07年 1月 3日〜 2月17日

最近の子供はどうか分らないけど、今の大人の多くはガキの頃に日記を何日か書いた経験があるのでは?
斯く言う私もその一人、当然この日記も不定期です。 (2001年8月19日、記)


07年 1月 3日(水)   笑門来福 2007

 あけましておめでとうございます。ロッド・スチュアートさんが歌うボブ・シーガーさん名曲 Still The Same を昨年末 iTunes で買いましてね、それをかけながら今これを打っておるのであります、皆様、あけましておめでとうございます、まぁもう新年3日目です、いま新年と打とうとして先に深遠と打ってしまいました、はい。

 年末はカイシャ仕事を納めますと、家族スキー温泉旅行へ。場所は水上、谷川岳、天神平。腰椎頚椎椎間板ヘルニアの親父たる僕は何とかリフトで標高千五百近いところまで妻子と共に上がり、しかし着く直前に強風が吹き出し、あとはたいへん。降りるのに一苦労二苦労。まぁ今後は天候に気をつけよう。僕の首と腰は既に崩壊してますねん。雪見の露天と大浴場はよかったですな。

 田舎に帰ったら今度は幼小中の同窓生との酒。男と女ぜんぶで 20人ぐらいか。夏に会って久方ぶりに飲んだ友、ずっと会ってなかった懐かしい顔。いろいろです。やっぱ、子供時代・少年時代の友と会えて飲めるのは格別です。親しく声をかけてくれるのは本当にありがたい。こういう環境を故郷で得られることには感謝の気持ちでいっぱいになります。故郷への感謝。友への感謝。

 大晦日は兄貴一家も帰り、兄夫婦・長男次男三男と僕ら夫婦と息子、合計8人で故郷の神社に初詣。二箇所の神社に行きました。この世に受ける生の価値は誰しも同じはず、いや現実はいろいろあるのは知ってますがね、原理的には平等なんです、それが二箇所目の神社で昨年秋篠宮で生まれた男児の名だの「奉祝」だの「健やかに」とかいった文字が「厳かに」躍っていたのは気に入らないが(だからね、僕の息子だろうが、あなたの娘だろうが息子だろうが、生を受ければ同じく目出度い愛でたいことなのです)、まぁその二箇所目の神社も静けさ自体は良かったし、何しろ僕は特別の理由があって初詣に来たのだった。いつもは家でグタグタしている僕で、元旦明け早々の神社への初詣には兄貴ら夫婦と息子3人に我が息子がお供させてもらうってのが恒例のようになってましたが、今年は格別に特別に祈念したいことがあり、妻とともに僕も一緒に出掛けました。

 元旦の朝は恒例の一家三家族全員揃っての朝。我が親父が新年の挨拶をし、お年玉や子供達の抱負。我が息子は「学校を休まなくていいよう、身体を鍛えたい」と言った。去年は何回か風邪にかかったからね。身体を鍛える。重要です。

 2日の朝、親父お袋から兄貴と僕に重要な話がありました。みんな、必ずや上手くいきます。
 昨日の夜、東京で一度降りて夕食食べてから、帰路に着きました。

 今日は僕らが今住んでる家からほど近い神社に行きました。毎年行ってます。「家内安全」のお札を買いました。

 今、iTunes からは、やっぱり昨年末買った、Louis Armstrong の What A Wonderful World が聞こえてます。


07年 1月 3日(水)   「カイシャにも国旗国歌を」って、おいおいトイレット経団連

 今日、ためて配達してもらった年末年始の新聞から、元旦の記事で本当にウンザリする記事を発見してしまいました。

 御手洗ジイサンが会長務むる日本経団連、元旦に合わせてホンマに嘆かわしきシロモノを発表してくれました。今後の十年間を見据えた日本の将来構想とやらで、「希望の国、日本」、俗称「御手洗ビジョン」だそうです。嗚呼、下らない、下痢にもならない。安倍くんの「美しい国」やら藤原くんの「国家の品格」やらと変わらん心性だと、いや実は変わるとしても心性の程度は変わらんものと僕は断定しますが、しかし財界のエライさんがこういうことを言い出すと、ある意味、政治屋や学者さんの戯言戯言タワゴトザレゴトよりも始末がわるく、現実世界に影響を及ぼすことが懸念されるのであります。
 嗚呼! 以下、赤字は転載者の僕が入れたものね、もちろん。

 どういうわけかコレがウェブ版朝日に掲載されてないんだ(違う角度からのなら出てるのにね)。下に丸写ししてやるよ、元旦の「総合」面の、唖然のニュースね。

 見出しから全部載せておきます・・・
 見出しだけで十二分に記事中身が想像でき「何をバカな」と思いますが、記事は以下の通りです。けっ(侮蔑)。

「国旗・国歌 企業も尊重を」御手洗ビジョン 提言発表

(2007年1月1日朝日新聞「総合」面)

 日本経団連(御手洗冨士夫会長)は1日、今後10年間を見据えた将来構想「希望の国、日本」(御手洗ビジョン)を正式に発表した。産業競争力の強化策を求めるほか、企業や官公庁が日常的に日の丸を掲げ、君が代を斉唱することを初めて提言。憲法9条の改正も求めるなど政治色が極めて強く、安倍首相の主張に近い内容となった。

 御手洗ビジョンは約140ページ。「希望の国」の実現に向け、イノベーション(革新)の推進や経済連携協定の締結促進、税制改革、道州制の導入、労働市場改革など19の優先課題を提示した。19の課題ごとに国の10年後の姿を描いた。

 日の丸、君が代については、19の課題のうち、「教育再生、公徳心の涵養」(計7ページ)の項目に盛り込まれた。「新しい教育基本法の理念に基づき、日本の伝統や文化、歴史に関する教育を充実し、国を愛する心や国旗・国歌を大切に思う気持ちを育む」「教育現場のみならず、官公庁や企業、スポーツイベントなど、社会のさまざまな場面で日常的に国旗を掲げ、国歌を斉唱し、これを尊重する心を確立する」ことが明記された。

 「愛国心」の必要性も強調された。現在の教育には「公徳心の涵養という視点」が欠けていると指摘し、公徳心について「基本的な価値観を共有する共同体の一員という自覚を持つことにより育まれる」とした。
 憲法改正も課題の一つに位置づけ、「戦力不保持をうたった9条第2項を見直し、憲法上、自衛隊の保持を明確化する」と提言した。



