05年 8月20日〜 9月25日

最近の子供はどうか分らないけど、今の大人の多くはガキの頃に日記を何日か書いた経験があるのでは?
斯く言う私もその一人、当然この日記も不定期です。 (2001年8月19日、記)


05年 8月20日(土)   眠れてる?

 眠れてません。眠れません。寝付けません。短い、浅い眠りだけ。夢も多し。疲れとれず。昼間、眠いよな。

 レンドルミンは毎日飲んでるが、しかし寝付けない。朝は早く目覚める。暑さのせいとは思えない。気が晴れない。パワーが出ない。首痛、肩痛、腰痛いや増し。

 文句はある。文句はあるが、自分にも文句がある。
 明日はたぶん在宅シゴトする。でも疲れてるし、必要度と関係なく、かける時間は予測つかず


05年 8月20日(土)   『天皇制』に啖呵を切る

 「虎の威を借り」、ならぬ「鶴の威を借り」『天皇制』に啖呵を切る。いや、別に「威を借る」必要はないが、8月17日の朝日夕刊に掲載された上野千鶴子の寄稿による論考は小気味良かった。少なくとも知識人、という意味では、並み居る野郎ども知識人の日和見言論には見られない言の葉が多々。
 以下、センテンスを抜き出す。単に小気味良いセンテンスやフレーズの抜き出しなので、サマリーではありません。

 ● 憲法を改正するなら、第一条から手をつけるべきだろう。

 ● 天皇という人間が「国の象徴」であるとは、象徴ということばの用語法からしてもおかしい。

 ● そろそろ日本を正真正銘の「主権在民」の世俗国家にして、「神の国」などと、だれにも言わせないようにしたほうがよくはないか。

 ● 今の憲法のもとでも、天皇は政治に関わってはならないことになっているから、ほんらい「皇室外交」などというものも存在してはならない。

 ●それならいっそ、と文化財天皇制を唱える人々もいる。政治の向きからすべて手を引き、千代田のお城から京都御所へ移り、家元か宗匠のごとく、権威を暖簾に暮らしてもらう、という案だ。世の中には権威の好きな人たちがいるから、勲章を発行したり、箱書きをしたりするだけで、十分食べていけるだろう。
 ●(注: 上に続いて・・・) だが、文化財ならなんでも残せばよいというものでもなかろう。遊郭や腹切りなどの「伝統」は、なくなったほうがよい「伝統」である。
  (この件【くだり】、載せた朝日も多少は勇気があったかもしれぬが、そもそも朝日は組織であり個人は埋没していて、ここでの上野は当然ながら個人である。あえて言えば「知識人」「文化人」の傘はあるやもしれぬが、こういうケースでは「一般大衆」「人々」に属する個々の人間という意味での個人より、「知識人」「文化人」という「有名人」の方が危険である。)
  (ただ、一点補足すると、こういう頁、企画をサンプルに「過大評価」されるメディアとしての朝日に属する個人が、時に危険であるのも確かである。それは、ずいぶん前の阪神支局襲撃殺人事件が証明している。)

 ●天皇は日本社会における権威の中心にいる。勲章も位階も、天皇からの距離をあらわしている。勲章の大好きな人たちは、この権威主義が好きな人たちだ。

 ●そもそも民主主義の世の中に、生まれながらにして他の誰よりも尊い個人がいるのはおかしくないか。

 ●サッカーで「ニッポン、チャチャチャ」(引用者ロック注釈: これはバレーだね、サッカーなら「ニッポン、ニッポン」、まぁ象徴的キーワード類として使ったとしよう)をうたうぷちナショナリズムな風景のなかに、天皇の居場所はない。天皇制を維持するために日本の税金のうちどれだけのコストを払っているかを知ったら、かれらはそんなもの、もう要らない、というかもしれない。

 ●住まいと移動を制限され、言論の自由も職業選択の自由もなく、プライバシーをあれこれ詮索され、つねに監視下に置かれている。こんな人生をだれが送りたいと思うだろうか。
 ●(注: 上に続いて・・・) 失声症や適応障害になるのも無理はない。(←注: もちろんマシャコしゃんのことだね。)

 ●制度に安楽死をしてもらうことで、制度の中の人間に生き延びてほしい、わたしはそう思っている。


 まさに啖呵を切る、という感じの言論。だれか他に、大手紙上でこれだけスパッと『天皇制』をやっつけてる言論人はいるだろうか? いないかもね。いる?
 うーん・・・だれかな? それとも「知識人」ってのはシンプルな論理展開は気恥ずかしい人種(人種差別?)? 回りくどいのが好きってことかい? ただそれだけなら、その「知識」は飾りだな。飾りと言っても「粉飾」かもね。そういうことじゃないなら、勇気の問題? アティチュードの問題かな?

 要するに単純明快な正論だが、そのシンプルな本来「当たり前」と言っていいくらいのことを、日本では言論人をはじめとする「有名人」が口に出し、筆にするためには、相当なリスクを覚悟しなければならないのが日本の「言論・表現の自由」の実態だ。もちろん最早60年を経過している(アジア及び太平洋戦争)「戦後」の日本の話である。遠くは深沢七郎を見よ。比較的近年では、本島等(当時・長崎県知事)を見よ。

 したがって、ここまで言い切り、書き切る言論人は、きわめて珍しい。だろ? みんな、回りくどく言い、回りくどく書いてるだけだもんね。あるいは事実上「何も書かない」「何も言わない」とか。少なくとも、上野千鶴子がそういう言論人ではない、ということはよく分かった。単純にその意味において、この言論は日本では「稀有」と言ってよいかもしれない。僕の意見? 同じです。

 (ちなみに、今の憲法第一条はなくして、コーゾクは京都に帰る、「伝統の」儀式でも続けて暮らせるなら暮らせばよい。上野が紹介する「文化財天皇制」の考え方は、不肖ロックが常日頃考えていて時折り口にも出していた「『天皇』文化家元制」論とほぼ同じである。ただし付け加えると、上野が揶揄して書いてるほどにはシニカルな「案」ではない。結構まじめだよ。まぁいきなり廃止は現実的には起きないだろうってリアリストの眼で思案したまでのことだけど。・・・ただし勲章発行はやめようよ、いくら何でも。一番下らないもん。
   でも、要するに京都に帰ってもらって、儀式でもやり続けて「伝統文化保存会」にでも支援してもらうってのは、現「体制」維持よりは一考の価値あると思うよ。ただし維持・保存支援者から十分なカネが集まらなければ食ってはいけない。世のその他の「伝統文化」保存に税金が使われている、国の税金だってセイゼイその程度だ。国民が選んだ「代議士」によりそんな法案でも通ったならね。
   だからもちろん、今の憲法第一条は要らない。憲法改正だ! 国や国民の象徴だなんてとんでもない。国民はそもそも本来頼んでもいないんだから。・・・で、テンノー一家は普通の「人間」になるのだ。本当の「人間宣言」せにゃぁ(ホントは宣言するほどでもなく「人権」は得られるべきですね)。そうなりゃ参政権だってあるし、当然、税金も払ってもらわなきゃいけない。世の「家元」一家のように大抵は長男か長女が継ぐなら、一家の残りは興味ある仕事でもやってみればよい。今はコーゾクから下りなきゃ、やりたい仕事もできないんだから。そもそもそういう意思も希望も生まれないのが今かもしれないけど。
   だけど、ホンちゃんも長女も長男も、儀式の維持保存の支援者が減って食えなくなれば、それは保存しなくていいってことになれば、名実共にコーゾクやめてサラリーマンでも大工さんでも何でもやってもらうしかない。あるいは「自由恋愛」(しご?)してでも色気使ってでも玉の輿に乗るとか。
   ・・・そもそも、「伝統の」儀式だってコーゾクの皆さん自身すら要注意ね。自分達は大和朝廷の時代から引き継いできているものなんてとんでもない誤解しているとしたって、古来の伝統なんかじゃなくて明治以降の天皇中心の大日本帝国憲法体制(でもこれが『天皇制』という言葉の意味するところのものだね本来)下で新たに始められたり考案されて作られたような、なーんにも長い歴史も伝統もない儀式が実際には多いんだろうし。伝統なんかないかもよ。それでも何百年も黙って続けりゃ「伝統」化するかもしれないけどね。以上の括弧内は不肖ロックのコメント。たいへん長くて失敬! 不敬?) _


