実録型パロディCV

− あっしはいかに生まれ、イカに生きてきて、いかに生くべきか −

− 文責 : 本人 (匿名希望) −

私、ロックなエゴイスト左派、もしくはパラノイド・スキゾフレーニア男、はたまたジャンキーなサヨク、こと○△□(匿名希望)は、以下にイイカゲンに自分の実録型パロディCVをまとめてみたいと思います。趣旨が趣旨ですから(それは私だけが知っている、いやあっしもよーわからん!)、今後ちょくちょく手を加える可能性大につき(ま、気マグレゆえ分かりませんが)、そこんとこ、ご了解いただきたく何卒宜しくお願い申し上げます。
だいたいイクラおちゃらけだって、いっぺんには書けんよ。気が向いたら適当に加えたり変えたりするわさ。

尚、本CV内容については、当サイトの他のコンテンツ同様、著作権を執筆者本人(匿名希望)が保持しております。無断転載を禁じます。
とりわけココは人のプライバシーに関わるところ、ゆめゆめインターネット上に公開するようなことはしてはいけません。
ココ? ココはハイ、インターネット上です・・・。

全体として真実・実録のCVなのですが、講義名とか肩書にはパロパロが入ってたり、実録テキストの中に意図的誤字パロパロが入ってたり(でも読めば分かるよねぇ)、若干名、じゃなかった、若干だけ、複雑なテキストでして、本人の気持ちの方はむちゃくちゃに複雑ですねんこと、最初にお断りしておきます。・・・ ま、このCV遊びページ見てる人、当サイトの1,000万人の読者のうちの数人ぐらいかと思いますが。っつーか、一人?(オレだよ!)
そこの貴方、アナタはとても稀有な存在です。
(2003年11月 1日、記)

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  実録型パロディCV 、とぼとぼと書かせていただきます。


  私の 本名 と ハンドルネーム 

  私の 略歴 ・ 持病 ・ 肩書 

  私の 転石実績 

  私の 講義可能テーマ 及び 講義使用可能言語 

  私の 住所 






  1. 本名 : 匿名希望

  2. ハンドルネーム : ロック


  3. 略歴 :
    '60年アンポから3ヵ月後の日本国、騒岡県は山町生まれ。小中学校時代は寝童だった。高校時代から本格的に転石傾向を見せるが、それについては下記。ちなみに高校時代に謹慎(キンシン)処分1回。当時以降の恋愛遍歴は単なる楽しい想い出だが割愛(誰も訊いとらんって、ハイ)。
    北海道は南海道大学を朱席(?)で卒業後、某省庁所管の某公益法人に入職。その後、一身上の都合で退職、数ヵ月後に一転して出戻り。
    正真正銘の大馬鹿者だが、何とかかんとか仕事はやっている。根は真面目なのだが、だからというべきか、心底はロー・テンションにもかかわらず、表面上は近頃妙にテンションが高くなるのを自覚。周囲は昔の印象もあってか、気にしていないかもしれない。それどころか、逆に妙にオトナシイと見られている場合すら有り得る。いや、そもそも誰もいちいち言動を気にしたりしていないといった方が正確であろう。一部から大馬鹿者扱いされている可能性もあるが、それはやむを得まい。

  4. 持病 :
    Paranoid Schizophrenia (偏執的精神統合失調症・重症、泣・笑)
    近頃は Paranoid Schizophrenia High の症状もあり
    腰の椎間板ヘルニア(軽症、と本人は期待)
    首の椎間板ヘルニア(軽症、と本人は期待)
    先天性粘着質(納豆摂取過多により症状悪化、重症)
    その他、諸般の事情(という名の持病)

  5. 肩書 :
    パレスチナ子どものキャンペーン 会員
    社団法人 アムネスティ・インターナショナル日本 アムネスティ・フレンズ
    (上記2つは「まんま」でございます。「肩書」って言い方は明らかにヘンじゃがな。)