 ・・・トイレット御手洗くんは、っていうかケイダンレンさんは、というべきでしょうか、教育基本法「改正」 はさぞかしウレシカッタでしょうなぁ。喜びいさんで、学校やスポーツイベントではとっくの昔からなってますが、今後はどんどこ「官公庁や企業」にまで何の理念も表象しない国旗「日の丸」や天皇くんの歌「君が代」の露出度を増強しようってわけです。それして何が気持ちイイの? カイシャの一員は「共同体の一員」、「公徳心」を涵養する場所ってわけかい、イヤハヤ僕らはたいへんな時代を強制されかねませんよ、ほっときゃ「少国民」だぜ「赤子」だぜ「臣民」だぜ、ま、その言葉使わんでもそういうことじゃん、何も僕は大袈裟は受け取り方してませんよね、オテアライさんよ。

 件の記事に関しては、「経済」面に解説記事がありましてね、これもウェブ版朝日はなぜか掲載してないんだけどねぇ、丸写ししときましょか、こっちも。


「財界 変わる歴史観 戦中派退き 政権と歩調 御手洗ビジョン」

(2007年1月1日朝日新聞「経済」面)

 日本経団連が発表した「御手洗ビジョン」は、経済分野よりも歴史認識や思想、信条への言及が目立つ。教育基本法に「愛国心」を盛り込み、防衛庁を「省」に昇格させた安倍政権を、思想面で支えていこうとする意図が読み取れる。

 政治色が強いビジョンを発表した理由について御手洗冨士夫会長は、社会秩序を守るために必要な「公徳心」は愛国心が育むものであり、その愛国心を培うために国旗、国歌などの尊重が求められる、と説明する。

 こうした発想は、財界人の世代交代と無縁ではない。御手洗会長は1935年生まれ。経団連の副会長15人の中にも、「昭和ひとけた」生まれはいない。南方戦線から帰還した大正生まれの平岩外四元会長ら、悲惨な戦場を自ら体験してきたかつての財界人とは、歴史認識や戦争観が明らかに違ってきている。

 90年代後半、戦中派の財界人たちが一線を退いた後に台頭してきたのは、米国の新保守主義の影響を受けた経営者たち。米国で23年間暮らした御手洗会長の脳裏にも、レーガン大統領時代の「強いアメリカ」と星条旗の記憶が鮮烈に残っているとみられる。

 経団連のビジョンに法的な強制力はない。しかし、経済財政諮問会議の民間議員でもある御手洗会長の、政策決定に及ぼす影響力は小さくない。安倍政権とともに愛国心や日の丸、君が代を前面に押し出すことで為政者と経営者への批判を封じ、「お上」に従順な国民、社員に仕立てあげようとしている印象がぬぐえない。



 いやはや全く恥を知れって感じですが、財界トップ様のビジョンがこれですか。とんでもねぇ国になってきたもんだ。このまま放置したりはしませんでって僕は思いますが、臣民になりつつある「ボクら少国民」日本国民は、今後もずっと無関心に受け入れていくのでありましょうか。ってか、喜んでこういう空気を受け入れていく人だって少なくないよね、たぶん。考えないのってラクだしし。気持ちわるいや。ったく。

 ・・・ ついで、「カイシャにも日の丸・君が代を」と比べたら、この頃のは未だかわいく見えた、
  経団連の献金査定、その1
  その2
  経団連と政治商人、死の商人

 こういう恥知らずな富める集団には、尾下大造さんの声をぶつけたい。あまりの落差、泥ケイダンレンと雲という感じだから、ここからリンクするのも甚だ、尾下大造さんには申し訳ないわけだけれど。
軍人恩給を拒否し続ける尾下大造さん(1)
軍人恩給を拒否し続ける尾下大造さん(2)
軍人恩給を拒否し続ける尾下大造さん(3)


07年 1月 3日(水)   家内安全世界安寧

 小さな世界から大きな世界まで。安全と安寧を祈念するのであります。本日の最初の日記にも書きましたが、今日は我が家からほど近いところにある神社に詣で、今年も「家内安全」のお札を買ってきました。家内安全、世界安寧ですよ。

 いま妻はチゲ鍋を用意しています。チゲ鍋を食べて日本酒を飲んで、鍋には最後にラーメンを入れて、これで日中韓友好であります。家内安全、近隣友好、全世界友好と平和であります。宜しくお願い申し上げまする。僕らも頑張るのであります。

 息子はいまギター弾いてます。音はもうけっこうちゃんと出ています。これからもだんだん上手になっていくのであります。


07年 1月 4日(木)   昭和三十年代から四十年代

 DVDを借りてきて、『ALWAYS 三丁目の夕日』を観ました。CGによる再現の精度とか、言えば色々あるかもしれないが、僕は単純にあの時代を懐かしみ、あの時代が幸せだったに違いないと想うものとして、気持ちを入れて観ました。

 今日、この映画を、昭和三十七年の早生まれの妻と、1992年生まれの息子と、家族3人で観たのは良かったな。だいぶ前に僕が観たいと言っていて、今日はもともと、中2の息子が「観よう」って言い出したんだよ。

 僕の「原理主義」では元号は嫌いなんだけど、やはりあの時代を言う時は『昭和』かな。

 映画の舞台は昭和三十三年の東京。僕が生まれたのは昭和三十五年で静岡県の田舎町。時はややズレ、場所は違っても、でもリアリティを持って想い起こせる時代だな。今日はあんまりゴタゴタ書かないけど、決して豊かなんかじゃなかったあの時代、だけど明日は何かよいことがあるだろうという(意識せずともの)希望を抱いていた時代。人間の心がまだ押し並べて豊かだったと言っていい時代。

 僕は西岸良平の『三丁目の夕日』、『夕焼けの詩』って副題が付いてるんだっけ、始まったのは昭和四十九年らしいから、たぶんその頃、中二か中三の頃から読んでたんじゃないかな。歯医者とか病院とか床屋とかに行ったら、たいていあったよ。今だって連載してるはず。