05年 8月21日(日)   息子は一人、電車旅

 今日の息子は野球。金曜から市内全中学プラスα の参加による大会。昨日までで大会ベスト4に残ってた。今日は準決勝で敗退。3位2チームのうちの1チームに。
 息子は1年。試合はまだ。でもマネージャーの大役。スコアブックみて前回打席のデータ伝えたりとか結構役割大きいのさ。

 そして帰って電車一人旅。僕も妻も明日出勤、息子はたまたま明日の部活休み。今日は妻の実家に母親方の自分の従兄姉弟が来てるから、会いに一人で電車で出掛け泊ると。だんだん大人に近づきます。

 ぼくはじいさんに近づく? まぁね。 _


05年 8月27日(土)   パレスチナ人とイスラエル人

 僕はもともと所謂クラシック音楽のファンではない。オーケストラの音楽を普段聴くような愛好家ではない(まぁちょっとだけCDは持っていてたまーーーに聴く)。
 だけど、ダニエル・バレンボイムの名は知っている。エドワード・サイード の名を通じて。

 先日、イスラエルがガザ地区に国際社会の声を無視して勝手に作っていた入植地の強制撤去をしたことが報じられていた。抵抗するシオニストのユダヤ人をイスラエル軍兵士が強制退去させる風景など、世界が初めて見るような風景だったのではないか。

 メディアでは「ガザからの撤退」と報じられている。パレスチナの土地に当時の国際社会(それはイコール欧米社会だった)の後押しでイスラエルが建国され、アラブ側が抵抗して戦争となり、イスラエルは建国時よりもさらに領土を拡大し、そして1967年の第三次中東戦争では、当時エジプトが暫定的に統治していたガザ、ヨルダンが暫定的に統治していた東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区を占領した。この地域から彼らが撤退するのは当然のことだ。入植地の撤去に反発し抵抗する入植者のシオニストは、ほとんど狂信的シオニズム信者といってよいだろう。

 まだヨルダン川西岸が占領されている。入植地が数多ある。巨大な分離壁があり、パレスチナ人の日常生活は分断されている。東エルサレムも大きな問題として残っている。イスラエルがエルサレムを支配して領有する権利などあるはずなく、手放すほかないはずなのだが、あそこは三大宗教の聖地、結局国連が統治するような国際管理下に置くしかないのではないか。

 ガザはずっと40年近く軍事支配され続け、オスロ合意後にパレスチナ自治政府の名ばかりの自治があったとはいえ、それは文字通り名ばかり。圧倒的なイスラエル軍事支配の下、常にイスラエルの監視下に置かれ、武装ヘリの攻撃を受け、多くの家屋がブルドーザーで破壊され続けた。それはパレスチナ社会の破壊でもあった。パレスチナの武装勢力はまとまっていないし、一部無法化することも懸念されている。残念ながらガザの混乱は続くだろう。僕は パレスチナ子どものキャンペーン などを通じて、ずっとパレスチナ社会の支援に微力と言えどもコミットし続けたいと思っている。

 さて、ダニエル・バレンボイムである。ちょうどガザ地区のイスラエル人入植地の撤去が行なわれていた今月21日、ヨルダン川西岸のラマラで、ユダヤ人とアラブ人・パレスチナ人の連帯を訴えるコンサートが開かれたそうだ。指揮者はダニエル・バレンボイム。イスラエル国籍を持つ世界的指揮者。イスラエルとアラブの若手演奏家で構成されたオーケストラが演奏した。

 ダニエル・バレンボイム及びパレスチナ人学者エドワード・サイード(2年前に死去) が創設した財団とパレスチナ自治政府の共催の演奏会だった。イスラエル国籍を持つユダヤ人著名人がパレスチナ自治政府との共催で、イスラエルによる占領地ヨルダン川西岸地区でコンサートを行なう。これには正真正銘の勇気がいる。彼の強いアティチュードを感じる出来事。

 以前も試みながら「警備上の懸念」から中止に追い込まれたそうだが、今回はイスラエル政府も邪魔立てしなかったのかどうか。

 オーケストラはアラブ人とユダヤ人。会場は被占領地に住むパレスチナ人、そしてイスラエル人の観客で埋まり、拍手のあらしに包まれたという。僕は、ジョン・レノンの イマジン を想起する。イマジンはこういう出来事のためにある歌だと僕は思ってる


05年 8月29日(月)   副鼻腔・頚椎・腰椎・むぅぎぃわーらー

 むぅぎぃわーらーぼーしはーもうきぃえぇたー、たんぼの、かえるはーもうきぃえぇたー、それーでもーまぁーってぇるぅ、なつやーすぅーみぃー・・・。あらよっと。待ってたかどうか、毎年やって来てくれてはいる夏の季節、今年の夏もだんだん終わりが近づいてきた。でも今日はまだ息子は夏休み中。僕はバラバラ取得の夏期休暇5日目。1日だけさ。また明日シゴトよ。寂しいのぉ。
 それーでも、外からは蝉の声が聞こえてくる。小庭にはひまわりだって咲いてる。そういうわけで、息子の夏休みはまだあるのさ。僕のはあとまたバラで1日だけね。
 土日は妻の実家に行って来た。行きしな、クルマ運転中に右足の内側から膝にかけて痛くなって妻と運転交代。そういや、金曜の退勤後の駅までの歩き中は、腰の右側がしばらく痛かった。腰椎の方の椎間板さんヘルニアのせいかねぇ。
 実家の方は、身体があまり強くない母さんが今回わりあい元気そう。ほっとしました。帰路には妻の祖父母が眠る墓参り(僕は我らの結婚前の妻の祖母の入院中お見舞いに行ってお話したことがあるのです)、そしてこっちに戻ってきたんだよ。

 ここんとこ、副鼻腔炎がまたひどくなってきてまして、困ったもんです。子どもの頃から鼻はよくなかったけれど、中年になってついにあっかしてきたって感じだね。副鼻腔炎・頚椎椎間板・腰椎椎間板・睡眠不足・疲労蓄積・疲労困憊・麦藁帽子。はて、この中で僕の症状に関係ない漢字があります。それは何でしょう。麦藁帽子に決まっとるやんけ。意味ない漢字を最後にくっ付けただけさ。むぅぎぃわーらーぼーしはー、消えてないよ。ばか言うなって、消えません。僕は今年は自分の実家で親父の麦藁帽子借りて被って、裏の川原に出ました。息子や息子の従兄弟たちが川原で遊んでいたよ。夏休みはいつだって、子どもたちを待っててくれます。大人たちを待ってもくれるだろう。夏が終わっても、秋が来て、冬が来て、春が来て、その次はまた夏さ。だろ? ロックさんよ。そりゃそうさ。

 今日は息子と自転車で出掛けて外食、洋食屋さんで二人で昼飯食いました。夏の青空、夏の白い雲、強い陽射し、眩しい日の光、蝉の声、自転車。帰りはCD・本屋に寄って、それからまた自転車で帰還。帰ってから、アマゾンに一緒に注文しました。僕はジェイムス・テイラーのDVDプル・オーヴァー、息子もDVD小田急新型ロマンスカー 運転台展望。最近、両方の祖父母からこづかいもらったからね。日頃小遣いぜいたくさせない両親、息子自身もほんと質素だからさ、たまにはいいんですよ、こういう夢ある買い物は。息子は更に誕生日の本番が来月。そういや僕も誕生日だよ来月、半世紀まであと5年。ってか


05年 8月30日(火)   二郎さん神経科

 二郎さん神経科、久しく行ってない。ヨメさんに薬はもらいに行ってもらってる。今日行ってもらった。

 レンドルミンとルボックス。二郎さん、しばし行ってないけど、そのうちまた行かなあかんね。調子はぼちぼち。いや、よかぁないな。ほんま、こんなかんじ、時々爆発しそうにはなるんですわ


05年 8月30日(火)   神奈川11区に行って、天木直人 を応援したい

 天木直人のホームページはここ(リンク切れとる 161026記) だけど、どうも選挙期間中は更新停止せざるを得ないもよう。このページに、天木直人を勝手に応援する会 へのリンク(切れとる、この人、最近どうなってるのかよく知らない: 161026記) も貼られているが、これもどうももうじき更新停止になるのかもしれない(いや、掲示板は動いてる:9月2日追記)。公職選挙法とウェブの関係は流動的でややこしい。

