03年12月 6日〜12月13日

最近の子供はどうか分らないけど、今の大人の多くはガキの頃に日記を何日か書いた経験があるのでは?
斯く言う私もその一人、当然この日記も不定期です。 (2001年8月19日、記)

日記ページの背景変更 ( 031004 )

03年12月 6日(土)   パレスチナ隔離壁「朝日」「私の視点」投稿ボツ原稿公開!

 本日の1本目。

 先月の日記で書いた投稿の件ね(リンク先の「今月」は「先月」でっせ)、 先日、朝日の企画報道部「私の視点」係から、たいへん丁寧かつ長文の(ただし印刷、泣、日付だけ直筆、笑) 掲載見送りお知らせ葉書が届きました。

 「それぞれの分野の専門家や、そのテーマに関心の深い方々のご意見、ご提言を掲載する当欄は、さいわい好評をいただいており」
 「当欄への投稿は一週平均数十通にのぼっています」なんだと。

 ま、あっしは少なくとも専門家ではない。っつーわけで、専門家「先生」の手による、駐日イスラエル大使「論稿」の強弁・詭弁への批判が掲載されさえすれば、あっしは全然かまいません。はて、どうなるんでしょう。
 件の原稿ですが、一応「二重投稿」禁止のルールに則り、当サイト「日記」欄への投稿は控えていましたが(はぁ・・・?)、「掲載見送り」ということですので、ここで公開したいと思います。

 えー、一つ補足しときますと、採用されれば、企画報道部「私の視点」係さんの了解を得て一部文章を追加したいと思っていました。
 イスラエルは 1947年当時の欧米中心の国連でのパレスチナ分割案では、国際管理下に置くとされたエルサレムを除くパレスチナ全土の面積に対し、人口比や当時の土地所有率に全くつり合わない約57%を約束されるのですが、それが既に建国直後の第一次中東戦争の結果、約77%まで領土拡大されています。ですから、今、通常「占領地」と呼ばれているヨルダン川西岸やガザ地区は、もうパレスチナ全土の約23%に過ぎないのです。
 付け加えようと思っていたのは、この数字上の事実だけです。

 ちなみに、昨日の朝日夕刊によれば、イスラエル政府は今月 4日、ヨルダン川西岸の占領地内にあるイスラエル人入植地の一つ、アリエル(人口約17,000人)で、98年間の長期借地権の一般向け入札を公告したとのことです。
 占領地内の入植地は国際法違反、国連総会でも撤去が決議されているというのに、今から98年間といえば、何と西暦2101年、今世紀に入ったばかりなのに来世紀にまたがるハナシです。全く人類の恥としか言えぬ愚行です。

 投稿ボツ原稿「公開」の前に、もう一点つけ加えておきましょう。
 先月22日の朝日朝刊報道によれば、イスラエル国内で今も生きている、ナチスのホロコースト生存者らの間で、「占領をやめよう」という声が拡がりつつあるとのことです。
 その一人、ポーランド出身で元イスラエル国営テレビ報道局長ズビ・ギルさん(現在75歳)は、1988年頃、インティファーダのなかでイスラエル軍に投石するパレスチナ人の少年たちの目を見て、背筋が寒くなったそうです。
 ギルさんは言っています。
 「なんて冷たい、死んだような目をしているんだろう。」
 「あの目は半世紀前、自分たちがナチスに向けていたのと同じ目だ。」

 さらに、他の一人、ルーマニア出身のやはり現在75歳、ロイベン・モスコビッツさんもこう言ってます。
 「迫害や追放された経験の上に築かれた国に、同じことを繰り返す権利はない。」

 ギルさんは時々イスラエルの若者たちを前に講演し、占領をやめるよう呼びかけており、また、モスコビッツさんは、パレスチナ人たちとも協力して、イスラエルの占領政策に反対するデモを毎週、各地で呼びかけているようです。イスラエル国内にある、かすかな「救い」の一つです。

 投稿ボツ原稿は これ です(ちょっと時間かかるかもしれんけど待ってね)。すんません、マックロソフトのワードのまま、投稿時の体裁のまま載っけます(氏名とかは伏せたかんね)。
 っつーわけで、すんまへん、本当はマックロソフト嫌いなんだけど、このボツ原稿はネスケやマック系のOS等でどう表示されるか、ちと不安ではあります。
 全国1,000万の読者のうちで、文字化けしちゃったのに、でも連絡してまで読みたいような人が万一いたら(笑)、是非とも連絡してね。よろしく。ま、大抵は表示されると思うんだけどなぁ・・・。


03年12月 6日(土)   護憲ゴケン五犬「週刊金曜日」「投書」欄投稿ボツ原稿公開!

