03年11月22日〜11月24日
最近の子供はどうか分らないけど、今の大人の多くはガキの頃に日記を何日か書いた経験があるのでは? 本日の1本目。
今月19日の朝日夕刊に 東郷かおる子 という名の自称・他称「音楽評論家」による、11月15日武道館でのニール・ヤングのコンサート「評」が掲載された。ここではその愚劣さについて書く。ちなみに件の記事においても、文末に堂々と「音楽評論家」という名詞で肩書が掲載されていたこと、この人は実際、著名で間違いなく荒稼ぎしている自称・他称「音楽評論家」であるということを、先に言っておきたい。
本題に入る前に用語解説。
評論 : 作者の意図を評者の能力の限り読み解き、その作品の内容等について批評すること。
音楽評論 : プロもしくはアマチュア等(音楽は人の手によるもの以外にもあるかもね)の音楽を評論すること。
評論家 : ここではプロを指す。したがって評論によってお金を得、ご飯を食べることが許容されている人。
音楽評論家 : 同上。したがって、音楽評論によりお金を得、ご飯を食べることが許容されている人。
愚劣 : 愚かであり、劣っていること。
それから、本件に関連する当サイト上の私の「日記」は下記リンク先(上記の用語及びニール・ヤングの GREENDALE を理解する人は参照不要です)。
11月14日武道館でのニール・ヤングのコンサート、所感
GREENDALE に関する、私的感想を交えた、素人(もちろん、あっしのこと)の手による評論集
まずは最初にお断りするが、ここで取り上げる自称・他称「音楽評論家」に対しては、きちんと校正した文章を使うほどの価値がない。したがって、知人に送信したメールの中で本件について触れた部分(私的メールであり、文章校正もしていない)を下敷きにし、文章構成上は手を抜いて「やっつけ仕事」をさせてもらうことにする。そもそも、この原稿料ドロボー的「職業」「評論家」(職業軍人って言い方あるでしょ?)と違って、あっしはこの文章で当然ながら(笑)原稿料などもらってないのだ。
以下、本題に入ります。
この「東郷かおる子」という著名なバカ「音楽評論家」の、本件に関わるあまりの原稿料ドロボー
ぶりにあきれるばかりなので、マジいいかげんに、箇条書きでささっと簡潔に書こうと思う。
ただし、その「評論家」としての愚劣さについては、面倒でも粘着質な文章にするかもしれない(真面目なサラリーマンの恨みだ)。
なお、基本的には掲載されたバカ「評論」で書かれた順番通りにつぶしますが、下では、バカ「評論」からそのまま引用した部分を「 」に入れさせていただきますから、よろしゅうね。
(ちなみに、下記お読みいただければご理解可能かと思いますが、バカ「評論」はほとんどコンサート前半の GREENDALE ライヴに焦点を当てています。もちろん、そのこと自体には問題ないですよ。)
@ アメリカの「諸問題」への「批判でも迎合でもないが、」
⇒ ボケたことぬかすな、激烈な批判であり、批評だよ。
A 「淡々としながら」
⇒ 一見一聴、「淡々」だと観聴きされそうな作風に、
実はニール・ヤングの強烈なパッションが込められていることが、
このバカ評論家には分からない。
B 「多分に悲劇的だ」
⇒ 全くのデタラメ。悲劇を織り込みつつ将来への希望を見据えている。
希望ある未来を拓くためのたたかいへの参加を訴えているし、
そのたたかいのために世界に向かっていく若い女性が、この物語の重要な主人公の一人です。
B 「音自体は豪放さと繊細さを併せ持つ本来の音楽性から見れば素っ気ないほどシンプル」
⇒ このバカ評論家は、
物語性を浮かび上がらせたいがために今回は敢えてシンプルな音作りをしたという、
アーティストの意図を全く理解できていない。
音楽評論家を名乗りながらそれが理解できないほどの低レベルだとしても、
肩書と仕事受注により、タダでコンサートを見られるとしても、
せめて仕事としては最低限の事前学習をし、アーティストのインタビューでも読んでいれば、
アーティスト自身の説明による意図自体をある程度知ることだけはできたというのに、
このバカ評論家は、本当に怠慢で、仕事しない人です。
C 「かく言う私は、物語を整理するのに頭がいっぱいで」 「多少の戸惑いを覚えた」
D 「それが一気に高揚感に変わったのが」 「最後におまけ(?)で演奏されたお馴染みの曲での」
E 「その意味で、私は本人の意を汲めない観客だったのかもしれない。」
⇒ この自称・他称、音楽評論家の愚劣さ、ここに極まれり。
この人は「観客」ではありません。バカを言っちゃ困る。
常識のわかる人なら、この人がただの1円も払わずに、評論家という肩書で特等席を手に入れ、
このバカ評論を高額の原稿料で請け負ったことは100%動かし難い事実であることが断定できます。
一ファンなら、アルバムを聴いてコンセプトを予習してから行ってもいいし、
