04年 1月17日〜1月25日

最近の子供はどうか分らないけど、今の大人の多くはガキの頃に日記を何日か書いた経験があるのでは?
斯く言う私もその一人、当然この日記も不定期です。 (2001年8月19日、記)


04年 1月17日(土)   ワシントンへ

 本日の1本目。

 JOHN MELLENCAMP の T0 WASHINGTON を訳した。この歌の英語は簡単。CDに入っていた訳詞ともそれほど違わないと思う。まぁ僕ふうの言葉使いにはなってますが。

 ずいぶん昔はジョン・クーガーとかジョン・クーガー・アンド・メレンキャンプとかだったりの記憶もあるけど、JOHN MELLENCAMP は 彼本人の本名らしい。
 前は名前だけ知ってて曲聴いたことなかったんだが、10年以上前のディランさんデビュー30周年トリビュートのトップで演奏された彼と彼のバンドの LIKE A ROLLING STONE を聴いて強烈な印象を受けました。その後、何年か前に1枚( ROUGH HARVEST )を買って聴き、小細工がない、しかし荒削りでもない、だけど妙にロック・スピリットを感じる、その音楽を気に入ってました。

 彼が昨年ブッシュを非難するメッセージが含まれた曲を発表したことは、いつか新聞で読んで知っていた。ちょっと頭の中に残っていた程度だったんだが、先日たまたまテレビをつけてる時に、ピーター・バラカンの番組でその曲のビデオ・クリップを紹介してた。つまりそれを偶然見たんだけど、いや衝撃的でした。ややアップテンポなフォーク調の弾き語り、歌詞が下に流れると共に、右半分には、アメリカもしくは世界で「偉人」とされる人たちの発言が紹介されていく。リンカーンとかケネディとか、アインシュタインとか・・・他にも何人かあったと思う。発言は例えば、「抵抗すべき時に沈黙しているのは罪である」といったもの。そして、メレンキャンプの歌う歌詞は痛烈なブッシュ批判。曲の名前は TO WASHINGTON ・・・

 アメリカでは当初ラジオで放送自粛、メレンキャンプの地元のインディアナポリスの新聞でも「自国のリーダーに恥をかかせるのか」といったバッシングがあったそうです。

 こういうの日本では「反戦歌」と言ったりするんだろうけど、どうもね。
 アメリカでも Antiwar Song とか呼んでるのかもしれないが、日本の言論とか表現行為の風土とか近年の歴史などの下で「反戦歌」とレッテル貼られてしまうと、なんか うた とか 音楽 ではなくなってしまうような気がしまして。

 昨年末にはカントリーの大御所ウィリー・ネルソン翁が、How much oil is one human life worth  And what ever happened to peace on earth と歌う曲 What Ever Happened to Peace on Earth ? が発表され、年が明けてからネルソン翁が支持する民主党の大統領選候補応援のために歌って話題になった。 They're gonna kill us, So we gotta kill them first って具合にブッシュ政権の先制攻撃政策までストレートに取り上げててすっげ分かりやすい歌詞です。ちなみにネルソン翁も、上述のディランさん30周年トリビュートで観聴きして以来、気になるアーティストの一人です。アウトローじいさんって感じ。

 彼らはいつも Antiwar Song を歌ってるわけじゃない。彼らは うた を歌っているのだ。彼らは うた を通して、彼らが日常生活で得る考えや感情を 表現 している。そういうことですよね。たまたま、時にその中に政治に関わるものがあるだけのことだ。っていうかさ、政治が土足で(日常)生活の中に踏み込んでくれば、そのことを うた にしても彼らには自然なことだろう。そういうことはニール・ヤングの「表現行為」にも言えると思うな。彼の場合、家族あっての表現行為って言っていいぐらいに感じるけど。

 (ちなみにファーム・エイドと名付けられたアメリカ農家救済プロジェクトがあって、チャリティ・コンサートが行なわれたりしますが、このプロジェクトを始めたメンバーのなかに、メレンキャンプもネルソン翁もニール・ヤングも、一緒に名を連ねてるんですねぇ・・・。)

