01年10月25日〜12月28日

最近の子供はどうか分らないけど、今の大人の多くはガキの頃に日記を何日か書いた経験があるのでは?
斯く言う私もその一人、当然この日記も不定期です。 (2001年8月19日、記)

01年10月25日(木)   ドゥービー、ライヴ!

 職場を早退、妻子と合流し、ドゥービー( THE DOOBIE BROTHERS )のライヴへ。場所は東京国際フォーラムのホールA 。近くの洒落たカフェ(?)で軽食を済ませてから会場へ向かった。
 ステージは効果音としてのバイクの爆音と共に幕を開け、いきなり ROCKIN' DOWN THE HIGHWAY と JESUS IS JUST ALRIGHT の 2曲でスタート。昨年リリースしたアルバム SIBLING RIVALRY からの曲を混じえ、さらに新曲、ブルース・カヴァーを含めながら、LONG TRAIN RUNNIN' 、TAKIN' IT TO THE STREETS などの往年のヒット曲を、この人達一体何歳?って思わせる衰えを知らぬパワーでロックさせ、オーディエンスを全く飽きさせない、ノリまくりのパフォーマンス。これぞロック、やっぱ彼らのサウンドはアメリカン・ロックの王様だって感じ。個人的に大好きな曲 SOUTH CITY MIDNIGHT LADY をやってくれたのにも感激したが、BLACK WATER で聴かせた見事なハーモニーにも「大」感動した。トム・ジョンストン、パット・シモンズ、ジョン・マクフィーのトリプル・ギターが迫力満点だったのは言うまでもなく、トムはいい意味でワルノリなくらい、パットはステージ下に降りちゃうし、ジョン・マクフィーもスティール・ギターやバイオリンまでやって器用なところを見せてくれた。ベースとドラムス、さらにパーカッションの 3人のリズム隊も十分パワフルで、これにキーボードとサックスを加えた 8人編成での強力なライヴだった。
 オーディエンスも儀式的なスタンディングでなく、正真正銘のノリにのってのスタンディングが続き、ドゥービーと一緒に歌うシーンも多かった。アンコールの CHAINA GROVE と LISTEN TO THE MUSIC は文字通りの大合唱。小3の息子もノリまくって歌ってたなぁ。
 大半の曲が懐メロと言えば懐メロだが、しかし新曲も披露しつつ、これだけ楽しませてくれるんだから、文句の言いようが無い。俺たちゃロックしに会場に足を運んだんだから、その意味でも大満足。ドゥービーのライヴを観るのは 2回目だけど(息子は初めて)、2回ともベリー・ベリー・グッド。くどいようだけど、とにかくこれ以上無いくらいに満足させてくれた、This is ROCK ! って感じのコンサートでした。

 最後にもう二言、三言。この会場は初めてだけど、キャパとしてデカ過ぎもせず、席も前から15列目で、けっこうライヴ・ハウスっぽい雰囲気で楽しめた(もちろんドゥービーのおかげ)。客はそれなりの年配が多いと予想してたけど、その割に若い人もけっこう来てたな。それと、ラストの LISTEN TO THE MUSIC を聴きながら歌いながら、何故か(?)脳裏をかすめたのが、この曲とシカゴの SATURDAY IN THE PARK 、こういう曲ってホント、平和な世界があってこその曲だよなってこと。あんなにロックしながら、ふとそんなこと考えてしまうなんてなぁ・・・。


01年10月25日(木)   近鉄、ヤクルトに完敗!

