06年 4月 1日〜6月25日

最近の子供はどうか分らないけど、今の大人の多くはガキの頃に日記を何日か書いた経験があるのでは?
斯く言う私もその一人、当然この日記も不定期です。 (2001年8月19日、記)


06年 4月 1日(土)   仕事を抱えるのはやめましょう

 2006年度である。年度っつーものがどの程度、意味があるのか、そいつぁ横に措かしてもらう。

 昨日というか本日に跨ってというか、退勤は 24時15分。もうアホらしい。やってもやらなくても・・・。俺は、だがあいつは、ウンヌンカンヌン・・・。

 不平不満はいろいろあるが、ここでは書かない。まぁとにかく、ボッとせず、ビシバシ片付け、やるものはやらせ、時間を節約し、どかどか処理し、兎にも角にも、カイシャ人以外の社会人、家庭人、私人の時間をもっと作ろうじゃないか。まぁ、こう思い続けとるわけです。私人どころか、詩人の時間だって欲しいよねぇ、詩人は私人か公人か、そりゃ私人だろうなぁ。

 ボッとせず、ビシバシ片付け、やるものはやらせ、時間を節約し、どかどか処理する。
 早く帰ろう。俺は社会人だ、家庭人だ、私人だ、ロックだ。


 お体を大切に。
 ディランのCD、NO DIRECTION HOME を聴きながら、ポール・サイモンの歌にリンクしておくわけです。
 おいらは、DIRECTION HOME です


06年 4月 4日(火)   すごろく1回休み、ユニセフ

 目覚めました。手足が痺れてました。頭も痛かったです。起きれませんでした。少し遅れることにしましたが、結局ダメでした。カイシャに電話。業務連絡メール。部の定例会議があるので部長にも電話。そしてまた寝ました。

 午後、病院に行きました。久方に行ける機会です、ヘルニアの外科、自称パラノイド・スキゾフレーニアの神経科、ちょくちょく副鼻腔炎の耳鼻科、いろいろ迷いましたが、全部行くと疲れます。どれもわるいんです、まぁどれかに行きましょう。

 近頃、鼻にもくるしんでいて、眠りをさらに阻害していると思っていたのです、耳鼻科に行ってヤクもらいました。ついでに、以前処方してもらったことある軟膏ヤク、ゲンタシンももらいました。メチコもオパルもレンドもルボも飲み続けております。それで仕事を続けております、完全にドーピングです、メダル剥奪だ、メダルなんてもらってないよ。今も痺れます。手、足、でも肩と上腕のピリピリが一番ひどいかな。なんでHTMLヤク打ってるんだ、打ってって書いたら売ってと出てしまった、いまカニエ・ウェストのジーザス・ウォークスを iTunes で聴いてるよ。

 ところで、去年8月、息子が駅でお金を拾って警察に届けてました。1万と少し。持ち主確認されず半年経過ということで、先日、拾い主に支給されました。息子と我ら両親とで話し合い、過半をなにかの人道支援に寄付しようということにしました。子供が拾ったんだから子供のために、ってことで、日本ユニセフ協会を通じて、UNICEFに寄付することにしました。いろいろ使途を指定することもできるのですが、今回は貧困や虐待・暴力・戦争・災害などに遭う世界の子供を救援するために「ユニセフ本部に拠出され、ユニセフの執行理事会で承認された各国の支援計画と予算に基づき、世界155の国と地域で実施されているユニセフのさまざまな支援事業に配分され」るという「通常募金」として寄付しました。我らファミリーはこれまで時折りユニセフ活動支援をしてきたので、振込用紙も持っとるのです。子供は世界の未来であります。

 僕は肩がピリピリします、腕が張ります、健康は大事です。だから、

  ボッとせず、ビシバシ片付け、やるものはやらせ、時間を節約し、どかどか処理する。
 早く帰ろう。俺は社会人だ、家庭人だ、私人だ、ロックだ。
  ボッとせず、ビシバシ片付け、どかどか処理しろ。早く家に帰ろう。
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06年 4月 9日(日)   穏やかな春

  今日は家族3人で花見しながら、一緒に昼飯を食べた。近くの女子高の校庭に桜の木がたくさんあって、毎年、そこが満開になると見事なもの。

 当初は息子の部活は1日の予定で、午前も午後も練習試合が組まれていたようだが、午後は中学のグラウンドをサッカー部も試合か何かで使うことになり、今日は午後なし。それで妻が急慮、弁当を作り、息子の帰りを待ち、3人で花見に出かけることにした。

 妻がいる。息子がいる。妻の弁当は美味い。桜はきれい。天気はよくて穏やかな日。よいです。
 桜の花の下、僕ら3人はゆっくり昼を食べました。

 息子と妻が写ってるんですがね、息子はだいぶ大きくはなってきたけど、ちょっと身体丸めてますね。まぁ二人ともよく見えません。個人情報保護法完全施行1年やがな。

 今日はたまたま半日の部活となりましたが(と言っても帰宅は13時半過ぎ)、昨日はだいぶ遠くまでバスで出かけ、朝から練習試合で帰りは夕方、丸1日。こうして土日とも部活、しかもその両日とも朝から夕まで1日部活、なんてことはよくある。僕は反対だ、そこまでやるのは。そうやって子供の、少年の、時間を塗ってしまうのは遺憾、イカン。前からずっと、そう思ってるが、今日の朝刊にもそんな趣旨の記事が出てたね。ほんま、そうやで。

 平日のうち1日は部活休みとなっているが、それにしても平日は朝から晩まで学校、土日も部活、それじゃぁ学校と部活以外の時間がほんの少ししかない。
 子供時代、少年時代の時間は貴重だ。大人になってからでは、二度と戻ることができない。それに、子供時代、少年時代だからこそ経験できること、考えることはあると思うし、それは大人になってからのものと違うし、だからこそ大人になってから活きるものがある。そもそも、そういうことを横に措いても、とにかく日々刻々時間が過ぎていく世の中、その中の人生において、時間は本当に貴重だ。月曜から金曜まで学校、土曜も日曜も部活、僕はそういうのは反対。ゴロゴロしようが自分で運動しようが、ギターを弾こうが、友達と遊ぼうが、旅に出かけようが、オシキセでなく、自分に向き合う時間があるべき。少年時代のそれは貴重だぜ。
 3月だったか、学校から保護者アンケートみたいなものが届いたので、そういう意見を書きました。おい、頼むぜ!

