05年 1月29日〜3月27日

最近の子供はどうか分らないけど、今の大人の多くはガキの頃に日記を何日か書いた経験があるのでは?
斯く言う私もその一人、当然この日記も不定期です。 (2001年8月19日、記)


05年 1月29日(土)   US・アブグレイブ・グアンタナモ

 明日30日は、イラクのアメリカ占領下、イラク暫定政府下での選挙。
 ・・・さて、今朝の朝刊の報道だと、イラクで起きた米軍によるイラク人虐待問題で、つまりアブグレイブ刑務所での事件等を含む問題で、被害者や目撃者の証言に基づいて捜査したはずの米軍側が「証拠不十分」などとして大半のケースを一方的に捜査打ち切りにしてしまっているのだそうだ。アメリカの情報公開法により公開された捜査資料で明らかになったと。
 公開請求したのはアメリカの人権団体。アメリカ自由人権協会などNGO5団体が情報公開を請求して、アメリカ政府が54件の資料の公開に応じたんだと。米兵が虐待を認めたり、捜索中に金銭を盗んだりしたケースでも、不名誉除隊など軍内部の処理にとどまり犯罪に問われない。果ては、こうした有罪と判断されたケースでも、関与した米兵が原隊に復帰してるケースなどもあると。

 何だかなぁ。アブグレイブについては中心人物は軍事法廷である程度のレベルに裁かれたような最近の(?)記憶があるけど、大方は事実上、不問なわけだ。アメリカに正義なんてないってことはよく分かりますね。

 さて、キューバにグアンタナモってところがある。グアンタナモはキューバの南東部、その南にあるグアンタナモベイ内には、米軍基地がある。116 km2というから、なかなかに広い。1898年の米西戦争でアメリカが勝ち、キューバを含む、スペインが占領していたカリブ海の島々を自国の裏庭に。アメリカは、グアンタナモベイについては石炭供給地(当時は軍事用はじめ船は蒸気)として利用価値があると考え、キューバが独立した1903年にキューバと2国間条約締結、1年2,000ドルでアメリカによる無期限租借が合意。その後、1934年に条約改「正」、租借料を1年4,085ドルと改定し、さらに租借終了は、両国の合意、アメリカによる基地の一方的破棄の場合のいずれかに限るとされてしまった。条約上、「主権はキューバにあるが、司法はアメリカが完全に管轄し、行政支配権もアメリカが有する」というほとんど論理的に破綻している規定が為されてしまった。法律の絵に描いた餅としてのキューバ領で、本当はアメリカが実効支配という摩訶不思議な状態だ。
 アメリカ政府とその傀儡同様のバティスタ独裁政権・アメリカ企業・マフィアなどにさんざん収奪されてきたキューバでは、1959年のカストロやゲバラによる革命が成功。カストロ政権はアメリカがキューバ内に持つ資産の国有化、農地改革等を断行し、1961年1月にはアメリカがキューバと国交断絶、米州機構から除名。
 革命後のキューバは当然、グアンタナモ基地の返還を求めたが、アメリカはこの不当な支配を止めない。1962年のキューバ危機の後、1964年になるとキューバはグアンタナモ基地への水の供給を止めるが、アメリカ側は最初はジャマイカから水を調達、その後は海水の淡水化施設を建設して、現在まで尚、アメリカはこの土地を強奪したまま。

 この数年、911以降のアメリカによるアフガニスタン攻撃で捕らえた、アメリカが言うところの『テロリスト容疑者たち』の収容所が置かれ、その非人間的な容疑者の扱いで有名になったのがグアンタナモ。上記の詳細は、とりあえず、たまたまみつけた、たまたまあんまり政治性なさそうな気がした(つまり非政治的を探したわけではない)サイトのこのページの記述を参考にした。

 アメリカが国交を持たず、経済制裁などしながら、それでいてそのキューバという外国内に軍事基地を持つ。こういうことをするのを『ならず者国家』というんじゃないのかね。滅茶苦茶だよ、アメリカのやってることは。

 で、このグアンタナモでの米軍の『容疑者』虐待も有名。国際法では戦争で兵士が戦うことは違法ではない。しかし、ジュネーブ条約は、戦場における傷病兵士以外に、捕虜や戦時における民間人や外国人に対する扱いを定めていて、これらに違反することは国際法違反とみなされる。ところが、アメリカはアメリカの言う『テロリスト容疑者』は「非合法の戦闘員」といった屁理屈で定義し、捕虜でもなく犯罪者でもなくて、事実上人権がないという扱いをしている。
 弁護団が拘束者のために申し立てを行なった時など、「グアンタナモ基地はキューバから租借している。アメリカの領土ではないからアメリカの法廷の管轄外」だなどとアメリカ側の主張はもう支離滅裂。アメリカが現実には完全支配してて事実上の領土としてしまっている地域で拘束しておいて、そこにはアメリカの法の支配は及ばないという。アタマがおかしいとしか思えない。西部劇の『ならず者』レベルの論理だよ。

 ある時は「アメリカの法廷の管轄外」と言い、かつ本来キューバ領なのにキューバの司法を含む実効支配も認めず、しかもそこに建設した軍事基地内に収容所を作り、そこには捕虜も民間人でもない、犯罪の容疑者でもない(一体何なんだ!)『テロリスト容疑者』というものを収容して、国際法の適用も当たらないと強弁する。つまり、アメリカの司法もキューバの司法もジュネーブ条約などの国際法も管轄外だという。要するにアメリカ自らが、ここは無法地帯だと言っているわけだ。つまり、アメリカという『ならず者国家』が実効支配する無法地帯だということに他ならない。そもそも『テロリスト容疑者』とも言えないような、証拠全く不十分な『容疑者』が多いとの説だが、どうにもアメリカ以外が立ち入り調査もできず、彼らの扱いの全容は全く分からない。赤十字やアムネスティなど多くの国際機関、国際団体が非難し、BBCなど外国メディアもその劣悪な環境をギリギリ可能な範囲の取材で報道、一部の拘束から解放された元『容疑者』へのインタビューも行なわれている。

 米軍による(アフガニスタンでの)不当逮捕・拘束、グアンタモナへの不当な移送、虐待や拷問、奴隷扱い。ああ『ならず者国家』アメリカ、大した容疑など認められないまま多数を『容疑者』として拘束して移送し、その『容疑』が晴れるまで何年でも拘束し続ける国。国連や赤十字、アムネスティなど人権擁護団体等がどれだけ抗議したって、平気で彼ら『容疑者』の無法地帯での拘留を続ける国。これが自称『民主主義』の国、アメリカです。アメリカが自国外でやってることは、サダム・フセインとどれだけ違うと言えるのかね。まぁ元々建国以来の先住民への仕打ち、アフリカからの奴隷、黒人差別、そして近年は 911以降の・・・、つまり、ひどいのは国外だけでなく国内もなかなかにひどいアメリカではありますが。


05年 1月30日(日)   暴れだす

 今日はイラク選挙。投票所攻撃などを報じるテロップがさっきニュース・チャネルで流れてました。このことは僕が速報しなくても世界中のメディアのニュースで流れます。自国の民主主義に問題ありで、外国にも矢鱈と介入するアメリカが武力で外国を民主主義化することなんて無理。外部からの強制力で民主化するこの矛盾。戦後の日本は異例です。あの時の大方の日本人にはただただ穏やかな日々が欲しかったのでは。あんまり追求する余裕は今無いけど。ただ、言えるのは、日本の場合も民主主義は身体化されてません。戦後60年で未だに戦前から続いてるものがいっぱいじゃん。
 ・・・民主主義の身体化って何?

 僕は身体比叡山。じゃねぇ、身体疲弊はいつ解ける、いつ溶ける。あそこでそこで、働いてる限りは続くのか。
 近頃は再び左手の痺れがしばしば。両腕の上腕はいつも通りの張り。いや、これはここんところ張りが増してます。なんとか弛緩してほしいね、多少は。ここまでは頚椎ヘルニアくん、腰も椎ヘルってやつでして重たいねんで。休日はほんま身体が動かんね。お体を大切にって、昔、ポール・サイモンが歌ってました。
 僕の心は暴れだしたい。したい、だけでなく、本当に暴れだす。・・・といいね、トータス松本さん。

ああ神様オレは 何様ですか
どうしていつも まちがえるのか
悩みはたえず オトナになれず
眠れぬ夜を今夜もまた
笑ってごまかす声もむなしく
飛び出すこともできないままに

