で見た。inhumane な光景を見た。inhuman な光景を見た。僕の価値観では、十二分に、inhumane であり、inhuman だった。この2つの英単語は大体似たような意味かい?
 いずれにしても、おぞましい。おそろしく不快な気分になる光景だった。いや、不快という言葉では、そのおぞましさを言い表すことができない。

 人はいかにして奴隷になるか。人はいかにして他人に奴隷を強要するか。人はいかなるとき、奴隷たり得るのか。人はいかなるとき、奴隷(的)にならざるを得ないのか。
 僕はいかなるとき、奴隷となるか。僕はいかなる場合に奴隷を選ぶか。僕はいかなることと奴隷の屈辱を引き換えにするか。僕が思い浮かべるのは、僕の愛するものの生や存在ということだ。あるいは僕の愛するものが、その場では抗い難い強大な力によって、今このときにまさに不当な扱いを受けており、僕が奴隷になることによってのみ、彼らがその場から救い出されることが可能であるとき。もしくは、僕がその場で強大な力に対して自らを奴隷としてみせることにしか、彼らがその場から救い出される一縷の可能性を見いだせないとき。その他のどんなときに、僕は自ら王様の奴隷になることを選ぶか。

 出戻りは奴隷か。いや、僕は奴隷にはなっていないと思う。

 僕は一昨日、おぞましい光景を見た。少なくとも、僕の価値観では、人間性が、humanity が、否定されていく光景だ。
 僕はいつか、誰かをぶん殴るかもしれない。職場で、誰かを、ぶん殴りかねない。馬鹿らしいかい? だけど、馬や鹿ははじめから馬や鹿なんだ。人間は、人間として生まれてきたのか。人間は人間になるのか。僕がはっきり言えるのは、人間は非人間になるために生まれてきたのではないということだ。いや、本当は、僕がそう願っているということで、僕は人間であり続けたいと思っている。そういうことさ。

 ふーらりふらり風来坊、風来坊。朝から晩まで風来坊、風来坊、風来坊。
 つーかーれてる風来坊、風来坊。いつまで経っても風来坊、風来坊、風来坊。
 ふーらりふらり風来坊、風来坊。歳月経っても風来坊、風来坊、風来坊。
 風俗低俗風来坊、風来坊。いーきぃがってる風来坊、風来坊、風来坊。
 細野さん、ありがとう。
 風来坊は 風に吹かれる。
 ディランさん、ありがとう


04年 5月15日(土)   昨日の二郎さん神経科日誌

 昨日、ヨメさんに、二郎さん神経科に、代りに行ってもらった。ヤクをもらった。ヤクと言っても、Lucy in the Sky with Diamonds ではない。二郎さんは、アンダーグラウンドな神経科ではないです。合法的な神経科ですな。
 ここのところ自分が行ってなかった。ついに、ヤク袋に、付箋を付けられた。次回は診察を受けてくださいって書いてあったよ。そりゃそうだ、二郎さん、ココロのコントロールが困っちゃってる人に、そいつの話を聞かないままに、しばらく前のヤクを処方し続けるわけにもいかんだろう。でもね、二郎さん、僕は時間がないんだ。前のヤクでいいんだよ。人をぶん殴ったりもしてないさ。ぶん殴ったら、僕の話を聞いて、ヤクを変えてくれよ。ん? ぶん殴ってからじゃ遅いってか。分かったよ。次回は行くようにするよ、なんとか。行きゃいいんだろ。俺に48時間くれよ。いや、要らねぇな。馬鹿らしいや。_


04年 5月15日(土)   いなかに帰らせてくれ

 ・・・って誰に言ってるんだ、おれは。
 31年前の自分 が動いている映像を送ってくれた、いなかの同級生に、このあいだ、住んでる街の近くにある有名な醸造所のワインを送った。その彼から、今、電話がかかってきた。
 いなかの同級生が、同級生の息子の初節句の祝いを子供の日にやり(僕のいなかでは祝いに凧を上げる)、今日また集まって打ち上げをしているところだった。映像を送ってくれた彼が電話してきてくれたのだが、僕が送ったワインをこれから開けて、他の同級生と一緒に飲み始めるところだと言っていた。彼の携帯電話の向こうから、賑やかに飲み、声を上げる同級生たちの声が聞こえてきた。他の同級生とも話した。

