07年 2月18日〜11月17日

最近の子供はどうか分らないけど、今の大人の多くはガキの頃に日記を何日か書いた経験があるのでは?
斯く言う私もその一人、当然この日記も不定期です。 (2001年8月19日、記)


07年 2月18日(日)   戦争資料展

 近場のショッピングセンター内で、「戦争体験を語る会と戦争資料展」というのをやっていた。妻と、買い物ついでに寄って観てきた。「語る会」は午後からで、うちらは昼ご飯用の買い物の時に立ち寄って、「戦争資料展」だけ観てきた。

■ 日本の「戦争」
 一口に「戦争」と言った時、国によりいつの戦争を指すかが変わる。日本の場合、今も「戦争」と言えば、普通は、「第二次世界大戦」もしくは「太平洋戦争」(未だに大東亜戦争と呼ぶような人はいるが、一番正しくは「アジア太平洋戦争」と読んだ方がいいように思う)を指す。あるいは中国との十五年戦争を含めての、「あの戦争」。
 米英などとは帝国主義同士の戦いとも言えるし、あるいは曲がりなりにも一定の民主主義的制度を持つ国と、軍事独裁の国(もち日本はこちらでした)との戦争だったとも言えるけれど、中国、朝鮮・韓国、その他の東南アジア諸国などに対しては、日本の武力行使、「戦争」は、完全に「侵略戦争」だったと言えるだろう。理念をどうこう言う前に、事実がそうだったことを認める他ないはずだ。

 日本はベトナム戦争にも本格参戦してないし(在日米軍基地は使われたが)、朝鮮戦争など隣りで戦火があっても期せずして(戦争あっての)「特需」になったりしていた。だから、「戦争」と言えば今も、1945年8月15日に終わったことになってる戦争を指す。いや、人により家族により遺族により、戦後の家族の帰国や遺骨を巡る旅等あり、さらに長く「戦争」が続いていた日本人も少なくなかったわけだけれど、いずれにしても、日本で普通に「戦争」を振り返ると言えば、今も「あの戦争」なのだ。

■ 外国の「戦争」
   これが朝鮮半島なら「朝鮮戦争」(確か韓国では 6.25で「ユギオ」と呼ぶ)、アメリカなら今も続いてるとも言える「イラク戦争」だったり、その前の「湾岸戦争」だったり、あるいは「ベトナム戦争」だったり、そして「第二次世界大戦」だったりする。実際にはその間に、他にも沢山アメリカは軍事紛争に関わっているけれど。

 ベトナムだったら「ベトナム」戦争と言うのかどうか、彼等は中国とも戦争したし、アメリカとも戦争したし、その前にはフランスともしている。ただ、対アメリカ、対フランスは単に「戦争」と言っていいかどうか、植民地支配からの独立戦争であり、侵略に対する抵抗戦争だからね。戦争と言っても、ことほど左様にいろいろある。
 フランスは、戦争と言えば「第二次世界大戦」もあれば、その後のアルジェリア戦争もある。アルジェリアの方は戦争と言えば、その、フランス植民地支配からの独立戦争だ。

■ 「戦争資料展」
 今日の地元の「戦争体験を語る会と戦争資料展」では、当時の「国史教科書」、地元の人が提供した当時の学校の通信簿、徴兵検査の結果通知や「赤紙」の写し、当時の写真、戦地で戦病死した兄に送っていた実弟の人のハガキや手紙の実物(こういうものには特に心を打たれる)など、それに沖縄戦の写真パネルなど、貴重な資料がたくさん展示されていた。

 ちなみに、「通信簿」には、「児童の誓詞」というのが印刷されてあって、皇国を守るべく精神を鍛えるとか、皇国を守るに貢献できるように身体を鍛える、といったことが書かれていた。他にも例えば、「大東亜共栄圏巡りの双六」(スゴロク)などもあって、興味深かった。
 また、展示されていた資料の中には「十一歳の少女の戦争体験記」と題字されたものがあって、テイク・フリーになっていたが、沖縄の方のもので、その人の娘さんに当たる方がいま地元に住んでいて、直接その方から一言説明されて渡された。あとでよく読もうと思う。

■ 日本国憲法
 今日の地元の「戦争体験を語る会と戦争資料展」は、「九条の会」 を地域から応援する、というより主体的に「九条の会」アピールを広めようとする人々の会が主催していた。

 僕の現憲法に対する考え方はやや複雑だ。

 戦後の「日本国憲法」は明らかに理想を高らかに謳っている。
 基本法は理想や理念を謳うものであり、また、それは国家権力の暴走を縛るための理念でもある。
 この憲法は維持された方がよい。

 しかし、戦後の、あるいは今の日本や日本人が、この憲法を持つ資格があるのか。
 この憲法がいくらあっても、戦後ずっと米軍基地が日本に存在し、アメリカの世界戦略に組み込まれていることをどう捉えるか。
 平和憲法があるので私達は武力行使しません、そうは言っても、この国の面積の多くを米軍基地が占め、沖縄を今も軍事占領しているかのようなアメリカが世界に武力展開する、つまり、「私達は平和憲法なんです」と言っている国がアメリカの世界戦略上の重要な基地と化している、基地で在り続けている、そのことをどう捉えるか。

 アーサー・ビナードは、1月30日の朝日朝刊に掲載された鶴見俊輔との対談で、安倍総理の「美しい国」には脱字があると言った。「美しい属国」。

 日本人は、本当に憲法をどうしたらいいのか。どうすべきなのか。何ができるのか。何からすべきなのか。答えが簡単でないのは勿論のことだ。ただ、安倍ゾウリムシ(と言ったら本当のゾウリムシに失礼だが)、彼の言う「美しい国」が本当に美しい国であるだなんて、当然思わない。バカいっちゃ困る。
 さて、それで、どうするか。何か行動もしますけれどね、きちんと自分なりに考えつつ、と思うわけです。


07年 2月18日(日)   雨上がりの夜空に

 金曜に眼科と耳鼻科に行って、いまは目薬、クラリス、アクディーム、それから整形外科処方のオパルモン、メチコバール、神経科のルボックス、レンドルミン。他にもあるけど、まぁいいや(笑)。

 今日は朝から昼過ぎまで雨が降っていたけど、うちの小庭の草木も花も、がんばってますよ。雨に負けぬ花 って感じ。

 夕方になる前に、雨は上がってました。妻が買い物の時に、散歩の時のためのマフラーを買ってきてくれました、自分のものと一緒に。休日の散歩の時は、通勤の時のマフラーとは別の方が気分もいいだろうって。感謝、です。
 さっき、勝手口のドアを開けて、空を見上げたら、顔を出して見上げられるうちのほぼ真上がオリオン座でした。雨上がりの星空ってとこでしょうか。


07年 2月25日(日)   冬の散歩道

 市内の森林公園に行って、妻と散歩した。多少 Field Athletic みたいなものもあって、それで少し遊んだりもした。大人も遊びはするのです。

 暖冬とはいえ、昨日と今日は寒い。空気も冷たかった。しかし妻と歩けばハートは暖かい。そりゃそうだ。

 冬に散歩。ってなわけで、「冬の散歩道」が邦題だった、A Hazy Shade of Winter 、そのつもりだったか、一昨日の夜、3年半ほど前に意訳したものにちょっと手を入れていたのです。進歩、哉。

 目薬、クラリス、アクディーム、オパルモン、メチコバール、ルボックス、レンドルミン。ヤクと付き合いつつも、週末の散歩は続けてます。
 今日、パレスチナ子どものキャンペーン からのレターが届きました。


07年 3月 4日(日)   息子がセンター前ヒット!

 (写真は応援に行った他の保護者からいただき、3月18日にここにアップした。)

 昨日は地元で試合で応援に行ったけど、今日はバス遠征の試合で観に行けなかった。今日の息子は第2試合で先発で出て、センター前ヒット!

 今日の試合自体は結果は2敗で残念だったけど(昨日は2勝1敗)、息子の方は今日の方がいい結果が出た。いつもよく素振りしたり腹筋・腕立てやったりして頑張ってる。結果だけが重要なんじゃなくて、プロセスが大事だけど、今日の結果は褒めてやりたい!

 僕は今日はこれから昼飯。あとで散歩、だな。オパルモン、メチコバールや、ルボックス、レンドルミンと付き合いつつ、僕も前を向いていこう。


07年 3月10日(土)   パラダイス・ナウ

 1983年、パレスチナ、ヨルダン川西岸やガザ地区などイスラエルが不当に占領し続ける地域を旅したことがある。地元の名門大学、ビルゼート大学を訪ねて学生と話したりしたが、彼らは外国人に訴えたいことがいっぱいあって、とても全てを聴き取れるようなものではなかった。
 その時の写真は今もアルバムの中だ、僕と同年代の彼らがヨルダン川西岸でその後も生き続けているのか、それとも、あのとき出会った学生の中には、後に suicide bombing の実行者になってしまった人がいたとしても不思議とは思えない。

 suicide bombing, suicide attack 等が欧米はじめ世界のメディアが使う表現のようだが、日本のメディアでは、それはそのまま訳されず、ほぼ例外なく自爆「テロ」と表現される。もちろん自爆攻撃という行為がよいなどとは全く思わないが…。

 今、日本でも上映中の、アラブ系イスラエル人の監督が作った「パラダイス・ナウ」という映画がけっこう話題になってる。占領地ナブルスの幼馴染みの若者2人が自爆攻撃に向う前の48時間の葛藤を描いたストーリーのようで、映画の中で1人は断念し、1人は決行する。今は 常設のウェブ・サイト もある。

 イスラエル建国当時、かの地の人口の大半をパレスチナ・アラブ人が占めていたにも関わらず、シオニズムと欧米のご都合主義によってイスラエルが建国され、結局そこでイスラエル領土内に残った(あるいは逃げれなかった)人々と、そこを脱出した人々に分かれ、そしてそれぞれの子孫の時代が続いている。

 前者は普通アラブ系イスラエル人、後者が一般にパレスチナ人と呼ばれるようだが、実際のところは同じ民族で、この映画の監督は他称「アラブ系イスラエル人」、しかし本人は「自分はパレスチナ人である」と明確に語る人のようだ。