ああ 胸が
暴れだす 暴れだす
誰かそばにいて

・・・

もしもあの時
もっと心に余裕があればなあ
今まで こんなに人を悲しませずに
すんだなあ
人のためにできることはあっても
人のために生きることができない

ああ神様オレは
これでいいですか
本当に何も
わからないままで
オトナになって
やることやって
ケガの数だけ 小さくなって

ああ 胸が
暴れだす 暴れだす
誰かそばにいて

・・・暴れだす 暴れだす

 ・・・っつーわけで、ウルフルズの 暴れだす 、歌詞の一部載せさせてもらいました。全部じゃなくて一部、ちっこいサイトだしさ、許してもらいましょう。この歌詞、素晴らしいよ、まったく。ウルフルズの演奏もトータスの歌もいいし、それに実はビデオ・クリップ(PVっつーのかな)のアニメも抜群の出来。泣かせます。不惑のはずの四十過ぎてもこの歌詞とあのアニメーションで心底じんとくるオレはどんなもんか。まぁこんなもんだ。
 「暴れだす、誰かそばにいて」って何言ってるのかってか、それは「オレはこのままでは暴れだしてしまうから誰かそばにいて」なのか、「オレは暴れだす、だからこそ誰かそばにいて」なのか、そいつは聴くものの聴き方次第で受け取ればいいだろう、オレは後者にするよ。
 オレにはそばにいてくれる人はいる。だからおいら、暴れだすこともできるだろう


05年 2月 1日(火)   休む

 暴れだすなんて書いたけど、休むときは休む。サイコロ振ったら1回休みだった。

 昨日もそうだったが、左手の痺れがけっこうひどい。両腕上腕はかなーり張り。肩も張ってる。なんと両足の腿も張ってる。みーんな頚椎、腰椎のヘルニアとこの間の疲労の蓄積のせいである。後者がなければ前者はそこそこ程度だったと思うけどな。
 昨日の帰宅後からヨメさんに「大丈夫か」って言われる感じだったけど、今朝目覚めてもきつい。結局、寝床でアタマの中でサイコロ振ったら1回休みと出たので休むことにした。9時まで寝て、9時に職場に電話連絡。しばらく横になり、途中寝ながら新聞見たりしたが腕がやっぱきつくなり、そのまま眠りに戻ってみた。昼まで眠れた。とにかく今日は休み、休み! シゴトの環境はなーんも変わってないけど、休むしかないがな。

 しかし当日休みを決めるってのはどうもつまらない。計画的に休めればもっとよいし、少しは気が楽になるし、身体もより休めるんだがね。息子の小学校の卒業式の日は絶対に休む。とっくの前に就業記録に打ち込んである。当然だがね。

 暴れだすって思っても、休むときは休む。休みは必要です。当然だがね


05年 2月 3日(木)   福よ来い福よ来い

 今日は豆まき。

 家族3人で豆まきしました。 福よ来い、福よ来い。

 上までは去年の今日と同じ。今日は豆まき。だから同じ。
 何とか10時10分頃着くように帰ってきて、息子には起きててもらって、それで3人で豆まきした。ただし今日はほんま寒かったから、鬼の役回りはおいらとおかんだけ。鬼役は、息子が幼稚園の時に作った鬼のお面を被って豆を受ける。なるべく、お面のところで受ける。内には「福はうち」。みんな幸せでありますように。
 幸せって何だっけ何だっけ、ポン酢醤油はキッコマン、キッコマン。ま、鍋は幸せの味がします。今日は豆まきでありました


05年 2月 5日(土)   ほぐせ、ほぐせ

 昨日は23時57分辺り、退勤。最寄駅に辿り着く終電には乗れず。日付境界線を越え、2つ手前の駅までヨメさんの車の迎え感謝。帰宅は本日午前1時10分か15分頃だったか。それから『晩』(どこがやねん)メシ、結局3時頃に就寝。
 もはや身体疲弊し、首肩腕こり、手は痺れ足も痛く、作業シゴトの環境は何も変わらぬも、身体がキテいるので、年明けからは昨年末までのようには連日深夜、午前サマ、時に徹夜だなどということは不可能なんである。ほとんど毎日なんてさ。ニンゲンじゃないよね。ま、今もそうだけどね、ニンゲンテキとは言えぬ。しかし、自分の責任をはるかに超えたところで身体を壊すのはあまりにバカらしい。流石に転石の出戻りでもキホンテキジンケンはある。間違いない、当たり前だ。

 しかし昨日は遅くなった。疲れた。相変わらず「いやはや何ともはや現象」があったしあるのだが、手が痺れるし詳細割愛。愛? 怒? とにかく書いたら長くなる、いくら何でもの不合理。出戻りでも言うべきことを伝えるべき相手に伝えねば、反って申し訳なかろう。言うこと言うのは自分の為でもあり、ソシキというものの為になることでもある。

 本日はヨメさんが二郎さん神経科に行って、ヤクをもらってきてくれた。おいらは寝てる間に。感謝陳謝。しかし次回は本人が来るようにとのお達しであった。午後は歯医者。しばし、まだ、かかるのだ。毎週土曜の歯医者はたいへんやがな。

 暴れだすさね、いつか、いまも? ま、何とかするがね、いろいろな。


05年 2月 6日(日)   エナジーを

 身体疲弊エレジー。エナジーはどこに。シナジーがほしい。何と? とにかくエナジー。

 腕が重い。張って重いというべきか。とにかく重い。とりわけ上腕。上腕が肘より下に下がる感じ。手は痺れる。これは左手。近頃、痺れの持続時間、頻度いや増し。肩もこる。首もこる。腿も張る。

 もはやだいぶ前から身体はキテいる。 お体を大切に、なのだ。

 2階から息子のピアノの音が聞こえてくる。息子のピアノの音を聴く。台所では妻が夕飯の支度をし出した。息子は何かを取りに来た。上がっていった。楽譜かな? 妻は台所と洗面所を行き来している。僕は。僕は、シゴトに手を出す。少しでも、あるいは沢山か、それとも少しか、とにかく手を出すだろう。

 近頃このサイトも日記ばかりのような。それも自分の身体周辺雑記みたいな。そのうち、また、ロックのページを更新しますがな。書きたいことはいろいろあるねんで、ほんま。

 エナジー、エナジー、暴れだすさね、いつか、今日? 明日? ま、何とかするがね、身体と心身を大事にしつつ。ホッブスは心と身を一元に考えたが、デカルトは心身二元説だったのだった。ん? だっけ? まぁええがな。やるで、何か(笑)。


05年 2月11日(金)   異常な環境の下で如何に正常を保つか

 先週金曜は23時57分辺りに退勤、最寄駅に届く終電には乗れず。日付は土曜になってから2つ手前の駅でヨメさんの車の迎え受ける。帰宅は土曜午前1時10分か15分頃、それからメシ、3時頃就寝。
 もはや週末に10ヶ月分の疲れなど取れず、そもそもそれでもシゴトに手を出す始末。出勤の月曜は身体にムチ打って(独りSM状態かいな?)何とか出る。月曜は何時ごろだったっけ? 記憶してないがまぁ遅かった。火曜は退勤24時。先週金曜と同じパターン。迎えのヨメさんもたいへん。申し訳ない。おいらの就寝は3時頃。

 水曜はきつくフレックスのコアの10時出勤。家を出たのは 8時40分。身体やたらときつく昼休みも一部削りつつ作業シゴト進めるも、その日はあまりに身体がきつくて18時半くらいまでに退勤。サッカーTV観戦が理由じゃないで。そんな余裕ないねん。帰宅したら日本対D.P.R. KOREA(北朝鮮ね)のサッカー世界のさかずき争奪戦アジア最終予選試合をやってました。1対0だったが後半同点となりロスタイムの日本の追加点で2対1の日本勝利。おいらは日本を応援してたけど、在日の2人の奮闘も気持ち良かったな、そして在日の応援の人達。在日選手を応援する日本人。日本側サポーター全体も妙な態度などなく良かったと思う。流石! 在日の人達の北朝鮮応援もすごく良かった。
 で、早めに寝た。でも寝付けなかった。かなり睡眠浅く、翌朝きつく、木曜も 8時過ぎに起きてバタバタ仕度し、パートが10時からのヨメさんに駅まで送ってもらい、電車に乗って、歩いて、10時出勤。昼休み一部削り21時退勤。

 疲れるわ、ほんま。たまらん。昨日もバホ侮長のつまらん姿勢に腹が立つも、付き合う気もせず、CCでおいらに入ったメールに返信して「何のことか分かりませんが、・・・本件それで結構です。この件には意見一切ありません。言う気も起きません。」と返信。っつーかさ、俺にCCで入れやがったメールなんだが、何の事前説明も脈絡も無く、CCの俺にはせいぜい想像するしかない程度も内容よ。本来は所掌からすりゃその宛先じゃなくて俺の方にきちんと連絡するのがモノの順番ってもんの件だったんだけどさ。バホ相手に付き合えんのよ。バホバホしくて、イチイチ全件の相手などやってられない。いや、コレだけ書いてると如何にもつまらねぇ話のようだが、ふっ、実際つまらねぇや。付き合い切れねぇなこのお方とはと思うことばかりの俺の破れ被れ琴線に触れただけのこと。しかしバホバホしくてやってられねぇよ、あんたとは、って言いたいことが盛り沢山。ご苦労なこってす。本当に4月には組織変わるんだろうか。変わらないと、あるいは上手く変わらないと、おいらの精神と身体の忍耐力出たとこ勝負にも限界というものがいよいよ見えてきますねん。精神よりも、身体の方がきつい感じのこの10ヶ月。とりわけ後半半年はもうほんまきつーく身体にキテますねん。

