02年 6月22日〜12月27日

最近の子供はどうか分らないけど、今の大人の多くはガキの頃に日記を何日か書いた経験があるのでは?
斯く言う私もその一人、当然この日記も不定期です。 (2001年8月19日、記)

02年 6月22日(土)   パレスチナ問題が「終わる」時は来ないのだろうか・・・

 自爆テロと自治区侵攻の繰り返しがまた激しくなっている。この二つの言葉を使えば、パレスチナとイスラエルのことだというのが既に世界の常識だ。しかし、本来この種の言い方は公平ではない。しばしば使われる表現は「自爆テロ」と「報復攻撃」を一つのセットにするものだが、こうした括り方は、常にパレスチナ側のテロ攻撃が先にあって、イスラエルはそれに対して報復の攻撃をしているのだというイメージを強固にしてしまう。そもそも、このような見方は、現在もしくはこの数十年来のパレスチナとイスラエルの間に対等な力関係が成立しているという、とんでもない虚構を前提にしない限りは成り立たない解釈なのだが。

 むろん無差別テロも軍事侵攻も正当な行為とは言えないが、前者のテロも、元々イスラエルによる数ヶ月前もしくは数年前の過激派リーダー暗殺に対する報復だったりすることが多い。で、イスラエルの特殊部隊が何故彼を暗殺したのかというと、それはそのグループがテロもしくは武装闘争を主導したから、ということだったりする。では何故そうした過激なテロもしくは武装闘争をするグループが生まれたのかと言えば、元を辿れば第二次世界大戦終了後の一方的なイスラエル建国により、多くのパレスチナ人が自らの土地を不当に奪われたという出発点があり(昔々ユダヤの王国があったその土地は、その時無人の土地などでななく、少数のユダヤ人と大多数のパレスチナ人を含む、「有人」の土地だったのだから)、その後の中東戦争でイスラエルがさらに領土を拡大し、国連を含む国際社会の要請をも拒否して新たな占領地の大半を手離さないという歴史の経過がある。あえてその前に溯れば、イスラエル建国運動にはテロリズムが存在したし(被害者はイギリス人の時もあればパレスチナの一つの村の村民ほぼ全てだったりもした)、それ以前には、建国後「イスラエル人」となったユダヤ人自身が、欧米社会(とりわけヨーロッパ)においては、差別と弾圧と虐殺の被害者だったという歴史があって・・・

 何とも言いようがない「連鎖」を感じるが、現在のパレスチナ問題は、もう本当にどうにもならないんだろうか。今月20日のパレスチナの新聞に、パレスチナの知識人やジャーナリストなど55人が、民間人を攻撃するテロ行為の停止を呼びかける意見広告を出したというが、イスラエルに軍事力で圧倒されているパレスチナ側(そもそも彼らには正式な軍隊がないし兵器も貧弱)からこのような声がまとまった声として発されるのは珍しい。こういう声と、イスラエル側の兵役拒否や占領地での軍務拒否の動きが強まっていくようなことにしか、希望は見出せないのかもしれない。今後もアメリカがその大きな影響力をイスラエルに対して行使しないのであれば、引き続き、近い将来の事態の好転はなかなか望めないのではないか・・・。

 イスラエルの戦車の侵攻の中で逃げ惑うパレスチナ人親子の姿をニュース映像で見ると「絶望的」な気分になってしまうが、あそこで生まれ育ったパレスチナ人にとっては、そういう「絶望」はテレビで見るものではないんだよな。「絶望」は彼らには「テレビのニュース」で見るものではないし「新聞の記事」で読み取るものでもないはず。それは彼らの日々の生活の隣りにあり、一人一人の人生と共にあるに違いない。「自爆テロ」を指導した者が狂信的な信仰者であったとしても、少年であり少女である、その「自爆テロ」の実行行為者自身の動機に「狂信」があると決め付けがちなのは、我々が「絶望」をニュースで眺めていて、その「絶望」を想像出来ないからだろう。
 我々はニュースで彼らの「絶望」を見ている。確かにテレビ画面には「絶望」が映されているが、我々が遠く離れた場所に存在する「絶望」を、メシ食いながら眺めて感じ取ることも、残念ながらそれほど容易なことではないのだろうと思う。


02年 7月 6日(土)   人生は長い、と考えるのは容易ではないが・・・

 数日前の新聞広告に、ちょっと(今の私の)胸に迫るコピーが出ていた。その広告に取り上げられた映画のプロデューサーの言葉、ということみたいだけど、とりあえず私にはその文脈やまして映画の内容などはどうでもよくて、そのコピーだけが「一人歩き」して私の胸に迫ってきた。だから、要するにそこで使われていた趣旨や、件のプロデューサーがその言葉に込めた意味はこの際関係ないハナシ。

