03年10月26日〜11月 7日

最近の子供はどうか分らないけど、今の大人の多くはガキの頃に日記を何日か書いた経験があるのでは?
斯く言う私もその一人、当然この日記も不定期です。 (2001年8月19日、記)

日記ページの背景変更 ( 031004 )

03年10月26日(日)   サイードの死、追記

 本日の2本目。

 先月29日に書いた サイードの死、パレスチナの未来 と題する日記の追記です。

 先月の日記のなかで僕は、サイードのことを、「言論活動の他、ユダヤ人の著名指揮者(名前忘れた)と組んで、パレスチナ人とイスラエル人の共同のオーケストラ演奏を実現させる等、とにかく行動的な知識人だった。」と記しています。そのユダヤ人指揮者とは、イスラエル国籍を持つダニエル・バレンボイムという名の指揮者で、現在はアメリカのシカゴ交響楽団の音楽監督を務めている人ということです。しばらく前の新聞記事で紹介されているのを読み、名前は改めて思い出しました。
 二人は '90年代の初めにロンドンのホテルで偶然出会い、パレスチナ人(パレスチナ生まれのパレスチナ人でアメリカ国籍を持つ思想家)とイスラエル国籍を持つユダヤ人という境遇の違いを超えて意気投合し、その後も親交を深めていったようです。
 ダニエル・バレンボイムは、今月12日に、サイード追悼の演奏会をシカゴで行ないました。彼は、シカゴ交響楽団のホームページに寄せたサイードの死に対する追悼文の中で、次のように言っているそうです。

 「パレスチナ人は最も雄弁な後ろ盾を、イスラエル人は公正で情け深かった相手方を、そして私は心からの友を失った。」

 人間は、時に境遇も文化も国籍も超える(越える)ことができるんですね。ジョン・レノンが歌った イマジン だって、結局そういう人間の持っている素晴らしい可能性への想像力に、自分の想いを働きかけようとしていたんじゃないか。僕はそう想っています。


03年10月26日(日)   北極、アラスカ、GREENDALE

 本日の3本目。

 北極海を覆う氷の量が減り続けているそうです。  アメリカ航空宇宙局(NASA)の今月23日の発表によると、10年に9%ものペースで減りつつあると。太陽光を反射する氷が地球の温暖化で解けることにより、さらに温暖化が加速する、そういう悪循環が始まっているとのこと。水は太陽エネルギーを蓄積しやすく、氷が解けて水になると、海に蓄えられる太陽エネルギーがさらに増え、温暖化に拍車がかかって、これがまた北極海の氷を解かしていく。文字通りの悪循環です。

 ニール・ヤングの新作 GREENDALE のなかに登場する二十歳前のサン・グリーンという娘は、最後にアラスカを救おうと旅立ちます。環境問題はもはや完全に地球規模の問題になっています。でもこいつの難しいところは、地球規模っていう問題の大きさに足元をすくわれて、身の回りの環境問題を疎かにすると、結局それも積もり積もれば地球規模の問題に繋がっていってしまうってところかなぁ。 ・・・ 僕はあまり(?)この件で行動できてないんで、エラソーなことは言えんな。

 北極海から始まって(強引に?)アラスカに結び付け、そこから強引にニール・ヤングの新作紹介にリンクさせてしまいました。 ・・・ ってわけで、この日記は、「雑感」の「日記」索引 SOCIETY & POLITICS にも、 MUSIC にも、 FAMILY & MYSELF にも入れました。

 ん? 前の二つは分かるけど、なんで FAMILY & MYSELF にも?  いや、 GREENDALE は、小説で言えば「全体小説」なんですよ。えーと、たしかそんな言い方があったと思うんだけど、どうだったかな。ま、要するに言いたいことは、このアルバムは人間を歌い、家族を歌い、社会を歌い、そうしながら個々の人生を謳っているんです。 FAMILY & MYSELF から遊離した SOCIETY( & POLITICS ) はニセモノだってこと。武骨なまでにあくまで個人と家族の眼差しから社会に挑み、そのなかで人生を生きることを謳ったニール・ヤングに敬意を表したいと思います(カタカナで言うとレスペクトってやつですか)。ま、俺のサイトなんか、ロック界の百姓哲学者、もしくは木こり哲人、はたまた哲学する漁師、こと、ニール・ヤング本人には知らない世界なんだけどさ。でも俺だってネットにつなげば繋がるぜ、ヤングおじさんのサイトにもさ。
 ・・・ ロック界のなんたらかんたらって、俺がニール・ヤングにつけたオリジナル・ニックネームなんだけどさ、上手いな、オレ(自画自賛!)。