いや、俺は予習しないで音楽と映像・舞台だけで受けとめてみよう、難しいところがあったら、
後で改めてアルバムの歌詞やニール・ヤング自身が書いた物語を読んでみよう、
あるいはまた、コンサートでいきなり観聴きしてみてわからなくても、音楽を音楽として受けとめればよい、
そういういろんなファンがいていいだろう。
しかし、この東郷かおる子という自称、他称の音楽評論家は、一ファンでも単なる観客の一人でもなく、
批評でご飯を食べる、そのことによって、
普通のファンがお金を払って買ったチケットで入場するコンサート会場にビタ一文も払わずに難なく入り込み、
そのうえ愚劣な評論記事を書いてお金をもらい、それでご飯を食べている、そういう人なのです。
「意を汲めない観客だったのかもしれない」という「観客」だったとは、全く笑わせる話だ。
笑止千万、ここに極まれり。
小学5年生の俺の息子ですら、事前に親から物語のあらましを聞き、
(ニール・ヤングがナレーションする英語は私のヒアリング能力で聴くにはとてもとても不十分だし、まして息子には理解不能)、
11歳の息子なりのレベルに過ぎませんが、彼ができる範囲で音楽のメッセージと音楽を受けとめていました。
例えば <評論しようにも私にアーティストの「意」は届かなかった> と言うのなら、それはそれで批評のうち。
しかし、このドロボー評論家は「意を汲めない」「観客」(!)だったというのだ。
何度も言いますが、この人は「観客」ではなく評論家のはずであり、
それをいいことにタダで観聴きしたうえに駄文を書いて大金まで手に入れているのだ。
サラリーマンでもなんでも、仕事してご飯を食べ、無職になればメシの種に苦労し、
出戻りだろうが何だろうが、仕事を得れば仕事のために最低限の勉強をするのです。
(それが当然のことなのだろうけれども。)
まして、この著名な音楽評論家が得ている、こんな不勉強で低レベルの評論による収入は、
普通のサラリーマンの仕事の場合とは少なくとも一桁違うだろう。
ほとんど詐欺まがいの仕事だよ。犯罪的だ。
アーティストの「意」がどこにあるのか考察し、そのうえで評論なり批評なり、
時には批判したり非難したり、あるいは時には絶賛したりするのが、
評論家の本来の仕事というものだろう。
上にもリンク先を記した、当サイトの「日記」の中の
11月14日武道館でのニール・ヤングのコンサート、所感 は、
「日記」である以上は一ファンの私的感想に過ぎないが、東郷かおる子のタダ見のインチキ批評よりはずっとマシです。
そうだそうだ、このバカ評論家が、GREENDALE ライヴの後のコンサート後半部を、
「最後におまけ(?)で演奏されたお馴染みの曲での」と表現しているが、このことにも触れておこう。
これ、ニール・ヤングが聞いたら唖然とするだろうな。
彼は長年応援してくれているファンへのサービス精神をも込めながら、過去の曲を演っている。
しかし自分は過去の成功に頼るつもりはない。だから、今回のようなツアーを考えた。
転石しながらコアなスピリットを持ち続けている本人が、インタビューに応えてそう言ってるよ。
過去の曲の演奏が「おまけ」なものか(職業評論家のくせに「(?)」を付ける東郷も恥を知らない)。
ニール・ヤングは、過去の曲にも燃えたぎるロック・スピリットを込めて爆走しながら演奏し、
我々ファンを十二分に楽しませてくれたよ。
朝日新聞が俺に、東郷かおる子に与えたのと同じ文字数をくれれば、
私的「日記」風の書き方ではなく、評論家の本来の評論的な文章を書いてみせ、
本来の評論とは何かを東郷かおる子に示してやることもできよう。
しかし、おそらくは彼女は、真の評論というものを読み解く能力すら持ち合わせていないであろう。
音楽評論家の肩書でご飯食べてる人が、
単なる一サラリーマン、他の、
音楽と何ら関係ない仕事でヒイヒイ言って精神を病みながらも(自業自得ですが、泣・笑)
どうにかこうにか仕事してご飯を食べているに過ぎない俺よりも
音楽評論ができないなんて、今の偏執狂的精神統合失調状態の俺には許し難いことだ。
(と言っても、どうすることもできないので、こうして自分のサイトで文句を書いているんだ、笑)
(朝日にこんな有名評論家さん批判を投稿しても、どうせ大メディアの常で載せてくれんだろう、嘆息)
(しかも面倒くさい・・・にもかかわらずココには書いちまった。)
俺は出戻り大馬鹿職員かもしれんが(文脈と全然関係ない? 笑)、とにかく今はどうにか仕事というものを
かろうじてやっている人間だ、俺にもこういうバカ評論家を批判非難罵倒する資格ぐらいあると思いたいもんだ。
(そういう意味では、このバカ評論の前半部分にも触れておこう。)
F 「事前にアルバムを聴いて予習しているか否かで、観客の理解度に差が出る」
⇒ あんたのバカ評論読んでると、あんたが何も「予習」してないことだけは分かるよ。
あんた「観客」じゃなくて、タダで入場した音楽評論家だぜ。バカ評論書いてカネもらうんだろ!?