 本日の2本目。

 先月30日、週刊金曜日と護憲、ゴケン、五犬 って「お題」で日記を書いた。

 「週刊金曜日」への「護憲の旗は五犬の旗か」と題する投稿は、今もって載ってないよ。まぁ編集部小さいし、「掲載見送り」なんて面倒くさい通知を送る余裕はないだろうから、掲載されんのは間違いないだろうね。

 編集委員を務めてらっしゃる 佐高 のおっさんが、つい発してしまった、というか、あんまり気にしてないんだろうな、こういう思考停止言語のコト、ま、とにかくですね、まるでその言葉に「葵の御紋」のような威力でも持った言霊かなんかあるかのように使われた「護憲の旗」って言葉、この言葉をきっかけにして、日本の「護憲運動」勢力の問題を訴えようとしたつもりなんですがね。

 最新号の「投書」欄や「論争」欄にも、「護憲」の文字がオドッテいます。「護憲の旗」を掲げて「闘えば」、「自衛隊」と詐称されている日本軍のイラク派兵は防げたのかい?

 おれはそうは思わないな。日本のこれまでの反体制勢力に決定的に足りないのは、現実を動かす対案だ。「ゴケン、ゴケン」といくら呪文を唱えたって、日本に米軍基地はあり、ベトナム戦争のときはそこからベトナムに何万という米兵が送られたし、核が日本に持ち込まれた時だってあった(今だって判ったもんじゃない)。日米安保体制という厳然たる事実、現実というより「厳実」って書いた方がいいだろうか。こいつをどうするのか対案を考えていかなきゃ、「うちらはヘイワケンポウあるから血は流しません」なんていくら言ったって、米兵がイラク人を殺したりすることは平気で支持するソーリダイジンを戴く国に住んでるんだ、ワレワレは。「ゴケン」と「ヘイワ」の掛け声だけじゃぁ絶対世界に通用しない。

 9条を護るんなら、それで国際社会のなかで生きていくための具体的実際的なビジョンを考えなきゃダメなんだから。 ・・・ おれ? おれ頭ワリイもん。へへっ、ほんとは相当イイんだけどさ、今ちょーしワルイの。っつーか、これからもヨクはないの。頭これからどんどんヨクなったりはせんだろう。ただね、思考停止はいたしません。ボケてはおりませんで。

 投稿ボツ原稿は これ です(ちょっと時間かかるかもしれんけど待ってね)。すんません、マックロソフトのワードのまま、投稿時の体裁のまま載っけます(氏名とかは伏せたかんね)。
 っつーわけで、すんまへん、本当はマックロソフト嫌いなんだけど、このボツ原稿はネスケやマック系のOS等でどう表示されるか、ちと不安ではあります。
 全国1,000万の読者のうちで、文字化けしちゃったのに、でも連絡してまで読みたいような人が万一いたら(笑)、是非とも連絡してね。よろしく。ま、大抵は表示されると思うんだけどなぁ・・・。

 ・・・ すまんですな、最後に1本目の日記とおんなじこと書いてら。当り前じゃん、コピー&ペーストして加工したんだからさ。

 「最後」の後に言っときますが、もちろん、おれは日本軍のイラク派兵なんか反対だぜ。
 一旦この続き打って載せたんだけど、あえてここから本日4本目に移行させる。


03年12月 6日(土)   参観カシオペア

 本日の3本目。
 なんじゃいこのタイトルはって感じかのぉ。

 今日は授業参観日。夫婦で小5の息子のクラスの音楽の授業参観に行きました。
 最初に先生がCDかけて名曲紹介。ディランの 風に吹かれて だったよ。ええ先生やな。先生曰く「この曲知ってる人?」
 手を挙げたのはウチの息子だけでした。「何で知ってるの?」って訊かれて「お父さんがファンです」って回答。鼻高々だねぇ(と思ってるのはオレだけだ)。
 ま、しかし、そろそろ「父、母」って言わせなきゃいかんなぁ(反省・・・)。