 彼らは政治屋ではありません。表現者です。だけど、別に政治に関与すると取られるような うた を演らなくとも、もともと「表現行為」はある意味、政治的なんじゃないかな。
 「政治屋の政治」的な、狭義の「政治的」って意味じゃないよ。もっともっと拡い、広い意味。誰か偉い人が昔、言ってたんだよね、人間は「政治的」動物だって。(他の)人の思考とかスピリットとかソウルとかエモーションとかに働きかけ、「社会」をつくる、一人一人の人間もその「社会」のなかで生きるわけでしょ。「表現行為」はたった一人で自分だけに向かうような例外を除けば(いや事後的には時にはそれすら)ほとんど元来(他の)人に働きかける行為ですよね。であれば、それはどんなメッセージであれ表現のしかたであれ、拡い広い意味の「政治的」行為だと思うんです。

 ここでこれ以上くどくど書こうとは思わないけど、要は、日本における言論や表現の世界で「反戦歌」と呼ばれてしまうと、その時点でその うた は うた でなくなってしまって、狭義の「政治」になってしまうように感じてるわけです。「政治」というレッテルが貼られて音楽から離れてしまうんです。ロックなんて何の興味もなかった人間がさ、突然、へーこの歌イイねぇ、なんて言いかねない。で、その字面しか読まない。うた は聴いてないんだよ。
 アメリカでも Antiwar Song と呼ばれれば狭義の「政治」の世界に引き込まれていくんだろうけど、それでもその うた に力がある限り、うた は うた であり続けると思うな。うた でありながら、時には「政治」が道具にもする、そういう感じかね。
 昔々はどうだったか分からないけど、日本で日本語の「反戦歌」って言葉が使われてしまうと、なんか反って うた の本当の意味が捨象されていくような気がして嫌なんだな。

 さて、JOHN MELLENCAMP の TO WASHINGTON を含むアルバム TROUBLE NO MORE 、つい最近買いました。TO WASHINGTON は Traditional で、かってウディ・ガスリーも歌ったことある歌のようですが、今回、JOHN MELLENCAMP が新たにアレンジして新しい歌詞をつけたということのようです。
 その他にはロバジョンの STONES IN MY PASSWAY や サンハウスなどブルーズの古典のカヴァーがあれば、僕が中1の頃にカーペンターズが NOW AND THEN のなかでカヴァーしていた名曲 THE END OF THE WORLD もあり、ブルーズからロック、ポップス、フォークなどの音楽を、「演り過ぎ」もなく逆に不足も全く無く、見事に表現しきっています。気に入りました。っていうかさ、かっこいいんですよ、演奏も歌も。

 トム・ペティのいう「ロックは attitude が大事なんだ」、僕はメレンキャンプの音楽表現のなかにその attitude を感じ、ロック・スピリットを感じました


04年 1月17日(土)   カーネギー国際平和財団、続編

 本日の2本目。

 前回の 1月12日付日記の続編です。
 在ワシントンのシンクタンク、カーネギー国際平和財団ですが、1月13日の朝日の記事にも登場、そこでもリベラル系のシンクタンクと紹介されています。記事に出てるんですが、1月 8日に財団が発表したのは、「大量破壊兵器の脅威の組織的な歪曲」に関する報告書というもの。同財団のジェシカ・マシューズ会長は、国連査察団の報告書に「もし、・・・すれば」とあるとブッシュの演説に引用される際にはその条件が(もちろん意図的に)落とされ、既に多くのWMDが存在していると強調されたこと、「可能性」が「事実」にすり替えられ、小さな脅威は恐ろしく差し迫った脅威に変えられたことなどを会見で語り、「情報操作の実態」があったことを断言したそうです。

 となるとやっぱり、ネオコンのアナリストでブッシュ政権のブレーンの一人であるロバート・ケーガンが、この財団の上級研究員という肩書を持ってるとしたら、それはそれでビックリかな。このあいだ買った「世界」のなかの天木直人の論稿にそのことが出てたんだけど、そのあと買った「論座」の方の天木直人の別の論稿の方には、ロバート・ケーガンの名が出ていても、この財団の肩書は併記されてなかったから、何かの間違いだったのかな。・・・ちょっと分かりません。

 アメリカってへんにフトコロ深かったり、何でもありだったりする場合ありますよねぇ。時にはむちゃくちゃ「大政翼賛会」ならぬ「大勢翼賛会」的社会になる時もある一方で(昔のマッカーシズムとかさ)。ま、この件これにて。