 ここのところに、天木さんのことや過去の天木さんに関するコメントへのリンクを載せてます。この、相当に話題になったはずの人が、小泉の選挙区から無所属で立候補するのに、メディアは不気味なほどに取り上げない。僕は絶対におかしいと思う。おかしい。ただ、この国のメディア、とりわけマス・メディアは、テレビも新聞も雑誌媒体も、ほとんど全てボツだ。どうしようもない。現実を後追いしているだけなのだ、日本のほとんど全てのメディアは(例外はあるが残念ながら日本国民のほとんどはそういうものに触れようとしない。例外が視界に入らないというより、日本国民は観ようとしていないのだ、つまらない茶番劇以外を)。本当は日本のメディアの化けの皮は十二分に剥がれている。現実を映して客観性があるかのように装っているが、実際はその装いさえ壊れている。文字通り、現実を追いかけているだけなのだ、メディアは。それは客観などでなく、現実の後追いは実は主観的に行なわれている。意識的に、時に無意識的に。
 現実を追いかけるだけの無意識の意識がメディアを覆っている。こんなものがジャーナリズムであるわけがない。

 僕は神奈川11区に住民票を移したいくらいだ。でも僕も1票だけなんだけどさ、どのみち。神奈川11区の皆さんよ、皆さんは小泉純一郎という世紀の茶番劇役者(本人がそれに気づいていないのが滑稽だがソレに踊らされている日本国民は哀れだ)に入れるのかい?  僕なら天木直人に入れるよ。

 天木直人のような人間を国政に送ることができたら素晴らしいと僕は思う。こういうことを「素晴らしい」と言うんだろうが。
 そして、小泉純一郎を総理から下ろすことだって出来る。小泉純一郎が神奈川11区で落ちれば、即それが可能だろうが。

 天木直人のような人間を国政に送ることができたら素晴らしい。心底そう思うけど、そういうことはこの国では夢のまた夢なんだろうか。僕は、天木直人を応援する。僕は神奈川11区じゃないから票を入れられないんだけど。・・・それにしても、この国のメディアは愚かだ。僕らは、どうやってこの社会の腐蝕を止められるんだろうか。あきらめない、それだけが砦ではね。一歩、進めることをしなくてはいけないんでしょう。天木直人のような人が一人でも二人でも、少しずつでも政治的実力を発揮する世界の中で増えていくなら、まだこの国にも、この社会にも、可能性はある。・・・それにしても、この国のメディアは・・・。ま、また明日起きて、明日を始めるのさ。とにかく、日は昇る。明日はくる。明日も生きるもんね。どうにもまとまらん。疲れた。とにかく、天木直人を僕は応援するってこと。神奈川11区の皆さんよ、あんたらこの国を左右させるところに手が届くんだぜ。何とかしろよ! _


05年 8月31日(水)   息子のぶらり旅、妻の買い物

 今日は息子の中学1年夏休み最終日。息子はツックス(これは公称ではありません)初乗りして、一人でぶらり途中下車の旅。何回も途中下車して楽しんできたようだ。DVDビデオも録ってきました。僕は電話で息子から聞いたよ。今日は息子と顔合わせてない。息子はたった今は就寝中さ。明日から二学期です。

 最寄駅まで迎えに来てくれた妻は、僕のために青汁を買ってくれてました。なぜかって、睡眠しやすくなると聞いたからです。僕は変わらずレンドルミンを飲んでるけど、この頃、それでも眠りが思い切り浅い日が多い。睡眠不足で苦しんでる僕を想ってくれてのこと。レンドルミンとの相性が分からないから、とりあえず休日前に併用ためしてみようかと思う。

 っつーわけで、僕には妻がいます。息子がいます。生きる十分な理由があります。妻がいるし、息子がいるし、僕自身がある


05年 9月 2日(金)   9月になれば僕は。

 えーっと、9月になりました。まぁ僕の誕生日がある月ね。兄貴や親父の誕生日もある。親父は喜寿を迎えますね。で、僕の息子の誕生日もあります。息子はNゲージ購入だね。

 僕は今日は夏休み取得最終日。1日だけ。お盆の時に平日3連続、いわゆる(ってか?)土日入れて5日休みってやつね。あとはみんなバラバラだ。さみしいのぉ。

 はて、投票はどうすっかね。やっぱココは民主党ですか。民主党には こういうバカ もいるのは悩ましいんだけど、今さら社民に入れても日本の何が変わるのか、って感じだよね。変えない変えないの一本槍で、実際のところは変えられまくってきたんだから。まぁ共産党の方がマシ。

 神奈川11区に住民票あれば絶対に無所属で立候補の 天木直人 だけどなぁ。
 天木直人の立候補は日本の愚劣なメディアのほとんどに完全に無視されていますが、いま、ここに記事が出ています。(リンク切れとる: 161026記)
 勝手に応援する会(のサイト内の掲示板)も更新しているようだ。[リンク切れとる: 161026記]

 えっと、昨夜はジェイムス・テイラーのDVDプル・オーヴァーを観聴きしました。いいです、映像も音も美しい。まさに正真正銘の良質の音楽を楽しめます。日本に来てくれないかねぇ。っていうか、ああいう人を招ぶプロモーターがいないとなぁ。ところで、ジェイムス・テイラーさん、音楽も円熟ながら風貌も円熟(?)、まるで大学教授という感じです。そのあと、ヨメさんが不眠に効くらしいと聞いて買ってくれた青汁を飲んで寝ました。レンドルミンとの相性は今朝起きてみて、まだ不明だな。・・・それにしても、青汁はまずい。聞きしに勝る不味さ。でもヨメさんが僕の健康の為に買ってくれたものなのです。

 僕は今度の投票日が誕生日。いま44、投票日は45ね。僕には十分生きる理由はあるけれど、ちなみに詩人ケンは、理由がなくとも生きることです、空っぽでも生きることです、と言ってますが、これはなんか深いね。まぁ僕には理由がある。生きることです。ずっと生きてゆくことです


05年 9月 3日(土)   郵政民営化 を「要求」するアメリカ政府政策公文書

 在日アメリカ大使館のホームページ日本語サイト・トップページ です。ここのヘッダーの 「政策関連文書」 をクリックしましょう。そうしたら、インデックスの中の 経済・通商関連 をクリックします。
 そこで、インデックスの中から 規制改革 をクリックし、一覧の中から 2004年規制改革要望書(2004年10月14日) を選びクリックします。

 さて、これで 日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく日本国政府への米国政府要望書 に辿り着きました。

 この、アメリカ政府からの対日「要求書」から一部転載しちゃいましょう。尚、冒頭に、「*下記の日本語文書は参考のための仮翻訳で、正文は英文です。」と記載されていますが、あっしの英語力は壊れています。英語バリバリの方のために、後で英語サイトのURLも紹介します。常識的に考えれば、万一(?)多少の意訳的な部分があるとすれば、以下に引用する日本語サイトのテキストの方が、ソフトに書かれていると解釈すべきでありましょう。
 さて、前置きはこの辺にして、以下、引用・転載です。


日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく日本国政府への米国政府要望書

2004年10月14日

(アメリカ大使館による翻訳です)

 ブッシュ大統領と小泉総理大臣は、規制改革・競争政策に関する分野別および分野横断的な問題に焦点を当て、経済成長や市場開放を促進するため「日米規制改革および競争政策イニシアティブ」(規制改革イニシアティブ)を2001年に設置した。今年で4年目を迎えたこのイニシアティブは、日米間の貿易と経済関係をさらに強化する役割を引き続き果たしている。

 米国は、小泉総理大臣の思い切った経済改革の課題を強く支持しており、その 課題への取り組みにより促された最近の日本経済成長を歓迎する。また、米国は2004年10月12日に小泉総理大臣が国会における所信表明の中で、「構造改革なくして日本の再生と発展はない」ことを再確認し、日本が意義ある経済改革を達成する努力を継続していることを歓迎する。さらに米国は、広範にわたり規制と構造改革を強く主張してきた規制改革・民間開放推進会議の任務を更新し強化した日本の決定を称賛する。

 本要望書に盛り込まれた提言は、主要分野や分野横断的課題に関わる改革措置を重視しており、現在の日本の経済成長支援および日本市場の開放促進を目的としている。さらに、米国は、通信、情報技術(IT)、医療、エネルギー、競争政策など、小泉内閣が改革に重要であると位置付けた分野の問題に焦点を当てる努力をした。