 ドゥービーのライヴから帰宅後、日刊スポーツのホームページで日本シリーズ第5戦の結果を確認。近鉄が 2対4 で完敗、ヤクルトの 4勝1敗での優勝が決まった。

 近鉄はシリーズを通して完敗。唯一、大阪ドームでの第2戦が、後半まで敗戦ムードだった近鉄が追いついてからのローズのスリーランによる勝利で、近鉄らしいと言えば近鉄らしい勝ち方だったが、試合内容的には負けと言ってもよく、シーズン中の近鉄の攻めを豪快と言うなら、あの日の攻めは単調、スコアでは勝ったとは言え、シーズン中の好調の時との微妙な違いを感じた(とにかく連打が少ない、ヒットを打つ打者が非常に少ない)。どの試合も、ほとんどの打者のバッティングが淡白。ヤクルト打線の粘り腰とは対照的。闘志が無かったはずはないが、表面には感じられなかった。気を吐いたのはローズ(守備でも打撃でも、最後の試合もローズの 2打点)とリーグ優勝決定前からのラッキー・ボーイ北川。投手では抑えの大塚だけが面目を保ち、打線は他はほぼ全滅。おそらくチーム打率は 1割台だったのではないかと思うし、中村に至っては 1割を割っていたはず(⇒18打数2安打、1割1分1厘、10月27日訂正、どっちにしたってコレが 4番打者の打率じゃぁ負けて当然!)。ローズと共にチームを引っ張らなければならない中村が、2対9 で負けた第3戦の後に「あんなに点差がついていた時なのに。」と最終打席でも胸元を衝かれた古田の配球への不満を口にし、1対2 で(あの近鉄投手陣が 2点に抑えたのに)負けた第4戦の後は今度は「(セリーグは)ストライク・ゾーンが広い。」と言い訳していたのはイタダケナイ。最後の第5戦も(責任感の空回りと取りたいけど)大振りが目立ったようだ。残念ながら、日本シリーズの大舞台での出来からすれば、未だ一流打者とは言えないと評されてもやむを得ないのではないか。古田のここぞという時の力強さと比べてしまったら酷だろうか。調子のいい時はファンを十二分に楽しませてくれるスケールの大きな好打者だけに、来期は何とか(おそらくは)足りなかったテクニックを身につけて、真の一流打者になってほしいと、近鉄ファンとしては大いに期待したいけれど・・・。

 特に息子は近鉄の大ファンで、応援用に何枚もの色画用紙に選手の名前を書き、最後まで一所懸命応援して、その願いはまるで祈りに近いものだったから、息子譲りの近鉄ファンの親としても、何とか近鉄に勝ってほしかった。親の自分の方が途中でカッカカッカしてしまって、息子の方がくじけず最後まで応援することが多かったけど、息子には、勝負はどちらかが勝ち、どちらかが負けなくてはならないんだから、と言って聞かせた。来年の近鉄はもちろん投手陣を強化、それから攻めも、豪快さを保ちつつも、もうちょっとは緻密にならないとダメだろうなぁ。盗塁なんかも少な過ぎるもんな。がんばってくれー!!


01年10月26日(金)   10月20日(NY時間)の Concert For New York について

 遅ればせながら、NY時間で先週土曜の夜(日本時間では21日の日曜日の午前中から午後にかけて)、MSGで行なわれた Concert For New York について。ポール・マッカトニーの呼びかけで企画されたというこのコンサートだが、ビリー・ジョエル、エルトン・ジョン、フー、クラプトン、ミック・ジャガー、メレンキャンプ、U2 、その他に俳優やヤンキースの監督や選手を始めとするアスリートも含め、数々のビッグ・ネームがステージに上がり、また、NY市警や消防局のメンバーもステージで紹介され、盛り上がりは相当なものだったようだ。日本からも VH-1 のサイトにアクセスすれば WEB 上で生中継を観ることが出来、日本時間の昼過ぎになってネットサーフィン中にそれを知った私は、コンサートの終りの方の、確か 1時間弱ぐらいだけを観た。

 あくまでその範囲での感想だが、その限りで先に結論を言えば、9月23日の日記で取り上げた、同時多発テロ直後の追悼チャリティ番組 と比べ、どこか浮わついた、もっと言えば、一部ではハシャギ過ぎではないかというムードさえ感じさせるものがあった。最後に登場したポールが、大勢の他の出演者と共に最後にやったのは LET IT BE 、そう、あの聖母マリア様が登場して LET IT BE って言う、アレです。もちろん意味は深い曲ではあるんだろうけど、なんかなぁ・・・。そして、最後の最後にもう一度大勢でやった曲は、確かその前に一度やった曲の繰り返しで、おそらくはポールが今回のことの為に作った曲、その名も FREEDOM 、私の不十分な英語力でも歌詞の意味は分かったが、特に記憶してるのは、自由の為にたたかう、だったか自由はたたかうに値するものといったようなニュアンスの部分。それがどうも、ポールの妙に明るいパフォーマンスと共に、例えば、深い悲しみに裏打ちされた未来への希望、というようなものではなく、残念ながら何だか空疎な中身の「自由」を感じさせた、とそんな印象を持った私のような人間は、実は少なくないはず。