生き急ぐ必要はない。
こういう時代は、目の前にあることを
一所懸命やるしかない。
そうすれば、未来は切り拓ける。
人生は長いんです。

 ついこの間まで、人生はもう長くない、と思っていた。その延長上に人生の転換があった。だから、今になって、人生は長いんですって言われてもなぁ・・・。しかし、それでいて、今の私の目の前にあるものと、これからの私を考える時、新聞広告で目にした5行の言葉は、やはり胸に迫るものがあった。今の私は、そういう地点にいるってことだろう。それはもう、先が眼で見えないままトンネルに入って、出てみたらそういう場所だったんだけど(なんてことだ!)。でも前は別の意味で暗いところだったしなぁ(それはそれでもう御免、笑)。とにもかくにも、自分で切り拓くしかないってこと。やっぱ、この当り前の言葉しか、ないんだろうけどさっ!。(いや、この当り前の言葉があるじゃないか、って考えるべきだとは思うんだけど、容易じゃーありません。)


02年 7月27日(土)   コンドルは飛んでいく

 サイモンとガーファンクルの、コンドルは飛んでいく・・・

 もともと南米の民俗音楽だけど(ペルーだっけ、確かロス・インカスってグループが演ってたな)、ポール・サイモンがアレンジして歌詞をつけた曲で、「明日に架ける橋」の中に入っていた。小学校5、6年の頃だったように記憶しているけど、僕はこの曲を歌いながら、故郷を流れる川沿いの、木々に囲まれた、そしてもちろん舗装もされてなかった道を、たった一人で自転車で駆けるのが好きだった。

簡単な言葉で彩られた詩なのに、何を言いたい歌なのか、その頃の自分にはずいぶん難しい歌詞だった。今だって、ポールが言おうとしたことは完全にはわからない。 ・・・だけど今は、何だか気持ちのレベルでは、少しはわかるような気がするな。

 まっ、とにかく、今とこれからを向いて頑張ろう。どうやって頑張ろうかって悩ましいことだけど、まぁそれも、いつかわかる時が来るかもしれない。人生はまだ長いはず。どこかでぷつっと切れるその時まで、人生はとにかく続いていくのさ。


02年10月13日(日)   YES

 ジョン・レノンがヨーコと知り合った時、彼女の個展で、脚立か何かを上って天井に記された小さな文字を見たら、YES と書いてあったそうだ。ジョンは、そこに書いてあった文字が NO だったら、彼女を愛することはなかったと後に言っている。

 そんなエピソードが今の自分に本当に関係あるのかどうかはさて置き・・・。

自分は自分を肯定しよう。今を肯定することから始めよう。それがどんなに困難であっても、自分が自分の味方にならなくては生きていけない。自分が自分の味方にならなくては、生きていけないじゃないか。

 今を肯定する( YES )。今を生きる( SEIZE THE DAY )。過去を振り返らない。今をスタートにして、プラス思考で生きる。くじけない。絶対にくじけない。今を生きる。


02年10月27日(日)   音楽は人を癒すか

 昨日、amazon.co.jp でカーク・フランクリンの新譜を注文した。CD はもう長いこと買ってない、久しぶりの買物だ。新譜と言ってもアメリカでは既に今年2月にリリース、日本盤がこの8月ぐらいだろうか。The Rebirth Of Kirk Franklin 、タイトルもいい。

 よく音楽は人を癒す、って言う。本当だろうか。自分はおそらく大の音楽好きで、音楽のない人生なんて考えられない。自分の人生と共に音楽があり、実際、節目節目に記憶に残る音楽がある。しかし、本当に音楽は常に傍らにあるのか。音楽は人を癒すのか。

 本当にへこんだ時、ある一線を超えて落ち込んだ時、音楽は自分の傍らにない。なかった。というか、聴く気にもならなかった。この世に音楽があることを忘れていた。意識に無かった、そう言えば正確かもしれない。それが今回よくわかったことだ。
 これは経験が全てだ。好きなことなど、何もする気にならない。意識にも上らない。「本当に」落ち込んだ時は、音楽すら傍らにない。あなたに「本当に」愛する人がいるとしよう、しかしそれは犠牲的な愛だけではない、人生を共にしたいと考えるような・・・。そういう人があるのなら、傍らにあることを求めるのはそれだけだと思う。音楽はその時、力にならない。音楽が癒しになる時は、いずれ再び立ち上がる可能性を秘めている。しかし「本当に」落ち込んだら、音楽は傍らにすらない。

