'81年に36才の若さで他界したボブ・マーレイのライヴ最高傑作。'74年に6 をクラプトンがカヴァーして大ヒットさせ、レゲエ界のスターが世界のミュージックシーンに躍り出た翌年、'75年7月にロンドンはライシウム・ボール・ルームでライヴ収録されたもの。
4 、7 は、そのタイトル通りに聴く者に「元気」と闘争心をくれる 2曲。もともと名曲である No Woman, No Cry (5)の、本作におけるライヴ・ヴァージョンは、感動的という修飾句が最もふさわしい。オーディエンスとの一体感も完璧である。
アルバム全編を通して、何かに憑かれたように歌い、頭を振り、体を揺り動かす(これは観えないが!)ボブ・マーレイその人の魂の叫びが聞こえる。レゲエとはソウルであると思わせるに十分な一作。
その後、ボブ・マーレイが来日して渋谷公会堂で日本のファンの前に姿を現したのが '79年4月。私はその年に大学に入学し、札幌での新生活を始めたばかりだったが、当時の私は、彼についてはレゲエというジャンルと共に、クラプトンのヒット曲のオリジナル作者というぐらいの知識しか持っていなかった。その名をロック史に永遠に残すであろう、偉大なアーティストの一人であるということを本当に認識したのは、既に彼がこの世を去った後のことだった…。
(2001年8月25日、記)
ジャック・ブルース(ベース、ヴォーカル)、ジンジャー・ベイカー(ドラムス)、エリック・クラプトン(ギター、ヴォーカル)の 3人で'66年に結成され、'68年に解散するまでのたった 2年間だけで伝説を作ったスーパー・トリオ、クリーム。本作は解散の年に発表された、彼らの 3枚目のアルバムだ。
CDでなくレコードの時代は 2枚組というのがあって、おっ大作かと思わせたものだが、このアルバムは最初の 9曲がスタジオ・テイクの 1枚目、残りは 2枚目のライヴ盤に収められていて、内容充実の 2枚組だった。と言っても、私が本作のレコードを手にしたのはクリーム解散後、何たってクリーム解散時の私は'60年代末の高度成長期日本の小学 2年生で、クリームで知ってたのはたまーに食べられたアイス・クリーム、好きな音楽と言えば当時のグループサウンズで、ませガキの私は何故か失神バンドのオックスのレコードを持っていたりした。・・・イカン、脱線し過ぎだ!
スタジオ・テイクの方は、改めて聴くと後世のクリームのイメージからは意外に思えるポップ性や実験性が感じられて興味深いが、この辺はプロデューサーのフェリックス・パッパラルディに負うところが大きいってことらしい。ただ、メンバー個々の実際の音楽的志向はともかくとしても、クリームはそういう可能性も秘めていたバンドだったのかもしれない。もっとも当時の 3人の個性はバラバラに強烈で、結局そんな枠には収まらなかっただろうけど。
やっぱりクリームの真骨頂はライヴ。それはアンサンブルの見事さなどというものではなく、3人がそれぞれやりたいように(勝手に、と言っていいほどに)演奏してぶつかり合いながら結果として作り出されたインプロヴィゼイションの躍動感。その意味で、スタジオ・テイクの 1、6、9 の 3曲は、後の LIVE CREAM VOLUME U にライヴ・ヴァージョンが収められているので、それぞれ比較してみるのも面白いかも。
ライヴ・テイクの方では、ロバート・ジョンソンを大胆に解釈した 10 が、とりわけクラプトンのギターのベスト・パフォーマンスの一つとして今も語り継がれるほどの(しかしクラプトン自身は案外このテイクは気に入ってなかったらしい)、ロック史上に残る名演奏となっている。まとめ役のないまま 3人が 3方向から衝突し距離を置き再び衝突し、それでいて融合していく偶然の産物。これが本当のライヴなんだろう(今とは時代が違います)。残りの 3曲もそんな感じのライヴ・パフォーマンス。その後の時代の数々のハード・ロックのバンドの、ある種の様式美とは一味も二味も違うインプロヴィゼイション。クリームはクリーム以外の何物でもないんだなぁ。
(2002年4月20日、記)
クラプトンの神話の時代("Clapton is God.")の生の音を聴くためのアルバム(クリーム解散後に世に出たライヴテイク)。