 相変わらず、肩がピリピリします、腕が張ります、健康は大事です。

  ボッとせず、ビシバシ片付け、やるものはやらせ、時間を節約し、どかどか処理する。
 早く帰ろう。俺は社会人だ、家庭人だ、私人だ、ロックだ。
  ボッとせず、ビシバシ片付け、どかどか処理しろ。早く家に帰ろう。


 我らが息子の前途に幸いあれ。そして、我らにだって幸いあれ。満開の桜の下で、こう想ったわけであります。いや、帰ってきてからね、ほんまは。想ったのは真実であります。The only truth I know ...
 今日は、よい天気、穏やかな日です


06年 4月11日(火)   風邪ひいた、直ぐ治れ

 疲れてる、風邪ひいた、直ぐ治れ。

 日曜の夕方あたりから喉が痛くてあやしかったが、昨晩から本格化。咳も出る、クシャミも出る、鼻水も出る、喉は痛い。午後4時退勤、病院へ直行。喉は真っ赤ッカだそうだ。熱は鈴木茂の微熱少年7度2分。3種類のヤク処方されて帰りました。いやはやヤクだらけ管理できんよ、俺は、だっはっは。

 風邪で体調わるけりゃHTMLなんてやらんでもええだろう、ところがどっこい俺はやるんだよ、記録しときたいパラノイア・ブルーズ。でも今、俺がかけてるのは、ほら、聴いてごらん、またサイモンが韻を踏んでるよ

 かぜはカゼでも風邪でなく 風はどこに。レレレっと、いつの間にかサイモンさんからディランさんへ。風があれば、そこに答えがある。でも吹かれてんだよな。ま、動いてるわけです、すべて。よいではないか。よいよい。俺がかけてるのは、ほら、聴いてごらん、またサイモンが韻を踏んでるよ

 ボッとせず、ビシバシ片付け、やるものはやらせ、時間を節約し、どかどか処理する。
俺はカイシャ人でなく社会人だ、家庭人だ、私人だ、ロックだ。ボッとせず、ビシバシ片付け、どかどか処理して、早く家に帰ろう。


06年 4月16日(日)   パレスチナ自由劇場

 昨日の朝日の be に、いい記事が出てた。ウェブ上ではここ、ユーセフとアルナ、映画「アルナの子どもたち」 という記事。

 イスラエル人の平和運動家、アルナ・メル・ハミースは、1989年にパレスチナ・ジェニン難民キャンプ内で「支援と学習」というプロジェクトを開始。彼女はキャンプに泊り込み、子どもたちに勉強だけでなく、絵画やダンスなど自己表現の仕方を教えた。
 1993年にスウェーデン議会から「もうひとつのノーベル平和賞」と言われるライト・ライブリフッド賞を受賞したアルナは、その賞金をもとにキャンプ内に子ども劇団を作り(1994年)、アルナの息子のジュリアーノがその指導にあたった。ジェニンの子ども達と、ジュリアーノやアルナとの信頼関係が生まれ、イスラエル占領下での閉塞状態と暴カ的な雰囲気の中にあっても、「自由劇場」の活動を通して未来を考えるようになった子どもたちは、絶望を希望に換えていく術をも、その表現活動の中から、辛うじて見い出し始めていたかもしれない。

 しかし、やがて、アルナが亡くなり、また、1995年頃からオスロ合意後の和平ムードが壊れ、イスラエルによる封鎖や攻撃は、ますます強化されることになった。そうした環境のなかで、1999年まで活動が続いていた「子ども自由劇場」は2002年のイスラエルのジェニン侵攻によって破壊され、また、同時に多くのメンバーが亡くなった。その時代を描いたドキュメンタリー映画が『アルナの子どもたち』で、監督はパレスチナ人の父とユダヤ・イスラエル人の母を持つ、ジュリアーノ・メル・ハミース。

 2006年2月に再開された『子ども自由劇場』のサイトは ここ。それから、アルナ・メル・ハミースの活動を記録し、現在と未来に引き継ごうとするサイトは こっち。  この映画の日本語字幕付きDVDが、この7月にも発売されるそうです。詳細はそのうち、パレスチナ子どものキャンペーン のサイトで紹介されるでしょう。

 この映画に登場している、「自由劇場」の活動に将来への希望を抱いた少年の一人、ユーセフは、2001年10月18日、イスラエル軍の砲弾に直撃され、血まみれとなった少女を抱え病院に運びますが、彼女は結局、ユーセフの腕の中で息絶えます。電話を受けたジュリアーノに聞こえたのは、小さな、か細い声で繰り返される「リハーム、リハーム」という言葉(少女の名前)だけだったそうです。一時は演劇活動を通じて将来に希望を見出していたと思われるユーセフが、自らの命をも落とすことになる「攻撃」のためイスラエル北部のハデラへ向かい、家を出たのは、それから10日後、2001年10月28日でした。彼は繁華街で銃撃事件を起こし、女性4人が死亡、多数の負傷者が出ました。ユーセフは友人と共にその場で射殺され、22年程度の短い生涯を閉じます。

 「テロ」と呼ばれる行為は不幸中の不幸であり、悲劇中の悲劇です。パレスチナの被占領地が生み出す「テロリスト」は、決して狂信主義者などではないと思います。彼らは自らの人生の日々を圧倒する絶望を抱え、その絶望的行為により、彼らのようには絶望を抱えていないもの達の命を巻き込みます。

 上に紹介した昨日の朝日の記事によれば、「ユーセフに別の選択肢はなかったのだろうか」と問い掛けられたジュリアーノは、こう答えたそうです。
 「生きながら死んでいるような極めて特異な環境で、憎しみがユーセフを善悪の判断もできない動物にしてしまった。そして、少女の死が引き金を引いた。彼に銃を持たせたのは占領だ。そんな彼をゲリラ戦士とでも言うのですか。戦車を目前に、花束をささげろ、シェークスピアのシャイロックを演じろと言うのですか」

 映画『アルナの子どもだち』では、観る者は、約10年に及ぶ撮影が描き出した、「自由劇場」の活動を通して希望に満ちた表情をしていた彼らと、その後、イスラエルの暴力が増していく中で銃を持ち闘う彼らの、その二重写しに圧倒されるそうです。その落差は、嫌が応にも、パレスチナに存在する、そしてパレスチナとイスラエルの間にある、「現実」と呼ぶにはあまりに現実的な重たいリアルを見せつけるものだと言えるでしょう。

 僕は未だこの映画を観ていません。昨年、日本でも、わりと各地で上映されていたと思いますが、今月も再上映の予定があります。パレスチナ子どものキャンペーン のサイトなどでも紹介されています。
 イツハク・ラオールという名のイスラエルの作家による批評が、的を得たものなのかもしれません。「少年たちを英雄か犠牲者の一方に位置づけることなく、希望のない生を問い、人間の精神こそが抑圧に立ち上がらせることを表現した」
 チェコ人権ドキュメンタリー国際映画祭最優秀作品賞などを受賞した、2003年の作品(1時間25分)。 いずれにしても、僕はDVDを買おうと思っています。


06年 4月16日(日)   お体を大切に

 毎回、同じことを書くのです。

 お体を大切に
ほんまやがな。肩ピリピリ、上腕張り、手が痺れ、腰が痛み、腿が張り、鼻が痛く、眠りがわるい。シャルビー でんがな。

 ボッとせず、ビシバシ片付け、やるものはやらせ、時間を節約し、どかどか処理する。
俺はカイシャ人でなく社会人だ、家庭人だ、私人だ、ロックだ。ボッとせず、ビシバシ片付け、どかどか処理して、早く家に帰ろう。


06年 4月23日(日)   アニー・レノックス

 タイトルと内容はちょっとしか重なりません。

 一昨日、息子がお腹の風邪で具合をわるくして病院に行き、昨日は熱が上がったので再度、それで僕も付き添った。身体がふらつくというのオンブしてやったが、だいぶ身体が重くなったなぁと感じたのだった。
 今日は参観日だったが、肝腎の息子本人がそんなわけで休み。僕も行かなかった。妻だけ、保護者と教師の会(いわゆるPTA?)と学級懇談会というのに行ってる。息子はだいぶ良くなった。今日は大事を取って休み。

