04年10月28日〜11月17日

最近の子供はどうか分らないけど、今の大人の多くはガキの頃に日記を何日か書いた経験があるのでは?
斯く言う私もその一人、当然この日記も不定期です。 (2001年8月19日、記)


04年10月28日(木)   イラクの日本人旅行者人質と日本国

 以前の日本人人質は、ジャーナリストやNGOの人、ボランティア活動者だった。そのときに僕は、こんなことを書いている。

イラクで日本人3人誘拐 (040410)
イラク日本人人質解放に触れて政治屋、政治家の格を想う (040417)
イラク日本人人質問題を巡る日本の低劣な民度 (040425)

 今回は、旅行者だ。ニュージーランドの語学学校に行き、その後のルートは分からないが、イスラエルとヨルダンを旅して、アンマンからバグダッドを目指したらしい。アンマンのホテルのフロントが言うには、5日間で戻るつもりだったとの話もある。無茶には違いない。同宿の日本人にも、このフロントのヨルダン人にも、強く止められたのに振り切ったということのようだ。
 この人は間違いなく、いわゆる「貧乏旅行者」だ。「貧乏旅行者」と一口で括るのは本当はずいぶん乱暴な話で、やはり 20歳代のはじめ頃の時期に1年近く「貧乏旅行者」を経験し、旅先で多くの「貧乏旅行者」に遭遇した僕としては、動機にしろ、目的にしろ、旅への想いにしろ、旅の仕方にしろ、とにかく様々だってことを知っている。ただ、この人が俗に言う「貧乏旅行者」であることは間違いないだろうし、それ以前に「旅行者」である、つまり、ジャーナリストではないし、ボランティア活動者ではないし、NGOの人でもない。日本政府、「有識者」、多くの日本人大衆に相当にわるく言われるのは確かだろう。曰く「危険を承知のはずが一体どうして」、曰く「はた迷惑な・・・」。

 日本を発って長く経過した頃の「日本人貧乏旅行者」は大抵、情報に乏しい。新聞など取ってるはずがない。TVも見る機会が(ほとんど)ない。雑誌も(ほとんど)見ない。ラジオは大抵持ってない。僕はよく憶えてる。1983年の9月だったはず。シリアのパルミラの安宿に一人投宿してるとき、フロントのおっさんが新聞を見せて教えてくれた。英字新聞だったかアラビア語の地元紙だったかは全く記憶にないが、写真は出てた。で、おっさんが僕に説明してくれた。今ウェブ検索すると1983年9月1日未明のことだったらしいが、ニューヨーク発アンカレッジ経由ソウル行きの大韓航 空ジャンボ機が樺太(サハリン)沖の上空で、ソ連戦闘機のミサイル攻撃により撃墜され、乗員乗客合わせて269 名が死亡したという「大韓航空機撃墜事件」。遠くシリアのおっさんにもそれはとんでもない、驚きを持って受け留められた事件で、それを日本人の一旅行者に、「おい、若けぇの!」といった感じで伝えてきたのだった。・・・あ、話がだいぶ逸れた。

 ただ、「貧乏旅行者」には、「貧乏旅行者」同士(同志かどうかは分からない)の連帯意識みたいなものが不思議とあったりして、互いに知る「現場の情報」みたいなものを寄せ合って、「現実」や「状況」を理解しようとする。それに今あんなことになってるイラクの隣国のヨルダンにいたのだ。そして、この人が日本を発ったのは、既にイラクへのアメリカの攻撃の後だったようだし・・・。ただ、何かちょっと「行って見てきたい」、そう思ったその気持ちが分からないとは僕は言わない。僕はある意味、分かる。でも、また、旅行者が行ってはいけないところだったのは確かだ。ちなみに僕がその周辺を旅した21年前のイラクは「貧乏旅行者」が入国を許される国ではなかった、余程のコネやツテがなければ無理だった。僕はシリアにもヨルダンにも、イスラエル占領下(それは今現在もそうだけど)のパレスチナにも行ったが、イラクには行かなかったし、当時イラクに行こうとも思わなかった。ただ興味が沸かなかっただけなのだが、その当時の僕は。まぁとにかく容易に入れる国ではなかった(イスラエル、パレスチナは実に容易だった)。

 彼はジャーナリストでもなくNGO活動者でもなくボランティア活動者でもない。そうした人たちが人質になった時ですら「鬼の首を取った」かのように非難した日本政府関係者、「有識者」、日本人大衆の多くが彼を批判、非難するだろう。しているだろう。しかし、彼が一個の生命であり、人間であることに変わりない。また、日本人の生命と安全を守ることに日本国政府が尽力しなければならないことも確かなのである。僕は彼に深く同情している。人間は間違いを起こし、判断を誤る時があるのだ。滅多に誤らない人もいれば、しばしば誤る人もいる。しかし、とにかく多くの、個々の人間が、時に判断を誤るのは確かなのだ。

 そしてもう一つ確かに言えること。既に日本人のジャーナリストがイラクの地で命を落としている。殺害されている。そして、また、今回の旅行者人質事件。旅行者であれ何であれ、日本が海外に「自衛隊」という名の軍隊を送り(それが「人道支援」という名の背後に隠れた対アメリカ追従政策であれ、いやだからこそ)、そのことが原因となって、海外で日本人の生命が狙われる時代に我々がいるのだということ。ことイラクに関わって言えば、全ては、イラクにおける大量破壊兵器の存在という、確かな証拠も掴めず、かつ後になって当時アメリカが国際社会に提示した「証拠」なるものはどれもこれもイカサマだったことが判明した、そんな根拠のない理由を強弁して、そして国際社会の大半が反対する中でイラク攻撃を強行したアメリカに対し、真っ先に日本国総理が世界に向けて支持表明したことから始まったことだ。もちろん、そこに至るまでには、多くの規制事実と状況追認の憲法解釈が積み重ねられていた。
 とにかく、日本国政府の政策決定(と日本国民の無言の支持)が原因で、あるいは口実となって、海外で日本人の生命が狙われる時代になった。このことはもう揺るがせようのない、否定しようのない事実なのだ。


04年10月28日(木)   本日は大久方の有休なり

 月曜は日本シリーズ最終戦の最後の方を自宅で生で観たから、そんなにひどく遅くはなかった。火曜は、23時10分過ぎ頃に退勤、帰宅したのは夜中の 0時15分頃。それから「晩」飯。そして、昨日、水曜は、24時20分に退勤。おいらの終電には乗れず、二つ手前の駅に終着の終電に乗車。そこまで妻のクルマ迎えを受け、午前1時半頃に帰宅。それから「晩」飯。

 近頃は首が痛くて痛くて、横になって寝るのもしんどい。今日はかなーり久方の有休にしたけど、やっぱり首が痛くて眠りにつくまで大変だった。シゴトの山はぜんぜん減らない。減らしても減らしても、それ以上に加わる。専任実務担当者が休んでもう半年に近づこうとしている。

 今朝、目を覚まし、首の痛みもあって(他にもいろいろあるんだよ!)、身体はもっと眠りを欲しているのに寝てられず、起きてきて、シゴトのメールを職場に打ち、仕事に出掛けた妻が残してくれた朝のサンドイッチを食べ、しばし休む。そして、ロック を更新して、ポール・サイモンの THE PAUL SIMON SONG BOOK を加えた。
 このアルバムには、ポールがギター1本で歌う FLOWERS NEVER BEND WITH THE RAINFALL が入ってる。さ、そいでもって、前を向いて、FEELIN' GROOVY にもつながっとこ。毎度のキメ言葉さ。
 僕はまだまだ生きていく。まだまだ、「何か」をやる。生き続ける。「何か」をやる。僕には希みもあるし、cause もある。
 詩もあるし歌もある音楽もある。人生には全てが詰まっている。満ちてる


04年10月30日(土)   作業シゴトにて昨日も日付変更線を越える

 昨日は 24時15分退勤。・・・ってわけでもう「今日」になってたのであった。水曜同様においらの終電には乗れず、二つ手前の駅に終着の終電に乗車。そこまで妻のクルマ迎えを受け、午前1時45分頃に帰宅。電車もちと遅れてた。それから「晩」飯。妻には先に寝てもらった。

 アタマが覚めまくってるもん。ぼーっとしてた。TVはつけっぱなし。午前3時20分頃、つけてたニュース専門チャンネルで、「只今入ってきましたニュースをお伝えします」。イラクの日本人人質 であると思われる遺体がイラク国内でみつかったとの一報。午前4時過ぎには、日本の外務省の報道官の記者会見が流されていた。僕は、それからしばらくして、レンドルミンを飲んで、寝床に着いた。

