03年12月22日〜12月27日
最近の子供はどうか分らないけど、今の大人の多くはガキの頃に日記を何日か書いた経験があるのでは? 本日の2本目。
・・・ ったって、夜中です。未だ、本日の朝は迎えてません。これ打ってアップしたら寝るよ。眠れるかな。
毎度毎度のことながら、ボケじゃなくて意識しての繰り返しですんで、日本統合失調症臨床学会の皆さん、誤解なきよう、へんな論文書くなよ。
答えは風のなかにある。
昼間眠たい。夜眠れない。
パラノイド・スキゾフレーニアは、心のコントロールで消耗します。
パラノイド・スキゾフレーニア・ハイは小康状態でしょうか。分かりませんな、自覚的には。
首と腰の椎間板さんはぼちぼちでんな。あんまりイイ感じにはならんわ。
ヤクは止まらんです。ただし、覚醒剤は打たないで、キー打ってます。
パラノイド・スキゾフレーニアの心は 金色の心 を探します。
いつか、僕は解放されます。 そう想うことがまず大事です。で、実際、解放されると「想う」。実際の話、解放される。
僕は 金色の心 を探します。
高価なものでも高尚なものでもない。ただ、僕にとって僕らにとって、とても大事なこと。
僕は粘っこく、勝手に生きます。愛する家族と共に。妻と共に。息子と共に。
田舎や、田舎から離れて住む家族(ど「演歌」へのしつこいリンク・・・)と共に。
トム・ペティ曰く 「ロックは attitude が大事なんだ。」
僕が言いたいのは、社会に対する姿勢ってやつに限定したハナシじゃないけどね(トム・ペティは音楽から社会、たぶんいろいろだろう)。
僕だって(笑)、「ロックな日常を求めて」生きるって銘打ってるんだから(ヤク打ってません)。
行動するにも姿勢とか構えが大事なんだ。attitude and action ってわけさ。容易じゃないけど、attitude がなきゃ始まらない。
僕は粘っこく、しかし勝手に生きます。
「社会」にもメッセージを出しながら、たまには微力でも出しながら。
この 日本国南東北 の地から。
本日の3本目。
以下、大量破壊兵器 については、WMD( Weapon of Mass Destruction )と書きます。標題に挙げた5ヶ国のWMDについて箇条書きします。
国際社会におけるアメリカのダブル・スタンダード というものが、いかにひどいものか、今まで知らなかった人にも分かってもらえるように、既に認識している人にも改めて意識してもらえるように、WMDを巡る問題を象徴的な例として取り上げたいと思います。
アメリカ政府の対外政策は、イスラエルとそれ以外ということで言えばダブル・スタンダード なのですが、厳密に観察すれば トリプル・スタンダードとだって言える し、いや、そもそも「国際社会に対して通用する」一貫した基準など無い のです。
アメリカには、つまりその国内においては、そこそこの民主主義的システムと、そこそこの(しかし日本社会におけるそれを凌駕する)言論・表現の自由が存在しますが(それでも少なくとも現実を観れば、優先されているのは強者の自由であってセイフティ・ネット的な側面は相当に不十分だと思います)、アメリカという国(「国家」)は、国外、国際社会に対しては、おそろしくエゴイスティックです。 Harmony など何も考えていません。常に、もしくはほとんど常に、短期的な国益、自国の利益しか念頭にありません。
アメリカには僕としてリスペクトする人物がたくさんいますが(ニール・ヤング、ポール・サイモン、ボブ・ディラン、トム・ペティ、マイケル・ムーア、ショーン・ペン、ダスティン・ホフマン、過去にはキング牧師、数え挙げたら限がないほどです)、そして彼らが唱えるであろう Freedom にはたいへんな魅力を感じますが、一方でアメリカの政治上のエスタブリッシュメントが唱える「自由」は、あくまで「強者の自由」、あるいは自分達が許容する限りにおいての限定的な「自由」です。「他人」の、異文化の、つまり「他者」にとっての自由、「他者」の自主独立を、「他者」の立場に立って「考えてみる」ということが、彼らにはないのです(くどいかもしれませんが、アメリカのエスタブリッシュメント、政治権力の大方のことを言っています、そこにも時として「例外」はありますよ、もちろん)。多くの人はそこまで言うかと思うのかもしれませんが(でも何故でしょうね)、ついこの間ぐらいの「世紀」には先住民の社会を放逐して「国家」を造り、また、アフリカから「運んだ」、元々アフリカに住んでいた黒人を社会のなかでも私的生活においても「奴隷」としていたではありませんか。それからどれだけの時間が経っていますかね。