 昨日は、妻が新聞の折込広告でユニクロの面白いTシャツをみつけ、買いに行ってくれた。イギリスの Trade plus Aid がやってる 21st Century Leaders って名のアート・ワーク・プロジェクト協賛企画。収益の一部が幼児虐待、環境保護、開発途上国での雇用問題などに力を入れる団体に寄付されるプロジェクト。いろんなアーティストのものが広告に出ていましたが、僕はアニー・レノックスはファンだし、デザインも良かったので、そのTシャツを選びました。

 それから、昨夜、アマゾンで、ピンク・フロイドの The Dark Side of the Moon を注文しました。日本では、狂気と訳されてましたなぁ。

 明日は有休取ってあります。頚椎と腰椎ヘルニアさんの外科に行こうと思ってます。気が向いたら神経科にも行こうか。お体を大切にってわけです。
 肩ピリピリ、上腕張り、手が痺れ、腰が痛み、腿が張る。しかし、きっと、シャルビー でんがな。

 ボッとせず、ビシバシ片付け、やるものはやらせ、どかどか処理して、早く家に帰るのです。
 生きてる僕はカイシャ人ではない。きっと、社会人ではある、家庭人でもある私人でもある。


06年 4月24日(月)   ツイカンバン・スキゾフレーニア

 ここんとこヤクもらうのみが続いたが久方にツイカンバン外科に。

 それから、二郎さん神経科。

 今日は有休である。そんなんで疲れは取れない。だけどツイカンバン・神経の別件診察の時間が取れたのは良かった。ああカネかかる。ホンマ、医療費たいへんだよ。
 診察代もそうだが、特にヤク代がたまらんよねぇ。神経科は自業自得もあるんだろうが、ツイカンバン治らず悪化か・・・ってな具合で膨大な医療費がかかってるのはコレ、労災ほしいっすね、って感じの労働環境が2年続いていたのでした。今もきついと言えばキツイ。ま、お体を大切にってわけですが、肩ピリピリ、上腕ハリハリ、手が痺れ、腰痛み、腿が張る、しかし、きっと、シャルビー でんがなと言い聞かせて日々を過ごすわけです。

 昨夜、また息子の熱が上がってしまった。息子は休んだけどもの昨日の参観日の振替で今日は元々休み。今日は昨日の昼間同様、まぁまぁなんだけど、昨日の昼間の方がもっと平熱になってた。今日中に良くなってほしいなぁ。

 ボッとせず、ビシバシ片付け、やるものはやらせ、どかどか処理して、早く家に帰るのです。
 生きてる僕はカイシャ人ではない。きっと、社会人ではある、家庭人でもある私人でもある。


06年 4月30日(金)   みず色の家

 左側は今月9日に撮った家の壁の写真。右側は今日撮った家の写真。

 前のは家の横側。今日のは家の後ろ側から撮っております。前側はいちおう人間で言ったら顔だからねぇ、個人情報保護法あるしねぇ、なんつーのは実は関係なく、何となく後ろから撮って、こぶしの木をはじめとする(そんな沢山はないけど、笑)、緑の映り方が気に入ったんで。
 何はともあれ、築10年となり、屋根の修繕やら白蟻駆除やらと併せ、色を塗りかえたのであります。屋根の黒や壁の帯の黒は同じ色を塗り、壁の上側の白も同じ色を塗り、下側を一気にみず色に変えました。青空の色、上側の白は青空に浮かぶ白い雲をイメージしたのであります。


 今日は時折り曇ったり風が多少強く吹いたりしたけど、けっこう良い天気に恵まれ、昼間、妻と一緒に、田圃の方や別の住宅地の方を散歩しました。帰ると、部活から帰った息子が待っていました。

 えっとですね、このあいだ、アマゾンに注文したピンク・フロイドの The Dark Side of the Moon が、数日前に届きました。それからっすね、昨日は、日本では6月に発売されるディランのノー・ディレクション・ホームのDVDを予約注文しました。そのうち、ニール・ヤングの新譜も予約するでありましょう。

 明日はメーデーです。僕は出勤します。明後日は休みます。
 体調はね、変わらんね。首も肩も痛いし、腰も痛いし、腕も足も張るよ。ゆっくり休みたいのはヤマヤマ。ま、しかし、明日は出勤するのです。早めに帰りたいと思っております。

 季節は春から初夏に向かいます。生命を強く感じる季節です。我らが息子の前途に幸いあれ。希望溢れる少年少女の未来に幸あれ。そして、我らにだって幸いあれ。春夏秋冬の移ろいを感じつつ、それはもう、いつものように、想うのであります


06年 5月 4日(木)   緑の季節の金婚

 今年は金婚の年。1月には僕の両親の金婚を祝ったが、この4月は妻の両親が金婚。昨日、その祝いに家族が集まりました。妻には二人の兄がいて、その家族と合わせ、孫も集まり息子・娘の3家族が両親を訪ね、一緒にご馳走を食べに出掛けたのでした。

 いつもは口数が少ない、寡黙で実直な人という感じの父親が、その席でこどもらに語った謝辞はそれだけに重たい、心のこもったものに感じられました。体調が芳しくはない母があまり多くを食べられないのは残念でしたが、父、母とも、その席を喜んでくれたようでした。

 一泊して戻りました。郵便箱に、郵便局の不在票が入っていました。さっそく連絡、そして改めて届いたのが、息子が注文してあったNゲージのレイアウト集とNゲージの各種線路。様々なレイアウトのアイディア集。これはもう、息子にはたまりませんです。壱番館という、ネットで注文できる店を利用しています。この店がですね、いい店なんですよ、対応がいつも丁寧で。

 僕は肩や首が相変わらず痛いです。どこへ行くにもメチコやオパル、レンドやルボが欠かせない感じですが、昨日は鼻シュー(点鼻薬)も持っていけばよかった。鼻もだいぶ調子わるくなっきましてねぇ。
 休み休み、元気に生きていく、ということでいきたいと思っとります。たのみますわ。とにかく、何はともあれ、お体を大切にってことなのです


06年 5月 6日(土)   千葉マリン

 昨日は千葉マリンに行った。電車で行った。家族3人で行った。オリックス対ロッテ。僕はロッテ応援。妻子は近鉄時代の自家製の北川応援ボード、中村応援ボードを持参。席も外野席当日券のロッテ側(ホーム側)は売り切れてしまい、レフト・スタンドのビジター側。周囲はオリックス・ファンばかり。でも何となくロッテ・ファンでは、という雰囲気の人も散見。そもそもビジター側は外野席の半分を占めない。ほんま左翼席辺りで、バック・スクリーンの左側はまだロッテ側。

 試合は出足こそ1対1だったけど、最終的にはオリックス打線爆発で10対1。ロッテの先発清水が不調だったというか、オリックス打線が良かったというか。ガルシア、ブランボー、大西がホームラン。打率低迷の中村も昨日は二塁打2本を含む猛打賞。そういえば昨日は水口も猛打賞、大西もホームランの他に二塁打1本と、元近鉄のメンバーが活躍。我ら元近鉄ファンとしては、溜飲を下げたかたち。でもね、僕はロッテを応援してたんだけどね、周囲は近鉄応援時代を懐かしめるような応援風景だし、我らも応援ボード出してたし、今は日ハムのファンの息子も立ち上がってノってたし、我らとしては楽しめましたね。
 僕はロッテのキャッチャーは里崎を見たかったけど(昨日は橋本)。今江も途中からだったしなぁ。ロッテの方では、西岡や今江の好守備を見れたのがよかったです。特に西岡は再三、見事な動きを見せてくれました。