04年 1月17日(土)   息子のホームラン

 本日の3本目。

 木曜日、息子がホームラン打ったそうです。
 と言っても、バッティング・センターでの「ホームラン」。
 と言っても、バッティング・センターでの「ホームラン」も、実はなかなか難しいんです。僕も一度、妻子と行きましたからね。まぁ僕には椎間バッティング・センターでして、腰がひどくなっただけ、「ホームラン」なんてとても打てませんでしたが。

 そこのセンターは「ホームラン」打った人は名前が貼り出されていて、息子の名前もさっそく掲載されたとのこと。良かったねぇ。いやぁメデタシめでたし!_


04年 1月17日(土)   アムネスティ・フレンズ

 本日の4本目。

 アムネスティ・フレンズ、支援会員ってとこかでしょうか、今週更新しました。去年「フレンズ」メンバーになったのはこの時期でした。

 まぁアムネスティには前から微力であっても協力してて、ずっと以前からグッズを買ったりしてました。近頃はアムネスティの手袋つけて通勤、スーツの上着には Give Peace a Chance のリボンと共に、アムネスティのバッジをつけてます。
 っつーわけで、今後ともアムネスティに


04年 1月17日(土)   二郎さん「神経科」日誌

 本日の5本目。

 近頃はユメ多し。何度も目覚めたりもしますが、目覚めた時はいつもユメの途中。つまりユメを憶えてる。つまり、眠りが浅い。結局翌日の昼間きつい。連日になるからタマル。きつい。たいへんです。
 ってんで昨日寄ってヤクちょっと変わりました。っていうかぁ・・・就寝前のヤクに追加ヤク


04年 1月17日(土)   2004年 1月16日帝国陸軍イラク先遣隊、日本出国

 本日の6本目。

 お題の通りです。ちょっとクウェートで調整してからイラクへ行くみたい。

 最終的に本隊がイラクに「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」して、極力全員無事に帰ってきて「任期」を終え、アメリカ大帝国への忠誠を犠牲者なしで示すのがベストのシナリオでしょう。いずれにしても目的はアメリカの仲間であることをアメリカに示すことです。「イラク人道復興支援」などではありません。
 同じ日本人である「自衛隊」員の境遇を想うと何とも言い様がありません。どうしてコイズミは雄弁でいられるのでしょうか。


04年 1月17日(土)   コイズミ曰く「イラク派兵反対派は明治維新時の鎖国派である」

 本日の7本目。

 要するに、コイズミはお題の如く言ったのです。昨日の朝日朝刊から拾っておきましょう。

 コイズミは 15日、帝国陸軍イラク先遣隊の日本出国の前日、自民党全国幹事長会議など党の会合での挨拶で、以下のように吠えたそうです(犬だもんね)。

 「(明治維新では鎖国派も結局は)開国の先頭に(共に)立って近代国家を築き上げた」

 「(「自衛隊」派遣について)一国平和主義が良いのか、国際協調が良いのか、(幕末と)似たような国論で二分されている。いま理解して頂けない方々にも粘り強く説明して、ご協力頂けると思う」

 さらには・・・
 「おそらくこのイラクの問題が大きな参院選の争点になる」


 ・・・コイズミくんよ、鎖国はあんたのアタマの中だ。あんたのアタマの中では、日本国は実質アメリカとだけお付き合いして、その他の世界とは「鎖国」でいくホーシンになってるよ。そんなにブッシュくんが好きなのかい?

 さて、日本の国民のみなさーん、「参院選の争点」だってよ。バカにされてるぜ全く。

 そう言えば、1月9日の石破軍事オタクによる陸軍先遣隊と空軍本隊へのイラク出兵命令翌日以降、世論調査の数字が変わってきてますが、日本人のアタマが心配です。 JNNでは何と17,8 ポイント上下してイラク派兵賛成が反対を上回り、NHKの 1月10〜12日の世論調査では、コイズミ政権支持率が前回より 8 ポイント増の 54%、不支持は逆に 9ポイント減の 35%(イラク派兵は反対の方がやや多い程度の二分)。

