03年11月24日〜11月30日

最近の子供はどうか分らないけど、今の大人の多くはガキの頃に日記を何日か書いた経験があるのでは?
斯く言う私もその一人、当然この日記も不定期です。 (2001年8月19日、記)

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03年11月24日(月)   黄金の心

 本日の2本目。

 金色の心って言ったり、黄金の心って言ったり、なんだか苦しそうだな。

 だけど 答えは風のなかにある。

 眠りはラクにならない。寝つきに唸ったり寝起きにきつかったり。眠たい。眠れない。
 パラノイド・スキゾフレーニアは、心のコントロールで消耗する。
 パラノイド・スキゾフレーニア・ハイをかろうじて抑制する。抑制がいいのかどうかも分からない。
 椎間板さんは時折り機嫌をわるくする。首が「唸ったり」腰が「嘆息したり」(?)。
 ヤクは止まらない。

 だけど、パラノイド・スキゾフレーニアの心は 黄金の心 を探す。
 いつか、僕は解放されるだろう。
 僕は 黄金の心 を探す。

 大それたことじゃない。「僕にとっての黄金」ってことさ。「僕にとっての金色」ってことさ。高価なものでも高尚なものでもないよ。
 だけど、僕にとっては、とても大事なことなんだ。

 僕は粘っこく、勝手に生きる。愛する家族と共に。妻と共に。息子と共に。
 田舎や、田舎から離れて住む家族(ど「演歌」へのしつこいリンク・・・)と共に。

 僕は粘っこく、勝手に生きる。
 時折り「社会」にもメッセージを出しながら、たまには微力でも出しながら。
 この 日本国南東北 の地から。こう言い続けて、こう生き続ける。増力はしたい。そう思ってはいるけどさ


03年11月29日(土)   二郎さん「神経科」日誌、臨時合併号

 本日の1本目。

 昨日は二郎さん「神経科」の定期通院日ではない。そもそも、今気がついたんだが、前回は日誌を載せるのを忘れてた。全国の偏執狂的精神統合失調症・臨床研究者諸君、あっしの不注意を詫びる。前回は、翌日に
東郷かおる子という「音楽評論家」の愚劣さ
駐日イスラエル大使への公開質問状
に気を取られ(へへ、読んでない人読んでねって意図なんだけど、もちろんタイトルで関心持てない人には強制しません、でも後者はなるべくなら読んでほしいなぁ)、うっかり二郎さん「神経科」日誌掲載を忘れました。

 実は今週水曜の出勤前、「内科」もやってる二郎さんのとこに行った。ちと風邪気味でね。専門どっちかね。とりあえず「神経科」の方は、信頼関係が大事で、俺はけっこう大丈夫のつもりでいる。

 で、木曜に悪化、熱も上がったので、金曜に無理して出勤した後、早めに退勤して再び二郎さんのとこに寄ったってわけだ。「来週忙しいからヤク1週間分くれ」って言ったんだけど、「抗生剤」とかあるからそれはダメって、やっぱちゃんとした「内科」でもあるね(笑)。で、本来は来週金曜が「神経科」通院日なんだけど、「来週忙しいから神経科のヤク、来週処方分も今日ほしい」って言ったら、これには二郎さんも渋々了解、何か変化あれば必ず不定期でも来るようにって条件で処方してもらった。有り難や。

 帰宅してメシ食ってヤク飲んだ後、熱計ったら8度5分。おいおい、明日はEC武道館ライヴに行くんだぜ。早寝せにゃってんで、愛妻の用意した水枕とデコ上の冷やしタオルで睡眠突入試みる。何とか寝れた。

 今朝10時頃起きて6度2分。相当ツヨイ薬かね。しかし、あまりの体温急低下に「なんか間違ったかな」と思ってほんの数分後に再度測定したら6度5分。早くも3分上がってるのだった。おいおい、大丈夫かよ、今晩・・・。


03年11月29日(土)   パレスチナ「隔離壁」、アメリカによる「制裁」の欺瞞

 本日の2本目。
 (下段の方の一部、本日の夜、この色で追記)