 千葉マリンは海に近い球場です。海浜幕張駅から歩いて10分程度。やっぱり屋根付きのドームなんかより、青空が見えるオープン・フィールドは気持ちいいです。

 しかし、ここであえて、千葉マリンの気に入らなかった点を書いておきたい(順不同)。当日券のチケット売場が初めての人には分かりにくい。「ビジター側でばホームのグッズなどで応援しないでください」としていたが(多分ホーム側も同様?)、そこまでしなくていいんでは。ビジター側の入口から入った少年がロッテのユニホーム着てて、係のお姉さんに何か言われた後ユニホームを脱いでたから、そういうことまで言われるのかも。いずれにしても、ホーム側にビジター・ファンが紛れ込んでも(それは千葉マリンではロッテ・ファンの数が凄くてチケット手に入らんだろうけど)、その逆があってもいいじゃん。

 それと、椅子はやっぱ硬い。大阪ドームも、東京ドームも、千葉マリンも、椅子が硬い。西武球場の芝スペースがいいなぁ。
 僕の場合ね、頚椎も腰椎も椎間板ヘルニアなんでね、硬い椅子に座ってるのはキツイんですよ。昨日は、途中から首の後ろと両肩がピリピリしてきて痛かったですわ。

 僕はぜーんぜん西武ファンでないけど、去年一昨年と行った西武球場はいいです。入って直ぐ、当日券売場に行ける。周囲の緑がいい。外野スタンドの芝がいい。腰下ろして見れる。時には横になることもできる。屋根全く無しならもっといいけど、でも西武球場の場合、外に向かって周囲が開いていて、外から陽が入ってくる。一部オープン・フィールドなので、そこはいい。

 それからね、毎度のことだったけ? 君が代のことなんだけど、何とかならんかなぁ、あの歌。
 昨日はアメリカ人さんが(多分)歌ってましたが、誰が歌うにしろ、あの歌はダメですわ。「ご起立願います」なんてアナウンスがあって周囲は大抵立ち上がってたけど(自分の子供に「立ちなさい」なんて指導してる親父までいたわ、あーあ)、我ら3人はもちろん着席のままでした、当然。そもそも野球の前に国歌歌うのは、アメリカはやってるけど、日本が別に真似することないよ、歴史もぜーんぜん違うんだし。その前に千葉の多分アマチュアのおじさんオバサンのコーラス・グループが「野球場に連れてって」をオリジナル英語で歌ってたけど、あれだけで十分や。別に他の歌でもいいけど、君が代はやめてほしいわ。

 昨日はね、それから蘇我に出て、駅前の安いけど美味しい寿司屋で夕食食べてから、帰りました。このあいだ息子が学校のテストで調子良かったんで、「良かったでぇ」というわけで、食べに行ったわけですよ。そういうことも、時折りする我らなんですよ。
 それはそうと、腰が痛い(笑)。ずっと座ってるのはキツイよ、ヘルニア男には。


06年 5月 6日(土)   スポーツ芸能ニュース

 亀田三兄弟というのがいて、ボクシングをやっていて、長兄が世界ランクの一桁に入り、次兄がプロ3試合、KO勝ちしたらマイクを持ってリング上で歌うパフォーマンス、そして末っ子はデビューはこれから。この兄弟の親父もユニークな頑固さで結構メディア受けしてる。
 昨日試合があって、テレビでやってたようで、今日はワイドショーみたいな番組でも取り上げてる。・・・と、ここまで僕は中立的な書き方してるけど、実を言うとホンマ、アホらしいと思ってる。

 長兄は今WBC、WBAで4位だか5位だか6位だか、とにかくそのくらいにランキングされてるんだけど、「世界前哨戦」と銘打たれた昨日の試合の相手が世界30位。KO勝ちしたわけだけど、これでどこが「世界前哨戦」かね。普通、世界ランクの4とか5とか6位とかが、30位とやるかよ。どっかのメディアで「難敵」って出てたけど、普通、「世界前哨戦」をやるランカーの難敵が30位ってことは有り得ない(笑)。
 この長兄のことで言うと、KOを売り物にするボクサーとして、前回の試合ではずいぶん苦労してからKO勝ちしてたけど、僕はアレ、たまたまテレビで、たしか生で、途中から観ていましたが、もう何回も、実際相手側は抗議してましたが、ローブローのパンチが非常に多かったですね。試合を決めたパンチも、明らかにローブローでした。

 さて、次兄の方は、デビュー戦で長兄の1分未満KO勝ちを競い、2戦目は判定勝ちで「カラオケ」パフォーマンスできず。それで急遽試合が組まれ(それとも最初からGW中の売れっ子兄弟企画だったか)、長兄の試合の前座で出て、数十秒でKO勝ちして、その後、歌ってましたね。しっかし、デビュー戦が1分未満でKO、昨日も同様。昨日も含めて、ほんとにちゃんとマッチ・メイクしてるんかねと、みんな、マジで思わんのだろうか。会場やテレビ観戦で大騒ぎしてるのは本当のボクシング・ファン、格闘技ファンとは思えないし、バカ騒ぎしてるメディアも、単なるバカか、本当は実態を知ってるのに視聴率優先でバカなマス・メディアがターゲットにするバカなマスを煽ってるだけ。ほんと、こういうのをモンキー・ビジネスっていうんだろう。お猿さん、ごめんよ。

 数日前はK−1の Hero's とかってのをやってて、これがもう演出最優先って感じで、こっちもだいぶモンキー化してきたね。最初からそうだったのかな。昨日やってたプライドの方がまだずっとマシだな。プライドも演出が過ぎるきらいがあるけど、ファイトの質は上だと思う。K−1系はつまらんな、もう。プライドはもう少し頑張ってほしいってとこ。前回大会から、ズールって巨人が出てきてるけど、あの辺を出すのは、要するにマッチ・メイクができないで猿芝居やるみたいなもんだよね。ノゲイラとぶつけたって、結果は直ぐに見えてますって感じ。プライドも、わりとショッパイ試合を組むときがあります。たまに目立つね。やっぱ、あぶなっかしい競技だからな、無理があるんでしょうか。
 何にしろ、話は戻りますが、カメダ三兄弟の騒ぎは、ボクシングとはほとんど関係ない、芸のない芸能騒ぎでしかありません。僕はけっこうテレビ観てしまう人間なんですけどね、ぶつぶつ言いながらも、そういう人間なんですが、しかしテレビ番組の大抵のものは、人をバカにする、つまり侮辱する、脳みその働きをわるくする、その両方の意味を込めてなんですが、番組という商品のお客さんが視聴者だとすると、お客さんをバカにする品物だってことですね。
 ・・・たまーに、例外があります。


06年 5月 7日(日)   風のち雨のち晴れ、そのうち。

 昨夜から風、雨。

 首の付け根の下辺りが痛い。ピリピリ。肩もピリピリ。腕も張る。
オパルモンにメチコバール。
 腰が痛い。今日は右側。腿も張るよ脹脛も張るよ。
オパルモンにメチコバール。
 鼻が痛いよ詰まるよ。
エパステルはあと4日分。点鼻薬はまだあるよ。
 不眠症は変わらない。ヤクを飲まなきゃいけません。
レンドルミンを飲むのです。元気も出さなきゃルボックス。

