04年 2月17日〜2月22日

最近の子供はどうか分らないけど、今の大人の多くはガキの頃に日記を何日か書いた経験があるのでは?
斯く言う私もその一人、当然この日記も不定期です。 (2001年8月19日、記)


04年 2月17日(火)   僕は透明人間ではない

 僕は透明人間ではないが、ガラスが透明だった。

 今朝、職場の喫茶コーナーでコーヒー飲みながらタバコ吹かしてた(今どきタバコを吸うのは化石であること重々承知しております)。テレビを見てた。民主党の河村たかしオヤジが音頭取って出そうとしてる議員年金法案の話をテレ朝でやってた。始業前ギリギリになった。立ち上がった。急いだ。
 始業前の時間帯はロビーとの間のガラス戸が閉まっていることが多い。僕は自分で開けて入っていた。ガラスは透明だ。
 とにかく急いだ。ぶつかった。一瞬 get stoned ! 一瞬、前後不覚の石になった。メガネが落ちた。レンズが外れた。ガラス戸は閉まっていた。

 左眼の脇にバンドエイドをした。メガネは縁なし、フレーム買い直しかも。とりあえず仕事始めようと思った。しかし見えない。少しは見えるがPCやるのは大変。顔をメチャ近づけて、ようやく見えるようになる。これじゃ今日はダメだ。出戻りの貴重な有休もあとわずか、迷ったがこんなに見えないまま仕事をトロトロ続けて賃金の対象になるんじゃぁなお申し訳ない。帰るしかないと思った。女性マネージャーがにっこり笑って、「今日はそういう運命だったんですよ。」と慰めて(?)くれた。僕は応えた。「いや、この2、3年、こういう運命なんですよ」。そう言って僕は笑った。運命は変わる。そのうち良くなることを願う。しっかりしろってか。
 自分で透明ガラス戸を開けて入った喫茶コーナー。そのまま開いていればぶつかることはなかったのに、誰か閉めたのか。そんなこと思っていたが、今思うと、律儀な僕が、開けた後すぐに閉めただけのような気がする。アホらし。
 帰った。さんざんだった。なさけない。しかし、よく見えない。線路に落ちなくて良かった。何言ってる。おぼろげな視界でも落ちるわけないぞ。感覚っつーものがある。絶対に落ちない。

 自分の街に戻った。そのメガネは2年近く前に買った。なさけない今だが、なさけないストーリーのラインを遡る。その時は思いもしなかった失敗転石でクルマ通勤になるので、メガネ付き視力が落ちてきていてずいぶん長い間買い換えてなかったメガネを買おうと思った。自分の街で買った。
 駅前からバスに乗った。その店に行った。これ、直りますかね、と訊いてみた。やさしそうなおねえさんが、「大丈夫です、フレームの紐が切れただけです、直ります。」とやさしく答えた。10分かかると聞いて、その店をあとにした。引換券のような紙をくれたが、サービスと書いてあった。タダだろうか。
 同じ建物の中にある本屋に行った。音楽雑誌でも立ち読みしようかと思ったが、よく見えない。なんたらコーナーの文字がぼやける。ようやくみつけた。じーっと眺めているとクラプトンが表紙の雑誌があった。手にしたら、クラプトンの文字と共にニール・ヤングの名も大書してあった。 SWITCH という雑誌の SPECIAL ISSUE だった。立ち読みも大変だ。メチャ近づけないと読めないのだ。立ったまま、雑誌を両手でつかんで眼の前に持ってきて、顔に思いきり近づける。とばし読みする。藤原新也の名も、久しぶりに見た。東京漂流。僕はもう東京から帰って、未だ昼飯前だというのに、本屋で立ち読みしてる。買うことにした。メガネはたぶんサービスだ。いいじゃないか。クラプトンだ、ニール・ヤングだ。
 メガネを受け取りに行った。やっぱりサービスだった。金がけっこうかかると思ってた。ありがたい。歩いて家に帰った。