 本年の要望書において米国は、日本郵政公社の民営化計画が進んでいることを受け、勢いを増している日本における民営化の動きに特段の関心を寄せた。これに関して、日本経済に最大限の経済効果をもたらすためには、日本郵政公社の民営化は意欲的且つ市場原理に基づくべきだという原則が米国の提言の柱となっている。 (赤字 は、もちろん引用者によるもの)

 (中 略)

 提言の概要と詳論に盛り込まれた要望事項は、規制改革イニシアティブの下に設置された上級会合および作業部会における今後1年間の議論のたたき台となるべく日本政府に提出された。これらの会合により、大統領と総理大臣へ提出する第4回年次報告が作成され、両国政府が講じる改革措置も含め、本イニシアティブの下で達成された進展が明記される。

 改革イニシアティブの最初の3年間では、民間部門の代表が作業部会に参加し、広範にわたる問題に関して貴重な専門知識を提供し、所見を述べ、提言を行った。米国は今後とも引き続き積極的に同イニシアティブへの民間部門の参加を促すため日本と協力する。

 米国政府は、日本国政府に対し本要望書を提出できることを喜ばしく思うと同時に、日本からの米国に対する改革要望を歓迎する。 (この部分は滑稽だね。「米国」が「日本からの米国に対する改革要望を歓迎する」とは想像し難いし、そもそも現在の「日本」国政府が親分「米国」に対して「米国に対する改革要望」など、面と向かって、ご提示申し上げることなど、もっと想像し難いことだ。)


・・・さて、この巻頭言のようなものは 提言の概要 に続きます。その中の 民営化 をクリックしてみましょう。
中身を以下に引用・転載すると・・・


民営化

 米国は、小泉首相の公社・公団の再編と民営化の取組みに関心を持ち続けてきた。この改革イニシアティブは、競争を刺激し、資源のより有効的な利用につながるなど、日本経済に大きな影響を及ぼす可能性がある。米国政府は、日本郵政公社の民営化という小泉首相の意欲的な取組みに特に関心を持っている。日本の郵便生命保険事業と郵便貯金事業が世界最大の生命保険事業者と預金制度にまで成長しているため、これらの事業の民営化は、それぞれの分野で営業をしている会社に巨大な影響を与えると考えられる。2007年に開始予定の日本郵政公社の民営化は、民間の宅配便業者にも大きな影響を与える可能性がある。

 本年の米国の提言の柱は、日本郵政公社の民営化が日本経済に最大限の経済的利益をもたらすためには、意欲的かつ市場原理に基づいて行われるべきであるという原則である。真に市場原理に基づいたアプローチというものは、日本の保険、銀行、宅配便市場において歪められていない競争を確保することを含まなければならない。日本郵政公社に付与されている民間競合社と比べた優遇面の全面的な撤廃は必要不可欠である。これらの優遇面は、米国系企業および日本企業の双方にとって同様に、長年の懸念となっている。経済財政諮問会議は、9月10日に発表した「郵政民営化の基本方針」において、日本郵政公社と民間企業との間の「競争条件」の均等化の重要性を確認することにより、重要な一歩を踏み出した。
 (後 略)


・・・さてさて、この 日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく日本国政府への米国政府要望書 は、提言の概要 の後に、詳 論 があり、ここでも 民営化 をクリックしてみます。以下、その部分、中身をざっと転載しちゃいましょう。


民営化

I. 公社・公団の民営化

 (前 略) 公社・公団の改革が進行する中で、米国は引き続き日本に対して次のとおり要望する。

I-A. 再編および民営化を透明な形で行なう。そして、

I-B. 改革の影響を受けるか、あるいは受ける可能性のある国内および外国民間会社に対して、パブリックコメント手続きの利用等によって意見を述べる有意義な機会が与えられることを確実にする。

II. 日本郵政公社の民営化

 日本郵政公社の民営化が (中 略) 市場原理に基づいて行なわれなければならない。真に市場原理に基づいたアプローチというものは、様々な措置の中でも特に、日本郵政公社に付与されている民間競合社と比べた優遇面の全面的な撤廃を通して日本の保険、銀行、宅配便市場において歪められていない競争を確保することを含まなければならない。これらの優遇面は、米国系企業および日本企業の双方にとって同様に、長年の懸念となっている。 (中 略) 経済財政諮問会議の報告書ではさらに、2007年の民営化開始(引用者注: 要するに自公の法案が前提ね!)当初から(民間企業と)同様に納税義務およびセーフティネットへの加入義務を負うことや、郵便保険および郵便貯金商品について政府保証を廃止するとの明確な措置を確認した。米国政府は、これらの具体的な提言を歓迎し、それが日本郵政公社の民営化のための法律に反映されるよう求める。

II-A. 郵便保険と郵便貯金(引用者注: アメリカの飼い犬たるコイズミはよく「郵政民営化は改革の本丸」と言うが、「郵便保険(簡保)と郵便貯金(郵貯)」は、アメリカ政府とアメリカ資本の日本国に対する要求の本丸であろう)

 日本郵政公社の民営化が、経済財政諮問会議の求める民間企業との間の「イコールフッティング」を完全に達成し、また日本の保険および銀行分野に公正な競争をもたらすために、米国政府は日本政府に以下の方策を取るよう求める。

(引用者注: ここから下、こまごまとアメリカの要求が羅列されていて、「郵便保険と郵便貯金」、「宅配便サービス」、「透明性」と続くが、逐一の内容の適否はともかくとして、ここまで仔細に他国の政府から要求されちゃうのかね!)

II-A-1. 民間企業と完全に同一の競争条件を整備する。それには次のものを含む。

II-A-1-a. 郵便保険と郵便貯金事業に、民間企業と同様の法律、規制、納税条件、責任準備金条件、基準、および規制監督を適用すること。

II-A-1-b. 特に郵便保険と郵便貯金事業の政府保有株式の完全売却が完了するまでの間、新規の郵便保険と郵便貯金商品に暗黙の政府保証があるかのような認識が国民に生じないよう、十分な方策を取る。

II-A-1-c. 新規の郵便保険、郵便貯金および他の関連業務との間の取引がアームスレングスであることを保証するため、完全な会計の透明性を含む適切な措置を実施する。また、日本郵政公社の金融事業と非金融事業の間の相互補助の可能性を排除する。そして

II-A-1-d. 新規の郵便保険と郵便貯金が、その市場支配力を行使して競争を歪曲することが無いよう保証するため、独占禁止法の厳格な施行を含む適切な措置を実施する。

II-A-2. 新しい貸付業務や郵便保険事業による新規または変更された保険商品の導入、または郵便貯金事業における元金無保証型投資商品の元売りを、(上記で提案したとおり)真に同一の競争条件が整備されるまでは一時停止する。また、同一の競争条件の実現後には、このような商品やサービスがバランス良く導入されることを保証する。

II-A-3. 日本政府が、民間で元受けをする元金無保証型投資商品を日本郵政公社で取り扱うことを許可する計画を進めるにあたり、それらの商品の選択が公平で透明性のある形で行われるよう保証する。

II-A-4. 日本郵政公社において販売される民間企業元受けの保険商品の選択が、公平で透明性がある形で行われるよう保証する。

II-A-5. 日本郵政公社の民営化の過程で、郵便保険および郵便貯金事業に新たな優遇が与えられないよう保証する。

II-A-6. 郵便保険と郵便貯金事業の民間企業に対する競争の状況を定期的に調査するための独立した委員会を設置し、民営化の過程において一貫して、同一の競争条件の継続を保証することを目指す。

II-B. 宅配便サービス 日本郵政公社と宅配便業者間の公正な競争を促進するため、米国政府は日本国政府に対して、下記の方策を取ることを要望する。

II-B-1. 独立した規制機関 郵便業務に関する規制当局は日本郵政公社から完全に切り離されかつ独立した機関であることを確実にし、日本郵政公社あるいは公社の管轄下にあるどのような組織であれ、非競争的な方法で事業を展開しないことを確保するための十分な権限を持てるようにする。

II-B-2. 非差別的な処遇 税金や他の料金免除など競争条件を変更するような特別な便益や、物品の運送に関して政府機関による特別な取り扱いや、関税業務にかかるコストの免除などが、政府政策により競争サービスのあるひとつの提供者のみに与えられないことを必要に応じて確実にする。