 ボッとせず、ビシバシ片付け、やるものはやらせ、時間を節約し、どかどか処理し、
兎にも角にも、カイシャ人でなくて社会人、家庭人、私人の時間をもっと作ろうじゃないか、それを平常心にしようと。

 お体を大切にと、まぁこれは意訳の邦題ですが、ポール・サイモンは確かにそういうことを言っています。
 黄金週間とやらは毎年1回、年中あるわけではありません。
 黄金の心はいつも探しております。

 そのうち、ニール・ヤングの新譜を買います。
 ディランの NO DIRECTION HOME のDVDも届きます、このうちに、ディレクション・ホーム


06年 5月11日(木)   その男、ヨーツーにつき

 ある朝、グレゴール・ザムザが不安な夢からふと覚めてみると、ベッドの中で自分の姿が一匹の、とてつもなく大きな毒虫に変わってしまっているのに気がついた。固い甲殻の背中を下にして、仰向けになっていて、ちょっとばかり頭をもたげると、まるくふくらんだ、褐色の、弓形の固い節で分け目をいれられた腹部が見えた。
 ・・・というのはカフカさん「変身」。

 ある朝、ロックが不安な夢からふと覚めてみると、ベッドの中で自分の姿が一つの、とてつもなく大きな岩石に変わってしまっているのに気がついた。固い甲羅のような岩肌の背中を下にして、仰向けになっていて、ちょっとばかり頭をもたげようとしたが、首も痛くてもたげられず、何も見えなかった。
 ・・・というのは過負荷さん「返信」。お粗末。

 今日は休んだ。腰が重い。
 ボッとせず、ビシバシ片付け、やるものはやらせ、時間を節約し、どかどか処理し、
兎にも角にも、カイシャ人でなくて社会人、家庭人、私人の時間をもっと作ろうじゃないか、それを平常心にしようと。

 まぁ明日はよくなるさ。
 お体を大切にと、まぁこれは意訳の邦題ですが、ポール・サイモンは確かにそういうことを言っています。このあいだ、アマゾンで、ポール・サイモンの新譜、サプライズを予約しました。いずれ、ディレクション・ホーム。


06年 5月14日(日)   原子と心と母

 「ロック」 のページに、ピンク・フロイドの原子心母 をアップしました。もう33,4年間、聴いてるね。たぶん、全く、1回も聴かなかったって年もあるんじゃないかと思うけど、でも兎に角、ながーい間、聴こうと思いつき、実際に聴くことが続いてる。これはこれからもおんなじだろうけどさ。

 今日は『母の日』。しばらく前に、僕の母、妻の母、それぞれにさくらめんを送りました。早く着いて、数日前に両方から電話もらいました。

 先週はGW明け(って言っても僕は黄金週間中の労働節?は出勤してました)、でも、1日、腰痛につき休みました。もうメチコもオパルもヤク代かなりかかってるしさ、アッカはどう考えても昨年度と一昨年度ののイジョー勤務のせい。ローサイほしいっすよねぇ。

 今日は妻がルボとレンドをもらってきてくれました。前回は僕が行って診てもらったしね。二郎さん神経科ありがとさん。

 ボッとせず、ビシバシ片付け、やるものはやらせ、時間を節約し、どかどか処理し、
兎にも角にも、カイシャ人でなくて社会人、家庭人、私人の時間をもっと作ろうじゃないか、それを平常心にしようと。

 金曜から試してみましたが、前ぇ〜にやってた時あったけど、カイシャの仕事は早めに行って早めに始めようと思う。だから、早めに寝床に向かうと。だから、なるべく早く帰るのさ。
 お体を大切にと、まぁこれは意訳の邦題ですが、ポール・サイモンは PAUL SAIMON の中の曲で歌ってますね。今、ポールサイモンのサイト で、彼の5年ぶりの新譜、サプライズが試聴できます。僕も聴いてみたけど、当然ながらポール・サイモンさんは隠居なんかしてないってことがよく分かります。アマゾンで注文したので、いずれ、ディレクション・ホーム。これは楽しみであります。


06年 5月21日(日)   遠い悲劇、近い悲劇

 北朝鮮拉致被害者の家族が訪米し、ブッシュ大統領と会った。

 つい最近、しばらく前に米兵が占領地イラクで民家に押し入り、15人もの民間人を虐殺したことが明らかになった。アメリカは当初テロリストによる事件と発表していたらしいが、嘘がバレた。アメリカの民主党の議員が、長期駐留で米兵の精神に悪影響が出ているとの懸念を表明したが、米兵の精神への悪影響を言う前に、そんな奴らに押し入られて惨殺されたイラク人の悲劇は語られようとしない。
 イラクという国自体が、アメリカに押し入られたようなものだ。

 北朝鮮の拉致に絡んで「人権」を主張するブッシュ大統領は、自身が最高権力者を務めるアメリカという帝国がアメリカ国内で、そして国外でやっている人権弾圧については、何の悩みも持たないようだ。イラクにしろ、グアンタナモにしろ、欧州の秘密収容所の問題にしろ。
 「人権」という言葉がいやに軽く聞こえてくる・・・。

 そんなブッシュに「懇願」した北朝鮮拉致被害者家族をネガティブにコメントする「市民派」(?)メディアがある。それにも何だか体温が感じられない。
 君の家族がもし北朝鮮に拉致されていたなら、君は何でもやって奪還しようとしないかい? まして、君の人生だっていつかは終わるのだ。それは、人類の平和や世界の安寧を言うよりももっと君に迫ってくるものだろう? 僕は彼らがアメリカを動かして何とかしようと思っても、それをわるく言う気なんてしないな。バックにいる評論家や政治家や活動家には、つまらん奴等がいることも確かだけど。でも僕は当事者である家族の「やれることは何でもやろう」とする姿勢と行動を、とやかく非難めいた論調で言う気など、さらさらしない。評論家になる気なんてないよ。

 「市民派」(?)メディアさんには、北朝鮮による拉致被害は、ほんの数年前まで「遠い悲劇」だった。それが日本人の被害であっても。日本国内で拉致された被害であっても。いや、日本人全体にとって「遠い悲劇」視されていたんじゃないかと思う。「市民派」(?)メディアには今もそうかもしれない。

 「自分の悲劇にしか目をくれないなら、その当事者であっても違和感を禁じ得ない」と『週刊金曜日』2006年5月12日号の最終頁の編集部の欄にあったが、僕はその「市民派」(?)メディアによるコメントの冷たさに「違和感を禁じ得ない」。まぁ僕は『週刊金曜日』を購読してるんだけどね。