 ちゃんと調べてないんだけど、追悼チャリティ番組の方でジョン・レノンの IMAGINE をやって観るもの聴くものを感動させたニール・ヤングや、スティービー・ワンダー、ポール・サイモンなどは、今回のコンサートには(たまたまかもしれないが)出演していなかったと思うが・・・。 個人的には、U2 のパフォーマンスがどんなだったか興味あるんだけど。クラプトンは、ああいう企画での役割に何らかの意味合いを期待させるタイプのアーティストじゃないし(私自身はクラプトンのファンではあるけど)。
 FREEDOM という言葉を使うにしろ使わないにしろ、この言葉の持つ意味を歌い込んだ、Vietnam War 時代の Neil Young "Ohio" や 同じく Crosby, Stills, Nash & Young が歌った "Find The Cost of Freedom" を、今回のポールの FREEDOM と比べてみたらいい。前者は間違いなく、今でも我々の魂の奥深いところまで届く名曲さ!

 現代のロックで、あれほどのスケールの企画になってしまったら、多くを望めないんだろうか。ロック・ミュージシャンが今やるんなら、テロ被災者に対するチャリティだけでなく、報復戦争反対をメッセージに込めるものがあったっていいと思うけど。アメリカ人がやったら偽善!? そんなことないさ、そうやってアメリカ政府もそれ以外の全てのアメリカ人も、何でもカンでも帝国主義アメリカンとして一括りにしてレッテル貼って済ませるのは大間違い。現代の歴史の現時点の持ち場で、それぞれが自らの考えを発信していくことからしか、物事はスタートしない。たとえ歴史を振り返って今に生かすにしろ、現在のポジションから世界を変えていこうとするしかないんだ。そうすることでしか、本当には「変わる」ことは出来ないと思う。それが、我々が嫌でも受け入れざるを得ない、しかし、「変え得る」現実というものではないだろうか。


01年11月 3日(土)   マイ・ホームタウン

 生まれ故郷は、今頃秋祭りで賑わっているはず。今日は祭りの最終日。懐かしい同級生達も、久しぶりの顔も含めて、ガキの頃の仲間の時代に戻ったような気持ちで酒を飲み、年に一度の祭りを楽しんでいるに違いない。今年は自分も帰りたい気持ちが強かったが、結局いろいろあって帰れなかった。

 小さな田舎町だけど、故郷にはやっぱり格別の想いがある。遠く離れて暮らし、こんな中年オヤジになってしまって、それでも、というか、だからこそというか・・・。
 故郷を想い、懐かしいガキの頃の時代を思い出し、SIMON & GARFUNKEL の HOMEWARD BOUND を訳して「う た」のページにアップしようと考えたんだけど、やめた。故郷とか家とかがその場所を指すのではなく、ある時期ある時代を指している時がある。何か、ある種の特別な気持ちが入り過ぎて来る気がする。いや、それはもちろん構わないんだけど。今その歌を訳していたら、本当に自分の(自分自身だけの)言葉で詩にしてしまいそうだ。
 故郷と言えば、やはり SIMON & GARFUNKEL の、しかし彼らが解散した後に一度2人が一緒に歌った歌、MY LITTLE TOWN を思い浮かべもする。でもそれはその歌詞がそうさせるのではなく、あのメロディと MY LITTLE TOWN というフレーズのせいなんだけど。

 SIMON & GARFUNKEL の数々の曲は、自分にとって、洋楽の入り口で迎えてくれた音楽。特に小学校高学年の頃から中学にかけての自分を思い出す。今思えば常に洋楽の道案内をしてくれていた兄貴、そしてその頃の、つまりガキの頃の友人の懐かしい顔、女の子を好きになった思い出・・・。子供から少年へと成長していく当時の自分を、しかし青春という言葉すら連想しながら思い出す。

 40を過ぎて、つまり約30年も経って、結局こんなもんなのかい、俺は。・・・いや、ダメだダメだ、絶対今のままじゃダメだと思う。どうしたらいいって、そんなことサッとここに記せたら苦は無いな・・・。


01年11月11日(日)   ファミリー・バンド、デビュー!