そういう評論家は「予習」してこいっつーの。
(最後におまけ。こういうのをオマケってんだよ。)
G 「終盤に星条旗と日章旗がうち振られ」
⇒ あんた国旗のことなんか考えたことねーだろ。ま、証拠もなく決めつけるのはやめようか(笑)。
上に紹介した私の「日記」のライブ所感の中では、この件については簡単に触れただけですが、
参考までに(だ、だれの? 笑)、その部分は ココ です。
とにかく、私は今回の東郷かおる子のような原稿料ドロボーの「評論家」は許せない。
(本当は批判する価値も無いのですが、ガマンできない。 ・・・ にしても、ウェブスペース使い過ぎたな、笑)_
11月22日付「日記」の2本目。
(24日に この色 で若干加筆・追記、30日にさらに加筆)
昨日の朝日朝刊に 駐日イスラエル大使のイツハク・リオール による、「分離壁」やむを得ない選択、と題する「論稿」が掲載された。これに対し、氏への「公開質問状」を書く。
おいおい、相手が読むのかって?
読むわけありませーん。でも誰かヘブライ語に訳して、駐日イスラエル大使館に送ってくれない?
「公開」は「公開」だよ。ウェブ・サイトってのは全世界に「公開」はされるんだからさ。
(実は途中まで打ってからこの下の12行の段落作ってるんだけど、12行って「文字のサイズ」⇒「最小」の場合ね、笑)
内容的には案外よくできた「公開質問状」になりそうだから、この大使の「論稿」が掲載された朝日の「私の視点」ってコーナーに
投稿してみようと考え出してる。
日本の「一般大衆」ってやつの一人である俺の「駐日イスラエル大使」への「公開質問状」って、朝日の編集部は採用するかね?
1,300字程度っていう条件付だから(俺のIQと同じ数字だ、笑)、たぶんだいぶ字数削って、文章をつなぐ丁寧な校正をしなくちゃいかんけど、
明日はパレスチナ支援の集まり − ココの下の方に記載 − に行くから、明後日の昼間にでも時間と気力があったら、やってみようかと思う。「あったら」ね。
大新聞用に文章整える文章力に関してはけっこうオッケーだと自負してんだけど(笑)、
俺はこの件では掲載採用目的で文章に手加減したりする気はないから、普段の朝日の日和見記事の中では過激に見えるかもしれない。
載る可能性あるかねぇ。ま、元気あったらやってみるよ。
万一載りゃぁ、日本国内のパレスチナ理解促進に多少の貢献はできるもんね。
(これも万一、笑)駐日イスラエル大使がさらに詭弁で反論してきたら、付き合うのは面倒だけどなぁ(天災の心配レベル?)。
ま、ダメ元ってやつ。やってみるかも。げ、げんきと時間あったらね、明後日。
ここで1行また加えるんだけど、やっぱあまりに指摘箇所が多過ぎて(ひど過ぎる)、字数制限内に抑えるのが一番の問題かもね。
では、本題に入る前に用語解説。
「分離壁」 :
これは本当は「隔離壁」と言った方が現実により即しているかも。
現在イスラエルはパレスチナ占領地の一つであるヨルダン川西岸地区を巨大なゲットーにしてしまう、
グリーンライン(現在のイスラエル領とのボーダー・ライン)とパレスチナ占領地を「おおまかに」隔てる
大規模なコンクリート壁工事を(例によって国連の中止要請決議を無視しながら)着々と進めている。
なんで「おおまか」かというと、占領地内にたくさん点在する、これも国連決議違反のユダヤ人入植地を
地続きにさせるというヤヤコシイやり方、すなわち二重三重の意味での蛮行を行なっているため。
(したがって占領地内のパレスチナ人の生活圏も分断され、通勤、仕事、通学、通院等の日常生活に大きな支障を
きたすものとなっている。)
とにかく、この、既にもうとっくに崩壊している「過去のベルリンの壁」よりも総距離が長くなってしまっている
コンクリート壁のことを、ここでは「分離壁」もしくは「隔離壁」と呼ぶ。
(ちなみに、工事が計画通り完了してしまうと、その距離合計は「過去のベルリンの壁」の約160キロの2倍以上、
約350キロになるという、信じ難いほどの蛮行である。が、むろん、問題は距離の長さ自体にあるのではない。)
約650キロが、完成してしまった時の総延長距離のようです。これは東京−姫路間に相当する距離。
どっちにしても、とんでもない工事だ。しかし、繰り返すが、距離の問題ではない。数字は11月24日に追記して訂正。
約680キロが、完成してしまった時の総延長距離とのこと。これは今月25日に放映されたNHK「クローズアップ現代」での詳報によるもの。
もう数字を訂正する度に「嘆息」です。距離の問題ではない、というのに。ここは11月30日に追記して訂正しました。
それから、本件に関連する当サイト上の私の「日記」は下記リンク先。
パレスチナ占領地を巨大なゲットーにするイスラエル
世界の脅威、アメリカとイスラエル
パレスチナの今
ベングリオンのパレスチナの現実
(最後のはイスラエルの建国時の建国宣言とその後の現実に関するもの)
(この4本の間にもそれ以前にもパレスチナ関連はたくさん書いてきましたが、関心ある方は「雑感」サイトで検索してください。)
以下、本題に入ります。
なお、基本的には昨日の朝日に掲載された「論稿」で書かれた順番通りに、氏の詭弁をつぶして「公開質問」していきますが(詭弁が多過ぎて全部相手にするのは大変なので、主たるところに留めるしかないと思う)、下では、当該「論稿」からそのまま引用した部分を「 」に入れ、箇条書きで進めます。
@ 「洗脳」されたパレスチナ人テロリスト
⇒ 太古ほどの大昔にユダヤ人の国があったことを根拠にパレスチナにイスラエルを建国したシオニズム思想こそ、
イスラエル人もしくはイスラエルを安住の地として目指すユダヤ人に対する「洗脳」の道具だと思うが、いかがか?