    - その他 -
    日本転石促進同盟設立趣意書・筆頭署名人
    日本石転がし実技試験落第経験者互助会 設立中止呼びかけ友の会 設立並びに設立中止呼びかけ発起人
    憲法破棄・日本人による平和憲法再構築促進同盟 設立準備会 会長
    日本メディア心理学研究所 フェロー
    日本法人心理学会 設立準備会 会長
    日本HTML友の会 特別顧問
    某公益法人 大馬鹿者職員
    アマチュア・ギタリスト(ただしもう1年以上ギターケースを開けていない。しかも、血筋はイイのにもかかわらず、本人はすっげ下手クソ。)(この記録から2年後、2005年10月30日に久方に弾いたわ、エレアコ。)


  6. 転石実績 :
    以下は氷山の一角であるが、考えるのが面倒なのでエライ瑣末な転石も書いてしまった。順番は適当だが、最初の a は私の性格にはあまりに不向きな経験でございます。ま、勝手に生きるしかないです、エゴイスト左派となってしまったからには。

    1. 某省庁所管の某公益法人に入職。その後、一身上の都合で退職、数ヵ月後に一転して出戻り。正真正銘の大馬鹿者である。この間の経緯詳細はさすがにナサケナイので割愛。
      転石失敗事例としては割愛するにはあまりにモッタイないほどの馬鹿事例だが、やっぱ控えさせていただきます。

    2. 高田馬鹿大学利巧学部を裕福でない家育ちで当然のことながら両親から猛反対に遭いながら逆らい続けて志望、ただ単にバカ者、じゃなかった、若者にありがちな根拠のない憧れからくるものだったが、実際、数学は大好きで、田舎の進学高の理系クラスに籍を置き、数学オタクの雑誌「大学への数学」の超難解問題を解いては悦に入っていた。同誌には一度応募、150点満点ぐらいのヤツだったと思うが、あと2、3点で「全国成績優秀者」として「ロック」の本名が記載されるところだった。なんか賞をもらったような気がするがよく憶えていない。その高校では数学では一度学年2番になった。1番は一度も無し、残念。あーあ、長い自画自賛。昔の自慢話って最低よね。まったくだ。

      物理化学ははっきり言って好きじゃなかったが、一応、高田馬鹿大学利巧学部用の模試では大抵「合格確実」とか「合格有望」とかいった判定ばかりだった。昔の自慢話って最低よね。まったくだ。そもそも今となっては何の意味もない話だ。まったくだ。

      それが高3の夏休み辺りから、突如私は文系に目覚めたのだった。っていうか、よーわからん。ガキの頃から一応は反体制的というか反権力的言辞もしくは言動をしてきた方の人間だったにも関わらず、なんでそんなこと言い出したのかわからんのだが、警察官になるとか、全く今思い出してもワケが分からんくなることも言った記憶がある。しかも、そのうち、そんなこともどうでもよくなったような気がする。

      職員室に行って担任に説明すると、担任は唖然としていたが、しかしその後で意外なことを言った。
      当時私の学年は「共通一次」(コレって今通じる言葉?)元年の入試を控え国公立行きたいヤツは7科目の勉強をしており、数V・物化・英語しか勉強してなくて(私の英語のボキャはあの頃が全盛であった、そういや英語も一度学年2番になった、つくづく嫌味な昔自慢である、中年親父の今は全然ダメである!)、嫌いな古文なんて実質白紙も同然の内容の回答用紙で職員室に呼び出された経験もあった、当時の私である。さすがに今さら7科目やる気にはならず、古文が試験科目にない私大の文系志望にするしかないと考えていた。どっちにしたって、私大志望なんて、当時の家の家計考えれば大の字がつく親不孝者だったのだと思うが・・・。

      ところが担任は言うのだった。「国立受けろよ。」

      迷った記憶は全くない。共通一次の願書締切1週間前に突如国立志望に変えた私は、政経、倫社など点を取り易そうな科目を選択することにして、本番3ヶ月前から共通一次の勉強に切り替え、見事に(笑)マークシートを乗り切った。共通一次の終わった日は、そのまま学生服で友人達と映画館に行き、「エマニエル夫人」を見た。ああ、懐かしのエマニエルよ!

