04年 1月 5日〜 1月12日

最近の子供はどうか分らないけど、今の大人の多くはガキの頃に日記を何日か書いた経験があるのでは?
斯く言う私もその一人、当然この日記も不定期です。 (2001年8月19日、記)


04年 1月 5日(月)   2004年の1本目

 本日の1本目。 2004年の1本目。

 静かな冬の日の午後。外からは子供たちが笑う声や歌う声。穏やかな日。賑やかな声。
 平和を感じます。

 家の中では私が、ニール・ヤングの GRRENDALE を聴きながら、HTM語を喋っています。

 私はこうして喋り続け、生き続けるでしょう、100歳過ぎても! 妻と共に、息子と共に。ん? そんときゃ息子も70歳超、するってーと孫がいて曾孫もいて・・・。名前は何でしょう。ロックなんてどうでしょう。ま、親が決めるか。


 今日はまずは年末年始の身辺雑記録。

 昨年12月30日に家族3人で我が家を出発。越後湯沢に1泊。初スキーの息子は、初日はまず2時間のスキースクールへ。曲がるところまでは習わなかったが、その後一人ですぐに曲がれるようになった。予想以上の上達ぶりに親バカな感激。妻は丁寧に優雅に(笑)、えらい久しぶりのスキーを楽しむ。私は椎間板バクダン爆発させながら、コワゴワと7、8年ぶりのスキー。一応、滑りました。
 翌31日はロープウェーとリフト2つを乗り継いで頂上へ。素晴らしい眺めでした。下りは雄大な景色を楽しみつつ、初級者用の傾斜の緩い長めのコース。息子が初めてだし、親父が椎間板バクダン抱えてるしねぇ。妻と共に、3人でゆっくり滑りました。息子はずいぶんと上手になりました。私の椎間板バクダンは小爆発を繰り返しました。すぐに腰が痛くなりました。しかし無理な格好はせず、何とかカンとか。そして3人で再びロープウェーで下山。家族3人の楽しい雪山でありました。
 越後湯沢から東京へ出て、そこから我が故郷に帰省。親父、お袋、両親から離れて暮らす兄貴、兄貴の家族らとも再会。我が息子は従兄弟たちとの再会をいつも楽しみにしています。新年が明けて兄貴と兄貴の息子らと我が息子は町の神社へ。親父はその神社で「長老」のお勤め役。兄貴らは2日に今暮らす街に戻りました。
 3日は親父、お袋と我ら3人、合計5人でお寺に「初詣」。侠客 Stone Pine of The Forest の墓があり、それよりもずっとずっと長い歴史を持つ仏寺にお参りした。私は一方でブラック・ゴスペルを歌い、一方で家族で神社仏閣を訪れる人間なのであります。
 その日は夕方から小中学の同窓会。4年ごとに開かれている会に久しぶりに参加。10年以上ぶりだな、たぶん。
 小学校と中学校は別々の学校、共に公立、っつーか、町立の小学校と中学校なのですが、小さな田舎まちの1学年4クラスの小学生は、卒業後みんな同じ田舎まちの同じ中学に通っていたのでした(今は少子化で4クラスもないと思います)。
 小中学で同期(学年が同じ)だった、懐かしい友たちと再会しました。普段連絡を取り合っていなくても暖かく迎えてくれる友たちには本当に感謝しています。本当に、心から、楽しめました。
 当時の先生も何人か出席されていて(いわゆる「恩師」であります)、そのなかのお一人が挨拶の中で、我が中学は(その先生もそこの卒業生)長い歴史と伝統があるのに「同窓会」という組織がない、これを作りたいと仰っていました。私は実はこれには反対です。そうか、我が中学には(おそらく小学校にも)長ーい歴史がありながら、世間によくある「同窓会」という組織がないのか、へぇー、それはいいじゃないかと思いました。私が世間にありがちな「同窓会」を嫌う理由は以下に簡単に記す通りですが(別に日記のテーマにしようとも思わんので「なるべく」簡単に)、ただ、私は自分の卒業した小中学に対しては特別な「気持ち」があるので、そういう「組織」ができて会費程度の協力を求められた場合には、おそらくはそれには応じるだろうと想像しています。