 ナブルスは24年前に僕も訪ねた街だが、その時も、「そこの商店は、その近くからイスラエル軍に対する投石があったという理由でイスラエルに閉鎖されたんだ」、「先週、あの角でパレスチナ人2人がイスラエル兵に殺されたよ」、といった話を直接聞いたものだった。

 とんと映画館に行かなくなった僕は、とりあえずこの映画がDVD化されることを期待してる。


07年 3月13日(火)   ダイヤモンドよりも

 大切なのは愛だろう。

 1988年、僕と妻がフランスを旅した時、ジャン・ポール・サルトルとシモーヌ・ド・ボーヴォワールが僕らの前に現れて、こう言った。*

ヘイ、銃声よりも ダイナマイトよりも 衝撃なのは愛だろう
ヘイ、水晶よりも ダイヤモンドよりも 透明なのは愛だろう
大切なのは 愛だろう
大切なのは 愛だろう
愛だろう
愛だろう **

60年でダイヤモンドというらしいが、ダイヤモンドより大切なんだから、年数の問題ではないだろう。

銃声よりも衝撃だし、ダイナマイトよりも衝撃だ。
水晶よりも透明だし、ダイヤモンドよりも透明だ。

* サルトルは1980年に亡くなり、ボーヴォワールは1986年に亡くなっている。
 僕らが会ったとしたら、ゴーストだね。

** (デイト・オブ・バース「愛だろう」)


07年 3月18日(日)   学校に向かい、自分に向かい

 金曜、忙しい職場から一時外に出て、携帯で息子の学校に電話、教頭先生に翌日のアポ取り、昨日の土曜午前、妻と一緒に学校を訪ねた。

 学校の教育方針に係るようなことで、どうしても言いたいことがありまして。具体的にはここでは書くことでもないんだが、息子も学校でのアンケートで同類のことを書いたようで、子といい、親といい、テキトーにカンタンに流せる相手ではないなぁとまぁ実は少し以前から学校に思われてるかもしれない。

 校長がいれば尚よかったが、校長会に出ていて不在。しかし教頭先生は真摯に対応してくれたと思う。

 きちんと話せば当然のように通じるわけだし、たいへんだとは思いますが、そういう、ある程度「なるほどな」と思わせる対応を(特に)生徒にしていっていただきたいと思います。

 子供はやはり信頼や信用を持ってこそ大人の言うことに納得できるわけだし、中学生ともなれば既に、表裏不一致みたいなことは通じません。そんなことすれば、なんだ結局は○本○府と同じか、と子供もしらけてしまう。教育は真正面から正攻法でやっていくのが一番では、と僕は思います。

 えっと、僕はメチコバールとオパルモンな1日を過ごし、ルボックスな日々に克ち、レンドルミンな夜を乗り越えて、日々、迎え、生きていくのであります。ま、身体、大切にしようや、おっさん(俺のことだよん)。


07年 3月24日(土)   父・覚醒、母・元気、息子・エレク発表会

 今日は土曜日。カイシャがない。休める休める。

…ところがどっこい、もっと寝ていたいのに、いつも通りに目が覚めて、それから眠れない。寝床でずっと悶々として、何度も身体の向きを変えたりして試みたけれど、でもやっぱ眠れない。

 目が覚めて、というのは「醒めて」と書いた方が合ってるかもしれない。つまり、身体は眠ろう、眠ろうとするのに、頭が覚醒してしまって、どうにもこうにも眠りに戻ることができない。

 こんな時、ウディ・アレンだったら、シーンから距離を置いて突然、映画を観てる人に語りかけるだろう、あの独特の語り口で、「僕はいつもこうなんです」。

A. 頭が覚醒してしまったのは、自称「パラノイド・スキゾフレーニア」。
B. 肩が痺れ、上腕が痺れ、肘の下の方も痺れ、ってのは、頚椎椎間板ヘルニア。
C. 太腿も痺れ、脹脛も痺れ、腰も腰椎椎間板ヘルニアで。

 ・・・結局、小1時間ほど悶々としてから、ついに眠りに戻るのはあきらめて起きました。

 今日は息子がエレクトーン発表会に出演する日。さぁよい休日になるぞぉ〜!

 ってなわけで、発表会イェイ!

PE'Z(ペズ)という日本のジャズ・インスト・バンドの曲、
Hale no sola sita 〜LA YELLOW SAMBA〜 を演奏しました。

他のメンバーの写真を勝手にアップするわけにはいきませんが(息子も顔までは見えますまい)、3人で練習してきて、今日のステージもそのメンバーでの共演。

ここでは左右をアップしませんが、実際には、左側で1歳年上の女の子がピアノを弾き、右側では向かい合って同じ歳の女の子がエレクトーンを弾きました。

みんな黒いTシャツと YELLOW のスカーフ、花のリボンを合わせ、演奏もよかったし、カッコいいパフォーマンスでした(ま、親バカですが、あっしは)。

息子はハンチングが好きで、今日もステージでハンチングかぶったままでした。

今日はステージ良かったぜ的な流れで、我が家の3人は、もうちょっとしたら寿司屋に行きます。回転寿しね(笑)。

 父親たる僕はですね、メチコバールとオパルモンな1日を過ごし、ルボックスな日々に克ち、レンドルミンな夜を乗り越えて、日々、迎え、生きていくのであります。ま、身体、大切にしようや、ってなもんや。


07年 3月27日(火)   日曜の夜、ヤクを

 飲み忘れた。

 というわけで、月曜の朝早く目覚めてから眠れず。昨夜は帰宅して夕食後、居間にてバタンQヘロヘロ疲れ状態。

 昨日今日と疲れたまり、今日は早く退勤して病院送り。まぁ僕は有休ほとんど取ってないので大丈夫(?)。しかも明日から3日間、どうせ年度末系の仕事でイッパイ。だから今日のうち。

 3、4科お付き合いしているうちの一つに行きました。

 日曜の夜、ヤクを飲み忘れた。って言ったって、 発止ッ氏 とか Lucy in the Sky with Diamonds とかではありませんぞ。まぁ眠れるヤク、数あるヤクのうち、飲み忘れたのは、いわゆる眠り薬系(?)であります。

 おお、こんなヤク飲んでウディ・アレン?

 えっと、僕はメチコバールとオパルモンな1日を過ごし、ルボックスな日々に克ち、レンドルミンな夜を乗り越えて、日々、迎え、生きていくのであります。ま、身体、大切にしようや、おっさん(俺のことだよん)。


07年 3月31日(土)   下高井戸戸越銀座

上野からの足跡記録。

山手線で渋谷へ。
東急田園都市線で 三軒茶屋 へ。

キャロットタワー26階で都心を展望。
三軒茶屋はキャロットタワーのせいか、イメージと違う「都市」。

タワーの中の本屋(ただの?TSUTAYAでした)で文庫本2冊購入。
塩野七生の『ローマ人の物語1 ローマは一日にして成らず』(上)。
アーサー・ビナードのエッセイ集『出世ミミズ』。
塩野さんのは妻が、アーサー氏のは僕が。

プラプラ歩いてから、東急世田谷線で 下高井戸 へ。
 下高井戸はええところやで。商店街もいい。

 Le Petit Lutin (ル・プチ・リュタン) (写真:左)

 息子が チェリーのタルト、 妻が りんごのタルト。
 僕は コンヴァサション(conversation) アーモンド味。
 みんな美味い。

 店にはフジテレビの女子アナ、政井マヤに似て且つ
 更にかわいい(笑)、とても感じイイ人が働いてた。
 僕は 滝川クリステルより、 政井マヤ。

 その後、TRASMUNDO という中古店をみつけ店内検索。
 ノーム・チョムスキー、中上健次、ニーチェ、
 雑誌ユリイカ、ゲバラ日記・・・書籍数は少ないが色々。
 CDも濃いものがあり、LPも色々。
 チェ・ゲバラの絵葉書があったり、ビデオもちらほら。

 コリーヌ・ベイリー・レイの中古CDを購入。
 ナニもここで買わなくてもどこにもあるCDを(笑)。

東急世田谷線で(下高井戸駅で撮影:右) 三軒茶屋 へ。
東急田園都市線で 二子玉川 へ。
東急大井町線で   旗の台  へ。
東急池上線で    戸越銀座。

 戸越銀座の商店街は期待通り。(写真:右下)

 素晴らしい。

 プラリプラリ歩いて、おでんをくわえる。
 こんにゃく、牛筋、イカボール。

 青柳(あおやぎ)という名の和菓子屋をみつけ、入る。
 うぐいす、さくら、ぼたん。みんなコシアンです。
 店には昨年1月の『アド街っく」取材時の写真。
 それから、数年前の『ぶらり途中下車の旅』の山本学氏との写真。

 居酒屋で夕飯。美味い安い、雰囲気ヨシ、三拍子揃った店。
 戸越銀座は CHAR が生まれ育ち、今も住んでるところ。
 ときどき歩いてるらしい(笑)。
 CHAR がふらっと入ってきてもおかしくない雰囲気の店だった。

東急池上線で 五反田 へ。
山手線で    上野  へ。
そっからは個人情報保護法さ(笑)。ああ楽しかった!


07年 4月 1日(日)   花を愛でる

 今日は花見。写真はね、これは携帯で撮ったものだから、画質はご勘弁。
 花見は地元の自治会の主催です。場所は近場の公園にて。いま満開ではなく七分咲きくらいか。

 午前中は自治会総会。これは妻に出てもらった。
 昼過ぎ、家族3人で花見へ。公園に着くと、もうだいぶ人が集まってた。
自治会で用意してくれた(経費は自治会費からです)弁当、ビール等の飲み物をいただき、ビニール・シートの席に着く。

 知人と懇談す。今日は天気もそこそこ良くて、よかったヨカッタ。

 ビニール・シートの片付けなどを手伝って、解散。僕らはまともな(笑)カメラの方で桜を撮り、それから、近くにいた人にお願いして、家族3人の写真を撮ってもらった。

 家に戻って、中に入る前に、僕と妻は小庭を一周。小松菜の花とその背後の大根の葉と花を撮る。(左)
 小庭では、未だ小さいけど、びわも実が生り始めました。

 居間の前、小庭の片隅で咲く姫金魚草も撮影。(右)
 その向うのオレンジの花は、名前がいま出てこないけど(ガーベラじゃないよ)、これもきれいであります。

 こぶしの花もきれいに咲き、写真撮ったけど、満開的時期を過ぎてるのと、携帯で撮って映りイマイチだったので、アップはやめました。

 庭の手入れは、妻がきちんとやってます。僕はずっとお願いお任せ状態(陳謝)。妻と共に家に戻る。中では息子が、応援してる日ハム試合のTV観戦中。昨日今日は部活が休みでした。

 季節は巡ります。いま、春であります。

 僕はメチコバールとオパルモンな1日を過ごし、ルボックスな日々に克ち、レンドルミンな夜を乗り越えて、日々、迎え、生きていくのであります。身体、大切にしようや、おっさん(俺のことだよん)。


07年 4月 8日(日)   石原慎太郎

 行くぞ都知事選!

