03年 2月 9日〜3月 1日

最近の子供はどうか分らないけど、今の大人の多くはガキの頃に日記を何日か書いた経験があるのでは?
斯く言う私もその一人、当然この日記も不定期です。 (2001年8月19日、記)

03年 2月 9日(日)   Like A Rolling Stone

 A rolling stone gathers no moss. 転がる石には苔が生えない。
 これには相反する二通りの解釈があって、一つは、転がってばかりいたら、苔も生えないからダメだってこと。もう一つは、同じ場所に居続けると苔が生えてしまうから、転がりなさいってこと。

 転がって転がって元の場所に戻ってるのはお笑いかもしれない。苔が生えてるかどうかわからないが、元の場所に戻っても、自分とその場所の関係はもう違うから、これから前を向いて居続けることで良い苔(?)が生えてくるのか、そんなものはもう生えねーし、生えてもろくでもない苔が生えてしまうから、とにかくボロボロになっても(?)転がり続けろってーのか・・・わかんねーな、そんなもん。

 ディランの Like A Rolling Stone って歌が好きです。


   How does it feel ?
   How does it feel ?
   To be on your own
   With no direction home
   Lile a complete unknown
   Like a rolling stone


 こんな感じだな、俺は。
 home はあります。最愛の家族のいる、この世で一番大事な home はあります。ただ、人間は一個の人間の世界があって、そのなかに精神的な home が必要なのです。というか、私は必要です。帰宅すれば灯りの燈る home がある。そこには最愛の家族が居る。これは掛け替えのないことですが、それでも心の中には闇がある。暗闇がある。そこに灯りを燈す home が必要です。今は With no direction home ってことさ。家族をひととき離れれば Lile a complete unknown っていう精神状態だし(しっかしそういう意味では家族の存在は大きいな、本当に掛け替えないよ)、To be on your own は身に沁みるし、何しろ Like a rolling stone なんですよ、変な転がり方してるけどなーっ! How does it feel ? って言われたって、そりゃもうたまんねーよ全く、困った戯けものだな。

 さて、こっから俺はどうすりゃいいか。わかりません。わかりませんが、何とかしましょう。何とかしなきゃ、石が砕けて砂になっちまうからな。苔を生やすんだか生やさないんだか、難しいことは混乱して整理がつかんが、とにかく何とかしましょう。というか、何とかしたい。その気持ちだけは持っとかねーとっ。


03年 2月11日(火)   現実とつきあいながら生きる。 現実を生きる。

 現実にあること。現実。

 現実に向き合う。
 現実を直視する。
 現実から逃げない。逃げれば逃げるほど苦しい。だから、逃げないで、現実に向き合う。

 と言葉を並べてみても苦しい。
 ならばこれでどうだ。

 現実に向き合うこととつきあう。
 現実を直視することとつきあう。
 現実から逃げないで、現実に向き合うということとつきあう。
 現実とつきあいながら生きる。

 現実は現在の事実。つきあって生きていけば、現在の、現実の、圧倒的な圧力が弱まるかもしれない。いつか圧力が激減しているということもあるかもしれない。
 現実は現在の事実。つきあって生きていくうちに、現在の、現実の、圧倒的な圧力を、あまり感じなくなるかもしれない。
 現実とつきあううちに、圧力を感じなくなるかもしれない。いつか、JOY と共に生きていることだろう。

 どっちにしたって、どうあろうが、現実とつきあうことが、現実を生きる方法だということは、はっきりしている。はっきりしている。
 どうあろうが、現実とつきあうことが、現実を生きる方法だ。

 だから、現実に向き合うこととつきあう。
 だから、現実を直視することとつきあう。
 だから、現実から逃げないで、現実に向き合うということとつきあう。
 だから、現実とつきあいながら生きる。現実とつきあいながら生きていく。

 生きることが出来るのは、今という時だけだ。過去も未来も生きられない。今を生きることが未来につながる。今という時に向き合う。今とつきあう。
 現実とつきあいながら生きる。現実を生きる


03年 2月15日(土)   時事ネタを書くのはきつい、時には無理してでも書く

 昔から時事ネタに敏感だった。いいとかわるいとかじゃなくて、とにかく関心が強かった。たまには行動もした。

 それがどうだ。今では行動はおろか、書けないし、口にもあまり出さない。関心も衰弱気味だ。それでも元々が時事好き(?)だから、ニュースはそこそこフォローし、家族とは多少喋ってたりする。家族と話すのは、それ以外と比べれば落ち着けるからなぁ。