03年10月26日(日)   収穫の秋に田舎を想う

 本日の4本目。

 秋です。収穫の秋です。収穫を祝う祭りが日本各地で行なわれます。

 僕のいなかはホントに田舎。三方を山に囲まれた美しいところです。クソ第二東名の工事が景観をだいぶ損ねたけどね。

 僕の田舎では、毎年11月に収穫を祝う祭りが行なわれる。子供の頃は本当に楽しみにしていました。成人してからも、祭りの時にはよく帰省しました。もうずいぶん長い間、その祭りに帰っていません。今年も帰れない。

 今年は小中学の時の同級生の娘が、晴れの舞子役になるって連絡が来ました。僕は帰れなくて、ご祝儀とお祝いの酒を届けるつもりですが、小学校の頃なんか、もう10月に入るとそわそわして落ち着かなくなった、そのくらい楽しみにしていた田舎の祭り、懐かしいです。田舎に帰りたくなるね。

 田舎には 親父とお袋が二人暮しです(この先は身内の演歌だぜ、笑)。苦労してきた二人には、ずっと長生きしていってもらいたいと願っています。

 僕は、これからずっと、いろいろと勝手に生きつつ、睡眠障害さんも椎間板さんも、その他、諸々諸般の事情さんもいつかは乗り越えて、ずっと先の話でも、ハーヴェスト・ムーンは見ますよ。中秋の名月、収穫を迎える月ってんだから、収穫はその後。人生、そんなことわからんまま過ぎてくのかもしれんが、まぁ家族みんなが健康で幸せに生きていければそれでいい。そのうえで少し、何がしかは収穫したい気持ちはあります。息子を含む将来の世代の平和と happiness と joy を祈願しつつ。僕はこの日本の地で、そんなことのために、時折り(?)微力を尽くしたいのです。 ・・・ ん? ワケわからん?  僕は正気と本気で書いてるよ、もちろん。当り前じゃん。
 って言うかさ、この辺り、いつかの前の日記の、何回目かの焼き直しじゃん。「俺」が「僕」になったり、ちょこっと言い方変わってるけどさ。

 ま、気持ちは変わらんのだよ、いくら転石したって転倒したって。ぐるぐる廻るのさ。止ったり、時には戻ったりしちまうかもしれんが、前を向いてぼつぼつ歩いて、長ーく、勝手に生きさせてもらいますよ。ヤクと付き合いつつだって、生きていけるよ。長い付き合いでもけっこうけだらけ。そんな気持ちを持ったって、ちゃんと生きていけるぜ。ま、上手く付き合うことが大事なんです。勝手に。真摯に。勝手に。

 always try to be nice to the one I love


 A little love and affection
 In everything I do
 Will make the world a better place


 ニール・ヤングさん有り難う。また歌詞借りました。例によって(?)、 You を I に置き換えてますけどね。

 僕は僕の息子の将来のためにも、妻のためにも、自分のためにも、他の人々のためにも、a better place を心から願います。息子の居る世界にずっと居たいって願望持ちつつ。これは愛情でもあり、エゴでもある。エゴは別にわるいことじゃありません、元々はね。願望は実現させるつもりです。決めています(!)。

 また焼き直しだね。何回も書くよ(笑)。

 今日は息子は野球の大会に行っています。

 今日も、またまた、くどい粘着質でペンを(?)置きましょう。
 僕は水戸納豆や くめ納豆や おかめ納豆のように、何とか粘っこく、勝手に生きます。愛する家族と共に。たまには「社会」にもメッセージを出しながら。たまには微力でも出しながら。

以上、生粋のエゴイスト左派、ロックな日常を求めるパラノイド・スキゾフレーニア の本日の日記でした


03年11月 1日(土)   パラノイド・スキゾフレーニアのハイ・テンション

 本日の1本目。

 パラノイド・スキゾフレーニアってさ、英語のスペル面倒なんよ。ま、そもそもこの名詞の組合せ自体は僕のオリジナルですがね。著作権申請した方がいいでしょうか。

 最近の自分が時折り自覚するハイ・テンションについての所感。

 二郎さんによれば、「自分で気づくうちは大丈夫ですよ」。
「ソウウツ」の「ソウ」は周囲が気づいても自分が気づかない。ロックさんは自覚があるようだから(と言ってもしばらくしてから気づいてるって感じだけどなぁ)、それとは違いますってわけだ。
「ソウウツ」で言うなら、「ウツ」は、自分で自覚していても、周囲に理解されない。「ロックさんは、基本的にはそっちの方の問題ですぞ」。