 大学や高校などによくある、開校以来の同窓生を束ねる「組織」としての「同窓会」という「組織」は、私のごく個人的な経験だけで言うに過ぎないのですが、その限りではロクなもんじゃないと思ってます。North Sea Road Univ. の「同窓会」からはだいぶ前から何も送られてこなくなったのですが、会費をずっと払わないのだから当然でしょうし、ま、であれば、払わないのが功を奏したのでしょう、どういうシステムだったかも憶えていません。

 Rock Field South High School の「同窓会」からは今も会報のようなものが届きます。
 毎年なのか何なのか確認すれば分かるのですが、とにかく開校以来の卒業生が集まる(そりゃムチャクチャな人数になりますが、既に亡くなった方もいるし、実際の出席者も限られてはいるのだと思います)「同窓会」の「総会」みたいな会が定期的に催されていて、何年か前、私の同期に主催の当番が廻ってきたとの由で同期(ほぼ?)全員に連絡が送られてきました。同期の「同窓会」の事務局のようなところからだったと思います。その「総会」の会費を払ってほしい、出席できなくても幾イクラ払ってほしい、それと10年後に「亡くなった同窓生、卒業生の慰霊祭」の主催当番も廻ってくるからそのための「基金」(だったかなぁ?)にも会費を払ってほしい、これらはどの期の卒業生もやっていて、1年先輩の時も全員が金を払っている云々カンヌン・・・という内容でした。
 私はその要請に全く納得がいかず、何故、同じ学校を卒業したというだけで、自分の意思が全く関与していない催しへの自動的な「協力」を「強制」されるのか、その理由を説明してほしい旨、事務局に返信しました。すると、それに対して送られてきたものは、驚くべきことに、ほんの二三言だったか言葉、文を変えただけで、実際にはほとんど全く同じ内容の支払い要請文でした。ごテイネイに、「再送」という字句も「お題」の末尾に記されていたように記憶しています。
 確か、どこかに保管してあるはずです。私が送った文面も保管、保存してあります。
 もちろん払いませんでした。私の記憶では、私からは、高校時代を懐かしく想う気持ちはあるし、その頃の友と再会する機会でもあれば当時の思い出を楽しく語り合うことと思うが、こういう自己の意思が全く関わっていない催しに、同じ高校を卒業したという理由だけで協力する「意思」は自分にはない、「同窓会」の会費もずっと払ってないし、会報を送っていただいてるのも申し訳ないので、もう会報等を送るのも止めてほしいと、そういったことも書いたと記憶しています。
 内容に対しての返事という返事はなく、今も会費は払ってませんが、会報は届きます。そのうち、またコトワリを入れたいと思っているくらいです。地元に住んでいて、自分の「想い」や仕事の「付き合い」等々、さまざまな背景で事務局を担当する人たちには本当にご苦労があるかとは思うのですが、だからといって、そこを卒業したという理由一つで、自己の意思も賛意も確かめられていないものに「協力」を「強制」されるのは全く納得いかないし、納得いかないものには、できる限り「協力」しないのが自分の信条です。むろん、「渡世人」(笑?)である以上は常に信条を通すというわけにもいかんのですが、できる限りは通すというのが趣旨であります。
 何年かごとに発行される「同窓会名簿」には私の名も入っているわけですが、間違いなく、その名簿は、発行者の意図とは関係なく、流れ流れて悪質な反則スレスレ販促業者のようなところの「エイギョウ」に利用されています。私にもよく、「Rock Field South High School を卒業されていらっしゃいますよね。同窓生の皆さんにはよくお世話になっておりまして・・・」なんぞというエイギョウ電話がきます。・・・このハナシ、長くなったな。も、やめよっか(笑)。

 小中学の同期の同窓会は本当に楽しい会、楽しい宴でした。これからも、都合がつくときは参加したいと思っています。本当に楽しかった。地元の仲間、なかでも幹事になる人たちは特に、いつもたいへんだと思う。遠くから帰郷してその会に参加し、楽しいひとときを過ごしたものとして、感謝しなければならない。本当にありがたく想っています。そして、素晴らしい会でした。また、参加します。