 帰りたいよ、まったく。下らないカイシャインから離れ、いなかに帰りたい。カイシャに自らの意思で出戻って、この4月からは徹底して不合理と不条理のカイシャインの日々を送り、一昨日には 人間がインヒューマンになる光景を間近に見、しかし僕は人間でありたいと想っている。
 夢想するのは自由だろう。僕はいなかに帰りたい


04年 5月16日(日)   眠れない夜が明けゴスペル練習日

 今朝は4時半ごろ寝床についたっす・・・。そんな時間ともなると、もう鳥のさえずりが聞こえるんだな。朝刊だって来ちまう。外もだいぶ明るくなってきてる。ほとんど立派な朝だ。
 眠れんす。たまらんす。寝床について何時ごろだか何とか寝たんだろ、で、10時ごろ目が覚めて、身も心も本当は眠たいのにもはや眠れず。シカタナク毛布を被りながら居間へ。ソファーに横になる。テレビではサンプロ。横になりながら朝刊をめくる。結局は起きる。着替える。パン食う。歯を磨く。全部書いてどうすんだ。
 その後、仕事に手を出す。ゴロゴロする。仕事に手を出す。ボーっとする。疲れが取れない。木曜夜のおぞましい不快感 も抜けない。

 今日はわりと涼しくて昼はあたたかいソバ。息子はかつおぶし削ってましたです。けっこう小6の息子は台所に立つ時があるんだね。このまま、いい男に育ちましょう。俺なんか、ひどいもんだ。昔はたまーにしたのにさ、昔々。
 息子は野球に行きました。

 今日はゴスペル練習日。コンサート当日のリハーサルを除けば、今回のコンサートを前にした最後の練習日。しかし疲れが取れない。身体が動かない。今、手が動いてるか。底なしの不快感 も取れない。取れねぇよ、くそっ。僕は生きるよ。大丈夫、最後は人をぶん殴ってでも生きる。暴力反対! なるべくね。自分の身体が壊れるよりは人を殴ります。何言ってんだ、オレ。ま、基本的に言論の人なんで、僕が暴力を振るうってことはまずない、はずですわ。ただ、追い詰められたら、屈辱よりはぶん殴りを選ぶんや。ま、落ち着きましょう、落ち着きましょう。

 息子が野球から帰ってきました。ヨメさんだけゴスペルに行きました。晩飯の団欒を楽しみにします。ヨメさんや息子が生きる世界に、僕も生きていかなきゃならぬ。生きていきますです。幸福はそのなかにしかないし、生きているうちが花なんだし。
 しかしね、生きていくことを選ぶということは、幸を選び取ることがその先にあるからなんだね。まぁ 詩人ケン的にはいろいろあるが。というか、いろいろないが。 ・・・限ないな、こんなこと書いても、いろいろ書いても、毎度のことながら。ほな、今日はこのへんで。どっかで抜きながら、起死回生、あ、また書いちまった。いや、死んどらせんで。死んだら回生できまへんわ。生きているうちが花、何とかしましょうかね。

 昨夜、テレビで高田渡の特集を見たが、あれ、いいな。しかし、高田渡はああなろうとしてなってるんじゃないね。そのまんまだ。そのまんま生きてる。僕みたいな、そのへんに転がってる普通の口が先、アタマが先の人間には容易にできる業じゃない。高田渡になれない人は、高田渡になれないだけの、その、なれないという要因になる執着を持っている。下らないものも含め、いや、本質的にはほとんどが下らないのかもしれないが、とにかく執着を持っている。言わば、余計な執着があるんだ、きっと。
 僕にはやさしい妻と思いやりがあり明るく育っている息子がいる。妻と子の存在や僕にとっての関係性は、もちろん、僕には余計な執着なんかじゃない。執着と呼ぶのなら、この執着は、僕の絶対的な執着だ。そういう意味では、高田渡と高田渡のヨメさんの関係性ってのも面白そうだな。そこには執着がないとは思えんな。俗人(!)の執着的なところがない、しかし、ある種の執着があると僕には思える。脱線するが、高田渡はある意味、俗人を超えた生を体現している一方で、しかし、彼と彼の歌には、やはりある種の俗人というもの、日々をごくごく普通に生きる俗人的な存在に対する愛情を感じる。 ・・・ とにかく、僕には生きる理由があるし、幸を選び取る理由があるってこと。そこには何の疑いもない。そこに疑いがないことは、僕の幸だ。何とかなるさ、何とかするさ。 _


04年 5月23日(日)   ある カイシャ の昨年度末「道路工事」の粉飾

 僕には変わった友人がいる。僕にとって一番近しい存在だ。これ以上近しい存在はない、僕にとっては家族同様に大事な存在の友人だ。その彼から、彼のカイシャで起きたことを聞いた。月曜、5月17日の出来事を聞いたんだ。

