・・・ さて、自問自答、やってみます。・・・
Q 0. 神経科は? ⇒ (071117)
Q 1. 何か、闘ってますか? ⇒ (030928) (031004 追記)
Q 2. どうして、転石失敗してもこんなサイトを続けてるんですか? ⇒ (030928)
Q 3. 愛する者はいますか? 愛するものはありますか? ⇒ (030928) (031011 追記)
Q 4. 今の気持ちのまま大学入った頃に戻ったら、何を目指しますか? ⇒ (030929)
Q 5. CVを書きなさい。 ⇒ (031101)
Q 6. 悩みが深まったら、どうしますか? ⇒ (030928)
Q 7. いや、うーん、辛いんでしょうけど、辛い気持ちはどう和らげますか? ⇒ (030928)
Q 8. 今、一番好きなロックのアルバムは何ですか? ⇒ (031013)
Q 9. いつも携帯している本はありますか? ⇒ (040313)
Q10. 本のほかに、何かいつも携帯しているものがありますか? ⇒ (040313)
Q11. 大事な日はありますか? ⇒ (040313)
Q12. 特定の政党を支持していますか? ⇒ (040418)
はい、いろいろと低レベルの闘いをしています。
睡眠障害です。ヤク飲んでます。
分裂気味の精神状態です。パラノとスキゾが混在する新型スキゾフレーニアだと私は自己診断しております。
ちょっと上の件、2003年10月 4日(の4本目)の日記見てください。 (はは、長くて面倒くさいか・・・)
ニール・ヤングの BE THE RAIN の歌詞の一部はここ。 (この2行のみが 10月 4日の追記ですねん。)
神経科の二郎さんは「ウツ症状のようなもの」からくる無気力症状的なものと不眠症もしくは睡眠障害とのご診断ですが、私の診断の方が正しいでしょう(笑)。これもヤク飲んでます。二郎さんの診断の方による処方ですが(笑)。
腰(背中?)と首の椎間板ヘルニアです。どっちも MRIで診断されました。アレ、閉所なんでけっこうツライっすよ。腰(背中?)の方は足の痛みとして出たり、そのものが痛かったりしましたが、最近はまぁまぁです。じっちゃんのようにプールで歩いてるうちに良くなりました。近頃はけっこう首が痛いです。前は左腕のシビレとして症状が出ていたんですが、シビレも時々あるものの、首そのものの方がヤッカイです。こっちは運動で治すとかイイ方法はないんです。症状は手術するほどではないと信頼する外科医師に言われてますが、末梢神経の症状改善するため、ヤク処方してもらってます。
けっこう、なんて書きましたが、実際のところ、首はかなり痛いんです。たまりまへん。
要するにヤク漬けですな。ヤク中ではありません。
睡眠障害のためだと思いますが、通勤電車の乗り越しがしばしば。電車で爆睡してしまうんですよ。帰りは乗り越しだけでなく、うっかり「早降り」してしまったことも何回か、あります。要するに、乗り越ししちゃいかんていう強迫観念による反動ですな。私の自己診断ですが。
その他、諸々、諸般の事情です。転石関係のものもあり、関連してその他、諸々ですが、ま、これ以上は書くのやめときます。日記に弱音を書いたりしてますが、アレでも、全ての弱音を曝け出しているわけではありません。 ん? じゃ全部はどうなってんだ? はは、たまりませんな。
これが ―― わたしの趣味なのだ。 ―― いい趣味でも、わるい趣味でもない。わたしの趣味なのだ。わたしはもはやそれを恥じもしないし、隠しもしない。 ・・・ と、ツァラトゥストラは言っています。ま、私もそういうことで。へへ、やっぱ全部は曝け出してませんがね。そういう意味では隠しはあります。本名も名乗ってませんが、日記だって、全部の感情や事情を書いていたら、そこまでやったら、さすがに精神がもたんです。さすがは流石。転石ではありません。
バーチャル・フリーダムの世界に言霊を載せる(乗せる)。これが一応、自己カウンセリングにもなっています。
SF の世界のタイムトンネルなんて無いんですよ。
そんなこと訊いてどうすんですか?(って自分で訊いてるんだけどさ。)
教師か、政治家ですかね。
教師なら小学校ぐらいがいいです。教育って、知識を伝えるだけのことじゃないはずなんです。高校教師とかになって何かできますか?(とりわけ今の日本の学校制度の場合、です。全国の立派な先生諸氏、大変失礼いたしやした。)