 昨日、こちらに帰ってきました。いつもは、田舎からは昔の国鉄、今の第3セクターのローカル線で新幹線最寄駅に出て、そこから新幹線に乗って東京に出、それで乗り継いで帰ってくるのですが、今回は息子の希望で変わったことを実行しました。ローカル線を逆方向に行き、他の私鉄に乗り換えて、いつもよりもずっと遠回り。そのうえ、出たところは新幹線が停車する駅なのに新幹線に乗らず、JRの普通の列車に乗って、途中の駅でワイドヴュー East Sea (笑)っていう特急に乗って東京まで出ました。ま、いつもより割安なんだけど、所要時間は大幅に長くかかりました。しかし、息子は大満足でありました


04年 1月 5日(月)   「バカの壁」の養老孟司のバカの壁 − コイズミ日本国総理大臣の靖国参拝問題に触れて

 本日の2本目。

 元旦にコイズミ日本国総理大臣が靖国神社を参拝しました。「終戦」記念日(敗戦記念日)等の「時機」を避けた姑息な参拝ってのが背景かねっと思いますが、帝国陸軍(「陸上自衛隊」ですね)のイラク出兵が予定される時期を前にした時でもあり、何てバカな、というのが思考停止だけはしてない一国民の感想です。
 コイズミ曰く 「日本の伝統、歴史、習慣に従っているものであって、他国からとやかく言われることはないでしょう」。
 しかし、いつも通り、韓国、中国から批判が出ています。韓国からは、いつもよりも強い公式抗議のようです。
 コイズミはバカです。靖国は日本の「伝統」的な神道の神社ではありません。日本の長い「歴史」に基づく神社ではなく、明治以降の軍国主義、天皇制の下で形成された「国家神道」の神社です。
 また、「習慣」であれば、田舎にでも帰省してからか、あるいは自分の住まいの近辺の、普通の(歴史は長くても短くても)神社にでも行けばいいのです。
 なお、靖国神社の特別な歴史と由来については、こっちをご参照ください。

 ところで、昨日、関口のおっさんがやってる日曜朝の番組に、昨年「バカの壁」がバカ売れして、その後も類書の連発で稼ぎまくってる養老孟司が出ていました。件の書は私も読み、面白く読めましたが、今日の話とはあんまり関係ありません。ま、関係あるかもしれませんが、今、その関係を時間かけて考察するほどの価値は感じません。
 上に書いた、元旦のコイズミ・バカ総理大臣の靖国参拝が話題となりました。関口がまず、法政の教授だったかな、たしか江戸文化辺りが専攻の田中女史に感想を尋ねました。
 田中氏は大略こんなことを言いました(男女平等、「女史」は「氏」としましょう)。
 これは日本の伝統ではない。伝統なら、故郷に帰って神社に参拝すればいい。靖国は明治以来の国策による神社であって、日本の伝統的な神道の神社ではない。

 この後、関口が、「バカの壁」の養老孟司に振りました。彼は、この件では「バカ」でした。
 養老孟司は大略こう言いました。
 一般化が必要だ。これは、日本の国策の犠牲者に、日本のリーダーが礼を尽くす行為なのだ。
 中国や韓国に問い返してほしい。例えば、現在の中国政府は毛沢東以来の政権であり、これに正当性があるとするなら、その国策の犠牲者に以降の政府がどのように礼を尽くしているのか。文化大革命の弾圧の犠牲者に対して、中国のリーダーはどんな儀礼を示しているのか。