 ・・・ダメだ、俺は都民じゃない。投票権なかった(笑)。

 イシバラ 疹蛇弄 がまた当選しちゃったら、ほんとにほんとに世界に恥さらす結果だけど、まぁしないとも限らないね、都民の皆さんの選択次第では。

 選択ってのは、イシバラ嫌いだけど投票は面倒といって投票に行かない人がいれば、その人も都民の選択に加わっていることになりますね。

 彼が『帝都』の首長をすることは、例えて言えばフランスでルペンが大統領になったり(いま立候補してる)、あるいはパリ市長になったりすることと同類と思えば「アタリ」。

 イシバラのセンスは単に言論の自由だの、表現の自由だので、まして「文学」だので許される範囲をはるかに越えてサイアクです。

イシバラ 「文明がもたらした最も悪しき有害はババア」(驚くべきことに、セイショク機能のことを言ってるらしい)

イシバラ 「医学とか発達した文明の結果なんだろうけど、しかし、ああいう人って人格あるのかね」(障がい者、確か知的障がい者の施設にて発言!)

 例を挙げると腐るのでこの辺で。
(イシバラの「三国人」なんて発言は単なる確信犯的発言で、上の例など、まぁ居酒屋やオヤジ雑談でナニを言おうがソレを塞ぐことはできんが、公職の人間としては牢屋に入れたいくらい。まぁどれもヤツは確信犯だけど。)

 政策がいいかと言えば、そんなこともない。中小企業支援対策と銘打った、税金使った銀行も失敗中だし、オリンピックも要らんと思う。築地移転もやめてほしい。それに、テンノー賛歌『国歌』強制で大量の処分教師を都が出してるのも、言わずもがな、イシバラ都政あってのことだ。

 一つ書いておきたいことは、浅野も吉田マンゾーもいろいろ出ていて票が割れるからイシバラ優勢という状況。
(・・・それにしても、本来、投票率か得票率の基準決めて、低かったら1位と2位で決戦投票すべき!)

 だけどね、はっきりしてるのは、仮に相対1位でイシバラが当選するとすれば、それはそれでやはり、それだけ平気で(!?)イシバラに入れる人間が相対的に多かったってことだよ。しかも、都はそもそも有権者数が多いんだから、有権者数×投票率、その中で相対1位になるなら、この、心というか、ハートというか、何も感じさせない、且つ肝腎の政策も駄目で来ているこの男に、それだけ多くの人間が投票したってことになる。
 ・・・当選しても、こいつが2位や3位になっても、どっちにしてもバカバカしい!

 俺が都民なら今回マンゾー氏に入れると思う、たぶん。
 浅野氏に票を集めた方がイシバラ都政を終わらせる為にはより勝率的に高まるんだろうけど、でもね、やっぱ、イシバラに入れる人間が少なければ、どう票が分散しようがイシバラが当選することはないはずなんだよ。

 やっぱミンドは辛い指標です。

 季節は巡ります。いま、春であります。
 僕はメチコバールとオパルモンな1日を過ごし、ルボックスな日々に克ち、レンドルミンな夜を乗り越えて、日々、迎え、生きていくのであります。身体、大切にしようや、おっさん(俺のことだよん)。


07年 4月15日(日)   沈黙の音

 沈黙の音は the Sounds Of Silence 略してSOS

 先般の都知事選で、「文明化の最も有害な一つはババァ(の長生き)」とか(知的障がい者の施設で)「この人たちには人格はあるのかね」とか、在日外国人の犯罪の問題に触れて「三国人」(第二次大戦「敗戦」後の混乱期に在日朝鮮人・韓国人や在日中国人を指して言った、有名な、所謂「差別語」です)とか、そういうことを平気で言うセンスのお高いイシバラシンタローが当選した。
 全投票数÷有権者数=投票率は5割ちょっと。

 つい数日前、退勤して電車乗って帰ってきて、最寄駅の改札出て階段下りてく時、下から「お願いしま〜す!」との声と共に、観るからに70歳代のおばぁさんと50歳ぐらいの婦人の二人がビラを配ってるのが見えた。ダンボール紙に白い紙を貼って、「憲法改悪を目的とした手続法の国民投票法強行採決に反対です」といったメッセージが手書きで書かれていた。

 僕がそこまで降りていくまで、家路を急ぐサラリーマンはじめオッサンおばさんネエチャンにいちゃん、誰もビラを受け取らず、身体を(目を)背けるようにして通り過ぎていった。

 僕は受け取ったけど、ピースネット○○(僕が在住する県の名前です)という名の市民団体の活動だった。

 その後、衆院をあっさり通過してしまったけど、こんな大事なテーマの国民投票なのに、最低投票率すら規定されてない。 ・・・つまり、このままでは、仮に投票率30% でも、要するに有権者の15% を超える賛成票があれば、憲法は変わる。

 その前のCMのやり方や報道、運動規制についても問題だらけ。だけど衆院は通ってしまいました。
SOS
Hello darkness, my old friend,
・・・
And in the naked light I saw
Ten thousand people, maybe more.
People talking without speaking,
People hearing without listening,
People writing songs that voices never share
And no one dare
Disturb the sound of silence.
・・・
And the people bowed and prayed
To the neon God they made.
And the sign flashed out its warning,
In the words that it was forming.
And the sign said, the words of the prophets
Are written on the subway walls
And tenement halls.
And whisperd in the sounds of silence.

 季節は巡ります。いま、春であります。
 僕はメチコバールとオパルモンな1日を過ごし、ルボックスな日々に克ち、レンドルミンな夜を乗り越えて、日々、迎え、生きていくのであります。身体、大切にしようや (Run That Body Down; へとへとになって) 、おっさん(俺のことだよん)。


07年 4月22日(日)   二郎さん神経科

 今日は投票に行った。妻と一緒に行った。市議会議員選挙。日頃から活動ちゃんとしてるかどうか、全員を分かるわけではない。まぁしかし、この人はちゃんとしているな、それも身のあること、実になったら良さそうなことを目指して活動してるな、と思える人に一票入れてきた。妻もそんな人を選んで入れたようだ。まぁ沢山いるからねぇ、候補者、そもそもこの街の規模からして議員が多過ぎると思うよ、議員減らす改革だって必要!

 二郎さん神経科に行ったのは一昨日。ルボ、レンドを処方。僕はメチコバールとオパルモンな1日を過ごし、ルボックスな日々に克ち、レンドルミンな夜を乗り越えて、日々、迎え、生きていくのであります。…っつーわけで、お身体を大切に(二郎さんはその仮名通り女医ではない、おっさん医です)。


07年 5月 6日(日)   近況

 最近買ったもの。
 『論座』6月号(加藤典洋論稿読みたくて。でも加藤周一対論の方が面白そ)
 『パレスチナ』(ルポ・コミック)
 『魂の詩人 中原中也』(生誕100年記念じゃ〜!)
 STUFF のベスト盤(アマゾン経由で中古盤購入、音ヨシ!)
 喜納昌吉&チャンプルーズ "BLOOD LINE"
 ブルーハーツのベスト盤(息子に買ってあげた)

 最近の良いこと。
 息子の野球部が夏の大会ブロックを決める試合で、初日の負けは残念ながら、それでもっと大事になった2日目の試合では勝利!
 小庭でポピーが赤い花を咲かせ、柿の木にも蕾み。きっと妻の手入れのお蔭、小庭の木々、草花が元気で明るい。
 息子も妻も変わらず明るい。

 僕はメチコバールとオパルモンな1日を過ごし、ルボックスな日々に克ち、レンドルミンな夜を乗り越えて、日々、迎え、生きていくのであります。…っつーわけで、お身体を大切に


07年 5月13日(日)   ぼちぼちいきたいもんで

 最近買ったもの。
 『世界』6月号(教育問題があったんで。『教育再生会議』ってサイアク!)
 『世界』や『論座』はこの街では置いてる書店がメチャ少なくて困る(笑)。『文藝春秋』や『諸君』『正論』『中央公論』とかは山積みだぜ。

 最近聴くことが多いもの。
 Curtis Mayfield & The Impressions, "People Get Ready"
 Louis Armstrong, "What a Wonderful World"
 The Police, "Message in a Bottle"

 僕はメチコバールとオパルモンな1日を過ごし、ルボックスな日々に克ち、レンドルミンな夜を乗り越えて、日々、迎え、生きていくのであろう。 … 正直、ぼちぼちいきたい。もちろん、身体を大切に せにゃぁ。


07年 5月20日(日)   五月晴れ修学旅行

 息子が今日から修学旅行。朝早く、出掛けました。ヨメさんだけ起きたんだが、結局、オレも目が覚めて、見送った。
 もっと眠そうかと思ったら、元気に出掛けて行った。

 2、3日、ヨメさんと二人きりだ。あと4年足らずで、息子は一人暮らしになる可能性もある。そうなると、そこから二人暮らしになるのかも。
 どこでどう住むかハッキリしないから、あくまで未だ可能性だけど。

 今日はとにかくいい天気。
 木洩れ日が入る食卓の窓際に座ると、水色の光り、差ーし込む♪ って昔の大滝詠一の歌のフレーズを思い出す、そんな日です。風も適当にあって気持ちいい。