テロリストがイスラム原理主義者による「洗脳」的教育を受けている例が少なくないことは事実だろうが、
それだけで自分の命まで落とす自爆テロを行なっていると考えるのは、占領し殺す側の傲慢に過ぎない。
幼少時から、アメリカの庇護を受けたイスラエルの横暴によって、
自身の人生への絶望感を日常的に味わい続けていることが、彼らを文字通り絶望的な自爆テロに向かわせている。
テロリスト達は、その年齢からしても、この世に生を受けたその日からずっと、
被占領と被差別・殺戮の世界に生き続けている。
氏が彼らの立場に立たされたら、自らはどのような生が可能なのか、明確に答えていただきたい。
A 「56年前に国連がパレスチナ人に提示した国家案を彼ら(注:テロリスト)が全く知らない」
⇒ 当時のパレスチナ全土におけるユダヤ系移民とその子孫、少数のアラブ系ユダヤ教徒の総人口は約60万人。
同様に、主としてムスリムとクリスチャンから成るパレスチナ人(パレスチナに住んでいたアラブ人)は約130万人。
土地については、当時のユダヤ人は全土の約7%しか所有していなかった。
歴史的背景を付け加えれば、もともとこの地にはユダヤ教徒がいたが、第二次世界大戦終戦前の近代に、
シオニズム思想とヨーロッパにおけるユダヤ人迫害(言うまでもなくナチスによる殺戮を含む)による強い影響下で
世界各地からユダヤ人がパレスチナに移住してきた結果が、この当時のユダヤ人人口の増加をよんだ。
(だからこそ人口に比して土地所有率が低い。)
この背景とヨーロッパ社会の責任、その後の欧米世界の責任についてはココ
にもかかわらず、当時でも、まだまだユダヤ人の人口はパレスチナ人の人口に比べて少数だった。
(再び)それにもかかわらず、
1947年11月の国連によるパレスチナ分割決議は、
国際管理下に置くとしたエルサレム(今はイスラエルが全地区占領し勝手に首都にしている)を除く全土のうち、
ユダヤ国家(後のイスラエル)に割り当てた面積が約57%、パレスチナ人のアラブ国家に対しては約43%だった。
私はパレスチナ人のテロリストがこの当時の分割案を正確に知っているかどうかは問わない。
氏に尋ねたいのは、氏がこの当時のパレスチナ人の立場だったとしたら、どのような思考回路を働かせれば
この分割案を飲めたと考えるのか、ということである。どうか明確に、ご自身の考えについてご回答いただきたい。
B 「1948年にこの国連決議をアラブ側が拒否し、誕生したてのイスラエルを攻撃したことを(テロリスト達は)知らない。」
⇒ 上の質問にまずは回答せよ。
そのうえでさらに尋ねたい。
この分割案に当然ながらパレスチナ人は猛抗議して反発し、ユダヤ人・シオニストとの間で内乱が始まった。
エジプト、シリア、ヨルダンを中心とした当時のアラブ諸国も、この分割案受入に反発し、
1948年 5月にイギリスによるパレスチナ委任統治が終わると、これらのアラブ諸国がパレスチナに派兵し、
内乱が国家間の戦争となったのが第一次中東戦争である。
アラブ諸国が武力に訴えたことは決して是とされるものではないが、そこに至る歴史的背景を氏はどう考えるか、
明確に答えていただきたい。
また、当時の国連は加盟国も少なく(欧米の植民地だったアジア、アフリカ諸国の大多数の独立はその後のことだ)、
欧米のご都合主義による決議も可能であったのに対し、
それから後の、そして現在の国連には、北朝鮮のような一部例外を除き、世界の全国家のうちのほぼ全てが加盟している。
その現代の国連が、イスラエルによる1967年の第三次中東戦争による占領地拡大(ヨルダン川西岸、ガザ地区、東エルサレム)、
占領の継続、占領地内のユダヤ人入植地建設、氏の言う「分離壁」建設等々の蛮行に対し、
度重なる非難、中止、撤退等々の決議を行なっており、
(安保理決議案の多数はアメリカの拒否権発動により決議に至っていないが、総会決議の議決は何度も繰り返されている)
その国連決議をことごとくイスラエルは無視したまま蛮行を続け、暴力の規模を拡大してきているが、
イスラエルのその国連に対する姿勢を、イスラエル人の一人として、自らはどう考えるのか、
これについても明確に答えていただきたい。
C 「67年の六日戦争をアラブ側が仕掛け、ヨルダンが西岸を、エジプトがガザを失ったことを(テロリスト達は)知らない。」
⇒ この戦争(第三次中東戦争)は、第二次中東戦争(1956年、エジプトのスエズ運河国有化宣言を契機としたスエズ動乱)の
11年後、エジプトが、イスラエル、ヨルダンを含む3ヶ国が紅海に接する位置にあるアカバ湾を封鎖した後に、
アメリカの援助を受けますます強大化したイスラエル軍が電撃作戦を敢行し、たった6日間で、
エジプト、ヨルダン、シリアの軍隊から劇的勝利を収めた戦争だ。
氏がアラブ側が「仕掛け」たとする背景には、上記のような経緯がある。
この戦争そのものの主導者が「アラブ側」なのか、本質的にはイスラエル側なのか、ここでは敢えて触れまい。