 養老孟司は本当に「バカ」でした。靖国は「官軍」の神社です。国策の犠牲者を単純に祀っているのではありません。上にもリンク先は記しましたが、詳細はこちら。 また、国策と言っても、「官」による対外侵略政策における自国軍側の犠牲者を祀っているのであり、それは確かに多くが犠牲者ですが、日本人として特に悲しむべきことに、その犠牲者も、侵略され支配され、あるいは植民地にされた側から観れば「加害者」にもなってしまいます。そのうえ、その国策における日本国の政策執行責任者(被害国民から観れば憎むべき「加害責任者」)の多くも祀られています。
 こうしてみると、養老孟司が例として挙げた、中国の政治のリーダーの文化大革命犠牲者に対する儀礼(の有無や内容)のケースは全く的外れだということがよく分かります。
 文革の弾圧による犠牲者は、中国の「官」(文革時代は「革命派」側が「人民」や「大衆」を自称していたのでヤヤコシイのですが)による「民」弾圧の犠牲者なのです。それに対し、日本国の靖国神社に祀られているのは日本国の「官軍」の、「官軍」側の犠牲者(主として戦死者)です。その位置づけ、意味合いには大きな違いがあります。例えば、マチガッテモ靖国には、軍国主義に反対して大日本帝国政府から弾圧され、獄死拷問死したような「国策の犠牲者」は祀られていません。 というか、そうした犠牲者は原理的に排除されることになるのです。
 養老孟司のノタマウ「一般化」はあまりに乱暴でノーテンキです。彼は少なくともこの件では「バカ」です。しかも自分の「バカの壁」も認識できていないからオソロシイ。ご専攻は解剖学でしたっけ、脳ミソでしたっけ? お得意の分野にカラメテものを言ってるうちはイイんですが、味噌(ミソ)も紫蘇(シソ)も一緒くたに「一般化」してしまうのは「愚の骨頂」、止めた方が身の為です。養老さん、分かる人には分かりますよ、あんまり考えたことないことやよく知らないことに口出す時には、その前に勉強してきなさい。不勉強を自覚できるのなら、もっと慎重に考えて発言しなさい。今度からはよーく気をつけようね。売れ過ぎちゃって舞い上がっちゃって無理でしょうかね。

 養老のおっさんの後、関口が江川紹子さんにも尋ねてたな。
 江川さんは大体こんなこと言ってました。
 一時出ていた国立墓地検討の話はどうなってしまったのでしょうか(全くだ!)。靖国は日本の「伝統」ではありません。国策というなら、対米盲従ばかりでなく東アジアの国々との友好をもっと真剣に考えるべきではないでしょうか。

 この話題では、最後に関口のおっさんは、毎日の論説委員だっけ、あ、名前ド忘れしちゃった、アノヒトに振ってたんだけど、靖国が「官軍」の神社であることと(くどいようだけど、その意味合いは こっちを読んでね )、さらにA級戦犯合祀の問題があり、そのことの中国や韓国にとっての意味をよく考えるべきなのだが、コイズミさんはこの件で思慮不足だっていう趣旨のことを言ってた。この件っつーか、コイズミはあっしに言わせりゃ常に思慮皆無だけどな。

 ま、とにかく、コイズミが「バカ」なのは今に始まったことじゃないけど、「バカの壁」とその類書で稼ぎまくっている養老孟司も、結局は「バカ」なのでした。


04年 1月 5日(月)   今年も来年も、いや、わしらは100歳過ぎても喋り続け生き続けるのです。

 本日の3本目。

 相変わらずよー喋りまっしゃろ。わしの場合はHTM語が主体じゃがな。

 答えは風のなかにある。

 最近ね、睡眠中ユメをよく見るんですよ。余計に眠りが浅くなりますな。続くようなら今度、二郎さんに言ってみよう。

 パラノイド・スキゾフレーニアとは、お付き合いです。消耗したってコントロールはするのです。
 パラノイド・スキゾフレーニア・ハイは小康状態。相変わらず分からん。
 まっ、大丈夫だっ!
 首と腰の椎間板さんともお付き合いだな。

 ヤクを飲み、覚醒剤は打たず、キーは打ちます。

 僕は(「わし」でも「僕」でも良かろう!)、 金色の心 を探します。
 いつか、僕は解放されます。 想って生きてきゃ大丈夫なんだ。実際の話、僕は解放されるのである。
 ずっと 金色の心 を探します。

 高価なものでも高尚なものでもない。ただ、僕にとって僕らにとって、とても大事なこと。

 僕は粘っこく、勝手に生きます。愛する家族と共に。妻と共に。息子と共に。
 田舎や、田舎から離れて住む家族と共に(リンク先はド「演歌」、そやけど音楽はブルーズがええで・・・)。

 トム・ペティ曰く 「ロックは attitude が大事なんだ。」

 僕もね、「ロックな日常を求めて」生きるって銘打ってるんだからね(ヤク打ってません、飲んでます)。
 attitude and action 、行動なしじゃいかんけど、まともな attitude あってこその、まともな action であります。
 「まとも」ってそりゃ僕が勝手に決めるのさ。結局ヒト(他人)からどう思われたって、僕の人生は僕が生きるんだから、「勝手」と言えば「勝手」な話だよ。
 この「勝手」ってのも、その attitude の具合が大事です。僕が考える attitude って意味では、やっぱ「勝手」なんだけどさ。