 今朝、目を覚まし、例によって身体はもっと眠りを欲しているのに寝てられず、起きてきて、妻が残してくれた朝のサンドイッチを食べた。しばらくして、ソファに横になった。ピンク・フロイドの『原子心母』をかけた。そのうちソファで眠ってしまった。午後になって、再び目を覚ました。そりゃ、覚ますさ。僕は生きてる


04年10月30日(土)   イラクの10万人の生命と日本人旅行者1人の生命と

 昨年3月の米英軍イラク攻撃開始以降、イラクの一般市民の死者は10万人以上とする論文が発表された。おいらは知らないけど、報道によれば権威あるイギリス医学誌ランセットの電子版。執筆者はアメリカのジョンズ・ホプキンス大の研究グループ。先月、イラクで無作為抽出した33地域から各30世帯、計約1千世帯を面接調査。これまでの米英のNGO イラク・ボディーカウントなどが報道を基に推計していた約1万6千人を大幅に上回る数字となった。しかも、調査対象地域には激しい戦闘が続くファルージャ周辺が含まれていないということで(面接調査だもんね)、その点を考慮すると推計死亡者数はもっと多いものと思われるということだ。このなかには、いわゆるテロによる死者も含まれるわけだが(それも米英の攻撃による、事実上の アメリカ占領統治がなければなかったことだ)、ランセット編集部は「(米軍の)空爆による市民の死者増加という報告には説得力がある」とのコメントをつけたとのこと。

 イラクの日本人人質 であると思われる遺体がイラク国内でみつかったとの報道。日本政府関係者の多くは本音のところで「何と困ったものだ」と渋い顔をしているだろう。日本人大衆の多くも、一部は同情するにしても、「自分で危険なところに行ったのだから」という辺りだろう。しかし、彼が一個の生命であり、生身の人間であり、しかも兵隊でも何でもないという事実の重みは動かしがたい。また、日本人の生命と安全を守ることに日本国政府が尽力しなければならないことも論を待たない。僕は彼に深く同情している。人間は間違いを起こし、時には判断を誤る時がある。滅多に誤らない人もいれば、しばしば誤る人もいる。しかし、とにかく多くの、個々の人間が、時には大きく判断を誤る。

 既に日本人のジャーナリストがイラクの地で殺害されている。とにかく、日本国政府の政策決定(と日本国民の無言の支持)が原因で、あるいは口実となって、海外で日本人の生命が狙われる時代になったのは確か。日本国のアメリカ追従政策のもとで。

 夜のTVニュースによれば、発見された遺体はどうも心配されていた人質とは違うらしい。一見して、アラブ人風に見えるという、その人の死は何だったのか。ここにも一人の死があったことは間違いない。また、搬送された遺体が元々、先に報道された遺体とは別人のものである可能性も報道されている。人質は今、生きているのか。発見されたという遺体の持ち主その人はもう生き返らない。僕は人質が生きて解放されることを心から願う。

 僕はもちろん、理由が何であれ、民間人を、市民を殺害するテロリズムを憎む。しかし、また、アメリカが行なっていることは「国家テロリズム」と形容できるようなことだ。どれだけのイラク人市民が米軍の空爆で殺害され、どれだけのイラク人市民が米兵の銃撃で殺され、明確な根拠もないままに拘束され収容所で虐待され、どれだけのイラク人の平安な生活が奪われてきたか。それは、アメリカのイラク攻撃でサダム・フセイン独裁政権が倒れたことと引き換えにできるようなことではない。

 イラク人市民の死者は既に10万人を超えるという。その、10万人余の中に含まれる一人一人が、イラクで人質になった日本人旅行者も持っているように尊い生命を持ち、亡くなれば悲しむ家族を持ち、生きていれば有り得たその先の人生を持っていたはずだ。10万人のイラク人というのはいない。一人一人異なる個性と家族と人生を持つ、そして互いに異なるその先の人生を持ち得た、そうした個別の(一人の)イラク人が、全部で10万人以上殺されたと言うほうが現実に見合っている。


04年10月30日(土)   君が代、日の丸、天皇発言

 一昨日だったか、園遊会ってヤツで、東京都教育委員会の委員をやってる将棋の米長邦雄が、「天皇」氏から「教育委員のお仕事ご苦労様です」みたいなことを言われ、「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と応えたんだと。バカなやつ。まぁ応じたというより、事前にそう言おうと考えてた確信犯かもしれないが。

 「やはり、強制になるというものではないのが望ましいですね」
 これがその時、「天皇」氏が即差に応じた言葉だ。僕はTVニュースの映像でもこの場面を見たが、これはどう考えても、宮内庁の役人が用意した言葉とは思えない。おそらくは「異例の肉声」ってやつだろう。人間に違いない(笑)、天皇と呼ばれる存在が実際のところ何を考えてそう応じたのか、それ以上の「肉声」はないので真実は分からない。ただ、役人にしろ、政府にしろ、当の米長にしろ、思わぬ発言に当惑したかもしれない。まぁそもそも米長はその先を考えずにツマラン言葉を出したんだろうし、米長が「天皇」氏にそのようなことを直接持ち出して言葉にしたこと自体、役人も政府も当惑させるものだったに違いない。反響を呼んで、国旗掲揚・国歌斉唱の強制を推進したい側にすら、傍迷惑な言動だったのかもね。

 米長はたしか「新しい歴史教科書をつくる会」とやらのメンバーでもあるはず。1999年から東京都教育委員をしており、教育現場での国旗・国歌の徹底を推し進める発言を度々してきたおっさんだ。その東京教育委員会は、昨年の秋に都立校の卒業式や入学式等の式典での「日の丸」「君が代」の扱いを細かく規定、「日の丸」を掲揚する位置だの何だのホンマ細かいマニュアルのようなものを策定して、従わなかった教職員を大量に処分してきた。ほんと、この人たち、つまり東京都教育委員会のおっさんたち、バカである。おいらがTVで見た感じでは、米長のおっさん、なんかポカンとした表情に見えたな。ただ、新聞報道によれば、「天皇」氏に「強制はちょいとねぇ」という趣旨のこと言われた後、「もうもちろんそう、本当に素晴らしいお言葉をいただき、ありがとうございました」と答えたんだと。どうにも、舞い上がっちゃった感じの言葉だね。ほんと、この人、バカである。


04年10月31日(日)   イラクにおける日本人旅行者1人の死

 結局、日本人旅行者の人質の遺体がみつかった。殺害されていた。この人が人質に取られ、日本政府、日本国に対する脅迫がなされたことに関わっては、この3、4日の間にも2回書いた。

イラクの日本人旅行者人質と日本国 (041028)
イラクの10万人の生命と日本人旅行者1人の生命と (041030)

 結局、殺されてしまった。このことにおいて、日本国は最後まで全く無力だった。


04年10月31日(日)   キリスト教原理主義のアメリカ

 いろんなアメリカがある。「民主主義」のアメリカ。自由のアメリカ。ロック・ミュージックのアメリカ。移民の国アメリカ。WASPのアメリカ。キリスト教原理主義のアメリカ。・・・ま、僕はアメリカの専門家じゃないし、アメリカには行ったこともない。ただ、おそらく、こうしたいろんなアメリカが、4文字のアメリカをかたちづくっている。

 今日のサンプロで、アメリカの大統領選挙の取材特集があった。

 ミズーリ州はアメリカの縮図とか。人種の比率などを含め。セントルイスなどの都市には黒人も多く、民主党支持者も多数いるが、都市部以外の面積的には大半を占める都市郊外その他は白人が圧倒的に多く、共和党支持者が多い。過去100年の大統領選挙では、1回を除いた全てのケースにおいて、この州の勝敗と最終的な大統領選の勝敗が一致してきたそうだ。この州においても、今、キリスト教原理主義の支持者が拡大しているんだと。
 大きな教会がある。東京ドーム10個よりも広い敷地。今も拡大工事中。こういうのはメガ教会というらしい。普通のメガ教会なら、礼拝に来た幼児連れの信者のために、ベビーシッターが待機しているスペースがある。しかしこの教会は違う。ベビーシッターではない。幼児だろうが何だろうが宗教「教育」をする。聖書に触れさせる。それは比喩ではない。触らせるということだ。親しみを持たせるということらしい。何でもやる。
 キリスト教原理主義の信者も、指導者も、聖書は戦争を否定していないと言う。正義の為の戦いはあると言う。ブッシュのイラク攻撃を支持すると言う。