大学の教員なら研究しながら、ってのもあるけど、あんまり関心向かないかな? 子供の頃「適性テスト」とかっての受けると、大抵は「将来は研究者向き」なんて結果だったんですが、僕は孤独に弱いんで本当は不向きかもしれません。
政治家なら政治家です。Politician ではなくて、Statesman の方です。政治屋じゃなくて、政治家です。教師も政治家も日本では「先生」って言われるけど、「先生」って言葉も何かヘンな言葉になってしまいましたね。特に日本の政治の世界に原因があるんですが。
才能があれば、Musician もいいな。でもコレ、最低限の才能ないと完璧に無理ですから、ただ、大学入った頃に戻ったって無理です。教師や政治家なら、自分向きだったかもしれません。どっちにしても(とりわけ後者)、ドロドロした部分もあるから、僕みたいなのは結局リタイアしちゃう可能性もありますかねぇ。情けないな(笑)。でも何か、別の方法でその世界で生きるって選択はそれでも有り得ますよね、その世界が好きならば。
昔々はけっこう頭が切れて(今は脳神経が切れてる、笑)、ガキの頃なんかよく親父に「弁護士か医者になれ」って言われてました。何度も何度も言われて(親父は別に強制的な言い方じゃなかったんですが)、そのうちこの二つはとにかく嫌だって思ってしまいました。
親父は苦労人でしたからね。とにかく息子に学歴つけて、世間で名が通るようになってもらいたかったんです。もっと理由を言ってくれれば、素直に聞いたかもしれません。だけど親父のことは、お袋と共に尊敬してるんです。貧乏から叩き上げて強く生きてきた二人ですから。
弁護士や医者も、今考えると立派な仕事ですね。モノは使いようです。使いようで、いい弁護士になったり、いい医者になったり、悪徳弁護士になったり、高飛車医者になったりするんでしょうね。エライ人は、トシ取ってから弁護士に挑戦する人もいますが、僕はちょっと・・・。今からじゃ結果も期待はできませんが、そこまでの気持ちが起きないわけだから、シカタナイですね(おっとウォルフレンさん、御免なさい)。要は気持ち。それも才能のうちです。
今、僕は、日々を生きることに生きています。ちょっと tautology(トートロジー)っぽいですか。そのものかな? 生きるって、案外そういうこともあるかもって思う時があるんですが。積極的な肯定なのか逃げなのか、難しいとこですけどね。僕は「肯定」だと思いたいです。
おいおい、何だよ突然、命令口調で。ここは「自問自答」のコーナーだぜ。
「自命自従」コーナーじゃないだろうが。ま、これが一応「自問自答」か(笑)。
え? 前に「今の気持ちのまま大学入った頃に戻ったら、何を目指しますか?」なんてバカ質問に真面目に答えてたからCV書いてみろってか。けっ、どこまでイジメるかね。
ま、たしかに僕はストレスを人に向けて発散する人間じゃないからね。自傷症って言うんだっけ、正確な用語ド忘れしたけど、あの自分の手や腕を傷つけちゃう、精神医学が認める病気の症状ね、精神構造だけは僕はわかりますよ。全く理解できない類のことではありません。それより人を傷つけるヤツの方が僕にはずっとずっと遠い存在ですね。ま、専門医的にはウラオモテの関係って面あるのかどうか知らんけど。
あ、CVね。 Curriculum Vitae ね。 読み方、カリキュラム・バイティーでイイのかね。
要するに履歴書だろ。・・・だれがそんなもん書くかい。
代りに実録型パロディCV書いてやるよ(何ソレ? 知りませんよ)。
今、僕は、日々を生きることに生きています。ちょっと tautology(トートロジー)っぽいですか。そのものかな? 生きるって、案外そういうこともあるかもって思う時があるんですが。積極的な肯定なのか逃げなのか、難しいとこですけどね。僕は「肯定」だと思いたいです。こ、これ、上の質問の回答の文末とおんなじだ。廻る廻るよ、人生は廻る。
もう1回言いましょう。今、僕は、日々を生きることに生きています。ちょっと tautology(トートロジー)っぽいですか。そのものかな? 生きるって、案外そういうこともあるかもって思う時があるんですが。積極的な肯定なのか逃げなのか、難しいとこですけどね。僕は「肯定」だと思いたいです。「肯定」しながら、認めながら生きます。
既に深いです。何が訊きたいんですか?