 右上の写真は、小庭・裏側の柿の木とキンモクセイと青空、です。

 次の写真は、日差しと緑を撮りたく(小庭から道路側に向い)。手前が、花の季節も近づきつつあるアジサイ。
 その向うの赤はポピー(上から見るともっと赤い)。木は左かえで、右えご(小さい花も咲きました)。この写真には写ってないけど、その向こうの狭いとこには、いろんな花が、たくさん咲いてます。

 柿の木や金木犀の木がある裏庭の方では、今朝、妻がモロヘイヤ、オクラ、小玉スイカを植えました。それから、木曜には、やっぱ妻が、茄子、シシトウ、トマトもやりました。それと、ひまわりやコスモスの芽も出ています。


 写真ですがね、小庭なんで、ちょっとしたアングル等で気を抜くと(笑)、上の写真では少し先の家の屋根や、裏庭に隣接されて作られてしまってる駐車場の向う側のアパートが写ったり、下の写真でも隣りの家が微妙に入ってしまったりします。

 要するに、当然ながら豪邸の庭園なんかじゃなくて、身の丈に相応の家の、しかも小庭だからですねぇ。でもこれはコレで満足。幸せは家や庭の大きさとか金の多さとは別、まぁ当たり前。

 そういうわけで、しばし、息子の帰りを待つ我が家。

 僕はメチコバールとオパルモンな1日を過ごし、ルボックスな日々に克ち、レンドルミンな夜を乗り越えて、日々、迎え、生きていくのであります。身体は大切にせにゃあかんで


07年 5月26日(土)   熱と腰痛

 木曜から喉が痛くなった。多摩乱坂。
 金曜、12時50分頃まで働いて、それで退勤。電車で最寄駅まで行き、バス乗って帰宅。家で熱計ると7度7分。

 バス乗り、ちとだけ歩き、椎間板主治医が院長してる総合病院へ。ここの内科は初めてだが、今日はもともと腰痛で来ようとしてたので、内科もついでにここで。
 内科と外科の梯子して、またバスで帰宅。

 今日の昼前には8度6分まで上がったが、その後、徐々に落ち着いてきてる。ヤク4種が効いてるものと期待。腰の方はかなり痛い。いつものメチコ、オパルの他に痛み止めのヤクももらった。胃にキツイので医薬も処方された。神経科の2種ヤクを合わせ、只今ヤクの種類、10種類なり。

 熱はだいぶ落ち着いてきたが、それにしても腰痛激痛なり。

 身体は大切にせにゃあかんで


07年 6月 2日(土)   ろう眼

 この3、4週間、老眼の進行を感じてた。満員電車で本読む時、仕事で書類見る時、等々。タマに眼鏡を取って見る、おお、そうだ、老眼が進んでる。今日思った、そうだ、眼鏡を換えないと眼が疲れたり肩が凝ったり、身体にもわるそう。そうだ、買おう。

 5年前の春に眼鏡を換えた時、初めて言われた老眼。やっぱ進行してる。前から両眼が近視だし右眼は乱視だし、レンズの調整も大変。レンズだけで4万強、フレームがダメになるとレンズ小さめ再調整となるようで、予防でフレームも換える。出来上がりは1週間後、〆て6万弱。

 今日は、1週間後の祖母の七回忌のため、礼服も買った。持ってるのは、もう着れない(腹のせいだ!)。いずれは甥や息子の結婚式だって・・・入用はあるわけで、この際、買うしかない。アオキで安いの選んだが、それにしても今日は家計の出費が大。ま、必要経費ってことで。

 目下の悩みは体調で、先週末に風邪で熱出し、月曜は復調せぬまま出勤、上からシゴト降ってきて、ずっと体調よろしくない。身体に力が入らない、偏頭痛、眠い等々。実はそれで今日、眼鏡の買換えを思いついた。

 トシとはいえ、マダマダだよねぇ。体調、良くなるよなぁ


07年 6月11日(月)   帰った戻った

 金曜は残業により終電。駅まで妻が迎えに来てくれ、帰宅。夜中の晩ご飯。
 土曜は息子が部活を途中で退出し帰宅。家族3人で我が実家へ。夜、我ら3人、父母、兄貴と兄嫁、兄貴の息子2人(次男はサッカー・エースストライカーにつき帰れずチームメート宅へ)、叔母夫婦、叔父で宴会。途中、実家の庭で蛍見る。ホタルです、一体、何十年ぶり? 生ホタル。祖母が帰って来てたのかな?

 日曜は祖母の七回忌。家でのお経の時は久しぶりの長い正座。いやキツかったな(笑)。
 朝は大雨だったが、お寺に行った頃は大体あがってた。墓参りし、それから僕は寺の敷地にある次郎柿の子供の木を探し、発見して写真撮影。今は米国在住、ここのお嬢さんが、機会があったら見ておいて、と言われていたもの(ミク氏です)。

 墓参りの後、お寺の本堂に上がり、それから、実家が手配・予約してあった料理屋へ。そこで飲食。それから家に帰り、少し休んでから実家を発つ。暮れ・正月の帰省の後、お袋が大きな手術をしていて、その後の最初の帰省だったが、元気そうだったので安心はした。親父がだいぶトシを取ってきたなぁと感じるも、でも自分の母親の七回忌を終え、ほっとして疲れも出たことだろう、まだまだ元気に長生きしてほしい、二人とも。あらためて、そう強く想います。

 帰路は東京、日暮里へ行き、日本ハム、森本稀哲選手の実家の焼肉屋さんへ。ゴールデングラブが飾ってありました。親父さんは変わらず元気そう。店ではちょうどナイトゲームの交流戦・巨人戦を放映していて、日ハムが勝利。嗚呼、万歳!

 僕は疲れてます。元気を出したい。マダマダです。


07年 6月16日(土)   県南大会に進出決定!

 昨日から中3の息子の野球部、夏の本大会が開幕。練習試合では時折り試合に出ていた「控え選手」背番号15番の息子も、昨日今日は打席には入らず、守備につかない結果。
 しかし、走塁コーチやベンチからの声出しで貢献していた息子を、R市優勝杯を勝ち取ったチームとともに誇りに思います(しかしまぁ6校みんな、頑張っていたと思うな。頑張る少年少女を見るのは気持ちいいです)。
 まぁ息子を「誇り」に思う気持ちは、要は「親バカ」ってことね。当たり前じゃん(笑)。

 写真は今日、1塁でコーチに立った息子を撮ったもの。球場が立派な球場で、ちゃんとフェンスあり中翼120メートル、左翼右翼91メートル、スコアボードは電光掲示。だから球場全体の写真が映えるんですが、まぁココでは「親バカ」アングルの写真1枚で。

 うちの市内には中学が6校あって、野球部の場合、しばらく前にやった予備選リーグの結果を基に均衡に分ける形で3校ずつの2ブロック。まず同じ日に各ブロック内3チームずつで総当り戦があって、そこで3位になったら、3年生にとってそれで中学野球部の日々は終わりになってしまう。1位と2位は翌日に進み、それぞれ別ブロックの2位、1位と当たる。その2試合の勝利チーム2校のみが、次の大会、県内大会に進む。だから、初日にブロックで1位になっても、翌日の別ブロック2位との試合で負けたら、そこで『3年の(野球部の)夏』は終わってしまう。

【1】初日(昨日)
 金曜だからシゴトがあって、試合の成り行きが気になってしかたない。妻はパートの仕事を休めたので、朝から冷たいおしぼりの差し入れやら当然応援やら。
 昼休みに妻に電話すると、1試合目は3対1で勝ち。2試合目は2対2のまま延長に入り(中学の野球は7回までなので8回からが延長)、同点のまま緊迫した試合・・・。
 残業中の夜に家に電話すると、結局、延長9回を終えてもケリが付かず、特別ルールで10回は互いにノーアウト満塁から始め、先攻の相手に3点取られ、2対5、しかし裏の攻撃で主軸打者が走者一掃の3点三塁打を打ち同点、その後もヒットが出て、6対5のサヨナラ勝ち。ブロック1位で翌日に進んだことが分かった。

【2】2日目(今日)
 別ブロックの2位と当たり、立ち上がりが良く1、2回で3点取って勢いに乗ったが、その後に同点に追いつかれ白熱した展開。しかし終盤に打線が活躍して、5対3で勝利。この時点で市内6校のうちの選抜2校に残ることが決定し、第一目標の県南大会に進出決定! いやはや応援してた保護者(オヤジやオバサン達)も大喜びでした。

 さて、次の試合で、昨日の同ブロックで延長まで戦った学校が別ブロックの1位と当たって勝利。結局、昨日のこちらのブロックの2試合目と同じ組み合わせで決勝となりました(なんでも市内1位の場合は県南大会でもシードが与えられ、2位より1位がイイのは確からしい)。
 優勝戦は延長までいかず、6対2で勝利。とにかく市内6校のうち2位以内に入らないと「野球部3年の夏」が終わってしまうので、そこがずっと頭にあったけど、メデタイことに、我がR市中学野球部優勝校になることができました! いやはやメデタイ、めでたい! 県南大会は7月中旬。それまでは部活を続けることができることが分かった6月吉日でありました。
 今日はR市大会優勝の興奮で長文なり!