 私とパートナーと息子のブルース・バンドが、ついにデビューした(笑、自分で笑ってます)。

 今年のGWにブラック・ゴスペルのワークショップに参加させていただいたキリスト教会、その教会で我々のような素人からプロ・レベルの人まで登場する楽しいコンサートの催しがあり、このホームページをご覧になった教会の方からお誘いいただいて、我々家族もそのコンサートに出演した。
 演奏したのはブルースの古典、Nobody Knows You( When You're Down and Out ) と San Francisco Bay Blues の2曲で、ともに、畏れ多くも、 我が敬愛する ERIC CLAPTON の UNPLUGGED でのヴァージョン。私がギターとボーカル、パートナーがピアノ、小3 の息子はバッキング・コーラスとタンバリン。息子は、San Francisco Bay Blues では、ブルース・ハープも披露(!)した(右の写真、クリックすると拡大、息子がハーモニカを吹いとります)。
 もともと私のギターは大したことないんだけど、ずいぶん久しぶりの人前での演奏で、何だか緊張して指が上手く動かなかったな。それでも何とか1曲演り終え、2曲目でちょっとしたハプニング。San Francisco Bay Blues はギター・ストロークで始め、後からピアノが入っていくんだけど、ほんの数小節で私がコード進行をうっかりミスってやり直し。それがどうもその時、同時にピアノの譜面も譜面台から落ちるハプニングがあったようで、観てた人は、私がストップした原因はそっちと思ったかも。ところが、やり直してもまたすぐに譜面が落ち、2回目は音が聴こえなくなったので私もその異変に気付いて、再度やり直し。いやぁ焦りました。でもその後はオーケー、お客さんも手拍子で乗ってくれて、けっこう楽しんでいただけたのでは、と今は楽観しています。パートナーは上手いんですよ。息子の方はコーラスでも活躍(!)したし、本人も面白かったようで、また演りたいらしく、次は Alberta だ、Running On Faith だ、いや ELTON JOHN の曲だ、などといろんなことを言っています。
 私は演奏の前や合間に、金が無くなったら友達も離れてった、なんて唄う歌や、好きな女の子に逃げられたことを唄う歌を 9才の息子に歌わせることをジョークっぽく話して、これがわりとお客さんにウケて気を良くしたんだけど、そういう意味じゃ、ギターよりトークの方が出来がヨカッタかも(とほほ)。大体、十字架の前で、Nobody Knows You When You're Down And Out なーんて唄ってしまうなんてなぁ・・・。ブルースはゴスペルと音楽のルーツ的にはかなり共通した部分を持つと思うけど、何てったって、単純に言ってしまえば、救われない気持ちを歌にしたのがブルースだからなぁ。まぁでも、救いを必要とする心、という意味では、そんなにかけ離れてもいないのかも(?)。クリスチャンではない私ですが、ステージ上では、ついそんなことまで喋ってしまいました(大丈夫だったかなぁ)。
 コンサートの出演者は子供から中高生、さらに年配の方までと世代的に幅広く、ハンディキャップを持つ人の歌もあり、また、プロ並み(て言うか、プロ?)のヴァイオリンとピアノの合奏もありで、ジャンルも含めてバラエティに富んでいたのが印象的。出演者としても聴く側としても、さすがに心暖まる感じの、楽しいコンサートでした。

 以上、やたらと私的な今日の日記はこれで終わり。人生の苦悩から離れて、音楽の楽しみに熱中出来るのなら最高なんですが・・・。そうはならぬが人の常!? 愛する家族が居るんだ、しっかりしなくちゃ(100パーセントの独り言までアップして、自身を奮い立たせようとしているのが今の「自分」)。


01年11月13日(火)   エルトン、ライヴ!

 職場を早退、妻子と合流し、今日はエルトン( ELTON JOHN )のライヴへ。九段下付近の、何故か(?)中華で腹ごしらえしてから、武道館へと向かった。我らの席は一応アリーナ、でもちょっと後方だ。
 実際の開演は 7時数分過ぎ。終演後時計を見たら 9時50分。Daniel や Rocket Man などの往年のヒット曲から、ニュー・アルバム SONGS FROM THE WEST COAST からの曲、そしてテロに見舞われたニューヨークに捧げられた曲も混じえながらの、約 2時間40分の大熱演。その間、まさしく歌いまくりピアノ弾きまくりなんだから、これはスゴイの一語に尽きます(ちなみにバンド・メンバーは、キーボードが他に一人、あとはギター、ベース、ドラムス、パーカッション)。

 我が家では息子が一番のエルトン・ファン。両親が大好きなクラプトンの出ているコンサートのビデオが家にたくさんあり、その中にエルトンのパフォーマンスが含まれているのが少しあって、そのうちエルトンの曲がお気に入りになったようだ。今では両親も息子の影響を受け、エルトン・ジョンはかなり好きなアーティストの一人になっているんだけど。
 アンコール前の Saturday Night's Alright For Fighting を含むノリノリの曲の連発の時は、総立ちの中で床がズシンズシンと響いてくるのを感じ、何だと思ったら、パートナーを挟んで私の左側で踊りまくりジャンプしまくり(!)の息子の仕業だった。親ながらビックリ! そもそも今日の息子は、かなりの曲をエルトンと一緒に歌っていたようだけど(英語の発音はどうなってるのか知らない?けど、だいぶ歌詞を覚えてしまってるんだよなぁ)。