 僕には『栄町の夕日』って感じかな。『森町の夕日』でもいいぞ。都会じゃないけど、でもあの話が書き込んでる物語は、あの時代、日本全国いろんなところにあったと思うよ。

 いま、細野晴臣の HOSONO HOUSE をかけながら打ってます。出たのが昭和四十八年。まだ『夕焼けの詩』はそこかしこにあった時代だな。薄れていってしまうなんて、まだ多くの人は気づいてなかった。だけど原作者は既に気づいていたんだろうな。

 たいていの大人はどうだったんだろう。僕はせいぜい中学だからね。当時、時代のことなんか、どのくらい分かっていたものか。


07年 1月 8日(月)   家族の電車帰省

 家族3人で妻の実家に行ってました。妻の母はだいぶ以前から体調はかんばしくないのだけれど、娘や孫が行けばやはり元気が出ますね。喜んでいました、もちろん。父親もだいぶ年をとってきて、やはり体調のことがあるけれど、娘家族の帰省は嬉しいものです。二人とも何と言うか寡黙なタイプの人ですが、穏やかな笑顔から、心持ちがよく伝わってくるのです。

 帰路がすごかったな。もともと天気が荒れると聞いていたので、今回はあえて電車にしたんだけど、帰路はほんとに荒れて、暴風で、ずいぶん長いこと電車が止まった。一時は風速35メートルまでいきましたからね。たまりませんです。長い長い帰路でありました。


07年 1月 8日(月)   ホワイトカラー・エグゼンプション

 これはね、こっち をみてください。カタカナ並べるとよく分らんでしょ。そうです、ケイダンレン のおじさんオジイサンや、安倍くんやアーセイコーセイ労働省の役人達は、ともかく一般事務職労働者にはなるべく意味が分らんようにしたままコトを進めたいのです。そもそもカタカナ、日本人は好きだし、安倍くんの所信表明にも矢鱈と多かったでしょ。そういや、小泉くんが始めた街角会館懇談会も、タウン・ミーティングと 呼んでましたよね。はいはい、あの八百長の会議のことです。


07年 1月 8日(月)   事務職労働者・労働時間規制・適用除外制度

 これはね、ホワイトカラー・エグゼンプションという言葉が流布されてますが、white collar っつーのはもちろん白色(white color)のことではないので、白人だけの問題ではありませんね。それから、白い襟っつったって、白襟のシャツ着てなきゃ大丈夫かってんでもなくて、要するに事務職の皆さん、あ、俺のことかも、と思ったほうがいいわけですね。

 カタカナ並べるとよく分らんでしょ。そうです、ケイダンレン のおじさんオジイサンや、安倍くんやアーセイコーセイ労働省の役人達は、ともかく一般事務職労働者にはなるべく意味が分らんようにしたままコトを進めたいのです。そもそもカタカナ、日本人は好きだし、安倍くんの所信表明にも矢鱈と多かったでしょ。そういや、小泉くんが始めた街角会館懇談会も、タウン・ミーティングと 呼んでましたよね。はいはい、あの八百長の会議のことです。

 exemption っつーのはスペースアルクさんによれば「免除、免税、課税控除」といった感じでして、ここは実は訳すと(ほんまウェブ見ても日本語で書いてあるの少ないで)、「〜免除制度」の方が訳語的には正しくて、Wikipedia さんなんかも、括弧の中は「ホワイトカラー労働時間規制適用免除制度」となっております、ハイ。

 ただね、免除ってのは、義務や役目、負担などを除く、免ずるってことだよね。そうすると、なんか楽になる感じじゃん。でもね、これは多分(?)使用者側の話なんよ。雇う側、つまり使用者、資本家、経営者の皆様にとってはですね、雇用者つまりね、労働者をあんまり働かせすぎちゃいかんぜよっていう、通常の労働時間規制から逃れられるってわけ。

 つまりだね、ここで『嫌なこと』は経営者側にとっての「あんまり労働者を働かせ過ぎちゃイカンよ」って規制であって、それから経営者の皆様が逃れられる。決して、労働者が過労から逃れられるってことではないのです。逆よ。

 だけどね、「免除」って聞くと、なんか楽な気分になっちまうじゃん。「免税」みたいにさ。だからね、「事務職労働者」(の大半なのか一部なのか)が、自身を守ってくれるはずの労働法(日本ではそのうちの労働基準法)による「労働時間規制」の対象外になってしまうってことなわけで、他人事でないと意識するためには「除外」って読んだ方がいいわけだ。あくまで主語を自分にして、「うーん、除外されるのかぁ」って思うべきですね。

 大体やね、何を exemption されるのか・するのか、この言葉からは巧妙に抜け落ちてるわけです。そうでしょ? ホワイトカラー、事務職の労働者を除外(翻訳上は免除)するよって言ってるだけの言葉なんであって。

 ホワイトカラー・エグゼンプション ってのは、重大なものが抜け落ちた言葉であるうえに、同時に思い切りカタカナで訳分からんようになってるわけです。

 1月6日の朝日によれば、安倍くん総理は 5日、「ホワイトカラー・エグゼンプション」は労働時間短縮につながって「(労働時間短縮の結果で増えることになる)家で過ごす時間は、例えば少子化(対策)にとっても必要。・・・」とも述べて、これがですね、要するに出生率増加にも役立つって考えを言ったんだと。

 安倍くんは、「家で家族そろって食卓を囲む時間はもっと必要ではないかと思う」と指摘、要するに、長く働くほど残業手当がもらえる仕組みを変えれば、労働者が働く時間を弾力的に決められ、結果として家で過ごす時間も増えるとの解釈を示したんだと。まぁ本気でそう思ってるんでなくて、人件費コストを落としたいケイダンレンの皆さんと一致団結したいだけのことなんでしょうがね。

 バカだよ、ったく。「労働者が働く時間を弾力的に決められ」るのかい? 本当にそれが基本的な労働者の立場だと思うのかい? 労働時間規制がなくなる、そして法定労働時間外の労働時間が残業手当の対象でなくなる。そうなるとね、要は、ほとんどが(これまでも十分にあったけれど)「サービス残業化」するだけだよ。それを、「サービス」と揶揄することもできなくなるんだ。だって、労働時間規制なくなったらねぇ。

 日本の場合、法定労働時間は多くの国と同様に1日当たり8時間、これを決めてるのが労働基準法で、これを超えて労働者を働かせるには、使用者は労働者代表と協定を結んで、法定時間を超えて働かせてよい上限時間を決めなくてはいけない、それが労働基準法第36条の規定です。