 家でメールを受信すると、密林のある場所から連絡が来ていた。トム・ペティの音楽が送られてくる。注文の品だ。しごとが早いぞ。トム・ペティの attitude を聴くと多少の元気が出ることを望む。聴かないより気分はマシに違いない。しばし待とう。じきに届くはずだ


04年 2月17日(火)   東エルサレムとパレスチナ人

 昨日の朝日朝刊から拾う。

 エルサレムは、元々の国連パレスチナ分割案では国際管轄下になるはずだった。建国時の戦争で西側をイスラエルが占領した。1948年からだ。東はヨルダン支配下になった。1967年の第3次中東戦争(6日戦争)で、イスラエルが東側も占領し、併合した。イスラエル政府は、東西合わせたエルサレムを、イスラエルの「不可分の首都」としている。これはサスガのアメリカも承認してないと思う。ま、しかし黙認している。

 フザケタことに、イスラエル政府は、エルサレム併合正当化のために、東側に住んでいたパレスチナ人にもイスラエルの身分証と居住権を与えた。そのうち、人口増と住宅難で、そのパレスチナ人の多くが市街に流出し始めた。郊外に住むようになった彼らは、そこからエルサレムに通勤、通学する。それを、イスラエル政府が建設強行中のヨルダン側西岸地区「隔離壁」が分断し始めた。

 彼らが身分証を持つには、エルサレムに住むか、エルサレムにある職場、学校に通うなどの条件があるのだそうだ。イスラエル側が強制する不当な条件だ。身分証自体が不当だが。通えなくなって失業したり不登校となったりすれば、身分証を失うおそれがある。実際、1990年代後半には、東エルサレムの外側に住むパレスチナ人が次々と身分証を没収される事態も起きたそうだ。「隔離壁」を隔てたイスラエルと逆方向側に住むパレスチナ人の多くが壁の向こうに引っ越そうとしているらしい。しかし壁の向こうでは家賃がハネ上がり、一部を除く貧しいパレスチナ人は引っ越しも困難。彼らはパレスチナ側(占領下)の身分証は持っていないため、壁の向こうが無理でも、こちら側(現在のパレスチナ人居住区側)での進学や転職も容易でないようだ。彼らは追いつめられている。

 ひところまでアフガニスタンを,毎日追いかけたメディアの眼は、今はイラクに引っ越しだ。パレスチナでイスラエル軍にパレスチナ人が殺されてもニュースにならない。いや、国際面のベタ記事にたまに出るときがある。何人殺され、うちナン人がウン歳の少年だった、子供だった・・・。ほんの数行である。忙しい我ら日本人のほとんどには、眼にも留まらないだろう


04年 2月17日(火)   箕輪登「翁」、小池清彦「翁」、小泉君の無知蒙昧を叱る

 タカに見えた人がハトに見えること に書いた、その人のことと、もう一人、やはり保守の立場から信念を公にした、マブシイお二人の「翁」のことを書きます。

 まずは、先週の週刊金曜日の15頁にインタビュー記事が出た箕輪登「翁」。ほとんどその記事から拾いながら書きましょう。
 1924年っていうから大正生まれ、現在79歳。小樽市出身で現在も小樽在住。医師。79歳でも医業やってるんじゃないか、この人。リスペクトします、そのお元気。
 佐藤栄作の秘書を経て、1967年以降、自民党公認で連続8期当選の元国会議員。佐藤派、田中派、竹下派とクルから(権力の)本流中の本流だ。田中角栄内閣の防衛政務次官。鈴木善幸(いたねぇ)内閣で郵政大臣。1990年というから、偶然かなとは思うが、あの湾岸戦争の前年に政界引退。65,6歳ぐらいで引退したことになるから、自民党議員としては早いんじゃないか。昔はタカ、ハトで言えば「タカ」と言われた人らしい。
 件の週金の記事に掲載された翁の写真がまたイイ。この人、確かにタカ、というより、いかにもの右翼、それも真正右翼の翁に見える。威厳を感じるが、それは僕が普通好む種類とは言えない、いかにも右翼のそれである。胸部から上の写真。自分の医院の一室辺りに座って写真を撮らせたように見える写真だが、まぁどこの部屋かはともかく、眼鏡をかけ、背筋を伸ばしたように映っている翁の左背後には、まぎれもない日本国国旗、僕は複雑な気分になる旗だが(こちらも法的に「国歌」になってしまっている「君が代」よりはイイ)、今や法律上は国旗である、その日の丸、日の丸の大きな旗が立て掛けてある。この人、たぶん、いつもそこに日の丸を置いているんだろう。この人が、自衛隊イラク派遣差し止め訴訟の原告、箕輪登「翁」である。