 もはやだいぶ前から身体はキテいる。 お体を大切に、なのだ。

 今日は息子は午前は3月の発表会の準備でエレクトーンの練習へ。午後は野球の練習。ヨメさんはせっせと家事。おいらはゴロゴロ。昨日ね、数MB分(? ま、他人の原稿校正分も入ってるんじゃがね)シゴトファイルを何回かに分けて自宅PCに送ったねんで。今日は休むが明日はばっちり在宅勤務や。異常やがな。

 あ、今日はカイシャは一応休みなんだよねぇ、紀元節のおかげで。何が建国だっての。ウソつけウソつけ! 日本には独立記念日とか革命記念日とか改革記念日とか、国民国家が祝うその種の記念日ないもんな。国民国家なんて概念旧いって言われるかもしらんが、日本はやっぱ近代化してないし、国民国家でもないと思うよ。そんな国が、北朝鮮の体制が崩壊でもして難民が押し寄せたら韓国と共に大量の難民を受け入れる、そういう社会になるかどうかの覚悟もないままに無闇矢鱈とバホの一つ覚えみたいに口を開けば「経済制裁」って言う安部のおっさんとか、どうかしてるで。昨日の北の「核兵器保有断言しまっせ。これからも増やしまっせ」表明もアチャーって感じだけど、こういうある種異常な国家を相手にする時にバホの一つ覚えばかり言っててええのんかってことよ。
 ハナシが逸れ逸れやがな(笑)。

 知人の薦めで『エンデの遺言「根源からお金を問うこと」』って本を買いました。ミヒャエル・エンデの思想を紹介してくれるような本を書店に行って肌触り確かめないでブラジル密林地帯から買うってのはどうかと思ったが、書店に行く時間ないし、だいたいやね、近頃ブラジル密林から書籍買っては積み買っては積み、家ではシゴトかゴロゴロかホームページ日記。ちゃんといつか本読むのかね。たまってるんよ、本も何冊も何冊も。とほほやがな。


05年 2月13日(日)   バカロレア

 バカロレアのことは 2003年12月7日の『フランスの教育』と題する日記の中の ここんとこ で触れている。そのバカロレアについて、昨日の朝日のニュース・サイトでニュース一読。夕刊にも出てた。

 バカロレアってのは日本で言えば今はセンター試験とか呼ばれてるやつ(だっけ? 名前)。僕は何を隠そう、ともしない、共通一次元年世代であった。何にしても、バカロレアはフランスの大学入学共通資格試験なんだが、試験の中身はちぇんちぇん日本のそれらしきものとは違うようである。それは上に挙げた1年以上前の日記の ここんとこ 見てちょ。
 で、昨日のニュースの話題ですが・・・。ニュース・サイトのテキストから拾っておきます。

 フランスの高校生10万人が「バカロレアの試験科目減らさないでくれ」ってデモしたんだと。
 要は、バカロレアの試験科目を減らす法案に高校生が猛反対、10万人以上が反対の街頭デモを繰り広げ、フランス政府は11日に事実上の法案撤回に追い込まれたとのこと。

 高校3年生が受けるバカロレアは高卒資格試験を兼ね、合格すれば原則として希望大学に無試験で入学。就職の必須条件であるケースも多いらしい。
 出されていた法案は、12ある筆記試験の科目を半分の6科目にし、平常点や実習成績に基づいた「総合評価」を合否判定の基準に加えるもの。高3生が試験対策に追われて十分に授業を受けられないという問題(この現象自体は日本にもあるね)の解消を目指したというが、この「総合評価」ってのは多分日本に置き換えるなら内申書、内申点みたいなもんかね。
 昨年末に法案の骨子が出た時は、負担軽減だってんで高校生から賛成の声も少なくなかったらしい。それが、その後、「総合評価」だと、問題校とされる高校や移民・貧困層が多い高校でいくらイイ平常点を取っても、富裕層が多い高校や進学校と相対評価で低く見られてしまって就職等で不利になる、といった反対論が急速に広がったって話。
 10日には生徒会連合の呼びかけで抗議デモ。全国で10万人以上の高校生が参加だと。更に担当科目が削減対象になることを懸念した教師も抗議行動に参加した、と。
 政府・与党内からも、労組とかと違って交渉相手が明確にならない高校生のデモは抑えられないとか、EU憲法条約の賛否を問う国民投票に悪影響が出かねないとか不安の声が出て、フィヨン国民教育相は11日、この法案の作業部会の無期延期を発表、事実上の撤回になるようだって。

 いや、やりますね、流石は『哲学』の国(!)、フランスの高校生。
 日本はどうじゃろ。中身は何であれ、大抵オカミの方針に従っちゃうよな。仮に学校でブツブツ言ってても(それも大体まさしくダベる、駄弁るだけじゃろう普通)、デモなんかして逆らったりせんよな。
 どうもフランスとかは 1968年だけのことじゃなくて、まぁ時代の流れはあるにしても、基本的に昔から引き継がれてると思うんだな。自分のことは自分で考える。バカロレアの試験だって これもん だし。 


05年 2月13日(日)   パレスチナ、セーター募金

 しばらく前に、パレスチナ子どものキャンペーン がやってるセーター募金に募金した。一昨日辺りだったか、キャンペーンから領収書と共に、活動報告が届いた。家を破壊された子供たち、とりわけ貧しい家庭の子供たち、障害のある子供たちなどに、これまで 1,500着配布できたそうだ。一家庭に1枚なので、兄弟姉妹で日替わりで着ている子も多いらしい。もちろん、僕の家族からの募金はそのごくごく一部。
 スマトラ地震・インド洋大津波の救援で募金したユニセフからも先日レターが届いた。

 昨日、改めて息子に、このことを説明した。息子も地震・津波には自分で作ったドーナツを換金(俺たち両親とさ)して募金したけど、とにかく息子にはイマジネーションのある人間になってもらいたい。イマジネーション、想像力。それは創造する力にもつながるかな


05年 2月13日(日)   Seize the day !

 今日、縁あって(笑)、17世紀のイギリスの詩人、ロバート・ヘリックを知った。“ To the virgins, to make much of time ”って詩のタイトルかな? “ Gather ye rose-buds while ye may ”で始まり、“ Old time is still a-flying, And this same flower that smiles to-day, To-morrow will be dying ”と続く。詩の後半には、“ Times will succeed the former ”という表現も出てくる。・・・ふむふむ。惜しみなく時を使いなさい、時を無駄にするな、とな。

 所変わって時代も変わり、日本の大正時代の流行歌『ゴンドラの唄』(作詞:吉井勇、作曲:中山晋平)は、このヘリックの詩にインスピレーションを得たという説があるみたいだ。ちゃんと確かめてないよ、諸説あるかもしれない。でも分かる気はするね。

 ヘリックのことが書いてあるサイトにも似たようなことが記されてあったけど、確かに時は過ぎ去るもの、されど、若き日々は過ぎ去るから「時のある間に花を摘め」(ヘリックの詩ではバラ)とは言っても、中年になっても、あるいは老いた日々でも、とにかく現在進行形の「時」というものは過ぎ去っていく、そういう意味では常にそうなんだ、「時のある間に花を摘め」ってことさ。今が過ぎても、過ぎた「今」は既に過去、眼の前に今の「今」がある、それをつかむことさ。

 ヘリックの詩は、昔々を辿っていくと、またまた所変わり、時代も変わり、紀元前ローマの詩人ホラチウスの詩集『頌歌』へ繋がっていくそうで。これも今日、とあるサイトで勉強しました。ホラチウスの詩に出てきます、「今日のバラを摘みとれ」。
 『頌歌』の思想は、Carpe diem ・・・ 「その日を摘め」、「一日の花を摘め」。ラテン語で「カルペ・ディエム」。carpe は動詞 carpoの命令形で、通常は花とか果実とかを「摘み取る」の意なんだと。

 Carpe diem ・・・Seize the day !
 ロビン・ウィリアムス主演の映画でこの言葉が叫ばれていたように思うんだけど。たぶん、この記憶に間違いないはず。

 Seize the day ! 身体はキテても、「お体を大切に」しつつ、そして、
 Seize the day !
 ・・・なのだ。つかみましょう。摘みましょう。