 新聞報道によれば、アメリカ政府は今月26日、今年から 2005年にかけて実施する総額90億ドル(約9,810億円!)を予定していた対イスラエル経済支援(債務保証)に関し、当サイト管理人言うところのパレスチナ「隔離壁」や占領地内ユダヤ人入植地建設などへの「制裁」として、約2億9,000万ドル(約316億円)分を削減したと発表した。総額に対する削減率は3%程度。しかも「制裁」する側が「制裁」される側の意向を最大限尊重するという、とんだ茶番劇である。

 報道によれば(あっしは 11月27日朝日夕刊参照)、真相はこうだ。
 当のアメリカ国務省バウチャー報道官自身が、同日の記者会見で、「分離壁の建設費は削減分よりも多い」と述べて「制裁」分を壁の建設費の一部にとどめたことを認め、さらに詳細についてはグリーン・ライン(現在のイスラエル − あっしに言わせればこれも元々 Occupied Palestine − とヨルダン川西岸占領区との境界線)に沿って建設した部分については「テロ」防止の「正当な」措置と認定、占領地側に入り込んだ部分だけを「制裁」対象とし、な、なんと、金額の算定に当たっては、「制裁」される側のイスラエル政府の予算額などに従った、そう説明したという。

 同紙の同日付同一頁、エルサレムからの特派員報道によれば、「アメリカ政府は、本気でイスラエルに圧力をかけるつもりはもともとなかった」(イスラエル、オルメルト通産大臣)と、イスラエル政府内から逆に安堵の声が出る始末。イスラエルのクウォリティ・ペーパー、ハアレツ紙のエルダール論説委員は「アメリカ政府はわずかな罰金と引き換えに入植活動を事実上黙認した。今回の制裁は何の歯止めにもならない」と批判している。

 ヨルダン川西岸が何とか注目を浴びているなかで、同紙同日付同一頁には、ロイター通信を引用した同紙特派員報告が掲載されており、それによると、同日夜、パレスチナ人3人がガザ「自治」区(名ばかりの「自治」だから、あっしは「」を付ける)の中のユダヤ人入植地(この存在自体が国際法違反、国連決議も無視の蛮行)とイスラエル領内を結ぶ道路近くにいたところをイスラエル兵に確認され、逃走したが結局3人とも銃殺された。報道の擬似「公正」をシカタナク考慮して一応は付け加えておこうか、イスラエル軍当局は(3人の)「うち2人は武装していた」とロイター通信に説明しているそうだ。本当かもしれんし、ウソかもしれん。こんなのマトモに信用しない方がいいよ。武装していたとして、それが何だ。アメリカに支援された強大な武力で、イスラエルはパレスチナの地と民を蹂躙し続けているんだ。(もちろんあっしは報復や暴力の連鎖を肯定しはしないけどね。だが、たった2人の武装の有無を、イスラエルが指摘する資格などあるのかね?)

 同じ記事のなかで掲載されているが、やはりロイター通信によれば、同日夕方、9歳のパレスチナ人男児がガザ南端のラファ難民キャンプ近くで、イスラエル兵の銃撃を受けて死亡した。同通信は、別の攻撃目標に向けた「流れ弾が当たった模様」としているが、イスラエル軍は「発砲」自体を否定しているとのことである。俺はイスラエル当局よりもロイター通信の報道に信憑性を感じるがね。現場に居ない以上、何に「信」を置くかってことだろう、最後は。

 あっしは
駐日イスラエル大使への公開質問状 を今月22日に書いて、それを上手く要約して朝日の論壇(正式名称「私の視点」)に投稿したいと書き、しかし、
パレスチナ・ガザ、アトファルナろう学校 を 24日に書いて、そのなかで件の投稿を迷ってると書いた(理由はリンク先参照してね)。

 結局、投稿した。文字数制限があり、質問状形式ではないかたちにせざるを得ず、大幅に文字数削減したうえで、上手いこと簡潔にポイントを要約してまとめ、投稿した。現時点では掲載されていない。このまま掲載されない可能性は十分あるが(泣)、論理と文章力によって、イスラエル大使によるイスラエル政府公式見解は、完膚なきまでに論駁されている。もうしばらく待って、残念ながら(号泣)掲載されないことがはっきりしてきたら、あっしはこれを別のところに投稿する。・・・ えっ? どこにって? ・・・ そりゃもう決まってますがな、あっし自身のこのウェブ・サイトですがな。