      志望大学はとにかく遠いところにしようと決めた。家庭は円満だったが(今も関係は円満よ)、 バカ者の若者らしく「青年は荒野をめざす」なんて思い込みで北海道は南海道大学文U系にした。そこの二次試験は数学、英語、現国だったので、思うツボでもあった。

    3. 南海道大学文U系からは、3年次になると半分強が経済学部、残りの半分が文学部教育学科、残りが文学部行動科学科に行くという定員構成であった。
      私は当時「文化人類学」に関心を持ち、いくつか著書も書いていた、じゃなかった読んでいて、そいつをやれる文学部行動科学科に進む気持ちを固めていたはずだったのだが、(例によって?)希望を出す直前になって志望変更、経済学部にしてしまった。経済学部の定員は文Uからは半分強だが、希望者が多く、一応の成績を収めていないといけなかったが、大抵のバカ学生同様に試験前に真面目くん真面目さんたちのノートをコピーして適当にやり過ごしていた私は全然問題なかった。

      しかし経済学部に進んでみると、心底つまらなかった。当り前である。私はもともと、経済学なんてなーんにも興味なかったのに来てしまったのだ。直前に希望を変えてしまった理由は今も不明である。ちなみに文学部行動科学科は例年同様その年も人気がなく、希望すればただオッケーの世界であった。

      私は自分のバカさ加減に辟易し、文学部行動科学科の文化人類学の教授に相談に行き、「そりゃキミ、1年待って編入試験を受けたまえ。やる気のある学生は大歓迎だよ、うんうん・・・」との快い反応を得た。で、1年ガマンして転石、じゃなかった、転入、っつーか編入試験を受けるつもりでいた。思わぬ壁があることも意識しないままに。

      実は、編入試験は、その年の学生数に定員割れが生じた時だけに行なわれるのだった(今は知らねーよ)。果たして翌年、どういう 風の吹き廻しか、文学部行動科学科は例年より人気大幅アップ、他学部で3年次を終えたものの編入試験は行なわれなかったのである。

      その後、私は経済学部4年次をほとんど大学に通わないまま(ゼミ以外一つも講義に出た記憶がない)、アルバイトし続け、しかし例によって試験は何とか通し、そのうえで意図的に単位を残して卒業しないようにして大学に翌年からの1年休学を申請、リュックサック一つで旅に出た。この旅は他のところでちと触れてるので詳細割愛。

      最後の年は残した単位を取るだけ。就職は売り手市場で周囲は早くから「会社廻り」をしていくつも内定をもらっていたが(全く「会社廻り」をしなかった私にもゼミ教授を通じて某都市銀行から「来てほしい」との話があり失礼ながら電話で「ご遠慮」させていただいたくらいだった)、私はとにかくそうやって社会に出て行くのが嫌だった。理由は割愛。書くんならきちんと書きたいが文章考えるのがもう面倒。
      ちなみに今はちょっと考えが違う。考えもなくただひたすら全方位「会社廻り」するのなら愚の骨頂だが、バカモノ若者なりにではあっても、もっと勉強して一度具体的に深く真剣に生き方を考えておきたかった。いずれ 息子にはちゃんと伝える。
      とにかく、あれからもう約20年経っている。あの時の私は、「会社廻り」というものが嫌だったんだから要するにそれだけである。詳細理由は割愛(はは、上にも書いたな)。

      私は周囲の「会社廻り」の熱気をヨソに(よっぽど嫌だったんだねぇ)、某分野のNGOや政府系団体に定期採用の問合せをし、もっとも行きたかった二つのNGO(でも当時はNGOなんて言葉なかったような気がするなぁ・・・ま、今で言えばNGOだ、問合せ先NGOは当時は知る人ぞ知る、今はNGO界の老舗的有名団体です)からは「定期採用する財政的余裕がありません。是非会員になってください」との返事をいただき、そのまま会員にもならないままにしてしまった。で、それ以外の、定期採用をしてた政府系団体を二つ受験し、採用された方に入って(一つは落ちた)、その後、上の項に記した通り、考えるところあってそこを一旦辞めておきながら、そのくせにまた出戻った。日本大馬鹿者グランプリ大会出場資格はありそうである。決勝トーナメントぐらいは行けるかい?