 イラク攻撃は反対だ。市民を巻き込む戦闘以外の可能な方法が尽くされていない。
 大量破壊兵器と国連決議違反を言うなら、イスラエルが容赦されるのはなぜだ。不法な占領と占領地内の入植地建設、占領地内の軍事行動や入植地警護活動などは正当防衛とは全く別モノだ。パレスチナ人は単に民主的な権利のレベルでなく、生活権、生存権まで脅かされている(それが自爆テロにつながる連鎖となる)。
 北朝鮮の拉致は問題だ。国交正常化交渉を俎上にのせながら拉致一色で日本側の過去と今を再検証しないマスコミも問題だ。しかしそれを言う一部メディア側は拉致問題を徹底追及する姿勢が希薄に見えるのが問題だ(本当に希薄なのか、メディアの多くが偏向していることを意識してのことか、でもなぁ、なんかハートが伝わってこない感じ・・・)。拉致被害救援に関わる人間達に、日本の過去の加害の事実を否認するのに躍起になる輩が少なくない(多い?)のはどういうことだ・・・。問題問題どんなもんだい(谷川俊太郎の昔の詩の一節にこんなのがあったな)。

 関心は元々ある。しかし昨春来よくわかったんだけど、自分や自分達が直接の被害者となっていない問題に強い関心を維持し、発言し、ものを書き、時には行動する、こういうことは自分の日常的な有り様に一定以上の自信を持っていないと出来ない。出来ないとまで言わなくとも、困難だ、自分の場合。それがないと、何か外に向かって言っても書いても、自身が日常的に関わらないような事象に向かって発言しているおまえの、おまえの日常はどんなもんなんだいという内なる声が返ってきて、言葉が指の間から落ちていく砂のように雲散霧消する。というか、言葉を発する以前に、その内なる声のほうが先に胸に迫ってきて、言葉を発することが出来ない。自分や自分の周辺が被害者なら確実に発言する。そうじゃなければ、発言にはそれなりの覇気が必要だ。自分にはそれがなけりゃ至難。

 外の事象に向かって言葉を発するためのエネルギーが湧いてこない。もう何ヶ月も続いていることだが、残念ながらこれからも長い間、続いていくことははっきりしている。

 それでも、時には、無理してでも時事ネタを書こうと思う。たまには、困難でも書こうと思う。パワーがなくても、出来る限り書こうと思う。
 関心そのものは消えない。長らく書かないと、自分が自分ではなくなってしまう気がするのだ。今の苦痛と取引して、自分を自分でなくしてしまうのは御免だ。このトシで、根っこは変えられないよ。


03年 2月15日(土)   苦痛と安楽のパラドクス

 苦痛に圧倒されている。
 その苦痛から心が離れる。おそらくはほんの少しでも安楽になることを求めて、苦痛から心が離れる。離れようとする。  その途端に苦痛が増す。

 他人の眼も気にしている。実態は確実にあるが、それを実態を超えて過剰に意識する。  しかし、苦痛の中心はそこにあるのではない。世界が一人の人間の中で自己完結しない以上、苦痛は他人との関係性につながっているが、苦痛の中心にはもちろん、自己の心の有り様がある。どうしても自己否定したい、文字通り消してしまいたいという、自己完結に向かおうとする衝動が、苦痛の中心にある。他人との眼に見える関係性が反って衝動を押し留める。関係性が見えなくなったら危険だ。苦痛の周辺にある他人との関係性が見えなくなったら、苦痛の中心にある自己の心の有り様だけで世界が完結し、その閉じられた世界はいよいよ超えられない巨大な壁となって目前に立ちはだかるだろう。

 苦痛の中心は消せない。自分の過去と現在のもはや打ち消すことの出来ない有り様に苦痛の中心があるのだから、これは永久に消せない。自分というものが存在する限り消せない。現在が過去となっても、いよいよ同じことだ。過去も現在も撤回出来ないものなのだ。

 苦痛の中心は消せない。その中心から離れようとすることだけが可能なアプローチだ。しかし、その途端に、苦痛の中心は重心を動かさないまま抗うことが出来ない引力をもって迫ってくる。苦痛はさらに増す。安楽は更なる苦痛であり、苦痛は更なる苦痛よりは安楽である。よけいなことを省けば、安楽は苦痛であり、苦痛は安楽であるというパラドクス。