 僕は粘っこく、しかし勝手に生きます。
 「社会」にもメッセージを出しながら、時には微力でも出しながら。
 この 日本国南東北 の地に足つけ続けて


04年 1月11日(日)   2004年1月9日、石破軍事オタク、陸軍先遣隊と空軍本隊にイラク出兵命令

 本日の1本目。

 読んで字の如しですが、公式官僚用語使って書き直すと、
 石破防衛庁長官、イラクへの陸上自衛隊先遣隊派遣命令を発令ってことで、第二次世界大戦が終わった翌年の 1946年以降、戦後の日本の国軍、官僚言うところの自衛隊から戦闘状態が続く他国領土へ武装部隊が送られる最初の事態が近づいたようです。
 帝国空軍、「航空自衛隊」の先遣隊は既に昨年12月26日から28日の3日間で派遣されてまして、石破くんは上記の通り陸軍先遣隊のついでに空軍本隊、っつーかまぁ「航空自衛隊」本隊って言うんですかねぇ、そっちにも派遣命令を出しました。

 石破くん、早く 「国防大臣」 って呼ばれたいだろうなぁ。会見の顔はいつもの通りで視線がアブナイ表情でした(眼の病気の可能性もあるのでその場合はお詫びしたい、マジでよー分からん)。ま、険しい顔つきをカブってましたが、内心は嬉しそうに僕には見えましたよ。こういう時の「防衛庁長官」で幸せだなぁって。大変な決断の時で貧乏クジだなってんではなくて、反って喜々としているように見えました。そもそも、決断、とはいえないもんね。

 ブッシュくんを始め、その他いろいろな人たち、コイズミくんやお手伝い兼実質 decision maker 化しているコーメートー(菓子の名前みたいだなぁ)なんかのおかげだね。あと、民度の低い日本人も一役買いました。

 一方で、在「日本」のアメリカ軍も、動いています。
 1月9日の朝日夕刊には、前日 8日に、アメリカ海兵隊が、軍事演習のために昨年末から沖縄に駐留しているアメリカ海兵隊員約1,600人を、早ければ2月にイラクに派遣する方針を決めたとの記事が出ていた。イラク駐留アメリカ陸軍の一部の交代要員のようです。
 在「沖縄」のアメリカ海兵隊からは、1991年の湾岸戦争のときも、この時は増強要員として約8,000人が派遣されたとのことで、要するに、今よりも日本の「ゴケン」度が相対的に高かったときだって、在「日本」の軍隊が他国における戦闘に加担していたわけです。古くはベトナム戦争しかり。
 日本が巨大な米軍基地を抱えている状態を放っておいて、そこには具体的に手をつける方策を考えないままで、しかし、日本国の「制限された主権」下の「国内」にしか通用しない「ゴケン」度を高めることについては熱意をもって語ろうとする。「ゴケン」が現実的にそういうことしか意味しないのでは、それは結局、一種の欺瞞、ギマン的な、机上の空論になるんじゃないかと思うのです。


04年 1月11日(日)   イラクの WMD 、その後

 本日の2本目。

 昨年12月22日付の日記 に書いたことの続き。
 1月9日付の朝日夕刊によれば、アメリカのイラクWMD捜索チーム400人がひそかに撤収していたそうです。 今月 8日にニューヨーク・タイムズが報じたようですが、ペンタゴン関係者は同紙に「調査に値するものは調査し終えた」と語り、WMD発見の可能性が小さくなったことを示唆したとのこと。単純に引き算すれば、これまでの1,400人態勢が1,000人に縮小されたことになりますが、この400人は主に兵器貯蔵庫やミサイル発射装置の捜索を担当していたってことのようです。残りの1,000人はどうなってるんでしょう・・・。

 一方で、同じく今月 8日、在ワシントンのシンクタンク、カーネギー国際平和財団が、「イラクのWMDは、アメリカや世界の安全保障に対する差し迫った脅威ではなかった」と分析する報告書をまとめたということも報じられています。
 同報告書は、「アメリカに気づかれることなく、数百トンの生物・化学兵器や何十発ものスカッド・ミサイル、関連工場などを破壊したり隠したり、国外に持ち出したりできたとは考えにくい」と指摘しているそうです。何しろ、アメリカって、人工衛星から地上を微に入り細に入り監視できたり、エシュロンでしたっけ、あれで何でもカンでもっていうレベルぐらいに盗聴できちゃうくらいのウルトラ大帝国ですもんねぇ。