 カイシャ の昨年度末「道路工事」の粉飾 にうんざりするんだと。
 月曜のことだ。そのカイシャはその間、役所の定期的なケンサの期間なんだと。ケンサは大きな部屋で行なわれていて、書類をたくさん集めて、そこでケンサするんだと。

 彼自身は4月からその部署にいるんだが、その日、その部署の昨年度末「道路工事」についてのケンサがあったんだと。書類では昨年度末の 今年3月31日で終わったことになってるんだと。でも、本当は終わってない。「工事」の終了と終了確認は今も済んでない。今月、つまり5月31日の予定なんだと。
 しかし、ケンサには対応可能になってる。見せかけの、フェイクの「道路」があるんだと。本当は完了してない中途半端な「道路」なんだが、限られた時間内で外部の人間がそれを見抜くのは容易でないんだと。で、その部署の課員が説明させられたんだと。彼はとても有能な課員で、こんなことに駆り出されるんでなく、もっと有意な仕事がやれる貴重な人材なんだと。

 僕が働く場所にも似たようなことがある。っていうか、ほとんど同じこと じゃねぇか。どこが違うってとこよ。まさしく、まさしく。

 そもそも、その「道路工事」、必要なかったんだと。目的はカネを使うことだったんだと。その「道路」で、反って「渋滞」がひどくなるんだと


04年 5月23日(日)   ある カイシャ の有印私文書偽造事件

 僕には変わった友人がいる。僕にとって一番近しい存在だ。これ以上近しい存在はない、僕にとっては家族同様に大事な存在の友人だ。その彼から、彼のカイシャで起きたことを聞いた。上の日記 と同じ、僕の第一の友人から聞いた話さ。

 カイシャ のエライさんによる 有印私文書偽造工作 を間近で見たんだという。
 木曜、5月20日のことだ。そのカイシャはその間、役所の定期的なケンサの期間なんだと。ケンサは大きな部屋で行なわれていて、書類をたくさん集めて、そこでケンサするんだと。

 その日、彼の目の前で、エライさんが、電話していたんだと。部下も派遣会社からの派遣職員もいる日常の勤務を行なう部屋、部下も、派遣会社からの派遣職員もいる普通の時間帯のこと。周囲に十二分に聞こえる普通の声で、電話していたんだと。

 そのエライさんは、近場の文房具屋に電話していたんだと。
 「ナンタラやさんですか。  (近場の文房具屋の名だったと。)
  今から言う3人分ですが  (たしか3人だったんだと)
  印鑑を直ぐ作れますか。」

 電話の声が聞こえ、
 僕の第一の友人 「おいおい、印鑑頼んでるよなぁ。」
 課員      「これ、いけないはずですよね。」
 僕の第一の友人 「文書だってそうだが、当然、印鑑だっていいはずがない。(日本では契約等に類する文書を成立させるのが印鑑だ。)
          絶対にそれを不法とする根拠になる法律がある。」

      (外国ではサイン。もちろんサインも本人の知らぬところで他人が書いていいはずがない。)

 (今年の3月の外部の人間に行ってもらった外国出張の実施手続きが未だ。委任状も承諾書もない。
  それを急遽デッチ上げるための印鑑購入ということだったんだと。
  その外部の人間の名前が変わった漢字だったり名前だったりでね、その名の印鑑は直ぐは手に入らんらしい。
  金曜のケンサだったのが、当日の木曜になる可能性が出て、
  焦って慌てたエライさんによる工作。
  もちろん、金曜としても間に合わず ― そもそも年度変わって今は5月 ― 、
  どのみちデッチ上げるつもりだったのは間違いない。)

   結局、その店は、期待する時間内にはできないという答だったんだと。

 エライさんは僕の第一の友人の課の課員のところにやってきて曰く
 「三文判でも何でもいいから印鑑直ぐに作ってくれる店、ありますよね。
  ここから一番近いところ、インターネットで調べてください。」

 エライさんは直ぐ席に戻ったんだと。

 僕の第一の友人 「おいおい、ハンコの店探せって言われたの、今?」
 課員      「はい。行けって言われるんでしょうか?」
 僕の第一の友人 「絶対行くなんて言わないように」
 ・・・
 僕の第一の友人が慌てて話していると、全く別件の業務の相談が彼に飛び込み、しかし、そのときの彼はそんな純・業務レベルの話に集中できるはずがない。正直言ってイライラしながら付き合ったんだと。
 だって、印鑑偽造工作進行が気になって仕方ないんだ。(その間に、課の課員が件のエライさんの席に行って話していたので焦ったんだと。エライさんはその後に部屋を出て行ったんだと。)