1曲目の Deserted Cities Of The Heart (この曲、スタジオテイクとは大違いの迫力)から既にというか、いきなりというか、とにかく「怒涛の」という形容詞がふさわしいライヴ・パフォーマンス。ジャック・ブルースのベース、ジンジャー・ベイカーのドラムス、クラプトンのギターが激しくぶつかりあい、全編息をもつかせないロックとブルースのバトル。おそらくは UNPLUGGED 、Tears In Heaven 以降だけのクラプトン・ファンには、とても想像つかない種類のクラプトン若き日の勇姿!(威張ってるようでスミマセン!) ・・・これを聴かずして何を聴く! とまで私は言ってしまいます。
ヒット・ナンバーの White Room や Sunshine Of Your Love は、今のクラプトンもライヴで演奏する曲だが、この頃のパフォーマンスは一味も二味も違う。というより、味付けなんてのはもはや関係ない話。インプロヴィゼイションとは何かという質問に対する一つの回答がコレです、って感じ。
後にも先にも同じサウンドは無し。こんなロック・バンドはもう 2度と現れない。'60年代後半という時代が生んだ伝説のバンド、クリームの比類なき、唯一無比の音が追体験出来ます。
(2001年10月20日、記)
(2001年8月19-26日にかけてアップし、その後ずっと掲載してきていたものに、★部分を 2016年11月14日に Facebook 上で加筆して訂正した。そのまま放っていたが、2016年12月19日、ここ My Website 上でも 以下の通り 改訂した。)
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クリーム、ブラインド・フェイス等を経て、クラプトンがデレク・アンド・ドミノス時代の '70年11月に発表した傑作。
クリーム時代の激しい、「刹那的な」ものが影をひそめ大きくレイドバック(これって死語?)する一方で、アメリカ南部の音と見事に融合・昇華したそのサウンドからは、抑え切れない、迸る(ほとばしる)ようなエネルギーを感じ取ることが出来る。
ほぼ全てをラヴソングで固めた本作は、当時クラプトンが親友ジョージ・ハリソンの妻パティを愛してしまった、その熱情に突き動かされて完成させたアルバムとも言え、そのギタープレイにもボーカルにも、当時のクラプトンの抜き差しならない感情が込められていると言ってよいだろう。(My Facebook Album titled "Pattie Boyd, George Harrison and Eric Clapton")
Laylaを始め、翌年バイクで事故死することになるデュアン・オールマンとの共演は、ロック史に永遠に刻まれるべきもの。
タイトル作のLaylaは、後年のunpluggedヴァージョンではなく、やっぱりこのオリジナルでなくちゃというのは、おそらく大方のクラプトン・ファンの共通する意見ではないか(私も然り)。
この曲は後半のピアノ・パートがあってこその名曲だが(しかし前半がなければ意味がない)、もともとその後半はドラムのジム・ゴードンが作った全く別の曲だったということは、意外と知られていない。(以下 ★ で訂正)
★1 後半Piano Coda は Facebook 上の 2016年11月14日付投稿 で改めた通り、実際には Rita Coolidge 作曲だった(-_-;)
★2 アルバム・タイトル曲 "Layla" について更に詳しくは 2017年 3月31日付投稿 に。
ちなみにこの 2017年 3月31日付の投稿に添付した YouTube clip は、Pattie Boyd の写真をたくさん使ったファンには垂涎(^^ゞの仕上がりのものです。
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高校時代の私は、当時つき合ってた女の子と別れた日の晩、部屋で Layla の後半ピアノ・パートを聴きながら泣きました。しかし、このアルバムはこの曲で終ってないところがまたイイ。Laylaに続く 14 は、放心してしまった後の心に再び哀しい平静さを取り戻す、小品ながら心に残る佳作。その他にも珠玉のラヴソング、思わず熱くなるブルース・カヴァーがズラリと並ぶ、全14曲。