 なお、ロイター通信によれば、イラク南部に駐留するデンマーク軍が、今月 9日に地中から「液体の入った砲弾」を見つけたそうで、化学兵器の疑いもありってことでイギリスの「何でも鑑定団」、じゃなかった、専門家に鑑定を依頼したそうです。デンマーク軍は、現段階では液体の中身や古さについて何も情報は無いとしているというのが本日朝刊記事ですが、NHKの今日の昼のニュースだったかな、アメリカだかイギリスだったかの関係筋の話だったかなぁ、1980年代のイラン・イラク戦争の残骸説を言ってると報じてました。近年はイラクは経済制裁受けたり査察受けたりしていて、「もう無い」ってのが旧フセインおっさん政権の主張でしたね。

 ま、何にしても、無いんだよなぁ、アメリカの対イラク攻撃の理由だった、「現在形の」WMD。
 そのうち、ま、まさか、隣国シリアが預ってましたなんてことになったりするのかなぁと漫画チックに考えたりもするんだけど、上の在ワシントンのシンクタンク報告書は、アメリカに気づかれないままの破壊も隠蔽も国外持ち出しも、そいつが「できたとは考えにくい」って言ってますよねぇ。


04年 1月11日(日)   神経科ん違い耳鼻科、妻実家、ユメ、野球鉄道

 本日の3本目。

 9日の金曜は二郎さんの日と勘違いしてましたが違いました。勘違いするなんて遺憾ですなぁ。でも耳鼻科に用事あって早退して行きました。
 翌日は妻の実家。妻の実家では、お母さんが長年患っていて、お父さんと二人暮しなんでたいへんです。昔々の横浜時代、妻は当時の私の横浜での職場で働いていたのですが、付き合いだして間もなく、家のことで、退職して実家に帰らなくてはならなくなったのでした。お母さんとおばあさんが病にたおれたのですが、おばあさん(明治生まれの気骨を感じさせる、しかしそれでいて優しく穏やかな婦人でした)が亡くなるまでの間とその後しばらく、妻はずっと実家で家事を頑張り、それから、今から16年前、私たちは結婚しました。今は妻の実家からあまり離れていないところに住んでいます。
 昨日は行ったらお母さんが朝からギックリ腰で寝ているってことで余計にたいへんそうでした。ちょっとお父さんも前よりも老けたかな。私の両親と同様に昭和一桁の生まれ、高齢と言えば高齢ですが、苦労した分、それ以上に長生きして元気でいてほしいと思います。

 話は変わって、今日は息子は野球の本年最初の練習日。さっき、元気に帰ってきました。もう少ししたら、お年玉と親からのクリスマス分繰り越し、本人の貯金、更に親からの消費税分援助(笑)で、鉄道模型を買いに行きます。Nゲージ用の高架複線駅セットです。息子にはたまらなく嬉しい買物であります。

 タイトルと順番変わっちゃったな。
 最近またまた、前より眠れなくなってます。ヤク飲んでるにもかかわらずねぇ。
 ユメ見っぱなし、なんですよ。就寝中の夢です。見てばかりいて、いろんな夢の途中に眼を覚まします。また睡眠に入るのですが、また見ます、また起きます・・・。眠りはめちゃ浅い。困ったもんだよ。眠りが浅いと元気が足りなくなる。
 いい夢見て、ゆっくり眠りたいなぁ。そう想っております


04年 1月11日(日)   読売遺憾!

 本日の4本目。

 たまたま昨日、読売新聞をめくる機会がありました。
 社説に、こんなことが書かれていました。

 国民は、先の総選挙で、自衛隊のイラク派遣を公約にしたコイズミ政権を支持したのである。

 おいおい、たしかに日本国民の民度は遺憾だけど、だからって大新聞さんが、あの選挙で国軍イラク出兵支持の民意が証明されたってしちゃうわけ?