 僕の第一の友人 「まさか、行けって言われてないだろうね。」
 課員      「大丈夫です。
          エライさんは私が行きますと言うのを期待したみたい。
          ですが、私が場所を伝えただけなので、
          自分で行くことにしたんだと思います。」

 僕の第一の友人 「エライさん、ハンコ買いに行ったの?」
 課員      「はい。今、買いに行きました。」

 (なんたら21って店は、そこらじゅうにあるようだね。)

 ・・・・・
 結局、その該当部分を含めたケンサは、金曜だったんだと。
 僕の第一の友人によれば、金曜、件のエライさんが、店を調べさせられた課員に話しかけてきたんだと。

 エライさん   「いやぁ、無事、ケンサ済みました。
          担当のケンサ官がソフトで、全然問題なく終わりましたよ。
          ははははは・・。」(笑ってたんだと。)

 ・・・・  僕の第一の友人は、もともと、不正とかの問題にはかなり潔癖な人間だ。人によっては、バカがつくくらいに見えるだろう、そういう性分のところがある。そんな彼の目の前で 有印私文書偽造工作 が進行したんだと。
 彼は4月以降、とんでもないことを何度か見たり発見したりしてるが、とりわけエライさんのハンコ屋電話事件のあった木曜以降、いよいよ頭がおかしくなりそうな状態なんだと。僕の第一の友人は以前、そのカイシャを辞めていて、いったん転職してから、短期集中混乱状態の頭で精神的な紆余曲折等々あって(もっと時間かけて考えればよかったって言われたってそりゃそうかもしれんが覆水ボンに還らずってか)、そのカイシャに出戻っている。以前の彼なら、大声出して糾弾していただろう。彼は今、とんでもない精神状態に苛まれているに違いない。彼はしかし、自分を巡る事実経過だけで言えば自業自得の面があるからと、余計におかしな精神状態になってるんだと。

 木曜のその時間帯、その部屋には、そのエライさんの上司はたまたまおらず、そのエライさんの部下に当たる職員が何人もいたんだと。

 僕の第一の友人は、大きな声でため息をつき、「おい、ほんとかよ」と大きく身体を動かしたんだと。彼の見たところ、そのとき、はっきりと嫌悪感、不快感(という言葉では足りない)を表現したのは、彼ともう一人の職員だけのように見えたんだと。他はみんな無言、無表情だったような気がするんだと。

 他に派遣職員が2名いたが、おそらく、彼女らは、自分たちは「とんでもない職場」で働いていると感じたに違いない。あるいは、感じはしたものの、派遣職員の身、ある程度は割り切っているのかどうか、そこまでは僕の第一の友人にも想像がつかないんだと。そりゃそうだな。

 トラックのタイヤ脱輪の事故で大きく揺らぐ三菱、あそこは本社のロッカールームに重大な書類を隠していたらしいな。隠蔽ということだ。
 既に、職員の前では隠蔽すらせず、堂々とやり始めるとはどういうことか。そこには、不正を行なう後ろめたさすら見られない。腐敗というより、頽廃の段階である。_


04年 5月23日(日)   ある カイシャ における非人道

 僕には変わった友人がいる。僕にとって一番近しい存在だ。これ以上近しい存在はない、僕にとっては家族同様に大事な存在の友人だ。その彼から、彼のカイシャで起きたことを聞いた。上の日記 と同じ、僕の第一の友人から聞いた話さ。

 カイシャ における 非人道 にうんざりするんだと。
 僕の第一の友人は、今の部署で4月から勤務しているが、同じ部署のメンバーが、木曜、5月20日から、長期休暇に入ったんだと。心身体調不良によるものだが、期間は未定なんだと。人間は肉体だけで生きているのではない。心と肉体があって、それらが相まって身体を構成している。

 僕の第一の友人は一昨年秋以降、だからこの4月にこの部署に異動するよりずっと以前から、その、木曜から長期休暇となった年配の職員と、わりあい親しくしていた。親しくというほどでないにしろ、一昨年から昨年にかけて、よく昼食の際に外のメシ屋でたまたま一緒になることが多く、心身体の不調と彼の部署の業務環境についての苦痛を聞いていた。よく知っているのだが、エライさんも、その職員がずいぶんと前から不調で、異動も希望していたことを認めているんだと。しばらく前から、医者に罹っていることも知っていたんだと。エライさんは2人いるが、その職員がだいぶ前から不調で、仕事を休みがちだったことは認めているんだと。