 (下の3段落、夜になって追記)
 本日付「朝日」朝刊の「私の視点」ウィークエンド版の「編集部から」によれば、件の駐日イスラエル大使の論稿に対しては、読者から様々な反論が寄せられているとのこと。となれば、この論争(というよりは、正確に事実経過を伝えれば子供の頭でも十分に問題の所在が理解できる、その程度の真相確認作業なのだが)を朝日が続ける気があるのなら、あっしの投稿も依然として掲載可能性はあり、同時に、その採用可否の競争率はかなり高いってこと。ま、もちろん、自分の投稿が載る載らないよりも、とにかく、いわゆる「パレスチナ問題」の真の理解が日本国内で深まりさえすればいいんだけどね。

 ・・・ でもあっしのは、あまりにコトの本質を突き過ぎてるし(ラディカルってこと、これって自画自賛!?)、日本の対米追従外交も最後にやっつけてるしで、どうかね、採用されにくいかね。文章もけっこう上手いもんだったんよ。・・・ やっぱ、載ってほしいんかな、自分の投稿。そ、そりゃ自然な感情ではあるよね。文字数削るのにすら苦労したんだからさ。
 ま、もうしばらく待ちますわ。なんでも、あっしとしたことが、残業続きの時だったのか発端に気づかなかったんだけど、もともとは 10月27日に駐日エジプト大使から、「分離壁」建設中止への国際社会からの圧力を求める寄稿があり、11月21日の駐日イスラエル大使の「論稿」は、それに対する「反論」(にならない詭弁ってのがホントのとこですがね)だったようです。12月中旬ぐらいまでは待った方が良さそうかね。それまで推移を見守ってね、当サイトの全国1,000万の読者の皆さん!

 なお、このパレスチナ「隔離壁」については、今月25日の NHK の「クローズアップ現代」が特集した。その非人道的政策、「テロ」抑止効果よりも「テロ」増幅効果さえ懸念される実態について、きちんと詳細に特集されていた。ビデオ録画してある。観たい人はいつでもあっしに言ってくれ。身元を明らかにしてくれれば、お貸ししますよ。だって送るんなら、あっしの身元も明らかにせにゃならんべ。


03年11月29日(土)   Concert for George

 本日の3本目。

 Concert for George の DVD を買った。観た。

 昨年11月に行なわれたジョージ・ハリスンの追悼コンサートのライヴ盤。コンサート全篇と映画公開用の2枚組DVDだ。
 クラプトンやポール、リンゴら、豪華出演陣が追悼の「美辞麗句」に一切頼らず、ジョージの死という悲報を受け取った側の悲しみと、彼と彼の音楽への愛情を、ただ「音楽すること」だけで表現した秀逸なライブの記録。観聴きするものの心に静かな感動を呼び起こす作品である。

 ところで、今月28日の朝日夕刊「今月の10枚」欄に、同作のCD盤の簡単な評が載った。以下は同欄の 東郷かおる子 による評の当該部分を全文引用して掲載。
 昨年11月に行なわれたジョージ・ハリソンの追悼コンサートのライブ盤。同時発売されるDVDの方が、より楽しめるだろう。クラプトンやP・マッカートニーら、出演陣の豪華さだけに頼らない誠実な内容に好感を覚える。
 これが正真正銘、彼女の全文です。この人の原稿料、この部分に換算するといくらかね?