 好きなクラプトンもブルースも聴かなかった。今も聴かない。こんな時、コアなブルース・ファン(リスナー)なら、やっぱりブルースを聴くんだろうか。自分はとても聴く気になれなかった。というより、音楽があるってこと自体を忘れていた。
 ようやく音楽を聴こうと思うようになった時、最初に聴いたのはサイモンとガーファンクルだった。最初はそればかり。それも、どちらかと言えば、デビュー作の「水曜の朝、午前3時」を含む初期の作品の方に手が伸びる。そのうち、カーク・フランクリンのゴスペルも聴くようになった。とりわけ、気が向いて久しぶりにかけた God's Property の中の My Life Is In Your Hands には直ぐにはまった。今もサイモンとガーファンクル、ポール・サイモン、カーク・フランクリンしか聴かない。たまにクルマに乗る時は U2 の ONE をかける時もある。それが全て。

 音楽は人を癒すか。癒す時もあれば癒さない時もある。音楽を忘れる時もある。「本当に」へこんだ時は、音楽は力にならない。これは自分の場合、だけど音楽は自分にとって個人的な体験だから、これが全て。


02年11月 2日(土)   2002年11月 2日

 今日は自分の故郷では秋祭りの真最中。去年は確か、11月 3日に故郷の祭りに触れ、そこから自分の人生を振り返った。「今」の自分を省みて情けなくなっていた。実は涙まで流していた。あれは一つの契機だった。あれから1年が経った。

 何年も前から迷路にはまり込んでいる。もっと気楽にしていればよかったのかどうか、それはわからないが、そうしてきた自分についても、今は出来る限り肯定しておきたいと思う(実際、出来る限りの話だけど)。自分が肯定しておかなきゃ危ないよ。とりあえず今は、どんなに情けなくとも、自身の今を肯定しておくしかない。実際、思い切り情けないよ。これで情けなくないわけ、ないだろ。だからこそ、自分で自身の今を肯定しておくという逆説。つまりは、それほどに情けないってこと。今それを否定的に捉えたら、自分をまるごと否定することになりかねないほどだ。それで生きていたら不思議だ。

 肯定するってことは、受け入れるってこと。その先は何もわからない。何年も人生の収穫について悩んでいたけど、何か明確な目的を持って、何か「具体的な名前」のある準備をしてきたのではなかった。じゃ何だった? 真摯だったことは間違いないけど、それが何になるか、それもわからない。人生は深遠です。そんな言葉に逃げ込んでいいのかどうかも・・・。
 そりゃ今だって収穫は得たいさ(今の今はそんなこと考える余裕もないけど)。でも収穫って何だろう。HARVEST のある人生ってどんな人生だろう。それは仕事から得るもの? 家族から得るもの? 他の社会活動から得るもの? それらをひっくるめたものから? 何だって有り得るよな。いつか、自分の場合がわかる時はくるのかな。

 相変わらず、カーク・フランクリンのゴスペルか、サイモンとガーファンクルぐらいしか聴かない。今も手に入れたばかりのカークの新譜、The Rebirth Of Kirk Franklin をかけている。いいね。
 この1週間ぐらい、通勤電車では時々、安吾を読んでいた。「堕落論」「続堕落論」「不良少年とキリスト」・・・。何か意味があるかどうか、「堕落論」はたまに読み返したくなる。ちょっと前に、活字が必要かもしれないと思って、かばんに入れおいた。さっと安吾の「堕落論」を選んだけど、どうかな、まぁ何か逆説的な勇気が少しは湧いてくるかもしれない、そう考えたのかどうか。

 2002年11月 2日。 2001年11月 3日から約1年経った。1年経つと同じ季節がやって来る。ぐるっと廻って同じ季節に帰って来たかと思えば、そうじゃない。何も変わらない部分と大きく変わった部分と。それは内面も外面も。今の方がずっとずっと苦しいよ。何も見えない。ちょっと先を見る余裕すらないのさ。自分で選び取ったことの積み重ねは、自分で受け入れなければならない。受け入れる。肯定する。いつの間にか、生きることそれ自体が日々の多くを占める地点まで来た。本当は前だってそうだったんだ。自分がどう知覚するのかってこと。生きることはマボロシじゃない、現実だ。先は見えない。まとまりのある文章になるはずがない。結論なんて、持っているはずがない。結論どころか、手掛かりが見えてるのかどうか。だんだん掴むさ。もう今日は書くのやめるよ。今日の次は明日、明日の次は明後日、そうやって過ごすうちに何か見えることもあるかもしれない。いつか見えてくるさ。そのためには、何も見えない時も、生き続けるってことさ。そんときゃ眼の前のものをまず片付ける。他のことは残りの時間で考えようか。だけど休む時はしっかり休まなきゃな。世の中が平坦じゃないように、一人の人生だって平坦じゃないんだろ。生きること自体がタフな時期もあるんだろう。それ以外の時期のようには出来ないよ。でもあんまりタフだって意識しない方がいいんだろうな。ウソのように気楽に生き抜くことが出来たらいいのに。これじゃ限がないな、記録だよ記録、2002年11月 2日の記録。