 しかし、僕が時々自覚しているハイ・テンションは本当にそれでしょうか。僕のは亜種統合失調症であるパラノイド・スキゾフレーニアに特有のハイ・テンションというものではないのか。

 しばらくしてから、時にはようやくって感じで、ハイ・テンションを自覚して我に帰るってふうに想える時がきたりする。冗談言い過ぎのように思うとき。自分の意見・主張の表現がヒート・アップしてるように気づく時。しばらく雑談を続けてる時。表面的には、以前だったら気にしなかったようなこと。いや、意見・主張の表現辺りのことなら、以前と比べりゃ未だ未だ穏やかだ(でも表現の作法が違うな、なんか)。周囲から見ればたぶん前よりずっとオトナシイ、近頃はたまに何か声出していて、多少元気あるのか、なんて妙な誤解を招いているのかどうか・・・。いや、バカらしい、周りはそもそも大して気にしてないだろうな。少なくとも、本人が考えたりするのと比較すれば全然だろう。・・・ へへ、この段落、以前の日記からほぼ焼き直してるぜ(ちょっと加工してるのが微妙な認識の変化。まぁ探して比べるヒマ人は一人もおらんでしょうが)。
 「へへ」って書いたけどさ、これって不気味かよ。パラノイド・スキゾフレーニアを差別すんなよ。亜種精神分裂症じゃなくて亜種統合失調症だからな。日本語には気をつけてくれ。僕もたまには英語にも気をつけます。

 ちょっとさ、ハイ・テンションというよりも妙な精神的昂揚を感じる時があるんだな(これをパラノイア・スキゾフレーニア・ハイという)。瞬間的に昂揚を感じるのは紅葉の季節だからかい? 何かのヤクの効用で治らんかね。コテコテなダジャレはやめろってか。だからオレ(ぼ、ぼく)の一部はパラノイドなんだって! 何度も言わせんな(ま、抑えて抑えて)。

 実録冗談はさておき、ハートの高鳴りみたいな感じでハイになる時がある。意見をストレートに言ったり、粘っこく雑談したりしてる時とは別に、胸がぐわーっとプレッシャーを感じる時がある。それは明らかに内臓の問題とか何とかじゃなくて、僕のソウルからきているものと自覚している。寝床についてから、抑えられなくて唸り声をあげる時もある。・・・ 今度、二郎さんに相談してみるかね。しかし二郎さんはパラノイド・スキゾフレーニアについては専門医とは思えんのだがな。まぁ日々を保ってるのは二郎さんとの会話やヤクのおかげの面もある。感謝はしてますよ。

 パラノイド・スキゾフレーニア・ハイについては、今のところあまり研究成果がない。っていうかさ、研究者は僕だけなんだけどね。
 とにかく、ちょっと慎重になって見守りましょう。よっ、自分見守り委員会委員長! 意識して自覚して(トートロジーっぽい?)、がんばってコントロールして、自分の精神のバランスを取りながら、遥か先にはロックに向かうこと。ま、こうしてる日々もロックかもしれん。・・・ と想いたい。・・・ はぁ?  ま、ね、 遥か先だろうが、いつかの解放 のためだと想うんじゃ、ぼくぁね。
 様子見しつつ、だね。ヤク中だしね。「中」は「中毒」の「中」じゃないで。 ing ってことさ。ま、ずっと続くかもしれんけど。くじけず生きていくわけだ。自分のために。愛する者たちのために。


03年11月 1日(土)   パレスチナについて今日も少し・・・

 本日の2本目。

 新聞報道によれば、10月27日、イスラエルの人権団体「ベツェレム」(「ベツレヘム」のことだろう)と「イスラエル人権協会」は、イスラエル軍がパレスチナ人の非戦闘員を殺害したケースについて、軍法務官による事実調査を求める申し立てをイスラエル最高裁に提出した。