 とは言え、苦痛とオクタゴンの中で時間無制限のアルティメット・ファイティングをするのは不可能だ。苦痛の中心は自己の内部に、自己の心体の内部にあり、しかももはや打ち消すことは不可能であることがはっきりしている。自己が在る限り消えないものなのだ。苦痛の中心は、闘って打ち消して克服するということは出来ない。出来ることは、苦痛の中心とつきあって生きること、苦痛の中心を内部に抱えたまま生き続けることだ。そのうえで、苦痛の中心に対置できるものを獲得するしかない。一遍に出来ることではない。苦痛の中心に対置できるものを、少しずつ獲得していく。その先に、もしかしたらその過程とその先に、JOY があるのかもしれない。場合によったら、HARVEST の手掛かりもある、かもしれない。そう想わなければならないし、もはやそう想うしかないだろう


03年 2月15日(土)   対置するものを

 苦痛の中心とつきあって生きること、苦痛の中心を内部に抱えたまま生き続けること。 これ以外にこの間に抱いてしまった苦痛に直接対処する方法はない。苦痛の中心は消えないし、なくならいからだ。記憶から消えない過去があるように。

 だから、苦痛の中心とつきあって生きる。苦痛の中心を内部に抱えたまま生き続ける。そのうえで、心の中に、逆の働きをする何かを対置する。対置できるものを獲得する。

 何かを成し遂げて、それから対置するのではない。徐々に、少しずつ、苦痛の中心に対して対置できるものを獲得して植えていく。心が苦痛の中心を意識しながら離れるのでなく(その先には更なる苦痛しかない、そして元の苦痛に戻る以外ない)、対置されたものに徐々に心が向かっていく。少しずつ、その向きを強めていく。というよりも、少しずつ植え続けることで、そこに向かう心の向きが強まっていく。その先に、もしかしたらその過程とその先に、JOY があるかもしれない。場合によったら、HARVEST の手掛かりもある、かもしれない。

 対置し切ることが出来れば十分だ。それで十分だが、ただ、それが出来た時、あくまでも消えない苦痛の中心が、それを経てそれに対して対置したものの働きによって、自分の中で苦痛とは別の意味をももって存在するようになることもあるのかもしれない。

 対置するもの。具体的なものなのか抽象的なものなのかわからないが、これからの自分の場合、それは職業とはまた別のところで獲得するものになると感じている。

 対置するもの。とにかく、そういう発想が必要だ。対置可能なものを、徐々に植えていくことを考えよう。それがこれから、前を向いていく唯一の方法ではないかと感じている。そうやって考えて、この先を生きていくのさ


03年 2月16日(日)   ゴスペル、心を安らかに

 今日は今回のワークショップの2回目。今日からキッズ・プログラムも始まり、息子も参加した。野球をやっている息子は全部参加できるかわからないけれど、今日は野球の練習は昼頃までだったので大丈夫だった。けっこう息子は楽しんでいると思う。

 今日の練習曲は He Reigns Forever という曲。ブラックゴスペルにラテンのリズムが加わったような曲だ。楽譜はなく歌詞だけなので、いつもパート練習部分を中心に録音するのだが、前回同様に MD ウォークマンを持って来ていたのに、始まってしばらくして録音をしていないことに気づき、慌てて録音開始。ところが、めったに使わないMD ウォークマンの録音停止ボタンを失念。1回録音後に一旦停止したくてバタバタしているうちに、前回の曲の録音部分に戻して上書き録音をしてしまったらしいことを懸念し始め、だんだん練習に身が入らなくなってしまった。
 帰宅して確かめると不安的中。なんてバカなことやってるんでしょうか。ますますイライラしてしまった。せっかくゴスペルに行っているというのに、こんな些細なことで落ち着けなくなってしまう。情けないよ全く。楽譜がない以上は録音したものは重要な練習材料。とは言え、前回の曲は妻が俺のパートまで採譜してくれてあるんだから、それを使えば何とかなる。気を取り直そう。

 もともと歌は好きなうえ、今の俺にはますます貴重な時間なんだ。次回はカーク・フランクリン作詞作曲の名曲 My Life Is In Your Hands だ。楽しみにする。そして、精神が少しでも解放されていくようにしたい。