以下に、外国のWMDとアメリカ政府の関係を箇条書きにしてみましょう(あまりに普通の「風景」になってしまって大半の人や国が意識しなくなっているほどだと思えますが、そもそも世界最大のWMD−「大量破壊兵器」−保有国家はアメリカ「自身」なのですが)。
この件の詳細は、例えば こっち をご参照。
WMDの定義には生物兵器、化学兵器が入るようだが(確かにこれは「大量破壊兵器」であり「大量殺傷兵器」だからね)、サダム・フセイン独裁政権は、過去にイランとの戦争や自国内のクルド民族制圧に化学兵器を使ったことがありました。たしか、湾岸戦争後、南部のシーア派の人たちにも使ったんじゃなかったか。
核兵器については使ったことはないし、持ってはいなかった。開発計画があったかどうか、厳密にははっきりしていない。おそらくは、開発の意図はあったのではないかと思うけれど。ただ、 「意図」 と 「計画」 と実際の 「開発」 を全部ごっちゃにして区別できなくしてしまうのは、世界の先進国のリーダーのなかでは、ブッシュくん とコイズミくんだけかな。ブッシュに協力してしまったブレアくんだけど、オツム(頭ね)の方はそこまでヒドクはなさそうに見えるんですが。
いずれにしても、イラクは、少なくとも当初、国際機関による査察には非協力的だったのは確か。しかし、たしか、その非協力的態度とクウェート侵攻の事実に対し、国際社会から何年もの間、経済制裁を受け、再び査察を受け入れるようになり、去年の秋頃だったかな、国連決議による強い強制力のある査察の効果も出始め、かなりの強硬手段としての査察が続けられ、ほとんど調べ上げられ、イラクもその間にかなり協力的になった(国際社会の圧力が功を奏した)。
査察実施の責任者はあと数ヶ月あれば終了すると言っていた。
その時点で、WMDの存在や進行中の開発計画の証拠は何もみつかってなかった。つまり、少なくともその頃には、イラクにはWMDがない、もしくはWMDまたはその開発計画を既に放棄した可能性があると思われるようになっていた。
にもかかわらず、アメリカは当初予定通り、イギリスと共に、国連安保理が許容しないイラク攻撃を開始した。明白な侵略戦争だった。そして、今はその米英がイラクを占領している。
この間もずっと、アメリカはイラク国内でWMDを探している。何とか戦争を正当化したいのだ。アメリカのことだ、ジェシカ・リンチ「電撃的救出作戦」 のように、そのうち、「サダム・フセインのWMD開発計画」(の証拠や証言、「自白」?)だってデッチ上げないとも限らない。 少なくとも、そういう疑いをプンプン臭わせる国だ。臭いんだよ。このサイトでは何回も書いてるけど、過去にはベトナムはトンキン湾で自国戦艦が攻撃された「芝居」をデッチ上げて、それを口実に北爆(北ベトナム爆撃)を開始した国ですよ。
今月 20日の朝日朝刊報道によれば、アメリカ政府は 18日、過去にイラクでWMD開発に携わった科学者を対象に、その技術を今後のイラク復興に活かしてもらうプロジェクトを始めると発表し、その目的はイラク再建支援とイラク内の危険な技術と「頭脳」の国外流出を防ぐことにあるとしているが、これだって、穿った(ウガッタ)見方をすれば、戦勝国による強権で虚偽の「自白」「証言」でもデッチ上げたいんだろうかとでも想像したくなってしまう。