 アンコールは 2回の大サービス。1回目は Your Song と Crocodile Rock 、2回目は Don't Let The Sun Go Down On Me の後に、最後にエルトンが一人で Candle In The Wind を弾き語り。Crocodile Rock の時は、例の間奏で突然バンドがボリュームを落とすと、オーディエンスが自然とそのままラーラララララー(これ読んでわかるかなぁ?)、気持ちよかったぜーい!
 エルトン自身も Candle In The Wind の前に「素晴らしい」( fabulous )と言ってたけど、今日のオーディエンスには、アーティスト側のパワーを増幅させるようなエネルギーがあったと思う。それはもちろんエルトンの見事なパフォーマンスがあってのことだけど、本当にノッテいて、感動を自然と体で表現していたし、業界ばらまきのチケットで来たような客は少なかったんじゃないかな。特にステージ前がそういう連中に占められるとロクなことにならないけど、今日は全然そういう雰囲気じゃなかった。「本当の」エルトン・ファンが集まって、いい意味で、暖かい感じの、かつ十二分に盛り上がったコンサートだった。


01年11月24日(土)   テロの原因は貧困ではない

 アフガニスタンではタリバンが弱体化し、オサマ・ビン・ラディンやアルカイダも追い詰められつつあるように見える。しかし、ブッシュなどは今回の「戦争」は「テロに対する戦争」だと言っているわけだから、テロが戦争で解決出来る(なくすことが出来る)ものでない以上、やはりこの「戦争」は「終わりなき戦争」「終わりの見えない戦争」と呼ぶしかない。要するに、どれだけ武力で威嚇しても、攻撃しても、甚大な被害を容疑者側に与えても、そのことによってテロがなくなる、ということはない。場合によったら、逆にテロの恐怖は増大するかもしれない。いくら戦争をしかけても、テロリストは、後から後から涌いてくる・・・。そもそも、オサマ・ビン・ラディンが口で何と言おうと、テロリストの目的は近代的な「戦争」に勝利することではない。・・・もっとも、アメリカも、実際にはそんなことは承知の上であって、今後、「戦争」以外の(中東政策の修正もしくは調整を含めた)対策を実行していくことは間違いないとは思うが。

 この間、テロの背景は何かということが、不十分ながらも、何度か新聞やTVニュース等で話題となった。このことで、非常に単純なことがずっと気になっているので、この機会にここに簡単に記しておきたい。

 政治家にしても、評論家にしても、テロの背景や原因として第三世界の「貧困」を挙げるケースが多かった(政治家では例えば小沢一郎にしても然り)。しかし、これは完全に誤っていると言っていい。もちろん、厳密に言えば、原因の一部を構成する場合はあるが、私にとって驚きだったのは、「貧困」を主因に、極端な例では原因の全てであるかのように取りあげるコメンテーターが、あまりに多かったことだ。彼らは、極貧の家庭に生まれ育った少年が強盗殺人犯となるのだというような言い方で、世界を単純に輪切りにしてみせていた。
 今回のアメリカ同時多発テロの実行犯も、金銭的に物質的に貧しい人間というのではなかった。一方、彼らの行為に快哉を叫びかねない、少なからぬ人達の多くは貧困かもしれない。
 しかし、テロの直接の原因は貧困ではない。この世界の特定の地域に、人工的に作られ長期にわたって(その地域の特定の人々にはあたかも半永久的に)存在し続ける不公正が、そのことによる絶望感こそが、テロの原因ではないか。パレスチナ問題は、その圧倒的な不公正を象徴するものだ。
 例えばオサマ・ビン・ラディン本人がどんなに宗教を持ち出そうが、文明の衝突を望もうが、あるいは、実は彼にとっては、サウジに駐留するアメリカ軍の存在が最もアメリカへの憎悪をかきたてているのだとしても、オサマ一人で大規模なテロが実行出来るわけではない。テロが繰り返し行なわれることの背景には、この世界の圧倒的な力によって維持されている「不公正」の問題がある。不当に占領されても、家をブルドーザーで壊されても、何百何千何万という同胞が殺されても、世界は悲しんでくれない。助けてくれない。多くの「よその国」は助けられているのに。パレスチナでは、そんな絶望感が、既に世代を越えて受け継がれている・・・。