 Seize the day ! なのであります


05年 2月16日(水)   嗚呼、腹痛、終電、地震、二郎さん神経科

 昨夜は残業中にはげしい腹痛。おいらはトイレ個室に30分以上こもったのであった。チョー下痢。きたねぇな。
 にもかかわらず深夜残業、終電。ヨメさんの迎え受け、帰宅は午前1時近く也。それから晩飯だよ、どこが晩だ、予めヨメさんに頼んでおいたお粥を食す。就寝後、朝4時ごろか、よく分からぬが、地震で目覚める。我が街は震度4、夫婦ともに直ぐに息子の部屋に直行。息子は寝惚けつつ「大丈夫だよね」と呟いて再び就寝。おいらは後はあまり寝付けなかった、そいで今日は昨夜退勤後から決めてあったフレックスのコア10時前出勤。地震の影響で止まってて動き出したばかりの9時前の電車に乗って出勤。職場最寄り駅で常務にバッタリ。急ぎタクシー出勤の要ある常務に同乗させていただき出シャ。
 今日は二郎さん神経科に行き、未だ治らぬ腹痛も診てもらうつもりでギリギリ間に合うよう退勤。夜の時間帯の診察受付に間に合うも強烈に混んでいて21時頃になりかねない、インフルエンザ患者でいっぱい、座るところもなし、いやぁほんま珍しいほどに(笑)混んでいた、「インフルエンザもらいかねない」とまで受付おば様に忠告され、神経科ヤクをもらうだけにした。ルボックス、レンドルミン。木曜休診の二郎さんが今週は金曜も休診と知っていたので今日行って、ついでに腹痛も診てもらおうと思っていたんだが。
 二郎さんは内科もやってる。神経科、大丈夫かって。いやいや、おいらの印象では逆だよ(笑)。内科はよー分からんなぁ(おいらは専門じゃないんだからよく分からんさ)、でも神経科の方はおいらは信頼してるよ(おいらは専門家だから?分かるのさ)、二郎さん。次回診てもらうときはよろしくお願いします。腹は直ぐ治しますよ。鼻もぐずつくから多少風邪気味かな。ま、気をつけます。
 この間、ブラジル密林地帯から、S&Gの The Columbia Studio Recordings っていう、水曜朝3時、SOS、パセリ、ブックエンド、明日に架ける橋の5枚CD入りボックス・セット注文、月曜着。しかもレコードLP時代の紙ジャケ付き、レア録や未発表録音も含み、更には70頁以上のブック・レット、これで 5,000円強、輸入盤はえらい! 一昨日は『明日に架ける橋』のメロディも歌詞も違うバージョン聴き、面白かった、さて今日はブック・エンド聴いてから就寝としようか、嗚呼、はよ身体に元気戻れ、まぁまぁ程度にさっ。


05年 2月19日(土)   内科、バディ・ガイ、麗蘭

 火曜は残業中にはげしい腹痛。チョー下痢。でも深夜残業、終電。それからずっとお粥。水曜夜は二郎さん神経科に行き、ルボックス・レンドルミンと共に腹痛ヤクもと思ったが強烈に混んでいてインフルエンザ患者で座るところなし「もらいかねない」のであきらめ、いつもの神経・睡眠系のみもらう。木曜は休診の病院多いも、やってるイイ内科あり、そこを目指し一旦退勤後に駅向かう途中でアホな忘れ物に気づき、職場に引き返してあえなく受付に間に合わなくなり、結局はそのままその日も夜遅くまで残業。おいらは腹こわしてんだぜ、金曜は今日こそと思って退勤、しかしギリギリまでシゴトやってしまい、細かいものも投げ込まれ、休んだ部下(そりゃ体調不良ってんだからシカタナイが)のシゴトもやり、結局もちょっとのところで電車を逃し、その次の電車で行ったらもうダメだった。嗚呼! せっかく妻が迎えてくれてたのだが。

 そういうわけで今朝は妻が診察券を朝から出しておいてくれ、妻の運転するクルマで医院に向かい、診てもらったよ、「ノロ・ウィルスかもしれません」「あれは昔っからあるんです」「下痢の人はそれがけっこう多い」「治ってきてるが未だ腸のバランスがよくないので整腸剤や抗菌剤、それと一応下痢止め出しておきましょう」ありがとさんです。
 実際、今も腹は鳴ってる。今朝もお粥なのだ。しっかし、昨日もたっぷりシゴトのファイルを自宅PCに送ったおいら。はて、どれだけシゴトをするかね、この週末、自宅にて。イジョーだよ。

 病院行き帰りのクルマの中でかけたのは麗蘭。元RCサクセションの仲井戸“CHABO”麗市と、The Street Sliders の土屋“蘭丸”公平。ストリート・スライダーズは聴いてなかったけど、この麗蘭はとにかくカッコいいし、土屋公平のギターいいっす。チャボもモチだけどね。

 しばらく前に、M&I カンパニーから、今年のジャパン・ブルース・カーニバルの宣伝ハガキと先行予約のお知らせ着。おお、今年はバディ・ガイではないか。蘇る3年前の感動、弾いてたピックを我が息子に手渡してくれたバディ。よし、行こう。予約。
 そして数日前の新聞紙上コンサート広告。何とおいらが家族3人分チケット予約した土曜の野音は、麗蘭も登場するのだ、嗚呼感激、麗蘭も見れてトリはバディなんである、真ん中はスライド・ギターの爆裂ブルーズ(?)らしき面白そうなバンド。

 ・・・病院の帰りは妻とレンタル・ショップに寄り、久方ぶりに観たくなったロビン・ウィリアムス主演の『いまを生きる』DVD、最近TV・CMでピアノ・マンがかかってるビリー・ジョー、あ、ジョエルでした(笑)のCDレンタル。
 今日は午後は在宅シゴト、ほんでもって夕方は歯医者、嗚呼イソガシ。腹は早く治したいのだった。


05年 2月20日(日)   Carpe Diem

 今日は日曜日。だけど今日もシゴトやった。だいぶやった。ふっ。
 肩が痛い。首が痛い。腕が張る。手が痺れる。・・・でも腹の具合はだんだん良くなってきたな。

 昨日、病院の帰りに借りた『いまを生きる』。昨夜のうちに妻と観た。今日、シゴトの後、僕のホームページの 「映画」 のサイトに、DEAD POETS SOCIETY をアップした。

 今日の日記はこれだけで十分


05年 2月24日(木)   週刊(?)イジョウ勤務ニュース

 日曜日は月曜午前1時過ぎまで在宅の作業シゴト。月曜は忘れた。火曜は水曜午前0時25分に退勤。自宅最寄駅の2つ手前駅終着の電車乗車、妻の迎えクルマ、午前1時半頃に帰宅、バン飯、午前2時半頃だったかな就寝、新聞配達のバイクの音聞いてからようやく寝入る。水曜は午後11時10分退勤、木曜午前0時過ぎ最寄駅着、妻の迎えクルマ、その後にコレ、今からバン飯。就寝と寝入りは何時頃かな? 少し寝ればまた、24日(木)の勤務が直ぐに開始されるのであった。はっはっは。 Carpe Diem.


05年 2月26日(土)   その後と小春日和(?)の土曜

 その後、24日(木)の勤務が直ぐに開始され、退勤22時40分。金曜は退勤23時40分、終電。ともに妻のクルマ迎え。もはやはるか以前から退勤時間の問題でもない。疲弊はいや増しに増し、ただの習慣付けのシゴトに臨む姿勢のみが続く。本日、土曜と日曜は息子の小学校時代最後の野球の試合。なのに僕は昼まで寝、これから家でシゴトをしようとしている。ふざけるんじゃねえよ。 間違いなく怒りの対象は具体的である。しかし、たぶん僕は、僕自身にも腹が立っているだろう。・・・でも、その前に、やはり僕の外に向かって腹を立てている。

 息子の試合は、今日と明日のトーナメント大会だが、小6のみんなのために、もしも今日負けても、明日は負けたチーム同士で試合が組まれることになっている。・・・今、妻からメール入った。勝った。よかった。でも勝てば明日は息子の小学校のグラウンドで試合の予定だったのに、今日と同じ少し遠い場所に変更になったみたいだ。うーむ。在宅シゴトをいくらしてもキリがないほどの僕は明日はどうしよう。僕は一体、何をしているんだろう。なんとか、Carpe Diem. うーむ。何とか、いまを生き、現在を、明日を、未来を、生きるのだ。


05年 2月27日(日)   小春日和の日曜

 昨日、シゴトやった。今日も同じだ。昼まで寝て、横になっていた。そしてシゴトだ。
 4月でソシキが変わる。意見が実現した部分もあれば、中途半端に思えるところも確実にある。たしかなのは、僕の部署は、こと分割すべきというところでは、大枠で僕の出した意見のようになった、分けるべきものを分けるという一点において。そして、たしかなのは、今年度内に尋常でない量の片付けシゴトが残っているということ。作業シゴトの実質は、年度内に片付ける必要がある。部署は分かれる、今の部署そのものはなくなる、すなわち来年度に作業シゴトの実質を繰り越すわけにはいかない。
 僕の1年はとんでもなかったよ。これは未だ終わってない。残された時間ということを言う以上に、まだまだモロモロが山積しているのだ。