 原理主義は、英語では fundamentalism という。同じ f が頭文字なら、fanaticism とも呼んでやりたいくらいだな。
 原理主義といえば、メディアではイスラム原理主義が取り上げられることの方が圧倒的に多い。それがどれだけ影響しているかは、スペース・アルクで「原理主義」を引いてみたって分かるぜ。用例が和英で出ているが、和訳で言えば、原理主義の4文字というより、イスラム原理主義の8文字を使った用例がたくさん出てるよ。ちなみに、キリスト教原理主義の用例は一つも出てない。「キリスト教原理主義者」だけで引けば、かろうじて4つ検索結果が出るけどね、今日現在。えぇいこの際だ、「イスラム原理主義」だけで引いてみようか。・・・16件出ましたね。もちろん、マスメディアに出る頻度の違いはこんな比較よりも実際にはずっと大きいけど。「イスラム原理主義」は影響が世界大かもしれない。ただ、アメリカの「キリスト教原理主義」は、いくら地理的にアメリカ国内に留まったとしても(?)、アメリカという国の世界大の影響力、それに対する「キリスト教原理主義」の影響力拡大を考えれば、これは相当に重大な、アブナイ話ではあります。これは間違いない。

 午前はサンプロを見たが、午後、BSで「情報戦争」というタイトルの番組を観た。戦争(の支持あるいは反戦など)において「情報」が果たしてきた役割、そして「情報戦争」の歴史が紹介され、アルカイダとアメリカの例が特に取り上げられた。
 10年余り前の湾岸戦争の際、クウェートの少女がアメリカの公聴会だったかで証言に立つ。イラクに侵略され、イラク兵が病院に侵入し、幼児・乳児が放り投げられ(叩きつけられ、だったかな)殺された場面を目撃したと涙ながらに語る少女。この証言はアメリカ世論を大きく動かし、湾岸戦争に突入するアメリカをバックアップすることになった。この有名なイカサマ証言の映像を改めて番組で観た。傍聴席のアメリカのご婦人方の涙をも誘ったこの証言は実は広告代理店が仕掛けた演出だったという事実は、今では有名な話だ。この少女は実は当時の在米クウェート大使の娘、もちろんイラクのクウェート侵攻時に現場に居合わせたりしていない。この少女を含む、イカにも幸せな一家という印象の件の大使ファミリーの写真も、この番組では紹介された。・・・演出というのは、演出的言い方だね。これは演出というより、デッチ上げといった方がより正しい。リッパな詐欺である。
 やはり湾岸戦争の時に一時国際世論を動かした、海鳥が油まみれになっている写真。これをアメリカはイラクの攻撃で油が海に流れ出し・・・と環境問題に関する世論まで動員することに成功したが、これも、実はイラクでなくアメリカによる攻撃が原因だったことが後に判明している。これも当時の映像と共に、この番組で「情報操作」による世論誘導などを示す例として取り上げられた。まぁ2つとも今はけっこう有名は話だが、こういうイカサマやペテンを戦争に利用してしまうんですよ、アメリカは。そのうえ、それが罪に問われないなんて、こんな恐ろしい話はそうそうありません。これって罪に問われたって聞いたことある? ないよね。さんざん利用して戦争ドンパチやって、その後にイカサマだってバレたって、やりたかったことはもうやった後なんだよね。今般の米英イラク攻撃だってそうだ。大量破壊兵器はありませんでしたって今になって言ったって、ありますありますって主張してイラクを攻撃したその行為はやり直せないよね。アメリカはしたいことはもうした後なんだ。まだまだ、したいことは続くみたいだけどさ。

 こんなイカサマを平気でやり、こんなイカサマで国際社会を騙そうとし、騙せなくても兎にも角にも強引に多くの人を殺し、それでいて国際社会から「人道に対する罪」で問われもしない(いや問いたい一部国際世論はあるが実際にはできない国である)あまりに強大な世界唯一の超大国、アメリカ。
 こういう国に、狂信的なレベルの宗教の熱情に動かされて国の政治を動かそうとする(それは事実上世界を強引に動かしてしまうことになもなりかねない)、そんな勢力が拡大していることは、あまりにヤッカイな現象であります。


04年10月31日(日)   今日も明日も生きるなり

 今日は野球の試合日だったが、朝の雨で中止。レギュラー組だけは雨の上がった午後から練習。だけど、息子は風邪ひいて頭痛、おなかも具合わるくしモドシてしまい、病院行って帰宅して今は眠ってる。寝れば治る、眠れば治る。よーく休んで早く治りますよう。

 今朝の僕もいつもと同じ、身体はもっと眠りを欲しているのにずっとは寝てられず、起きてきて、サンプロ観ながら朝飯。そうして日曜が始まった。日曜が終われば月曜が来て、平日が終わればまた土日が来る。

 FLOWERS NEVER BEND WITH THE RAINFALL
 FEELIN' GROOVY
 んだな。今日も明日も生きるなり。僕はまだまだ生きるなり。まだまだ生き続けるなり。cause も希みも確かにあるのです。詩もあるし歌もあるし、音楽があるし、人生にはとにかく全てが詰まっております。満ちております


04年11月 3日(水)   文化の日に吼える、喋る、打つ、平静でいる

 ふざけるんじゃねえよ。

 ノッケからなんだな。でも僕が日々の生活で直接的に ふざけるんじゃねえよ って思ってる相手は小さいもんばかり。ってことは僕も小さいってことなんでしょうね。だけど人間、怒りは簡単に静められないよ。ただ、それをどういう行為につなげるかは別の話。ちゃんとどこかで昇華させればよい。マトモにぶつけるべき場合もあれば、無視して相手にしないってのが「あるべき所作」の場合だってある。

 さっき友人からメールが来た。僕は友人の数は少ない。たぶん(笑)。彼は数少ない特に大事な友人の一人。メールをもらって直ぐに返信したりしなかったりだけど、今日は直ぐに返信したい気分だった。大それた(?)世界のことからミクロまで脈絡なげに書いた。でもその「ミクロ」は僕には結局一番大切な世界である「ミクロ」。僕にとっては実は「ミクロ」ではない。僕の「世界」はほどんどそこにある。俗にいう世界にはそこからしか繋がらない。そこからは繋がる。今日はまずはそのメールからコピーしてしまう。


 今、ちょうどテレビを見てるところでした。というか、まだ見ていますが。最終的にどうなるのか分からないし、有権者でない我々には何ともし難いですが、現時点ではブッシュ優先のようです。
 一国が世界の多くの国々の安全保障を左右するというのはおかしな話ですが、それがどうにもならないのなら、 いっそのこと、アメリカ大統領選は全世界の人々を有権者としてほしいと思うくらいです。もちろん、これでは倒錯した考えになってしまいますが。

 イラクで殺害された旅行者、香田さんの遺体は今夜、日本に着くようですね。第三者からすればあまりに無謀なイラク入国だったことを非難するのはたやすいことですが、僕は非難しないし、当然ながら残忍なテロを憎むと共に、世界をより危険にしてしまったアメリカと、法を守らぬ保安官アメリカのイラク攻撃にいち早く支持表明した日本の現政権を疎ましく思い、強い嫌悪感を持ちます。

 今日は休日ですが、この4月以降、人間的(って何だ?)な生活からほど遠くほとんど連日の深夜残業ばかりの僕は、今日もいつもの休日同様に遅くまで寝込み、太陽がずいぶん昇ってから身体を起こし、家でグダグダ(愚だ愚だ、だな)しています。
 息子は今日は野球の試合、本来なら応援に行きたいところです。妻はチームの子供たちのための林檎ケーキをたくさん作り、それを手土産に応援に行っています。

 こちらは今日は暖かいですね。非常に暖かい日です。束の間の暖かさ、というところでしょうか。日本にきちんと四季がある限り、これから、徐々に冬に向かうはず。
 ずいぶん昔と比べればかろうじてという感じかもしれませんが、まだ四季はあります(どうもこのままでは数十年後はあぶなっかしいようですが)。とりあえず、本格的な冬の訪れも近いですね。 皆さん風邪などひきませんよう、お身体ご自愛ください。