03年 2月22日(土)   転がり落ちる石のように

 転がる石のように、というよりも、自分は、
 転がり落ちる石のように、転げ落ちている。転落している。そう感じている。

 今も毎日毎日、刻一刻と転落しているとは思わない。転がって転がり落ち、最近は何とか踏み留まっている。しかし、下り坂で踏み留まるのは力が要る。こんなに覇気がなくて、踏み留まっていられるのは不思議なくらいだ。おそらく、ふっと力を抜いて転落し始めると、そこで再び心にブレーキをかけることが出来るのか、それが不安だからではないか。だから、何とか踏み留まっている。いや、実際はじりじりと滑落しているように感じる時もある。はっきりとはわからない。

 いつから転落し始めたのか。気づかないまま、それはもう5年以上前から始まっていたのかもしれないし、もっと前からかもしれない。決定的にはこの2、3年? 自覚はなかったが、振り返れば、突然転落したのではない。途中のどこかに、実現しなかった転機はあったのだろうが、しかし、結果としてずっと繋がっている。結局は転がり落ちた。二転三転、転落を重ねたままだ。

 今はぎりぎり踏み留まっている。この姿勢には力が要る。いつまでも重力に逆らって抵抗出来るとも思えない。そもそも力が湧いてこない。どこまでもつか、と思う。しかし、今、苦しまぎれに足を動かすと、ずるずると滑り落ちる気がする。踏み留まる以上の大きな力を出せなければ、どこにも動けないのだ。ただ、落ちていく心身を何とか留めるのが今の日常だ。縮こまり、背中を曲げ、視界は焦点が定まらず、ただ心身は留まっている。

 今はただ、霧が立ち込める下り坂で、踏み留まっているに過ぎない。何の目論見も企てもなく、心の行き先の見通しも全く立たないが、どうにかこうにか、踏み留まっている。時折り足を滑らせながらも、今はただ・・・。何のアテもない。計画という計画も思い浮かばない。それでもなお、今は、という言い方にしておきたい。そう言うしかないのだ、心身を踏み留めるためには。


03年 2月22日(土)   0<最低点、 0.5、 1、 50・・・

 以前の自分の生きる力、覇気のようなもの、あるいは日々の充実感のようなもの、充足感のようなもの、点をつければ 50 から 60 ぐらいだったかな。Harvest は 100 、だから 100 なんていかない。JOY なら 70以上、そういう意味では 70 ぐらいの時もあったな。幸福感ということなら、もっと高い時だってあった。3人で旅行に出かけたりした時は、その時だけでもぐんと点が上がっていたな。

 今の自分は、最大可能値が 1 だと思っている。100点満点で 1 だ。0.5 を超えればマシな方で、今の自分としては、ほんの少しだけ気持ちが和らぐ、ほんの少しだけ。一昨日は 0.2 だった。昨日は朝が 0.2 、帰宅した頃は 0.5 ぐらいだったか。今日は頭が痛い。ホンモノの頭痛。家に居るというのに、かなり点が悪い。だが、休みの日に点をつけるのはやめよう。

 100点満点にして以前の 50 や 60 ぐらいで、(今にして思えば、です)まぁまぁの充足感をもって生きていられるというのに(要するにあのまま居りゃ良かったんでしょう、点数的にははっきりしているのだが過去のことはどうにもなりません)、今の100点満点にして 0.2 だ 0.3 だ、今日は 0.6 だ、ちょっとはよかった、なんて言ってる状態で生きているのは不思議だ。しかし、これでも生きる。人間は、空っぽだって、生きる時には生きるそうだ。 とにかく、毎日は送っている。

 人は誰しも、意識しないまま、何かに折り合いをつけて生きているのではないかと思う。いや、誰しも、とは言うまい。折り合いなどということと関係なく、人生を生き抜く稀有の人はいるだろう。ただ、大抵の人間は折り合いをつけている。望む通りの生き方など、完璧には出来ないからだ。
 以前の自分も、もちろんそうだった。どこかで折り合いをつけ、50点以上のどこかで自分の意欲や能力、環境その他もろもろのことの折り合いをつけ、そこそこ充足した日々を過ごしていたと思う。それを正しく認識出来ていたかは別にして。50点以上のどこかで常に折り合いをつける、というのがポイントだ。50点を割り出すと苦しくなる。折り合いをつけるなら、50点以上でなくてはダメだ。 0.2 ? 0.5 ? 1 ? 問題外だ。