発表した当時は批評家からも高い評価を受けず、商業的にも失敗。突然ヒットし出したのは 2年後のことで、もちろん現在は、本作に対するロック史上の傑作としての評価は不動のものとなっているが、作品の素晴らしさが必ずしも常に(少なくとも初期は)ジャーナリズムやビジネス上の成功を伴うものではないことを示すよい例と言えるのではないか。
尚、このカヴァー写真をクリックした先にある方が、発表当時(もちろんレコード)のカヴァーのヴァージョンだろうと思う…。
(2001年8月19〜26日、記)
(2016年12月19日、★1 部分、加筆・訂正)
(2017年 3月31日、本作リリース時期についての記述を '70年12月から '70年11月 に訂正)
(2017年 3月31日、★2 部分、Facebook の 2016年11月14日付投稿へのリンクから、同 2017年 3月31日付投稿へのリンクに変更)
LAYLA and other assorted love songsの20周年を記念して'90年に発表された、オリジナル・アルバムのRemixed Version、Alternate Masters、デュアン・オールマンを含むJam Sessions、Outtakesなどから成る3枚組ボックス・セット。当然ファンには垂涎の企画モノ。
(2001年8月19日、記)
ドミノス解散、盟友デュアン・オールマンの死、ヘロイン中毒、活動停止状態からのカムバック・コンサート(ロンドン、レインボーシアター)を経て、'74年に発表された大ヒット作。クラプトンが本作でボブ・マーレイのオリジナル(5、'73年の BURNIN' に収録)をカヴァーして大ヒットさせ、レゲエ界の偉大なスターがワールドワイドな存在になったことはあまりに有名。
他にブルースの古典をクラプトンとカール・レイドル(ドミノス時代からのベーシスト)がアレンジした 1 、ジョニー・オーティス、エルモア・ジェイムス、ロバート・ジョンソンなどのブルース系カヴァー(3、6、9)、カントリー系のミュージシャンの作をカヴァーした 7 など、かなりバラエティに富んだ構成でありながら、レゲエを大胆に取り入れて全体にリラックスした雰囲気で統一感のあるアルバムに仕上がっており、長いブランクの後に再びレイドバックしたクラプトンのサウンドを堪能することが出来る。
クラプトンとサイド・ボーカルのイヴォンヌ・エリマンの共作となる 4 では見事に力を抜いたファンキーなビートを聴かせ、ラスト(10) はバンドのもう一人のギタリスト、ジョージ・テリーのオリジナルに譲り、ギターも随所でテリーにリードを取らせる。そこには、「ギターの神様」であることを強制された時代から解放された、新境地のクラプトンの姿がある。
ゴスペルと言えなくもない? 2("Dear Lord, Give me strength to carry on") とクラプトンのオリジナルである 8 は、本作がヘロイン中毒により、再起不能の可能性すらあったクラプトンのカムバック・アルバムであることを知ればなお胸に迫るものがある、しかしそれを知らずとも胸を打つ、共にドブロをフィーチュアした美しい曲(前者は元ウタがあってクラプトンがアレンジしたもので、後に権利の問題でもめ、一時はカットされてクラプトンのオリジナルの Better Make It Through Today に差し替えられたり再収録されたりしたが、日本での発売当時は 上にリストアップした通りで 2曲目に入っていた)。
ここで一つ白状すると、私は高校時代、選択科目の音楽の授業での作曲で、8 のエンディングで繰り返される印象的なギターフレーズを曲の歌メロのイントロ部分に借用、クラプトンなんて全然知らない音大出の先生(けっこう可愛い先生だったような気がするなぁ)にエラク褒められた想い出があります。先生、このサイト見てたら(んなワケないか)「ごめんなさい」。
そんなザンゲはさて置き(笑)、クリーム解散後のクラプトンの'70年代、'80年代を通じての 2作を選べと言われれば、間違いなくアルバム LAYLA と本作の 2作で決まり!