 件の読売「社説」は、自衛隊イラク派遣に反対する民主党や批判する寸劇「加藤の乱」元自民党幹事長を非難し、政局の具にせず、国益を優先して応援せにゃならんみたいな論調でぶちかましてました。
 本当にコマッタ新聞ですが、日本で一番売れているのがこの新聞です。

 蛇足・・・程度のハナシになりゃまだマシなんだけど、近頃のどっかの保守雑誌で(「諸君」とか「正論」とか「文藝春秋」ね・・・ま、「中央公論」も読売傘下になって以降ダメですが)、日本型ネオコン脳足りん学者「中西」某が、「自民党と民主党は大連立せよ!」なんて吠えてました。新聞広告で見出し見ただけですがね、そんなことになっちまったらマジ(第二次世界大戦)戦前の「大政翼賛会」ですよねぇ。・・・まったく、バカ学者は黙ってもらいたいですね。・・・そう転石男は吠えさせてもらいます。じゃ、今日はこれにて。


04年 1月12日(月)   イラクの WMD 、続報

 本日の1本目。

 昨日付の日記 に書いたことの一部の続報。
 イラク南部に駐留するデンマーク軍が、今月 9日に地中から「液体の入った砲弾」を見つけたそうで、NHKの昨日の昼のニュースだったかが、1980年代のイラン・イラク戦争の残骸説を報じてたって件。
 今日の朝日朝刊にそれが出てて、やっぱ、イラク駐留米軍のキミット准将ってのが10日の記者会見で「(1980年代の)イラン・イラク戦争の遺物とみている」って率直に語ったようで、近年のものではないとの見方を示したそうで。化学兵器の可能性ありなんだろうけど、イラクがイライラ戦争で化学兵器を使ったのは歴史的事実。ただし、そうした経過の後のクウェート侵攻なり国際社会からの経済制裁、WMD査察があったわけで、アメリカがイラク攻撃の理由にしていたのは、もちろんその時点でのWMDでした(それを査察してた最中だったんだから、それで単独行動としての武力行使が即正当化できるはずもないんですが)。
 このテのレベルのやつって、反ってアメリカがイラク攻撃開始する前なら、ブッシュ政権が味噌も紫蘇(大分類は同じ、でも全然違う!)も一緒のデッチ上げに使ってたかもね。

 無いんだよなぁ、アメリカの対イラク攻撃の理由だった、「現在形の」WMD。
 この間なんか、ベーカー駐日大使の朝日寄稿でも、イラク戦争によってイラク人は独裁者から解放されたって書いてたもんね。  近頃は、ブッシュ政権の前財務長官オニールっておっさんが、イラク戦争がらみで「ブッシュ政権は 2001年の発足直後から、サダム・フセインを取り除く必要があるという信念があった」とCBSテレビに語って話題になってます。ブッシュは 2001年1月に大統領就任、同時多発テロはその年の 9.11 だから、その前から既にイラク攻撃の意図を持っていたということになります。
 思うに、本当の理由は石油利権とかパパ・ブッシュの湾岸戦争の続き、盟友イスラエルにとっての脅威除去ってあたりで、イラクのWMDが世界の脅威になる(イスラエルにとっての「ある程度の」脅威だったかもしれないが)とか、ましてや独裁者からのイラク人解放なんてゴリッパ(でもアメリカが武力による解放者を勝手に演じる権利なんてあるわけなーい)な理由は明らかに後付けですね。


04年 1月12日(月)   謎(?)のシンクタンク、カーネギー国際平和財団

 本日の2本目。

 謎ってのはまぁ僕にとっての謎って意味でして、このシンクタンクの謎加減はけっこう有名なのかもしれないんですが、要するに僕は知らないんです。もしかして、マイケル・ムーアあたりの本に謎解きが書かれてるかもなぁ(笑)。
 昨日付の「イラクの WMD 、その後」ってお題の日記 で、このシンクタンクについて以下のように触れました。

 今月 8日、在ワシントンのシンクタンク、カーネギー国際平和財団が、「イラクのWMDは、アメリカや世界の安全保障に対する差し迫った脅威ではなかった」と分析する報告書をまとめたということも(新聞に)報じられています。

 で、同報告書が、アメリカに気づかれないままのWMD破壊も隠蔽も国外持ち出しも、そいつが「できたとは考えにくい」って言ってるって書いたんだけど、こう書くと、このシンクタンクってけっこうリベラルな感じ、しますよねぇ。