 僕の第一の友人がその部署に異動したこの4月以降も、その年配職員はしばしば休んでいたんだと。とりわけ月曜が多かったんだと。あるいは、朝は午後から出ると電話がありながら、結局は午後また電話があって休みってときもあったように記憶しているんだと。「体調がわるいので」という電話が多かったんだと。

 それが、この月曜の朝は、休みの理由を言う口調と内容に変化があって、いよいよ心配が大きくなったんだと(中身はもちろん書かない)。僕の第一の友人は、午前中のうちに、エライさん2人に伝え、彼の心配を伝えたんだと。そうしたら、今まで何も対処しなかったエライさんが、突如、腰を上げたんだと。もちろん上げなきゃいかんが、ずっと前から対処すべきだったんだと。

 火曜から水曜の2日間で一挙にことが運び、その年配の職員は木曜から休みに入ったんだと。
 同じ部署の別の課員も、ずいぶん前からその職員が不調で、休みもしばしばだったことは知っている。派遣職員の人もそう言っていて、みんなが分かっていたことのようなんだと。つまり、ギリギリまで経過しないと、エライ奴等は何もしないんだと。ご本人は前から SOS を発しているのに。

 もしも、月曜に、電話を受けた僕の第一の友人が、それを心配だからとエライさん2人に伝えなかったら、エライさんらは今も、何も対処していないのではないか。

 僕の第一の友人が知る限り、ずっと以前から、体調のすぐれないその職員に対するエライさんの態度は冷たかったし、事務的で冷徹だったんだと。ご本人からも聞いていたし、この4月以降、自分が同席した仕事の話の際も、非情に冷たい態度だったんだと。3月末からの、数ある年度末「道路工事」の一つを、ずっと体調のすぐれない彼も担わされ、彼にとっては相当な負荷が圧し掛かり続けたんだろうって。彼の場合、その、3月31日までに書類上終わってるはずの「工事」がまぁまぁ終わりが見えてきたのが、ようやくもってつい先日のこと。エライさんは、彼の不調に対し、彼の事情に対し、何か対処したなんて形跡はないんだと。あれでしてるつもりなら、それはそれでおそろしいんだと。それが、僕の第一の友人が動いたこの月曜から、エライさんも急に腰を上げ始めたんだと。

 僕の第一の友人は、月曜から火曜、水曜でことが決まり、つまり、ずっと前からエライさんたちが対処していればことはそこまで行かなかったと思われるそのことが決まり、木曜から同僚職員は長期休暇となり、更にはその木曜に、エライさんによる 有印私文書偽造工作の進行 を目の当たりにし、僕の第一の友人は気がおかしくなりそうだと言っていて、それまで連日深夜残業だった彼は、木曜と金曜はとっとと早めに退勤したんだと。しかし、明日の月曜から、どうせまた激務なんだと。

 この、僕の第一の友人は、4月からこの部署に異動しているので、その前の3月末に、その部署の歓送迎会ってのに招ばれたんだと。彼は「歓迎」、そこから他部署に異動する職員と3月で契約終了の派遣職員が「歓送」だったんだと。
 その席上、後半で、エライさんが、更に上のエライさんに、「ご挨拶を」と振ったんだと。
既に上機嫌になっていたエライエライさんはこう言ったんだと。

 「我が部署もいろいろあった。だんだん良くなってきたぞ。   (どこが! と友人は思ったんだと。)
  いろいろあったな。
  ナンタラさん、・・・・・・・(あと一人二人の名が出たような気がするが忘れたんだと。)
  そういうシカバネを乗り越えて、がんばろう!」

 上のナンタラさんは実名で登場だったんだと。以前、その部署で働いていて、激務と(おそらくはその業務環境も原因で)体調を崩し、おそらくは神経も疲れ果て、ついには退職した職員のことだ。
 そのエライさんは、そのうえで、「シカバネ」って言ったんだと。シカバネって 屍 だぜ。