氏に尋ねたいことは、
この戦争によって、イスラエルは、第一次中東戦争後にヨルダン統治下にあった東エルサレム及びヨルダン川西岸、
同じくエジプト統治下にあったガザ地区を奪い、パレスチナ全土を完全占領することになった、その後のことだ。
この時以来、イスラエルはこの占領を認めないとする国連決議をも無視し、
二つの新たな占領区を今に至ってまで既に36年間占領し続け、
しかも、これも国連決議違反の占領地内のユダヤ人入植地建設を続け、なおかつ、
1947年当時の不完全な姿の国連が決議した分割案においてすら国際管理下に置かれることになっていたエルサレムの
東西統合支配をも続け(東側に各宗教の聖地がある)、
ついには一方的にイスラエルの首都にしてしまったという(これも国連は認めていない)、
数々のイスラエル側の蛮行を示す歴史的事実、しかも過去の歴史にはなり得ていない今も続く現実について、
氏はどのように説明するのか、具体的に明らかにしていただきたい。
(ちなみに件の「六日戦争」で、イスラエルはその他にエジプトのシナイ半島とシリアのゴラン高原をも占領したが、
前者は1979年のエジプトとの平和条約により同国に返還、後者は今も占領したままで、しかもこのゴラン高原にも
国連決議違反のユダヤ人入植地を建設しているが、このことも説明してもらいたいものだ。)
(この際だから記しておけば、第四次中東戦争は、1973年に当時領土の一部をイスラエルに占領されていたエジプトと
上記のとおり1967年以来今もってゴラン高原を占領されているシリアがイスラエルを攻撃して起こった戦争で、
エジプトがシナイ半島の一部を奪い返し、さらには当時全世界を揺るがした産油国による石油戦略の劇的変換、
つまりは第一次オイル・ショックも功を奏したため、最終的にアラブ側に有利な停戦協定締結に至ったものだ。)
D 「パレスチナ国家への道を開くのが、イスラエル市民を爆弾で吹き飛ばすことではなく、イスラエルとの共存だということ」
⇒ 氏は、上に引用したことを、「彼らは」(パレスチナ人のテロリストは)「理解できないのだ。」と書いている。
氏のこの主張自体に、
残念ながらイスラエル体制側には、紛争解決に向けた姿勢が無いということを改めて感じざるを得ない。
氏の主張には以下のように言い返すのが適当というものだろう(これは決して言葉の暴力の連鎖ではない)。
つまり、正しくは、
パレスチナ国家への道を本気で開くことが(それはイスラエル自身とアメリカの政策転換抜きには為し得ないことだ)、
パレスチナ人テロリストによる絶望的な自爆テロを激減させ、
ひいてはパレスチナとイスラエルの共存共生への道を開くというべきなのだ。
氏は何故そのようには考えられないで、上に引用したようにしか判断できないのか、その理由を明らかにしていただきたい。
E 「パレスチナ人当局そのものがテロの共犯者である。」
⇒ PLO主流派ファタハの武装組織などがテロに関与してしまう場合があるのは事実。
それはもちろん是とされるものではない。
ここでは、
国家としての独立を認められていない、他国の占領下にある権力体制が地域内の治安対策を完璧に履行することなど、
もともと極めて大きな困難が伴うことであるが、
(ましてこれまでの歴史的経緯の中で分派があまりに多くなっている状況ではなおのこと)
こうした条件下でなお、
オセロ合意以後の自治区地域内に対してすら頻繁に行なわれるイスラエル軍の侵攻(時には空爆をも伴うもの)や
今も続く占領地内のユダヤ人入植地建設計画、パレスチナ人家屋の破壊や農地没収等の蛮行がなくなる保障もないままで、
地域内の全権を掌握することを許容されないパレスチナ人当局に、完全なテロ対策などというものが可能だなどと
氏は本気で考えているのか、
氏の、イスラエル体制内の人間としての具体的見解を質したい。明確に、説得力ある回答を望むものである。
F 「無慈悲なテロリズムに対して、民主主義はどうやって効果的で「きれいな」対策を取れるのかという問題である。」
⇒ 氏の主張はようやくここで核心に辿り着く。
氏は、上記の引用文の直後の段落で、
「イスラエル政府は戦略的な境界線に沿った」「防衛壁やフェンスの建設」
(おそらくはイスラエル政府の公式用語なのであろう)
「という手段を取った。」と記し、
問題となっている「分離壁」こそが、氏の言う「きれいな」対策であることを見事なまでに明確に述べている。
氏に尋ねたい。
先頃(今月9日)、国連人道問題調整事務所(OCHA)がこの問題の調査報告書をまとめ、「分離壁」(隔離壁)が、
西岸のパレスチナ人人口の3割にあたる67万人以上の日常生活に大きな障害を与えるものだとの発表をし、
その障害の内容も詳細に明らかにしたが、
氏が、あるいはイスラエル政府がこの「分離壁」を、どういう理由で「きれいな」対策だと判断するのか、
明確かつ具体的詳細に回答していただきたい。