 あっしは例によって、メチコバールとオパルモンな1日を過ごし、ルボックスな日々に克ち、レンドルミンな夜を乗り越えて、日々、迎え、生きていくのであります。あ、今日は野球応援の後に耳鼻科に行って、クラリスとアクディームが加わった。ああ、お身体を大切に


07年 6月23日(土)   ならず者

 今日はミク氏のままに以下。

 今週は結構たまらんかった。月曜終電、火曜は忘れた、水曜は終電にも乗れず、木曜忘れた、金曜はまた終電に乗れず。
 水曜の終電乗り遅れの時は、深夜の『晩』メシ食ったら、あんまりモタモタしないで寝たけど、まだ翌朝が毎朝同様の出勤だからねぇ。…疲れるわ。

 昨深夜はつまり、我が最寄駅に辿り着けるための終電に間に合わず、それから更に2、3本目の電車に乗車。俺はそもそも最寄駅までバス7,8分程度のところに住んでるんだけど(まぁ俺が帰る頃にバスが動いてるかどうかは別問題!)、その鉄道最寄駅の手前2つ目の駅が終着駅となる電車。

 ヨメさんが夜中に迎えに来てくれて、我が家の愛車デミオに乗車、ヨメさんの運転で我が家へ。帰宅して落ち着いて『晩』メシ食う頃には2時。へたりこみつつ(笑)、麦酒飲みつつメシ食い終わる頃には3時か。ついつい調べモノして(これが今度は仕事と関係ない、笑)、ああ就寝は朝5時近く。

 そんなおいらは「ならず者」に憧れる(笑)。うちのヨメさんは、「ならず者」の妻? それも似合いそうだなぁ、意外と(笑)。
ならず者、ハードになる前の頃のイーグルスから、懐かしのリンダ・ロンシュタットとの共演。ちょっと録音状態はイマイチだけど、"Desperado"

 ほんじゃ、付け足し。おいらは例によって、メチコバールとオパルモンな1日を過ごし、ルボックスな日々に克ち、レンドルミンな夜を乗り越えて、日々、迎え、生きていくのである。あ、今はクラリスとアクディームも。ああ、お身体を大切に


07年 7月 1日(日)   7月は、これからは。

 今週、ってか先週も、結構たまらんかった。終電何回? 忘れた。えっと、どんな感じだったか。金曜は終電の1本前だったかな。まぁ兎に角、遅い日が多くて疲れたのだ、相変わらず。

 言いたいことはあるが、いいや、今日は。これにて。メチコもオパルも飲むし、ルボックスも飲むし、寝る前はレンドルミンだし、まぁそんなとこだ。ああ、お身体を大切に。え、今日、7月じゃん。もう少し楽になりたいねぇ。ッシゴトだらけは勘弁してほしい。楽しいこと、家族との時間、それから、社会へのコミット、他にいろいろあるでしょ、人間、当然!


07年 7月14日(土)   雨天順延。

 昨晩は、っつーか日付は今日だけど、午前0時15分までシゴト、最寄駅まで着く電車は既になく、2つ手前の駅までは辿り着けるシカモ終電:午前0時35分発に乗車、それがまた遅れ、終着駅には1時10分を回っておりました。

 そこからヨメさん迎え車に乗り(嗚呼もうしわけない)、夜中の国道○号線。「晩」ご飯は午前2時からなり。

 ヨメさんは翌朝の息子の野球部進出・県南大会のため、先に寝るなり、僕は麦酒飲んでメシ食って夕刊読んで、就寝は3時半ごろか。(食べて直ぐ寝たら腹が出るばかりなのだ。)

 今日は先に出かけたヨメさんが息子の学校の試合に間に合うよう一旦戻ってきて僕を乗せて試合応援に行く予定が、しかし結局、台風の影響の雨で中止、雨天順延。

 明日はもっと雨がひどくなるみたいだしなぁ。雨天順延はどこまで延びるか。平日になってしまうとね、僕は応援に行けないのがツライわけです。うらめし台風。

 今日は試合応援がなくなり、耳鼻科に行き、帰ってきて昼食べ、あとは平日の疲れをとるってとこでしょうか。・・・とれないけど(泣)。
 今週は終電に乗れないレベルが2回ありました。

 玄関前ではひまわりが咲いております。昨深夜の帰宅時は家の中に入れてありました。「風が強いといけないので」。今はまた外に出しています。今日は完全に雨だけど。

 雨に負けぬ花

 ほとんどミク氏と同じ内容じゃん、イイじゃん。
 つけたし耳鼻科アレジオン、外科椎間板メチコ、オパル、神経科ルボックス、レンドルミン、ああ、お身体を大切に


07年 7月16日(月)   県選抜大会に進出決定!

 市の大会で優勝して、今日は県南大会初日。昨日、一昨日が台風の影響でやれなくて順延となっていたもの。

 本日のその会場の第2試合で、隣りのやや大きめの市の3位と対戦(こっちは市内6校のうち県南大会に進出は2位まで)。5対0で完勝。

 その後、同会場の第4試合で、シード校と対戦。あちらも地区1位、こちらも地区1位だが、あちらは昨年の2年次の新人戦での成績も加味されてシード、1回戦は不戦勝だったもよう、こっちのエースは今日の1回戦で既に5イニング投げたし、先発組みんな1試合の疲労あるもガンバル。で、熱戦の末、2対1で勝利をもぎ取った。

 これで8月初旬の県選抜大会という大きな大会への進出は決まった。実はその前の7月末にやる県大会が県では一番大きな大会で、これには明日、もう1勝すると出場できる。

 練習試合には時々出ていた息子、本大会は今日も控えで試合への出番はナシ。しかし、今日も声出しや、走塁コーチでみんなと一緒にがんばっていた。
 写真は1回戦の時に撮ったもの。1塁での走塁コーチに立った息子です。今日の球場もフェンスあり中翼120メートル、左翼右翼91メートル、立派です。

 ではでは明日も元気に頑張ってくれ。明日はうちは母親の方だけ行きます。

 おいらは明日からまた怒涛のシゴトだね。かっ! メチコ、オパル、ルボ、レンド、アレジを飲みつつ、乗り越えていきましょう。ああ、お身体を大切に


07年 7月17日(火)   県大会に進出決定!

 市の大会優勝→昨日の県南大会1日目の1、2回戦勝利
→本日の県南大会2日目の3回戦勝利。

 これで県大会に進出決定!

 本日2試合目の県南4回戦は連投のエースが使えず、2年生を含む複数投手を継ぎ込むも、負け、しかし、本日の1勝により、県南ベスト4入りが確定し晴れて県大会に進出決定であります。

 今日は拙者はシゴト、ヨメさんは仕事休み日で応援へ、ヨメさん報告により知った次第。

 我が(息子の母校)N中野球部の県大会出場の快挙は、拙者が知るこの3年間では初めて。今日の2試合目で負けるまで7連勝でした。

 今日帰宅してヨメさんから、また息子から聞いたところでは、小学校時代に通っていた小学生の野球チームの監督が「おめでとう」との電話をくれたそうで、あの監督はたぶん当時の選手でN中野球部に進んだ全員に電話をくれたのだろう、本当にありがたいことだと思った次第。


07年 7月21日(土)   昨日はオールスター

 昨日はオールスター観戦日。我々は外野席の方が好きなんだが、チケットは外野からアッという間に売り切れ、何とか取れたのは内野席の上の方。応援するパリーグの3塁側。

 県大会や県選抜大会への進出を決めた野球部は未だ3年の部活の夏は続いているのだが、昨日の終業式の日は部活なし。
 息子が一番先に、会場の東京ドームへ。次はヨメさん。昨日は仕事日で仕事を終えてから、試合途中から観戦。

 最後はおいら。今日こそはと残業をもっと早く切り上げて観戦を楽しみたかったのに、いろいろ困ったチャン的仕事多く(ったく!)、おいらが会場に入り、席に着いたのは9回表、パの攻撃。
 負けてたパはそこでも三者凡退で、おいらの観戦時間はアッという間に終わり。嗚呼、チケットがもったいない!

 パが負けたのは残念だが、終盤近くまで両リーグ0行進だったのが、最後の方でホームランが出たりして一定の盛り上がりを見せたのは、そのシーンを見れた息子と妻にはよかっただろう。おいらが見れたのは、ヒーロー・インタビューのラミレスの、「ラミちゃん、かちかち、ゲッツ、アイーン」(だったかな?)のパフォーマンス。まぁ彼は明るくて楽しい。
 その後は上野に出て居酒屋で一家団欒なり。


07年 7月22日(日)   学校、投票、我が家のスイカ

 タイトルはビビンバだ。だけど写真はスイカ(我が家の小庭で収穫した『小玉スイカ』)だ。

 お題その一。
 昨日、中学に行った。あんまりなんで、少なくとも今後、もっと注意を払ってほしいことがあって。4人も先生が揃っていて、謝られた。「これからもっと注意を払っていきたい」と言われた。
 学校側としては謝るしかないから、これはこれでシカタナイ。しっかし、誰が好き好んで、折角の土曜に息子の通う学校に行って「先生」方から謝られるか・・・ああ、嫌な渡世だなぁ。

 書いておきたくて書きましたが、何でマタ学校に親が出掛けたかって、理由はそれ以上書きません。書くと何だかマタ腹立ってきたりするし(怒)。でも、そんな土曜の渡世だったことは書いておきたかったのだ(笑)。

 お題その二。
 今度の土曜、息子の野球部が進出した県大会がある。各地域ベスト4だけが出れる県大会、こっちは県南の4位で、1回戦はいきなり別地域の1位。勝ち残るのは難しいが、幸い勝ち残っていくと、翌日の日曜にも試合があることになる。
 ・・・ってわけで、今度の日曜の投票日は忙しいことになる「かも」しれないわけで、今日はヨメさんと期日前投票に行くことにした。

 息子に、駅前に投票所があるよ、と言われた。息子の方が詳しい(笑)。まぁ兎に角、行ってきた。俺らの投票行為は終わり。あとは当日の夜、開票速報でも観ましょう。

 お題その三。
 まぁ、コレが一番、楽しい話題。上の写真は我が家の小庭で収穫した『小玉スイカ』。はて、どうでしょう。食べ頃になってるかどうか、まだ分からないけれど、自家製スイカだ、美味しく感じれらることでしょう。これは気持ちイイ渡世(?)だ。

 ではでは、おいらは明日からまた怒涛のシゴトだね。かっ! メチコ、オパル、ルボ、レンド、アレジを飲みつつ、乗り越えていきましょう。ああ、お身体を大切に


07年 7月28日(土)   県大会にて敗退

 写真をアップしたいくらいだが、今日の息子は、頭ツルツル。といっても、自分でバリカンでやるから五厘は無理で、一分刈りぐらいだろうか。昨日、自分でやった。
 彼は試合前日、ほぼ例外なく、バリカンで自分の頭を刈る。

 市大会優勝→県南大会4位→県大会。

 県南はベスト4に残ると県大会に行くのだが、県東は2位まで、他にも3校とか、おそらくは中学の数の違いなんだろうが、地域ごと県大会進出校の数が違うのだった。

 いずれにしても、県大会は十数校。理屈っぽく言えば(?)結果より過程が大事、あくまで「結果」ではあるけれど、ここまでよく頑張り、今日もよく頑張りました。

 今日は中学野球、最大級の大会、県大会。もちろんコレを勝ち抜くと関東大会、全国大会とかあるらしいが、息子の通う中学では、野球部の県大会進出は創立以来初めてとのこと。・・・というわけで、快挙。