 だけど、せっかくの機会なんだから、もうちょっと歌詞の説明とかしてほしかったよ、先生。小5ぐらいならもう結構わかるんだぜ。先生は「僕にも難しい歌詞です。人はいろんなものを求めてきたけど、その答えは風のなかにあるって歌ってるんだ」って説明したんだけど、間違いじゃないんだけどさ、訳詞配ってちょっとだけ考えさせるとか、そんなこともしてくれるともっとよかったな。

 その後はミスター・タンブリンマン(ってカタカナで先生が黒板に書いたんだよ)もかけてたな。後でみんなで他の普通の(?)学校用の楽曲を合奏したりしてたけど、途中、息子は一人でタンバリン担当。上手く演ってたよ。息子がクラスのタンバリンマンだな。

 で、ですね、息子はその後、地域の野球部の練習。それが終わったら「カシオペア」を買いに行きました。今帰ってきたよ。Nゲージの車輌模型だよ。すごいもんだぜ。本当は9月の誕生日に買うものだったんだけど、息子が11月発売の新製品をほしがり、それが発売日が延び延びになって昨日店に入荷、今日買いに行ったってわけ。
 両方の祖父母と我々両親からのお金、それと息子自身が自分で貯めてきたお金を合せて買ったんよ。息子はさっそくレール出して動かしたりしてるよ。ってわけで今日の3本目の「お題」は「参観カシオペア」といたしました次第です


03年12月 6日(土)   サイレント・カントリー「日本国」の岐路に想うこと

 本日の4本目。

 2本目のココ から続けてます。

 「最後」の後に言っときますが、もちろん、おれは日本軍のイラク派兵なんか反対だぜ。米英占領軍の支援に過ぎないし、そもそもアメリカ側自体、同盟国からの支持を示す象徴的意味合いぐらいにしか、受け取ってない。しかし、アメリカには日本がその対米「従属」の意思をきちんとカタチで表現することが、今、コトの他ダイジではあるわけだ。だって、フランスもドイツも支援してくれないし、ブッシュがロンドンに行けば反ブッシュ15万人デモに迎えられたりするんだから(「世界NO.1テロリスト、ブッシュ」ってプラカードは傑作でした、笑えないけど、モチ原物は英語よ)。

 日本は開戦後にイチ早く対米支持表明したどころか、開戦前から、日本の国連大使が、国連による(イラク大量破壊兵器の)「査察継続の必要性に疑念が生じている」なんてホザイタリして、戦争、いや、アメリカのイラク攻撃開始を後押ししてたくらいだ。

 今や、一国のソーリであるコイズミくんが相変わらず「状況を見極めて判断する」って言い続けている横で、ベーカー駐日大使が「自衛隊の年内派遣があっても驚かない」と堂々と発言したり、アーミテージがアメリカで「日本は言ったことはきちんとやるはずだ」と記者団に言ったりしている。日本はただただ追い詰められてるだけだ。アメリカに追い詰められ、テロリストにも追い詰められ。

 こんなヘボ政権を続けさせたのは、先の選挙での国民の多数意思だ。少なくとも民主党がもっと勝ってれば、日本軍派兵を止めた可能性、十分にあったぜ。何しろマニフェストって、明確明白な政策表明したんだからさ。

 今日、先日イラクで殺害された日本人外交官2人 の、日本国外務省と両者の遺族による合同葬が行なわれた。コイズミは涙で声を詰まらせながら、弔辞を読んでいた。

 2人を突然の死に至らしめたのは何か?
 それはテロリストの暴力であり、アメリカ占領軍に対するレジスタンスであり、アメリカの国家テロとも言えるイラク侵略戦争であり、そのアメリカに盲従した日本政府であり、ムノーな日本国ソーリ、「状況を見て判断する」という子供でも日常的にやっている思考方法の表明以外他の一切の考え方、方針を明らかにしないまま、ただただ日本を追い詰めていった、日本を、自国民が追い詰められていく袋小路に導いてきた、我が日本国ソーリであるところのコイズミ、その人とその人に代表される為政者と小役人たちだ。そして、この与党の政治体制が続くことを、つい先日の選挙においてすら、国民の多数意思が支持したわけだ。小選挙区がどうだ、比例区がどうだ、選挙方式に問題がある、そんなことは言ってる場合じゃないと思う。日本国と日本国民の擬似コンセンサスはそうなっちまってるんだぜ。おれは「ゴケン」の人たちの熱意と良心とは裏腹に、「ゴケン」の人たちを含む日本人の民度の低さは、日本人の先祖が見たら嘆かわしくて号泣するくらいのレベルだと思うよ。そうです、おれも日本人の一人ですがね。