 ちょっと前のテレビで、ショーン・ペンがケリー支持を人々に訴えている場面を見た。今日なのか昨日なのか、集会ではブルース・スプリングスティーンが歌い、スティービーが歌い、そしてついさっき、ボンジョビも登場してた。もちろんケリー側。何日か前にはシュワっちがブッシュ応援に駆け付けてるシーンが紹介されてたな。
 今回のアメリカ大統領選挙は分かりやすい。ほんまのバカか、そうでない人か、そのどちらかの行動がはっきり現れる。そういえば、これもテレビで見たんだけど、ブッシュの演説って、たしかネオコンのカール・ローブとかって奴が作ってるんだけど、そこかしこにキリスト教徒が聞けば特別な意味に変わってしまう可能性がある言葉を散りばめてるんだってね。例えば、calling 、これはスペース・アルクで引くと、呼び声、招集、呼び出し、訪問、とあって、次に出ている意味が、神のお召し、使命、天職。語源は、神が宣言(call)したことってところにあるらしい。仮に日本語で使命って訳されても、とりわけキリスト教保守派もしくはキリスト教原理主義者からは、神が宣言し命じた使命と聞き取ってしまう輩が出てくる。そんな言葉を演説に散りばめてるらしい。キリスト教原理主義のアメリカ はほんま恐ろしい。実際、ブッシュは神に選ばれた大統領だと私達は感じているのです、なーんてことを真顔で言ってる信者の皆さんがたくさん、その番組で紹介されてたよ。これってほとんど洗脳、brain washing だね。今回は数多くのアーティストやマイケル・ムーアの頑張りもあって、ずいぶん投票率が高くなり、そうなれば民主党支持派の社会的弱者の投票が増えてケリー有利って説があったけど、しかして実態は、上に例示したようなお人たちの中から(これまで有権者登録もしてなかった人たちまで)投票に駆け付けて投票率を高め、内実はブッシュ有利でしたってこともあるわけだ。実際、保守派のキリスト教会(保守派と原理主義とどう区別していいか分からんときもあるけど)がずいぶんと自分とこの信者に投票を働きかけた影響も大きいらしい。彼らが投票を呼びかければ、誰になどと言う必要はない、彼らは、投票に行けば、それはブッシュに入れるという意味にしかならないのだ。原理主義が怖いのは何もイスラムに限ったことではない(一般論で原理を大事にするってことは大切なことなんですけどねぇココでは別の話なんです)。

 さて、今朝目覚めた時の僕は首の痛みや腕の強烈な張りに加え、腕に痺れを感じていました。起きてからも同じだな。束の間の休日。そして平日が来て、平日が過ぎればまた土日が来る。

 いきなり ふざけるんじゃねえよ。 なんて打ったけど、ニール・ヤングの HARVEST MOON 聴きながらこれ打ってるんだ。気持ちは落ち着いてるよ、そこそこ。

 ではまたポール・サイモンの詩につながっときます。
 FLOWERS NEVER BEND WITH THE RAINFALL
 FEELIN' GROOVY
 生きるなり。僕はまだまだ生きるなり。まだまだ生き続けるなり。cause も希みも確かにあるのです。詩もあるし歌もあるし、音楽があるし、人生にはとにかく全てが詰まっております。満ちております


04年11月 5日(金)   二郎さん神経科日誌

 久方の二郎さん。ここんとこヨメさんにヤクもらいに行ってもらってた。1回? 2回? わけ分からんくなるわ。ヤク中なんでね。【訳注】まぁヤクって言っても、計時装置じゃないよ。計時装置、ケイジソウチ、けいじそうち、ストップウオッチ、計時係、timer ・・・。

 ったく、能面ヅラそのものから、あるいは能面ヅラのおかげのイワユル中間管理職としてのあっしの他部署からのクレーム対応、同じく能面ヅラのおかげで部内の立場上困ってる人からの相談事まで、いやいや他にもいろいろあるのではあるが、まぁ疲れるわ。あやうく久方の二郎さん神経科に間に合わなくなるところだったぜ。

 そういうしょーもないエライさんは放っとけって、二郎さん。うーむ、でも帰りしな思ったけど、以前ならそういうときゃぶっとばしかねない「いきおい」だったはずのおいら、それがこのカンのような質の疲弊の仕方するってのは、やっぱ出戻りの引け目かね。しょーがないなぁ二郎さん、そのへん、専門医として分析してよ(笑)。
 っつーわけで、レンドルミンとルボックスを処方してもらって家に帰ったよ


04年11月 5日(金)   ふざけるんじゃねえよ

 いやはや全く。おいらが日々アタマにくる相手は小物で困る。ほんと、小物入れにでも入れて放りたいわ。小物にアタマにくるおいらも小物なんだろうけど、それが組織の中の話で、「職制上」メの上にあるもんだからボロかばんに詰め込めねぇし、放ることもできん。いやでも付き合わざるを得ない。そうすると、そういう小物にもいちいち腹立ててイラ立つわけだ。組織って上手くいかないと困るよね。出戻りでもこればっかしはガマンできんが、しかし今んとこどうにもならん。ほんま、困るで。

バカに愛想をつかすより ぶん殴る方が好きさ

ふざけるんじゃねえよ てめえの能面ヅラを
ふざけるんじゃねえよ いつかぶっとばしてやらあ
ふざけるんじゃねえよ てめえの能面ヅラを
ふざけるんじゃねえよ いつかぶっとばしてやらあ


 うーむ、頭脳警察3の ふざけるんじゃねえよ では「善人面」になってるんだよな。だけどおいらの相手は能面ヅラなのさ。無表情なんだよ、要するに。
 っざけんじゃねえよ、ったく。・・・ったく、ここで吼えてどうする。あのね、そう言われてもそりゃまた困りますな。

 えーっと、どうすっかね。ぶん殴ってもしゃーないけど、大人しく黙ってられるキャラでもないんだなおいらは。おいらの ロックなアティチュード はこういう小物相手にどうすりゃいいですかい、トム・ペティさん。え? 小物なんか相手にすんなって? いや、あんたと違っておいらは身の器不足で組織の中で日銭稼いでるんだ。小物にも相手するしかねぇわけ。
 あんたが言う通り、ロックはアティチュードが大事なんだ。姿勢だし構えだしスタンスだし、それを言動に表現するってことだよな。生き方そのものがロックになるように生きるってことかい? ・・・難しいな。まぁ難しく考えてちゃ遺憾だね。じゃ、ぶん殴るか。はは、まぁぶん殴らない範囲で何とかせにゃねぇ。何とかしますわ


04年11月 7日(日)   イラク人の生命、アメリカ人の生命、日本人の生命

 イラク人は 10万人以上 死んでいます。アメリカ人は 1,000人以上死んでいます。日本人はこれまでに 5人死にました。

 昨年3月のブッシュのアメリカによるイラク攻撃後のイラクにおけるイラク人の死者。アメリカ人の死者。そして日本人の死者。
 日本人は外交官が二人、ジャーナリストが二人、そして旅行者が一人、全部何らかの武装勢力に殺されました。

 人質になったが最終的に解放された日本人は、ジャーナリスト、NGOの人、ボランティア活動者。
イラクで日本人3人誘拐 (040410)
イラク日本人人質解放に触れて政治屋、政治家の格を想う (040417)
イラク日本人人質問題を巡る日本の低劣な民度 (040425)

 日本人 5人目の死者は旅行者だった。
イラクの日本人旅行者人質と日本国 (041028)
イラクの10万人の生命と日本人旅行者1人の生命と (041030)
イラクにおける日本人旅行者1人の死 (041031)
 結局、日本人旅行者は殺されてしまった。星条旗、つまりアメリカ国旗の上に、その日本人は押し倒されて殺されたらしい。そして、その日本人の遺体は、星条旗、つまりアメリカ国旗にくるまれて発見された。
 どんな理由があっても、彼の殺害は容認されない。ザルカウィ一派とされる容疑者グループの犯行は絶対的に認められない。と同時に、国際社会の大方のコンセンサスを無視したアメリカのイラク攻撃やイスラエル偏向支援(パレスチナ人殺害や弾圧に対するサポート)を肯定できる理由は一つもない。小泉の日本国政府がそのアメリカに盲従することを肯定できる理由も一つもない。日本人の投票行動や政治行動(それは一切行動しないという無作為も含む)がそんなコイズミ政権を事実上容認していることも肯定できない。肯定できることは、唯一つ、残念ながらそういう「現在の」現実があるということだけだ。