 今日は県大会1日目、この球場での3試合目で、午後の試合、息子らのチームは、その1回戦の試合で、県東地区の1位と当たった。

 4回まではどっちが先取点を取るかどうかという互角の試合に見えたが、流石は県東の優勝校というべきか、5回先頭打者のヒット、盗塁が切っ掛けで調子に乗り、その回2点。1点取られた後に満塁までいき、そこを追加点1点で抑えたのは未だ可能性を感じさせたが、次の6回も連打で更に2点、これが痛かった。
 こっちもヒットは出たが繋がらず、途中まで互角に見えた試合も、終わってみれば4対0、スコアほどの差には見えなかったものの、これが勝負というものだろう。

 息子は背番号15を付けてベンチ入り、今日はずっとスコアラーをやっていたようだった。負けたのは残念だが、これで野球部の3年の夏は大きな峠を越えた。みんなよく頑張ったと思う。

 今日はM戸市の市民球場。ずいぶん立派な球場だった。こんな球場で試合ができたことも誇っていいだろうと思う。
 1週間後に、県南ではベスト8からが出れるという県選抜大会というのがある。これは地元のI城新聞が主催して、毎年、県大会の後にやっているものらしい。それが終わると、正真正銘、小4の5月から続けてきた息子の野球は、一つのゴールみたいなものを迎えることになる。

 何が得られたか、それが分かるのはずっと後になってからかもしれないが、兎に角、彼は、頑張る。・・・ 今日は、息子の好物のうなぎにしてやろうと話してる。


07年 7月30日(月)   07年夏、参議院選挙

 さて、拙者は期日前投票でありました。一票が策士の政治屋 Politician でなく政治家 Statesman と People の政治に繋がりますように。

 辞民盗が大敗したのはいいことだが、反対側にもロクでもない政治屋はいる。政治屋と政治家は、経済なら市場万能論の新自由主義から逆に市場統制主義、社会との関わりなら民の権利抑制型から国家権力抑制型、兎にも角にも幅広な活動領域に、同じ党の政治屋もしくは政治家がもの凄く離れた立ち位置で動いていたりする。
 いずれは、もっと分かりやすく徒党を組んでもらいたい。

 ・・・今日、小田実が亡くなった。『何でも見てやろう』は痛快でした。'70年代半ばに北朝鮮を訪問してあの国に未来を感じたこと等いつまでも非難されたり、口のワルイ評論屋からは「壊れたテープのように同じ主張の繰り返し」だと言われたりもしていたかもしれない。

 確かに、ずっと同じだったな。要するに小田実はどこか、ずっと一貫したものを持っていた。大阪で空襲に遭い、『何でも見てやろう』、ベ平連、'70年代前期に書いた『世直しの倫理と論理』、それから先もずっと、2007年7月30日午前2時5分に亡くなるまで、ずっと一貫したものがあったに違いない。
 『何でも・・・』や『世直し・・・』を僕が読んだのは、'79年に大学に入学してから少し経ってのことだったと思う。どっちも面白く読んだ。

 今日は夏期休暇1日。また明日からシゴトでんねん。メチコ、オパル、ルボ、レンドを飲みつつ、乗り越えていきましょう。ああ、お身体を大切に。・・・もう少し休むぞ。


07年 8月 5日(日)   野球部の夏・・・県選抜2日目

 右の写真2枚のうち、左側は5年前、息子が小4の秋頃。何枚か撮って、翌正月・年賀状用の写真に使った。
 その何年か前から僕とのキャッチボールを始めていた息子は、小4の5月頃、地域の野球チームに入って、本格的に野球を始めた。

 右側の写真は、今年の 3月4日(日)、他校との練習試合に出て、センター前ヒットを打った時の打席の写真。前日の練習試合は応援に行った僕だが、この日は行けず、行った他の生徒の保護者が写真を撮ってくれていた。中3になる4月の直前の月だ。

 中3の本大会、市大会優勝→県南大会4位→県大会。県大会出場は創立以来初めて。1回戦で惜しくも敗れたが、その相手は結局、県大会準優勝。優勝校と共に、関東大会に進出した。

 県大会には県南4位までが出場できるが、地元のI城新聞主催の「県選抜大会」は県南地区からはベスト8から出場できる。どっちにしても息子の中学野球部はベスト4に残っていたから出場。これが、彼ら3年の最後の大会となった。でもここまで、この時期まで野球を続けてこれたのだから、立派なものだ。

 昨日が開幕日。T波市内の球場で開会式、入場行進。行進は晴れやかなものですね。それから会場を移して、1回戦。当初は五分五分に見えたが、途中から打線爆発、10対1で勝利した。本大会以降、ずっと控えでランナー・コーチ等を務めていた息子も、昨日は打席機会あり。ファウルでよく粘った後、よく球を選んで四球で出塁。その回の4点得点、試合を一気に展開させたイニングの攻撃の切っ掛けの一つになった。

 今日は2回戦。右の写真は、試合前にエンジン(円陣)を組んでいるところ。
 県選抜大会には、先行する県大会での優勝校、準優勝校は関東大会に出ていて、県大会の成績では3位のチームが最高位。その、県大会3位チームと、今日の2回戦で当たった。先取点2点はこちらだったものの、2対3、2対5と逆転された。最後は1点返して惜しくも3対5の敗戦。これが背番号組の過半を占める3年生全員にとっては、最後の試合となった。

 息子は昨日に続き、代打。初球から積極的にスイング、鋭い当たりを相手投手脇に打った。強い当たりで、本当に惜しかった。ほんの少しだけ方向が違えば、うまく投手のグラブをはじき、もしくはそのまま抜け、センター前に転がるヒットになる可能性があった。息子の野球部最後の打席は結果的にはピッチャー・ゴロ、一塁アウト。でも初球からの好球必打はいい姿勢だったと思う。いかにも結果は運だという当たりだった。結果は残念でも、よく頑張ったと思う。

 息子は父親に似て、運動は得意じゃない。だけど、これまで、本当によく頑張った。素振りや壁当て、親を相手にしたティー・バッティング、バッティング・センターに行っての練習。

 今では身長は、もともと背が小さい僕の背丈は、十分に越えた。肩の周りの筋肉も、いつの間にかガッシリしてきた。小さい頃からよく一緒にキャッチ・ボールをし、時には休日の日に、近くの公園のグラウンドに親子3人で一緒に行って野球をしたりもした。全てが懐かしい。
 よく頑張ってきた。息子が小4の時の、小学校での「二分の一成人式」という名の機会に本人が書いた、『何かをやる時は最後までがんばる』という決意表明、そのままの息子の野球だった。息子は来月、15歳になるところ。これまでの経験は、必ずこれからの人生に生きる、活きるに違いない。親ですからねぇ、これからも当然、応援していきましょう!


07年 8月14日(火)   故郷ありき

 今回、親は新幹線にて、息子は親と別に早朝出発の鈍行一人旅(途中乗りたいワイドビュー特急にも乗ったもよう)。

 田舎に着く手前のローカル線乗り換え駅にて、前回、その駅で息子が投稿した川柳が貼り出されていた、「お袋よ ダイヤ改正 いま知った」(前回ここでだいぶ待ったのだ)。今回はこのローカル線を息子は逆から乗り継ぎ。結局、早朝出た息子の方が若干早く着いていた。

 初日は旧友たちと再会、飲み会。いつも温かく迎えてくれる友に感謝。親は当然として、やはり友あっての故郷だなぁと思う次第。中にはもの心ついた頃からの友もいれば、小5のクラス以来の親友もいる。みんな、幼稚園、小、中と同じ。いつも当たり前のように迎えてくれる友の存在は、俺にとって宝のようなものです。

 2日目は兄貴ら一家も帰省した。息子や甥っ子らに付き合って裏の川に出たら、なんと鮎がピョンピョン飛び跳ねてた。鮎も暑いのか(笑)。夜は両親、兄貴ら、ワシらで宴なり。年末から年明け以降にかけて大病で大変だったお袋も、前向きに明るく日々を過ごしているようで嬉しかった。そもそも、俺も見習わねば、と思う次第。

 昨日の朝は兄貴が息子も含めて奥の方の川に連れてってくれた。奥ではえらく水が冷たいらしい。その後、墓参り。

 夏は、故郷だなぁ、と。

 昨夜の最寄りのバス停からの歩き(最後はバスなのだ、乗れる時間帯は…)、俺とヨメさんは見てないんだけど、歩いてたら急に息子が「あ、いま流れ星、見えた」って叫んだ。

 今日は俺が休みでもヨメさんは今日出勤と相成った。先日部活が終わった息子も、今日は特に用事とかないらしく、昼飯を一緒に食いに行く。父子の外食も貴重な機会です。

 俺は帰省前も帰省中も戻り後も、当然、変わらず、メチコ、オパル、ルボ、レンド。ヤクは欠かせぬ毎日なり。近頃、特に腰が痛い! ああ、お身体を大切に


07年 9月17日(月)   誕生月

 今日は息子の誕生日。6日前は拙者の誕生日。
 息子は15歳。拙者は47歳。

 15歳の地図は47歳の地図より小さい。しかし、実は心の中の地図は、夢や希望の地図は、15歳の方がずっと大きい。絶対大きい。

 息子は今日午後、バンド練習。前半は別の家(左写真、我が家から向かう後ろ姿、左肩にギター)、続きは我が家。我が家にもアンプが複数、キーボードもあるから便利ってことで。メンバーと顔合わせて親父(=拙者)も挨拶。いや楽しそうですなぁ。

 夜は家族で息子の誕生日祝い。母親(=拙者の妻)の手製のケーキ(右写真)を食す。美味なり! Happy Birthday!