      余談だが、何を反骨精神気張ったか知らんが(知ってます・・・)リクルートルックで「会社廻り」なんかするもんかと思ってたにも関わらず、実はちょっと行く末が心配になって、一応の志望職場の試験を受ける前に、当時としても遅めの時期だったのに航空会社の半日空の社員募集が終わってないことを知り、念の為滑り止め気分で受験、結局東京本社の役員面接まで、航空賃支給されて出かけた。よーく憶えてる。役員のおっさんに「大学時代キミがしたことで何かPRすることがありますか」と訊かれ、バカモノの若者だった私は1年休学の貧乏旅行一人旅について話し、自分には行動力があると「モノは言いよう」を言った。
      件の役員は言うのだった。「すると、キミは組織で働くには合わないかもしれないねぇ。」 嫌味なおっさんだった。

      この際ついでに書こう。滑り止めで大日本国営式放送会社の試験も受けた。「滑り止め」(笑)、である。あんなもの、マスコミ受験問題集とかで受験勉強しないでいて合格するはずがない。それから、やっぱ心の中での行く末不安で、もう一社、(中小企業を除く)世間のほぼ全ての民間会社への学生就職活動が終えた頃、某アルコール飲料会社、ライオン・シーグラムに問合せの電話を入れた。「いやもう定期採用枠全て決まってしまってまして、本当に残念です」 え? 何考えてたか? オレは酒好きなの。高校時代の謹慎処分だって酒がらみのヒロイズムが原因なんだから(詳細割愛、笑)。

      もう一つナサケナイ話をすると、結局入職することになる(その後転石出戻り・・・しつこいかい?)某公益法人の筆記試験に合格し、その後の面接までの間に、しかしもし面接で落ちたらオレの行く末は、なんて考えが再び頭をモタゲタ私は、都内でたまたまやってた中小企業合同企業説明会に出かけた。当時も今も中小企業はタイヘンである。私は某印刷会社(名前はおぼろげに記憶してるが正確かどうかもうはっきりせん)の社長さんたちに気に入られ、その面接待ちのところに落ちたらウチに来てくれと言われながら、うな重を御馳走になった。あのままその某印刷会社に入ってたら、案外ハッピーだったかもしれんし、その辺はよーわからん。人生は一筋縄ではない。ただし、今の妻と巡り合って、今の息子を息子として家族に持つことにならんと困る。私はこれだけは譲れない。当然である。妻子を心底から愛しているのだ。 言うと軽くなるか。そんなことないぞ。言った方がいいと思うぜ。ま、人それぞれの勝手だな。人の勝手ですね。オレは書くぞ。
      ・・・話題を元に戻そう。

      大学時代は「遅れてきた学生運動」仲間に入ってたり、韓国政治犯救援運動とか日韓市民連帯運動とかに参加して、札幌でデモったり、東京まで「お上りデモ」に来たりもしたが、これはあんまり転石性がないので詳細割愛。

    4. もっと他のしょうもない転石も書こうと思ったが、やめる。打ってて疲れた。打っててって覚醒剤じゃないよ。オレはそういうヤクはやりません。当り前ですがな。


  7. 講義可能テーマ 及び 講義使用可能言語 :

    「ニールヤング作 GREENDALE に関する百姓哲学的分析論」
    「クラプトンとブルーズの形而上学的関係とクラプトンの形而下半身遍歴の相関について」
    「転石と人生のラセン状構造について」
    「マス・メディアと大衆心理」
    「共同体におけるマイクロ・メディアの功罪」
    「組織の統合失調症分析論」(ただし治療法理論は専門外)
    「HTMLオタク論」

    講義使用可能言語については以下の通り。
    Japanese Language
    Hyper Text Markup Language
    (それ以外は全く何も喋りませんし、喋れません。余談ながら幻聴は得意。)


  8. 住所 :
    日本国南東北に永住
    (ただし時により仮想現実サイバー・ワールド・jpドメイン内を放浪)