 日々を過ごすために、その日毎にでも折り合いをつけられれば息がしやすいのだが、今は折り合いをつける方法がみつからない。見当がつかない。どうにもならない。何とかしなくては、と思うのだが、みつからないものはみつからない。途方に暮れる。

 今週、アムネスティ・フレンズという名の、アムネスティの支援者の一員になった。別に何か特別なことはしていない。ただ、一員になった。昨日は、先月会員になったパレスチナ支援団体から通信が届いた。帰宅してそれを手にして、ほんの少し心が和んだ。何故だろう。おそらく心の中の隙間、隙間というにはあまりに大きい、ぽっかり空いた穴のようなものを、今は自分で能動的に埋めていくことが出来ず、そうした繋がりに加わることで、沈澱していく気持ちを少しでも浮揚させているのか、とも思う。前から関心があったこととは言え、今は関心だけで動いているのではない。何かをしなくては、何かを手掛かりにしてでも何かをしなくては、生きていけない自分を感じているのだと思う。ゴスペルをやろうとすることだって、どこかに共通した心の動きがあるのでないかと思う。それだけで、自分の心がどうにかなるわけではない。自分が、自分の足で立ってこそだ、とはわかっている。それでも、内にばかりのみ向かっていく心を、外に開かせる、少しの効果はあるのだ。

 今がマイナスとは思わないことにする。ゼロとだって思わないことにしよう。0.2 だろうが 0.5 だろうが、マイナスではない。マイナスと規定したら生きていけないよ。マイナスは自己否定だ。ただ生きているだけで、ゼロを超えるのさ。ねぇ詩人ケンさん?

 1点未満で長生きするのは厳しい。いつか、何とかしたい。何とかなりたい。方法は、全くわからない。


03年 2月22日(土)   もの言えぬほど唇寒し・・・

 もの言えば唇寒し秋の空。これって、もともと松尾芭蕉ですか。この辺かなりオンチなので心許ない。芭蕉だとしたって、本人はどういうつもりだったのか、解説する知識はありませんな。これはやっぱり、単に秋の季節を歌ってるだけのことでしょうかね。

 もの言えば唇寒し。一般的には、自分の知る限りでは、もの言えば災いとなるような環境がある時、その環境やものを言い難くさせる空気、その環境を支配しているものなどを批判、非難する場合に使われていると思ってきた。ちらっとウェブで検索すると、口は災いのもとだから、軽率にものを言わぬよう、なんて使われ方も出てくるように見えるんだけど、とりあえず、ここでは今までの理解だけを念頭に置いておく。

 もの言えば唇寒し、ではありません。
 もの言えぬほど唇寒し。今の自分はこれですね。

 今の自分はものを言わない。昨春までの自分は、「もの言えば唇寒し」だろうが何だろうが、言いたいことは言っていたと思う。今の自分には自分がない。いや、これが今のお前の現実だ、そう自分に向かって言うべきだろうか。とにかく、具体的な自分の内を出せない。生来ものを言いたがる自分としては、ほとんど貝だ。

 しかし、別に何かになびいているから黙っているのではない。何か外部の圧力で黙っているのではない。そういうこととは違う。
 外に向かって、とりわけ直接的に関係する外部に向かってものを言うという行為は、最低限必要な自己評価が自分の内になければ不可能な行為だ。少なくとも、自分の場合はそうだ。大方の人も、その認識の度合いの差こそあれ、まぁ似たような類のことは言えるのかもしれないが。まぁとにかく、自分は必要最低限以上の自己評価を前提に、他人に対してものを言うと思う。自己評価が50や60の頃は臆せず何でも言ったが、今は 0.2 だの 0.5 だの、そんな状態でものを言えるわけがない。ものを言う気など起こらない。そういう意味では、「もの言えば唇寒し」ではなく、もの言えぬほど唇寒し。

 もの言えぬほど唇寒し。俺の場合はこれです。
 ものを言うには一定以上の体温が必要なんですよ。俺の体温、今低いもんね、思い切り。ほとんど凍ってるよ。外の空気が寒くて唇が寒いんじゃなくて、俺の体温が低過ぎるために、唇が寒くてものが言えねーんだって言ってるんだよ。わからん人はわからんでいいよ。どうせ自業自得なんだから俺は。