 米英のアングロサクソンは、初めは消極的国論の場合も、実際の派兵後は自国兵士への心情が影響して派兵支持増と出る傾向があるらしいが、日本のケースはそれとも違うだろう。
 もともと日本では、今回のイラク問題で世論調査をやれば派兵反対の方がずっと多かった。しかし新聞社や通信社、テレビ局などから訊かれたら否定的な回答をするという程度の話だ。米英のような数万以上の規模のデモなんてめったなことじゃ起きないし、意思表示する人も少ない。ッパンジン(っぱんじん、一般人)も、言論人も、ミュージシャンも、俳優も、誰も彼も彼女も。
 そりゃいるよ、いるけど少数だ、意思を見せるのは。ほとんどはサイレントじゃん。だったら、大勢が決まっていけば大勢に従っていく。そんなとこじゃないかな、ここんところの日本国の「構成員」の多くの皆さんの傾向は。
 もともと意思表示しないってのは表現する気構えの問題じゃなくて、もともと意思自体が希薄ってこともあるのかもしれん。単なる既成事実追認の傾向なんでしょうか。・・・ っつーわけで米英アングロサクソン系とはまた違う背景かなと。

 日本国民のみなさーん、コイズミが「参院選の争点」だって言ってるんだってば!

 僕も日本国民、何とか早くコイズミ政権、自民党政権、自公党政権が降りる方向に向かって、より確実性のある選択肢実現を支援するため、そのための投票行動をします


04年 1月18日(日)   生命 (いのち)、 attitude 、 attitude and action

 生命 (いのち) は本当にかけがえのないものだから、ずっと生きてゆくことです。

 答えは風のなかにある。 であれば余計に attitude は大事なことです。

 就寝中のユメが余計に眠りを浅くします。

 パラノイド・スキゾフレーニアとは、お付き合い。
 パラノイド・スキゾフレーニア・ハイはよー分からん。
 首と腰の椎間板さんともお付き合い。

 ヤクを飲み、覚醒剤ならぬキーを打つ。

 僕は、 金色の心 を探します。
 いつか、僕は解放されます。
 ずっと 金色の心 を探します。

 きちんと生命(いのち)が生きてゆく。
 僕にとって僕らにとって大事なこと。

 僕は粘っこく、勝手に生きます。愛する家族と共に。妻と共に。息子と共に。
 田舎や、田舎から離れて住む家族と共に(毎度のリフ、家族ブルーズ・・・)。

 「ロックな日常を求めて」、 attitude を大事にしつつ。
 生命 (いのち) は本当にかけがえのないものだから、ずっと生きてゆきます。

 僕は粘っこく、勝手に生きます。勝手です。
 「社会」にもメッセージを出し、時には微力でも出し、勝手に生きます。
 この 日本国南東北 の地に足つけ続けて生き続けます


04年 1月20日(火)   陸軍先遣隊イラク入国

 本日の朝日夕刊より。

 陸上自衛隊のイラク派遣部隊の先遣隊約30人は 19日午後 9時(日本時間20日午前 3時)、サマワ市街地から約 8キロ南のオランダ軍宿営地キャンプ・スミティに到着した。予定より約 7時間遅れ、想定外の夜間のサマワ入りになった。到着後、記者会見した先遣隊長の佐藤正久1佐は「一層身が引き締まる思い。我々の活動を通じて、イラク国民と日本との関係がさらに強固になることを希望する」と語った。

 いよいよ「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」の時がやってきた。予定より遅れたものの、ここまで概ねシナリオ通りだ。アメリカ作、コイズミ自公党「校正」のシナリオである。ところで、「約30人」の「約」とは何だろう。人数も公表しないのだろうか。日本のマスコミは、これから徐々に、あるいは加速度的に、その大本営振りを強めていくのかもしれない。いや、間違いあるまい。 僕らがしっかりした attitude 、構えを用意していなくてはならない。

 サマワの治安はオランダ軍が担当している。米帝の「有志連合」の一角だ。そこに、日本も、名実共に「深入り」していくことになってきたのである。

 監督は米帝、シナリオも米帝、日本はシナリオの「校正」係りだ。「てにをは」を直そう。誤字脱字を直そう。

 僕は同じ日本人として、こんなシナリオを演じさせられる「自衛隊」員に同情する。「自衛隊」の「自」とは何だろう。 ・・・ いや、日本人として、なんて限定付きで言うのはやめよう。僕は人として同情する。見ていて辛くなる。
 シナリオはいつ書き換えられるか分からないし、どこからノン・フィクションになるかも分からない。しかしシナリオに彼らが口出しすることは極めて難しい。

 同情するなんて、意思の力が過剰になければ無理だ。僕は同情などしていないかもしれない。しかしそんな気持ちを禁じ得ない。英語だったら、 I feel for you. って言うだろうか。
 いや、胸が痛む、という形容があっているだろうか。

 最高司令官になるはずだよね、コイズミは。彼は、何も、どこも、痛まないのだろうか。 


04年 1月21日(水)   Happy Birthday to YOU !