 ホワイトカラー・エグゼンプションと流布され続ける「事務職労働者・労働時間規制・適用除外制度」(訳では免除、経営者にとっての「規制」遵守義務の免除ね!)の制度を「適用」されてしまうと、労働基準法第36条の規定による労使間協定ナシで「法定1日8時間を超えて働いてもらうよ、君たち!」って経営者の皆さん方に言われてしまうことになるわけです。

 ただでさえ、欧米で取られてている同種の制度では、その制度の適用を受ける範囲は法的に厳密に制限されていて、管理職だったり、例えば年収10万ドル(日本円だったら1千万超ね)だったりするのですよ。

 それが、日本では元々管理職はそもそも残業手当対象外なのが普通ですが、ケイダンレン、経団連がもともと言い出した『ご提言』では、「労使委員会の決議で定めた業務で、かつ年収400万円以上」なんて言ってたんだよ。無茶苦茶でしょうが。

 これじゃ、いわゆる三六協定(労働基準法第36条の規定による労使間協定)の歯止めなどもなくなって、日本の労働環境はますますわるくなりますね。今だって先進諸国の中では間違いなくワースト、最悪だと思うんだけどね。

 あっしはガチョウで、ガチョウは既に残業手当の対象外ではあるんですがね、しかしこーゆー制度の野放図な導入(今夏の参院選挙のこともあって公明が「今は反対」言い出して自民党内でも慎重論が出てきたらしい、ま、あくまで目先の選挙が気になるんだろうけど)には大反対です、当然。
 嗚呼、僕も、あなたも、お身体を大切に


07年 1月 8日(月)   2007年・初親バカ日記

 えっと、未だ今年は「親バカ日記」書いてない…と思うんだけどな。ま、似たようなことは昨年も 書いてるんですがね、今年また嬉しいメッセージをいただいたもので。

 去年と同じ教師が息子にやはり年賀状・返信をくれたのですが、

 私はずっと考えています。
 『良いことがあるからがんばるのか、がんばること自体に価値があるのか。』
 その答えを出せるのは、・・・ではないかと。

 ・・・のところには息子の愛称・呼称が書かれているんだけど、その先には
 正解はないので、自分らしい答えを待っています。みんなに見せられるといいね。

 メッセージを寄せてくださった先生が考えたところはどこなのか分からないが、言葉としては、それが「みんなに見せられる」ものか、それともそういうものでもないものか、そういう意味合いまで僕は受け取る。息子はどうかな。息子なりに受け取って、時々考えるときがあればよいと思う。

 言葉そのものには難解なものはないし、先生がどこまで踏み込んで考えられたことなのか僕には知る由もないが、僕はこういうメッセージを寄せてくれる先生が息子の身近にいて、息子がまたそういうメッセージを受け取れる少年になっていることを、親として嬉しく思う。

 取り様によっては『14歳からの哲学』ですよ。いまは大抵は『良いことがあるからがんばるのだ』『動機付けられるのだ』、それがなければ、人は頑張らないよ、当然じゃん、それが常識的な物言いというところだろう。しかし、本当にそうか。それは実は簡単に言い切れるものでもないだろうな、と僕は思ったりもする。
 考えることを動機付けることにもなる、良いメッセージをいただいた。僕はそう思ってる。僕は、息子も彼なりに受け取って、時々考えるときがあればよいと思っている。


07年 1月14日(日)   趣味シュミ談議

 先月からミクシーにも書いてますが、ミクシーの友達は少ししかいません(笑)。
 そういうわけで、昨日ミクシーのコミュニティを覗いてみまして、自分の趣味の音楽関係で相当なるツボを押えたものをみつけたんですが、入ろっかなと思ってから、ちとコダワリにぶつかってやめてしまいました。

 以下は例示です。
 例えば、僕がアレサ・フランクリンの大ファンだとします(実際は、好きですがアレサは聴き込んでないので、文字通り「仮の例」です)。
 …で、そこの管理人のページを覗いてみて、その人がこう書いていたとします。

 好きな女性ボーカル(外国編)
 アレサの他にはアリシア・キーズ、アニー・レノックス、クリッシー・ハインド

 これは十二分に大丈夫ですね。
 ところが更に、こう書いてあったとします。

 好きな女性ボーカル(日本編)
 木村カエラ、浜崎あゆみ、カルメン・マキ

 例ですよ、例、あくまで(笑)。
 こういう場合、これはちょっとガマンできない。外国編はぜんぜんイイですね。しかし、日本編、木村カエラは僕好きです。カルメン・マキも大好き(最近どうしてますでしょうか)。しっかし、浜崎あゆみ、これはイカン。

 要するにこういう(僕には地球とアンドロメダ大星雲くらいまでの距離を感じる)隔たりがあると、どうにもならんのです、他にどんなお好みがそこに置かれてあったって。嗚呼むずかしいっすね、シュミって(笑)。

 でも映画なら大丈夫かもね。まぁトンデモなバカドル・タレントをキャスティングして「特攻隊」物語りなんか作ってしまうようなセンスの映画が「感動モノです」なんて、それを主宰者の管理人が書いてたら、そりゃやはり二の足踏むどころか三の足踏んで入らないけど、でもまぁ映画は総合芸術ですからね、そこそこ合いそうな趣味の人のものなら大抵お仲間入りは大丈夫のような気が。
 でもずっと映画館で観てないような程度の自称「映画好き」になってる僕だから(ほんまに映画は好きなんですがねぇ)、自分から遠慮してしまいますね、とほほ。

   ・・・あ、さて、趣味と言えばうちの息子は鉄道が趣味のひとつ。相当なもんですねん。

 昨日、今日と、近くのスーパーの「駅弁大会」の駅弁買って、家族で食べあい、つごう2日間で全員それぞれ6種類を食べました。
 左の写真は今日食べたもの(上がカバー、下が中身、食べる前の記念写真)。
 左から、「牛ぎゅうわっぱ」(名古屋駅)、「石狩鮨」(これは正確には空弁と言います、新千歳空港名物、銀鮭とズワイガニの飯)、「花咲かにめし」(イクラや鮭、錦糸卵など入ってる、根室駅)ですね。