 いつか、再び、もの言えるような心持ちになれますかね。というか、なりたいし、ならねーと生きてくのきついよ、俺には。いつか、もの言わぬ羊のようになってしまうのは恐ろしいことだ。
 しかし、この先、自分が自分を一定以上に評価出来るようになるなんて、どうしたらそうなるのか皆目見当がつかねーな。仕事で成果出して自己評価するって類のこととは全然違う話なんだからさ。どうすりゃいいのか見当なんかつかねーよ。見当つかねーけど、凌いで生きていかなきゃ、その先だってハナから無いんだからさ、とにかく生きていくのさ。俺は生きる意思はあるようだし、その責任は間違いなくあるんだ。とにかく、生きていくのさ。


03年 2月23日(日)   The Only TRUTH I Know

 今日は今のところ天気がいい。たまに曇ってしまって変な天気だけど、特に昼前は陽射しが明るかった。ずいぶんと明るかった。今の自分には明る過ぎるくらいだった。なんだか、ますます苦しくなった。たまらなくなった。これから本格的な春がやって来て、そのうち夏の強い陽射しも浴びなければならなくなる。正直、たまらないと感じる。

 今日はポール・サイモンの KATHY'S SONG を訳してみた。ポール・サイモンが S&G 時代に出した幻のソロ・アルバム、THE PAUL SIMON SONGBOOK に収められ、後に S&G のアルバム SOUND OF SILENCE にも改めて録音されて収録された曲だ。THE PAUL SIMON SONGBOOK はアメリカでは発売されずイギリスと日本では発売され、少なくともイギリスでは後に本人が回収したという話があるが、今はどうなっているか知らない。ガキの頃、兄貴が買ったそのアルバムが田舎の我が家にはあった。今もあるかもしれない。

 KATHY'S SONG の歌詞は美しい。最後の1行もその表現の美しさが印象に残るが、訳し難かった。
 There but for the grace of you go I
 一度適当に訳したが、後で辞書を引いてあっと思った。
 There, but for the grace of God, go I . この訳は「神の恩寵がなかったらこの自分もあんなふうになっているだろう。」  ポールの1行はこの慣用句(らしい)から来ているはずだ。あんなふうにってのは、文脈から言ったらこの詩(歌詞)における雨( the rain )だし、ポールは、ここで God のところに The only truth I Know である you を置いているわけだ。妙に納得・・・。

 もの言えば唇寒しではなくてもの言えぬほど唇寒しであっても、何がどうあっても、The Only TRUTH I Know があれば生きていきたい。詩人ケンによれば、それがなくたって生きるのだ。しかし自分にはそれがある。それだけはある。
 The Only TRUTH I Know があれば生きていきたいし、生きていかなければならない


03年 3月 1日(土)   schizophrenia

 schizophrenia スキゾフレーニア。

 スキゾと言えばパラノの反対。偏執の反対で分裂です。スキゾで思い出すのは浅田彰の「逃走論」。読まなかったはず(笑)だけど、その本の副題にスキゾキッズって言葉が使われていた。WEB で調べると1984年の刊になっているから、我が学生時代のこと。前年からユーラシア大陸をぶらぶらして帰って来た年です。遥か昔のことだなぁ。浅田彰はその前の「構造と力」が哲学書としてはバカ売れして('83年の刊らしいから旅行中なんだが何故かこのベストセラーのことも記憶にある、でも読んでない、はず、笑)、続いて出た「逃走論」もずいぶんと話題を呼んだ。当時は京大助手で新進気鋭の哲学者ってことだったと思うけど、今は確か教授か助教授辺りだよねぇ。デビューの頃ほどは話題にならなくなったけど、近頃も時折り論壇に名前が出て来ているような・・・。2、3年前だっけ、現長野県知事の田中康夫と対談対論の本を出してました。何かの雑誌の連載の単行本化で、買って読んだけど(全部は読まなかった)タイトルは忘れてしまっていた。今チェックしたら、「憂国呆談」ってのでした。シリーズ化されてて去年も出てますね。まぁまぁ元気なんだと思います。ていうかメディアにそれほど取り上げられなくたって、案外本人は超元気かもしれんし、わかりませんがね。あー、話がどんどん逸れてきた。スキゾキッズが副題にあった「逃走論」って書名は、少なくとも言葉自体はちょっとは象徴的のような気もするなぁ。本に巻かれてる宣伝ビラ(あれ何て言うんだっけ?)には「逃げろや逃げろ」なんて書かれてたような記憶もあるけど、趣旨は何だったっけかな。確か、あの本では肯定的に逃走を捉えていたような気がするんだけど、今自分が考えていることは肯定的な捉え方とは全然違う。ただ否定という言葉は使わない。自己否定、全面否定に向かう気持ちは抑えなくちゃいけないんで。