02年11月 4日(月)   既にどうにもならないことは、考えない

 有り得た現在を想うのは苦しい。それは既に、金輪際、有り得ないものになっているから。時間を戻してやり直すのは不可能なことだから。

 有り得た現在を想うのは苦しい。それを想うのは「今」からしかない。それが有り得た時に「今」を思い浮かべるのは不可能だった。

 有り得た現在を想うのは苦しい。それは既に、金輪際、有り得ないものになっているから。時間を戻してやり直すのは不可能なことだから。

 想ってもどうにもならないうえに、だからこそ、想えば苦しいこと。想っていることで得られるものは何もない。苦しいだけで得られるものはゼロ。想うことはマイナスにしかならない。

 そんな想いが襲ってきたら、即座に消し去るに限る。それ以外に対処する方法はない。眼の前にあるものに、今とこれからに集中すること。そのことによってのみ、今の苦しみは軽減される。それが唯一の方法。

 過去には未来のオプションがより多くあったのかもしれないが、自分の意思が選択するものは極めて限られていただろう。展望がなく毎日が息苦しかった。

 今とこれからは、しかし、過去にはない発想で人生を生きる可能性がある。過去の自分には不可能だった発想が、可能になるのかもしれない。いつの日かの未来。将来。これから。

 既にどうにもならないことは、考えない。簡単ではないが、しかし簡単なことだ。

 既にどうにもならないことは、考えない。それは既に終ったこと。もう一度やり直すことは、絶対的に不可能であること。それを想うことはマイナスにしかならない。

 過去に戻ることを夢想しない。それは絶対的に不可能だからだ。過去があって今があり、昨日があって今日がある。時間は途切れていない。続いている。何かを引き継いでいる。無駄になってはいない。この間も連続している。これから、何かが何らかのかたちで実になる。形に見えなくとも、何か、実になる。

 他人の境遇を夢想しない。自分は自分でしかないからだ。自分は常に自分であり、それ以外になることはない。この人生を生きるのは、自分だ。他人ではない。
 この人生を生きるのは、自分だ。

 既にどうにもならないことは、考えない。襲われたら、即座に消し去る。これから、生きるために。

 生きることの中には喜びがある。とりわけ、愛する者たちと分かち合う喜びがある。生きることによってのみ、味わうことが出来る、喜びがある。

 生きることが優先する。屈辱よりも悔しさよりも、ただ生きることを優先する。生き続けることの中には、喜びがあるからだ。とりわけ、愛する者たちと分かち合う喜びがあるからだ。生き続けることによってのみ、味わうことが出来る、喜びがあるからだ。

 既にどうにもならないことは、考えない。それは既に終ったこと。もう一度やり直すことは、絶対的に不可能であること。それを想うことはマイナスにしかならない。

 既にどうにもならないことは、考えない。これから、生きるために。


02年11月 9日(土)   厄年はじきに終わる、夜は必ず明ける

 今は決して明るくない。苦しいかと言われれば、そりゃ、十分に苦しい。
 今年は二転三転、精神的には七転八倒。自分の意思で始まったのだから、自業自得。
 体調もすぐれない。足まで痛くなった。MRIをやった。確か、去年も同じ原因でやった。腰からきていた。悪くなってた。軽いヘルニアだ。「何とかこのまま治していこう。」(はい、是非とも!) もう十分大変なんだから、体は何とかなってくれなきゃ。

 昔の言い伝えに倣えば、一昨年は前厄、去年が本厄、今年が後厄。前は気にしてなかったけど、確かに一昨年も苦しいことは多かったし、去年は今の本格的な苦しみに入る入り口があったし、実際悩みまくってたし、今年はもう結果として、大変なことになっちまった。
 昔の人は本当によく言ったもんだ。実際、身体も不調をきたすが、人生の半ばにして精神的には惑う頃なのかも。当事者は評論家のようには言えないけど。しかし、だとすると、四十にして惑わず、ってのは極めて難しい。いや、あれは、そんなこと出来っこないのを承知で、そうなるべきって言ってるのかも? もっとも、人生50年の頃と今じゃ、ハナシが違うよな。ま、出来る人は出来る。出来るアナタはえらい。俺は出来ませんでした。