そうですねぇ。 ・・・ 空を見上げて、くじらを見たいです。
NEIL YOUNG の GREENDALE です。
全曲まとめて一つの歌と受け取ってます。10曲それぞれを聴けますが、まとめて一つの歌と受け取っても構わない作品です。
僕を含む、全ての「生きる」「生きている」「これからも生きていく」人々への応援歌です。
もちろん、他にも聴き方は可能です。いろんなふうに受け取ることが可能です。
僕には応援歌です。そのうえノレるし、聴いてる間はロックな気分にもなれます。
もう一度サン・グリーンのような青年( GREENDALE の中のサンは娘です)に戻って、今の僕の妻と出会って(もちろん妻も若いわけ、年代は同じにせにゃ、笑)、そして今の僕の息子と同じ息子を持って、そんなことができたら夢のような話だけど、時間を戻すことはできません。
僕は、自分をアール・グリーンに置き換えて応援歌を受け取ります。でも、できればサンのような力も持っていたいけどね。中年だって不可能とは限らない。これが中年親父の僕の気持ちです。
坂口安吾の 「堕落論」 です。
厳密に言うと、いつも携帯しているというわけではありません。通勤カバンの中に常に入れてあります。たしか学生時代辺りに読んだ本だと思います。時間を置いて何度も読んでボロボロになって、途中で買い替えたような気がします。今のもけっこうボロいです。
今日、友人へのメールを打ってるうちに、デフレと堕落論とツァラトゥストラを牽強付会させてしまいました。
いや、牽強付会ってのは辞書を引くと「本来、道理や事実に合わない事を無理にこじつけて、自説に有利になるように展開すること」とあります。
実は自嘲気味に「牽強付会」と書いたんで、自重気味に書くと「決して牽強付会ではありません」となります。
デフレ と 堕落論 と ツァラトゥストラ の相関
ヒマ人は見てね。
2002年6月16日に妻と息子からもらった1枚のカードとその封筒です。
厳密に言うと、いつも携帯しているというわけではありません。通勤カバンの中に常に入れてあります。あれからずっと入れています。
転石して精神がドツボにはまり込み始めたとき、妻がPC使って手作りし、僕を励まそうと妻と息子がメッセージをくれたものです。僕は涙して読みました。
その後も転がり、出戻り、僕は漂流しているかもしれません。漂流しているかもしれませんが、しかしそれでもやはり漂流してはいない。それは妻と息子のおかげだと僕は思っています。僕は僕の人生を生きているのですが、そこには妻と息子、家族が共にあるのです。
結婚記念日です。
僕は結婚という制度を評価するほどの哲学者ではありません。
ただ、たしかなのは、僕が結婚前の妻にいつ頃から愛情を持ち始めたのか、妻はどうだったのか、想いが重なったのはいつなのか、そんなことは何月何日と規定できるものではありません。
結婚記念日は、僕らの始まりの期間のなかにある特定の日を記念できる便利な日です。
結婚して、そのうち息子も家族に加わりました。その始まりのなかにある記念日として、僕らは結婚記念日を祝い続けるのです。
世俗の政党を支持するのは勝手です。それは、人が政治的信条について自由を認められるべきだと考えることと同様のことです。
僕は、いわゆる政党については、特定の政党は支持していません。今ある党のなかに、特別に支持できる党はない。自民党を嫌ってるのはたしかだけど。
政党じゃない党なら、今日、2004年 4月18日、新党の宣言をしました。
名付けて、 生きているうちが花なのよ死んだらそれまでよ新党宣言
入党手続きは要らない。なりたきゃ誰でも勝手に党員になって、勝手に活動してくれ。
チームでがんばるもよし、個々にがんばるもよし・・・
いや、妙にがんばるな。・・・勝手か。でも、がんばることを強要されてないかい?
僕はカイシャインの前に出戻り大馬鹿者カイシャインではあるが、しかし、やはりその前に人間なのだ。人間はメシを食い、衣を着け、何処かに住まい、仕事はその糧になるが、そしてなるべくなら社会に貢献する仕事とかヤリガイってヤツを感じる仕事がしたいが、しかしいずれにしても、それが人間の生きることの全てではない。そりゃそうだろ。少なくとも凡人にはそうだ。カイシャではなく、地域社会や広く社会にコミットして生きることがあり、また、家族と時間や空間を分かちあい、また子供があれば子供の成長を見守り支援する責任もある。
僕は家族を愛し、家族と共に歩み、社会にコミットする。カイシャを通じてしか社会にコミットできないのなら、それは機械と同じだ。僕は自動車工場の溶接ロボットじゃない。僕はスイッチを入れられて動くのでなく、自ら生き、愛し、社会に関与する。参画する。コミットする。
生きているうちが花なのよ