II-B-3. 相互補助 競争サービス条件下で、全国一律サービスの提供から得られた収益を用い非競争的な相互補助が行われることの防止監督をする。ひとつの監督方法は、日本郵政公社および全ての関連会社の会計が分離、独立でありかつ完全に透明性のあるものとすることであろう。

II-C. 透明性 米国政府は、日本郵政公社の民営化の過程において、下記の方法により、透明性が継続的に確保されるよう求める。

II-C-1. 日本郵政公社民営化の準備期および移行期において、民間の利害関係者(外資系を含む)の要請に基づき、民間企業に影響が及ぶ可能性のある論点について、総務省、郵政民営化準備室、金融庁を含む関係省庁の職員と意見交換をする有意義な機会が提供されるようにする。

II-C-2. 日本政府が開催する委員会やそれら委員会の構成要素の中で、日本郵政公社民営化の準備期および移行期において民間企業に影響が及ぶ可能性のある論点について、民間の利害関係者(外資系を含む)が積極的にその議論に貢献する有意義な機会が提供されるようにする。

II-C-3. 民営化に関する施行規則および省令等の準備も含めて、パブリックコメント手続きが十分に利用され、また最終判断を行なうにあたり、そのコメントが考慮されるようにする。


・・・・・ちなみに、在日アメリカ大使館のホームページ英語サイト で、ヘッダーの U.S. Policy & Issues をクリック、そこの Special Topics: の中の  Regulatory reform をクリック、そのリンク先で Annual Reform Recommendations from the U.S. Government to Japan under the U.S.-Japan Regulatory Reform and Competition Policy Initiative (Oct. 14, 2004) をクリックすると、上記の アメリカから日本への要求書 の英語の原文を閲覧できます。
 日本語サイトで「米国系企業および日本企業」となっているところは、英語の正式公文書の方では、“ U.S. and Japanese companies ”となってます。まぁ言葉のアヤと見る向きもあるかもしれないが、しかしやはり米国「系」の「系」を取った方が、余計にアメリカ政府およびアメリカ資本の本音が出てると思うよ。

 宅配便サービスもそうだろうが、それよりも 簡保 と 郵貯が アメリカ政府とアメリカ資本の狙い だね。つまり、日本の簡保と郵貯の300兆円を超える資産。これは日本国民がどうするかを決めるべき日本国民の資産ですが、アメリカ政府やアメリカの保険業界、金融業界がこれに触手を伸ばしたいのは明らか。日本以上なのかな、財政赤字のアメリカ政府です、アメリカ政府にしたって、日本からはアメリカ国債をますます買ってもらわにゃなぁと思ってることでしょう。あるいは、アメリカの対イラク戦争の莫大な額の戦費も、これで相当に補えると計算されてたりしてね。僕は十分有り得ると思うよ、そういうアメリカの打算・計算は。

 アメリカが日本の簡保や郵貯を「当てにしていて」、この間の参院での自公法案不成立で、アメリカの期待が若干延期されたなーんて論調は、ウォールストリート・ジャーナルなどが遠慮なく書きまくってるようで。日本はまさしくハゲタカに狙われたウサギ(?)みたいなもんなのかね。

 はてはて、この アメリカから日本への要求書 は、民営化問題を含め、電気通信、情報技術(IT)、エネルギー、医療機器・医薬品、金融サービス、競争政策、透明性およびその他の政府慣行、民営化、法務制度改革、商法、流通、と多岐にわたる項目のそれぞれで、「微に入り細を穿つ」要求をまくしたてています。やっぱ、日米関係というのは、属国と宗主国の関係なんだろうかと改めて思った次第。

 まぁこれだけの対「日本」、対「従属国」要求文書を、堂々と在「日本」アメリカ大使館のホームページに、しかもご丁寧に英日両言語で公開してるんだから、これはもう大した情報公開と取るべきですか、従属国・日本としては?

 僕は従属したりドレイ扱いされたりするのは嫌だなぁ。日本国民の多くを占めるウサギ人間は、どうしてコイズミ支持なんだろう? ウサギだから? 羊だから? それじゃウサギや羊に申し訳ないかい?
 よく他にいないから、なんて世論調査の回答あるけどさ、それでも兎に角、他のヤツ、とにかく自公以外に入れろよ。・・・って僕は思うけど、もちろん投票権は有権者みんなに 平等です。僕は僕で、けっきょく僕だけの一票を入れるんだな。これが民主主義の制度なんだ。

 ドイツのヒトラーでさえ、民主的な投票の制度によって、大衆に支持されて権力の座についたってことは、これは紛れも無い歴史の事実。極端な例? だけど歴史は、人間がそういうものを「選んでしまう」愚かな存在でもあることを示しているわけです。どこまで愚かになり切るのか、どこで歯止めをかけて立ち止まってよーく考えることができるのか。せいぜい、少しくらいの民度を示したいではあーりませんか。・・・僕はとりあえず、最も愚かな一票の使い方はしません。はは、それは今回に限らず、昔からしないけどさ。でも残念ながら、いつも大勢の選択と違うんだよ、僕の一票は。
 それでも、そのアティチュードだけは変えないわけだけど。っつーか、それはアティチュードっていうほどのものでなく、当たり前だのクラッカーなわけだけど、当たり前も大切なときは大切だと思うわけです。転石人間も、大勢とか体制とかに流されるのは拒否するわけです。いや、やっぱり「拒否」というほどのアティチュードらしき表現をするまでもなく、けっきょく当たり前と思って一票投ずるわけです。うーむ


05年 9月 4日(日)   本日は日曜日

 本日は日曜日。昨日ほんまは在宅シゴトするつもりだったんだが、ジェイムス・テイラーのDVDプル・オーヴァーを完観聴、その後は在日アメリカ大使館のホームページをチェックして昨日の日記に記帳(?)。まぁ日本語サイトね、僕は英語力壊れてるからね、日本語サイトで「情報公開」してくれていて助かるよ。しっかし、このアメリカ的「親切」に騙されちゃーいけません。

 今日は日曜日。在宅シゴトとしばしの勉強で過ごすでありましょう。

 相変わらず、首痛い。肩痛い。腰痛い。左手痺れる。副鼻腔炎もたいへん。はっはっは。ちょっと散歩もするかね。・・・あ、ほんまにちょこっと歩こうかね。1日あるんだから、散歩するくらい時間作れますわ。


05年 9月10日(土)   マルディグラな土曜日

 本日は土曜日。明日、僕は半米寿をついに超え、45歳になります。誕生日祝いとしまして、前日ではありますが、妻にクラプトン新作の BACK HOME を買ってきてもらいました。まさしくクラプトンの今にピッタリのタイトル。クラプトンは今、文字通り幸せなのであります。幸せな時だから良い音楽が作れるとはぜんぜん限りませんが、今のクラプトンの幸福感が溢れ出るようなサウンドだな。と僕は今、この新作をかけながら、いささか月並みな表現で感想を記しているわけです。
 幸福は良いです。何をもって幸福というか、それは「深い」のでありますが、家族の愛に包まれ自らも家族を愛し、そういう人生が幸福であるかと言えば、私自身はそれはまさしく幸福に違いないと思うのであります。そういう意味では僕も幸福なのでありましょう。確実に。

 昨日は日付変更線を越えた本日夜中の0時半頃に帰宅。仕事は疲れますなぁ、ったく。で、明け方まで起きていてしまい、朝4時過ぎに就寝。昼前に起き、朝食兼昼食を食した後に息子の中学校へ。本日は体育祭であります。息子の応援団風景と息子が参加した騎馬戦を、妻と共に応援。

 それからあっしはひと足先に帰宅し、WOWOW で放映された、全米ネットの TV 中継『ハリケーン・カトリーナ被害救援ライヴ』を観たのでした。U2 とメアリー・J・ブライジの共演の One も良かったし、ニール・ヤングのピアノ弾き語り When God Made Me(バック・コーラス付きでした)、ロッド・ステュアートと黒人コーラス・グループ People Get Ready (名前これまで知らなかったグループだったけど、カッコ良かったねぇコーラス・グループの人のリードもみんなのコーラスも)、それからアリシア・キーズとその他ゴスペル・シンガーの人たちの見事な熱唱。他にもドクター・ジョンとか出てました。