 東郷かおる子という「音楽評論家」の愚劣さ に関心を持つと、あっしのように時間の無駄遣いをしてしまいます。反省・・・。もう相手にするのやめよう。ま、最後に言っとくとしたら、こういうのに仕事を発注する側の認識不足の問題かね。駄作で金儲けするような自由業の輩は、本来「組織」のなかでヒイヒイ言いながら働いてお金をもらうべきだね。俺みたいにね。ま、俺も「組織」のなかで勝手に生きてるのは確かだけどさ。今も、これからも。

 今から、我らがファミリー3人組は、いざEC武道館に出発だ。俺は風邪をおして、ですが。・・・ では。


03年11月30日(日)   EC武道館ライヴ・リポート

 本日の1本目。

 昨日、11月29日の EC武道館ライヴ・リポート です。
 我がファミリーからは3人全員参加。僕が8回目、妻が7回目、息子が5回目の ECライヴ体験です。今11歳の息子は、3歳の時から行ってるからね。
 僕は風邪をおしての出陣。前日の夜8度5分まで上がっていた熱は、二郎さんのツヨイ(?)処方ヤクが功を奏したか、当日朝には6度台になっていたものの、往路の電車の中ではもう7度台に突入(正確な数字、忘れたんよ)。今? 今は7度2分です。明日は有休取ってあるので「完全静養」の予定です。

 さて、本題に入ります。
 良かったです。今回はかなりイイ。この間にオリジナルの新作発表してないにもかかわらず、その制作中の予定アルバムの中からの曲もないのにもかかわらず(ブルーズ・カヴァーは有ったかも)、充実のパフォーマンス振り。今までに何度も聴いてる曲もボーカル、演奏共に冴えてたし、昔の曲でも、この僕すら(!)未だライヴで聴いたことのなかった曲が何曲かあって、これも良かった。ブルーズも良し。言うことない。ライヴ馳せ参じ歴8回を数えるクラプトン・ファンとして、過去には若干の肩すかしをくらった時もあったが、今回は大満足。
 クラプトン始め、メンバーのノリも良く、気合いのようなものが入ってる感じで、そのせいもあってかどうか、ECライヴにしては(普段のロック・コンサートっぽくない観客のノリ − 良し悪しではありません − と比べて)観客のノリもかなり元気良くて、会場の雰囲気もまた非常にグッドでしたね。あ、そうそう、これもECライヴにしては珍しめなんですが、ライティングの演出もけっこう良かったね。演奏を邪魔しない程度ギリギリの線でやってたし。

 とにかく、最初から最後まで十二分に楽しめました。1994年発表の FROM THE CRADLE の後の '95年のブルーズ・オンリーのツアーを別格とすれば(あんときゃまさしく全曲入魂のライヴ!)、僕のECライヴ体験の中では最高だったかもしれません。

 今月14日付の日記で、あっしは同日の ニール・ヤング武道館ライヴ について、
 良かったですよ。最高です。
 これまでのロック体験でベストのいくつかのうちの一つになるのは間違いないね。
 いや、今の気持ちで言えば、ベスト・オブ・ベストって言いたい。
 ニール・ヤングは、僕がイメージする「ロック・スピリット」の体現者です。

と書きました。
これに倣って書けば、

 良かったですよ。最高です。
 これまでのコンサート体験でベストのいくつかのうちの一つになるのは間違いないね。
 いや、今の気持ちで言えば、ベスト・オブ・ベストの一つって言いたい。
 今のクラプトンは、僕がイメージする「ミュージシャン・オブ・ミュージシャンズ」の一人です。(このカタカナ英語、大丈夫かな? ま、いいか、笑)

・・・ ってとこでしょうか。もちろん僕は、クラプトンにロック・スピリットを感じることができるけど、彼の音楽は狭義の「ロック」という言葉にはもはや収めにくい。本人は「ブルーズ」と呼ばれた方がしっくりくると思うんだけど、これも狭義の言葉として使うのなら収めにくい。彼の音楽は、まぁカタカナ英語で言うなら、ミュージックということでいいんじゃないでしょうか。音楽というしかありません。