(2001年8月25〜26日、記)
'92年に発表され、クラプトン自身のその後の音楽活動の方向性に大きな影響を与えた大ヒット作。同年3月に、既に3年前から放映されていた MTV の人気番組 "UNPLUGGED" に出演し、その時のライヴ・テイクから14曲をピックアップして制作されたもので、ギターの音はマイクで録り、オーバーダビングも全く無しの、正真正銘 UNPLUGGED なライヴ・アルバムだ。
クラプトンのオリジナル作品と、ボー・ディドリー(2)、ビッグ・ビル・ブルーンジー(3)、ベッシー・スミス(6)、ロバート・ジョンソン(9、12)、ジェシ・フューラー(11)、マディ・ウォータース(14)などのブルースの名曲とで構成され( 1 はクラプトン作曲のインストゥルメンタル、10 はトラディショナル)、全体から、かなりリラックスしてアーティスト自身が心から楽しんで演奏している雰囲気が伝わってくる。尚、ライヴ当日の、オーディエンスと一体となって文字通り「音を楽しむ」様子は、同名のビデオ作品を観れば、映像で十二分に確認出来ます(このビデオもイイっす!)。
4 は言わずと知れた、前年3月に起きた、息子の事故死という悲劇を受けて作られた曲。スタジオ・テイクは映画 RUSH の主題歌として使われたが、映画自体はさしてヒットせず(実際、映画の方は大した出来ではなかった)、より多くのファンが耳にしたのは、本作のライヴ・テイクの方かもしれない。それまでに幾多の苦難を、周囲にも助けられて何とか乗り越えてきたクラプトンだが、息子の死という最大級の悲劇は、今度という今度はもしかしたら彼は立ち直れないのではないかという不安を、多くのファンに抱かせた。しかし、彼は生ギターを手にし、徐々に生きる意味を見出していったのではないかと想像する。結局ファンの不安は良い方向に外れ、そして大方の予測よりも早く、クラプトンはロックとポピュラー・ミュージックのメイン・ステージに復帰することになった。
前述した通り、かなりリラックスして演奏していながら、さすがに各ミュージシャンのパフォーマンスはハイレベル(サイド・ギターのアンディ・フェアウェザー・ロウは一所懸命さが微笑ましいって感じだけど、笑)。とりわけ、6 や 10、13 などで聴かせるチャック・リヴェール(元オールマン・ブラザース・バンドのキーボード・プレイヤー)のピアノ・ソロは秀逸、素晴らしいの一語に尽きます。
このアルバムの、おそらくはクラプトン自身も予想しなかったほどの大成功(セールスと批評の両面において)が、あのブルース・カヴァー・オンリーの FROM THE CRADLE につながり、彼のその後を方向付けることにもなった。その意味で、まさしくエポック・メイキングな作品と言っていいだろう。
最後に、本当に本当に蛇足ですが(笑)、6 と 11 の本作におけるヴァージョンは、畏れを忘れた私のファミリー・ブルースバンド(?)が、デビューのライヴ(!?)でマネゴト(ちゃんと漢字で「真似事」と記すのもクラプトン様に申し訳ない、笑)させていただきました。うわっ、ホントに蛇足だ!
(2001年11月17日、記)
'94年に発表されたブルース・カヴァー・オンリーのアルバム。クラプトンの音楽のルーツがブルースにあることは誰もが知るところだが、そのクラプトンにしてデビュー以来30年で到達することが出来た境地。
構想自体は以前からあったというが、クラプトンのブルースに対する畏敬の念が、逆に自身を思い留まらせていたのではないかと考えられる。その意味で、前作 UNPLUGGED のセールス・批評両面の成功こそが、クラプトンをついに100%の本気にさせたと言っていいだろう。
ほぼ全編スタジオ・ライヴ録音で、戦前から'50年代にかけてのブルースを中心に選曲。エレクトリック主体だが、アコースティック・ブルースもあり(11、15)、アップテンポあり、スロー・ブルースありで、さしずめ、クラプトンによる“THIS IS THE BLUES”といったところか。
独自の解釈は抑制され、原曲もしくはオリジナル・ヴァージョンがクラプトンを介して忠実に表現されものと評されたりしたが、クラプトンほどのミュージシャンが言わば「コピー」という試みに正面から挑んだことに、本人のブルースに対するリスペクトがいかに深いものかということを読まなければならない。本作は、ブルースの摸倣から始まって、やがて自身のオリジナルなスタイルを築き、そして再び愛情と尊敬の念を込めてブルースという原点に回帰してみせた、ミュージシャン、エリック・クラプトンの文字通りの力作なのだ。(ついでに言うと、このアルバム発表直後のツアーは凄かった! ブルース・カヴァー・オンリーの、しかも鳥肌モノのパフォーマンスでした。)
どの曲のヴォーカルにもギターにもクラプトンのソウルが感じられ、特定の 1曲を取り上げるのは難しい。聴く者のその時の気分にもよるだろう。そこを今あえて曲名を挙げるとするなら、エルモア・ジェイムスの It Hurts Me Too (12)、鬼気迫るボトルネックと入魂のヴォーカル。それと、この中では異色の選曲とも取れる、クラプトンのアコースティックのギター・ストロークが冴える Motherless Child (11) も管理人のフェイヴァリットです。