 「屍(シカバネ)を乗り越えて」とか「志半ばで逝った2人の遺志を引き継いで」とか言い出したら、皇国の英霊の御霊を護るとか遺志を継いでとか言って戦争続けた、あの「戦前」と、もう変わんねーってハナシじゃねーか。

 コイズミ・ソーリは、この間、2種類のことしか言ってない。他には何も言ってない。
 一つ。
 テロに屈しない。テロにたじろがない。
 一つ。
 状況を見極めて判断する。しかるべきときに表明する。

 これが日本という国の政治の最高責任者が、この間に国民に向かって言っていることの全てだ。驚くべきことだ。驚かなくてはいけないことだ。
 そして、彼は、来週、もう一つ、別のことを言うだろう。


 おれは転石転倒男だけど、日本人の一人として、自分のサイトにこのくらいのこと書いて他人に読んでもらうぐらいのことはしたっていいだろう。そのくらいの資格と権利はあると思いたいもんだ 


03年12月 7日(日)   本日のゴスペル日誌

 本日の1本目。

 熱は下がったと思うけど、なのに何だか熱い。今日、暑い?

 昼間の時間帯にもの凄く眠くなる。ヤクのせい? それとも単純に夜眠れてないから?

 ワークショップは前回新曲を練習したようだし、今日は復習。来週土曜はいよいよコンサート。今日のワークショップは何とか出たかったんだけど、やっぱ大事取って休んどく。

 ちょっと咳が残ってるのと、タンが出る程度(汚ねぇ、ごめんな)。あと、やっぱ鼻水が少し。だから症状はかなり良くなったし、変わった。クラプトン観聴きしに行く前日なんて8度5分だったからな。翌日以降、熱は7度台に落ち、今は何日か前から平熱のはず。だけど大事取る。明日からの仕事のこともある。今週仕事1日休むのはきつそう。風邪ブリ返したりして休んだりすると、後で大変になるんだ。苦渋の選択です。すみません、ワークショップ、2回連続休みです。

 ソプラノの妻に頼んで、テナー・パートの練習部分もMD録音しといてもらいます。幸い最後の新曲は好きなタイプの曲だけど歌詞はシンプルのようなんで、何とかテナー・メンバーのなかに混じって声は出せるぐらいにしとくようにしたいと思います。

 ・・・ っつーわけで、本日のゴスペル・ワークショップお休み釈明記でした。


03年12月 7日(日)   フランスの教育

 本日の2本目。

 今朝テレ朝のサンプロ観てたら、今日はさすがにイラク派兵問題ばかり。田原がゲスト・コメンテーター一人ずつと対談。最初が元外務官僚・現コイズミ・ソーリ補佐官の岡本氏、2番目はIQ50、EQマイナス200の石原都知事。3番目は田中康夫長野県知事。4番目は石破軍事オタク同好会顧問兼国防大臣、じゃなかった防衛庁長官。最後は先日の衆院選挙前にコイズミから頼まれて政界引退した宮沢喜一元日本国総理。

 今日は疲れてるのであんまり書かない。
 岡本氏については特にコメントすることない(あっしが疲れてるので)。
 石原都知事は、最後に登場した宮沢氏と比べて、IQにして3分の1ぐらい、EQは宮沢氏と比べることもなく、日本国で上から1億番目を超える序列になるだろうことが、改めてよくわかりました。
 田中康夫は面白かった。というか、真っ当だった。
 石破軍事オタク庁長官、なんでよりによってこういう時に彼なんだろうね。ま、コイズミ現象の必然ですか。・・・ しかし笑ってられないのが辛い。
 宮沢喜一氏。日本の政界では珍しいインテリであるってのは改めてよくわかった。現役時代、もっと行動力があるとよかった。行動力。行動するための「哲学」がなかった、もしくは足りなかったのかもしれない。