アメリカのこの数ヶ月のイラクWMD探し劇を言えば、6月以降は、元国連兵器査察官、現アメリカCIA顧問のデビッド・ケイ氏がアメリカによるイラクWMD調査団の団長となり、1,400人ものスタッフを率い、生物・化学兵器や核兵器などを捜索してきた。侵略攻撃開始前の国連査察を経て尚こうして続く大規模調査によっても、いまだ証拠は見つからない。ロイター通信など複数のメディアによれば、CIAを含むアメリカ政府関係筋の情報では、調査団団長のデビッド・ケイ氏は、証拠が出てこないことに失望し、近々にでも辞任したい意思を周囲に漏らしているってことだ(今月 19日朝日夕刊)。
それで今、ブッシュが何て言ってるか。
ブッシュ曰く
「(イラクが実際に大量破壊兵器を持っていたか、単に可能性だけだったかは)どんな違いがあると言うんだい? もしサダム(フセイン元大統領)が大量破壊兵器を手に入れようとしていたなら、つまり彼は危険だったということだ」
このとんでもない言い草については、こっち をご参照あれ。
先日、カダフィのリビアが、自国のWMD開発を認め、その廃棄(もしくは計画放棄?)と今後の査察受入を国際原子力機関(IAEA)に対して確約した。本当かどうかは分からない。開発が本当かどうかも分からないし、本当だとしたら、今度は廃棄の約束履行が保証されたことだって、未だ確たることとは言えない。とにもかくにも、国連もしくはIAEAによる査察が先でしょう。もちろん、アメリカ調査団による査察なんて愚の骨頂です。
過去のIAEAによるリビアでの査察は上記のイラクに対するような強硬措置ではなく、今日の朝日朝刊報道では、IAEA関係筋によれば、数年前にIAEAは実験施設から少量のプルトニウムを検出したが、これが申告義務のない施設だったため、自主申告ベースでリビア政府側に説明を求めていたらしい。また、ウラン濃縮のためのガス遠心分離器も開発中だったが、実際にウラン濃縮が行なわれたかどうかは不明とのこと。
IAEAは、申告義務のない施設で核物質が検出されていたことは問題視しているが、リビアは技術的には初期段階で、核兵器開発完了・保有後に廃棄した南アフリカや、廃棄物処理関連を除くほぼ全ての核燃料サイクルを建設中のイランに比べ、技術水準はかなり低いとみており、イギリス政府などによる「リビアは核兵器開発間近だった」といった指摘は疑問を残すということのようだ。
尚、イギリス日曜紙オブザーヴァ―は 21日、リビアが米英に対してアルカイダなどイスラム過激派組織の活動家数百人に関する情報を提供した、と報じた。
アルカイダは元々イラクともリビアとも協力関係などなく、ビンラディンが世俗的なサダム・フセインを毛嫌いしていたことは有名だ。イスラム原理主義の彼が、偶像崇拝につながる個人崇拝を受けるカダフィを許容することも考え難い。要するに、リビアの情報機関が北アフリカと中東地域に持つ情報網から得ているデータを提供した、ということだろう。
リビアはイラク同様長らく経済制裁を受けており、おそらく国内経済は疲弊している。今年3月の米英による本格的イラク侵略攻撃開始の前から米英と接触していたということだから、経済的に瀬戸際まで追い詰められたリビアが、経済制裁解除について米英から同意を取りつけたかったというところが背景と言っていいだろう。
イスラエル政府は、自国の核兵器保有を肯定も否定もしないという方針を取り続けているが、イスラエルは中東で唯一NPT(核不拡散条約)に加盟していない国で、イスラエルの核兵器保有は国際社会における常識になっている。IAEAのエルバラダイ事務局長は今月、イスラエルのクウォリティ・ペーパーであるハアレツ紙のインタヴューに対し、「イスラエルの核政策は(周辺、つまり中東)地域の核(開発)競争をあおっている」と述べている。
にもかかわらず、イスラエルに対する査察を求める声は、国際社会の大勢を動かさない。イスラエルに対する経済制裁など、聞いたこともない。国連安保理では、イスラエルが不利になるとする決議案は、アメリカの拒否権発動によって、ことごとく葬り去られてしまうのだ。
それどころか、アメリカは、このイスラエルの周辺諸国に脅威を与える政策、そしてパレスチナ人に対する「国家テロ」的政策を、同国建国以来ずっと今に至るまで、同国に対する大量の兵器・武器等の軍事援助と巨額の経済援助によって支え続けている。