 ここで一つ面白いことを思い出したので、忘れぬうちに書いときましょう。
 あるクラプトン・ファンのサイトの掲示板で、先日笑えるやり取りがありました。今回のクラプトンのジャパン・ツアー中のある1日のライヴを見たという ヤツ が、
会場は静かだし演奏もオトナシイ、ロックンロール・スピリッツのかけらも感じられない、今まで50回以上クラプトンを見てきましたが、もう2度と(彼の)コンサート会場に足を運ぶことはないでしょう、とノタマワッテ、これにはもう僕なんかバカらしくてノー・コメントって感じですが、その掲示板によく登場する「ブルー爺」というハンドル・ネームの人が、いつもの粘着質な突っ込み精神を見事な一言に押し込んで反応していました。
 ブルー爺曰く、
 ロックンロール・スピリッツ、ですか・・・
 1969年からこのかた、あいにくと持ち合わせがございませんが、何か?
これ、ホント見事な一発だな。あの鷲達のカリフォルニア旅館って曲に出てくる、スピリッツを酒と精神のダブル・ミーニングでキメタ、あの名セリフ(歌詞)の援用ですな。これには快哉を叫びました。
 上にも述べた通り、もうクラプトンには狭義のロックという言葉は似合いません。ましてロックンロールって言葉となると尚のこと。ロックンロール・スピリッツなら、ブライアン・セッツァー とかに感じますがね。
 だいたいクラプトンは、クリームの頃を含めて、「ロックンロール」・スピリッツって世界とは離れた場所で音楽活動を続けてきた人だと思いますね。件のサイト荒らしみたいな ヤツ のコメントが本当だとすると、その人、これまで50回も足を運んで、クラプトンの何を感じ取ってきたんでしょう。「ロックンロール」・スピリッツを言うんなら、とっくの昔に無駄な「足運び」やめてたはずなんですがね。まぁ、職業評論家の 東郷かおる子 みたいに駄文でメシ食ってるわけではない、僕と同じ素人文筆人(笑)でしょうから、これ以上からむのはやめましょう。


 言葉の遊びはほどほどにして、肝心のライヴ・リポートです。
 以下、演奏順に、全曲簡単にコメント入れときます。
 (まずは今回のメンバーと昨日のセット・リストだけをまとめて見たい方は ココをクリックしてね。




 いや、満足のライヴでした。良かったよ、ほんと。

 あんまり言っても意味ないんだけど、ECのライヴは観客が静かだって「言われ方」がある。当たってなくはない。だけど、やっぱそういう言い方、ECに関しては大した意味ないね。何でもカンでも立ち上がりゃイイってもんじゃない。発情期のネコじゃあるまいし。ニール・ヤングの GREENDALE ツアー なら9曲目の Sun Green あたりから、後半のクレイジー・ホースとの轟音爆走は最初から最後まで、ってとこだけど(それだってもちろん人それぞれ、当り前ですが)、ECとなると、少なくとももうずいぶん前のレイド・バック以降、観客がやたらと大声で盛り上がり続けたりとか立ちっぱなし(おぬし、若いのぉ、うわっオジンくせっ)だったりとか、そういう雰囲気にならん方が自然というものだろう。表現の世界を、型とか先入観とかにはめていては、本当に「楽しむ」ってことはできないよね。ま、もちろん最低限の程度ってもんはありますがね。そのへんはあっしはこだわって書いたりしますけどね。

 余計なことずいぶん書いちゃったけど、ほんと、良かったよ、今回のライヴ。我らがファミリー3人はみんな大満足でしたね。

 実を言うと、当初、今回のEC来日公演はそれほど大きな期待してたわけじゃないです。ECの大ファンなんでチケットは取ったんだけど、実際には、この1年以上、自分の転石転倒人生が辛くて、何故かECをまともに聴けなくなってた自分でした。ECはECで、この間に新作出してるわけじゃないし、聴きに行く自分自身も、転石転倒から全然立ち直ってない。それどころか、何年も僕は闘い続けなくちゃならないだろう。勝手な自分の人生を勝手に生きていくために。

 とにもかくにも、あまり期待もせず、そのうえ複雑な気持ちを持ってEC武道館の日を迎えつつあった僕が、今回のECライヴに期待しだしたのは、な、なんと日経のECインタビューの連載記事がきっかけ。ネットの掲示板に一部出てるのを知って、既に件の記事をスキャンしたファイルを持ってた 兄貴 が送ってくれるってことになってたんだけど、たまたま職場の同僚がそれより先に、5回分の記事を持ってきて僕にくれました(有り難う!)。