(2002年2月23日、記)
1998年に発表された、クラプトンの自叙伝的色彩の濃いアルバム。内容はまさにクラプトンのセルフ・ポートレイトもしくはオートバイオグラフィと言っていいものであるが、本人が意識したかどうかに関わらず、UNPLUGGED と FROM THE CRADLE の、アルバムの出来及びセールス両面の大成功を経たからこそ、手掛けることの出来たアルバム・コンセプトだったと言えるかもしれない。狭義の(?)オリジナル・アルバムという意味では、JOURNEYMAN ('89年) 以来約 9年ぶりの作品である。
クラプトン自身と、覆面プロジェクト T.D.F. (RETAIL THERAPY '97年) の時のパートナー、サイモン・クライミーがプロデュースし、クラプトンのブルースに根ざしたサウンドに、現代的な感覚の装飾を施して仕上げられた音になっている(少なくとも表面的にはクラプトンの音としては異色に聴こえる)。
一方で、My Father's Eyes や River Of Tears を始めとして、ほとんど全ての曲の歌詞をクラプトン一人で書き上げたことも、本作について特筆すべき点の一つだろう。例外は二つ、7 はブルースの古典のカヴァー、9 はボブ・ディランのカヴァーだが、これらも実はその歌詞の内容から、アルバム・コンセプトに沿って選曲されたということらしい。
渋谷陽一が季刊誌 SIGHT の 2001年秋季号で、クラプトンを「人生そのものが表現と言っていいアーティスト」と評しているが(彼の人生がどれほど波乱に富んだものかは熱心なファンのよく知るところだが、ここでは詳述しない)、そのクラプトンが表現と同義である自らの人生に、初めて、ある意味で距離を置きつつ真正面から向き合ったのが本作であり、ここでクラプトンはその表現の一つの到達点を示したわけで、本作は彼の長いキャリアの中でも極めて重要な位置に置かれることになるに違いない。
なお、余談だが、この CD のカヴァー・デザインが貞本義行という日本人によって(クラプトンの依頼を受けて)制作されたということも、発表当時わりと大きな話題になっていたが、私自身はこのデザイン、あまり好きではない。これは個人の好みにもよるんだろうが、ファンの一人に過ぎない私個人としては、クラプトンという人とこのデザインの趣味は、どうにもミスマッチのような気がしてならないんだけどなぁ・・・。
(2001年9月29日、記)
コンテンポラリー・ゴスペル界のリーダー、カーク・フランクリンの4作目(97年)。CD のカヴァー裏の写真に写ってるのは 39人か40人(数えるのタイヘン!)、でも本当は50名余(らしい、正確には知らない)のクワイア、ニュー・ネイションを指揮して制作した、ド迫力のゴスペル・アルバム。シングルヒットさせた Stomp は、ファンク界の怪人グループ、Pファンクの One Nation Under A Groove をサンプリングしたものらしい(Pファンクってその筋で超有名だけど、恥ずかしながら私は詳しくない)。
ファンク有り、ソウル有り、R & Bのバラード有り、歌詞を知らなきゃ、ゴスペルって意識しないかもしれない。もちろんサウンドだけでも十分に楽しめる快作だけど、これほどのホットなソウルを感じさせてくれれば、彼のメッセージの意味も知りたくなるよね。クリスチャンでない私だって、そんな気持ちにさせます。やっぱりカークさんのパワーはすごい!
(2001年9月1日、記)
カーク・フランクリンの5作目(98年)。メアリーJ・ブライジやU2のボノなどの大物をゲストに迎えているが、そんなゲストの有無に関わりなく傑作。
ソウルやR & Bだけでなくラップ等のヒップ・ホップの要素を大胆に取り入れた濃密かつバラエティに富んだサウンドは、ゴスペルと言えば「天使にラブソングを」辺りのイメージがほとんどという人(私も以前そうだった)の度肝を抜きそう。ゴスペルを知ってる人も知らない人も、聴いて絶対損しない力作。
私が初めて聴いたカークさんの CD はこれ。私の場合は、はっきり言って眼から鱗が、耳から鰓(エラ)が落ちました!
(2001年8月19日、記)
カーク・フランクリンが白黒男女9人のワン・ネイション・クルーを率いて発表した6作目(2000年)。ラテン系やアフリカの曲をもカヴァーする意欲作。
とにかくこの人が作るサウンドはカッコイイ(ワン・ネイション・クルーのルックスに勝るとも劣らない)。全編通してスピリチュアルでありながら、かつファッショナブル。
カーク自身、外見はとりたててカッコイイ人とは言えないんだけど(失礼!)、機会があったら一度そのステージを観てほしい。
結局この人はめちゃくちゃカッコ良くて、クール(それでいてやたらとホット)な人だってことが判るはずだ。
(2001年8月19日、記)