 僕は昨年の4月に部署異動してガチョウになり、その部署で5月下旬から欠員状態が生まれ、しかし、やむを得ず休みに入ったその人のシゴトも今年度に入っても前年度予算による前年度シゴトに追われていたから、要するに僕が異動した4月以降の僕がガチョウを勤める部署は、ほとんど1年分、分業になってしまっていて他に担当者がいなかった業務をやっていた人員が欠員状態になっていたわけだ。そのうえ、その業務とは別分野の、僕の部署の所掌業務の半分を占める分野の業務も、年度の第1四半期は(つまりは1年の4分の1にも当たる3カ月もの間は)、ほとんど昨年度末の『年度末道路工事』的決定業務の実際の遂行に追われていた(つまり書類上は昨年度のシゴトなのだ)。そしてその後遺症はずっと続いた。
 この1年間、僕は深夜まで、時に朝まで、妻子との時間のほとんどを奪われ、休日の息子との時間、息子の野球の応援の時間もほとんだ奪われてきた。

 もはやはるか以前から、平日は退勤時間の問題でもない。疲弊はいや増しに増し、ただの習慣付けのシゴトに臨む姿勢のみが続く。身体が疲弊する。しかし、休日に自宅でシゴトすること、平日は遅くて息子が寝入ってからの帰宅であること。このことの苦しさは言いようがない。ふざけるんじゃねえよ。 間違いなく怒りの対象は具体的である。しかし、たぶん僕は、僕自身にも腹が立っているだろう。・・・でも、その前に、やはり僕の外に向かって腹を立てている。

 3月31日に終わる今年度の僕のシゴトの1年はとんでもない、異常なものだ。これは未だ終わってない。残された時間ということを言う以上に、まだまだモロモロが山積している。人間が生きることは社会と家族と「会社」(労働)において実現し、したがって「会社」はその一部であるはずなのだが、僕のこの1年は、少なくとも時間というモノサシで計られる限りにおいて、ほとんどがこの「会社」によって占められた。
 そして、4月からどうなるのか、それは結局4月以降のいつかにならなければ、本当のところは分からない。

 だけど僕は、Carpe Diem.のスピリットと、そしてロックのスピリットとアティチュードで生き続けるよ。

 昨日と今日は息子の小学校時代最後の野球の大会。昨日は勝ち、さっき妻から届いたメールによると、今日の準決勝も勝った。息子は送りバントが内野安打になったヒット1本。今頃は決勝の試合をやってる。
 僕は土曜の昼間に向かう就寝の前にリビングの炬燵の上に息子へのメッセージを置いた。「土曜と日曜は小学校最後の試合だ。力一杯がんばって楽しくやってきなさい」。息子はその紙の脇に父親宛てメッセージを書いて出掛けた。「楽しくがんばる」。僕は昼近く起きてきて、その紙を見た。
 日曜の昼間に向かう就寝前にも、炬燵の上にメッセージを置いた。「思い切って力一杯楽しんでこいよ」。今日起きてきて、息子の文字を見た。「思いっ切り楽しんでがんばる」。妻からも「行ってくる」とメモがあった。
 僕はこれからシゴトに戻る。

 僕は一体、何をしているんだろう。なんとか、Carpe Diem. いまを生きる。 映画の中で、厳格な父親と衝突できずに悲劇の中心に陥った高校生と、僕は違う。僕は半米寿の、中年の親父だよ。僕は親父だ。夫だ。父親だ。『大人』だし、既に、とうの昔から、はっきりした守るものもある。僕は、つまり、時には衝突すべきものとは衝突してでも、いまを生き、現在のいまを生き、明日のいまを生き、未来のいまを生き、常に、いまを生きる。いまを生きる必要があるし、いまを生きたいし、いまを生きる。それははっきりしている。

 今日、パレスチナこどものキャンペーン からの頼りが届いた。今年度は新潟の地震やインド洋大津波の影響もあってか寄付などが比較的少なく、来年度の事業計画実行のための予算の見込みが立たない、寄付の協力を求めるものだった。寄付しよう、来年度会費に加えて。
 妻からメールが入った。電話して話した。チームは決勝で勝った。優勝だ! 息子も、決勝ではヒットはなかったが思い切りスウィングし、守備でもナイス・キャッチがあったそうだ。優勝おめでとう!
 僕は今日も、今晩も、シゴトする。だけど僕は、今日も明日も、いまを生きる。 _


05年 3月 5日(土)   イジョウ勤務、二郎さん神経科へ

 この直ぐ上の日記ね、この間の日曜に「今晩も、シゴトする」と。その在宅シゴト、月曜午前3時頃になってさ、寝て起きて出勤きつかったがや。月曜はまぁまぁ早めの退勤にしたんじゃがね、そいでも結局はよく眠れず、火曜の朝はメチャきつく、マジ起きれない。フレックスのコアの10時に間に合う出勤できず。今年度初や、電車の遅れ以外でシュッシャが10時を回っちまったのは。10時半だった。火曜はほんまきつかったな。で、水曜は終電。23時40分頃までやってた、帰宅は木曜午前1時ちょっと前ね、それからバン飯ってこと。で、この時もろくろく眠れず寝床で新聞配達のバイク音聞いたくらいで、木曜の朝出て夜はまぁまぁの早め。で、昨日の金曜は24時過ぎに退勤、最寄駅に辿り着く終電間に合わず、2つ手前が終着の電車乗り、その駅まで夜中1時近くというのに妻のクルマ迎え受け、午前1時半近く帰宅、バン飯。

 水曜の夜に内耳受けた。漢字はほんとは内耳じゃないよ、未だ耳の外に出すなって指「示」だからさ、内耳の当て字も合ってるだろう。残業中の23時に、「ジンジのことですが」「明日にしますか」。その時間(23時っすよ!)に「ジンジ」って話し掛けてきて「明日」もなかろう、で、聞いた。認知度上げてPRして説明責任果たして時にはメディアからの追及の矢面に立ったりするのかもしれない課のガチョウ。今はそれと事業の成果さんを検証してく(公開してフィードバックしてなんだけどFBまで手が回らない態勢)も受け持つ課のガチョウだけど、これが2つに分かれ、後者は別の課に。そして今いる部から共に出ていく、4月からね。
 両者が共に同じ課にある必然性なく今の部にある必然性も合理性もないとの意見を出していたから、その2点においては実現。しかしどういう状況になるかはフタ開けてみないと分からんだろう、行き先はソーム部。コーホーがソームの中にあるのはいささか時代遅れな気もする、デカイ会社ならコーホー部が別にあるし、でなければソーム部よりキカク部みたいなとこかな、でも今回はK部から出るんだけど、それ世間の会社のソレとは違うから、詳細割愛でなく割努。
 いろいろ微妙な立場を想像するがこれも今は割アイ。それより今月の、イジョー現在の課の今年度内のシゴト終わらせ、とりわけ課から出て別の課に行く部分のシゴトを何とか成果見えるカタチにしてきちんと引き継がなければならない、そのまま持ってくコーホーも年度内のシゴトだらけのたまらん状態だしさ、まずは年度内、身体持たせ、倒れないで4月を迎えること。

 昨日も思いっ切り職場から自宅PCにシゴトのファイル送ったよ、ペーパーもいっぱい持ってきた。今日はちょこっと。明日の日曜はもっとヘロヘロにやるだろう、嗚呼!

 今朝は歯医者に行き、その後、二郎さん神経科に行った。二郎さんと久方、話したが忙しそうだった、いつものレンドルミンとルボックスね、ああヤクは補充なり。息子は急に入ってた野球の試合の予定があったけど、昨日の雪で試合はなくなり、練習のみ。妻は僕の毎日の送り迎えのせいで疲れたまってるはず。でもさっき、新聞に出てた高校入試の試験問題解いてた。えらい!?
 僕は、肩が痛い、首が痛い、腕が張る、パンパンだ、ずっと変わらぬ、いやわるくなってる? 今日の昼間はいつもよりも寝込んでしまった。・・・ ま、乗り切るさ、どこかへ向かって。僕はここにいて、そして乗り切っていく。


05年 3月 5日(土)   キーティング先生と村上先生

 もう長い間、アマゾンから何回も何冊も書籍購入するも積ん読状態。それでも今週また注文。村上陽一郎の『やり直し教養講座』。この人は70手前の科学史、科学哲学の学者。僕は20年以上前の学生時代、この人の「時間とは何か」みたいな本を読んだような記憶がある。内容詳しく憶えてないけどね。
 注文した書籍は、先月の朝日の書評欄に紹介されてた。

 「自分の中にきちんとした規矩(きく)を持っていて、そこからはみ出したことはしないぞという生き方のできる人こそが、最も原理的な意味で教養のある人と言えるのではないか」との一文紹介あり、読みたくなった。これこそ、『いまを生きる』 のキーティング先生の教えようとした規矩(きく)じゃないかってね。型破りは人を思考停止させかねない強制的な鋳型を時に破壊するかもしれないが、決して自由奔放、何でもよいというわけではない、自分の型を創造するのだ、だからね、それはお仕着せの紋切り型の型じゃない、自分の頭と心と身体で考えた自分の型、自分の規矩(きく)なのさ、そうでしょキーティング先生!
 未だ村上先生の本は届いてません


05年 3月 6日(日)   『安息』の日曜日のお勤め

 今日は日曜日。いまどき大概のカイシャが週休2日だが、僕のカイシャも週休2日だが、だから土曜も本来は『安息』の日かもしれないが、日曜となるともっと昔からだね。僕はクリスチャンじゃないが、キリスト教世界では大昔からそういうことになってる、週1日は休むのは尊き教えでありましょうぞ。