 自分の妻子を少年(当時十代)に殺された男性が、裁判での極刑を求めている。極刑というのは死刑だろう。その裁判の加害者側弁護士が欠席して(正確には最近交代した弁護士で準備時間も短く事前に延期を要請していた)、事前に弁護士の欠席が分かっていて公判が開けないことを検察も裁判所も遺族(前述の男性など)には伝えず、遺族は裁判所に来て知り、当然の怒りの会見を開いた。
 弁護士は死刑反対運動のリーダー的な存在、たしかアサハラの弁護もしてたとかで、世間からメディアから強烈なバッシング。一方で、「市民派」(?)メディア類では、被害者の感情を前面に出す被害者遺族、原告側へのネガティブな論調も散見される。だけど僕は、鬼の首とったタカ・メディアの弁護士バッシングにも強烈な違和感を感じるけど、やっぱり知る限りは(会見で加害の様子をイラストで説明する)弁護士にも違和感を感じ、そして被害者遺族に象徴される空気を非難する際の「市民派」メディアの言葉の裏から伝わってくる妙な冷たさには「違和感を禁じ得ない」。


06年 5月21日(日)   身心疲弊するも漸進す

 身心疲弊は片づかず。しかし、生きているし、生きていく。漸進す。昨日だったかな、ニール・ヤングの新作リビング・ウィズ・ウォーをアマゾンで予約しました。

 ボッとせず、ビシバシ片付け、やるものはやらせ、時間を節約し、どかどか処理し、
兎にも角にも、カイシャ人でなくて社会人、家庭人、私人の時間をもっと作ろうじゃないか、それを平常心にしようと。

 先週から、前ぇ〜にやってた時あったけど、カイシャの仕事は早めに行って早めに始める作戦にしてる。ま、ちょっとは早めにね。だから、早めに寝床に向かわにゃならぬのさ。なのに僕はHTML打ってる。早くやめて、風呂入ろう、メシ食おう。妻にも息子にも申し訳ない。急ごう、家族の団欒へ。団欒をゆっくりするのだ。
 お体を大切に。・・・今日、妻と少しぶらりと歩いて、庭に置きたいテーブルを見てきた。そのうち、買うのさ。ガーデン・テーブル、ディレクション・ホーム。


06年 5月28日(日)   とある初夏の日曜日

 今日は日曜。妻は地区の自治会共催のスポーツ大会へ。ソフトボールの予定だったが、前夜からの雨でドッジボールに変更。
 息子は日本ハムのファームの試合を観に一人で外出、電車旅。しかし着いた最寄駅より電話が入り、こちらもグラウンド・コンディションのせいで中止となったとのこと。息子はそのまま東京方面へぶらり旅したいと行って、電車旅を続けた。さっき帰ってきたけど、横浜に行ったり新宿に出たり落合南長崎(これは大江戸線!)に行って電車の模型店をチェックしたり、いろいろ一人で楽しんできたもよう。

 僕は一人、家で休息、途中、ソファで昼寝。妻は昼前に帰ってきたから午後は妻もいて、でも僕は時々昼寝。首が痛い。肩がピリピリ。腕が張り、腰が張り、腿が張る。

 ボッとせず、ビシバシ片付け、やるものはやらせ、時間を節約し、どかどか処理する。
兎にも角にも、カイシャ人でなくて社会人、家庭人、私人の時間をもっと作る、それを平常心にしようと。

 6月はパレスチナ子どものキャンペーンの総会があるんだけど、開催日は日曜日。土曜なら身心が動きやすいんだけどなぁ、結局、議長への委任状を送ってしまった。こういうものにもっと出掛けるパワーを取り戻したい、せめて身体にもっと元気を、という感じです。

 アマゾンに予約してあったポール・サイモンの新譜、サプライズが金曜に届いた。ブライアン・イーノが制作に参加してる(sonic landscape担当ってことになってる)こと自体がサプライズだけど、でも予想通り、別に妙にアバンギャルド(この語、もう使わないか、笑)な感じにはなってなくて、あくまでポール・サイモンのサウンドと landscape を受けとめられる仕上がり。ドラムにスティーブ・ガッド、Wartime Prayers という曲ではピアノにハービー・ハンコック(実は詳しくない、名前がめちゃ有名なので知ってるだけ)が参加。
 内省的な印象を持ちつつ、しかし上述の曲を含め、近年のアメリカや世界を取り巻く情勢から感じたものを作品に取り込んだりしているように思えた。

 僕はもう働き「過ぎ」ないようにしたい。ポール・サイモンが歌うように、お体を大切に。・・・来月はニール・ヤングの新譜とディランのDVDが届きます。


06年 6月 4日(日)   人生の意味

 人生の意味。僕は疲れてる。そんな大それたことについて書くわけがない。

 僕は疲れてる。昼過ぎ、テレビをつけてリモコンでチャンネルをくるくる変えてたら、ふっと映画にハマリ、そのまま最後まで観続けた。

 ABOUT A BOY ― 気ままに独身生活をしている男。気ままだけど、自分は Blank だ、何もない人間だ、自分の存在にはまるで意味がない、なんて思ってる。それが、途中から観たから何が切っ掛けか知らないけど、知り合った少年、またこの少年の母親は自殺未遂経験あり時折り鬱になったりするし、この少年も学校で「浮いて」たりする・・・で、とにかく、その少年と知り合い、少年に押しかけられ、そのうち男も、以前より他人に心を開くようになり・・・。って書くと何だか暗そうな感じもあるが、暗い、深刻さは物語の展開からあまり感じられない。妙な、風変わりな雰囲気を醸し出す映画。
 ロンドンが舞台で、原作もイギリスの小説らしいけど、2002年のアメリカ映画。ヒュー・グラントやレイチェル・ワイズが出てました。少年役がずいぶん良かったな、主役のヒュー・グラントも良くて、この二人のやり取りが特に絶妙でした。独特の味わいがある、僕には面白い映画でしたね。

 僕は気ままな独身男なんかじゃないし、大事な妻も息子もいて、そう、家庭がある、家族がある人間。でも、時にふっと思う時はありますね。自分、自分のやってること、自分が生きてること、自分の存在、何だか意味が感じられない。僕は Blank だ。
 僕が Blank だなんて、もちろんそんな馬鹿げたことは有り得ない。僕には大事な妻がいて、息子がいて、とても大切に想っていて、だけど僕自身はどうなんだ? 僕の存在には何か意味がある?

 今日も息子は部活。妻は小庭で庭仕事をしてる。僕はポール・サイモンをかけながら、HTML打ってる。
 僕は疲れてる。首が痛い。肩がピリピリする。腕が張る。腰が張る。腿が張る。脹脛が張る。鼻が詰まる。身体が重い。今は Hearts And Bones を聴いてる。

 いつも土日は待ち遠しい。だけど土日は直ぐに過ぎてしまう。毎日とっとと帰りたいもんだ。お体を大切に


06年 6月11日(日)   社会人は会社に納まらない

 僕は真っ当な社会人。真っ当な社会人は会社に納まり切らない。会社にスッポリ納まってしまうのは会社人、つまり会社人間だね。
 僕は真っ当な社会人。だから、会社に納まり切らない。だから、会社の思惑通りに行動することを優先したりしない。その通りすべきな時はする。だけど、真っ当な社会人ならしてはいけない、そう思うことなら、会社の思惑に反した行動をする。あるいは、行動しないことが真っ当な社会人の作為なら、行動しないことを選択する。なぜって、僕は真っ当な社会人だから。

 その業者はわるくない、たぶん。ハナシが回り回って、カイシャから去年の業者へ、そしてその今年の業者へ。そして第三者である××のことで説明に来たいという。そんな電話連絡が金曜に来た。最初は what is ×× を言わない。残念ながら想像はついたけど。だから、気持ち悪くて、××を訊いた。どこかからサジェスチョンがあったという。どこからかも、訊いた。訊いた、聞いた。
 その業者はわるくない、たぶん。回り回って、届いたおハナシ。××は去年の第三者。××はカイシャのオトモダチ。