 右の写真は昨日の昼に食べた駅弁のカバー。左から「みやぎ黄金海道」(穴子やウニやイクラ等々、仙台駅)、「蝦夷かに釜めし」(北海道留萌線、深川駅)、「南三陸松島かきめし」(仙台駅)となります。
 駅弁の趣味は、ええっすよ。 


07年 1月14日(日)   健康長寿祈願談義

 去年の11月だったか、職場の定期健康診断を受けました。で、先週、職場の「産業医」のコメントが届きました。
 治療継続ナンタラかんたらお勧めの項にマルが付いていて、さらに手書きで、「仕事する上で問題のある時は、医務室にいらして下さい」と書いてありました。
 まぁしかし、その「産業医」は内科医です。僕はね、外科(整形外科というべきかな、ヘルニア治療は)と神経内科だか心療内科だかにカカッテますから! 嗚呼、お身体を大切に

 一緒に暮らす僕の家族や僕自身のほかに、家族や友人知人で、どうしても健康でいてほしい人がいます。もちろん、います。
 僕は、この宇宙を律する偉大な力にお祈りします。どうか宜しくお願いします。


07年 1月20日(土)   シティ・オブ・ニューオーリンズ

 僕は最近、iTunes で立て続けに、ひとつの楽曲の4つのバージョンをダウンロードし、毎日のように聴いている。

 オリジナルを書いて歌った、スティーヴ・グッドマンのスタジオ録音とライブ・バージョン。

 それから、アーロ・ガスリーがカバーしてヒットさせたバージョン(ただし iTunes にあったのはライブ録音の方だった)。
 僕は中学か高校の頃、田舎の家にあった多分ワーナーのヒット曲集ばかりを集めた、2枚組LP盤(兄貴が買ったんだと思う)の中に収録されていた、このバージョンのスタジオ録音のものをよく聴いた。好きな曲だった。今も好きだな。

 それから、ウィリー・ネルソンがカバーしてヒットさせたバージョン。オリジナルを書いたスティーヴ・グッドマンは、このカバーがヒット・チャートを駆け上がった頃にこの世を去ったそうだ。

 スティーヴ・グッドマンは、シカゴ生まれシカゴ育ちで、音楽と野球と、それから、おそらくは汽車(列車、鉄道)が大好きだったようだ。彼の遺灰は、シカゴ・カブスのホーム・グラウンド、リグレー・フィールドのホームベースの下に埋められているんだって。
 僕は、彼がマンドリンをバックに歌う Take Me Out to the Ball Game も、iTunes でダウンロードして、同じように毎日、聴いている。

 「シティ・オブ・ニューオーリンズ」は、朝シカゴを出たら、夜ニューオーリンズに着く、シカゴ、メンフィス、ニューオーリンズをつなぐ長距離列車の名前なんだって。アムトラックですね。

 いいなぁ。本当にいい歌だ。

 僕も妻も息子も、音楽と野球と鉄道が大好きです。僕らは、スティーヴ・グッドマンが果たせなかった分も、たくさん生きて、ずっと音楽と野球と鉄道を愛し続けよう。きっと、スティーヴ・グッドマンも、喜んでくれるでしょう。

 僕らは、スティーヴ・グッドマンが果たせなかった分も、たくさん生きて、ずっと音楽と野球と鉄道を愛し続けよう。


07年 1月21日(日)   ホワイトカラー・エグゼンプションその3

 その1は ホワイトカラー・エグゼンプション
 その2は 事務職労働者・労働時間規制・適用除外制度 です。

 「ホワイトカラー・エグゼンプション」という詐称的名称のその実、「事務職労働者・労働時間規制・適用除外制度」の件、昨日の朝日朝刊のコラムに出ていました。でもどうして、こんな大事なコラムが、24面の『金融情報』面のページに押しやられてるのかね?
 ウェブではこっち


「劣化する労働条件」

(2007年1月20日朝日新聞「金融情報」面:コラム「経済気象台」)

 労働時間の国際比較を見てみよう。週50時間以上働いている労働者が日本28%(これ、届出数字の集計だから絶対コレより大幅に多いね〜引用者注)、アメリカ20%、イギリス15.5%、ドイツ5.3%、フランス5.7%、イタリア4.2%である。

 次に年間休日数は日本がアメリカと同様で127日、イギリス137日、ドイツ143日、フランス140日である。

 最低賃金を含め統計の多くは、先進国のなかでは日本の労働条件がよくないことを示している。この労働時間の長さや、有給休暇を取得しない(できない)という現実は、残業手当が欲しいからなのだろうか。そうではないだろう。

 家に仕事を持って帰る風呂敷残業を含め、日本のサラリーマン(特にホワイトカラー)に「無給の残業」がとても多いことは、少し職場の事情を知っている者なら、すぐに気がつくことだ。現実の忙しさはもとより、人事評価では「会社への姿勢」や「仕事への姿勢」がカウントされるので、ますます帰れなくなっているのである。もうずっと前から多くの日本のサラリーマンの残業手当は労働基準法から事実上「適用除外(エグゼンプション)」されている。

 労働法制の改定案から「エグゼンプション」が削除されるのは、けだし当然といえよう。残業の規制は36条協定の運用で事足りる。労働法制の改定は残業手当の割増率と最低賃金の引き上げを決めれば十分であろう。

 経済財政諮問会議は正社員(組織労働者)への攻撃を強めている。彼らが非正規雇用者よりも相対的に恵まれていることは事実だが、賃金をはじめとして近年、正社員の労働条件もまた急速に劣化していることは各種データで明らかになっている。日本経団連はしきりと国際競争力を主張しているが、これだけ先進国のなかで悪い労働条件下にありながら、なお競争力がないとするなら、問題は経営者の能力にあると思えてくるのである。(遠雷)



 いやはや全く。これ、ほんと社説で書いてよ、ちゃんとさ。社説ってほんといつもツマラナイどっちつかずなんだから。


07年 1月21日(日)   学校のいじめ、会社のいじめ

 いじめは学校ばかりではありません。こんどは昨日の朝日の「第3社会」面。これも、もっと目立つ面にしてほしいなぁ。
 ウェブではこっち


「会社で思想差別」

(2007年1月20日朝日新聞「第3社会」面)