 Happy Birthday to YOU !

 今後とも、長々と、ずっと、よろしく。 3人共に健康で、元気で、ハッピーで


04年 1月23日(金)   Happy Birthday の日のこと

 僕はその日、帰宅途中に花を買った。ホワイトデイジーという名らしい。息子はケーキを作った。きれいに美味しくできた。
 主役は、主役にもかかわらず(笑)、美味しい料理を作った。いつも通りに、いつも以上に、いつも通りに。
 今後とも、長々と、ずっと、よろしく、3人共に健康で、元気で、ハッピーで


04年 1月23日(金)   陸軍先遣隊イラク派遣後にさっそく賛成増となる日本国 「民度」

 陸軍先遣隊イラク入国 というお題の日記の続きだけど、
 その前の 2004年 1月16日帝国陸軍イラク先遣隊、日本出国コイズミ曰く「イラク派兵反対派は明治維新時の鎖国派である」、なかでもここの部分 の続編とするのが一番合ってるかもね。

 陸上自衛隊の先遣隊イラク派遣を受け、朝日が 17日、18日の両日に実施した全国世論調査の結果。
 自衛隊イラク派遣に「賛成」は 40%で前回(先月)より 6ポイント増、「反対」は 48%で「賛成」を上回っているものの 7ポイントの減だそうで。

 昨日の夕方には、航空自衛隊イラク派遣の本隊要員約 150人のうち約 110人が、政府専用機で愛知県の小牧基地からクウェートに向けて出発した。26日には、残りの部隊が、ということだろうか、イラクへの物資輸送(どんな物資? いろいろですか?)のためのC130輸送機3機が出発の予定だ。
 隊員は操縦士や整備要員で、現地での飛行訓練の後、2月中旬辺りから、イラク国内へ、バグダッドを含む各空港への水や食糧(は大事です・・・)などの輸送を本格化させるってことのようです。新聞に書いてありました、です。そいでもって、さっき録画してあった今日の7時のNHKニュース見たら、どうも日本時間の今日午後クウェートに到着、同夕方5時頃にはクウェート空軍基地に移動したようで。ここは米軍も拠点としているところ、当然ですか、日本のクウジ(空軍ですね)もここが拠点なんですねぇ。

 毎日テレビで現地報告してますね、リクジの「イラク人道復興支援」型米帝後方支援の序章。NHKニュースも毎日毎日・・・。「陸上自衛隊、今日も活発に動く」なーんて調子で報道してます。少なくともぼーっと聞いてりゃ大本営に近づいてる気がするけどねぇ。ちゃんと聞いたって、まぁ自衛隊イラク「人道復興支援」の広報係って感じです。米帝後方支援の「広報」支援活動だな。あんましジャーナリズムってふうには映らんなぁ。
 昨日の夜はリクジ(陸軍のニックネームですかね)派遣地サマワでもCD店爆破なんて物騒な事件があったらしく(これは動機は宗教的なものって推測付きですが)、息子が録っておいてくれた今日夕方のフジの木村太郎くんと安藤優子さんのニュース(安藤さんだけで十分です)でも報道してたし、今見てたテレ朝久米ヒロピー(今んとこフルタチには何の期待もしてません、化けることを祈るのみです)でもやってました。これがどういうわけか今日7時のNHKニュースでは全く触れられてなかったのですが、良からぬ意図でもあったのかタマタマなのか、なんなんでしょうかね。
 もちろんコトはNHKだけの問題でなく、今後マスコミが「われら客観報道を旨とす」なんてオチャラケの態(テイってこれでイイかい?)で淡々と(特定の)事実を(選択して)報道し続けたら、世界でも有数の民度を誇る我が日本国民は徐々に、あるいは加速度的に、従順な臣民としての才能を顕わにしていくのではないかと懸念しておる次第です。

 米帝支援イラク特措法、その後の国軍イラク出兵「閣議決定」、ほいきた空軍先遣隊派遣、ついには陸軍先遣隊「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」、ここぞと空軍本隊派遣・・・。
 こうして着々と「既成事実」という名の事実が積み重ねられていきます。