G 「フェンスが将来のパレスチナ国家の創設を阻むものだという議論もある。主権国家とテロは相いれない。」
⇒ 氏は本気でこんなことを書いているのだろうか。
私は氏の現実認識の程度の低さの前にただ驚き、開いた口が塞がらないほどである。
しかし続けねばならない。
現実認識の問題以前に、この連続する二つのセンテンスは、氏の論理の崩壊を示している。
氏は一つ目のセンテンスで、パレスチナ国家が現在、存在しないことを認めている。
全世界が知っている事実は否定しようがない。
しかるに、続けて氏は、「主権国家とテロは相いれない。」と述べているのだ。
現在、「主権国家」である「パレスチナ国家」は、氏も認め世界中が認識している通り存在していないのだ。
すなわち、「主権国家とテロは相いれない。」という氏の主張は、実は先に「パレスチナ国家」の創設があってこそ、
「主権国家と」「相いれない」ところの「テロ」の激減、ひいては根絶の道筋が見えてくるということを、
氏自らが認めたことになるのである。
氏はご自身の論理がサカサマになってしまっていることをどう考えるのか、失礼ながら、その見解についてご教示願いたい。
H 「テロがやめばフェンスは無用になり、国家創設を交渉する道が開かれるだろう。」
⇒ もはや驚くまい。
上記の引用は、上のGの引用文に続くワン・センテンスである。
この期に及んで「交渉する道が開かれる」と、極めて慎重な表現に留めているところにも氏の主張の正体がにじみ出ている。
このHの引用文は、Gの引用文のサカサマな論理を、Gで記したように正しい論理に直せば、
自ずと、容易に、かつ正確に添削できる一文である。
すなわち、
氏が「フェンス」と呼ぶ非人道的・非人間的な隔離壁がなくなり、隔離壁に象徴されるイスラエルの蛮行が
「やめば」、テロは大多数の(リアリストの私は全てとは書かない、今のところ原理主義者は双方に存在するのだ)
パレスチナ人にとっても非人間的な間違った手段というだけでなく、文字通り「無用になり」、
パレスチナ人が半世紀以上にわたって切望してきたパレスチナ人の「国家創設」が近い将来の現実となり得るのである。
11月24日の「朝日」朝刊記事で確認したが、
現地時間22日夜、エルサレム郊外の隔離壁・建設現場で、建設機材を警備していた
イスラエル人警備員2人が、パレスチナ人の銃撃により殺害され、ファタハ軍事部門の一分派が犯行声明を出した。
「テロ」は氏の言う「フェンス」をも標的にした。
イスラエル政府の主張する「きれいな」対策への極めて直接的な反応である。
この事件は、隔離壁に「テロ」の抑止効果などなく、むしろ逆効果があるのだということを、端的に示している。
注: 上記は11月24日追記。新聞では隔離壁でなく分離壁と書かれている。
I 「イスラエルは」「主観的な「人権基準」に従って行動せざるを得ない。」
「しかしその基準は「人命」尊重の枠をはみ出すものではない。」
⇒ この主張には厚顔無恥という言葉しか思い浮かばない。
尋ねる気力も失せてくるほどだが、
ならばイスラエル軍の兵士においてすら、占領地における兵役拒否もしくは忌避の運動が拡がっている現実をどう考えるのか、
氏の見解を念の為に質しておきたい。その現実にある背景をどう考えているのか、明確かつ具体的な回答を望む。
J 「フェンスはイスラエルとパレスチナの人々の心理的分断を象徴するだけでなく、
失われた和平の好機の数々を記録するモニュメントでもある。」
⇒ この主張にも、厚顔無恥という言葉しか思い浮かばない。
正しくは、
隔離壁はパレスチナ人の日常生活の物理的分断そのものであり、
イスラエルの強制する両民族の「心理的分断」を暴力的に象徴するだけでなく、
今後の平和の構築をますます困難にする、悲劇というよりは絶望を象徴させかねないモニュメントでもある。
氏の見解を改めて問いたい。破廉恥極まる詭弁ではなく、氏の立場からの論理的な回答が可能なのか、教えを請うものである。
K 「この見苦しいフェンスを父祖の土地に見ることを、イスラエル人は本当は嘆いている。」
⇒ これが氏の、隔離壁を巡る今回の「論稿」の最後のセンテンスである。
(Jの引用文に続けて、氏はこの一文を記して「論稿」を締め括っている。)
たしかに、良心のあるイスラエル人(はもちろん少なくない、兵役拒否者、平和運動参加者、多数存在するのだ)は、
問題の隔離壁を見ることを、心底から嘆いているであろう。それは間違いない。
最後に、氏に、念の為に尋ねておきたい。
氏が上の引用文で言うところの「父祖」とは、いつの時代に遡って表現している言葉であろうか。
氏は、現代人の感覚からすれば太古の昔とまで表現してもおかしくない時代に、
現在のパレスチナの土地にユダヤ人、ユダヤ教徒の国が一時期存在したという歴史的事実については
ごく普通の歴史学者と共に認識を共有している可能性があるが、
そのユダヤ人の国が、世界各地の歴史上の国々同様の栄枯盛衰を経て崩壊した後、