 ここから本題に入る。田中康夫がフランスのことを取り上げて言ってたなかに、フランスの教育のことがあった。
 ご存知の通り(誰に言ってんだろ、おれ・・・)、フランスはアメリカのイラク攻撃支持しなかった。査察が効果を出してきている。査察を続けるべきだと言っていた。
 ドビルパン外相は国連安保理での演説で、たしか、その前にアメリカのラムズフェルドかアーミテージ辺りが「古い欧州」批判みたいなことしてたんだけど、「殺戮の歴史を持つ古い欧州の一国だからこそ、今、イラクへの武力行使には反対したい」って趣旨のことを言ってた。
 シラク大統領は、今も、「戦争は一国でできるが、平和を取り戻すのは一国ではできないはずだ」と言っている。

 もちろんフランスは歴史ある大国の一つだ。大国としての計算打算、それに基づく国益や戦略がないはずがない。しかし、はっきりしているのは、考えを説明するための「哲学」を持っているということだ。あるいは、考えを説明し行動するための「哲学」を持つべきだと思っている、そういう伝統と今現在の実態がありそうだってことである。

 今日のサンプロで田中康夫がフランスの教育に触れ、高校生が大学入試資格試験として受験しなければならない「バカロレア」と呼ばれる試験の「哲学」の問題を紹介し、その内容が興味深かったので、もう少し詳しくウェブで調べてみた。

 で、なるべく簡単に書きます。
 今年6月にフランスで実施されたバカロレアの哲学の試験問題では、社会科学系で「対話は真理への道か」といった設問が出され、文学系では同様に「全面的自由という観念に意味はあるか」など、理系では「自己を意識することは、自分に対して他者となることか」などの設問が出されたそうです。フランスでは、こういう設問に、日本でいうところの高3の若者が論述で回答しなければならないってことです。

 受験生は4時間という制限時間のなかで、こうしたテーマについて論文を書くということです。
 フランスの高校では哲学は必修科目で、ふつう3年時に学ぶが、哲学は学問の集大成という考え方があって、この試験でも点数配分が一番高いとのこと。文系では哲学の試験の点数は獲得点×5で計上、理系であっても獲得点×3、というわけで、哲学はえらく重視されているようなのです。

 現在のフランスの国民教育大臣は哲学者でもあるリュック・フェリーという人で、今年の出題について、「とてもよい。対話は真理へ至るための条件の一つだ」とコメントしたとのことです。

 彼の国でも、教員組合と政府の対立といったことはあるようですが、こういう国では、少なくとも「議論」そのものは、そうやすやすと「不毛の議論」になったりはしないでしょう。そう思います。

 日本で高3に上記のような出題して論述させたらどうなりますかね。いや、国の為政者や役人に先に書かせたいですね。ほとんど白紙に近いでしょうかね。

 はて、あっしならどう書くかな。
 こういうこと、若いうちからきちんと突き詰めて考えさせる国と、そうでない国。そりゃ違いは出ます。・・・ 出ますが、今、それだけを言って嘆いていてもいけない。何とかコイズミ・ヘボ政権、早く辞めさせて、少しでもマトモにしていかなくちゃいけませんよね


03年12月 7日(日)   今日も今日とて言い続け生き続け

 本日の3本目。

 ぼけてんじゃないよ。意識して繰り返してんだからね。全国の統合失調症・臨床研究者諸君、誤解なきよう、よろしゅうね。

 答えは風のなかにある。

 寝つきに唸り寝起きに叫ぶ(コワイな)。昼間眠たい。夜眠れない。

 パラノイド・スキゾフレーニアは、心のコントロールで消耗します。
 パラノイド・スキゾフレーニア・ハイは最近小康状態のような感じがしております。自分では、ね。
 首と腰の椎間板さん? 近頃は首の後ろ側の下の部分の骨が痛いんですが、ま、今日はなるべく横になりますかね。
 ヤクは止まりませんよ。

 パラノイド・スキゾフレーニアの心は 金色の心 を探すのです。
 いつか、僕は解放されます。 そう想うことがまず大事です。いや、実際、解放されるのさ。
 僕は 金色の心 を探します。

 高価なものでも高尚なものでもないです。
 ただ僕にとって僕らにとって、とても大事なこと。

 僕は粘っこく、勝手に生きます。愛する家族と共に。妻と共に。息子と共に。
 田舎や、田舎から離れて住む家族(ど「演歌」へのしつこいリンク・・・)と共に。

 僕は粘っこく、勝手に生きます。
 「社会」にもメッセージを出しながら、たまには微力でも出しながら。
 この 日本国南東北 の地から。
 こう言い続けて、こう生き続けます。少しは力も増すでしょう。生きなきゃいけません。生きますよ