 ま、1日8時間労働なんつーのも、前々世紀の1886年(日本じゃ明治19年じゃ)5月1日に、アメリカの労働者と労働組合が8時間労働制を要求してストライキ、これがメーデーの始まりなり。シカゴ、ニューヨーク等の工場労働者38万人以上がスト、十数時間超の長時間労働を強いられていた彼らが「仕事に8時間、休息に8時間、おれたちがやりたいことに8時間を!」と歌う『8時間労働の歌』を歌ってアピール、20万人以上の労働者が8時間労働制をかちとったけれど、資本家側も反撃、2日後の5月3日にはシカゴの機械工4人が警察官に射殺され、翌4日には労働者の集会に爆弾が投げ込こまれる事件、さらにデッチ上げ事件が次々にフレームアップ、組合指導部を犯人にしての絞首刑(死刑)の他、多数投獄の大弾圧、世論操作で組合を孤立させ、8時間の約束を反故に。しかし4年後、1890年の5月1日に再スト。同じ1890年のフランス革命百周年記念でエンゲルスら世界の社会主義者がパリに集まり第2インタナショナル結成、そこで1890年5月1日はアメリカの労働者と連帯して世界中で集会やデモをする日とし、米欧、オーストラリア、中南米など数十万の労働者が集会やデモ。そっから毎年5月1日がいわゆる『メーデー』に、っつーわけだ。その後、1917年にロシア革命、レーニンの指導で8時間労働制が世界最初に国の法律に。1919年のILO第1回総会でも「1日8時間」「週48時間」を第1号条約に定め、国際的に共通する労働基準に。えーっ、あっしの手元資料によれば、少なくとも2002年3月現在、今からたった3年前ね、80年以上経過してるというのに、日本政府はこのILO第1号条約を批准してないんだそうで。ま、今もそうなんだろうな、たぶん。

 いつのまにか社会の中で労働運動も下火になり、世界で社会主義を名乗った国々は崩壊し続け、そして日本は昔から結局変わりません。傍観する人にも働きかける人にも原因はあり、それは具体的には違っていたりするけれども、一言で括れるのはコミュニケーションの問題。傍観は文字通り『傍観』なら、一方の『働きかける』のは当然コミュニケーションを介さないと無理だよね、日本の文化に根ざしたコミュニケーションは有り得るかもしれないが以心伝心のままでは異なるものが繋がり合うことはできないね、それでいて文語体で話しても現実は見えないし、あるいは感情的に話してもダメなんだ、口語の言葉で実際的な哲学を語れないのではダメなんだね、日本では書き言葉と話し言葉の内実がおそろしく乖離してしまってる、うーむ。

 疲れる国だね、日本は。ジンミンがわるいんだろうね。国の姿も政治家の顔も、その国の大方のジンミン、国民の腹のなか、胸の中が現れるんだろう。所詮は民度だ。けっ、キミも日本人なんだろ、そうです、僕はここで生きてくからね、何とか 『いまを生きる』 わけさ。

 今日は息子はヤマハの発表会の練習で午前の野球練習は休み、今は昼飯食べてるよ、午後から野球練習。僕はシゴトするのさ、どのくらいするか分からんよ、いっぱい持ち帰ってるし自宅PCにも送り済みなわけだけど、疲れてるのよムチャクチャ、安息しないと、身体がおかしくなる、当然だろ?
 適当に、たくさんやるよ。


05年 3月12日(土)   今週のカンテツ異常勤務ニュース

 日曜の夜の在宅シゴトはまた月曜午前にだいぶ、かなーりまたがってたんじゃないかのぉ。よく憶えてないんだ、けっ。
 今週は
 月曜はたしか終電乗れず2つ手前の駅まで火曜午前ヨメさんクルマ迎え、午前のバン飯(・・・いや、ぼーっとして疲れた時の僕のアタマの「どっちか」が間違いかもね、どうも自分の就業記録システム入力上は20時半、頃だったかな、とにかく21時前だった、でも月曜はたぶん午前3時くらいまで在宅シゴトしてから少し寝て出勤したような日だかんね、もうワケ分からんわ、嗚呼!)
 火曜は終電、午前のバン飯、
 水曜が終電、午前のバン飯、
 木曜はついに泊まり、いや泊まりというより、朝まで完全徹夜ぶっ通しでオシゴト、  金曜の朝もそのまま事務所、夜は終電の1本手前に乗って土曜午前 0時15分頃帰宅。

 ま、昨日の金曜は完徹明けでヒゲ剃ったり顔ひたすら洗ったり、ぼーっとタバコ吸ったり、能率もひどかったけどねぇ。 僕は昨年度までカイシャのシゴトで完全徹夜するなどというバカな(他人はともかく僕はバカげてると思う)ことは流石にしたことなかったが、今年度、既に3回目。
 11月のときは朝9時から翌日の夜9時までぶっ通しというのがあったけど、今回は朝9時から翌日の夜11時過ぎまでぶっ通し。 ただし前者はけっこう身体もったのが当時不思議に思ったもんだが、もう疲労が異常に蓄積していて疲弊しきっているので、昨日はヘロヘロ、朝9時〜翌日の夜9時の時よりも今回の朝9時〜翌日の夜11時の方が反ってシゴトの捗り方はずっと遅かった。というか、正確にはぶっ通しではない、朝パン時間5分と歯磨き5分を除けば朝9時までぶっ通しだったが、その後はひどいもん状態ヘロヘロ頭。えらい時間かけてぼーっとヒゲ剃ったり顔洗ったり、職場建物内禁煙につき外でベンチにもたれ掛かって座ってぬぼーっとタバコしたり。身体ホンマもたんわ。もうおいら半米寿なんだぜ。
 ま、とにかく、日本異常勤務サラリーマン大賞で決勝リーグに残るくらいだろうかね。日本は異常なカイシャイン多いだろうから、おいらのひどさでも決勝リーグの勝ち上がりまでは無理かね。

 あ、僕の友人も大変なようだ。未だ後3週間、能面づらフチョウの下でのシゴト、年度末業務がまだまだ沢山残ってると思うと ぞっとすると言っていた。おエライさまですからの陰湿な報復でもあったらいけないので手は出さないが、気持ちは正真正銘ぶん殴ってやりたいということのようだ。暴力は反対だからなぁ、彼も。我慢すれば精神にもよかないし、なんだね、大変だねぇ、痛烈手刀斬りか裏拳、あるいは必殺ローキックを封印の2文字。

 はてはて、友人も大変だし僕も大変だ。僕は昨年4月に今の部署に異動したが、異動した部署は前の年度のシゴトが片付いておらず、今も昨年度から今年度への業務上のことでの手続きレベルで済んでないものがあり(これは僕が今の部署にいなかった昨年度の日付で作られる書類なので僕の印鑑すら使えないんであるよ、嗚呼、もちろん責任の所在のはっきりしている人間にやってもらうしかないのだが、いまだやらないもんだから、それで今年度の僕のシゴトすら進めなれない部分あり嗚呼もう年度末ってのによ信じられんわ)、疲れる疲れる。
 肩痛い、首痛い、腕張る、手痺れる、とにかく疲弊疲弊ひぇー、ふざけるんじゃねえよ。 僕の怒りの対象は具体的である。しかし、たぶん僕は、僕自身にも腹が立っているのである・・・。でも、やっぱり、僕ははっきりした原因の根元に向かって腹を立てているんだがね。

 もう毎日夜までひいひい言ってシゴトして、夜中か午前に帰って、土日午前はひたすら横になり、午後辺り、あるいは夜またシゴト、はては在宅午前サマ作業。ほとんど半病人、介護してもらいたいくらいだわ。身の回りのことをする余力が残らない。ヨメさんに自分のメガネ掃除してもらったり、鍋料理の時はおわんに入れてもらったりする始末(まぁこれは首と肩が痛いのでしょーがないのである)。

 今日は昼前まで寝て、起きて食べて、歯医者に行って帰ってきた。息子は朝から野球チームの練習。僕は水曜の朝はきつくて遅めに10時出シャ、木曜も9時半過ぎ出シャにしてしまったから(息子はその場合、僕が起きる前に家を出て登校なのだ)、木曜完徹と金曜も夜12時15分頃の帰宅となって、結局、今週火曜の朝から土曜午後、さっき息子が野球から帰って来た夕方までの4日間半、僕は息子と会っていなかったのだ。小学校最後の1年間、小6の1年間の息子と父親というのは、もうこの後二度と経験できないこと。嗚呼。
 Carpe diem. 明日も在宅シゴトが待ってる。明日はヨメさんとの結婚記念日だが、1日早く今日、外に食べに行く。結婚して17年。今は息子と3人の僕らなのである