 僕は23歳の頃、占領地パレスチナ、イスラエル、ヨルダンを旅したことがある。僕も要するに「貧乏旅行者」だった。「貧乏旅行者」の旅の動機、旅での想いは、「貧乏旅行者」の数の分だけある。全てが異なる。よいとかわるいとかでなく、当然、一言で言い表して同類にできるものではない。旅に対する向かい方なり動機なり歩きながらの想いなり、みんな人それぞれ違うに決まってる。だけど、とにかく僕は無謀だ非常識だと彼を非難などする気にはなれないし、非難しない。
 悲しい「事件」だった。結果の違いだけでなく、ある意味、ジャーナリストやNGOの人などが人質に取られたときよりも、心の深いところに迫る、琴線のようなものに触れる、直に触れてくるような悲しみを感じた。


 ところで、勝谷誠彦というコラムニストくんを知ってますか? この人、僕の感覚では思いっきり「下品で下劣」です。
 例えば、勝谷の10月31日付日記にはこの人の低劣さ、いや「下劣」さを示す表現が出ている。新聞に掲載された小田実のコメントを取り上げてソレを攻撃する中で、勝谷は、小田の、殺された日本人旅行者を「献身的な市民運動家ではないかもしれないが」(つまり小田は「彼は旅行者の一人だろうが」と言えばいいものをこういう持って回った不必要な言い方をした、それは僕もよしとしない)としていたコメント部分の言葉尻を捉え、小田に対してのきめゼリフとして、「小田某の中ではどの程度左へのマイマイ速度がゴウゴウと音を立てて渦巻いているかで人の命に軽重があるらしい。さぞかし国家に助けてもらってまだ飛行機代も払わぬ非国民などは<献身度>が高いんでしょうね運動ゴロの首領様よ。」とやっている。

 小田に対する評価はどうでもいい。ちょこっと横道に逸れておけば、遠い昔の『何でも見てやろう』の小田は面白かったし、おそらくベ平連の頃の小田も貴重なアイディアマンだっただろう。しかし、遥か昔から、僕は現在形の小田には興味を失っている。なにか、しばしば壊れたテープのように感じるようになり、興味を持たなくなった。ずいぶん昔のことだ。

 勝谷は、小田への攻撃の中で、以前別の地元グループらしい武装勢力の人質となり最終的に解放された日本人3人のことを槍玉に挙げているわけだが、彼らが飛行機代を払ったのか払わなかったのか、日本国政府は最終的に請求したのかしなかったのか、僕は寡聞にして知らない。しかし、勝谷の修辞があまりに下劣であることは説明を待たない(僕はね)。

 ついでに言えば、こんなのは一例に過ぎない。この男がテレビに出たりしたらその顔と言い草を確かめてみるといい。暇な人はこいつの名前を検索して彼の日記サイトを見てみるといい。お薦めはしないけどさ。めっちゃめちゃ読みにくいし(改行ないもん)。
 ちなみに最近、勝谷はこちらもコラムニストの小田嶋隆のコラムが自身を取り上げたことに噛み付いて、「事実関係を巡るルールをさておいてもこれはまことに下品で下劣な文章です」と攻撃した。この、島田紳介の吉本興業女性社員暴行「事件」の被害者は勝谷のマネージャーだったことに絡む二人のやり取りはなかなかにつまらなくどうでもいいのだが、この件では小田島隆側の勇み足的表現が度を過ぎたきらいがあったが、しかし、勝谷という人、よく言うよ、である。この人、勝谷その人こそ、「事実関係を巡るルールをさておいても」「まことに下品で下劣な文章」の書き手なのである。まぁ書くときだけでなく喋るときもひどいけどね。すっげ自己顕示欲強そうなのがブラウン管通して伝わってくるんだけど、たぶん本人はあんまり自覚してないだろうな。この人、件の小田島とのやり取りで、最後に、「私が事務所(ロック注:吉本興業を指すらしい)に入っている理由はただひとつ。今回のような時に堂々と法的な措置をきちんととれるようにである。」と締めている。フリーでやらないことを難じられてこういう言葉で返して締めに使う、この人は、単に、ナンだったら法的措置も取れるんですよ私は、ということを言いたいだけなのである。こういうのも僕は「まことに下品で下劣な文章」と思うね。
 ・・・この人の僕が想うバカさ加減は、とにかくこの人の日頃の発言やウェブ上の日記など見りゃ分かると思うけど(「下品で下劣な」例がこれでもかこれでもかと確認できる)、長く書く価値ないのにわりと書いてしまった僕もいただけない。「法的措置」の人の話はこのヘンにしとこう。やっぱ小物なんです(笑)、僕は僕で。
 ・・・後半、途中からだいぶ話が逸れたな(嘆息)。


04年11月 7日(日)   ブッシュにもう4年???

 未だ分からんかったときにも、 ここ のところどころにこの件を書きました。
 ブッシュは、当選してしまいました。

 11月4日、マイケル・ムーアはどうしたか、彼のサイトを訪ねてみた。ここにリンク先を挙げてもいいんだけど、いずれまた更新されていくでしょう。マイケル・ムーアのサイトを見たことなくて関心ある人は、僕のこのサイトのリンク集の others からみつけてください。
 マイケル・ムーアのサイトは、11月4日付で、つまり・・・

Thursday, November 4th, 2004
My first thoughts after the election...

 として、その下に 1,000人以上の名前を並べ、

May they rest in peace.
And may they forgive us someday.

 としたうえで(本来はここに更に イラク人10万人やその他の日本を含むブッシュ「有志連合」などの国々出身の死者 の名前もリストアップしたいけれど・・・)、更に下には、1,000人以上の顔写真をパズルのように組み合わせてブッシュの顔写真を大きく掲載している。

 現在、トップページには、上記の11月4日付の上に、11月5日付のマイケル・ムーアから読者への手紙が掲載されていて、次のように始まっている。

Friday, November 5th, 2004
17 Reasons Not to Slit Your Wrists  ...  by Michael Moore

Dear Friends,

Ok, it sucks. Really sucks. But before you go and cash it all in, let's, in the words of Monty Python,
“always look on the bright side of life!”
There IS some good news from Tuesday's election.

Here are 17 reasons not to slit your wrists:

 17の理由とは、例えば、
1. It is against the law for George W. Bush to run for president again.

 しかし4年は長いけどなぁ。

8. 88% of Bush's support came from white voters. In 50 years, America will no longer have a white majority.
Hey, 50 years isn't such a long time! If you're ten years old and reading this, your golden years will be truly golden and you will be well cared for in your old age.
 50年は長いけどなぁ。長過ぎる。

 However, “always look on the bright side of life!” ・・・だね。

 有権者でない我々、非アメリカ人には何ともし難いが、ブッシュはとにかく再選されてしまった。一国が世界の多くの国々の安全と多くの国々の国民の生命を左右するというのはおかしな話だが、それが現実だ。その現実がどうにもならないのなら、いっそのこと、アメリカ大統領選は全世界の人々を有権者としてほしいと思う。ま、これは倒錯してるけどね。
 世界の人々がアメリカという一国家の元首を選ぶ有権者になったら、それはそれで、まるで(まぁ現実にはない話なんだけどさ)名実共にアメリカに全世界が支配されたって感じだな。転倒だな。それでも世界が壊されるよりはマシか? むろん例えば今回にしたって、ケリーになろうが、そうやすやすと「世界の中のアメリカ」が大きく変わることはなかっただろう。誰がアメリカ大統領になっても同じだとは、中東の多くの人々が抱いてる諦観としてのアメリカ感らしい。そうではあるが、しかし、何か、あのアメリカ大統領選の騒ぎを、アメリカ以外の世界が傍観せざるを得なかったという事実も、どうにも釈然としない、アメリカの、世界における横暴と国家テロを思うにつけ。


04年11月 7日(日)   Always Look on the Bright Side of Life !

 Always Look on the Bright Side of Life !

 Always Look on the Bright Side of Life !

 この言葉は、モンティ・パイソンの言葉らしい。僕は彼らを詳しく知ってるのではないけど、彼らは、僕が持ってる Concert for George というタイトルの、昨年11月に行なわれたジョージ・ハリスン追悼コンサートのライヴDVDで彼らのパフォーマンスを観ることはできる。

 Always Look on the Bright Side of Life !

 いい言葉だな。時に Dark Side を見なくちゃいけないことはあるだろうが、心がけは、

 Always Look on the Bright Side of Life !