 その業者はわるくない、たぶん。その業者の意思で決めることなら、元々カイシャが干渉することではない。僕はカイシャの下っ端の担当ガチョウとして、僕がそう考える立場のカイシャとしての選択をすることにした。つまり、僕は、その件で業者とは会わない。それが真っ当な社会人である僕ができる範囲のベストなこと。
 それで、僕は、その件では業者と会わない。僕は会社人間でも会社人でもなくて、真っ当な社会人だから、僕はそんな干渉は絶対にしない。

 僕はカイシャで働いているけど、カイシャニンゲンではなくて、社会人だ。地底人でなくて、家庭人だ。歯車でなくて、人間だ。歯車の役割をする時が多いよ、カイシャで働いてるんだから。だけど、僕という人間は人間であって、歯車ではなくて、人間だ、ヒューマンだ。

 おそらく、業者は、カイシャから回り回ったと思われる××を使うだろう。それが最終的に業者の意思である限り僕が干渉することじゃない(本当はカイシャが干渉することじゃない)。僕が会って聞いても意味がない。僕の干支はネズミだけど、僕はワナにはまるネズミじゃない。
 本来、業者が決めること。カイシャが、諾とか否とか言うことじゃない。もちろん、僕が諾とか否とか言うことじゃない。
 元々は業者の意思でなかったことなら、カイシャから回り回ってカイシャのオトモダチへってことなら、それはそれで、僕はもちろん会わない。真っ当な社会人がコミット「させられて」たまるか。冗談じゃない。僕ができることはそれだけだなぁ。

 おそらくカイシャのメッセンジャーの役割を果たしたんだろうねぇの去年の業者は、今年の業者に××をサジェスチョンし、担当ガチョウに会って相談したらどうかと言ったらしい。まるで僕個人を干渉人にさせんとするばかりの企みじゃないか? 冗談じゃない。僕の干支はネズミだけど、僕はワナにはまるネズミじゃない。
 冗談じゃない。僕はさせられないぜ。冗談じゃない。なぜって、僕は真っ当な社会人だからさ


06年 6月11日(日)   ディレクション・ホーム

 僕の心はディレクション・ホーム。このホームは僕の家。僕の家族、僕の妻と息子。Homeward Bound のホームは僕の田舎、僕の両親の住む家、僕の生まれた町、僕の故郷。

 僕は疲れてる。毎週土曜と日曜はぐったりと寝るのさ。
 昨日は横浜時代の職場バンドのメンバーの急な訪問を受けた。会うのはもう十余年ぶりだろうか。懐かしい。僕は土日はいつも疲れていて、寝転がったり昼寝したりしている。だから、元気が出ない。だから、土日に家族以外と顔を合わせるのはタイヘンだ。元気が出ない迎え方で本当に申し訳ないなぁと思ったものだけど、懐かしい顔との再会だった。お互い、トシを取った。当たり前か(笑)。

 息子は昨日も今日も部活。そうだ、妻が金曜に家のリビングの模様変えをした。はっきり言って、妻のこの辺りの才能は素晴らしい。なんだか、前よりもすっげぇイイ、とても良い居間になったのであった。

 昨日は妻と息子と僕の3人で外食した。出掛けることにしてた。何回か行ったことがある店。サカナヤという店だけど、魚屋とは書かない。団欒して帰宅。
 今日、起きた。そりゃあ、起きるよな、僕は生きてるからね。妻は僕のレンドルミンとルボックスをもらいに行ってくれた。僕はずっと飲み続けてる、レンドルミン、ルボックス、オパルモン、メチコバール、何たらカンたら。ヤクならHTMLだってそうだ。打つんだよ(笑)。ハイになるよ(笑)。ならんよ。

 今日の午後、妻にマッサージしてもらった。両肩、背中、両腕。僕の妻はオネスティがあるうえにテンダネスがあるんだ、ライミン・サイモンさん!

 息子は今、ピアノの練習をしてる。妻は今、夕食の準備をしてる。いま、庭からアジサイを摘んできて、居間に飾ってくれた。僕はディランのノー・ディレクション・ホームをかけながら、HTMLを打ってる。
 僕は疲れてる。首が痛い。肩がピリピリする。腕が張る。腰が張る。腿が張る。脹脛が張る。鼻が詰まる。身体が重い。僕の身心は、これからもずっと、ディレクション・ホームさ。ホームさ。

 いつも土日は待ち遠しい。だけど土日は直ぐに過ぎてしまう。毎日とっとと帰りたいもんだ。お体を大切に_


06年 6月13日(火)   肩がピリピリ。腕がピリピリ。

 息子が昨日から熱。昨夜は9度以上。今日、妻が病院に連れてった。いわゆるお腹の風邪。身体に力が入らないようでかわいそう。早く治ることを祈る。もちろん、早く治るのだ。

 僕はいささか急な判断だったが、今日の有休を昨日の朝に決めた。息子が風邪になるなんて、もちろん予想してなかったこと。でも息子は早く治る。そりゃそうだ。

 僕は肩がピリピリ。腕もピリピリ。首も腰も椎間板ヘルニアだが、首から来てる痛みだね、これ。もう、たまりませんよ、これは。きついです。
 おまけに夕方「昼寝」してたら、近所に通りかかったオッサンが近所の人に意味なくインネン付け、しかもそいつ自身の方が警察呼んでパトカー登場。精神的にキテる人間が増えてるんだろうが、市外から通りがかったらしい。何しに来たか知らないが、結局、警察に注意されて退散した。しかしトンデモな人が増えてるのは、感じるところだなぁ。

 僕の方は、こんな不快な「会社」トピック が、休みの日の僕の気持ちも不快にさせてる。なんで、こうなんだろう、カイシャってやつは。どこのカイシャもすべからく、ってわけでもないんだろうが。
 僕は真っ当な社会人であり続けるよ。僕は まとも で在り続けるよ。絶対へこたれないね、僕は

 僕は疲れてる。首が痛い。肩がピリピリする。腕が張る。腰が張る。腿が張る。脹脛が張る。鼻が詰まる。身体が重い。僕の身心は、これからもずっと、ディレクション・ホームさ。ホームさ。

 今日もディランのノー・ディレクション・ホームをかけてる。そして、僕の気持ちはディレクション・ホーム。明日から水木金と働けば、また土日が来るのさ。毎日とっとと帰りたいもんだ。お体を大切に


06年 6月18日(日)   ピリピリ。

 息子のお腹の風邪は治りました。だけど火曜から金曜まで休みました。今日は部活に行った。大会の日だったが雨で中止。だけど練習あり、というわけで。

 今朝、関口オヤジの番組で、世界の杯にて日本が豪州に1対3で逆転負けにつき、過剰な期待・過剰な落胆、それは何故、なんて特集してた。おじさんオバサン、兄さん姉さんへの街頭インタビューなど挟みつつ。
 バカ言えバカ言え! 「絶対勝つ」だの「絶対負けられない戦い」だの、「勝ちますよね」だの、「ドコドコの弱点は××です」だの、日本全国の「ニッポン、ニッポン」の収集露出だの、過剰な期待を演出しているのはいつも君達メディア、君達マスコミでしょうが。メディアも馬鹿だし民度も××だから、それで過剰な期待・過剰な落胆になるだけ、それだけですよ。
 まぁ僕も先日の豪州戦は観たクチですがね。しかも残業して帰宅して後半20分ぐらいの1対0で勝ってる時点からTV観戦。ガッカリはしましたが、まぁねぇ。でも疲れてるし、早く寝床に向かった方がよいので、今日のクロアチア戦は観ません。