 schizophrenia(スキゾフレーニア)というのは統合失調症ですね。以前は精神分裂症と言っていたと思います。反対語というか、対照語?というべきか、対になる言葉は paranoia(パラノイア、偏執病)でしょうか。PAUL SIMON の S&G 解散直後のソロアルバム(PAUL SIMON)に、Paranoia Blues という曲がありました。はは、また話が逸れたぜ。やっぱ、あっしは分裂(スキゾ)してるかね。いや、これは単に思いつきが口をついて出てくるだけです。

 この分野は全くド素人です。分裂ってのは心の内で起きる分裂のことなのでしょうが、心の中で分裂が起きているとすると、まずは動かし難い現実の世界から隔てられた、心の中に描くイメージ(世界)があって、その現実世界との乖離が当事者の日常のバランスを崩してしまうほどに際立ってしまっているということではないかと考えます。そしてさらに、その現実との大きな乖離の影響を受けて、心の中のイメージ(世界)そのもののバランスも崩れ、歪んで歪(いびつ)なかたちになってしまっているのではないか。

 ところで、現実世界と心の中のイメージ(世界)が完全に一致しているということ、こういうことは健常者にあっても有り得ないことだろうと思います。ほとんど一致しているということは稀にあるかもしれません。やはり稀有の人というのはいるものですが、これはもう聖人もしくは天才が到達するイメージで、まぁ文字通り超人的な努力をしてその域に達するとしても、それだけのことを成し遂げられる努力も天才のものです。そういうわけで、ほとんどの人間のイメージは、現実と一致しません。一致しないのですが、その距離が当事者がバランスの取れた日常を営むに当って許容出来る距離かどうか、ということが境界線になります。つまり、大抵の人において心象世界と現実が一致するなどということは有り得ないが、しかし大抵の人は、その違いが心の中のバランスを保てる範囲に留まっており、そうである限り、人は現実と折り合いをつけて生きることが出来るということではないでしょうか。イメージ通りの現実世界を獲得することは至難だが、まぁまぁの線で折り合いをつけ、ある程度の穏やかな精神状態で日々を生きているということでしょう。で、大抵の人、つまり聖人天才の類を除く全ての凡人は、通常はその範囲のどこかで折り合いをつけ、時にそこで満足感や幸福感を得たりもしているのだと思います。もちろん程度は人それぞれです。ある人は現実と心の中が描こうとする世界との距離がある程度大きくても、良し悪しは横に措く問題ですが、うまく折り合いをつけて、あるいはその距離とは別の観点に拠り所を作ることもあるでしょう、とにかく(大抵は無自覚的でしょう)バランスを取ります。また別のある人は、距離を相当程度縮めたうえで折り合いをつける(心のバランスを取るためにはその距離と折り合うことが必要なのです)。いずれにしても、人それぞれの程度で、距離を縮めることは必要でしょう。つまり、折り合いがつけられるところまで。

 さて、距離を縮めるには、簡単に言えば二通りの方法があります。現実に力を加えて、心象世界との距離を縮める。あるいは、心象世界を軌道修正して、現実世界に近づける。ただ、実際に人が行なう作業は、その二つを同時に行なう作業だと思います。ある程度は努力して現実を変え、ある程度は妥協して心象世界を加工する。その総合的な作業によって、両者の距離を縮め、そのときどきに心が一定程度の折り合いをつけられる地点でバランスを取る。そういうことでしょう。

 問題は自分のことなのですが、私の距離感です。どうも、大きく乖離しているようです。私がこれまで形成してきた(ということはそれ以上に形成できなかった)私という人格がバランスを取るための許容距離を遥かに超えています。つまり、距離を縮める方法が見当たりません。見当たらないというより、見当がつかないといった方が適当でしょう。乖離というより隔離というべきでしょうか。距離を狭めていく、つまり両者を歩み寄らせる通路、回路が見えないのです。通路、回路を新たに作る手掛かりも、何も見えません。ヒントも見えません。