 今日も首痛く、肩痛く、腕は強烈に張る。痺れる。ヤクを飲む。でも昨日は大久方で息子の野球の試合の応援に行けてよかったな。・・・そして、平日が過ぎればまた土日が来る。

 時に ふざけるんじゃねえよ。 なんて思うときがあっても、怒りの火が点いても、それでも心は平静でいようと心がけたい。

 Always Look on the Bright Side of Life !

 ポール・サイモンもこんなふうに歌ってる。何度でもつながっとこう。
 FLOWERS NEVER BEND WITH THE RAINFALL
 FEELIN' GROOVY
 生きるなり。僕はまだまだ生きるなり。まだまだ生き続けるなり。cause も希みも確かにあるのです。詩もあるし歌もあるし、音楽があるし、人生にはとにかく全てが詰まっております。満ちております


04年11月12日(金)   午前3時30分、おいらはこれを記録する!

 午前0時45分退勤。カイシャのタクシー券なんか意地でも使わねぇぞと思いつつ、なんだかささくれだってタクシー券1枚ポケットに入れて出る。
 午前1時02分発のモノホンの最終。おれの最寄駅に行く最終はなし。その2つ前の駅までの最終もなし。さらにそこから2つ前の駅までの最終も終わってる。最終の最終。隣の駅までしか行かない。妻には家からの最寄駅の4つ手前の駅まではるばるのクルマ迎え頼む。
 最終の最終電車は12分遅れてきた。10分後に下車。そこからタクシー30分強。7,140円。そんときゃクソッ意地はやめて逆意地でタクシー券使ってやると一瞬思ったが、しかしそれはもちろんタクシー会社指定のタクシー券。使えず。現金払い。領収書くれる。しかしこんなの請求する気ない。バカらしいわ、もう。カネの問題じゃない。おれは飼われねぇぞ。ふざけるんじゃねえよ。 おれはカイシャの奴隷にゃならねぇ。

 そこから更に、コンビニで弁当買ってから、待っててくれた妻の運転でクルマで帰路に。何十分かかかって帰宅。いつもなら妻の手料理食すも、今日はさすがに妻に直ぐに寝てもらわねばと思い、コンビニ購入の弁当食す。ただ今、午前3時30分。明日は8時過ぎに起きてフレックスのコア開始時間、10時からの勤務にする。

 それでも Always Look on the Bright Side of Life !

 Always Look on the Bright Side of Life !

 これからヤク飲んで寝る。

 時に ふざけるんじゃねえよ。 なんて思うときがあっても、怒りの火が点いても、それでも心は平静でいようと心がけたい。

 Always Look on the Bright Side of Life !

 ポール・サイモンもこんなふうに歌ってる。何度でもつながっとこう。
 FLOWERS NEVER BEND WITH THE RAINFALL
 FEELIN' GROOVY
 生きるなり。僕はまだまだ生きるなり。まだまだ生き続けるなり。cause も希みも確かにあるのです。詩もあるし歌もあるし、音楽があるし、人生にはとにかく全てが詰まっております。満ちております


04年11月12日(金)   新潟中越地震

 この間、日本赤十字を通じて義援金寄付した。

 それがどうしたってか。いや、こんな日だから書きたくなっただけだ。カイシャ人間の自己満足だろうが何だろうが、おいらは飼われてるだけじゃない。義援金で自分が解放できるか。それでできるもんじゃないだろうが、しかしおいらはカイシャじゃなくてシャカイに、会社じゃなくて社会の方に繋がってるつもりだ。理由は義援金じゃない。おいらの諸々のアティチュードがおいらを社会に繋げていると想うことにする。ほな、寝るわ


04年11月13日(土)   彼はこれを記録する!

 僕の第一の友人の 2004年11月12日午前3時30分 のその後。え? それっておいらのこと? いや違う違う、おいらの第一の友人は同じ経験をしたのさ。まぁ深いこと考えるなって。

 兎にも角にも僕の第一の友人は午前3時過ぎに帰宅、コンビニ弁当食って、ふーっと一息ついて、ヤク飲んで4時過ぎに寝床へ向かったらしい。睡眠時間は正味3時間切ったかもしれないね。

 さすがに9時出勤はやめたんだと。だが前日の木曜にフチョウが取った取引相手との10時アポ(カイシャにて)に間に合うため、カイシャの最寄駅下車後、小走りにカイシャに向かい、いったんデスクに着いたんだと。9時55分。そしたら机上にフチョウからの電話伝言メモ。「クルマ混んでて30分遅れるから先に始めてて」。ちなみに、このフチョウは大抵は10時30分出勤。フレックスのコア10時からのカイシャ、少なくとも勤怠管理、出退勤記録上、遅刻常習ハンだ。たまに早いときもあるが、逆にもっと遅いときも珍しくない。しかし当日はアポだよアポ、平気で遅れてきて「始めといて」はアホだろう。僕の第一の友人はそう言ってる。
 もう一つ。同席するはずだったガインも遅れた。ガインは前の晩フチョウに命じられ、資料を5部用意していた。取引先から2人、僕の第一の友人と上司のフチョウと部下のガインの3人、当然、どう考えても、ガインは自分をカウントに入れている。それが、遅れた。一人で取引先の相手を先に始めていた僕の第一の友人は、あとで別の業務の課員(ちなみにこの課員は超有能、早くチームワーク取れる環境にしてあげてその先リーダーになった方がよいって話だ)から、そのガインが事前電話さえしてこなかったことを聞いたんだと。僕の第一の友人は、ビジネス・ミーティング終了後、ガインに尋ねた。「何時に出勤してきたんだい?」 このときのガインの答えがフルってたってさ。「はい、フチョウと同じ頃です」。・・・おいおい。

 僕の第一の友人はガチョウ。平気で遅れてくるフチョウとガインを想うと、寝不足で何とか出てきた「我が身」が急速に脱力し弛緩していくのを感じた。僕の第一の友人はそう語ってくれたよ、僕にね。

 彼もよく想っていると僕に話してくれる。ふざけるんじゃねえよ ってね。そりゃ、そうだ。どうにもこうにも僕はスキゾフレーニアだね


04年11月13日(土)   アラファトの死、季刊『前夜』

 アラファトが死んだ。

 先日ブラジルの密林に行って注文した季刊『前夜』創刊号が、昨日届いた。

 『天皇の逝く国で』のノーマ・フィールドと、『ハイファに還って』のガッサン・カナファーニの名に惹かれて買った。カナファーニはパレスチナ人の小説家。彼は、1972年、36歳のとき、車に仕掛けられた爆弾によって暗殺された。
 僕が好きなピーター・バラカンが、季刊『前夜』創刊プレ集会で語った講演録も掲載されていた。ニール・ヤングの OHIO の歌詞とピーター・バラカン自らによる日本語訳も載っていたよ。

 巻頭には、
 破局前夜が新生前夜となる、
 戦争前夜が解放前夜となる、
 その希な望みを、私たちは棄てない。

 とあった。
 いささか旧「新左翼」あるいはその周辺に見られたような語感の言辞という感はあるが、しかし、他に言いようがない、といえば、実際ないかもしれない。これはこれでよい。こう言ってもいい。僕はそう読む。

 昨日の夕刊に、オノ・ヨーコの取材記事が出ていて、彼女の言葉の中にこういうのがあった。
 ・・・世界が真っ暗になったわけではない。
 ・・・現実は、その把握の仕方で変わる。・・・


 現実は、その把握の仕方で変わる。
 これはある意味、逆説的だ。客観的な現実というものはない。主観で現実は違うものになる。つまり、現実はなく、しかし現実はある。
 世界といってもよい。世界というものは一人一人の人間によってそれぞれ異なる把握の仕方によって存在している。客観的な現実としての現実世界はある、いやそれは確かにある。しかし、その世界を認識するのは群衆ではない。世界は私やあなたや彼や彼女、異なる生まれと育ちと人格とを持った個別の一人一人の人間によって、個別に認識される。それらが個別の輝きを失ったとき、その先にマイナスのエネルギーを持つ群集心理となって「世界」に猛威を振るいかねない可能性があるのもまた確かだろうが、しかし出発点は個人だ。それでいてなお空想ではない。個人が異なる複数の個人や彼らが作り出したものとぶつかり(それは直接ぶつかるときもあれば書物や音楽やマス・メディアの場合すらあるだろう)、そしておそらくシナジーを生み、個人の頭の中に特定の概念が生まれ育まれる。
 僕やあなたや彼や彼女にとって、現実は、実際には、僕やあなたや彼や彼女のそれぞれによって認識される「現実」だ。個人が認識する現実は、その個人の把握の仕方で変わる。
 例えば、アラファトは死んだ。これは事実だ。そして、僕はアラファトの死を「見る」かもしれないが、あなたはアラファトの死など「見ない」かもしれない。元々、僕らにとって世界はそんなものだ。誰からも同じに見える「世界」など存在しない。結局、現実は、その把握の仕方で変わる。