これをアメリカのダブル・スタンダードと言わずして何と言うだろうか。他に言いようがない。背景の一つには、端的に言えば、イスラエルを支えずしてアメリカ大統領選に勝つのは極めて難しいという、アメリカ国内の政治状況があるわけだけれども(でも本当にそうなのか、イスラエルと他国とを区別するダブル・スタンダードをアメリカが放棄することは、本当にそんなに困難なことなのか、その実際のところは僕には分かりません)。
今月 18日、イランは、イラン国内の核施設に対する抜き打ち査察の権限をIAEAに与える追加議定書に調印した。イランは、自国が秘密裏に核兵器開発を進めているとのアメリカ側の主張を否定することを望んでいるという。
イランが主張する通り、同国の核開発はいわゆる「平和利用」目的(普通は原子力発電とかのことかな)だけなのか、真実は判らない。外国から疑いを持たれているという事態を受け入れることは国の「面目」に関わるようなことでもあり、IAEAに対して自国の核施設への抜き打ち査察の権限を付与するという以上、状況証拠的には、現時点で軍事目的は持っていない、もしくはその計画が過去にあったとしても既に放棄している、そのいずれかである可能性は大きいのではないか。もちろん厳密かつ精度の高い査察が終わらなければ断言できることではないけれど。
ブッシュのアメリカはこの間、イランをイラクと北朝鮮との2国の同列に置き、「悪の枢軸」( Axis of Evil )というレッテルを貼ってきたが、イランのハタミ大統領は「文明の対話」を主唱する開明派であり、国内の保守層とのパワー・バランスを保ちつつ、同国の改革を行なおうとしている人だ。今後のイランがどうなるのか、もちろん僕には分からないが、ブッシュの単細胞振りにはあきれるというしかない。そもそもサダムと金正日にしたって、ただ独裁者ということだけで共通しているんであって、両国は同盟関係にも軍事同盟関係にもなかった。そこに第二次世界大戦前の独伊日(フツー日独伊って書くんだけどさ)三国 「同盟」 に対しての「呼称」であった「枢軸国」( the Axis )という言い方を持ち出すこと自体、ブッシュの脳足りん振りを象徴しているわけですが(ま、脳足りんという意味では日本国のコイズミもどっこいドッコイだけどね)。
サダムのイラクと金正日の北朝鮮には、兵器・武器の輸出入関係はあったかもしれないですよ、アメリカがイスラエルに対してやってるように。まぁでもアメリカとイスラエルは軍事同盟関係であって、しかも前者が後者を一方的に支えてるわけです(ブッシュは大統領選でアメリカ国内の「シオニストの」ユダヤ人に支えられもしただろうし、次回も支えられるのかもしれないが)。・・・ あ、イランから話題が逸れちゃったな。
北朝鮮はもう核兵器開発段階に入っていることを認めている。それどころか、それをアメリカとの駆け引きに使っている。もちろん、極めて危険な駆け引きだ。
一方で、北朝鮮も経済制裁は受けているが、WMD「疑惑」だけの段階で米英から武力行使、侵略攻撃を受けたイラクに比べ、こっちは北朝鮮が6ヶ国協議すらなかなか受け入れないまま、交渉や協議をやったりやらなかったりの状態だ。
もちろん、イラクに対したのと同様に武力行使しろとは言わない。当然、「疑惑」でなく自身が認めている以上はもっと木っ端微塵にやっつけろなんて言わない。それは北東アジアを破滅に導くだけだ。外交交渉を続け、金正日独裁体制の北朝鮮をマトモな交渉のテーブルに引き出す以外にない。
残念ながら、世界に独裁国はたくさんある。これからだって、金正日のようにWMDを保有して対外的な威嚇の「武器」としたい、下手したら使用したいなんて独裁者は他国でも現れるかもしれない。それを抑止する、もしくは外交、あるいは外交の駆け引きで何とか平和裏に解決していくのが、とりわけ戦争の世紀だった20世紀を経た、今世紀の国際社会の英知(叡智かな、wisdom ですね)に求められるところでしょう(何だかずいぶんと高尚な話になっちまったか・・・)。