 「ベツェレム」による集計では、2000年9月にイスラエルとパレスチナの武力衝突が再び三度ヨタビ五たび(・・・数えられん)激化してから(たしかシャロンのドアホが何百人だか何千人だったかとにかく信じ難く大勢の取り巻きと共にエルサレムの聖地のモスク、アルアクサ・モスクを訪れるという挑発行為をしたことがきっかけの一つだった)、それ以降だけでパレスチナ側の死者は2,171人。圧倒的な軍事力の差があるなかで「武力衝突」という言葉を使うのは不適切だが、この四文字はつい新聞報道から引用してしまいました。「イスラエルによるパレスチナ人ジェノサイド・殲滅攻撃に対するパレスチナ人の絶望的反抗によるもの」というのが正しい。ちなみに、原理主義者は双方にいる。違うのはイスラエル側に自爆テロをしたり誘発させたりする種類の絶望感がないだけのことだ。そして、双方の原理主義者は、この「絶望的な」戦いの中で、共に増殖している。

 死者の集計数ってのは、特にパレスチナ紛争のようなケースでは、最低限これ以上は死んだと受け取るのが実態に見合ってる。はるかに超えてる可能性もある。それはともかく、イスラエル軍自身は、今年3月の時点で、その間のパレスチナ人非戦闘員の死者は235人と認めている。これも実態より大幅に小さく見積もっているとみるのがジョーシキ的な見方。

 両団体の申し立てについて、イスラエル軍側は公式のコメントを何も出していない。「イスラエル軍法務官」に「イスラエル軍」の不法行為に関するマトモな調査ができるのか非常に疑問ではあるが、こうした申し立てをするような団体がイスラエル国内に存在することだけは、かすかな「救い」だ。

 もう一つ、かすかな「救い」の話題。
 日本の「ピースボート」(名前は有名なので説明省略、知らなくて関心のある方は調べてください、宜しくお願い申し上げます)が企画したクルーズで知り合ったパレスチナ人とイスラエル人の若者計2人が、エルサレムの「マリア永眠教会」ってとこやドイツ、スイスの宗教関係者で作る「シオン山財団」(シオンって聞くと僕はつい悪しきシオニズムを想起してしまうけど、これはたぶんキリスト教系でしょう)という財団が主宰する「シオン山賞」って賞を受賞した。10月28日のことです。賞は異文化間の対話と平和に貢献した人に贈られるという趣旨のものらしい。

 一方はパレスチナのNGO代表で、苦難の人生を強いられるパレスチナの子どもたちにせめてもの娯楽を提供する活動をしつつ、世界に向けてパレスチナの現状を訴えてきたパレスチナ人。
 他方はイスラエル軍での義務兵役を自身も拒否し、平和運動をしながら軍務拒否者に対する支援活動を続けているイスラエル人。

 2人はクルーズの船上で初めは口角泡を飛ばして激しい議論をしていたが、時間の経過と共に冷静な対話の姿勢を強め、下船してからの2人の更なる対話が、双方の平和運動の合流につながったとのこと。2人はイスラエル軍のパレスチナ占領地(元を辿れば全部「占領地」だけどね)侵攻が激化した(っていうかパレスチナの日常と言った方が現実に見合ってる)昨春に来日し、札幌から沖縄まで縦断して各地で「平和の希望はある」と訴えたそうだ。日本のパレスチナ関連のNGOはいろいろと活動していて、多くの人たちを日本に招いて日本人のパレスチナ問題理解や解放・平和運動への協力を求めている。僕は恥ずかしながら件の2人の来日には気づいていかなかったように思うが、この2人の話題も、かすかな「救い」の話題。

 斯くの如く「平和の希望はある」。
 しかし、多くのパレスチナ人が絶望的な日常を過ごし続けていること、それもまた、今現在動かし難い事実であることを、第三者としては「まず」認識する必要があるようにも思う。問題を何も理解しないで、ただ自爆テロ対軍隊の戦争だと解釈するのなら、それはブッシュの「対テロ戦争」の視点そのものだ。問題には原因がある。原因に立ち返って考えることができるのが賢人のはずだ。そういう意味でも、ブッシュが脳足りんであることは間違いない。それが世界唯一のスーパーパワー(超大国)のリーダーであることは不幸なことだ。さっき「第三者としては」って書いたけど、こんなブッシュにただ追随してるだけのコイズミのポピリュズム大衆蔑視路線が跋扈する我が「祖国」(!)日本の国民も、厳密には「第三者」とは言えないかもしれない。世界が否応なくつながっていて、企業が世界中を席巻して・・・ そういう時代に生を受けた者としては、自己の意思の自由は当然の如くあるものの、「世界」を世界大で見るならば、否応なくであっても「第三者ではない」「当事者である」状況に巻き込まれている姿が見える。

 以下、前にも書いたことを少し加工して書こう(パラノイド!)。
 本来、中東地域では血の歴史を持たないため独自の働きも多少はやれるはずの日本も、コイズミのブッシュ支持最優先路線のせいで、ついにはビンラディンから標的対象国として名指しされるまでに(逆)「出世」してしまった。