01年11月30日(金)   11月28日、ガリレオが死んだ。

 11月28日、ガリレオが死んだ。帰宅したらパートナー(妻)のおろおろした声が聞こえてきて、一瞬何だと思ったら、ガリレオが急に弱っていた。わりと最近も似たようなことがあったけど、ちょっと前まで元気だったガリレオが、夕方 6時くらいに気づいた時は、ひどく元気をなくしていたとのこと。既に、妻は固形のエサに牛乳と砂糖を混ぜたものを、布巾に包んで抱いたガリレオの口に含ませていた。
 ガリレオは未だ 1才弱。ハムスターの寿命は 2〜3年と聞くから、人間にしたら40才ぐらい、つまり今の自分と同じくらいだろうか。たかが動物、それも本当に小さな生き物とは言え、人間 3人家族の我が家では、大袈裟でなく、家族の一員みたいなものだった。このホームページの副題も、ガリレオからのインスピレーションによるものだったんだ。
 我々の夕食も抜きに看護し、妻が食事の支度に向かって俺に交代してから、しばらくの後にガリレオは息を引き取った。本当に衰弱していた。最後に二度三度、口を大きく開け、排尿し、結局俺の手の中で死んだ。最後の最後は、無理にエサを与えてしまったのかもしれない。苦い気持ちで、最後を看取った。

 前日と前々日のガリレオは、異常なほどに元気だった。リス輪を激しく、しかも終わることがないかのように廻し、俺たち家族を、大丈夫かと心配させるほどだった。心配のあまりリス輪を外しても、ガリレオはそれでも動き廻り、ゲージの中をもの凄いスピードで雲梯(うんてい)していた。ヘンだなぁと話していたんだけど(以前にもあった)、あれは一体何だったんだろう。

 翌29日、ガリレオは妻と息子によって、水仙の球根と共に庭に埋められた。短命だった。だけど彼(オス)は、俺たちをいつも楽しい気分にしてくれていた。俺たちの仲間だった。

 30日、クラプトンのライヴで、Tears In Heaven の時に横からかすかな泣き声が聞こえた。終演後、妻に聞いたら、妻は泣いていたということだった。俺が確かに聞いたのは鼻をすする声(音?)で、妻は違うって言うから、俺が聞いたのは他人のものかもしれない。いずれにしても、妻はガリレオを想い浮かべていたようだ。ガリレオはそのくらい、俺たちのなかでは大きな存在だった。妻は特によくエサをあげていたし、ガリレオの(まるでテーマパークのような)遊び場を、ダンボールで作ってあげたりもした。息子にも悲しい出来事だったはずだけど、むしろ、妻や俺にとっての方が、大きな出来事だったかもしれない。

 ガリレオの写真や動画は、このままホームページに残す・・・。


01年11月30日(金)   EC 、ライヴ!

 今日はクラプトンの東京での公演、3日目。職場を早退して妻子と合流し、エルトン(11月13日)の時と同様に何故か(?)九段下付近の中華で腹ごしらえしてから武道館へ。クラプトンのワールド・ツアーもこれで最後かもと思うと、高いよなぁとボヤきながらもやっぱりツアー・プログラム(パンフレット)を買ってしまったが、これが予想に反してかなりイイ。よくあるメンバーの写真とプロフィール程度というのではなく、けっこう中身の濃いクラプトンのインタヴューが中心で、リハーサル中のメンバーとの写真も多数。今回のは買って損無かった。

 今月19日から始まった日本公演のセット・リストは例によって既に Web上を飛び交っていて、自分は先に曲目を知っちゃったからって感動が薄れるってことはないんでしっかり情報は得てるんだけど、関心は唯一21日にノリがイマイチでやってくれなかったという、ラストの Somewhere Over The Rainbow を他の日同様に今日ちゃんと(!)やってくれるかってこと(ちなみに21日は Wonderful Tonight も無かったらしい)。そして、もっと言えば、もちろんクラプトン自身のノリがイイかってこと。