まぁとにかく、WMD、つまり「大量破壊兵器」を巡っては、というか、「大量破壊兵器」の問題を巡って 「も」 と言うべきか、アメリカのダブル・スタンダード、トリプル・スタンダード が厳然として存在するってこと。長々と書きましたが、そういうことです。
イラクのサダム・フセインは、極悪な独裁者でした。しかし、悲しいことですが、独裁者は世界に数多くいます。国の数だけで言えば、少なくとも欧米型、あるいは(もっとマトモな)欧州型の民主主義のシステムを持っている国の方が少ないでしょう。
実際のところ、世界はサダムのような独裁者に振り回されているのではなく、ブッシュのような単細胞がリーダーとなる超大国、スーパー・パワーのアメリカという国家に振り回されているのです。で、日本国は、そのアメリカに追従、事実上ほとんど盲従しているわけです。で、それでですね、僕も日本人の一人だし、愛する妻も日本人の一人だし、愛する息子も日本人の一人だし、そして、彼は将来の日本の成人になるんです。
トム・ペティ曰く
「ロックは attitude が大事なんだ。」
トムさん、いいこと言ってくれたわ。
attitude 、 そして 、 attitude and action ですね。
何とかやっていけるかな。生きていけるかな。
もちろん、生きていけるよ。
もちろん、生きていくよ。
もちろん、愛する家族と共に、生きていくよ。_
今日は息子が参加している野球チーム、今年最後の練習日。
まずは企画もので、父親チームと子供たちチームの試合。
首と腰の椎間板バクダン抱える僕も気張って参加はしました。流石に無理はせずってわけで、それに今日は僕も含めて「お父さん」がたくさん来ていて交代もした方がよかったし、途中まで、3イニングほどだったかな、試合に出ました。
打席は2回。最初は三振(いやぁ打てんわ、笑)。何とか連続三振は免れて2打席目はボテボテのゴロ。ゴロは既に(笑)背後だったから誰が捕ったか分からないけど、あれはキャッチャーゴロかな(笑)。見事にアウトでした。
守備は、直接的(?)守備機会は2回。フライ・アウトと強襲ゴロを捕っての一塁アウト。ナカナカじゃろう(笑)。あとは中継プレーがちょっとだけだったな。ま、エラー無くて良かったよ(笑)。何回も笑ってすまんね。ホッとしたんだよ(再・笑)。
息子は初回の守備だけ出場。後は攻守共に全員6年生プラスOBの中学生(2人)、あ、なんと監督も子供チームに入って強力メンバーでした。
試合結果はダブル・スコア以上だったかな、もちのロンロン親父チームの負けでした。
間違いなく、僕は明後日あたり腰とか足が痛くなるでしょう。マジで椎間板さん大丈夫かね。ま、何とかなるでしょう。十分に生きてはいきますんでね(笑、笑うよ)。
その後は納会。日頃お世話になっている監督さん、コーチの皆さんに、ただの(笑) 父親連も交じり混じって、もちろんいつも交代で支援してる母親の皆さんも。で、主役は子供らです。
楽しい会になりました。
子供たちの個人成績も配られたけど、まだまだ試合出場機会は多くない息子だけど、数字的にはそこそこなんだな。ヨイってわけじゃないけど、息子は頑張ってると思う。「おとなしめ」だからね、人にはストレートに伝わらんかもしれないが、練習の日以外も家の外で自主練習したり朝走ったりしてるし。 attitude は認めてるんだ、僕は。長い眼で見ればいい。まずは attitude さ。それに action が伴ってるんだから、僕は息子に YES だよ、もちろん。自分なりに上を目指せばいい。もちろん他者と競争して磨いていくのも大事だし、それも見守ったり支援したりしていきたいけどね。
来年もみんな、がんばろう。あっしも、も少し応援に行こうかな。
答えは風のなかにある。
昼間眠たい。夜眠れない。
パラノイド・スキゾフレーニアは、心のコントロールで消耗します。
パラノイド・スキゾフレーニア・ハイは小康状態でしょうか。分かりませんな、自覚的には。
首と腰の椎間板さんはぼちぼち。
ヤクとはお付き合い。
パラノイド・スキゾフレーニアの心は 金色の心 を探します。