 パレスチナの今は、僕も会員になっている パレスチナ子どものキャンペーン のサイトでもよく報告されている。僕は、日本が政府としても少しでもパレスチナの平和と独立支援に貢献できるようになるためにも、現在のコイズミ「ブッシュ言いなり」政権は終わらせたい。まぁ元々、参政権をもってこの方、自民党に入れたことなど、ただの1回もないんだけど、今回の選挙は普通の投票だけじゃなくて、「自民党に×」って紙も入れたいね、記名投票でさ。とにかく自民党は終わらせることを目的に一票を投じる。それは僕の妻も同じだ。これで2票ね。
 未だ息子に投票権がないのは残念だ。息子の将来にだって関係する、程度は測れなくとも、結果としてゆくゆくは影響することになる、それは間違いない。今から悲観したくはないが自民公明保守政権(略して「自民党」政権)が続くことになったとしても、僕は僕や妻や僕らの息子のためにも、自民党にはノーの言動をし続けるよ。


03年11月 1日(土)   前駐レバノン特命全権大使、天木直人氏の「さらば外務省」、補記2点

 本日の3本目。

 前回書いた 前駐レバノン特命全権大使、天木直人氏の「さらば外務省」 の補記です。

 天木氏が書いた「さらば外務省!」は3日ぐらい前に買って、通勤電車で爆睡する合間にだけ読んで半分くらいきました。読みやすいので時間はかからないが、以前はいっぱい(?)本読んでた僕も、近頃はとろとろしていてダメです。パラノイド・スキゾフレーニアには、読書はきつい作業です。ま、この本は読みやすくてイイ。

 今日は上にリンク貼った前回の日記の補記のみ。

 1点目。
 あのなかで、・・・ そして、小泉ソーリは「友人」ブッシュのアメリカによるイラク攻撃支持を表明した。
 天木氏は米英のイラク攻撃開始後にも同様の公電を送った。・・・ と僕は書いてるけど、間違いではないけど、厳密には誤解を招くかもしれぬ面あり。コイズミの「友人ブッシュ支持」(公私混同だぞ!)「公式表明」も、開戦後です。開戦から13時間後。ま、一応例によって様子見つつ、世界中のどこから見ても日本国はアメリカ支持ってわかるような言動しつつ、開戦直後に「待ってました」とばかりの「公式表明」したわけですね。
 そして、天木氏のこの件に関する2度目の公電はその直後です。結局、天木氏は外務省をクビになりました。

 前にも書いたが、天木氏はこうも言っている。
小泉ソーリの日米同盟の重視偏重と、それに国際協調を並立させるかのような言い草は、既に矛盾している。単独行動主義で暴走するアメリカは「国際協調」に反する国である、と。この並立ね、今回の選挙でも自民党が色濃く打ち出してますね。自民党支持者の皆さん、もう自民党に票入れるの、やめてほしいな。自由意思に基づく投票行為だからさ(でも「後援会」とか目に見えないシラミ、じゃなかった、シガラミとかで入れてる人も多いんでしょ?)、もっちろん強制なんかできませんし、しませんが、呼びかけ、です。

 2点目。
 天木氏の「さらば外務省!」読んでて思い出した、外務省機密費の官邸「上納」問題。ことほど左様に人は忘れます。国民も忘れます。マスコミも忘れます。もっとも、マスコミが最後まで追求しなかったのは、マスコミの一部エライさんたちの確信犯的行為でもありましょう。事情は「さらば外務省!」にも触れられていますよ。

 田中真紀子はアレを追及しようとして外務大臣のクビ斬られたんだよね、ホントのとこ。彼女の傲慢な性格とか言動とかはクビ斬りの本当の理由じゃないです。アレ追求し尽くしたら、さすがに自民党も外務省もかなりやばくなります。