少なくとも1,000年以上にわたって、現在のイスラエル人の「父祖」ではなく、
今現在パレスチナ人と呼ばれている、宗教的にはムスリムが多数を占めているアラブ人の「父祖」が、
このパレスチナの地において、多数派として、あるいは支配者として、代々住み続けてきたことを、
この歴史的事実を、どのように否定できるのか、あるいは逆にその事実を実は認めているのか、
明解な回答をしていただきたい。
さらにもう一言付け加えよう。
「テロ」を肯定する人は少数である。正当化するのは極めて困難であり、不可能、もしくは不可能に近い。
一方でパレスチナ人のテロを非難するイスラエル政府だが、イスラエル建国運動を主導したシオニスト達が、
シオニズムによるイスラエル建国のために「テロ」活動を行なっていたという歴史的事実を、
氏は知っているのか、それとも認識しているが認めたくないのか、あるいは(信じ難いが)知らないというのか。
そして、現在のイスラエル政府のパレスチナ人に対する数々の蛮行は、
国家「テロ」と呼ぶにふさわしい、非人道的・非人間的愚行であり、また、
ユダヤ人が過去にナチス・ドイツによって受けた悲惨な迫害を、今度は自らが他民族に加害者として再現しているもの
であって、人間の絶望を象徴しかねない悲劇的行為ではないかと考えるが、氏はどう考えているのだろうか。
パレスチナ占領地を分断する隔離壁は、当時のユダヤ人ゲットーに、
絶望のあまりインティファーダを起こしたパレスチナ人の想いは、当時ワルシャワで絶望的蜂起に立ち上がったユダヤ人の想いに、
どこか似てはいないだろうか。私には、悲嘆するほどに、共通点ばかりが見えてきてならない。
(この悲劇の連鎖は今、アメリカの極めて偏向的な中東政策によって支えられている。)
(そのアメリカ外交に盲従しているのが、悲しいかな、日本のコイズミ傀儡政権なのである。)_
今日の日記の1本目。
昨日は、被占領地パレスチナ・ガザのアトファルナろう学校校長先生、ジェリー・シャワさんの来日講演会に出かけた。
アトファルナろう学校は、現地の人々と日本の市民団体 パレスチナ子どものキャンペーン の協力によって、1992年に生徒数27名で開校された、ガザ地区のろう者や難聴者のための学校。現在は地元の240人の聴覚に障害がある子供達が通学している。ジェリー・シャワさんは、その学校の開校に尽力し、開校以来ずっと校長先生として重責を果たしているアメリカ人女性だ。
講演ではプライベートな事情は話されなかったが、パレスチナ人と結婚し、既に32年間ガザに住んでいる方だ。ガザがパレスチナ人の土地であるにもかかわらず、イスラエルのさらなる占領下に落ちてしまっているのは36年前の第三次中東戦争以来のことだから、ジェリーさんのガザでの生活はこれまでずっとイスラエル占領下にあるということになる。
講演は日本語通訳と手話通訳を伴って行なわれ、時折りスクリーンに映し出される子供達の様子、学校の状況、イスラエルによる占領の苛酷さ(破壊された家屋などなど)等、現地の事情について視覚に訴えるための数々の写真も使用しながら、ご本人による非常にわかりやすい話し振りにより、詳細かつ具体的な現地報告というかたちで進められ、講演後も多数の質問に一つ一つ丁寧に回答され、昨日の午後は、僕を含む会場に集まった日本の市民にとって、極めて貴重な時間となった。
終了後は会場を移し、主催者、共催者、そしてボランティアの皆さんに講演会参加者からの希望者も加わって、ジェリーさんを囲む懇親会が行なわれた。これにも参加した僕は、その席でも大勢の人からさまざまな話を聴くことができ、その懇親会も大変有意義なひとときとなった。
懇親会には放送大学で教鞭を取っていらっしゃる中東問題と国際政治の専門家、高橋和夫先生もみえて懇談に加わり(講演会中は日テレの取材を受けていたとのことで−イラク問題かな?−懇親会からの参加となったことを詫びていらした)、ジェリーさんの隣りの席だったので、時には横から通訳までされていた。
懇親会で僕の左側の席にいた方は女性の画家で、今年もレバノンのパレスチナ人難民キャンプでのアート・ワークショップに参加されたという方、正面にいた方は画廊経営者でやはりそのワークショップ
に参加された方、右側に座っていた方は「69歳」とおっしゃっていたがパワーあふれる方で、今年のピース・ボートのツアーに参加されたそうで、そういう方々との懇談も、僕には非常に刺激的で意義あるものとなった。
講演会と懇親会で心を動かされたことの一つは、日本のろう者の若者もたくさん参加していて、懇親会の時には、ガザのろう者の子供達に観せてあげてほしいと言って、自分達の日頃の活動を収めたビデオをジェリーさんに渡し、そしてジェリーさんへのプレゼントだと言って、手話による歌まで披露してくれたこと(ジェリーさんもその二つの贈りものに感激し、手話を使って感謝の意思を伝えていた)。