 結論を先に言っちゃうと、かなり良かった。ベリーグッドです。クラプトンのコンサートに行くのは今回 7回目だけど(妻は 6回目、息子は 4回目)、前回('99)と前々回('97)は正直言ってクラプトンの大ファンとしてはわりと不満の残る内容で、何となく中途半端な印象が残る出来だった。それが今回は全く不満無し! というか大満足の、ちょうど 2時間のライヴ。既にロック・スターという枠を越えてしまったクラプトンというミュージシャンの、アーティストの、文字通り円熟を感じさせるパフォーマンスでした。バンドの演奏もタイト、引き締まっていたし、女性コーラスの無いこともベースのネイザンを始めとするコーラスでキメていて気にならなかった。それと、最早今さら言うまでもないって感じだけど、ギタリストとしてミュージシャンのキャリアをスタートさせたクラプトンの、ボーカルの素晴らしさ! 特にこの数年で、ますます歌が上手くなったという気がする。
 ちなみに本日のセット・リストはこちら。最初の 2公演では My Father's Eyes もやっていたようだけど、大阪 3日目から落ちている。それと、Have You Ever Loved A Woman のところは、日によって Stormy Monday だったり、Five Long Years だったりするようだ。

 クラプトンがステージに現われたのは 7時数分過ぎ。一人で現われ、Key To The Highway をアコースティックで。これがカッコ良かった。もちろん見事なギター・ワーク! この後バンド・メンバーが登場して 2曲目の Reptile へ。 Reptile はジャズというかフュージョンっぽいインストゥルメンタル、これもカッコ良かった。何たって、ドラムスのスティーヴ・ガットを始めとして、バックもイイもんねぇ。
 Change The World まではアコースティック・セット。ここでの聴き慣れた曲もけっこう歌メロなんかが一部変わっていて、わりと新鮮に聴けた。演奏もかなり締まってる。
 River Of Tears からはエレクトリック・セット。この曲のストラトは唸ってた。Badge から Hoochie Coochie Man への間断無い入り方もキマッテいて、Hoochie Coochie も今日は特にメリハリあるサウンドでグッド。Have You Ever Loved A Woman のギターも十分サエてたな。Wonderful Tonight の後半はデビッドのキーボード・ソロ。この曲は女性コーラス隊 2人のうちの一人のケイティ・キッス―ンが後半でスキャットを聴かせるパターンが多かったけど、今回のツアーはコーラス隊無し。だけどデビッドのキーボードも違った雰囲気でなかなかイイと思うんだけど。Layla ではデビッドがギターを手にしてのトリプル・ギター。ちょっとヘビーなサウンドの Layla だった。やっぱ、この曲はオリジナルのエレクトリック・ヴァージョンがイイ。後半のピアノはグレッグが担当。

 アンコールは 2曲で、1曲目は Sunshine Of Your Love 、この曲もずいぶん聴き慣れた曲で、ファンとしてももういいかって感じになって不思議じゃないんだけど、これも今日の完璧なバンド・パフォーマンスのおかげもあって、かなりノレた。クラプトンのスローハンドな(?)ギターも良かった。
 最後の最後はイントロ演奏しながらメンバー紹介、そのまま Somewhere Over The Rainbow へ(やってくれました!)。クラプトンは何故この曲を選曲したのか、本人に尋ねてみたい気もするけど、いいラストだったな。名残惜しい感じを残しつつ、しかし本当にいいエンディングだった。コンサートはクラプトンの God bless you all ! の声とともに終了。双眼鏡で見た他のメンバーの顔も満足げな顔だったな。

 ところで、今日の席は我が ECライブのオーディエンス史上最悪のポジション。2Fスタンド席のかなり奥で、しかもステージに向かって(というか向かえない!)右側の真横。それでも今日のライヴは十二分に楽しめた。最近日常生活で落ち込むことの多い自分だけど、音楽はやっぱりいいなぁ。まさしく癒されたという感じだった。妻も息子も満足したようで、息子も Badge とか Sunshine とかは一緒に大きな声で歌ってた。