 僕は肩がピリピリ。腕もピリピリ。首も腰も椎間板ヘルニアだが、首から来てる痛みだね、これ。たまりませんよ。きついです。いつもこればっかり。いやいや、首や肩腕だけではありません、腰のせいでね、腿も脹脛もピリピリしてましてなぁ。ったく。
 僕の方は、こんな不快な「会社」トピック については、あらためて「上官」に「意見具申」しましたが・・・、カイシャ的には不変。
 おかげで僕は、ますます肩がピリピリ、神経ピリピリ。それでも、トム・ペティさんの 絶対へこたれないね。 を歌いましょう。

 僕は疲れてる。首が痛い。肩がピリピリする。腕が張る。腰が張る。腿が張る。脹脛が張る。鼻が詰まる。身体が重い。いつも書いてるよ、Webスペースがもったいないよ、ああそうかい。
 土日は家族と共でいいね。土日は必ず来る。だからがんばりましょう。お体を大切に しつつ。


06年 6月25日(日)   ヤング、ディラン、SIGHT、社会、僕、家族

 前の週は、21時半過ぎから 23時過ぎの退勤が3回あった。本来、これだけで僕は十分ひどいもんだと言ったっていいと思う。だけど、去年や一昨年の超異常を想起すると、そう遅いとは意識できない。
 ただ、慢性的な過労がとれず、疲れはひどい。肩がピリピリ。腕もピリピリ。腰が張り、腿も脹脛もピリピリ。休日は、矢鱈と横になりたくなる。ソファで転寝(うたたねと読むようだが、転ぶでは感じが出ない、とにかく「うたた寝」)が多くなる。

 水曜だったか木曜だったか、ニール・ヤングが2週間だったかな、とにかく一気にスタジオ録音して仕上げたという LIVING WITH WAR が届いた。ブッシュの演説を混ぜて、そのうえで「大統領を弾劾しよう」と呼びかける、その名も Let's Impeach The President を含む、全10曲。9曲目まではガンガン走る。Rockin' In The Free World や、Like A Hurricane を途中で入れても違和感なさそうな曲群で、アップ・テンポで、メドレーのように感じさせる流れ。そうやって走っておいて(ほんま、ロックし続けます)、最後の10曲目はゴスペル・クワイアの合唱を動員しつつも静かに歌い上げる America The Beautiful 、「9.11」の後のライブでニール・ヤングが Imagine を歌った日、ウィリー・ネルソンが歌ったのがこれだった。
 「アメリカ」を本当に愛している(「アメリカ」を「本当に愛する」ってナンだ?)のは、ブッシュやその取り巻きやブッシュを支持したり今も支持してる大馬鹿者達なんかでなく、ニール・ヤングやネルソンおじさんのような人達だってのは、これはまさしく火を見るより明らかでありますね。

 金曜には、ディランのDVD、 NO DIRECTION HOME が届いた。CD版の方は既に買ってあったが、映画館で上映されていたドキュメンタリー版がDVDになったもの。聴衆に「ユダ!」(つまり「裏切り者」の意)と野次られ、それに対してディランが「おまえなんか信じないぜ」「おまえは嘘つきさ」とやり返し、さらにバンド(ザ・バンドです)に「でっかい音でやってくれ」と言って始める Lilke A Rolling Stone が映像付きで観られ、聴けます。これは鳥肌モノだけど、その他にも貴重な映像と音がギッシリ。反権力や怒れる若者達の代弁者のようなレッテルを張られ、フォーク界に新たに現れた神の子のように扱われ、しかしそれを払い除け、そこから疾走してロックしていくディランの姿を追えるドキュメンタリー。

 昨日、散歩して近くの本屋に行ったら、SIGHT がまるで「論座」や「現代」や「諸君」のような外見になって置かれてるのを発見してビックリ。なかにはニール・ヤングのインタビューもあり、買いたかったが財布持参しておらず、今日もう一度散歩がてら行って購入。デカ版でセンスいい作りだった SIGHT が論壇誌みたいな体裁に変わったのは何なのか、渋谷陽一は何を考えてるのか、買って巻頭言を読んだら書いてあった。商業的なレベルでは成功できるか失敗するか分からないが、だけど渋谷陽一のロック・スピリットは僕は是と思う。そのパワーには倣いたい。僕は渋谷おじさんより、もっと若いんだよね。若さじゃないよ、ロックは。がんばります。

 今回は昨日の土曜に届いた「週刊金曜日」に、「少年は子ども時代をやり直す権利がある」というタイトルの記事あり。最近、最高裁が、無期懲役判決した高裁への差し戻しを決めた(つまり死刑を含む極刑の可能性が高まった)母子殺害事件とは別の少年犯罪を取り上げつつの記事。そのなかに、牧歌的な昭和30年代を懐かしむ声があるが、実際には少年犯罪の件数は当時より減っているという記述があって、統計資料も掲載されてた。
 それによれば、1960年代から'70年代にかけて、あるいは1970年代から'80年代にかけての時期と比べ、昨今の少年犯罪の件数は半分もしくは半分強程度に減ってる、と。・・・こういうトリックが多いんだよ、残念ながら、僕が属する(?)レフト系のメディアにも。絶対数で比較しても意味ないじゃん。少子化で子供の数自体が激減してて、要するに分母がもの凄く減ってるのは常識的にみんな知ってても、これを読み流してしまえるんだろうか。つまり、比率からしたら、決して減ってないと思うよ、分母を明らかにしてよ。・・・でもそもそもね、件数だけでなく、質を比べてみてほしい。犯罪の背景や犯罪の質を取り上げなきゃダメなんだ。

 僕は、加害者にも法廷での権利を保証するのは近代が獲得した前進だとは思ってるけど、こういうことを大事にしようとする論者はいつも被害者に冷たいと感じる。なぜか、被害者や遺族への言及がない。なんでだよ? どういうことなんだろう。とにかく、僕には、単純に言って、こういう論調のほとんどから、体温が感じられないんだ。自称「文化人」や他称「進歩的文化人」「知識人」「ジャーナリスト」の皆さんよ、君らはこういう時に、被害者や被害者の家族、あるいは遺族の立場にも立ってみたらどうだろうって思うことはないの? 君達の体温、いったい何度?

 ・・・僕は肩がピリピリ。腕もピリピリ。腿も脹脛もピリピリ。じっくり休みたい、でも取れない、だから無理せず、ぼちぼちと。
 僕は疲れてる。首が痛い。肩がピリピリする。腕が張る。腰が張る。腿が張る。脹脛が張る。鼻が詰まる。身体が重い。いつも書いてるよ、Webスペースがもったいないよ、ああそうかい。でも、へこたれないよ、ペティさん、ニールさん、渋谷さん。渋谷さんまで出さなくてもいいか(笑)。いやでも、兎に角トシでも何でもパワーは出せるはずなわけだ。
 お体を大切に しつつ。_