 年は明ける。厄年も明ける。夜も必ず明ける。明けてくると、何かが見えてくるかも。いや、何とかしなくちゃ、とにかく、生きていくんだからさ。


02年11月 9日(土)   HOPE

 今想うと、文句言いながら、というのは、ある意味、楽だ。吐き出すと少し楽になる。それは、辛い時に酒飲んで一時的に楽になるのに似ているかもしれない。文句言わないより、文句言いながら、の方が、ある意味、楽だ。

 しかし、本当に楽か? 毎日そんなこと出来るか? そんなこと、いつまでも続けられるか? それって、何か希望があるかい? 意味をみつけられるかい?
 きついな、それ。嫌だよな。文句ばかり言って毎日を生きていると、そんな毎日を否定したくなるよな。そんな毎日を生きる自分のことも、嫌になるよな。

 文句言ってると一時的に楽になるが、結局、根本的な解決への方向付けがなければ沈澱していきます。本当は吐き出せてないんだ。

 ポジティヴでなきゃ。苦しい時であっても、ポジティヴな部分を持ってないと。それがなくて文句言ってると、何とか保ってるだけのハナシで、長持ちはしません。

 希望がなきゃ、意味がありません。意味がないと、生きていけません。意味があれば、生きていけます。希望を持てば、生きる意味があります。
 苦しい時でも、必ず希望があるはずです。見ようとするかどうか、です。気持ちがあれば、必ず希望を持てます。希望を持てば、生きる意味があります。希望を持って生きていけば、必ず喜びもあります。喜びが多い時も、必ずやって来ます。俺はそう思っているぞ。


02年11月16日(土)   クリスチャンじゃないけれど

 クリスチャンじゃないけれど、カーク・フランクリン の MY LIFE IS IN YOUR HANDS の歌詞を訳して、「う た」のページにアップした。
 歌詞の中の Jesus は イエス と。

 イエスは YES でもある、ダブル・ミーニング。 YES とは 肯定すること。

 未だにゴスペルと S & G もしくは ポール・サイモン しか聴かない。心底落ち込んでいる間は音楽を聴く気すら起きなかったけど、しばらく前にようやく聴く気になって、何気なく久しぶりにカークさんの God's Property を聴くと、前から好きだった My Life Is In Your Hands に直ぐにはまった。しかも、前と違う感じで心に触れた気がする。クリスチャンではない私だが、おそらくは彼の音楽そのものの力と、もしかしたら彼や彼の率いるクワイアの信仰に向かう魂(ソウル)の力とが相まって、今の私の心を揺さぶるのかもしれない。クリスチャンでない人間が、しかし、そういうものから力を与えられる、ということはあると思う。

 昨夜帰宅すると、BS で、20年ほど前の S & G のセントラルパークでの(一時的)再結成ライヴをやっていた。妻が録画してくれていて、今日改めて観た。やっぱり、いい。今は少しだけ、音楽が癒してくれるようになった。少しだけ、力が出るようになった、と思う。

 苦しい時でも、必ず希望があるはずです。見ようとするかどうか、です。気持ちがあれば、必ず希望を持てます。希望を持てば、生きる意味があります。希望を持って生きていけば、必ず喜びもあります。喜びが多い時も、必ずやって来ます。俺はそう思っているぞ。はは、先週の繰り返しだ。


02年11月23日(土)   そのかわりと神は言った おまえたちに空っぽをあげよう (と詩人ケンは言った)

 4年前に小林よしのりの「戦争論」がベストセラーになった時(私も買って、完読直後から書棚に逆さまにして置いてある)、多くの言論人がアレの批判をやった。その中で、宮崎哲弥というオバサン顔(?)の評論家が、対抗軸に位置する漫画を紹介していて、その論調に妙な説得力を感じた。一つは、水木しげるの「総員玉砕せよ!」。もう一つが、業田良家の「詩人ケン」。

 ピストル自殺する老人が、引き金を引く直前に、詩人ケンにこう問いかける。
 「ケンさん、あんたに宿題・・・  あーたの命より大切なものはなんですか」

 その後に、詩人ケンは、こんな詩を書いた。


生命 (いのち) より大切なものはない
生命 (いのち) より大切なものは何もないのだ
生命 (いのち) が生きてゆくために生きている

理想や目標は
地面に手を付き命乞いをしなさい
生命 (いのち) は本当にかけがえのないものだから
ずっと生きてゆくことです

そのかわりと神は言った
おまえたちに空っぽをあげよう




 (で、その後に、今、今の自分がこう書きます。)