 僕にとって一番の収穫、一番の素晴らしい機会となったのは、ポール・サイモンがギター1本で、THERE GOES RHYMIN' SIMON 収録の Take Me To The Mardi Gras を弾き語り、その直後にウィントン・マルサリスのトランペットにリードされる楽団による Take Me To The Mardi Gras の演奏。いやぁ原曲の構成を思い出し、感激しました。ポール・サイモンのそのアルバムはオリジナルは 1973年だけど、2004年7月に新たにリリースされた際に付いたボーナス・トラックに付いてる Acoustic Demo バージョンに似た感じの生ギター弾き語り、後半がオリジナル・バージョンのブラスの雰囲気。素晴らしいパフォーマンスでした。

 ウィントン・マルサリスは名前は以前から知ってるけど、いまネットで調べると、1961年のルイジアナ州ニューオーリンズ生まれ。父親がピアニスト・作曲家・先生であるエリス・マルサリス、兄弟に同じくジャズ・ミュージシャンのデルフィーヨとブランフォード・マルサリス(兄、サックス)。まさしく音楽の街ニューオーリンズを象徴するようなファミリーでしょうか。

 こういうのはここで書いても余談なんだけど、先日、ウィントン・マルサリスはたしか CNN のラリー・キング・ライヴだったかな、あれに出てインタビューされてて、「我々はいいかげんに、我々の国が間違った指導者を持ってしまっていることに気づくべきだ」とはっきりした口調で言っていました。
 ニューオーリンズは言うまでもなく、先月のハリケーン・カトリーナの甚大な被害の中心となった街の一つ。対イラク予算のあおりあってのことだろうが、ルイジアナやアラバマの治水の予算はブッシュ政権によって大幅に削られてきていて、おまけにこういう時に救援活動するのが常の州兵もその3割がイラクに派遣されてしまっていたそうだ。実際、今回の救援活動に参加していた州兵もイラク帰りが多かったとか。カトリーナ被害と事後の被害拡大・混乱は、天災と人災の両面があったというわけ。もちろん天災としてまずはもの凄いものだったわけだけど。

 今回なんで直前の警報で直ぐに避難しなかったんだ、なーんて多くの被災者が言われているようだけど、テレビ映像を観ても察しがつきますが、多くは格差社会アメリカの貧困層(機会均等偽り社会・格差社会の結果としてけっきょく残ってる人では黒人が多い)。そもそもクルマも持っていない層です。一時、緊急事態庁の長官とかって人間がメディアに追及された際に「どうして彼らの多くが直ぐに避難しなかったのか、それについては残念に思う」などと言い放ち、「(たしか)10万もの人々がクルマを持たない地域だということをあなたは知らないのか」と改めて非難されていました。

 被災地域では事後も混乱が続き略奪なども多かった(「少なくなかった」?)ようですが、例えば、少年が運転したこともないスクール・バスを運転して多くの人を避難地域に連れて行ったなんてエピソードも紹介されていましたね。

 更に横道(?)に逸れると、日本がますますコイズミ的がシンボライズするグローバル・スタンダードその実アメリカン・スタンダードな社会になってしまうと、おそらく日本も比較格差拡大社会となり(既になりつつありますが)、今回のアメリカのカトリーナ被害で見られたような哀しい現象も従来よりも多く観られるような社会になるのかもしれません。僕はアメリカの社会の在り方が「進んでいる」なんてとても思えないし、あんな類の経済社会の在り方を真似るのは馬鹿げてると思います。

 まぁ僕は、その『ハリケーン・カトリーナ被害救援ライヴ』の素晴らしいパフォーマンスを観て、録画もして、また今晩あらためて家族でそのパフォーマンスを観聴きしようとしているわけだけど、救援を呼びかける彼らの演奏に応えて、赤十字を通じて僅かながらの寄付を贈ろうと思います。アメリカの莫大な軍事費やイラク政策などを見るとあの国の政府自体にはそんなカネを削れよと思いますが、僕らの微かな寄付も良き事に使われるのならよいのだと思います。

 チャリティ、慈善は「偽善」だという声が時にありますが、僕もそんな感じ方をしていた時期もかってありましたが、今はそう単純に「偽善」視したりしません。何かできることをする、それがどう使われるのかに注意を払いつつ。そのこと自体は何も否定的な行為と考えません。ただ、何かを救援する、何かに支援する、その時、その行為をする主体の方も、おそらくは救われているのではないかとは感じています。それは何も宗教的な意味などではない。要するに、ひと(他人)のためになることと思って何かをする、その時にはその行為をする側も、その自らの行為から何らかの(精神的な意味と言えばいいでしょうか)救いを得ている、少しでも、あるいは時に大きく、何かから救済されているのではないかと感じているのです。

 最近、アムネスティとユニセフから活動支援のための『買い物カタログ』類が届きました。高いものではないけれど、実際にけっこう買いたいな、使いたいな、身につけたいな、と思えるようなものが、いつもいくつかあります。ほんの少しでも、僕らは何か買い物をするだろうと思います


05年 9月11日(日)   45,50,>0, 投票

 僕は1960年 9月11日、有名な任侠者の出身地で生まれました。おひかえなすって。そういうわけで、本日45歳と成りました。生きてりゃ価値あるかい。
 息子に「四捨五入ってとっくに小学校で習ってるよな。お父さんはもう四捨五入すれば五十だからな」と言ったら、「十の位を四捨五入すれば?」と妻子から言われ、それなら僕は未だ0歳のヨチヨチだね。それでも投票通知届いてっから、行政には成人と認められてる。まぁ行政なんかに認められてどうこうではにゃーだけどねぇ。

 このあいだ息子に「子供にも投票権認めてしまえばいいのにな」と言ったら、「だめだよ、ほとんどは何にも分からないで、考えないで投票しちゃうよ」との回答。うん、そりゃそうだと思いつつ、しかし日本国は大人だって何も分からんくせに、何も考えないで「何かやってくれるよ、ジュンちゃんは」ってバカなこと言って投票する手合いも多いわけで。

 今日は午前中、家族でツックスで秋葉原まで行き、しばし歩いたところにある鉄道模型専門店でNゲージを買いました。僕の今日の誕生日とは関係なく、もうじき息子が13歳の誕生日を迎えるので、その買い物ね。
 高いからね、全額なんて甘いことはせず、何カ月もかけて息子が貯めてきた金に祖父母からの祝いや僕らの祝いを足して買ったのですよ。鉄道のことなら、うちの息子はたいていのに負けません(笑)。路線も駅名も車両も模型も時刻表も。好きこそものの上手なれとはよく言ったもんだわ。
 買い物のあと、アメ横通ってはずれの方の中華屋でメン食って、上野から帰ってきましたわ。

 息子はさっそく鉄道模型の世界へ。僕と妻は投票ね。僕の今日の投票内容は次の通りであります。小選挙区はよいと思えませんから悩ましいですが、小選挙区は民主党の中年、比例も民主党、最高裁は全部 × 付けてきました。今日は県知事選の投票もありましてね、こっちは共産党にしちまった。さすがにもう一人の自民系のじいさんには入れる気がしない。残念ながらこれは「死に票」だね。まぁ当選に繋がらんでも、「批判票」とか言われるものが大きくなれば多少は生きるけどね。

 民主党には 信じ難いほどのバカ はじめロクでもないものが少なくないので(他にも若手の軍事オタクみたいなのもいるしなぁ)、どこに入れるのも悩ましいものです。社民も入れる気しないし(実態が補完政党でお題目ばかりばかりで力ないもん。もっとも小選挙区だと消えかねないよな、「補完」すら)。かと言って共産党はみんな喋り方まで同じ。公明党は僕には論外。まぁ人がどこに入れるかは人の自由意思ですが、僕の場合は以上。
 ここの区に特に入れる気する候補ないですが、非自公は一票でも多くしたいしね。

 はて、日本の「民度」や如何に。信じていいか分からんけれど、世論調査ってやつではどの調査でも思い切り低そうだよな。メディアもだめ、特にでかいところは。小さいところはダメでもないけど力がなくて大変。新聞もダメ。いちおう朝日とってるけど、社説なんて見てても何言いたいのか、何でもかんでも行ったり来たりの論調並べてお茶濁してるだけだ。産経や読売は論外。毎日は最近どうなんだろ。あんがい地方新聞でまともなのあるかね。ネットにはまぁまぁいいのあるね。
 テレビはさいあく。古館も筑紫もどのみち予定調和に手を貸しているだけです。でも時々見ちゃうけど(あんまり真面目に見ないけどさ)。