 で、ですね、これもほぼ忘れられつつあるけど、当時(は財務大臣であられました)、以前に官房長官をした経験があるシオジイ(塩爺、です)が、「ありゃやってたよ」とインタビューで口を滑らせてしまって、そのあと記者会見だったか国会質問の場だったかで、臆面もなく「忘れてしまった」って言って誤魔化し、しかもマスコミもさして追及しなかったよね。
 今日の朝刊に大日本国粋会発行の、じゃなかった、文藝春秋発行の「諸君」ってしょうもない雑誌の広告が出て、これが笑えるんですね。見出し広告の中の一つなんだけどさ、塩爺の「小泉政権うちあけ話」ってんで、政界引退した(んだよな!?)塩川正十郎ジイサンが屋山太郎って名のヤツから聞き取り取材されてんだ。ナニを打ち明けるわけ? どうせ下らん話で読む気もせんが、「小泉政権」の裏話も本気でバクロしてもらいたいもんだが、「忘れてしまった」ってとぼけて一時は国民を唖然とさせ(そして結局忘れさせた)アレの問題については墓場まで持ってくわけ? 書いてくれよジイサン、「さらば日本政界!」ってタイトルで日本の為になるバクロをさ。ま、無理だわな、あのジイサンには。転石転倒男の中年親父のくせに、苔の生えたジイサンに向かって無理言ってごめんな。


03年11月 1日(土)   「週刊金曜日」の読者の皆様に、追伸

 本日の4本目。

 前回書いた 「週刊金曜日」の読者の皆様に の追伸です。

 前回は、「週刊金曜日」の最終頁、マッド・アマノの連載コーナーについて、本年10月24日発行の同誌同コーナーのなかで、マッド・アマノが俺の投稿文の対談形式皮肉り方、パクリやがったな(笑)、だったもんだから(じょ、じょーだんだよ、善良な一市民相手に訴えるなよ、詳しい事情は前回の日記見てね、ヒマある人ね)、余計に感情的になりまして、マッド氏の最近のセンスはダメだ、と書きました。

 ま、見てもらえば、あっしの日記でやったヤツ(幻聴「対談」)の方が面白いのは確かなんですが(しつこいな、笑)。藤井問題での対談形式批判方法を特許庁に申請しなかったあっしの手落ちもありますがね(笑)。

 とにかくですね、前から思っていたのですが、マッド・アマノは写真週刊誌「フォーカス」で似たような頁を連載していた時の方が、ずっとホンモノの毒があって、しかもユーモアの面もさえてました。「週刊金曜日」での連載はイマイチな作品が多いです、って書いたんですけどね、昨日発行の「週刊金曜日」での彼のセンスは「フォーカス」連載時代のものですね。素晴らしい! 慶祝を兼ねて、 当サイトのリンク「その他」コーナー に、 マッドさんのサイト を加えることにします。

 マッドさん、私をアシスタントにいたしますと、センスが維持向上される可能性大です。ま、でもパラノイドでスキゾフレーニックで時折りパラノイド・スキゾフレーニア・ハイな心身の状態になってしまう人(言うまでもなく、あっしだよ)のセンスに安定性があるかどうかは甚だ疑問ですが、時としてかなり非凡な才を見せるのも確かです(ホンマかいな、本当だ、笑)。

 っつーよーなことはさて措き、マッドさん、今後も昨日の「週金」掲載のような作品を発表されること、切に祈り、期待するものであります。

以上、何にもしてない、いや、実はちょっとは何かしてる、エゴイスト左派より。


03年11月 2日(日)   本日のゴスペル日誌

 今日の日記は1本だけや。

 流石の転石 HTML 職人も、椎間板を大事にせにゃいかんのや。

 今日は今月1回目のブラックゴスペル・ワークショップ。
 Hallelujah Chorus の復習。っていうか、この曲は難しいので、未だ完全ではありません(私の場合、練習不足でして)。ま、頑張りまっせ。今期で5期目になるワークショップには4期分参加してる我ら夫婦だが、この曲は我らが出なかった昨年クリスマス向けのワークショップの時に入ったレパートリー。っつーわけで我らには完全な新曲。もともと簡単な曲ではないですが。
 今日はその後 You Are Emmanuel をほぼ完成させて(これは美しい曲です)、更に His Name Be Glorified (ノレる曲) を少しやって続きは次回へ。

 Jesus は日本ではイエス、 イエスは YES でもあるダブル・ミーニング、 そして YES とは 肯定すること。
 YES の大事さはジョンも感じてた。

 自分はクリスチャンではないけれど、ゴスペルを歌う行為を イエス と受け取っている。前にも書いたよん。


03年11月 3日(月)   パラノイド・スキゾフレーニア・ハイに耐えて、収穫の秋の田舎を想う

 昨日と今日は、日記は1本や。

 連休初日は日記4本打ったあとに、リンクにマッドさんのサイト追加、挙げ句の果てに誰も見ない 実録型パロディCV (誰も見なくてなんでリンク貼るのってか・・・うるさい!)大作テキストをアップ。あの得体の知れない(僕は知ってます)反転型・逆説的・裏エネルギーはどこに行ったのか。
 いやね、流石の転石転倒 HTML 職人も、今日はそこそこ散歩程度に運動せにゃいかんと思うんですよ。椎間板気にしつつで、まぁ散歩とかさ、軽く致します所存であります。息子とキャッチボールしたり、たまにはティーバッティングの相手する時もあるんですがね、今日はなんか天気心配だなぁ(息子はただ今野球部練習参加中)。