いつか、僕は解放されます。 そう想うことがまず大事です。で、実際、解放されると「想う」。実際の話、解放される。
僕は 金色の心 を探します。
高価なものでも高尚なものでもない。ただ、僕にとって僕らにとって、とても大事なこと。
僕は粘っこく、勝手に生きます。愛する家族と共に。妻と共に。息子と共に。
田舎や、田舎から離れて住む家族(ど「演歌」へのしつこいリンク・・・)と共に。
トム・ペティ曰く
「ロックは attitude が大事なんだ。」
(最近、これ多いな、笑)
attitude and action です。
僕は粘っこく、しかし勝手に生きます。愛する家族と共に。妻と共に。息子と共に。
この 日本国南東北 の地で。
23日は息子が参加している野球チームの6年、中学生OB、監督の混成チーム対父親連合チームの試合に参加。頑張りました。
が、がんばりましたが、やっぱ身体痛くなりました。めちゃ痛くなりました。椎間板バクダンも何回か爆発したようで、腰痛がひどい。ついでに言うと、寒風のなかやったからか、簡単に風邪もひいちまったようで(ナサケないのぉ・・・)、病院に行った後、1日寝込みました。1日仕事休みです。
いろいろ持病がありましてな、たいへんなんですわ。脈絡もなく、あっしのCV見てみ。 (えらい自己顕示欲やな。・・・って、こういうの「自己顕示」っていうのか「露出狂」っていうのか?) ま、たいねんなんや。しつこいか。毎度のことやがな。
本日の1本目。
19日(金)に二郎さんのところ行ったんだけど、日誌つけてなかった。
今日27日(土)も行って、今日はヤクだけもらってきた。そういうわけで合併号。
ここんとこはあんまり眠れん。浅いように思う。しかしヤクは変えてない。先週行った時は、次は正月にキレ(!)てしまうので、まとめて4週間分頼んだんだけど、どうも寝る前のヤクは2週間を超えて処方しちゃいかんものらしい。やっぱ合法的ヤクだったんだ(笑)。
で、じゃ、次は特に変わりなければ年末に行って、さらに2週間分いいですか。「ええ、まぁ、変わりなければいいですが・・・」 ってここら辺りはけっこう大雑把かね。
っつーわけで、今日は急ぎもあって、ささっと行って受付でヤクだけ頼んだんだけど、大丈夫でした。まぁこの1週間特に変化無いって言えば無いんで、ええやんかとは思いますが、しかしですね、ヤク袋開けてみたら、このところ1回1錠だった夕方のヤクが以前の1回半錠に戻ってたんですよ。これは単なる薬剤師の間違いなのか、二郎さんの処方の間違いなのか、いや、何を失礼な! 二郎さんがこの間の経過を考えて意図あって変えたのか。うんうん、そうだ、それに違いない。あっちもこっちも大らかに考えとくしかあんめぇな。そうするよ。とりあえず、来年また行くんだからその時訊きゃいいや。そうするぞ! 忘れちゃったらそれはそれでいいや。いいのか。いいや。いいんだよっ!_
本日の2本目。
Christmas といえば、去年まで、うちにはずっと Santa Claus が来ていた。というか、息子が「ものごころ」ついてからかな。毎年、どこからともなく、来てたよ。
僕も妻もクリスチャンじゃないけど、子供の頃の dream っていいなって話し合ってたら、その年からずっと Santa Claus が来るようになったのさ。
今年のいつ頃だったか、本当はおとんかおかんじゃないかって言った時があったらしい。
結局、Christmas Eve の夜、息子に話した。話したっていっても、こういうこと。つまり、息子はもう小5だ。 Santa Claus は世の中のたーくさんの小さな子供たちに贈り物するのに忙しい。11歳ぐらいの子のところには来れなくなるかもしれないって話をよく聞く。未だ分からんが、来なかったら、今年は特別に、おとんとおかんが小さな物を買ってあげよう(鉄道模型用の小物でも買おう)。
(後で追記: 今日夕方、街の模型店行ったんだけど欲しいものが上手く揃わず留保、誕生日と並んで年2回のNゲージ chance のうちの1回、「お年玉」分に上乗せすることになりにけり・・・ )。