 労働組合活動や特定政党への支持を理由に昇進などの差別を受けたとして、従業員ら計168人が石川島播磨重工業(本社・東京)に謝罪や損害金の支払いを求めていた問題で、19日、和解が成立した。会社側が差別を認めて再発防止を約束し、解決金10億円程度を支払う。

 差別を受けたと主張していたのは東京、神奈川、愛知、兵庫、広島の6事業所の従業員44人と元従業員124人(5人は遺族が訴えを継承)。

 従業員側の弁護団によると、会社側は共産党の支持者であることや組合活動を行ったことなど思想信条を理由に、1960年代後半から差別を続けてきた。昇進が阻まれ、職場の懇親会からも排除されたという。

 和解協定書で会社側は「いやしがたい苦痛を感じたことを、重く受け止める」と反省の意を表明した。従業員側の弁護団は「企業による思想信条差別を巡る問題では、和解の対象者が過去最大規模。会社側が反省の意思を明確にしたのも画期的」としている。

 2000年3月に従業員ら8人が、東京地裁に損害賠償などを求め提訴。会社側が過去の差額賃金や解決金約1億6800万円を支払うことで 2004年3月に和解が成立した。今回和解した168人は裁判外で、会社側と交渉を続けていた。



 いやはや全く。これ、この会社だけではありません。もちろん、日本財界・経済界の名立たる大企業でも、そりゃそうでしょう、中小企業でもゴマンと事例はあるでしょう。大企業のことは、個別企業名付きで多くの企業の事例が世のいろんな活字で昔から紹介されてるよ。会社側が公式に認めた例が稀だっていうだけ。

 いじめは学校ばかりではありません。SIGHTで高橋源一郎も言ってた通り です。あのメッセージ、よいなぁ。


07年 1月21日(日)   祝、妻の誕生日!

 昨日は前夜祭。3人で中国料理レストランに行った。フカヒレまで食った。息子は母親に感謝すべし(笑)。まぁ大衆食堂のレストランだけどね。贅沢を学ぶ必要はない(笑)。

 今日は僕と息子で出掛けて、花とケーキを買ってきた。

 花屋に入って花を見たら、ストロベリー・フィールドがあった。ジョンのビートルズ時代の曲「ストロベリー・フィールズ・フォエバー」は僕らの想い出の曲。よしってわけで、ストロベリー・フィールドを入れて上手く揃えてください、と店の人にお願い。他はチューリップ、スイートピー、ストックなど(店の人に聞いたよん)。チューリップが花を開くと華やかになります。

 僕や息子の誕生日だと妻がケーキ作ってくれるんだけど、そこは勘弁。息子はやれそうだけど(笑)、今日は買いました。まぁ気持ちがあれば何でもいいのです!

 ・・・ヨメさんよ、誕生日おめでとう。ずっと、これからも、宜しく楽しく幸せな家庭でいこう。

 愛しあってるかい?とキヨシロウさんの声が聞こえてきましたが、「あったりまえ」じゃん。言葉では言い表せない愛情と感謝と、そういう諸々が集まった「気持ち」でいっぱいであります。

 もうずっと前から橋かかってるし、明日にも橋かけてるし、そのうえこの橋はダイヤモンドよりもずっとずっと頑丈にできている橋であります。

 ヘイ、銃声よりもダイナマイトよりも衝撃なのは愛だろう
 ヘイ、水晶よりもダイヤモンドよりも透明なのは愛だろう
 大切なのは愛だろう
 大切なのは愛だろう
 愛だろう
 愛だろう                デイト・オブ・バース「愛だろう」


07年 1月27日(土)   ずっとイカレてる

 ポール・サイモンさん・・・。
STILL CRAZY AFTER ALL THESE YEARS のアルバム・タイトル曲、1曲目ですね、つまり、
STILL CRAZY AFTER ALL THESE YEARS を訳してみました。
 ずっとイカレてる   けっこう、意訳です。

 ポール、心配しないでください(笑)。僕は妻にずっとイカレてるんです。昨日の夜会ったのが妻なら、今日の夜も妻、明日も妻。ずっと妻に会って、妻にイカレてます。僕ってイカレてますか? ・・・いや、彼女にイカレてるんですよ。

 それにしても、彼女に会って、今もイカレてるって、それが最後には何か、みんなイカレてるように読めてくる、あなたの詩。あなたはそれを 35歳ぐらいで書いたんですよね。僕はその歌を、15歳ぐらいの時に聴きました。その詩を、知りました。

 僕はいま 46歳。ポールは 65歳? また来日してほしいなぁ。

 STILL CRAZY AFTER ALL THESE YEARS の歌詞は、どっか、「投げやり」に見えて、その実そうではないと受け取っています。これもリスナーそれぞれの聴き方の「すきずき」ですね。

 “ It's all gonna fade ” にすら、僕は前向きな気持ちがちゃんと含意されてると受け取りたいのです。前向きっていうのは些か大袈裟な物言いかもしれませんが、たぶん、それでも僕はイカレてて、それでも僕は生きていて、だから前を向いてるんだと思う。・・・というような解釈をしつつ、大好きな歌です。メロディも詩も、珠玉の一品。


07年 1月27日(土)   梅は咲いたか大根は獲れたか、身体を大切に

 昨夜から今朝にかけ寝付けず、Still Crazy の意訳・訳詩 なんぞに励んだり音楽聴いたりして、朝4時過ぎてから寝床に向かったのであるが…。

 午後、お天道様が真上をだいぶ過ぎた頃、妻とともに散歩に出掛けたのであった。今日は僕にしてはけっこう歩いた。
 妻と梅の花探しをしてみつけた時の1枚が左。

 右は帰宅してからの1枚。我が家の小庭でできたラディッシュを持つ僕の手。
 背景は小庭で育った大根。今日は大根を収穫してチゲ鍋に入れます。

 …で、鱈や海老のチゲに我が家産の大根を入れ、ラディッシュもマヨつけて食べました。
久方に、妻が作ったキンパップ(韓国風海苔巻き)も食べました。
 チゲにはいつも通りに途中からラーメンを入れ、最後はご飯を入れ。いやぁ、美味美味。

 収穫の1月、チゲ鍋を食べ、元気をつける。毎日、イカレてる
 メチコもオパルもルボもレンドも飲んで、お身体を大切に


07年 2月 3日(土)   神に感謝。

 嬉しい知らせを読みました。幸せそうに微笑む母親と、嬉しそうに笑っている父親の写真を見ました。
 僕の curriculum vitae の宗教欄は無ですが、
 宇宙を律しているかもしれないと僕が思う、「神」のような存在に感謝します。