 パラノイド・スキゾフレーニア・ハイについては、11月 1日の日記1本目 に書きましたので、同じ症状にお悩みの奇特なご同輩はご覧ください。情報料は安くしときます。そもそもこの名詞の組合せ自体は僕のオリジナルですからね。特許申請中です(笑)。

 昨夜寝床についてからも、ハイがあった。
一時と比べると眠りにつくまでの時間は短くなってるように思うのだが、眠りにつくまでの間にハイな状態が持続する時間があってキツイ。大きな期待にわくわくしたり強い恐怖感にびくびくしたりする時のハート、ソウルの動きってあると思うんだけど、それに状態的には近いって自覚をしてる。でもそれが瞬間的にやってくるし、具体的きっかけもわからない。心底にある背景的なものは分かってるつもりだけど、ハイな状態は昼間でも夜でもふいにやってきて、しばらく耐えなければならない。最近は、寝床についてからハイになって低い唸り声を上げたりする時もある。オレってアブナイ?(笑)。
 パラノイド・スキゾフレーニアを差別すんなよ。亜種精神分裂症じゃなくて亜種統合失調症だからな。
厳密に訳すと(?)、偏執的精神統合失調症っていう矛盾にムジュンを重ねた症状なんだ。オレもワケ分からん。
とにかく日本語には気をつけてくれ。僕もたまには英語にも気をつけます。・・・ん?

 ま、とにかく、そのハイってのは何かっていうと、要するに妙な昂揚感を抑えがたい状態に突如陥るわけです。一種のパニック症状かね。でも何とかコントロールはしてます。だから生きてるわけでして。
・・・ 今度、改めて二郎さんに相談してみようかとも思ってるんだけど(そんときゃ大抵ローだから忘れやすいんだよな)、二郎さんはパラノイド・スキゾフレーニアについては専門医ではないのです。まぁ日々を保ってるのは二郎さんとの会話やヤクのおかげの面もある。感謝はしてますよ。だけどパラノイド・スキゾフレーニアの臨床できるのはオレ自身だけだったりすると困るなぁ。いや、神経科医の看板出してるんだから、何か一言ぐらいアドバイスはしてくれるでしょう(と思います、内容は特別期待せんようにしよう)。

 なんでオマエこんなしょーもないこと天下の公器インターネット上に書き上げる(打って書いてアップロードする)のかってか。冗談じゃない、インターネットは自由な世界なんだ。オレのサイトには1,000万人の読者がいるんだが、読みたくない人は読む必要がない。ここはオレの自己カウンセリングだ。紙の日記に書いてもダメなんだ、サイバーワールドにさらけ出すことが自己カウンセリングになるんだ。読みたくない人は読まんでくれ。っつっても誰からも苦情は来てないんだ、まぁアンタ(僕です!)抑えて抑えて。
 全国1,000万の読者の皆さん、社会問題系メッセージは読んでね。

 ところで、秋です。収穫の秋です。収穫の秋の田舎を想います。
 ここで、ようやく今日の日記の強引なタイトルに結びつきますなぁ・・・。

 今日は田舎の秋祭りの最終日なんですよ。今日の1日が過ぎると、来年の祭りまでまた1年待つことになるのであります。この祭りのことは 10月26日の日記4本目 に書いたとおりでございます。

 今年は小中学の時の同級生の娘が、晴れの舞子役になりました。今日も役目があるはずです。僕は帰れなくて、祭りの期間が始まる前に、僕の名前のご祝儀とお祝いの酒を、田舎の親父お袋に代理で届けてもらいました。同級生はその忙しい中で、その日のうちにわざわざ僕のウチに電話をくれたのですが、僕の帰りが遅くて、電話では直接話せませんでした。ま、少し前にこちらから電話してお祝いの言葉は伝えていたんですが。

 田舎には 親父とお袋が二人暮しです(この先は身内の演歌だぜ、笑)。苦労してきた二人には、ずっと長生きしていってもらいたいと願っています。・・・うーん、前回も貼ったリンクだなぁ。流石は転石エゴイスト左派・粘着質グループの筆頭メンバー、この辺が納豆男の真骨頂であります。