 僕の第一の友人は、退職した彼女が今は元気に生活していることを祈っているし、たぶん、きっと元気になっていると思いたいと言っている。いずれにしても、過労の末に退職した(当時の)部下を、シカバネと呼んだんだと、エライさんは。それで、更に僕の第一の友人が懸念するのは、そのときのエライさんの話を、自分以外の何人が不快感を持って聞いたのかってこと。その言葉は、自分以外の何人の耳に印象に残って、今も記憶に残っているのかってこと。
 なんで心配なのかって、その部署で働いていると、真人間の、ヒューマンの神経が、麻痺してしまう可能性大だって感じるからなんだと。斯く言うその、僕の第一の友人は、その職場を退職したことがあり、その後、無惨な転石を経て短期間の強烈な逡巡と苦痛の末にその職場に出戻ってしまって、4月からはその部署にいる。しかも、ガチョウなんだと。

 その、僕の第一の友人は、今の部署で、重大な健康問題を抱える職員が連日深夜まで働き、休日勤務もしているのを知っているんだと。しかも、エライさんたちも、その重大な健康問題を知っててそのままなんだと。しかも、そのエライさんたちは、その職員が、ほとんど奴隷の行為を、ほとんど強要される横で、ぼっ立っていた、そんな光景も、僕の第一の友人は間近で見たんだと。今月13日の木曜夜の出来事なんだと。しかし、上位エライさんの方は、要するに、あれは本人が奴隷を演じたんだという趣旨のコメントをしてるんだと。驚くべきことだが、どっちも有り得るような気がしてきたのがたまらないって、僕の第一の友人は言っている。その部署では、何でも起きてしまうような気味悪さがあるんだと。
 カイシャの腐敗と頽廃と非人道、既に極まれり、なのか。_


04年 5月23日(日)   北朝鮮の拉致被害者家族の帰国

 昨日、コイズミが訪朝し、拉致被害者2家族の5人が帰国した。アメリカ人脱走兵とされているジェンキンスさんと彼と拉致被害者の曽我ひとみさんの娘2人、つまり曽我ひとみさんの家族3人は未だ日本に来ていない。再会できていない。他にも日本政府が拉致被害者と認定している10人の安否が未だはっきりしないまま。また更に、100とも400以上とも言われる、拉致被害者である可能性が濃厚な失踪者の問題の解明は、その端緒にも着いていない。

 彼らの、被害当事者やその家族の、長年にわたる苦しみは、一体何にたとえれるんだろうか。いや、当事者でなければ到底理解できるものでないその苦しみは、どんな言葉にも置き換えられない深い悲しみと苦痛が充満しているものだろう。救いを見つけて、生き抜く。しかし、その救いがなかなか見つからない。それでも、人は、死なないのであれば、要するに生き抜く。生きていくのだ


04年 5月23日(日)   マイケル・ムーアの「華氏911」、カンヌ映画祭の最高賞受賞

 第57回カンヌ国際映画祭の授賞式が22日夜に開かれ、マイケル・ムーア監督の「華氏911」が、最高賞のパルムドールに選ばれた。

 マイケル・ムーアは、前作の BOWLING FOR COLUMBINE で、2003年 3月にアメリカのアカデミー賞長編ドキュメンタリー部門でオスカー獲得した人。
 しかし、新作の「華氏911」は、アメリカでの上映の目途が立っていない。この映画の配給元はミラマックス・フィルムズという名の会社で、親会社はウォルト・ディズニー。ウォルト・ディズニー社は、今月5日、傘下のミラマックス・フィルムズが「華氏911」を配給することを禁止した。アメリカ国内だけでなく、他の国での配給も未だ目途が立ってないんじゃないか。(040530補足⇒その後、ミラマックスの創始者か何かが個人で配給権を買って配給可能にしたらしい。)

 映画は、9月11日同時多発テロを中心に置き、ホワイトハウスの対応、ブッシュ一族とビンラディン一族やサウジアラビアの王家との関係などに焦点を当てたドキュメンタリー。僕も読んだ、マイケル・ムーアの著作、彼が昨年出版して話題になり大ベストセラーになった Dude, where's my country ? (僕が読んだのは邦訳「おい、ブッシュ、世界を返せ!」の方さ)、これを映画化したような内容じゃないかなぁ、たぶん。アメリカではTVメディアなどでも、ほとんど紹介されず、CNNなんかも、カンヌで上映されましたって程度のようだ。アホで間抜けなアメリカ・メディアってとこかい?