03年12月10日(水)   イラクに派兵する「日本国の理念」「日本国民の精神」

 昨日、2003年12月 9日、日本国政府は「イラク人道復興支援特措法に基づく対応措置に関する基本計画」という名の、本当のところは「イラク侵略占領アメリカ支援追従特措法に基づく日本軍イラク派遣実行計画」を閣議決定した。
 太平洋戦争開戦日(62年前)である12月 8日、ジョン・レノンが殺害された日(23年前)でもある12月 8日、その歴史的な日の翌日のことだった。

 先週土曜、12月 6日、サイレント・カントリー「日本国」の岐路に想うこと と題する日記の中で、おれはこう書いた。

 「屍(シカバネ)を乗り越えて」とか「志半ばで逝った2人の遺志を引き継いで」とか言い出したら、皇国の英霊の御霊を護るとか遺志を継いでとか言って戦争続けた、あの「戦前」と、もう変わんねーってハナシじゃねーか。

 コイズミ・ソーリは、この間、2種類のことしか言ってない。他には何も言ってない。
 一つ。
 テロに屈しない。テロにたじろがない。
 一つ。
 状況を見極めて判断する。しかるべきときに表明する。

 これが日本という国の政治の最高責任者が、この間に国民に向かって言っていることの全てだ。驚くべきことだ。驚かなくてはいけないことだ。
 そして、彼は、来週、もう一つ、別のことを言うだろう。



 ・・・
 そして、彼、コイズミは、昨日、こう言ったのだ。 (注:この下線はリンクでなく強調の下線です。)

 日本国の理念、国家としての意思が問われている。日本国民の精神が試されている。


 バカを言うな。
 昨日、「状況を見極めて」発表された(実際のところは「状況」に追い詰められて発表した)、
「日本国の」、国軍イラク派兵計画には、「理念」というものがない。

 バカを言うな。
 問われているのは「国家としての意思」ではない。
 日本に「国家としての意思」を問うている?  世界広しと言えども、日本に「国家としての意思」を問うているのはアメリカだけだ。

 「意思」なら小5の俺の息子でも持っているぞ。
 しかもコイズミ、俺は自信を持って断言するが、11歳の息子は、お前なんかよりもずっと立派な「意思」を持っているぞ。

 日本が国際社会から問われているのは「国家としての意思」などではない。

 日本が国際社会から問われているのは「日本国の」哲学である。

 しかし、残念ながら、悲しみ嘆き、怒り、驚くべきことに、今の「日本国」には「理念」も哲学もない。何もない。
 あるのは、アメリカという他者への追従の「意思」だけである。しかし、そんなものは、哲学的にアルと言えるものなのか。
 そんな自己、自我というものがない「意思」とは、哲学的に在ると言えるものなのか。
 違うのなら、哲学的には、今の「日本国」には、何もナイ。恐るべきことに、何も無いのだ。
 はっきり言わせてもらうが、日本人外交官2人の死を前にして涙で声を詰まらせたコイズミの頭の中にも、カワグチの頭の中にも、「理念」や哲学は何も無い。ああいう場面で涙ぐむという行為は、ただ単に人間であることのしるしであるか、そうでなければしるしを示すための意識的もしくは無意識的な演技なのか、そのいずれかに過ぎない。・・・ 彼らの場合は、ってことですがね。
 (哲学に関心ある方は ココ をご覧あれ。)


 日本国民の「精神」が試されているだと?
 バカを言うな。

 「精神」とは何だ?
 「精神」とは、コイズミ、お前が一方で、「口先だけでない、その行動が試されている」というように、「日本国の」アメリカ追従・従属を「口先だけで」なく、「その行動」で証明しようとする「精神」のことか?

 「国民の精神」などという言葉で、コイズミ、お前は何が言いたい?