父親である僕なんか、小4の頃から、もう相当にマセがきだったのに、息子は本当にピュアみたいだ。25日の朝の息子によれば、Christmas Eve の夜中に眼が覚めて、外にトラックが止まる音が聞こえたんだと。おまけに玄関が開いて、誰か階段を上がってくるような気がしたって。でも何もなかったわけだ。だから僕は言いました。おまえはもう大きいから、それを見て、他のもっと小さい子のところに廻ってあげようって思ったんじゃないか。
ずいぶんとピュアな息子だけど、流石にまぁまぁは疑問に感じたりはしてるはずだ。口にあんまり出さないだけかもしれん。しかし、僕と妻は、それでいいと思ってる。 dream は子供のときこそ見れるような dream もある。それに、トラックの音だって、階段上がる音だって、息子の耳には聞こえたんだ。たぶん、大人には聞こえない。大人になると、子供の頃に見えたものが見えなくなったり、聞こえたものが聞こえなくなったりする。できるだけ、ずっと見えるものは見えて、聞こえるものは聞こえるままがいいな。
そういうものがなくならなきゃ大人になれないなんて誰が決めた? そんなこと、人間に決められることじゃないのさ。見えるものが見えて、聞こえるものが聞こえるままで、それでも世の中の現実も知りながら理解しながら、世の中に対する attitude を身につけながら、大人に成長していくことは可能だと思う。僕は息子にそんなふうに成長していってほしいって思ってる。
彼はたまにメールやったり、大好きな鉄道関連のサイトを検索したりして、インターネットの世界に時々入ってる。もちろん父親がこんなサイト持ってるのも知ってる(息子曰く「おとんは評論やってるんだよね」)。父親の僕の影響だと思うけど、小5にしてはえらい政治や社会に詳しい。ニュースもわりときちんと見てる。でも僕のこのサイトは、字が多過ぎるし、めったに見ない。じっくり読んだりしない。だからね、この日記も彼は読まないと思ってるんですよ、僕は。僕はそういう前提で、今日のこの日記を書いたのさ。
今日は初雪が積もりました。息子は大はしゃぎで、ずっと外で遊んでました。
本日の3本目。
昨日、職場の同僚との話で、先週土曜のNHK放映の番組での後藤田「翁」の話が話題になった。「翁」が日本のあるべき将来像について自分自身の考えによる明確なイメージを持っていて、それをきちんと表現したことに心打たれたということを、少しの間、語り合った。
後藤田「翁」のその日の話の詳細については、先日の日記の ここ から記している。
そこでも書いたが、番組の最後に、今後の日本にとって大事なことは何だと考えるかと司会者に問われ、後藤田「翁」は、大略次のように述べた。
平和の国であることが大事である。
自主の国であることが大事である。これは何もナショナリズムを言っているのではない。しかし、対米一辺倒はやめるべきだ。
共生の国であることが大事である。これは国内にも国外にも言える。近頃は「強者の論理」が偏重されているのではないか。国際社会において「国力」の弱い国に対しても、また国内の社会においては社会的「弱者」とされがちな人々とも、共に生きていこうとする姿勢が大事だ。
ここでは記憶の範囲での表現になってしまうが、他の3人が何て言ったのか、対照できるように記しておきたい。
大江は、ちょっと彼には気の毒だったが、司会者から「逆にこうはなってほしくないとしたら、どういう姿ですか」と斬り口を指定されてしまったのだった。もっとも、大江本人にそういう指定をされてしまう原因があるとも感じるが。まぁ簡単な話、僕は彼はあんまり好きではない。結局彼は、ヒロシマ・ナガサキを忘れないように、というようなことに触れたように記憶している。
大事なことである。しかし、表現の姿勢に何かが足りない。過去から未来につないでいこうという明確で前向きな「希望」のようなものが、僕には感じられない。
中曽根「爺」はこう言った。