 私は今まで大した努力という努力もしてませんが、以前までは、まぁそこそこの努力はして、折り合いをつけてきました。バランスを取ってきたと思います。むろん崩れそうになったことはありますが、距離を狭める回路はあり、結局は現実と折り合ってきました。数年前からバランスを保つのが難しくなり、最終的に失敗し、自ら梯子を外してしまいました。そこから現実世界と心の世界が大きく乖離し始め、隔離し、再びバランスを保つということが出来ない状態になっています。あまりに遠すぎて、現実はまるで蜃気楼のようです。

 これは現実の問題であると共に心の中の問題であり、また心の中だけの問題でもあります。心が現実に対して働かない。だから行動出来ない。ものも言えない。行動する時の無自覚的な理由が現実と心の中のイメージの距離を狭めることにあるとすると、今の自分が自分の身体を置いている、心身を置こうとする現実世界と自分の心の中の世界との距離感は、階段もエスカレーターもエレベーターもなく何フロアーも隔てられているというような感覚で、そんなふうに両者を繋ぐ回路がみつからないでいると、現実への能動的なアプローチをする気持ちが起きてこないのです。思考停止ではなく行動停止。生きてはいるから、行動はしていて、つまり受動的には・・・。でも生きていること自体、能動かい、詩人ケンさん。あ、また話が逸れる。いや、とりあえず生きてないとどうにもならないからね、つい詩人ケンさんに立ち返るわけです。
 現実世界に対して心を塞いでいこうとする心の中の働きがあって、それを抑えるために特に意味もなくモノを覚えようとしたりもしています。回路を作ることには役立ちませんが、閉じようとする心の扉に手をかけて、ちょっとでも開けておく効果はあるようです。まぁ少しの時間のことですがね。あとは、とにかく、生きている。この数年体調も良くなかったから、この機会(いったいどんな機会だ)に病院に行ったりもします。で、生きてはいます。

 今のところ、現実世界と心の中のイメージは、永久に交わらない鉄路(線路)のようにパラレルで、途方に暮れます。圧倒されています。自分でそんな世界を選択してしまいました。ずっと自分は誤っていたという気がしています。それでも今の現実は消せませんね。プラグを外すことも出来ない。もうぐちゃぐちゃですからね。ねじれまくった関係性ができて、身動き取れなくなりました。心の中だけの世界ではいろんな向きに向かっていますから、現実と関係なくとも分裂しています。いや元は現実との乖離によるものでしょうが、隔離した状態を無関係な状態と捉えるなら、関係なくとも分裂です。心の中は統合から程遠い状態です。パラレルな線路にまたがって疾走する機関車でも手に入れられませんかね。そんなものあっても燃料がもつはずないね。眼をつむって、心も閉ざして運転できるのかい。・・・それとも、鉄路をねじ曲げますか。いや、やっぱりそれはろくなことにならないんでしょうかね。ねじ曲げる力もないだろうけど。

 自分はパラノでもあると思います。時には強力なパラノですね。この文章がパラノです。一つ一つがパラノであり、それらが繋がらないで分裂しています。パラノだからスキゾなのかもしれません。何言ってるんでしょうか。まぁ今日も息してますよ。どうしたらいいかなんて当分わからないだろうから(ずっとこのまんまって気もしてしまうのがきついのですが)、焦ってもだめです。いや実際には焦っているのですが、しかし同時に言えることは焦るにも覇気が必要で、焦る力も感じないという気分にもなります。だいぶ疲れました。疲れていますが、まだ大丈夫でしょう。とにかく生きる、その理由はあるのですから。いや、理由がなくたって生きるくらいですからね、詩人ケンさん


03年 3月 1日(土)   HEART OF GOLD

 ニール・ヤングのHEART OF GOLDを訳してみました。

 HEART OF GOLD と言えば 1972年のニール・ヤングのアルバム HARVEST に収録された曲。でも僕はこのアルバムをリアルタイムでは聴いていません。アルバムは当時意識してなくて、兄貴が買ってきた HEART OF GOLD のシングル盤レコードを聴いていました。聴いていたのは、小学校6年の頃か、それとも中学生になってからだったか。邦題は「孤独の旅路」だったはず。

 HARVEST は遥か彼方、地平線の彼方です。僕が追い求める HEART OF GOLD は何だろう。