 コイズミ、お前が昨日の会見で言った、「国民の精神」の「精神」とは、
1937年 8月に、当時の大日本帝国の政府がまさしく昨日同様に「閣議決定」した、「国民精神総動員実施要綱」にある「精神」と同じ意味の「精神」のことなのか?
 海外派兵するかどうかで「国民の精神」などというものが「試されている」などと言い出したら、あの「戦前」と、もう変わんないってハナシにならねーのか。



 もう一つ付け加えよう。
 コイズミが昨日、性懲りも無く、壊れたカセットテープのように、(例によって眉間にシワを寄せて)「テロに屈してはならない」と言ったことについてだ。
 これは新しいセリフでも何でもない。この間、ヤツが何度も繰り返し言っていることだ。
 曰く、「テロに屈してはならない」。
 曰く、「テロにたじろいではならない」。
 お勉強大好きそうな、福田カンボーチョーカンくんもよく言ってるね。
 当然イシハラくんやアベくんも大好きな言葉であろう。


 正規軍を相手にした戦争には勝ち負けがあっても、テロとの戦いには勝ちも負けもない。
 いや、テロを相手に武力をもって戦ったら、その戦いは永遠に負け続けるだろう。

 コイズミは昨日、「国際社会でテロを撲滅しようとしている時、テロに屈してはならない」と言ったが、「テロを撲滅」することなど不可能なのである。


 テロをなくすこと。テロを減らすこと。
 それは、テロという絶望的な行為の原因と、その絶望的な行為を支持する群衆・大衆・民衆の心理の背景にある、テロという行為が起きる根源的な原因を取り除くということによってのみ、実現できることなのだ。



 原理主義者や、(絶望的テロ志願者ではなく)プロのテロリストなどは、その根源的な原因を利用しているに過ぎないのであって、元々テロの本質的原因は彼らの手中にはないのである。  (この下線はリンクでなく強調であります。)


 そもそもコイズミよ、「日本国」がイラクに自衛隊という名の国軍を派遣する、派兵することの目的は、「日本国」が「テロに屈して」しまわないことなどではなかったはずだぞ。アメリカのイラク攻撃すら、テロとの戦いでなく、イラクの大量破壊兵器除去がその目的だと言っていたではないか。
 ・・・ バカも休み休み言え。
 そんな理由など、そんな目的など、もともと無かったのだ。


 「日本国」は、アメリカによる対イラク侵略戦争と不法なイラク占領を支持し、支援しているのであり、それを「口先だけでなく」、カネだけでもなく、国軍の派遣という「行動」で示そうとしているのである。


 こんな日本に誰がした?
 その責任は、コイズミと、それを支える政・官と、長年自民党(今は自民公明党)に選挙で投票してきた、民度の低い「日本国民」(の一部って言っときたいもんだがね)たちにある。

 昨日の朝だったな、出勤の身支度をしながら、CDをかけ( Neil Young の GREENDALE だったように記憶している)、時刻を見るためだけにミュートしてテレビをつけていたおれの眼に、欧米人らしい顔の男が日本のオフィスの中で何か喋っている様子が映っていた。字幕には「カルロス」何たら「記者」とか出ていたから、スペイン辺りの新聞の東京特派員ってとこだろう。
 さらに字幕にこんな文字が出ていたよ。
 「日本は政治の意思と民意の間に差があり過ぎます。しかし、民意は行動で示さなければ伝わらないのです。」

 アメリカと共にイラクを侵略し不法に占領しているイギリスだが、先日のブッシュのイギリス訪問の際は、ロンドンで、イラク攻撃とイラク占領に反対する15万人のデモがブッシュを迎えたね。じゅ、じゅうご万人、15万人だぜ。

 おれはとりあえず、昨日から、サラリーマンの「制服」であるスーツの上着に、オレンジ色の文字で Give Peace a Chance と書かれた黄色いリボンを胸に付けて通勤電車に乗っている。もちろん勤務先にそのまま出かけ、帰りの電車の中でもそのままだ。
 おれ、今あんましパワーないからね。とりあえず、の行動です。
 それを毎日続けることしかしないかもしれないし、他にも何かするかもしれない。
 ただし、行動する時には、「状況を見極めて判断」して行動するのではなく、自分なりのリネンやテツガク(恥ずかしくて漢字で書けんよ)に基づいて、あくまでそのうえで、「状況」の中でできる範囲で行動する。
 ・・・ ん、こうやって、こんなことを全国1,000万人の当サイト読者に向かって書いてるんだから、これもリッパな行動かい?  こういうのも、「口先だけでない」「行動」の一つということにさせてもらおうか。