 今日はこれ更新して、ケーキ食べて、ちょこっと仕事の勉強して、夜はまぁ誕生日なんで美味いメシ食わせてもらいながら、選挙速報でも見てテレビに文句言ってるでしょう。
 どんなにひどい政権が続いても、国民の責任です。国民って一カタマリに言ってしまうと何だか実態がなくなってしまって「何も無い国」になっちまいますが。ほんまに何も無いのか。いや社会や世界や世間はけっきょく哲学的にはもともと「無い」のです。ほんまか(笑)。ただし、自分の眼を通した社会や世界や世間はある。主体は自分自身。そういう意味では、きっと「有る」ぞ「在る」ぞ(爆)。うーむ。
 僕の椎ヘル首や腰の痛みは自分の責任? まぁ自分ばかりとは思わんけどなぁ。自分の身心は自分で守らんとなぁ。守ってばかりでよいのか、攻撃は如何に。何言ってるのか無茶苦茶になってくるので今日はこれにて


05年 9月11日(日)   郵政 問答集

 ここんところ に問答集があります。参考資料の一つとしましょう。アメリカの最近の要求については 僕の日記のここんとこ にも。長いか。ほな


05年 9月11日(日)   バカな日本「国民」

 今日の総選挙、結果が出始めています。いわゆる「当選確実」とかってやつ。自民党の圧勝みたいだね。事前の世論調査の予想さえ大幅に超えそうな勢い。「歴史的勝利」と形容するような圧倒みたいね。

 まぁ日本人はバカかどうか分からんけど、どうやら多くの日本「国民」、っつーか、いわゆる「有権者」って言やいーのか?、まぁ兎に角バカであります。ロクにものを考えてない、テレビ見て程度の低いコイズミ政治「劇場」に興奮し、メディア(メディアは自民に「刺客を送るやり方はどうか」なんて言ってたけどメディアこそ当の言葉を喜んで使ってたぜ)が騒いだ「刺客」、「くのいち」、超ド級B級の茶番に心オドらせ、「ジュンちゃん」と彼の党に挙って投票したわけだ。
 この多くのバカ「国民」には、「ジュンちゃん」が「アベちゃん」に代わったところで人気は十分に引き継がれるであろう。いや、いや増しする可能性すらある。「アベちゃん」も負けず劣らずバカ「国民」受けしそうなクサイ役者だからね。

 はて、どうすっか。っつったって、僕はずっと日本というところで生きてく。えーっと、大事な息子の将来もあるし、これからも注視して、できれば何かもっとしないといけないんだろうか。今は(残念ながら)微かな比率の人達がきっと力の限り頑張ってるんだろうけど、この日本「社会」の今のバカバカしさは本当にスーパーなバカバカしさだ。僕もバカかもしらんが、しかしもっともっと超ド級のバカげた行動がこの日本「社会」を圧倒しかねぬ勢いです。
 Don't Back Down のアティテュードで生きていきましょう。っか。・・・あんまりなんで、余計に、日本語だけがまともに使える言語の僕が、にもかかわらず、ますます日本語でない言葉で表わさないと何だかコッパズカシイね。何言ってるんかいな(空笑)。しかし、ま、くじけず明るく生きてくわけだ。・・・なぁ。

 ・・・それにしても、あまりに民度は低い。さいてーだな。これだもん、メディアも音楽も映画も全てのカルチャーも、圧倒的にバカバカしいものが多いわけだ。全てはバカ日本「国民」の程度が鏡に映るように映ってるだけだね。
 だけど兎に角、この日本で生き続けるわけです。僕は、この日本で生きます。ここで、この日本で。望んでここで生きるよ、僕は。どうにか、何かしなくちゃいかんのだろうか。でもバカバカしい人達と付き合わなくちゃいかんわけ? 日本「社会」人である以上は? でもまぁ何とかして声出したり行動したりしていかなくちゃならんのでしょう。かっ! っとな


05年 9月17日(土)   神経トリケラトプス

 ある朝、グレゴール・ロックがなにか気掛かりな夢から眼をさますと、自分が寝床の中で一個の巨大な岩石に変わっているのを発見した。

 ・・・岩だ。動けない。・・・まぁでも何とか動いたよ。今朝は床屋に予約してあってねぇ。岩のように重い自分の身体を動かすのは難儀だったが、2、3分の遅れでいつもの床屋に行った。床屋の前には息子が3月まで通ってた小学校があって、今日が運動会だってのが分かった。ああ、去年は息子はあの中にいたな。

 床屋から帰って、たまらずソファに横になった。もう起きれなかった。いや、正確に言うと、昼飯の時は起きて食べた。飯のためなら何とか起きれるのか岩も。それで、その後またソファに横になった。妻がタオルを掛けてくれた。そのまま眠ってしまった。そして今、もう夕方。何てこった。

 今週の月曜だった、二郎さん神経科に行って、いつものルボックスとレンドルミンの他にトリプタノールってのが出た。以前も違うヤクが出たり加わったりの時、翌朝、岩になった過負荷を思い出し、不安なので翌日出勤日となる木曜までは飲まないで、昨日の夜、レンドルミンと一緒にトリプタノールってのを飲んだんだ。どう考えてもこのせいだと僕は思う。勘弁してくれ。動かない身体を想いながら僕は、なぜかトリケラトプスを想い出していたのだった。(父蘭津過負荷)

 ・・・今日は息子の誕生日。だけど未だ帰ってない。野球部の一日自転車遠征だ。隣の市のグラウンドまで自転車で遠征して試合するのだ。まぁ息子は1年、試合ではマネージャー役だけど、これ、大切な役目です。集中力必要だしね、よい経験になると思います


05年 9月17日(土)   13歳の路線図

 息子が帰ってきた。早朝、僕が起きるずっと前に家を出て一日自転車遠征試合、外が暗くなってから帰宅した。

 今日は息子の誕生日。1992年横浜生まれ、1995年よりエバラキ育ちの息子は13歳になった。
 母親が作ったパエリヤのご馳走。プラス豚タンやトン焼肉。夕食後は母親手製のケーキ。ケーキを前に父子、母子で記念撮影。1と3の数字を付けたロウソクに火を灯し、ハッピー・バースデーの合唱。いやぁヨメさん手製のケーキはいつも美味い。どっかで店でもやりたい。3人合わせて今101歳ね。

 息子はまだまだこれからずっと夢多き、そして夢を掴んでいく実現していく人生。がんばれや。ワシらも頑張るで〜


05年 9月24日(土)   パラノイド・スキゾフレーニー

 僕は パラノイド だ。同時に スキゾフレーニア だ。

 近頃、僕の常より更に過剰だ。ガキの頃から鼻強くかみ過ぎ。それが更に過剰。耳かきしすぎ。ガサガサだ。瘡蓋だ。
 ここんとこ2週間ぐらい前から鼻詰まる、鼻かむ、詰まる、かむ、かみ過ぎる、クシャむ(クシャミが止まらん時ある)、鼻かむ、かみ過ぎる。耳かきし過ぎる(なんでだ)。去年の夏の終りに副鼻腔炎になってたけど、今は未だ副鼻腔炎の症状までいってないってさ。今日、耳鼻科に行ったんだよ。すっげ混んでて参ったな。待ってる間、高橋哲哉の『靖国問題』読んだり、置いてあった「サンデー毎日」(だったかな)のバック・ナンバー読んだり、コメカミ押さえてぼけーっとしてたりした。
 ヤクはまたアレグラとクラリスだ。点鼻ヤクも出た。アレグラとクラリスは1ヶ月だ。3種でしめて 5,000円。診察が 1,300ナンボ。カネかかるわ。ったく。オパルモンとメチコバールとレンドルミンとルボックス。ヤク漬けだがや。