 僕は、これからずっと、いろいろと勝手に生きつつ、家族みんなの健康と幸せを願います。そのうえで少し、何がしかは収穫したい気持ちはあります。息子を含む将来の世代の平和と happiness と joy を祈願しつつ。僕はこの日本の地で、そんなことのために、時折り(?)微力を尽くしたいのです。
・・・ 廻る、廻るよ、日記は廻る。変わるところは変わる。変わらんところは変わらん。いくら転石したって転倒したって。ぐるぐる廻るのさ。廻りながらぼつぼつ歩いて進んでいくのさ。長ーく、勝手に生きさせてもらいますよ。

 always try to be nice to the one I love

 A little love and affection
 In everything I do
 Will make the world a better place

 僕は納豆が好きです。妻子も納豆好きです。
 僕は粘っこく、勝手に生きます。愛する家族と共に。
 僕は粘っこく、勝手に生きます。
 時折り「社会」にもメッセージを出しながら、たまには微力でも出しながら。
 この 日本国南東北に永住しつつ。

以上、生粋のエゴイスト左派、ロックな日常を求めるパラノイド・スキゾフレーニア の、本日の回転日記でした


03年11月 7日(金)   本日の二郎さん「神経科」日誌

 本日は二郎さん「神経科」。
 ここのところ気になってる、時折りのハイテンション。昔の元気な時とは違うパフォーマンスってことだけでなく(意見の言い方、雑談の時の精神状態等々)、寝床について暗闇の中でもたげる妙な興奮状態。唸ったりする時もある(コワイかい、泣・笑)。
 以前も二郎さんに相談したが、その時は、「ソウ・ウツ」の「ソウ」は周囲が気づいても自分では気づかない、逆に「ウツ」は自分で気づいても周囲には理解してもらえんもので、ロックさんは「ウツ」の方なんで心配するな、との妙な慰められ方。ハイテンションの方は自分で気づく範囲なら心配ないってことだったが、近頃は釈然としないので再度相談。

(二郎さん)「不安感とか感じますか?」
(ロック) 「意識はしないけど、自分が素人なりに自己分析する限りでは、根底の方にはそんなものもあるかもしれません。」

 こういう問答は難しい。風邪とか身体系の診療は聴診器当てたりノド見たりして医師は一定の判断をする。しかし神経科となると、ココロに聴診器は当てられない。大抵は問答が全て。となれば、俺の回答が医師の判断を左右する。いや、レベルが高い医師であるならば回答を文字通り受け取るのでなく、それまでの処方や経過、問答や話し振りなどから総合的に判断していくんだろうが、いずれにしても医師の質問への回答は重要な判断材料となる。しかし、俺は俺のココロを自己分析して回答しているわけで、その回答が「正しい」という保証は全くない。

 とりあえず夕食後の一種錠剤が1回半錠だったのが1錠になった。逆に減るんじゃないかと思ったんだが、どうもその錠剤の効能(温泉かい?)からすれば、俺の回答を聴く限りではちょっと増やしてみて様子見ってことらしい。

 ・・・ でもな、俺のハイは Paranoid Schizophrenia High なんだぜ。なんかいいヤクないのかい?
 ・・・ はて、二郎さんが正しいか、ど素人の俺の自己診断が正しいか。そもそも俺のは造語なんだけどさ。むちゃくちゃや(泣、笑)。知らんわい。

 閑話休題。
 先月久しぶりにギターマガジン購入。兄貴のちいこい記事と兄貴の自作自演曲入りギター販促用CD付きってのが目当てだったんだけど、それはナシ。結局ブライアン・セッツァーの表紙写真に惹かれて買ったわけ。
 件のギターの記事は先月もあったが、兄貴の仕事は今月出るヤツに載るらしい。安心したぜ。もう複数の知人に身内自慢しちゃってたもんね。
 パラノイド・スキゾフレーニアな弟を持つ兄貴は、生活するミュージシャン。これには二つ意味がある。一つはプロってこと。もう一つは生活してるってこと。当り前だ。ミュージシャンもめしを食う。家族を愛する。働く。音楽する。当然だな。すると社会にも言いたいことはある。ナシで生きてるやつは俺は好かん。兄貴の WebLog サイトも「リンク」に加えたぜ。忙しい人や。更新はたまだと思うが。
 恒例の(泣)「神経科日誌」中に書いちまった。す、すみませんです。