07年 9月22日(土)   スローピング。

 今日午後、息子はバンド練習。どうだった? 「結構むずかしい」。この間は「予想より上手くいってる」、そう、楽しいことは、成すことが難しい時もあります。でも為せば成る。

 息子が帰ってきたところで、夕方、僕と妻は近くの公園脇にある、やや数の多い階段坂へ。スローピングです。腰痛のオットに妻がススメテくれた運動。坂を後ろ向きに降りたり上がったり。これを妻と一緒にやりました。坂を降りてく向こうに見えた月がきれいでした。"The moon rose over an open field"♪

 スローピングとオパルモンとメチコバールで頑張りましょう。


07年 9月24日(月)   しばらく…

 しばらく…、ここしばらくずっと、政治・社会ネタを書いてません。安部草履が辞めたり、総理じゃなくて(自民党)総裁選の騒ぎがあったり、メディアはそればかり追いかけてたり、まぁご苦労なことではありますが。斯く言う拙者もそんな報道に目をやったりする時はありますが。

 ここしばらく、あまり眠りがよくありません。まぁその、ずっと前からよくないんだけど、ここんとこ、なかでも不調な方ですかね。こりゃ困る。レンドさんルボさんのヤク各位、頑張ってもらいたい。拙者は「がんばる」と余計に眠りがよくない状態になってもいけないので、なるべく think too much にならぬようにした方がよいのです、多分。

 今日、数年ぶりにギターの弦の張り替えってのをした。OVATION のエレアコの方。張り替え方を知らない息子に教えた。やっぱ、新しい弦の音はいい。
 近いうち、エレキの弦の方も替えましょうかね。こっちは何と前世紀から替えてない。息子は今はエレキの方をやってます。

 近頃、身体に力があまり入らない。腕の筋肉がピリピリ。おまけに腰も相変わらず。で、眠りも。それで、これからもオパルモンとメチコバールとレンド、ルボで、やっていくわけです。スローピングもやらねば!


07年10月28日(日)   我が家の初柿の味わい

 今月 6日(土)、妻との散歩から家に戻って小庭を巡り(「巡る」にはあまりに小さいが)、小庭の柿の木に成っている実を確認。それから2日後、8日(月)の朝、一部に赤みが増しているのを確認。
 そして今日、2007年10月28日(土)午後、脚立を出して、拙者が2個、妻が2個、実をとった。写真は携帯で撮った、妻が収穫した2個。

 あと3個残っていて、来週またとろうと話してた次第。今年初めて生(な)った柿の実、全部で7個です。

 この柿の木はいつ植えたか、拙者も妻もよく憶えてない。おそらく2000年か2001年かと。
 群馬か栃木かそれも忘れたが、他県の植木屋がぶらりこの辺を「営業」に訪ねてきて、「(接ぎ木…じゃないけど、何だったかな何か理由があって…)もう来年には成るよ」なんて宣伝されて、気のいいオヤジさんだったので、こっちも気をよくして買った。翌年はオヤジさん訪ねてきたが、その後、来てない。

 この柿の木は昨年初めて実が生りかけた。たった一つ。でも小さくて、かつ結局は熟さず、食すに至らず。

 今年はどうなのか、実が生ってからも、確実に食べられるようになるか、確証は持てなかったが、今日、ついに「初柿」を味わうことができたというわけです。
 けっこう美味かった。それに「我が家の柿の木」というのが加わって、更に美味は増していたような。その後、帰宅した息子も味わいました。美味なり。

 「桃栗三年柿八年」というが、いちおう我が家に植えてから未だ八年は経過していない。上出来と思いましょう。

 拙者は1週間余前の土曜に顔(頬)の粉瘤を手術して切除し、昨日の土曜、抜糸した。その間、前半、抗生剤を飲んだり、痛み止めを飲んだり、手術前後は血流よくするオパルモン、これヘルニア用なんだけど、そのオパを止められたり、ちょっとヤクが不規則に。今はまたオパ、メチコ、レンド、ルボ、時に首か腰か肩とか痛けれ鎮痛剤なり。

 学生の頃から、国の別問わず人のことに関心があって、今も職場と関係ないところでそういう団体の会員になっていたりする。しかし、全ての人を思い浮かべてその幸せを祈るのは、宗教家でもない僕には簡単なことじゃない。祈るのはね。
 今日は我が家の庭に生った柿の実を妻と二人でとって味わった。息子もそれを食べた。幸せなことに違いない。

 僕に連なる、あるいは僕から連なる、全ての人の幸せを願いたい。我ら、彼ら彼女らに幸あれと思うのです。


07年11月 3日(土)   祭り、収穫の秋。

 収穫の秋。今日、我が家の柿を収穫。3個。先週4個、計7個。初収穫の今年はこれですべて。

 収穫の秋といえば、我が故郷では毎年この時期、行われる秋祭り。今年は昨日、今日、明日。

 そういうわけで、 S & G - Homeward Bound (Monterey Pop Fes 1967)
 "Homeward Bound, I wish I was"♪ Hometownward Bound って雰囲気で。


07年11月11日(日)   息子、バンド、ライブ

 息子にとってはライブは2回目。1回目は 小3、9歳の時の家族バンド・ライヴ

 でも他にも、小学生時代にキッズ・クワイヤでゴスペル・コンサートに出たことあるし、エレクトーンの発表会は毎年のように出てるから、ライブとしては何回目かな?

 今は15歳、中3の息子、昨日は中学の文化祭でのライヴ。昨日は妻と一緒に観に行った。
 携帯写真で載せるのでよく見えませんが、右は、体育館でのステージ中に撮ったもの。よく見えないと思うけど、一番左、白いシャツ着てギター弾いてるのが息子(右の真中がギターとボーカル、後ろにドラムス、右側にキーボードとベース)。

 いやはや、このバンド、バンド初心者ばかりなのでどうかと思ったら、正直、予想以上に演奏上手かったので驚いた。短期間によく練習してたからなぁ。

 一眼レフで写真、それに動画も音もバッチリDVDカメラで撮影・録音したけど、まぁバンド・メンバー全員の『肖像権』がありますんで、ちょっとそれはアップできません。ざんねん!

 何をやったかと言うと、この曲、バンプ・オブ・チキンのセイリング・デイ
 このテンポの速い曲を初心者が多い中学生バンドがやったんだからエライっす!(笑)。

 息子はカッティングの多いエレキギターをちゃんと上手いこと弾いてました。
 バンド演奏の前、真ん中のボーカルとギターの子のMC中、メンバーに女の子からの黄色い歓声が。息子は大五郎ではありませんが、大のつく名前、「大ちゃ〜ん」という声が、息子にも飛んでました、よしよし(笑)。

 背もスラッとしてきた息子は(小さい親父より5センチ強は高くなったかな)、ギターを低めに構え、少なくとも既に恰好はオヤジ高校「学園祭」当時よりずっとイイね。派手に動かない「クールな」ステージジングは、本人の性格ゆえかな?

 親父の方は一昨日の金曜は厳密には土曜またがり、24時20分まで仕事し、終電にも乗れず、途中駅まで妻のクルマ迎え頼み、午前2時近くなってからの「晩」ごはん開始。寝たのは何時だ? で、睡眠時間もろくにとれず、土曜朝から息子の中学の文化祭へ。
 まぁ今日も明日以降も、オパルモン、メチコバール、ルボとレンドを飲みつつ、乗り越えて生きてゆくのだ。


07年11月17日(土)   神経科は

 と言っても、ホンモノのプロとは思えない。それは最初から、薄々ではなくて、全く「全面的に」分かってた。まぁソコは心療内科と名乗ってるかもしれないが、僕は実は違いの意味は知らない。あまり意味ない用語区別かもしれないが、知らない。ただ、プロとは思えない、というのは最初からそうだった。それは分かるよ僕には(笑)、話してるだけで。つまり、それは承知の上で続けてたこと(それはもちろん医学的にも正しい行為ではないのだろうけど)。

 初めて行ったのは、2003年5月24日の土曜日。翌日の日記 にさっそく書いてる。
 「昨日、初めて神経科というところに行ってみた。と言っても、眠れるようになりたかっただけ。行ったところも、内科なども併せて診療していて、あんまり専門とも言えない医院だったけど。」
 「とりあえず行く気になったのは、身体の方がきつくなってきたから。とにかく眠れる薬を処方してほしかったんだ。でないと、このままに凌いでいてももうすぐ相当にきつくなるかもしれないと思った。」
 「最初はおそらく昼間の気疲れで夜は比較的眠れていたような気がするのだが、そのうちによく眠れなくなった。そもそも夢ばかり見ている感じで相当に浅い。おまけに朝までに何度か眼を覚ます。特に真夜中に覚醒する。それでも初めのうちは未だ朝まで3時間あるなと思えば少し気は楽になり、辺りも未だ暗いので、その後もある程度は眠れていた(めちゃ浅いんだけどなぁ)。その状態が徐々に悪くなってきて、近頃は、覚醒する時間が朝5時だったり。そうなると辺りは明るいし、もうあまり時間がないし、鳥の声も聞こえてくるしで、全然眠れない。もともとその前もうとうとしている感じで、何度か目も覚ますし熟睡できてないから、正味の睡眠時間はかなり少なくなる。だんだん体力的にきつくなる。それがさらに悪くなって、4時とか3時半とか、あるいは2時半とかに覚醒してしまうようになった。それから朝まで未だ時間があっても、そのうえ未だ暗いのに、とにかく頭がさえてしまって、眠れない。それ以前もよく眠れているわけではないのだが、さすがに睡眠不足が蓄積してきていて身体が疲弊してきているので、身体の方は相当に眠りたがっていて、寝入るのにはあまり苦労しない。ところが決まって3時間程度の浅い眠りの後に覚醒する。そこで少しでも身体の疲れが取れていると(少しなんだけどなぁ)、そこから先、眠れない神経の方が眠りたい身体に勝ってしまうようで、眠たく思うのに眠れないという状態になる。」
 「とにかくまずい。出かけるがきつい、出かけても身体が重い、極端に眠くなる。日増しに身体がきつくなっていた。」
 「結局、昨日、近くにある神経科に行って来た。内科とかと一緒に診療していて専門の神経科、心療内科という風情ではないし、心の中身のカウンセリングを受けようという気は毛頭なかったけど、要するに、とにかく眠れるようにしないと。」「・・・。まぁしかし、とにかく無理矢理でも少しは眠れるようにしないと身体が参っちまう。そういう時は、身体の方だけにでも対処療法が必要です。」「・・・ 今は眠ることです。身体壊してもしゃーないし、焦ってもどうにもならない。とにかく日々を凌いでいくのが課題なのだ。それができなきゃどうにもならんですよ。だから四苦八苦してるんだ。これでも頑張ってるんですよ。」