 僕はいろいろ拘る。瞬間的に突っ込みすぎる。いろんなところに突っ込む。疲れる。僕は パラノイド で、同時に スキゾフレーニア だって。僕の診断によればね


05年 9月24日(土)   哲学の語り口と対象

 哲学の語り口と対象。 ・・・なーんて実は大袈裟なハナシじゃないさ。まぁ高橋哲哉氏は哲学専攻の学者です。
 最近、高橋哲哉の『教育と国家』ってホン読んでた。あんまり面白くなかった。けっこうつまんねぇやって思った。だからナンなのよ、どうすりゃいいって思ってるかもっと実践的な方法論述べろよってさ。
 こんどは同じ高橋哲哉の『靖国問題』読んでる。先に読んだ『教育と国家』が面白くなかったので、あんまり期待してなかった。評判のホンだけど、まぁつまらんのかもなと思ってた。で、これがけっこう読み応えある。まさしく「応え」あるって感じね。ま、『靖国問題』は読み始めたところだけどね。

 考えてみたけど、理由は2つかな。
 『教育と国家』は所謂「語り下ろし本」で「ですます調」。これね、元々あんまり好かんスタイル。まぁ編集者側に立てば結構面白いのかもしれんけど。ですますですますではないでしょうか、なーんて読者に媚び売るなって感じしない?(笑)。なんか擦り寄る感じでヤだな。
 『靖国問題』は「である調」。そうこなくちゃ。自信もって語ってよ。ちゃんと疑心は忘れず読むからさ、自信もって語ってくれた方が、それに応えて「そうか」とか「でもそうかなぁ」とか僕も応えながら読むわけよ。ま、いたって単純な理由さ(笑)。

 もう一つ。『教育と国家』ではね、教育基本法改正(いわゆる「改悪」?)論の問題を紹介しつつも、しかしそもそも教育基本法や学習指導要領がなくてもいい教育は理想であるにしても、そうした方向に向かうような市民社会の成熟が必要なのです・・・。ってさ。
 でもね、ほんとか? それって聞こえはいいけどさ、たしかにその実現は「理想」ではあるが、なんてコトワリ入れてるけどさ、それに向かう成熟と現実の人間社会にはたいへんな乖離があるんだよ。
 あのね、人間は愚かなんです。たしかに進歩とか成熟とかに向かって努力したりはするけど、その過程でも大きな過ちを犯すし、とにかくね、愚かなんです、分かるじゃん、最近の日本の総選挙 みたってさ、今の日本「国民」の多くがバカに見えたりするじゃん。「国民主義」は批判できるけど、実際に「国民」やってるのはまぁ人間だしさ。
 人間は愚かなわけ。何か程よいタガは必要なんだ、社会には。タガを無くす方向のタガ、と言えば聞こえはいいが、それだけじゃ空論なんだ。どんなタガにしておくかってのが現実の問題なのさ。

 教育は器があって、教える人間がいて、教わる人間・子供たちがいる。教え教えられって側面はあるよ。あるけれど、現実に学校教育というものが社会の教育の中心に「いま」なってるわけ。突然飛躍して考えるわけにはいかない。今の「学習指導要領」はロクでもないことが多く書かれてるんだろうけど(よく確かめてるわけじゃないけどさ、笑)、でも何らかの要領がないとやってけないのが人間だ。人間は愚かさを少なくしていくことはできるし、当然その努力もできる。ただ、どこまでいっても愚かさは残るんだ。そう考えるのが今を生きてるものの真っ当なアティチュードだろ。
 安吾が書いた 『堕落論』 には、まぁおおよそ(笑)そういうことが書かれてる。いまも有効。この先も有効。ずっと有効かも。

 『教育と国家』が扱った「教育」の問題はすぐれて現実の問題。現実に学校教育がある。高橋哲哉先生の子供のように、僕の子供は学校に通って世間が「教育」と呼ぶものを受けてる(僕らが子供を公立学校に行かせてるのと違って高橋先生は子供を私立学校に行かせたのかもしれないけど、まぁそれは部分的な問題です、もちろん、事実は知らないけどさ、笑)。
 学校という器、ハコモノがあって、そこに教師という生身の人間がいて、生徒・児童という生身の人間がいて、そこに現実の「教育」がある。「教育」は幻想じゃなくて、好き嫌いにかかわらず生身の人間が当事者になってる。人間はけっこう愚かなんだ。なんの要領も律するものも(それを法律と呼ぶ)もなければ、生身の人間のなかには、とんでもないことを教えるやつだって、あるいは何にも教えないやつだって出てくるぜ。僕は大事な息子をそんなところに行かせられねぇなぁ。

 『靖国問題』が扱ってるのは 「靖国神社」 の問題。これはけっこう、現実だけじゃないんだ。幻想の世界、感情の世界、エモーショナルな世界だ。押さえておかなくちゃならない現実もたっぷりあるが、生身の人間が情念や幻想にとりつかれてしまう装置になっていることが問題の中心にあるものの一つさ。それもかなり手ごわい一つ。
 「靖国神社」の歴史的経緯は紙に書かれたものを暗記して覚えられるけど、この仮想装置に関わったり関わらされたりした人達には激しい情念の対象として「靖国神社」が存在している。・・・というのは高橋哲哉が『靖国問題』の冒頭から触れている。それで、この本は彼の思考の対象として、深く切り込んでいける対象にもなっている。

  ・・・そういうわけで、語り下ろしの『教育と国家』は何だかつまらなかったんだけど、どうやら自信もって語ってくれる『靖国問題』は読み応えありそうなのです。かな?

 今日、行った耳鼻科で、待ち時間に捲った「サンデー毎日」(だったかな?)かなんかに、井ノ口金一郎さんの活動が紹介されていた。日本軍の兵士として極限を体験した人達が、高齢となり、多くの人が亡くなり、語り継げる人が少なくなってきた中で、戦地に行き、行かされた経験を持つ立場から、自らの悲惨な経験や日本軍のアジア諸国での残忍な行為、そして日本軍や日本政府の責任を語る活動。
 それで、僕のこのサイトの「リンク」集
OTHERS のカテゴリー「平和・戦争」に 「戦場体験放映保存の会」 を追加して、それから、「戦争を語り継ごう ―リンク集―」 も加えた。

 戦後、旧左翼も新左翼も「市民運動」も、アジアにおける日本の加害を掘り起こすことには、いつの頃からか力を入れるようになっていた。だけど、僕ら日本人は、戦地に行って辛酸を舐めた、いや、そんな表現では言い表せない極限を体験したであろう元日本兵の人達から、語っていただこうとすることをサボってきたと思う。元日本軍兵士にとっても自ら語りたいものではない体験に違いないだろうけど、僕ら日本人は、とりわけ日本の戦争の問題に正面から取り組んだつもりのいわゆる左の人の多くは、日本が侵略した国の被害を掘り起こしても(被侵略国の人が受けた極限の体験を加害国国民・市民が掘り起こす活動が重要かつ貴重であることは言うまでもないことです)、日本軍兵士だった人達とコミュニケートしようという努力をしていなかったと思う。というか自らの社会にいる生身の当事者に話しかけようとしなかった。

 僕は、そういう意味で、高橋哲哉も含めて日本の左右を言うなら左側知識人や「市民運動」が批判した加藤典洋の『敗戦後論』に共感したわけ。それは今も変わらない。あれに「国民国家」「国民主義」批判の視点から斬り込んでいた左側の多くは、実は一周遅れて回っているように思う。現実から乖離してはダメなんだ。

 井ノ口金一郎さん達、元日本兵は、日本兵士、日本人が体験した悲惨だけでなく、日本軍の、日本兵の加害・残虐を語り、日本の軍隊、日本の国家の責任を問いかけている。


05年 9月25日(日)   父の喜寿の祝いに

 親父の喜寿がもうすぐです。っつーか、明日。
 お祝いに、コロムビアミュージックエンタテインメントの『名唱 懐かしの歌声』という3枚組CDを注文しました。アマゾンは便利。僕の田舎の、親父とお袋の家に届けます。

 親父は戦後の「のど自慢荒らし」。「荒らし」というとまさに語弊があるけど、沢山ののど自慢に出て、未だラジオだけだった頃の「NHKのど自慢」にも出場、もちろんキンコンカンコンとぜんぶ鐘を鳴らしました。残念ながら、当時は一等賞を決めるということはしてなかった。決めてたら、親父だろう(笑)。僕の親父ののどは今ももちろんのこと衰えず、歌謡大会などによばれて歌ったりしています。

 親父の好きな「イヨマンテの夜」や「白い花の咲く頃」も入ってる、昭和のキラ星の歌手の歌謡集だ。きっと気に入ってくれます