05年 3月14日(月)   昨日は結婚記念日

 昨日、と言っても、まだ昨日から繋がりっぱなし、今は午前2時過ぎ。昨日から在宅シゴトだらけで、またまた日付変更線を越えた。昨日の 3月13日が結婚記念日。17周年だよ。ただし土曜は疲れ疲れて三千里、シゴト取り組みは無理、いきおい日曜がシゴトだらけになるのは分かっていたから、土曜の12日に前夜祭的に家族3人で外に食べに出掛けた。

 さっき在宅シゴトに片を付けた。これからファイルを職場PCに送れば一旦在宅は終え、少しだけひと眠りしてからの出勤後に繋げる。送信したら風呂入って寝床に向かうよ。
 Carpe diem. _


05年 3月19日(土)   卒業式は後で記録

 いや、息子の卒業式は未だだよ。式は23日さ。その日は当然、休み取る。あたりき。

 今週もナンだったな。月曜午前3時前後に寝て数時間後には出シャ、月火水木金のうち、2日は終電、1日は終電乗れず日付変更線越えたところで2つ手前の駅まで妻のクルマ迎え受け、残りは終電の一つ前、それと昨日のようやく22時過ぎエッこれって早退じゃないよね退勤。嗚呼。

 もう疲れた。とっくの前から疲れてる。頚イタタ、肩イタタ、腕ハリハリ、手シビレ、腰イタタってさ。頚椎も腰椎もヘルニアなんだからさ。常軌を逸した働き方、働かされ方はヤメにしたいよなぁ。
 今日はやらない。でも明日の日曜、春分の日は、またまた在宅シゴト。

 月曜の、コクミンの振替休日は、息子の野球チームの「6年生を送る会」。息子は送られる。もちろん僕も妻も行くよ。父親連は子供たちと試合、その後に「送る会」。そして夜は父親連の飲み会だろう。
 で、火曜はシゴトに出シャ。
 水曜は息子の小学校の卒業式さ。この日にカイシャなんか行かねぇよ。おいらはこの1年、息子と過ごす時間、息子と語る時間も、大抵をカイシャに奪われてきたのさ。卒業式の日、カイシャには行きません。あたりき。
 木曜、金曜はへいこらシゴト。次の土曜は息子達と出掛ける約束。・・・っつーわけで、野球の「送る会」や卒業式のことは、後日また書くかんね。
 Carpe diem.


05年 3月20日(日)   息子とキャッチボール。 Carpe Diem.

 息子が4年生から参加してる地域の野球チーム、明日は「6年生を送る会」。息子は送られる側だ。
 今日、在宅シゴトしてたら息子が練習から帰ってきて、僕がシゴトしてる居間に入るなり「父ちゃん、キャッチボールやらない?」。
 うれしかったな、久しぶりのキャッチボール。息子も、明日で、自分の、チームでの練習が終わることが分かってるからこその、「キャッチボールやろう」だと思う。ほんと、うれしかった。もちろん、久方のキャッチボールをやった。

 夜は親父連の集まり。明日の「6年生を送る会」の出し物の打合せと練習だ。明日は6年生チームと父親連チームの試合もある。僕はライトで先発だ。

 今日は昼間、PINK FLOYD の Live at Pompeii のビデオをかけながら在宅シゴトした。で、今から、ラテン語関係のホームページを僕のこのサイトのリンク集に入れる。
 明日の野球の「6年生を送る会」と水曜の小学校卒業式は、後日ここにアップするね。息子は中学に入っても野球やるって言ってる。4月になれば中学生。 Carpe Diem._


05年 3月23日(水)   小学校時代の野球の卒業

 20(日)夜は前の日記に書いた通り、翌21日の野球の「6年生を送る会」を前にした親父連の集まり。「ヒゲダンス」メインの出し物の打合せと練習。ギリギリ前まで在宅シゴトしてて風呂飛び込んで出て、それで出掛けたから、夕飯の時間なし。集まりでは打ち合わせつつ練習しつつ、飲み食いも。・・・で、帰宅してからまた在宅シゴト。21日午前2時過ぎまではやってたな。寝て起きて、21日朝、出掛けた。6年生と5年生以下の紅白戦は観れなかった。息子は内野安打1本打ったってことだ。

 親父チームと6年生の試合は、最後の記念で普段ピッチャーでない子も投げたし、最終的に9対8で親父連の勝ち。途中、父子対決の演出あり(笑)。僕は息子の緩めの球を、意識し過ぎてか空振り三振成り。息子に投げた場面では僕の球が入らず、結局フォアボール、残念。何にしても、この日の野球父子対決は息子の勝ちでした。

 午後の「6年生を送る会」は、子供の催しから親父連の「ヒゲダンス」まで、盛会。
 ひとつ、とても嬉しいことがあった。送られる側の6年生が一人一人、言葉を発するとき、監督がそれぞれの前に子供の肩を抱きしめ、メッセージを送ってくれた。エースだった子、4番打者で活躍した子・・・。いろんなメッセージが監督の口から語られた。息子の順番。監督曰く「野球はエースや4番だけじゃない。おまえがよーく頑張っているのは分かっている。だけど頑張れば結果が直ぐに出るわけではない。結果が出ていない時に、頑張っているからといって『だけど、おまえは頑張ってるからな』と誉めるのはよくないと思ってきた。だから敢えて言わなかった。今日はこういう機会だから言っていいと思う。チームで壱番、頑張ったのはおまえだ」。めったに泣かない息子も、途中、もう少しで嬉し泣きしそうな顔になっていた。ふだん泣き顔を見せない息子の涙腺ギリギリの顔だったな。息子も、小学校でのチーム最後の日に監督からそう言われて、よほど嬉しかったんだと思う。

 これからもおまえは、いろいろなことに真摯に取り組んで、頑張っていくだろう。そして、結果がいつも出せるとは限らない。それでもおまえはヘコタレないで、前を向いて頑張るだろう。お父さんもお母さんも、そんなおまえを本当に誇りに思っているよ


05年 3月23日(水)   小学校を卒業す。 Carpe Diem.

 昨晩は終電乗り遅れた。2つ手前の駅まで、夜中にはるばるとって距離なんだが、嫁さんのクルマ迎えを受ける。時間は当然とうに本日入りしている。乗ったのは、最寄駅に着ける終電に乗り遅れた直後の電車、ほぼ日付変更線上。午前1時前後の帰宅、それから深夜バン飯。寝る。起きる。今日、2005年 3月23日は、息子の小学校の卒業式だ。今日はずいぶん前から有休申請してあったのさ。今日はカイシャ行かない。在宅シゴトもしない。

 開式して冒頭の方で「国歌斉唱」ってヤツがあった。君が代サンね。僕と妻はもちろん起立しない。中央後部の保護者席の最前列やや左側ってとこだったから、自分の横と、さらに左の方に列が作られた保護者席の方しか見えないが、とりあえず視界に入る範囲では他の皆さんは起立していた。まぁ周囲はどうこうじゃなくてよく見たりもしてないんで、おおよその印象に過ぎないんだが。立つ気しないなぁ、アレ。卒業式に国歌が必須とは元々思わないんだが、兎にも角にもウタがわる過ぎ。国歌歌うんなら、変えてほしいわ。歌いたくなるような国歌が作られる歴史を作ってこなかったってことかね、ジンミンが。
 ついでに日の丸。僕は君が代ほど忌み嫌いはしない。デザイン自体はなかなかよい。歴史の問題はここでは書かない、長く書くのは今は面倒くさい。しかしね、卒業式の会場の小学校体育館の壇上にデッカイ日の丸を貼り付ける。校長とか、来賓とか、大人は上がる度に中央の日の丸に向かって深々と頭を下げ、そして降りる時までくるりと踵を返して振り返り、またまた日の丸に向かって深々と頭を下げる。この示威行為のためにワザワザ日の丸を貼り付けてあるんだろうかと思うくらい。僕にはどう見ても異常な光景だけどね。入学式の時もそうだったから、要するに今に始まったわけじゃないんだがね。
 ・・・卒業証書を授与される子供たちにはそれが課されてなかったのはまぁほっとしたけどな。あたりきだけど。
 ま、今この瞬間は、君が代・日の丸はどうでもいいことにしておこう。というか、ここからは横に措いておく。今日は大事な息子の卒業式。そのこと自体の方が、今日はずっとずっと大事なことさ。

 今日は息子の卒業式だったのさ。嬉しそうにニコニコ笑いながら入場してくる息子。神妙な表情で卒業証書を受け取りに壇上に上がり、真正面にこちらを見据えて起立して次の自分の順番を待つ息子。授与されて、やはり神妙な顔で降りてくる息子。別れの歌を歌う息子。退場する。戻ってきて保護者と記念写真を撮る。校庭から正門への在校生による見送り。友達と声を出して笑いながら、楽しそうにしている息子。何枚も撮った、友達や先生との記念写真。お父さんお母さんと3人で撮った記念写真。あいにくの小雨振る天気だったけど、この日を朗らかな顔で迎えて、本当によかったな。卒業おめでとう。親から子への祝いの言葉だけど、こうやってネットに載せてしまおう。