 日本国民の「民意」という名の「共同幻想」は、その「既成事実」を後から後から追認し、状況を見てと言いつつもその実ブッシュくんの思惑通りに日本を先導するコイズミくんたちが主役を演じる「状況劇場」の「大勢」に、修飾が長くてゴメンとにかく「状況」の「大勢」に、黙って、あるいは「シカタナイ」とつぶやきつつ、そうやって、あーやって、ははーっとナビイテ行くのでしょうか。(今国会のコイズミ答弁は下ばっかり見てて原稿丸読み隠しもせずって毎日だけど、国民の皆さん、こんなヤツについていくんでしょうか。)

 ああ日本人・・・。この1億余の民は、この先、何人ぐらいが ロックな attitude をし、あるいはロックな attitude and action を表現していくのでしょうか。

 ああ僕も日本人、妻も日本人、息子も日本人。意思も姿勢も曲げないよ、僕は。ロックが砦だもんね。妻子もロックな「同志」であります。
 せめて僕は 黄色いリボン を着け、時に空に向かってHTM語で吠えることとしよう。気が向きゃ、もっとロックなこともしようかね。あんなロックとかこんなロックとか、そんなロックのことだよ


04年 1月25日(日)   アメリカのイラクWMD調査チーム責任者が辞任、曰く 「もともと存在しなかった」

 本日の1本目です。

 この日記サイトで時々取り上げてるイラクWMD米調査団(調査チーム? 捜索チーム?)のハナシです。・・・ 何回もやってっから、興味ある奇特な人は 雑感の日記索引のうちの SOCIETY & POLITICS コーナー でも見てちょ。

 去年の6月以降、元国連兵器査察官のデビッド・ケイ氏がアメリカCIA特別顧問として調査団の団長となり、1,400人ものスタッフを率いて、イラクで生物・化学兵器や核兵器などを捜索してきたわけですが、去年3月の侵略攻撃開始前の国連査察を経て尚こうして続く大規模調査によっても、証拠は見つかりません。今年に入ってからは、既に密かに同調査団の400人が撤収していたことが報じられていました。

 デビッド・ケイ氏は、もともと(10年以上前の)湾岸戦争後から国際原子力機関(IAEA)や国連の査察チーム団長としてイラクの核疑惑調査に当たった人ですが、ロイター通信によれば、今回、昨年6月以降の占領国アメリカによる新たな調査団団長からの辞任を明らかにしたデビッド・ケイ氏は、23日、「湾岸戦争以降、イラクは大量破壊兵器開発計画を持っていなかったと思う」と述べたそうです。昨日のJNN系のテレビニュースで知りましたが、今日の朝日朝刊には、氏とロイター通信との具体的なやり取りが掲載されています。 曰く、生物・化学兵器は「あったとは思わない。湾岸戦争終了時には備蓄されていたが(注:イラン・イラク戦争の昔から使用されていたもの)、国連の査察とイラクの自主的措置で廃棄されたと思う(注:経済制裁も効いたかもしれない)。一番の証拠は、イラクが大規模な生産を再開しなかったことだ」(カッコ内の注は僕が補足)。 核兵器計画についてはもともと「初期的なもの」であり「重要なことは再開していなかった」。
 さらに氏は、イラク側が(今回のアメリカのイラク攻撃の前に)大量破壊兵器を破壊したのかとの問いには、「いや。もともと存在しなかったと思う」と回答しています。

 デビッド・ケイ氏は、先月にも一度、証拠が出てこないことに失望して辞任したい意思を周囲に漏らしているとの報道がされていました。今回は後任もアメリカ中央情報局(CIAっす)が元査察官の何たらカンタラって発表してて、本決まりのようです。
 この何たらカンタラって人の名は(笑)チャールズ・ドルファー、やはり 1993年に国連大量破壊兵器廃棄特別委員会の副委員長としてイラクでの査察活動に当たった人で、昨年12月の講演で「おそらくイラクには大量破壊兵器は存在しない。そうなってもあまり驚くことはない」と発言・・・しているにもかかわらず、フセイン政権については「将来的には受け入れがたい脅威になっていた」として今回のブッシュのイラク攻撃政策は支持しているっつーハナシで、流石に何でも言えるアメリカは大胆です。侵略攻撃して政権センメツでもしとかない限り「将来的には」(!)受け入れ「がたい」脅威に「なって」いるだろうって予測して、それだけでシビリアンの頭上まで含めて爆弾ドカドカ落としていいのかね。これって要するにブッシュ政権の対外政策のカナメ、先制攻撃理論 なんだけどさ。・・・ん? これ、理論かい?