 Always Look on the Bright Side of Life !
 この言葉は、モンティ・パイソンの言葉らしい。ギャグの中の言葉かもしれないし、僕はその元々の文脈は知らない。

 僕の、パラノイアで、スキゾフレーニアで、どうにも言ったり来たりワッタリカッタリする脳みそは、これらの言葉を、まとめて同じ大きなカテゴリーの中に入れてしまおうと想っている


04年11月13日(土)   ゲバラ、アラファト、ハバシュ、カナファーニ、ライラ・ハリド

 友人へのメールからのコピー&ペースト。

> ・・・「チェ・ゲバラ伝」・・・

 ・・・

> くだんの映画・・・

 「モーターサイクル・ダイアリーズ」だね。近頃はゲバラの日記も、相棒の書いた日記も話題になってる。ゲバラの話題の時は、なぜかいつも、ふっと「何か」言葉に言い表しがたいものに感情移入していく自分を感じる。ゲバラは永遠かどうか限られた人生の我々には分からないが、だけど僕は、おそらくは今後も少なくとも数十年は振り返られる人物だと思うな。彼の話は数多の政治家のそれよりも、ずっと、いつまでも人の心をつかむような気がする。

 ブッシュが選挙に勝って、それから約1週間でアラファトが死んだ(死が発表されて葬儀が行なわれた)。近年はなんか魚のような顔に見える小柄なじいさんという見映えだったが、往時のアラファトの映像を見ると、まさしく解放闘争の闘士のそれだ。イスラエル建国とパレスチナ人の離散以後、20年余にわたってパレスチナ人の問題はアラブ諸国の権力者たちの「アラブの大義」の半ば建前の中でしか語られていなかったが、1967年の6日戦争でアラブ諸国がイスラエル側に屈辱的な敗北を喫した後、アラファトの率いるファタハのゲリラ闘争が始まり、パレスチナ問題をパレスチナ人自身の手に戻し、ファタハが主流派として率いるPLOのハイジャック闘争とゲリラ戦を含む解放運動によって、ようやくのこと、パレスチナ問題の存在を世界に気づかせた。圧倒的な戦力の優位を誇るイスラエル軍を撃退したこともあった。

 アラファトが誰にも指導者の座を引き継ぐことができないまま死を迎えたことは、ある意味パレスチナ人の不幸であり、アラファト本人にとっても不幸だったかもしれない。ただ、彼とパレスチナ人のこれまでや、パレスチナ問題の解決がひたすら長期化することの原因が、まるで彼のリーダーシップとパレスチナ人たち自身にもあるかのように語られることには(そう語る自称評論家や自称ジャーナリストは少なからずいる)、全くその話者たちの愚劣さと下劣さを感じざるを得ない。
 問題の根っこがどこにあるかなど、国際社会の政治ゲームの中で忘れ去られてしまうものだ。そもそもイスラエルの存続は、アメリカの永続的かつ大規模な政治と経済とそして何よりも軍事の支援がなければ成り立たなかった。

 ゲバラはおそらく今も、パレスチナの地においても英雄だ。思うに、ゲバラはボヘミアンだったのかもしれない。ボヘミアンのゲリラであり、旅人だ。彼は元々アルゼンチン人で、キューバ革命に参加し、キューバの大臣の座を棄て、ボリビアで戦士に戻り、そこで死を迎えた。ゲバラがキューバ人で、つまり、母国の革命に参加した人だったら、あのような人生を歩んだかどうか。

 アラファトやPFLPのリーダーだったジョージ・ハバシュや、36歳で自動車に仕掛けられた爆弾で暗殺された作家のガッサン・カナファーニなどには、そしてパレスチナのハイジャック闘争で名を馳せた女性ゲリラ、ライラ・ハリドなどには、もともとゲバラになる途はなかった。そういう選択肢は有り得なかった。

 ゲバラはさまざまな意味で稀有の人だったと思う。少しでもゲバラを知れば、インテリで、ゲリラで、ボヘミアンで、コスモポリタンで、その全てであった、その人物としての魅力とその人生とその生き様の魅力とに惹き込まれざるを得ないと思う


04年11月14日(日)   パレスチナ

 昨日のこの日記(ゲバラ、アラファト、ハバシュ、カナファーニ、ライラ・ハリド) の続き。またまた友人へのメールからのコピー&ペースト。

 ・・・三好徹の『チェ・ゲバラ伝』の真髄はまぁまぁ自分の脳みその中に入っていると我が身のことながら祈りたい。ちゃんと俺がそれを身体化できているかどうかはかなりの疑問符だけどね(笑)。

> パレスチナについては、・・・

 これは言うとおりで、それは百も承知でああ書いたまでなので(もっとも現地にいないくせに「百も承知」と言うのは言い過ぎだけどね)。
 「絶対的権力は絶対的に腐敗する」というものの一例だと簡単に言ってしまっては物事を単純化しすぎだが、パレスチナ自治政府が腐敗しているのは有名な話。まずは死んだアラファト自身(の一面というしかないが)。隠し資産は本当だろう。それから、自治政府の決定においては全てアラファトがYESと言わなければ決められなかった。自分の方針に合わぬ者は議論よりも前に間を置かず更迭した(ニュースで知る限り)。

 権力が集中していたし、そんなアラファト体制における意思決定の問題(つまりアラファトは独裁者だったのだ、少なくとも晩年の、しかしかなり長期に亘って)はパレスチナの大衆の間にも広まっていて、生活苦にあえぐパレスチナ人は何とかして支援を受けようと、コネでも遠い人脈でも使ってアラファトに直接陳情しようとした。それを受けてアラファトは、ますます「王様」よろしく独断で物事を決定してしまうようになっていったわけ。
 独裁者は大衆のやむにやまれぬ「支持」によってますます独裁者になる。

 自治政府の役人の腐敗も有名だ。これはニュースでも報道されるときがあるが、俺のように現在、パレスチナ支援の団体に入って実際に微力でも関わっていると、そうした支援者たち(もちろん現地にも常駐スタッフを置き、また他にも期間限定で いろんな専門家やボランティアを現地に派遣している人たち)自身の口から自治政府の腐敗が語られたりする。パレスチナ支援者はできる限り自治政府を通さず、直接現地の幼稚園や学校、病院、現地のパレスチナ人の民間のパートナー(日本で言えば要するにNGOみたいなもんだ)に対して支援し、直接コンタクトして協力活動をしたりしている。

 もちろん役人全てが腐敗しているということもまた有り得ないだろうが、パレスチナの大衆の多くは自治政府(もしくは自治政府の役人)を信用しないから、それもあって、一方で大衆はハマスを始めとするイスラム原理主義グループの勢力を支持するようになる。
 ハマスはいわゆる「自爆テロ」を公式に支持しているし、実際「自爆テロ」活動を指導したりしている。しかし、一方で、ハマスが篤志家や信者から集めた豊かな資金力をもって、地元パレスチナの民衆の生活向上・厚生福利のために(支援される側からすればハマスは)惜しみなく資金援助し、また、カネだけでなく医療活動や教育活動(「読み書きソロバン」の他に宗教教育が含まれているのは間違いないが)を盛んに行なっている。そして、これは推測だが、おそらくはハマスは宗教的熱情というものが背景にあって、自治政府と比較すれば、相対的に、「腐敗」からほど遠いところにいて活動しているだろう。

> もっとも、根本的に副産物の享受が目的で、対立を維持したなどと言う気はないけど。・・・

 「彼とパレスチナ人のこれまでや、パレスチナ問題の解決がひたすら長期化することの原因が、まるで彼のリーダーシップとパレスチナ人たち自身にもあるかのように語られることには(そう語る自称評論家や自称ジャーナリストは少なからずいる)、全くその話者たちの愚劣さと下劣さを感じざるを得ない。」