 フランス、カンヌの映画祭だが、今回の審査員9名のうち、5名はアメリカ人だったんだって。少なくとも映画界には、ブッシュのメディア弾圧に負けない声があるってことね。ちなみに、審査委員長は、今回、クエンティン・タランティーノだったそうで。あの人も、なんだかカッコイイよな。
 僕? なんだかカッコワルイよな、相当に。くそっ、蛇足だよ、蛇足


04年 5月23日(日)   僕が生きること、僕らが生きること

 転石してもおかしくなり、出戻ってもまた、こんなで・・・。僕には生きる力がないんだろうかと思う。いや、しかし、ないはずはない。まぁ、死にませんよ!

 おぞましきこと、限りなくあり。いくらでもあり。
 腐敗、頽廃、極まれりということかもしれないが、自業自得だからとあきらめるわけにはいかない。 正しくないこと、人道にもとること、人間的でないこと、これを、不正、非人道、非人間という。何も感じないでいられる人間がいるとしたら、僕にはそれが信じられない。そうでもないのか、世の中いろいろ?

 僕は正気でいられんよ。でも僕は、頭がおかしくなってしまうわけにはいかないのです。過労で倒れるわけにもいきません。僕には妻がいて、息子がいます。僕はどこまでも、正常でいなくてはなりません。だから、どうしましょうかね。僕の頭がおかしくなりそうだという心配は要りません。僕がおかしくなったら、妻も、息子も困るのです。妻も息子も悲しまないはずがないじゃないですか。だから、僕は、きっと大丈夫なはずなのです。単純な論理さ。

 ヘイ、銃声よりも、ダイナマイトよりも、衝撃なのは、愛だろう
 ヘイ、水晶よりも、ダイヤモンドよりも、透明なのは、愛だろう

 (デイト・オブ・バースさん、ありがとう)


 不正と非人道は、いくらでもあります。まさしく、嫌というほどあります。嫌悪、不快、唾棄、侮蔑。どんな言葉を投げつけても足りません。

 土日は、妻や息子とも、確実に、夕食を共にできます。少しは救われ、家族には感謝しますが、もともと愛情で結ばれているはずなんだから「感謝」という言葉は適切じゃないかもしれませんが、本当に感謝します。
 ただ、僕が思うのは、転石時の自分といい、ブーメラン後の今の自分といい、僕には生きる能力、生き抜く力というものがないんだろうか、なんてなさけないんだろうということです。結局、異常だ異常だ、おぞましい(本当におぞましいのは確かで、これは確かに間近で見れば、真人間ならですが、強烈な不快感、嫌悪感にさいなまれるはず、僕は人間性とはそういうもののはずだと信じてる)、しかし、 要するに、僕は生きる力が足りないのではないか。こういう人生の立ち回りをしてしまっていること自体、力の無さではないか。

 ただ、とにかく僕は生きていかなくちゃいけないし、生きたいし、頭もたしかでなくちゃいけないし、精神も保たなくてはいけないのです。僕はそうありたいし、また、そうでなければ、僕の大事な妻も息子も悲しませることになるのです。
 だから、僕は、きっと自分を保つことはするでしょう。ギリギリのところであっても、とにかく保つでしょう。心配は要りません。まぁエライさんをぶん殴ってクビぐらいは無いとも言えませんが。しゃーないや。そんときゃ本当に家族に申し訳ないけどなぁ。

 もう一昨年だか去年だか忘れた、だいぶ前に、僕の第一の友人が、今は休んでる、今彼がいる部署で働いてきた人に聞いた話だけど、以前、会議があったとき、たまたま上位エライさんと下位者の目線が合い、虫の居所がひどく悪かったらしい上位エライさんが、その下位者に向かって、「おい、今、眼(がん)飛ばしたな。何か文句あるのか」と言って怒鳴り、しばらく部屋の空気が凍ったことがあったんだと。異常だな。どこまでも異常だよ。
 そのうち、僕の第一の友人にも、エライさんの異常が向かってくることがあるかもしれないね。つい一昨日の金曜も、そうなりかけた瞬間があったんだと。2、30秒の間、ぶつぶつとからんできたんだと。アブナイ目線で、僕の第一の友人を睨みつけながら、ね。

 僕の第一の友人は、格闘技が好きで、多少は身に覚えもあるんだと。で、こう言ってたよ。
 そのうち、本気でかかってくるがいい。俺はヤツをぶん殴るかもしれんね。バカらしいかい?