 その記事で、今のクラプトンは充実してるに違いないと思った。2ヶ所だけ、下にEC自身の言葉を転載しておきます(「日経」だからちょっとカタイ日本語訳だけどね)。
 EC自身の言葉です。

 今のような生活は想像したこともありません。人生で音楽より重要なもの、それが家族だと知りました。いま困難な状況に陥っても、昔のようにギターに助けを求める必要はありません。妻や子供たちのもとに帰ればいいんですから。

 今、次のアルバムを制作しています。自分の作品を作っているときは、楽しいけれど、深みが足りないといつも悩んでいます。ブルーズほどの深みがないんです。音楽的な深みを持たせたいときは、いつもブルーズに帰ってしまいます。
 21世紀に自分が何をしたいか考えたら、RJ(ロバ・ジョン)のトリビュート・アルバムを作りたいと強烈に思いました。実は並行して彼の曲だけを集めたアルバムも作っているんです。

 僕はほんと、心動かされました。心が動いたんですよ、これらの、今のEC自身の言葉に。

 家族を大事にしたってロックはできる。ニール・ヤングを観よ。
 黒人でなくたってブルーズは演れる。クラプトンを観よ。
 家族を大事にし、黒人でなくたって、ブルーズのスピリットを表現することはできる。クラプトンを観よ。
 全部当り前のことだ。それらがどうあがいてもできない注文だとしたら、もはやそれは「人間の」表現行為じゃないよ。大変なことでも、稀有な資質と努力(努力できるということすら天性のモノがあると思う)と情熱があれば、その稀有な存在にとって不可能はないと思う。

 クラプトンの波乱の人生を知り(いろんな記事や本で読んでいる)ずっと彼の音楽を聴いてきたファンとして、その彼が「人生で音楽より重要なもの、それが家族だ」というときの言葉の重さ、ヘビーさ、それでいて同時に在り得る至福感、ECとECの音楽のこれまでを知らない人よりは、ある程度は感じることができるはずだと自負する。僕はこれからのECの音楽にも期待している。


 余談。
 昨日の帰りは、3人で東京駅近くのガード下の店で食べました。美味かったよ。帰りの電車内で熱を計ると、やっぱり7度超。うーむ。手ごわいやつ。ってわけで、愛妻の水枕を枕に、何とか眠りに突入した昨夜でありました


03年11月30日(日)   本日のゴスペル日誌

 本日の2本目。

 今日は前回ちょこっと聴いたかなりキマル曲を練習しているはずだが、あっしは風邪でやむを得ず休み。妻にテナーの分まで録音しておいてもらおうと思っていたら、妻にも急用ができてしまって妻も休み。
 っていうわけで「日誌」も書けない(泣)。次回練習日、たいへんだぞ。がむばらねば・・・。


03年11月30日(日)   国連事務総長アナン氏、パレスチナ隔離壁に「深い懸念」

 本日の3本目。

 新聞報道によれば、今月28日、国連事務総長アナン氏は、イスラエルが国連総会決議(安保理に出しても必ずアメリカが拒否権発動する)を無視してヨルダン川西岸地区でのパレスチナ占領地「分離壁」建設を続行しており、パレスチナ人の生活に深刻な影響を与えているとする報告を、世界の国連加盟国全てに、その各国に、配付した。先月21日に国連総会が採択した隔離壁「建設中止決議」に基づく報告である。アナン氏は、隔離壁建設は中東和平に全く逆行する行為だとして、深い懸念を表明しているとのことである。

 報告によれば、隔離壁はイスラエルと西岸パレスチナ占領地との境界(グリーン・ライン)から最大で22キロ食い込んでおり(占領地内のユダヤ人入植地を地続きにするため)、最終的には西岸地区の約17%にあたる地域が遮断されるとのこと。そして、20万人以上のパレスチナ人が、グリーン・ラインと隔離壁の間に封じ込められ、移動の自由を失うとのことである。

 今月9日には、国連人道問題調整事務所(OCHA)がこの問題の調査報告書をまとめ、隔離壁は、西岸のパレスチナ人人口の3割にあたる67万人以上の日常生活に大きな障害を与えるものだとの発表をしている。