07年 2月 3日(土)   Natural Beauty

 今日、午後、妻と隣り街の自然観察の森に出掛けて、散策しました。
 妻といろいろ話しながら、ゆっくり歩き、休み、また歩きました。

 写真は携帯だしね、画質はイマイチですが …。

 左の写真に写っているのは池です。
 眺めてたら、左側の木から鳥が川面に飛び込んで、また素早く元いた木に戻りました。
 それを2回も観ることができました。
 そこにあった案内版の写真から、僕らが観たのは明らかにカワセミでした。

 背が鮮やかな青色で、おなかの方はきれいなオレンジ色。
 魚をつかまえて直ぐに木に戻る場面を、はっきりと生で2回も観れたんですが、こういう場面を観れたのは初めてです。

 写真はその時に撮ったもの。構えてるうちにカワセミが飛んで行ってしまって、カワセミは写ってません。

 右はその後しばらく歩いて撮った写真。林の中を散策中に前方を撮りました。
 その自然公園に着いて歩き始めた頃は疲れ気味状態の方が勝ってましたが、歩いてるうちに、だんだん力が沸いてくる感じがしました。
 やっぱ、自然は身体、心身にもいいのかな。
 まして、妻と一緒に歩いたんだしね。

 帰ってきてから、ニール・ヤングの HARVEST MOON に収録されている、 Natural Beauty を聴きました。
 とても美しい曲です。

 それから、
 嬉しい知らせを読みました。
 幸せそうに微笑む母親と、嬉しそうに笑っている父親の写真を見ました。


07年 2月 3日(土)   

 今日は節分です。家族3人で、豆まきをしました。

 鬼はソトですが、
 園児の頃に息子が作ったオニのお面は、今も大事にとってあります。
 今日も使いました。

 はいなはいな門から、うちの中へ。はいなはいな門から、福の神。 福の神 ♪


07年 2月 4日(日)   政財界 おバカな人達

 1月のバカ発言集の一部。新しいところから。

 柳沢伯夫(厚生労働大臣!)
 「15から50歳の女性の数は決まっている。生む機械、装置の数は決まっているから、機械と言うのは何だけど、あとは一人頭で頑張ってもらうしかないと思う」
 (1月27日、松江市で開かれた自民党県議の集会での講演にて)

 丹羽宇一郎(伊藤忠商事会長)
 「残業代はいらないから早くスキルを身につけたい、土日でも出社したいという人がたくさんいる。」
 「経営者は(社員に土日に仕事を)してもらっては困る。なぜなら出社されると残業代を全部払わなければいけない。」
 (1月18日、政府の経済財政諮問会議=議長・安倍ゾーリ=にて、前々日に今回は法案提出を政府が断念した、ホワイトカラー・エグゼンプション導入を求めて)

 奥谷禮子(ザ・アール代表取締役社長!)(下記から最大級のバカと分かる)
 「さらなる長時間労働、過労死を招くという反発がありますが、だいたい経営者は、過労死するまで働けなんて言いませんからね。過労死を含めて、これは自己管理だと私は思います。」
 「… 労働基準監督署も不要です。」
 (以上、週刊『東洋経済』1月13日号の44頁に掲載された、ホワイトカラー・エグゼンプション導入・大大賛成の経営者による大馬鹿コメント)

 それから、日本K団連の、トイレの後でお手洗いビジョン の中の多分すべて!

 ここから、ちと追記。 at 23:30
 柳沢伯夫現・厚生労働大臣の発言に絡んでだけど、この人は基本的に、おそらく(まぁ見たとこイメージ!)、いわゆる「男尊女卑」的な振る舞いをする人ではない。それと、このサイアクの言葉遣いで国会審議空転というのも空しい。

 ただ、どうもリチャード・ドーキンスの The Selfish Gene (『利己的な遺伝子』) やら、生物=生存機械論 やら持ち出して、この言葉自体は間違ってもいないと言ってみたり、騒ぎ過ぎるメディアや野党(勿論これらも大抵は利己的に動いてるが)も(もしくは『が』)問題、と言ってみたり、そんなコメントも世間にはチラホラ。

 まぁしかし結局、政治家は言葉を people を相手に使っているのだ。
 生物学会の会員や、皮肉屋の業界人を相手にしているのではない。

 まぁ議員やめるべきとまで言わないけれど(それは選挙民が選択するし)、あの言葉で大臣やめるのは、それはけっこう当然なハナシ。
 要は彼が責任とって大臣辞め、国会審議を正常化して、それで少子化も含めた数々のテーマの審議をきちんとすればいい。

 あの言葉で審議空転、それで選挙専念とか言って、妙に別方向に批判のベクトルを向けたりするより、きちんと言葉の重みを考えた方がずっと 『生産的』 議論になる。

 要するに、政治家とかは相応に言葉を大事にすべきってことに過ぎない。しかし、それは大きな、重要なこと。
 しょせん言葉、されど言葉。
 意図がどうのこうのでなく、言葉を使ってコミュニケートするところに人間の特徴の一つがある。それは最低限踏まえないと話にならない。


07年 2月 4日(日)   お身体を大切に

 今日も妻と散歩。
 今日は街の中を。

 息子の中学校に行き、部活練習中の息子をしばらく見て、それからまた歩き、晩ご飯の買い物をして、それで帰宅。

 近頃ずっと、しばらく前よりもまた、眠りの調子がわるい。それがずっと毎日繰り返され、余計にきつくなる。

 今晩は餃子鍋です。妻の手料理はいつも美味しい。
 それで、メチコもオパルもルボもレンドも飲んで、生きましょう。 お身体を大切に


07年 2月 9日(金)   奥谷×子は、×鹿で アール

 ここで言及した、×鹿 経営者の続報。朝日の昨日朝刊から以下、転載させてもらいやしょう。この種の ×鹿は、天下に知らしめる他ない。これ、朝日 2月8日朝刊の「第2社会」面(34頁)だったんだけど、トップの1面(1頁目)に掲載してサラシてほしかったんだけど。
 アサヒコムのサイトではここ ( → リンクはもう切れてます、保存版にすべきなんだがなコレ :2016年10月24日 加筆!! ) 。