 こう書いたのは、「原因」を主因と置き換えればいい。それでももちろん言葉は本当はまだ足りないんだけどさ。原因はもちろんパレスチナ社会の中に(も)個別に存在している。
 毎日のようにイスラエルのヘリコプターから爆撃され、周囲の家や自分の家がイスラエルのブルドーザーで壊され(ガザ)、日常生活をイスラエルが国連の建設反対決議も無視して建設している巨大なコンクリートの壁で物理的に分断され(ヨルダン川西岸)、街中のそこかしこで検問されてイスラエルの若い兵士にこずかれ蹴られ(ガザでもヨルダン川西岸でも)、という日々の環境の中で、パレスチナ人はささくれだち、幼い子供たちですら強力な人間不信に陥り、憎悪を胸一杯に溜め込みながら大人になっていく、そういう環境の中で、パレスチナは自らの内部の問題とも格闘しなければならない。

 書いたのは、上にくどくど記したアラファト体制の独裁ぶりと「自治政府」の腐敗ぶりはメールの中では「言わずもがな」と俺が勝手に割愛してしまったまでのこと。
 アラファト死後、テレビの報道番組なり新聞なりでいろんな論評が出ているが、アラファト体制に問題があったこと、自治政府の腐敗があったこと、アラファトの死で中東和平が転換していく可能性が出てきたなどと論じる向きもあるが、それは将来的に何かが有り得るのは当たり前の話で、アラファトの死でパレスチナの体制が変われば中東和平の風向きが転換していくという可能性を論じるのは、例えそのような結果になろうとも、是非はさて措き事実として荒波の中で中東和平の舵取りをするその舵がアメリカとイスラエルの強力な腕力によって握り締められ(占められ)続けるということに何らかの変化がなければ、事態は動かないということを捨象してしまっている。
 オスロ合意には最初から無理があったのだ。

 新聞記者や有識者さんたちが、公の場で不特定多数の大衆(読者や視聴者はそんなもんだ)に語るときには、俺が友人相手に出すメールとはワケが違って(もっとも俺は半径数十キロ単位で「脇の甘さ」を出してしまったけど、笑)、問題の根っこに常に 触れるという誠実さと「脇の硬さ」を示さなければならない。

> ゲバラは・・・

 だな。稀有の人でありながら、近づきがたい「孤高の人」というイメージからはほど遠い。そういう意味でも、稀有だな。
 まぁ俺が前のメールで書きたかったことの重心は、ゲバラがそういう存在であることと、アルゼンチン人のインテリの卵でありながら外国キューバの革命に参加し、大臣の椅子にいったんは座りながらまた外国ボリビアに身を投じて革命家としてかつゲリラとして生きる、そして死ぬ、そういう「ゲバラ」というものになる途は、パレスチナ人、つまりクニ(郷里)を追われ、その自分のクニの失地回復を求めて戦い始めたパレスチナの革命家やゲリラや知識人、アラファトやハバシュやライラやカナファーニにはもともと選びようのない途だっただろうということだ。
(・・・なのに俺は毎度、余計なことを散りばめて書き過ぎるんだ【笑】。)

 もっとも最後はアメリカで客死したパレスチナ人哲学者、エドワード・サイードの精神と姿勢自体は近いものがあったかもしれない(サイード自身にはアメリカでの死が「客死」となるという認識などなかったかもしれないが)。
 イスラエル出身のやはり高名な指揮者と共に平和のための演奏会を企画するなど、この「オリエンタリズム」という歴史に残る名著・大著を残した哲学者は、その数奇な生い立ちにもかかわらず、軽々と(「軽々と」周囲には映った)国境や民族、はては宗教の違いを超えて思考を深めていた人だった。

 やや蛇足をまた書くと、サイードはもともとクリスチャンのパレスチナ人だったが、彼がもともとモスレムで尚同じ生き様をしていた人だったならば、パレスチナ大衆への影響力はもっと大きかっただろう。(ここで彼がパレスチナ人のマジョリティであるモスレムでなく、マイノリティに属するクリスチャンだったことがコトの本質に影響を与えたかどうか、それについて何かを言える知見は今の俺にはない。確信にほど遠い想像でものを言うことはできるが、それはやめた方が良さそうな気がする。)

 サイードは、哲学研究や言論活動の他、イスラエル国籍を持つダニエル・バレンボイムという名の有名なユダヤ人指揮者と組んで、パレスチナ人とイスラエル人の共同のオーケストラ演奏を実現させる等、とにかく思考を深めることと共に行動的でもあることを重視した(意識したかは本人以外にはなかなか分からないが、そういう)知識人だった。

 サイードとバレンボイムは、1990年代の初めにロンドンのホテルで偶然出会い、パレスチナ人(パレスチナ生まれのパレスチナ人でアメリカ国籍を持つ思想家)とイスラエル国籍を持つユダヤ人という境遇の違いを超えて意気投合し、その後も親交を深めていった。
 サイードは昨年9月に死んだが、バレンボイムは、昨年10月に、サイード追悼の演奏会をシカゴで行ない、さらに、自分が音楽監督を務めているシカゴ交響楽団のホームページに寄せたサイードの死に対する追悼文の中で、次のように語った。

 「パレスチナ人は最も雄弁な後ろ盾を、イスラエル人は公正で情け深かった相手方を、そして私は心からの友を失った。」

 人間は、厳しく対立し、かけ離れた境遇の違いがあっても、それがまるで実は背中合わせの境遇で互いに振り返れば面と向き合えるかもしれないことを示すかのように、そうやって、時に境遇も文化も国籍も超える(越える)ことができるらしい。
 ジョン・レノンの『イマジン』は、あながち単なるユートピアとは言い切れない。人間にはそういう可能性も秘められている。潜んでいると言ったほうがいいかもしれない。人間の「社会」というものにもそういう可能性が潜んでいるのかどうか、それは普通は悲観せざるを得ないが、個々の人間にはそういう力が現れる場合がある。ジョン・レノンは、そういう可能性を想像してみよう、そう言っていたのかもしれないと思う。そういう、自分や他の人間の想像力や、常には潜んでいるだけかもしれない「想い」のようなものに何かを働きかけようとしたんじゃないかな、ジョンは。ジョン・レノンが意識したかどうかは知らないが。僕はそう想っています。
 ・・・まったく、毎度ながら、話がどんどん横に広がっちまうよ。
 これからホームページのHTMLヤクでも打って、それでもってその後は持ち帰りシゴトだ。・・・ったく(笑)。

 自分が打ったメールのHTMLへのコピーはここまで。
 僕は僕で、モンティ・パイソンから拝借して、HTMLヤクを打っておこう。
 圧倒的な絶望感の中で、かすかな、希な望みを、つまり、絶望感に押しつぶされかねない毎日を送りながら、その中でも「希望」を持って生きようとしているかもしれないパレスチナ人のことを書いた後で、愛する家族との生活があり、爆撃されず、ブルドーザーで家を壊されず、日常生活を巨大なコンクリート壁で分断されたりしていない僕は、やはり今日もモンティ・パイソンの

 Always Look on the Bright Side of Life !

 を記しておくことにする


04年11月17日(水)   かけがえのない時間を大切に

 只今、2004年11月17日の午前2時50分。
 終電に乗れず、二駅手前終着の終電に乗り、妻の迎えの車に乗って帰路へ。助手席に乗って、車が動いて、少しして妻の帽子に気づいた。チャーミングだ。話して直ぐに妻に言われ、僕も思い出した。この帽子は息子の帽子だ。今、12歳の息子、寒くなると毎年この帽子を被ってる。息子のお気に入りだ。息子がこの帽子を被った姿はほんとうに可愛らしい。まだまだ子供なのさ。

 そう話してるうちに、なんだかマジで涙が出てきた。12歳の息子は成長真っ盛り。これからもだんだん、そして、どんどん、成長していく。12歳の今の息子は今しかない。息子の成長は楽しみだが、今の息子もいとおしい。
 僕はこんな時間に帰宅してメシを食って寝ようとしている。明日の朝、息子と僕は、ほんの少しの間、顔を合わせる。そして僕はカイシャに行き、息子は学校に行く。44歳の僕と12歳の息子の今このときは、まさに今このときしかないのだ。僕は、どうしようもなく遅い時間に帰宅し、一人でメシを食い、寝床に行き、そうして、なにか、かけがえのない時間を失ってる気がする。

 ポール・サイモンの歌に RUN THAT BODY DOWN って歌がある。僕は「へとへとになって」ってタイトルにして自分のサイトに訳詞をアップしたけど、日本版のアルバムでは「お体を大切に」って邦題だった気がするな。
 お体を大切に。そして、かけがえのない時間を大切に。

 今日も、
 Always Look on the Bright Side of Life !
 と記しておくことにする