 ・・・そして、我々が訃報を知ったのは帰宅してからだった。

 クラプトンの親友、クラプトンの人生から切っても切り離せない存在だった、あのジョージ・ハリスンが、ロスの友人宅で死去した(現地時間11月29日、日本時間では30日)。このニュースを先に知っていたら、とりわけクラプトンがジョージと共作した Badge や、ジョージの当時の妻パティを愛してしまって悩み苦しんで作った Layla 、歌詞からすれば Tears In Heaven などの曲を、ファンとしても違った聴き方で聴いていたのかもしれない。
 クラプトンにとってジョージがどんなにかけがえの無い存在だったのか、ファンであれば、具体的な事実の数々は知っている。日本では夕方のニュースで配信されたようだが、クラプトンはそれを知ってから武道館に向かったのだろうか。 ・・・何とも適当な言葉がみつからない。
 プロに徹したパフォーマンスという言い方もあるようだけど、しかしそういう表現では正確に言い尽くせないのではないかと思う。もともとクラプトンはそういう時にさっと気の利いたコメントを出すタイプではないし、即座に、急ごしらえの追悼の演奏をやるような(それが悪いということではない)タイプでもないと思う。クラプトンの心の奥深い部分で何があったのか、想像は出来ない。おそらくは、時間をかけて、クラプトンの創作活動に影響を与えていくのではないかと思うけれども・・・。
 この数年の間のクラプトンは以前と違うスケールを感じさせるんだけど、しかし、それでも彼は、今度も残される側の人間として十字架を背負うことになったのだろうか。

(翌12月1日の報道で確認したが、やはりクラプトンは訃報を知ったうえでコンサート会場に向かったようだ。) 


01年12月15日(土)   クラシック・ギターの名演奏を生で聴く

 今年のGWに妻と参加したゴスペル・ワークショップを主催し、先月は 3人家族のバンドで出演したコンサートを主催していた教会、恵泉キリスト教会みどり野チャペルで、昨日はクラシック・ギターのコンサートがあり、やっぱりこれも 3人で出かけて聴いて来た。

 演奏したのは、STEVE TURLEY 氏。国際的な賞も受賞しているようなトップ・レベルのギタリストということだが、日本にはキリスト教の教会の招きで何度も来日しているらしい。
 SILENT NIGHT を含む、クリスマスにちなんだ曲が中心。他にも、「禁じられた遊び」や、また、ご本人のオリジナルも演奏した。自分はロックやブルース系が趣味なので、日頃はクラシック・ギターにはあまり馴染みがないが、しかしジャンルは別でも、美しい音楽は人を感動させます。演奏も良かったし、ご本人のキリスト教についての話やクリスマスの由来についての話も良かった。
 自分はクリスチャンではないけれど、人は何故幸せを求めるのか、幸せとは何かとか、どのようにして幸福は得られるのだろうかとか、何故人生には苦しみがあるのかとか、そういった話自体は普遍的だし、この数年の自分自身にとっては、どこか身につまされる話だ・・・。
 演奏後はご本人の CD を購入し、直接ご本人に素晴らしい演奏への感謝を述べる機会を得た。息子宛てのサインもしてもらった。非常に暖かい感じの人でした。


01年12月28日(金)   来年は明るい年に!

 2001年最後の更新。極めて個人的な独白。

 今年良かったこと・・・。息子と妻の健康。自分も何とかモッタ。ガリレオを飼ったこと(でも死んだのは悲しかった)。GW のゴスペル・ワークショップ。11月の家族バンド、デビュー(? 息子も一緒にデビュー)。5月のジャパン・ブルース・カーニヴァル(オーティス・ラッシュ)、8月のカーク・フランクリン、10月のドゥービー、11月のエルトン、クラプトン。息子が大好きな近鉄のリーグ優勝とローズの55本日本タイ記録(新記録ならず、惜しい)。そして、このホームページの立ち上げ。

 感謝したいこと。妻の励まし。息子の存在、笑顔。本当に力になっている。いくら感謝しても足りない。

 今年ダメだったこと・・・。今年も、我が人生のハーヴェスト、その手掛かりを得られず。これに尽きる。で、自分の身心の状態(健康の具合)が、わるくなってきている。この 5年来、波はあっても、結局どんどんわるくなってきている。嫌なヤツになってきた。いいかげんに何とかしなくちゃ。

 今年の世界・・・。暴力の連鎖。

 来年こそは、と願うこと。やっぱり、ハーヴェスト、その手掛かり。もうトシだもんね。でも、まだまだ先があるもんね。このまんまじゃ、いかん! だけど自分の努力も足りないんだろうな。今までの自分がしてきたことを振り返り、してこなかったことを考えると、自分の不甲斐無さに愕然とする。でも愕然としてばかりもいられない。前を向かなきゃ。夢や期待は捨てない。やれることはやる。当り前のことをするしかない。

 来年の世界・・・。現実化することを願うこと。ものごとを原因に立ち返って考える。対処療法だけ(では悪化する)ではなく、根本的な原因に立ち返って、問題の解決に当る、解決への過程を方向付ける。WAR IS OVER if you want it !

 以上、極めて個人的な独白。