パレスチナ子どものキャンペーン が努力し貢献しているこの活動が、非常に層の厚い人々によって支えられ、パレスチナ紛争の解決を支援するという巨大な課題に留まらず、われわれの社会にある多様な問題に広く関わっているということがよくわかった。懇親会では、紛争地の医療支援をしている医師、今回の講演会の共催者である仏教信仰者によるNGO アーユス=仏教国際協力ネットワーク (講演会は仏教のお寺の講堂を借りて行なわれた)の方の挨拶もあり、とにかく、多くの人々の努力があってこうした活動が可能になるのだということを、僕に改めて実感させる機会にもなった。
講演会場ではパレスチナ問題に関する複数の資料の他、アトファルナろう学校の生徒が描いた絵を印刷したカレンダー、保護者手作りの民芸品等々を購入し、講演聴講者として、学校運営のためなどの資金面でも少しは協力できたと思う(後者は一種のフェア・トレードではないかと考えている。)
講演会でのジェリーさんのお話の中身は、当日配付された資料と僕自身の手による大量のメモの中に詳細な記録として残り、今後もその内容が僕の手元に保存されることになる。でも、今日のこの「日記」の中で、それを詳しく書くことはしない。というのは、あまりに内容が豊富だし、僕としては新たに知った現地の実状も多く、簡単にまとめることは容易でないし、いいかげんにまとめたくはないからだ。いずれ、僕も会員になっている パレスチナ子どものキャンペーン のサイトで、具体的な内容は紹介されるだろう。
僕は昨日のジェリーさんのお話を、これからのこのサイトでの「パレスチナ問題」についてのコンテンツに活かし、また、自分が今後もこの 日本国南東北の地から 微力をもってでも支援していく、その持続する意思のなかに投影させていきたい。
昨日の僕は、先日のニール・ヤング東京公演に家族3人で出かけた時と同様に、上着の胸に アムネスティ(日本のアムネスティを通じて支援しています)のバッジ と 以前やはり 家族3人でピース・ウォークに参加した時(その時の自家製メッセージ・ボードは コレ) にカンパして受け取った Give Peace a Chance のリボンを付けて、講演会会場に出かけた。
僕はこの数年「人生のポケット」みたいなところに入り込んで、精神状態にちょっとした(でも大きな)問題を抱えている。そんななかで、昔々から関心を持ち続けている パレスチナ問題に少しでも実際的に関わろうと思って、 今年からパレスチナを支援する団体の会員になった。アムネスティ・フレンズという名の、アムネスティの支援者の一員にもなった。 アムネスティの活動には、以前からグッズの購入等で微々たる協力をしてきて活動を知っていたけれど、僕はパレスチナ支援の団体の会員になろうと思った時は、ウェブなどでいろいろと調べてみたりしていた。今、本当に素晴らしい活動をしている団体の会員になったと思っている。微力ではあるけれども、これからも支援し、学んでいきたいと思う。
僕は一昨日、駐日イスラエル大使への公開質問状 という文章をこのサイトに載せたけど、それを新聞の「論壇」投稿用の文章に整えて校正し、実際に投稿しようかと考えていた(ま、日和見「朝日」が簡単に採用してくれるような内容にはならんだろうけど)。今、ちょっと迷ってる。まぁ、もう夕方で暗くなってきちゃったってこともあるんですが、そういうことよりも本質的な「迷い」が・・・。
件の 駐日イスラエル大使 による「朝日」掲載「論考」の内容はあまりにひどかった。僕の文章と文章力だけで、論理的に「勝つ」ことは容易なことだ。でも、昨日の講演会に参加した帰り、大使への質問状を投稿することについては迷い出した。僕なんかよりも、この日本の地で、もっともっとパレスチナ支援に貢献している人たちを目の当たりにして、「自分なんかが」って気持ちが起きてきたんだと思う。だから、迷ってる。 ・・・ 結局どうしたかってことは、このサイト上で後日また書くことにします。
でも、とにかくひどいんだ、駐日イスラエル大使のその「論稿」に書かれた、イスラエル政府の公式見解ってヤツは。僕がもしもやらなくても、誰かもっと名のある中東問題専門家が、面倒でも反論投稿してやっつけてくれないかなぁ。そんなふうに願ってもいる。
今日の僕は、少なくとも、昨日の講演会会場で手に入れた、ヨルダン川西岸「隔離壁」工事中止・取り壊しに関するシャロン、ブッシュ、コイズミへの要請ハガキ( 作成: Stop the Wall ! 実行委員会 )に署名し、計4通(シャロンには2種2通)をポストに投函します。投函は買物ついでに妻に頼んだ。Thanks, my love !
なお、ヨルダン川西岸「隔離壁」問題については、例えば当サイトの 駐日イスラエル大使への公開質問状 ご参照。もっと詳しくは パレスチナ子どものキャンペーン のサイトやそこからのリンク先などに説明があります。もちろん、Stop the Wall ! 実行委員会 のサイトにも、かなり詳細に、その非人道的計画や非人間的な工事・進捗状況などについての情報が掲載されています。