 人間は空っぽだ。しかし、人間は空っぽではない。
 生きていることは空っぽだ。しかし、生きていることは空っぽではない。
 人は時に、死ぬことに理由をつけたがる。
 人は時に、生きることの理由を欲しがる。

 生きることに理由はあるのか。

 生命 (いのち) が生きてゆくために生きている、と詩人ケンは言う。
 そのかわりと神は言った、おまえたちに空っぽをあげよう、と詩人ケンは書く。

 生命 (いのち) が生きてゆくために生きていこう。
 空っぽに水を注いでいこう。
 そのうえ、俺には生きていく理由すらある。
 生きていくことは簡単なことではない。しかし、生きていくことは簡単なことだ。


02年11月23日(土)   THE KEY OF LIFE

 今日、妻に付き合ってもらって、プールに行った。自分の方はほとんど歩行ばかりと、たまにビート版持ってバタ足。腰痛を治したくて行ってみたんで。

 昼飯の後、ホームページに、今日の日記を更新した。ってわけで、これは今日の2本目。

 夕方になって、スティービー・ワンダーの名作、 SONGS IN THE KEY OF LIFE の中の Love's in Need of Love Today を聴きたくなった。家にはカセットがあったはず。この間、たまに思い出したけど、このアルバムの CD は持ってないし、家のカセットデッキは壊れてるし・・・。ん、いやポータブルの方は壊れてなかったんだ。
 結局、ずいぶんと久しぶりに、カーク・フランクリンとポール・サイモン、 S & G 以外の曲を聴いた。そのまま、しばらくかけていた。いいね。

 Love's in Need of Love Today は、我々の結婚披露宴でも使った、記念の曲だ。スティービーは、去年の 9.11テロの後の特別番組で、この曲を歌ってたな。

 SONGS IN THE KEY OF LIFE 、アルバム・タイトルもいい。
 THE KEY OF LIFE 、いい言葉だ。

 生きていくことは簡単なことではない。しかし、生きていくことは簡単なことだ。


02年11月30日(土)   Life, I love you

 サイモンとガーファンクル の THE 59TH STREET BRIDGE SONG (FEELIN' GROOVY) の歌詞を訳して、「う た」のページにアップした。
 子供の頃から好きな曲だ。すごくシンプルな曲だけど、でもイージーじゃない。コーラスもいいし、ふっと肩の力を抜いて楽しめる曲だ。

 こんな気持ちになれる時があったらいいなぁ。そうありたいよな。
 そりゃ今の俺なんて、傍から見たら、どうにもこうにも、かっこつかない人間だよ。
 でもさ、他人がどう思おうが、大事なことは、自分が自分をどう思うかってことなんだと思う、結局。この人生を生きるのは、他の誰でもない、俺自身なんだ。

 Life, I love you ってフレーズが前から好きだった。子供の頃、田舎の家にあった LP の中の歌詞カードでは、こうなってたよ。 人生? 愛してる  って。
 今日は敢えて(?)、 生きてるって最高さ  って訳しました。
 この人生を生きるのは、他の誰でもない、俺自身なんだ。
 生きていくことは簡単なことじゃない。でもね、実は、生きていくことって簡単だとも思ってる。俺はそう思ってるぞ。


02年12月 7日(土)   I've come to look for -

 サイモンとガーファンクル の AMERICA の歌詞を訳して、「う た」のページにアップした。

 AMERICA は AMERICA 探しの「旅」の歌でもあり、わけのわからぬ期待と不安の中で将来をみつめる若者達の自分探しの「旅」の歌でもあり、若き日のポール・サイモンの自分探しの「旅」の歌でもあると解釈します。
 そして、老いも若きも、姿の見えない未来に向かおうとする全ての人の、自分探しの「旅」の歌でもある。そう勝手に解釈させてもらいます。

   生きていくことは簡単なことじゃない。でも、実は、生きていくことって簡単だし、おもしろいし、実に愉快だ(と思わなきゃ生きていく気力が湧きません)。この間ずっと、以前なら歯も浮いたかもしれないような言葉がポンポン出てきます。しかも繰り返しています。それでいて、全然、歯が浮きません。それが現在の私であります。これから、元気になっていくでしょう。だんだん、元気になります。いずれ、パワフルになります。いつか、わかりません。しかし、なります。