 次の回の日記のタイトルは、対処療法。2003年5月30日の金曜日。
 「仕事帰りに神経科に寄った。これで治るなんて思ってないけど、少なくとも、まずは身体は守らなくちゃいけない。」
 「寝る前に薬を飲んで、明らかに前よりは眠れるようになった。前がひど過ぎたからね。だけど時々眼が覚める。5時頃眼が覚めたりもするけど、それでもその後うとうと出来るな。前は完璧に覚醒しちゃったからな。」
 「少し元気になるんだか気力が出るんだかって薬は、自分でも効き目があるのかないのか感じられないな。多少は効果が出ているようにも思えるけど、それも気のせいかもしれない。」
 「薬で治るはずがない。ただ、病は気からなんて言うように、たぶん気持ちが塞いでいると、身体の中の何かの分泌とか神経とかに良くない影響が出て、フィジカルにもいいことがない。メンタルな部分がフィジカルな部分を刺激して、それでまたメンタルにも影響する。メンタルな部分には決定的な核があるにしろ、悪循環がいいはずがない。だから薬で、メンタルな部分に影響されまたメンタルな部分に影響するところの、フィジカルな部分にアプローチする。それで少しでもメンタルな部分の状態を和らげる。僕はそう受け取っている。薬がメンタルな問題の核心を解決するはずがない。それでも何かをくい止める、あるいは緩和するってところかな。たぶん、あるとしたら、そんな種類の効果なんだろう。効いているのかね? わからんな。そっちの薬は増やしてみるってんで2倍になったけど。はて、どんなもんかね。」
 「・・・ はて、医者に通うのはこれからどうするのかな。いつまでもってことはないよな。だけど眠らなくちゃいかんのは確か。まぁ先のことは考えたり考えなかったりってとこか。この日記、これからどうなるもんやら。ずっと書くのかね。」

 3回目に日記に書いたのはこれかな、ヤクが切れたぜ(乾笑) 。2003年6月13日の金曜日。おお、13日の金曜日。
 「仕事帰りにドロップ院。」「内科とかも併せてやってるから、どのくらい専門と言えるのかはわからない。それほど細かい話をするわけでもない。だけど嫌な感じはしない人だ。このくらいでちょうどいいかと思ったりもする。深刻と言えば深刻なんだけど、そんなに突っ込むパワーがこっちにあるわけでもないくらいだからな。というわけで、続くのであります。」

 2003年6月28日の土曜には、昨日は病院をハシゴ ってのを書いてる。
 「月曜から左手が痺れる。」「昨秋からしばらく腰のヘルニアで左足の痛みが続いたことを妻が思い出し、似たような原因の可能性を口にした。」「どうも今度は首があやしいらしい。困ったもんだ。来週MRIを撮ることになった。」
 「ここのところ神経科で処方されてる薬の副作用ってことはないだろうかと素人考えしたが、整形外科先生に見せたところ、その可能性はないってことだった。
 「次はその足で(クルマだけどさ)神経科へ。いろいろ訊かれていろいろ感じる通りに話していたら、朝夕の薬が1錠増えてしまった。最初が1錠だったのが2錠になり、今度は3錠ずつ。」
 「まぁ最初から増やしながら変化を見ていきますなんつってたけど、しかしなぁ。思わず『どんどん増えることもあるんでしょうか』なんて尋ねてしまったが、多少効いてるようだが未だ中途半端なのでってハナシ。」
 「睡眠用は変わらず1錠。もともと自分の場合、薬で精神状態がどうにかなるとは思ってないんだがなぁ、まぁあまりに眠れなくて身体が壊れるといけないから、眠るための薬がほしかっただけなんだから。
 「こういうのは素人判断で止めるとまずいみたいだしねぇ。とりあえず睡眠だけをナントカするつもりで行ってみたのが始まりだったんだけどな。はて、これからどうなりますか。」

 さて、それからずっと続いてきた二郎さん神経科、やめる、変える
 昨日、2007年11月16日の金曜日のこと。

 病院梯子(最初はケツの脂漏性角化症)の2段目、神経科。
 「どうですか」

    「前来たとき(眠れん→前向きな気持ちが出ないって感じは→珍しく当たりのような気がし→ルボここんとこ長期2錠/回が3錠/回へ)と精神的には変わらぬような気がするが、仕事が近頃きつくて帰宅も遅く疲れてたからか、眠れる、明け方目覚めて眠れずってこともないです」

 「そうですか」(いつもなら必ず帰宅時間や労働条件の話ばかりする二郎氏だが)
 「昼間ダルかったりしますか」

    「いや、それはないですね」

 「食欲はありますか」

    「あります」(俺はよほどのことがない限り食欲はある、風邪ひいてもある)

 「ちょっと血液とらせてください」

    (!・・・な、なぬ?)
    「なんすか、それ、唐突に」

 「いやね、ちょっと薬の副作用を調べたいので」

    (!・・・な、なぬ?)
    「はぁ? なんすか、今までもう4年以上通ってて1回もないっすよ、そんな調べもの」

 「いや、本来は6ケ月ぐらいか、あるいは1年ぐらいで、1回はチェックした方がいいんです」

    (!・・・おいおい)
    「あのですね、もう4年以上、ほとんど同じ薬を長期大量に処方しておいて、いま急に何ですか、それ」

 「いや、たまたま今までしなかったんですね。どうしてかなぁ。普通はした方がいいんですよ」

    「あのですね、4年以上ずっと、先生に処方されてるんですよ。たまたま、って何ですか!?」

 「いや、どうしてかなぁ。」

    「かなり衝撃的ですね。おかしくないですか。こっちはそんな専門知識ないわけだから、必要とか不必要とかって先生の側しか分からないことですよ」

 「いや、だからアナタがわるいと言ってるわけではなくて」

    「ちょっと待ってください。私は先生がアナタがわるいと言ってるなんて、一言も言ってないですよ」

 「いや、だからその、そう言われれば、今までしてなかった私が謝るしかないですが」

    「あのですね、医者に通うってのは少しの信頼がなくては無理ですよ。私は別の医院に椎間板ヘルニアで長いこと行ってますが、信頼あってのことです。信頼がなくなれば有り得ませんよ」

 「だからその、たまたま」

    「たまたまって、もう4年以上ほとんど同じ薬処方されてるんですよ。それを今になって副作用チェックのために血液検査?」

 「しかし便秘とか気持ち悪くなったりしてないかとか、訊いたことはあると思います」

    「ははは。そんなことだって訊かれた記憶はないですねぇ」

 「いや言った言わないとなるとナンですが」

    「こっちだって長いんだから、イチイチ全部憶えてるわけない。断言はしませんよ。しかし記憶ないですねぇ、そんな」(あとになって思い出したが、初期の頃、俺が尋ねたことならある、副作用はどうだとか、増やすとどうかとか)

    「何がわかるのか」

 「例えば肝機能に異常が出てないかとかですね・・・」

    「そんなもの、職場の定期検診だってチェックしてますよ」(俺はGPTとかGOTの正常値の知識もあるんだけど;)

 「まぁ我々がチェックするとまた違う見方があるんですね」

    「しっかし、4年以上もの間、ずっと処方しておいて、今になって、本来6ヵ月や1年に1回はチェックした方がいいって、そんなこと今までずっとやってないし言ってもいないのに、それを今言われてハイそうですかって納得できませんよねぇ」

 「だからそう言われると、私が謝るしかないんです」
 「これから何かあれば、私の責任ですね」

 「ずっと今までやってなくて今になって言われても納得できないってことでしたら、やらないということにするしかないですね」

    「あのですね、本来は6ヵ月か1年に1回はやるべきとかやった方がいいと医者の立場から言っておいて、こちらが納得できなければやらなくていい、そんなことがありますか。」
    「4年以上もずっと同じ薬処方して、ずっとやらないでおいて、今になって本来はやる必要がある。おかしいじゃないですか」

 「・・・今度の時まで考えておいてください」

    「私もこれからのことを考えましょう」

 まぁもっと何回も堂々巡りの言い合いがあった。医師はタジタジ。あったりまえだ。誰がどう考えたって、この医師が言ってることは。
 あまりに馬鹿げてる。やめる、もしくは変える。元々ココに来てたのは、駅に近くて便利だってだけ、ただ眠れるようになりたい、あまりに不眠症がひどくて身体がどうかなりそうだったからだ。

 元々4年以上前に俺の不眠がひどいことになって、何とかするしかないってことになった時、ヨメさんも一所懸命、電話帳とかで医院を探してくれた。本当にプロっぽい感じ、神経科専門医のところは予約制だったりして、そのうち駅の近くに内科と併せて神経科だか心療内科だか自称してる医院があって、まぁそこはアクセスが便利ではあるから行った、睡眠導入剤を処方され少し眠れるようになっていくうちに続けて、今まできた。

 ヤクを処方されて何とかなってることで多少の安心感を持ってこれたからね。しっかし、ここまでの無責任を自白(?)されてしまったら、続けられないよ、いくら何でも。・・・近頃リタリンとか問題になったりしてるから、それで何か通達でも来てるのか、あるいは元々レンドルミンやルボックスも副作用「検査」が必要だったのかね、それはこっちには分からないけどねぇ素人なんだから!

 昨日はルボとレンドは前回どおり処方。それを薬局で(いつも通りカネ払って、当たり前だ;)もらってきたが、昨夜は飲まなかった。で、関係あるかどうか、あまり眠れず、今朝目覚めて以降、気持ちわるい、鼻や耳の中の神経がかなり過剰に敏感になってる感じ、それから腕にも力が入らない、しばらく続き、夜になってだいぶ落ち着いてきたところ。

 昨日行く前も、ヨメさんにも「まぁ眠れるとか(逆に)眠れないとか、適当にウソぶいて薬をもらってくるよ」と言ってたくらい、もうずっと前から、ここはテキトーだな、と思っていた二郎さん、ようやくやめる切っ掛けを得た、そう思うしかない。

 さて、ヤクはまだしばらく分、ある。この間に、ようやくのことマトモな医師を探すとか、何らかのアクションを考えねばならぬ。