 それと、この調査団っていうのか捜索隊っていうのか、実際のところ今何人残ってて、何やってるのかねぇ。デッチ上げにも相当苦労してるんですかね。

 ブッシュは 20日の一般教書演説でも、デビッド・ケイ氏の報告書からもイラクがWMDを持とうとしていたのは明らかで、放置していたら大変なことになっていた(要するに「大量破壊兵器」と言い切らずに「大量破壊兵器関連計画の活動」とトーン・ダウン)、なーんて、例によって平気顔で何の根拠も示さずの断言口調だったけど、ほーんとこういうの厚顔無恥ってんだな。
 明らかなウソを何度も何度も繰り返して信じさせる、これって悪辣な為政者の伝統的なやり方、常套手段なんだろうけど、真理と確信して公言し周囲から異端者呼ばわりされて苦悩の晩年を送ったガリレオとは大違いだね。くじけず言い続けるって単純な見方すりゃ面の皮1ミクロン分の表層は似たような行為に見えるかもしれないが・・・ ん? 見えもしないな、中身の方は180度反対、正反対の方角に向いてますね。この、ある方角にはっきりと向くことって、attitude と関係ある話だよね。


04年 1月25日(日)   それでも地球は回っている

 本日の2本目はガリレオ・ガリレイの話。ウソを何十回も繰り返して「本当」にしてしまおうっていう21世紀初頭の米帝ブッシュと違い、異端視されながらも自分が真理と確信するものを訴えた16世紀から17世紀のイタリアの人、ガリレオですね。

 それでも地球は回っている。

 それでも地球は動いているってのが直訳なのかな、後に伝記で、ガリレオが宗教裁判で「有罪」を宣告された後につぶやいた言葉とされたわけだけど、これは昨日の朝日の土曜版の特集で知ったんだけど、伝記作家の創作なんだってね。科学史の世界ではとうに「常識」らしい。78年間生きたガリレオはその時既に70歳近く、教会権力から完全な屈服を余儀なくされ、それほど元気もなかっただろうってことのようです。

 ガリレオは(当時オランダで発明されて間もなかった)望遠鏡を改良し、コペルニクスの地動説を立証する数々の天文学上の発見をしたが、聖書の記述と矛盾する地動説を支持したとして、フィレンツェでローマ法王庁異端審問所の裁判にかけられた。結果は現代で言うところの「執行猶予」。ところがその後に執筆した「天文対話」に愚者として登場する人物が当時の法王をモデルにして描かれたものとの噂が流れ、これが二次裁判に至るきっかけになったという。二次裁判では「有罪」。つまり「異端者」と判定されたというわけだ。

 その後はフィレンツェ郊外の別荘で半ば幽閉されて過ごし、さらには両眼を失明しながら、新たに「新科学対話」という書名の著書を執筆したガリレオ。

 それでも地球は回っている。 − この有名な言葉自体は後の人の創作だったらしいけれども、ガリレオはたぶん、言葉に発しなくとも、その attitude は失わなかったんじゃないか。僕はそう勝手に想像しています。

 僕には自分が確信する真理はない。I am agnostic. まぁ世界はつまるところ主観で捉える世界、そこでは こんなふうに考える 真理、真実もある。そういう意味では ある んですね。「僕の」「僕らの」世界の中には。

 それは、ある。そのうえで金色の心を探したり、自由の値を探したりしたいもんだと思っているのです。
 生命 (いのち) は本当にかけがえのないものだから、ずっと生きてゆくことです。
 僕は粘っこく、勝手に生きます。この 日本国南東北 の地に足つけて勝手に生き続けます