「伝統ある文化国家に」。あるいは「誇りの持てる文化国家に」だったか「平和的な文化国家に」だったか、はっきりとは記憶してない。要するに空疎な言葉だった。「文化国家」とは、民主主義みたいなこともある「が」、「自分の国の伝統や歴史を大事にして誇りに思えるような国」という趣旨の言葉だそうだ。
伝統や歴史を知り、学ぶことは大事だ。しかし、それはそのままあるべき将来像につながるものではないし、そのままイコール「誇りに思える」ということにつながる行為でもない。僕は、この戦後史でも(良し悪しは別にして)比較的記憶に残りそうなタイプの元総理大臣の、おそろしく空虚な言葉に改めて唖然とした。
栗山「元」外務事務次官・「元」駐米大使・「現」外務省顧問のじいさんが言ったのは2点。
「平和は大事だけれども、平和をリスクを引き受けること無しに獲得することはできないし、それは国際社会のなかで通用しない態度だ。」
この言葉だけ取り出せば、必ずしも否定するものではない。ほぼ同じ言辞を、しかし栗山じいさんの意図することとは別の方向に向けて発することが可能であるが、この日の番組の文脈のなかで、彼が言おうとしたことは、要はカネだけでなく、血も汗も流すということをしなければいけませんよ、日本だけが兵を出すことはできませんとは言っていられませんよ、というような、「哲学」みたいなこととは関係のない話だった。何のために、がない。「平和」のために? 彼の描く「平和」像に深みが感じられない。ただ、彼がもうひとつ言ったことは、(文化の、だったかな?)多様性に対して寛容になろうということだった。その言辞自体は良い。わざわざ「この辺りは中曽根さんといささか意見を異にするかもしれませんが」と付け加えていたのもヨイだろう。
しかし、この人は結局カンリョーである。官僚だから「カンリョー」なのではない。「カンリョー」たるべく生きて「カンリョー」となった人である。あんまり書く気しないのでクドクド書かないが、この間は「自衛隊」イラク派遣問題に関する「論稿」も朝日紙上で見たが、とにかくリスクを引き受けようというのがテーマの中心だった。対米追従姿勢一本の外務省による日本外交の「本流」を歩き、今も日本外交(外務官僚)に対して隠然たる力を持つと言われる人、これが、しかしもうアンタ爺さんじゃねーかというようなヨワイ(齢)で、平気で「これからは日本人も血を流せ」とノタマウのだ(わしらの世代は対米は「思いやり予算」に象徴されるようなカネで済ましてきたが・・・なんてこと口出しては言ってませんよ、そりゃねぇ・・・)。 爺さんのこの種の威勢のイイ論調や attitude って、僕は好かんですよ。何故、今の現実を変えていく、「希望」ある未来につながるような語り口をしないんだろうか。もう爺さんだから?
ま、しかし、オレなんか爺さんになったら何にも喋らんかな。それも寂しいね。なんか次の世代に多少とも意味ある attitude and action をしていたいよね。どうっすかね。分からんな。何か喋ってるだろ、そんな威勢のイイようなハナシじゃない話をさ。・・・ ま、未だ先は先だ。
そうだ、もう1回、後藤田「翁」に戻って話を終えよう。
僕には言うまでもないことなんだけど、僕は自民党なんかに投票したことなど、一度もないですよ。
しかし、元自民党の国会議員、元副総理である後藤田「翁」が示した見識や理念らしきものは、「ゴケン」呪文主義者なんかよりはずっと崇高で、それでいてリアルに感じましたね。僕はとにかく後藤田「翁」から見識や理念の「迫力」みたいなものを感じて、心打たれたわけです。
後藤田「翁」のその「迫力」の詳細は、この件での僕の論稿モドキの「本論」、先日、12月21日の日記なんですが、(日本の!)社民党的「ゴケン」と後藤田「翁」の見識、ケロッグ不戦条約から国連憲章 の方に書きました。
今日のは追記程度のものです。昨日、あの日の後藤田「翁」のことが話題になり、今日になって、ふと他の3人のことも忘れぬうちに「覚え書き」しとこうと思いました。備忘録みたいなもんです。あの頃誰がどんなこと言ったのか、自分がどう受け取ったのか・・・。そんなんここに書いといてどうするんかね(笑)。知らんわ(笑)。