   おれはおれ個人の人生のうえでは「状況を見極め」ることに失敗したし、行動を裏付けるだけのパワーがある哲学も持ち合わせなかった、前科持ちの転石転倒男だけど、しかし、「日本国民」、日本人の一人として、この程度の「行動」をする資格と権利と元気はあると思うよ。ただ、それしか能のない人間かもしれないがね。それでも、少なくとも人殺しよりはずっとマシだと自負している。流石に転石男でもそれだけは確信できるのさ。そう確信するだけの元気は持ってるのさ。
 その元気は、自分が生きたいという「意思」を確実に持っていることと、そして、おれにはそれと同じくらい大事なことだけど、愛するものがある、愛するものがこの世に存在するということに支えられていると想っている。(おれには)幸いなことに、おれはそう確信している


03年12月13日(土)   ゴスペル・コンサート

 本日は我らがゴスペル・ワークショップ参加メンバーのクリスマス・コンサート。

 クリスチャンでない我々夫婦がゴスペルを歌い、しかもクリスマス・コンサートに参加しているわけですが、あっしは Jesus は日本語でイエス、イエスは YES ってことで肯定、苦しくも楽しきかな幸多きかな我が人生の現在のありようを、苦しいところは苦しいと認めて、ですね、しかし楽しいことももちろんある、そのうえあっしには愛するものがある、幸多き日々ではないか、まぁそうやって現在の全部を丸ごと受け入れて、事実は事実として肯定して(事実を否定などできないのだ)、そうやって生きていこうと想っているわけでして。へへっ、長い理論武装じゃのぉ。まぁそう簡単なハナシであるはずもなく、理論武装めいてくるのはやむを得んのじゃ。それもまた事実と認め、全てをいったん肯定して進もうじゃないか。進んだり退いたり止まったり転がったり出戻ったり、事実は受け入れて、また歩いていきましょう。なるべくなら自分なりの哲学を持ちまして、ですね(ゴスペル・コンサートはどこ行ったんだ、笑)。

 ええっ、しつこい風邪(8度5分の翌日EC武道館行ったのが始まりじゃった)のため2回ワークショップ休んで新曲1曲の練習に参加してないあっし、しかも今日は息子の野球の大会もあり(今日は残念ながら試合は負けました、未だ未だこれからがあるんや)我々夫婦は直前のリハーサルにも参加できずって状態でしたが、本番のコンサートには参加。盛り上がって楽しんで来ました。

 コンサートはキッズ・クワイアから。生バンド付き、振り付けもダイナミックな感じがあったし、すごく良かった。大人のクワイア(SPRING OF GRACE GOSPEL CHOIR といいます)は途中「聖書」朗読などもはさみつつ進行。我々夫婦はクリスチャンではないけれど、やっぱり今日はとりわけクリスマス・コンサートだし歌ってることの意味に触れるのはいいと思います。今回風邪で練習不足、準備不足なあっしでしたが、ワークショップに参加できなかった時の曲の Jesus, Oh What A Wonderful Child (この曲ええですわ)も含めて、何とか歌えました。 Jesus, Oh What A Wonderful Child って曲はあっしにとっては最もゴスペルらしいゴスペル曲の一つ。あっしはこういうトラディショナルなゴスペルとヒップホップ系と両方好きですねん。

 コンサートの中で牧師さんが話した、当時虐げられていた羊飼いを救おうとしたイエスの話は、特に心に残りました。クリスチャンじゃない我々も(何度もしつこいか、笑)、そういう行為には感動するし、マザーテレサとかガンジーとかの偉大さには心打たれますからね。クリスチャンには言うまでもなくイエスは特別なわけだけど、それにガンジーはクリスチャンではないけれど、やはり世の中には「稀有な」「聖人の行為」というものは確実に存在します。ブッダとか親鸞とかだってそうだったんだと思うし、イスラームのムハンマドも。こういう言い方自体は、特定の宗教を信仰してない人間の言い方ではあると思うけど。

 コンサートは過去に2度ほどキッズ・クワイアの方で(教会の礼拝堂の)ステージに立っている息子ですが、今回は観客の中。コンサート後の打ち上げピザ・パーティには3人とも参加し、それぞれ歓談を楽しみました。息子はなんか大人のなかに混じってたみたいだな(笑)。

   「もちょっとで治る今回のあっしのシツコイ風邪」的にはもう1日歌うの避けた方がよかったかもしれんけど、精神衛生、精神の健康上は参加して正解。風邪はもうすぐ治りますんで(笑)