04年 1月25日(日)   ガリレオの attitude

 上のガリレオ・ガリレイの話に補足します。

 「ガリレオは」「聖書の記述と矛盾する地動説を支持したとして、フィレンツェでローマ法王庁異端審問所の裁判にかけられた。」と書いたことについて、クリスチャンの知人から連絡をもらいました。当時の教会の権力が(人間がコントロールした機関としての「教会」が現代と比べて社会的に大きな「権力」を持っていたのは間違いありません)、ガリレオの唱えた説を「聖書の記述と矛盾する」として異端裁判にかけたことは歴史的事実と言っていいと思いますが、聖書の内容そのものについて僕自身が詳しいわけではありません。ほんのごく一部の記述を知っているだけだし、仮に多くの記述を知っているとしても、例えばクリスチャンによる理解からすれば「知らない」ということになるでしょう。

 キリスト教と科学の関係で言えば、よく取り上げられるのは地動説と進化論だと思いますが、僕は後者の方の現状には深入りしないです。し出したら、ダーウィンからリチャード・ドーキンスやスティーヴン・ジェイ・グールドまで言及・・・するには力不足。(話は違いますが、一部の宇宙飛行士が信仰回帰するのは興味深いですね、現象としても。)

 知人のクリスチャンから連絡を受けた内容を以下の一段落に記します。上に書いたように、僕自身が聖書の記述を正確に知っているものではありませんが、信頼する人からの連絡なのでここに内容を掲載しておきたいと思います。私信のそのままの引用は避け、しかし要旨はなるべく正確に載せたいと思います。以下の一段落です。

 聖書に書かれていることは本来は地動説で、当時の教会の聖書理解が不正確だったことが、今ははっきりしている。教会もしくはクリスチャンは、時に、あるいは往々にして、そういう間違いを犯しつづけている。聖書が言っていることを正しく理解できずに、自分だけの判断で解釈し、その解釈を、神のことばだ、と主張する。ガリレオは聖書や創造主に反抗したのではなく、その当時の教会の教職者に反抗した。

 連絡いただいた内容は、信頼するクリスチャンの知人の説明としてそのまま受け入れます。ただ、ガリレオが何に反抗したのか、そのことは、今の僕には分かりません。僕の歴史的知識も不十分ですが、ましてその時期失意の底にあったであろうガリレオの心の中が分かるとは言えません。分からないことの一つは、少なくとも当時のガリレオが、時の教会権力とキリスト教、キリストの教えを明確に区別していたかどうか、ということです。それは分からないのですが、一つ言えるのは、ガリレオが政治を利用した権力であれ宗教を利用した権力であれ、おそらくは社会の大勢を動かす人間たちの「権力」に盲従するよりも、自分が真に確信するに至ったものの方を選んだ、その attitude を選び取って生きたということで、そしてそれを最後まで失わなかったのではないかと僕が想像している、ということです。

 ガリレオが生まれたのは 1564年、没したのは 1642年。ローマ法王がガリレオ「異端」裁判の誤りを公式に認めたのは 1992年です。誤った判決から既に 359年の時が流れていました。

 ちなみに、ローマ法王と言えばもちろんカソリックですが、僕らが学校で習った「宗教改革」で生まれたのがプロテスタント。クリスチャンでない僕が宗教としてのキリスト教に好感を持つことの一つは、信仰者内部のなかに新しい考え方や解釈が生まれ、変化していく力を持っているように思えるところです。それでいて、クリスチャンでない僕として、報道等で知る限り、現在のローマ法王その人には好印象を持っています(敬虔なカソリックは「好印象」なんて軽い言葉使わないだろうけど)。現ローマ法王には(以前の人は知らないし)真理を追う人の信念の強さや誠実さを感じます。社会的に論争の的になる社会問題の一つ一つに関しては個人的に意見が違うところもありそうですが、過去にカソリック教会が陥った誤り、過ちを認めることに躊躇しない人だし、とにかく姿勢 attitude の一貫性を感じます。いつだったか、朝日に掲載された加藤周一の論稿にもそんなことが書かれていて、共感を覚えたものでした。(僕が)日本の数少ない真の知識人の一人であると想う「知」の巨人に「共感」なんて言い方もダイソレテますが(笑)。

 上の日記にも書きましたが・・・  それでも地球は回っている。 − この有名な言葉自体は後の人の創作だったらしいけれども、ガリレオはたぶん、言葉に発しなくとも、その attitude は失わなかったんじゃないか。僕はそう勝手に想像しています。

 僕には自分が確信する真理はない。I am agnostic. まぁ世界はつまるところ主観で捉える世界、そこでは こんなふうに考える 真理、真実もある。そういう意味では ある んですね。「僕の」「僕らの」世界の中には。そうして、僕は生き続けます