 見出しだけで十二分に嫌悪するが、記事は以下の通り。けっ(侮蔑)。というか!(憎悪と嫌悪)。

「過労死は自己管理の問題」 労政審分科会委員 奥谷氏発言が波紋

(2007年2月8日朝日新聞「第2社会」面)

 過労死するのは本人の自己管理の問題 ――。労働政策審議会(厚生労働相の諮問機関)の分科会委員、奥谷禮子氏 = 写真(転載者注 … いやはや顔写真付き記事でした!)、人材派遣会社社長 = の週刊誌インタビューなどでの発言をめぐって、7日の衆院予算委員会で論議があった。民主党の川内博史議員が「あまりの暴言だ」と指摘。柳沢厚労相も「まったく私どもの考え方ではない」と防戦に追われた。

 奥谷氏は、一定条件を満たした会社員を労働時間規制から外す「ホワイトカラー・エグゼンプション」(WE)の積極推進論者。労働時間規制をなくせば過労死が増えるとの反対論に対し、経済誌「週刊東洋経済」1月13日号で、「経営者は、過労死するまで働けなんていいません。過労死を含めて、これは自己管理だと私は思います」などと反論。また「祝日もいっさいなくすべきだ」「労働基準監督署も不要」とした。労政審分科会でも「労働者を甘やかしすぎ」などと発言している。

 奥谷氏は朝日新聞の取材に対し、「発言の一部分だけをとらえた質問は遺憾だ。倒産しても、会社は社員を守ってくれない。早くから自律的な意識をもつべきで、労働者への激励のつもりで発言した」と話した。



 「発言の一部分だけをとらえた質問は遺憾だ。倒産しても、会社は社員を守ってくれない。早くから自律的な意識をもつべきで、労働者への激励のつもりで発言した」と言ったらしいが、発言の一部だけを赤字にしてやった。

 俺は石橋湛山も論説主幹だか副主幹だか務めたことがあるという「週刊東洋経済」を時折り(笑)愛読していて(けっこうリベラルで筋を通した経済誌だ)、件の 1月13日号は自分で買って持ってるよ。そのうち棄てるかもしれんが、今も家にある。
 このオ×サンの頁は一部分どころか全文読んでるよ。で、全文読んで、その「発言の一部分」と全く印象変わらんよ。全文読んでも、ほとんど全てソレのオンパレードじゃん。×鹿としか思えん。ってか、あんた、ア × マだよ(×は ン じゃないよ)。

 「発言の一部分だけをとらえた質問は遺憾だ。倒産しても、会社は社員を守ってくれない。早くから自律的な意識をもつべきで、労働者への激励のつもりで発言した」と言ったらしいが、ここの2センテンス目もね、おまえみたいな「会社」の経営者が言うことじゃねぇんだよ。おまえに「激励」されたかねぇって。
 奥谷禮子は、×鹿で アール!


07年 2月10日(土)   眠れぬ者の自由

 昨夜、レンドルミンを飲むのを忘れた。寝床に入ってから気づいた。取りに行くパワーが出なかった。眠れなかった。

 体内が逆流していた。ずっと、身体が痺れていた。肩から足まで。明け方以降も厳しかった。ろくに眠れない。しかし、ウトウトしたりはする。

 で、結局、朝、そう遅くならぬうちに起きた。食べた。昼はお粥にした。午後、妻と散歩した。戻ってきた。夜は飲まなかった。鱈の鍋を食べた。ご飯はお粥。あとはうどん。えっと、FIND THE COST OF FREEDOM .
 (2月11日追記)翌日、改訳したオレ勝手流意訳第2弾、FIND THE COST OF FREEDOM .


07年 2月17日(土)   中学に、図書館に。

 木曜はお勤めご苦労さんで、終電に乗れず、日付が金曜になってからの時間帯、途中駅まで妻のクルマの迎えを受けた。それから、夜中の晩ご飯を食べて、もう既に朝の方に近い時間に就寝。

 で、金曜は何とか有休やりくりして休み、午後、妻とともに息子の学校へ。息子が委員になってる関係の学校行事で、息子がもう一人と交代交代で司会進行役だったので、観に行った。その行事は地域にもオープンにしてるからね。
 時々でも、息子の学校での様子は見たいね。子供や少年少女は大人と違って、日々、変わる、成長する。14歳の息子は、15歳になればまた15歳の息子になる。今の息子を見るのはまさしく今。

 その後、僕は妻に連れられて(笑)、眼科と耳鼻科に行った。自慢じゃないが、他にたまに行く、もしくは妻に薬を取りに行ってもらうのに、整形外科と神経科がある。処方薬の種類は多いで!

 今日は、妻と散歩がてら、市内の図書館に行った。けっこういい運動になる距離。
 妻が借りたのは、でかサイズの MOTHER GOOSE 、それから、Friends ってタイトルの絵本。MOTHER GOOSE も愉快な絵が沢山書かれていて、ともに英語の本。でも平易な単語が多い。

 今日の朝日の朝刊で、朝日主催の「オーサー・ビジット」(学校訪問して特別授業する読書推進運動)の紹介が出ていて(これは時折り、記事で紹介される)、アーサー・ビナード( Arthur Binard )が授業に使ったものの中に、MOTHER GOOSE の中の詩があった。彼は、簡単な言葉ほど、外国語に置き換えるのは難しいと言ってる。ってことは、平易な単語だから簡単にメッセージが分かるとは限らない。妻が借りた2冊、いい選択です。

 僕が借りたのは、アーサー・ビナードの『日本語ぽこりぽこり』。彼のことは朝日夕刊での連載『日々の非常口』で気に入り、それから、今年 1月30日朝刊の鶴見俊輔との対談も良かった。
 『日々の非常口』をまとめて一冊にした同名書籍もあったけど、それは新聞連載時に大体読んでたと思うから、今日はとりあえず別の1冊。そのうち、借りるか買うかして、中原中也賞を取ったという詩集『釣り上げては』を読んでみたい。

 帰りは、市がやってるコミュニティ・バス(左上の写真)に乗って帰宅。どこで降りても百円。乗ってから降りるまで妻と二人きりで、完全に我らが貸しきり状態。帰ってしばらくして、CD屋に行ってた息子が帰ってきた。今は息子はギター弾いてるよん。