 もともと、1947年当時のパレスチナ全土におけるユダヤ人人口は、当時のシオニズムと欧州でのユダヤ人迫害による移民加速の結果としての急激な人口増にもかかわらず依然として約60万人、パレスチナ人の約130万人の半分以下で、土地所有率は未だ約7%に過ぎなかった。にもかかわらず、当時の欧米中心の国連(アジア、アフリカ等は未だ植民地状態で独立してない国々が多く加盟国も少なかった)によるパレスチナ分割案は、国際管理下に置くとしたエルサレムを除くパレスチナ全土の約57%もの土地をユダヤ人国家、つまり後のイスラエルに与えるという、今から考えても信じ難いほど不公正な案だった。

 これに反発したパレスチナ人とユダヤ人の間で内乱が起こり、イスラエルが建国を宣言してイギリスがパレスチナ委任統治を終えると、当時の国連の分割案に反対していた周辺アラブ諸国が武力に訴えて第一次中東戦争が起こり、アメリカ等の軍事援助を受けていたイスラエルが戦争に勝って、結局休戦協定でパレスチナ占領地を国連分割案における全土の約57%から約77%にまで拡大した。つまり、残りの東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区及びガザ地区は、パレスチナ全土のうちの約23%ほどに過ぎない。これをも 1967年の第三次中東戦争で占領したイスラエルは、その '67年以降の占領地内にすら、無数と比喩できるほどのユダヤ人入植地を建設し続け、今、西岸に、ユダヤ人入植地を地続きにしながら実質、西岸地区の約17%にあたる地域を現「イスラエル」領内に併合してしまうことになりかねない(というか、なってしまう)隔離壁を建設しているのである。

 国連事務総長のアナン氏は、テロ抑止という目的は「国際法に違反する方法によって果たされるべきではない」と指摘している。この言葉、アメリカに対しても向けられるべき言葉ではあります。


03年11月30日(日)   日本人外交官の死とテロとゲリラとレジスタンスと

 本日の4本目。

 今日、ついにイラク国内における日本人殺害事件がニュースとなって報道された。駐イラク日本大使館の参事官と三等書記官が乗る四輪駆動車が、イラク北部復興支援会議に向かう途中、ティクリット付近で何者かに襲われ、イラク人運転士と共に、2人の日本人外交官も銃殺されたとのことである。

 イラクでのこうした事件は、日本国内では「テロ」と呼ばれて報道されているが、既にヨーロッパの多くの国々のメディアでは「ゲリラ」もしくは「レジスタンス」と呼称されている例が多いようだ。
 イラクは確かにフセイン独裁政権により統治されていた国だった。そこに大量破壊兵器があるとして国連の組織下で査察が行なわれ、結論が出る前に米英がイラクを攻撃して今現在の混乱した、治安というものが崩壊した国・地域となった。大量破壊兵器は未だみつかっておらず、もともと米英のイラク攻撃開始以前に大量破壊兵器は無かったのではないかと言われている。米英は、そのまま軍事占領を続け、アメリカの息がかかった人間を中心に据えて、イラク人による暫定的な統治機構(「統治」とは名ばかりである)を置いている。こうした米英軍事占領下における米英、米英のイラク攻撃を支持した国家の人間等に対する攻撃は、「テロ」というよりは「ゲリラ」もしくは「レジスタンス」とみなした方が適切ではないか、というわけである。

 最近は、さらには米英軍事占領下のイラクで働く外国人は何でもカンでもとにかく米英側だとして攻撃する例まで出てきている。イラクをこんな状況に陥らせたのは、少なくとも独裁者フセインではない。責任はブッシュが主導した米英両国政府にあると言ってよいだろう。我らが日本政府は最初からアメリカに追従し、開戦直後に公式支持表明を行ない、そして、日本人外交官の被害が明らかになった今でも、カワグチ外務大臣はもちろん(この人には主体的な外交方針など何も無い)、コイズミ総理に至っても、「自衛隊」と詐称する「日本軍」のイラク派兵政策を変えようとしていない。コイズミくんなど、国益・国民益よりも、私的友人関係を優先しているというわけだ。こうした、首尾一貫した対米追従外交を、日本はこれからも続けていかなくてはいけないのだろうか。日本政府だけでなく、多くの日本人の将来がかかっている重大な選択であり、岐路ではないかという想いがする。