02年12月11日(水)   今、謝りたいこと

 私は今、謝りたい。この2ヶ月間、今に至るまで、心にあります。
 私は今、謝りたい。

 私は今、謝りたい。
 私の転進の試みを心から祝福してくれた全ての人達に。
 私の転進の試みの「決意」に耳を傾けてくれた全ての人達に。

 私は今、謝りたい。
 私の転進後の心の中の苦しみに気持ちを傾けてくれた全ての人達に。

 私は今、謝りたい。
 私の転進の失敗に心を傾けてくれた全ての人達に。
 私が元の場所でスタートしようとすることに心を痛めた全ての人達に。
 私が元の場所でスタートしようとしたことに困惑した全ての人達に。
 私が元の場所でスタートしようとしたことを不快に思った全ての人達に。

 私は今、本当に申し訳なく思っているけれども、私は私で、もがきながらも、今の自分の不格好な様を自覚しながらも、そのことを嫌悪するのではなく、そのことをただ在りのままに認めて、生き方を探していきたいと思います。他者からどう見えても、どう思われても、私は今の自分を受け入れます。生きることを続けるために。

 私には味方が必要なのです。私自身が味方になります。私には最愛の家族もあります。大丈夫です。


02年12月11日(水)   自由であることの意味

 クリスチャンじゃないけれど、カーク・フランクリン の FREE の歌詞を訳して、「う た」のページにアップした。
 歌詞の中の Christ は イエス と。

 イエスは YES でもある、ダブル・ミーニング。 YES とは 肯定すること。

 生きていくことは簡単なことじゃない。でも、実は、生きていくことって簡単だし、おもしろいし、本当は実に愉快だ。本当は。本当は。
 これから、元気になっていくでしょう。だんだん、元気になります。いずれ、パワフルになります。いつか、わかりません。しかし、なります。

 必ず希望があるはずです。見ようとするかどうか、です。気持ちがあれば、必ず希望を持てます。希望を持てば、生きる意味があります。希望を持って生きていけば、必ず喜びもあります。喜びが多い時も、必ずやって来ます。


02年12月15日(日)   ボスを買った、辺見庸はちょっと迷ってやめた

 昨日の朝刊の広告に辺見庸の(少し前から出ている)新刊の宣伝があって、ちょっと気持ちが動いた。辺見庸はまともに読んだことはないが、去年の同時多発テロの後の新聞紙上の言論の中で彼の印象が残ってた。たまにメディアで主張を目にするが、共感する時が多い。しかしほんの短い記事の中でステレオタイプな用語を使っているという気がした時もある。実際のところはわからない。広告を見て読もうかなと思ったが、結局やめた。今は気持ちが起き上がって来ない。

 昨日、ブルース・スプリングスティーンの CD を買いに行った。最近は音楽にも倹約気味だったけど、ベスト盤があれば買うつもりで出掛けた。
 通称ボスの音楽は、あまり関心を持ったことがない。もちろん BORN TO RUN を含む有名な曲のほんの少しは知っているけど。去年の同時多発テロの後の特別番組で歌ってた時、改めて、けっこういいなぁと感じたぐらいの程度。ただ、今回買おうと思ったのは、その時の印象とあまり関係ない。
 しばらく前、テレビで佐野元春の歌が流れたのを耳にした。むかーしから思ってるけど、佐野元春って、かなりブルース・スプリングスティーンを意識した時期があったはずだ。というか、あまりに似ている。声色も歌い方も、歌う時のスタイルも。曲調も似てるって思うときが何度も。両者とも熱心に聴いたことはなかったけど(佐野は学生時代1枚買って一時期わりと聴いた)、それでも似てるって思うくらいだ。風貌の違いで見落とし(聴き落とし)がちかもしれないけど、あれ本当は真似してない? これって、やっぱり以前から話題になってるんだろうか。・・・で、ブルース・スプリングスティーンを思い出した。
 何となく、少し元気が出ると思った。どうもわりと苦渋に満ちた曲を歌ったりはしているようだけど、メロディや歌うスタイルに、前に向かおうとする強さを感じることが出来る。9.11 を取り上げた新作もあったけど、それは未だいい。7年も前に出た、当時のベスト盤を買った。
 9.11 の後、たまたまなのかどうか、眠れない日々が続いて、以前からあった、日々の環境を変えてしまいたいという何回目かの想いを改めて強めていった。直接の関係なんてなかったかもしれないが、時期は符合してる。で、甘い賭けは無様な結果となった。今は、あの辺の時期には正面から近づく気持ちを持てない。馬鹿げた話だけど。
 必要なのは、シンプルでもいいから、前向きな雰囲気。音楽から力をもらうってのも本当は甘いけど、どうも今はそういう音楽が必要な時期になって来ているのかも。音楽なんて聴く気にもならなかった時よりは、ずっとマシだ。


02年12月21日(土)   SAY A FEW WORDS

 Say a few words.. Well, let's hope that we're.. Let's hope that we, continue to live..