 卒業式では校歌も歌った。これが素晴らしい歌でね。
 鳥が飛んだら 風が生まれる 広い空にも道があるんだね
 花が咲くたび 歌が生まれる ・・・

 阿木耀子 作詞、宇崎竜童 作曲。 メロディも素晴らしい。清んだ心を歌い上げるような曲作りをしてくれている。
 校歌の題名が 歌が生まれる なんて、本当にビューティフル。それでいて、僕が想うに、作者には発想と呼ぶには相応しくないくらいに、他意のない自然なものだったんじゃないかな、曲名も歌詞もメロディも。僕はそう感じてます。

 昨日もらったという通知票、昨夜深夜の帰宅後に開くと、「何事にも黙々と努力を積み重ねる姿は立派です」と教師のコメントが書かれていた。一昨日の野球の後の監督からいただいたコメントといい、今の息子の姿をうまく言い表してもらっているような気がする。これから成長して、いろんなことを経験し、自分なりの格、あるいは核というものを強くしていくことだろう。僕は息子が健やかに育ってきてくれたと思っている。これからも、厳しくあるべき時は厳しく、しかしいつも優しい心を持っておまえを見守っていくよ。お父さんもお母さんもそれは同じだ。今日は小学校卒業おめでそう。

 なーに、親バカ日記でいいではないか。よかっぺ、よかっぺ。

 今日配布された学校と卒業する6学年PTAの編集・発行による冊子のなかに、卒業する子供達一人一人が、未来の自分へのメッセージを記した直筆の言葉が掲載されていた。僕の息子のはこうだ。
 一日を大切に 楽しく 一生けん命に
 自分の名前と共に、力強く書かれていたよ。

 まさしく、Carpe Diem. 今も、未来も、遠い未来も。
 ずっとその気持ちで、長い人生を力強く、やさしい気持ちを持って生きていこう


05年 3月27日(日)   川崎、鶴見、弘明寺の旅

 先週も相変わらずとんでもないイジョー勤務、終電だったり終電乗り遅れだったり。・・・しかし!

 昨日は家族3人で日帰り小旅行。正月三が日以来、まともに家族3人で休日を過ごすのは初めて。正月三が日を除けば今年初めてだよ!

 バスで駅へ。昨日はホリデー・パスという切符を3枚購入。常磐線で上野へ。山手線で東京。東海道線で川崎。駅からバスで四つ角へ。で、川崎はセメント通り、コリアタウンへ。右のが入り口の写真ね。両側に焼肉屋が沢山あります。ぶらりと歩いて選んだのは、備長炭の炭火焼肉の店、慶焼苑。ロース定食とカルビ定食2つ、それとユッケ。もちろん焼肉は自分達で焼きながら食べる。いやぁ美味美味。ボリュームも言うことなし。いい店でした。ちなみに定食は800円、900円台、おまけに食後に薄めのコーヒー、息子にはジュースが出ました。
 ずいぶん前、息子が生まれる前に妻と2人で大阪、生野のコリアタウンに行ったことあり、我々夫婦はこれで本場韓国の街々から大阪、川崎と、コリアタウンはいろいろ行きましたです。
 次はバスで川崎駅へ戻り、京浜東北線で川崎から鶴見へ。


 鶴見では当日のメイン・イベントの鶴見線巡り。電車好きの息子は、変り種の駅が多く路線も複雑・複層的な鶴見線を制覇したいと思っていたのです。

 鶴見線、「鶴見」駅で乗車、次の駅の「国道」で下車。国道駅は面白いです。下に降りると暗い通路があって、そこを出てくと 外界に出て、鶴見川の岸辺に佇めます。・・・で、しばらく川沿いで時間を過ごしてから駅に戻り、次にやってきた電車にまた乗車。
 「鶴見小野」で下車、そこから次の駅の「弁天橋」まで徒歩。
 「弁天橋」で乗車、次の「浅野」で下車。次にやってきた電車にまた乗車、次の駅の「新芝浦」で停車中の間隙を縫って、息子は下車、駅名看板と運河の写真を撮り、直ぐにまた乗車、次の「海芝浦」で下車。駅に隣接する小さな公園、海芝浦公園へ行き休憩。そこで撮ったベイブリッジの写真が左の写真であります。ま、まちがい。知人からメールもらって知りました。鶴見ツバサ橋というそうです。我々、とんでもない誤解しながら観てました(笑)。さっそく今日の日記見てくれて訂正連絡してくれた知人に大感謝!

 「海芝浦」から、折り返しの電車に乗って「浅野」まで戻り下車、そこから歩いて次の駅、「安善」駅に立ち寄り、さらに次の駅、「武蔵白石」まで歩く。そこで乗車、次の「浜川崎」と「昭和」はいったん通過し、「扇町」で下車。そこから「昭和」まで歩いて戻り、そこで乗車、次の「浜川崎」で下車。その時に撮ったのが右の写真。写真で左側にあるのが鶴見線の「浜川崎」駅、右側に見えるのが南部支線の「浜川崎」駅であります。

 「浜川崎」で乗車、「武蔵白石」を通過して、「安善」で下車。そこで鶴見線の大川支線に乗り換え、直ぐ次の駅の大川支線の終点、「大川」で下車。折り返しの大川支線で戻り、「安善」で下車。また乗車して「武蔵白石」を通過し、「浜川崎」で下車。そこで南部支線の「浜川崎駅」へ。
 つまり、ここで鶴見線の旅は終了。全ての駅を直ぐ間近に見て、全ての駅を記念写真。


 さて、続きは、南部支線の電車に乗車し、八丁畷(はっちょうなわて)駅で下車。そこから京浜急行で川崎へ。京急川崎から京急の快特で上大岡へ。で、普通電車で弘明寺に戻る。

 弘明寺は我々夫婦にとって思い出の街。僕は20年近く前に弘明寺近くに住んでたことがあったし、結婚して横浜市内の他の街に引っ越した後も、妻と2人でよく弘明寺の商店街を歩いた。弘明寺観音にもよく言った。
 昨日は京急の弘明寺駅から商店街側に降りていき、弘明寺観音の境内へ。階段を上がると丘の上のお寺は閉まっていたが、階段途中の観音様にお詣り。3人で手を合わせた。

 それから弘明寺の商店街を歩く。2人で何回も行った「ぐあんばる亭」という名のお好み焼き屋が今もあることを確認し、喜ぶ。その後は商店街入り口付近にある寿司屋さん、「関寿し」。
 ここは弘明寺商店街の店の中でも一番の思い出の店。妻とは誕生日や結婚記念日などによく行ったし、秋田の白瀧という銘酒もここで覚えた。おやじさんは気さくで素晴らしい人だし、奥さんも感じがいいし、働いている人も感じがいい。カウンターとまさしく小さな小座敷のある小さな店だけど、とにかく暖かい店。そして、特筆すべき味、本当にここの寿しは美味いんだ。ネタはもちろんいいし、シャリも抜群。僕は寿しが好きで、回転寿司はともかくほんまの寿司屋は高いから頻繁になんか行けないけど、でもこれまでいろんな店に行ってる。そのうえで、でありますが、ここの中トロ以上の中トロを僕は知らない。本当に美味い寿しを握ってくれる。

 おやじさんも僕らをよく憶えていてくれて嬉しかった。店に入るなり、久しぶりだなぁという感じで想い出してくれ、あとは久方振りであることを意識しないほどにリラックスして楽しめた。10年前に、10年間住んだ横浜を後にしてから、つまりこの10年間では1回行っただけだ。それも初期の頃だから、もう8、9年振りだったんじゃないかと思う。また、いつか、絶対に行きますよ。

 いまは白瀧を置いてないらしく、昨日は山形の銘酒を飲みました。ああ、とにかく美味かった、酒も寿しも。中トロはもちろん、穴子、さば、たこ、さより、いくら・・・。玉子も美味いんだ、玉子は厚いんだけど厚さが全く苦にならない、というか厚いのが嬉しい美味さ(これは引っ繰り返してシャリを上にして食べます)。

 名残り惜しいけれど、また必ず来るぞと心に誓って店を後に。商店街入り口から出て、地下鉄の弘明寺駅へ。地下鉄で横浜に出た後は東海道線で東京へ。山手線で上野に行き、フレッシュひたちで帰路へ。時間が時間、駅からはタクシーです。

 ああ良い旅でした。大好きな電車の旅とは言え、乗ったり降りたり歩いたり乗り換えたり、複雑な方法でしか制覇できない鶴見線を、時刻表や路線を徹底研究して下調べしていた息子には感謝の一言。鶴見線以外の電車も全部、息子がよく調べてあったので楽だった。楽しい休日の家族日帰り小旅行でありました。嗚呼、充実。

 本日は息子は母親と買い物。身体も大きくなってきたし、中学入学祝いで自転車を買い換えたのだった。僕はてっきりスポーツタイプの自転車を買ってくるかと思ってたら、籠付きのチャリ。籠付きの方が便利だから、と息子。いや立派リッパ。親ばか発言ですが、なかなかにシッカリ者でありましょう