03年11月30日(日)   週刊金曜日と護憲、ゴケン、五犬

 本日の5本目。

 僕は「週刊金曜日」を創刊以来購読している。あまり面白いとは思っていないが、日本のジャーナリズムのなかでは、少数意見をも掲載することができる貴重なメディアなので、今も購読している。

 先日、「護憲の旗は五犬の旗か」と題する文章を投稿した。内容は ココ に書いたことを、もっと丁寧に、礼儀正しく、理路整然とまとめたものである。今のところ掲載されていない。
 それどころか、最新号の投書欄を見ても、護憲、護憲、護憲の文字が一体何回出てるだろうか。皆さん、護憲ってコレだけ何十年も叫ばれちゃうと、いや、日米安保体制という厳然たる現実を動かす具体策が何ら示されないまま「護憲、護憲」って何十年も叫ばれ続けると、もはや「ゴケン」ってカタカナ響きしかしなくて、もう初めの意味は消えちまってると思いませんか?
 僕には、政・官・陸軍・海軍・空軍の五匹の犬が、アメリカの「戦争の犬」になってしまっていて、「護憲」は「ゴケン」どころか、「五犬」って聞こえてくるんですがね。
 言いたいことは、憲法9条を蔑ろ(ナイガシロ)にしてきた責任は、それを押し付けたアメリカ政府自身やそれを嫌がった歴代日本政府与党だけでなく、現実を動かす方策も考えぬ思考停止のまま「ヘイワケンポウ」を神棚に飾り、「ゴケン、ゴケン」と呪文のように叫び続けてきた、当の「護憲」運動主導者(の一部か大半か、どうですかね?)にもあるってことなんです。

 「週刊金曜日」は購読しててもあんまり読んでない。たまに見る限りでは、一例をあげれば、「山口二郎の政治時評」なんかはイイね。彼はリベラルなリアリストです。現実(リアリティ)を生きる僕達は、リアリストにならなければ、本来は生き続けることができないはずだ。問題は、どんなリアリストになるのかってこと。どんな理想やビジョンやミッションを持ったリアリストなのかってこと。そう思いませんか?(ハハ、誰に言ってんだべ・・・ )


03年11月30日(日)   HEART of GOLD

 本日の6本目。

 金色の心って言ったり、黄金の心って言ったり、HEART of GOLD って言ったり、てーへんですね。

 答えは風のなかにある。

 寝つきに唸り寝起きに叫ぶ(コワイな)。眠たい。眠れない。
 でもこの2、3日は風邪ひいて眠りやすいぞ。だけど風邪は嫌じゃのぉ。仕事もきつくなるぜ。
 パラノイド・スキゾフレーニアは、心のコントロールで消耗します。
 パラノイド・スキゾフレーニア・ハイは抑制した方がいいんでしょうか? ま、ちゃんとできるのかな?
 首と腰の椎間板さんも時折り機嫌をわるくする。
 ヤクは止まらない。

 パラノイド・スキゾフレーニアの心は HEART of GOLD を探す。
 いつか、僕は解放されるだろう。
 僕は HEART of GOLD を探す。

 大それたことじゃない。 Something like Golds for Me and Our Family ってこと。高価なものでも高尚なものでもないさ。
 だけど、僕にとっては、僕らにとっては、とても大事なことなんだ。

 僕は粘っこく、勝手に生きる。愛する家族と共に。妻と共に。息子と共に。
 田舎や、田舎から離れて住む家族(ど「演歌」へのしつこいリンク・・・)と共に。

 僕は粘っこく、勝手に生きる。
 時折り「社会」にもメッセージを出しながら、たまには微力でも出しながら。
 この 日本国南東北 の地から。こう言い続けて(ホ、ホントに繰り返しだ、ボケたわけじゃないよ、知ってるからね、笑)、こう生き続ける。
 できれば力は増していきたい。そう思ってはいるけどさ。言い続けて生き続けることが、僕の キー・オブ・ライフ なのさ