 それがですね、昨日ひっさしぶりに「世界」を買って天木直人の文章を読んでいたら、このシンクタンクのことが出てきたんですね。
 ブッシュは、ネオコンと呼ばれる、ブッシュより変にアタマのイイ連中をたくさんブレーンにつけてるんだけど、その一人がロバート・ケーガンってやつで、こいつがその、「カーネギー国際平和財団」上級研究員という肩書の持ち主なんだって。
 こいつは去年の 3月に OF PARADISE AND POWER って本を出版して世界に衝撃を与えたやつだそうで、この本は「ネオコンの論理」ってタイトルで邦訳されてるんだけど(そういやそんなのあったなぁ・・・)、そのなかでこいつが言ってることといえば、世界の秩序は武力によってのみ守られる、圧倒的な武力でかく乱勢力を除去する力とそれを実行する決意だけが世界平和を維持できる源泉であってそれを持っているのは世界広しと言えどもアメリカ一国のみ、国際的な枠組みによる協議など時間の無駄である・・・。

 うーむ、凄いです。やっぱ、このシンクタンク、よく分かりません。何でもありなのか、いや、要するに、戦略的にいろいろ計算しつつ、力と力に裏付けされた決意のみを信用するというネオコン思考の普及につとめているんでしょうかね。それともこいつが超異色なのか、よー分からんわ。ま、「組織」というものを単純に見るのだけはやめたほうがいいってわけです。
 たしか、ブッシュ政権は、アメリカとアメリカのイラク攻撃・占領に協力する国々の集まりを Coalition of Will だか Will of Coalition だかって(文法的には前者だよねぇ、どっちにしても下らねぇ)って呼んでるんだよね。日本語的には「有志連合」。武力を最も有効な解決手段だと考え、力で気に入らない相手を排除することを決意している皆さんの集まりだ。これに日本国も入ってしまってるんだよねぇ。読売の社説によれば、日本国民は先の総選挙で自衛隊イラク派遣を公約にしたコイズミ政権を支持したらしいし。ま、たしかに、そんな日本人イッパンかもしれないのが悲しいっすね。
 斯く言うあっしもナサケない転石男ではあります。まぁしかし、めげないようにしましょう。


04年 1月12日(月)   生命 (いのち) が生きてゆくために生き、そして僕は勝手に attitude を決める

 本日の3本目。

 最近の新聞で、哲学・倫理学が専攻の学者が、近頃の若者が自殺やリストカットを簡単にやったり、それを軽々と話し合ったり、あるいは何の屈託もなく脳死や安楽死のリポートをまとめ、死の自己決定を承認する、そして、死の教育や臨床に一生を捧げたいと言ったりする、そんな「生命倫理ブームと心理ブームの成果」を批評・批判し、自分はそうした若者や大人の「残酷な猥褻と残忍な倒錯」とは異なる、別の態度と行動を探している、と書いていた。「態度と行動」、attitude and action ですね。

 僕はそれを読みながら、詩人ケン のことを想い出していました。

 答えは風のなかにある。

 睡眠中のユメが余計に眠りを浅くします。

 パラノイド・スキゾフレーニアとは、お付き合い。
 パラノイド・スキゾフレーニア・ハイは小康状態、かな。
 首と腰の椎間板さんともお付き合いだな。

 ヤクを飲み、覚醒剤は打たず、キーを打つ。

 僕は、 金色の心 を探します。
 いつか、僕は解放されます。
 ずっと 金色の心 を探します。

 カネはあんまりかからんよ。
 ただ、僕にとって僕らにとって、とても大事なこと。

 今日は、家族3人で近場の神社に行くで。健康祈願や。(後記 : 「家内安全御守護」のお札を買ってきました。)

 仏寺も行く、神社も行く、キリスト教会でブラック・ゴスペルも歌う。それでも attitude はあるんだ、これが。

 僕は粘っこく、勝手に生きます。愛する家族と共に。妻と共に。息子と共に。
 田舎や、田舎から離れて住む家族と共に(リンク先は家族ブルーズ・・・)。

 トム・ペティ曰く 「ロックは attitude が大事なんだ。」

 僕は、「ロックな日常を求めて」、かつ、生命(いのち)が生きるために生きます。

 僕は粘っこく、しかし勝手に生きます。勝手です。
 「社会」にもメッセージを出し、時には微力でも出し、勝手に生きます。
 この 日本国南東北 の地に足つけ続けて