 (A FEW WORDS that PAUL SIMON said at the request of his audience and was recorded in his album LIVE RHYMIN')

 いつも書いている「生きる」とか live とかって言葉には、もちろん、「いかに生きるか」「どのような生き方をするか」「どのように生きることが出来るか」という意味合いが込められているし、同時に、大前提として重大な命題としての、一方でまた別次元の命題としての、そしてもちろん、カネの問題(これはもちろん重要だけど)とは全然違う、ある意味で 詩人ケン が言うのに近い、あるいはそれと全く同様に、単に生物としてヒトとしての、生命(いのち)のレベルとしての意味を込めている。いちいち書いてないけどさ。両方込めているけど、そして、どっちにより比重を置いているかはその時々で揺れているけれど、それぞれが共に、尚且つ別々に、かけがえのないことなのだ。


02年12月22日(日)   サン・テグジュペリ、クリスマス、アムネスティ

 カタカナ並んじゃったのはたまたま。

 結婚して間も無く、クリスチャンじゃないんだから変じゃんと言って、クリスマスはやめた。でも子供が生まれてしばらくして、「サンタからの贈り物」をしてあげるようになった。子供の頃にそういう夢を信じるのはいい体験だと思い直してのことで、そういう意味では、我々にはそれがクリスマスでなくちゃいけない理由は無い。他のファンタジーでもいいはずだが、たまたまキリスト教を源とするストーリーを借りたってことなのかもしれない。
 だけど、何日か前に、息子が母親に「本当はお母さんが持って来ているの?」と尋ねたらしい。夢の「サンタの贈り物」でなくなって「親からの贈り物」となってしまえば、やっぱりクリスチャンでない我々がやるのは変だってことだよな、結婚当初の考え方に還れば。来年からどうしようか。

 この頃、サン・テグジュペリの「星の王子さま」を家族で輪読している。俺はあれを大学生の時に初めて読んだ。平易な文章なのに、大人が読んでも相応しいって思う。かんじんなことは目に見えない。一番大切なものは目に見えない。

 今日、以前からたまーにグッズを買ったりしていたアムネスティ日本支部に、WEB で入会資料を請求した。会員になると決めたわけじゃない。ちょっと資料を見てみる。何かに、ほんの少しでも実際上の関わりをしていたい気がしてきている。今のままでは精神の症状が悪くなる。処方箋も必要だ。動機が不純だとは思わない。もともと関心あるんだし。プッシュする動機は何でもいいって思ってる。焦らず、しかし少しずつ動きながら考えていかないと。精神の生き死にのレベルから、少ーしずつでも進みたい、とは思ってる。でも、どうしたら本当に進めるのか、どうしたら可能になるのか、何かいい方法でもあるのか、わからない。わからない。名案なんか、有り得ない。何か気が向いたことをしてみつつ、考えていこうか。何か、本気で関心あることを、ちょっとでもやってみる。あるいは関わってみる。と思いつつ。


02年12月27日(金)   サン・テグジュペリ、パレスチナ、脈絡もなく

 今日、サン・テグジュペリの「星の王子さま」の家族輪読というか、息子への読み聞かせというか、とにかく読了した。よく言われるように、単に子供用の童話とは言い切れない、不思議な雰囲気の話だ。何かを大切に想う気持ちがあれば、世界が変わってくる・・・。大人が読むべき本かもしれない。

 ここのところ、BS で連日パレスチナの特集の再放送をやってた(今日は見逃した)。学生時代にリュック一つで旅してから、何度も何度も頭に考えが浮かんでくる土地。それはその後もずっとパレスチナに平和と幸福が訪れず、世界に紛争や悲劇が報道され続けているからでもあるけれど。
(だけど、たぶん俺が旅行した時期よりもさらに 10年以上前(?)までは、世界は彼らに注目しなかった、中東戦争の時期以外は。パレスチナ人がハイジャックなどの実力行使に訴えない限り、世界は彼らに見向きもしなかったのではないか。時代は大きく変わったけど、彼らの境遇はほとんど前進してないようにも見える。)

 今年最後だからって、何にも話はまとまらない。何ともまとまらない、言いようがない自分の1年がもうすぐ終わる。ここで1年て言ったってカレンダーの話。でもまぁ意味ある区切りなんだろうか。とにかく来年も生きる。これからも生きる。ずっと生きる。