 僕は、一応、バカらしいって答えた。でも、人間、どうしたらいいか分からないときってある。いや、分かるんだが、許せないときはある。それがつまらん話であっても、許せない気持ちが積もり積もっていると、後ろから背中を押しかねないかね。ま、落ち着いて考えてはみようか。

 ヘイ、銃声よりも、ダイナマイトよりも、衝撃なのは、愛だろう
 ヘイ、水晶よりも、ダイヤモンドよりも、透明なのは、愛だろう

 (デイト・オブ・バースさん、ありがとう)

 僕には愛する妻がいて、愛する息子がいて、そうして、生きている。愛って、どのくらい衝撃で、どのくらい透明なんだい。銃声よりも、ダイナマイトよりも衝撃で、水晶よりも、ダイヤモンドよりも透明なのはたしかなようだね。僕も、そう想うよ。そう思うよ


04年 5月25日(火)   神経性の胃腸炎とはねぇ

 昨日は終電。というか、昨日も終電というか。ま、大抵とにかく遅いのさ。ヨメさん熱出したってのに終電。熱が下がったってクルマで迎えに来てくれたヨメさん。我が家に帰還。深夜の夕飯。夕じゃねぇ。夜食。
 夜中、いや未明、腹の激痛で目を覚ます。猛烈に痛い。トイレに駆け込む。全国1,000万の当サイト読者の皆さん、汚くてわりぃが超リーゲだ。痛くてたまらず超リーゲ、長時間にわたって在トイレ。その後、寝床に戻り、苦痛に喘ぎつつ再就寝。眠れてるわけねーや。とんでもねぇ夜だ。既に疲れまくってきちんと定時出勤。しかし腹痛は完治せず、深夜残業など無理、翌日以降に悪影響と判断し、早めの退勤(っつったって早退じゃねぇってのが遺憾!)、この際、久しぶりに二郎さんを訪ねることにした。退勤時、病院に行くんで早めに帰ると言ったワシ。なんで身体具合わるくて病院行くって言わねぇと帰れねぇんだ、早退じゃない、残業してるんだぜ、それだって。病院だってほんと、もちろん。ま、久方神経科訪問兼ねての腹痛相談です。ここんとこ行けなくてヨメさん薬もらい続き、「本人が来なさーい」って言われてんのや(当然やがな)。二郎さん、内科もやってんのよ。でさ、神経性だと。俺はおなかの風邪ってやつかなぁと思ってたりもしたけど、神経性って、まぁそうかもな。胃腸炎だか胃炎だか腸炎だか知らねぇが、神経性だと。もうイカレてるんだから俺は。何でも起きるがな


04年 5月25日(火)   久々に訪ねた二郎さん神経科日誌

 ってわけで訪ねた二郎さんには、この間のこと、いろいろ話したよ。神経科に行って勤務先のしょうもない具体的事実関係なんて言わんよ。ま、どんな勤務状況になっていてどんな労働環境になってるのかは言わなきゃいかん。で、僕の心の内部の事実を告発してみるのさ。なんやそれ。
 ま、とにかく睡眠長く取らんといかんのよ。どうしようか、二郎さん。ま、今日は睡眠導入ヤク、抗うつヤクの他に、神経性腹痛緩和効果あるかもヤクを処方してもらった。ありがとさん。はて、明日からまた深夜残業かい? 腹痛治ってないんだ、どうすんだ、くそっ


04年 5月25日(火)   久々に妻子と共にした平日の夕食

 ってわけで、今日はびっくりしかねない時間に帰宅。なんでお父さんがちゃんと息子が起きてる時間に帰宅してびっくりするかねっ。ほんまは当り前のことやで。うちはね、けっこう晩飯遅めなんや。で、今日は初めてだ。本当にちゃんと妻子と夕食を共にする。平日、僕が仕事に行き、妻も仕事に行き、息子は学校に行く。そしてそんな平日に家族3人が夕食を共にする。4月に入って初めてだ。何しろ、息子がメシでなく、息子が寝る前に家にお父さんが帰還した日は、4月に入ってからほとんど無きに等しい。
 息子の笑顔を見る。息子と話す。息子と共に食べる。息子と野球の話をする。息子と学校の話をする。平日って平らな日だよな。平らな日にどうしてこれができない? できなくちゃ僕は人間として一人前じゃないと思う。出戻りだろうが、何だろうが、家族が共にある時間は必要だ、平らな日も休日も。出戻りも人間、生きて、いつか死ぬ。出戻りも人間、家族があっての生き死にだ。花実は生きてこそのもの。 家族が土日のちょっとの時間しか話せないなんて異常です。平らな日は正常でなければならない。休日も正常でなくてはならない。僕は何が正常かは分かってる。息子は明日は陸上記録会。僕はその話をいつ聞いてやれる? 花実は生きて愛でるもの