 翁は言う。自衛隊の行動を律するのは何といっても自衛隊法。第 3条に、わが国への直接侵略及び間接侵略に対し防衛に当たるのが「主たる」任務と規定されている。
 翁は言う。自衛隊の「従たる」任務は国内の治安維持(ロック注:実際には災害救援とか札幌雪祭りとかが目立ちます)。イラクに行くのは日本国防衛でも国内治安維持でもない。これは自衛隊法違反であり、憲法違反である。

 翁は、湾岸戦争で(戦後)、自衛隊が掃海艇を派遣したのにも疑問を持ったそうだ。自衛隊法87条が武器保有を規定しているが、それはわが国を防衛するための武器であり、海外に持ち出す武器ではない、と。
 翁が言うには、その後、自衛隊はカンボジアに派遣され、ゴラン高原、東ティモール、徐々にエスカレートし、今度は重装備でイラクに行く、と。
 インタビュアーが、政府の主張する「正当防衛のために」ってのに触れると、翁は言ってる、冗談でない、と。自衛隊法が「正当防衛」論を持ち出すのは89条で、治安出動命令が出た時に警察官職務執行法の規定を準用すると書かれているのだそうだ。つまり、治安出動の際の自己防衛としての正当防衛、想定されている武器はこの場合は警察官同様のピストル。それがピストル以上の火力を使えるようになるのは、自衛隊法76条に規定されている防衛出動命令が出た場合だけで、わが国が武力攻撃を受けて、国会承認を得て総理大臣がその命令を出すことになっている。翁曰く、今回イラクに持っていった無反動砲、これを使ったら「武器使用」どころじゃなくて、「武力行使」。

 箕輪登「翁」は現憲法のことも話しているが、自衛隊設立から50年、一度も戦争のための出兵をしなかったことについては、憲法 9条に感謝すべきだ、と。改憲論もあるが、9条はそっくり残すべきだと思ってるという。ただし、外から武力攻撃を受けた場合の防衛権と自衛隊の設置は認める、その規定を加えてほしい、と。
 翁がハッキリ言ってるのは、血を流さない政治である「外交」によって、血を流す政治である「戦争」は防げるという信念。今回、自衛隊は利用された、とも言ってる。
 さらに言うには、迷彩服の自衛隊より、ドイツ、フランス、中国、ロシアなどに呼びかけて、国際赤十字の下で一緒に自国の旗を掲げるならよかったと。イラクに自衛隊を派遣して、36番目に日の丸を揚げるのが名誉とは思わないと。小泉君は間違ってると。自衛隊は命令で動く、間違った命令は許されない、と。今度のは間違った命令だと、翁は二・二六事件の責で処刑された将校たちの「間違った命令」まで引き合いに出して熱弁を振るった(いや僕は読んだだけなんだが、おそらく熱弁だったんだろうなぁ)。

 小泉君は「人道支援」とか「復興支援」とかカッコいいこと言うが自衛隊法違反、憲法違反。ところが野党の質問者も与党の質問者も、自衛隊法というものを知らない、もう少し勉強してほしい。翁はこう言ってますね。

 ここんとこずっと、サヨクの皆さんより、真正右翼かもしれぬ人、あるいは昔なら「タカ派」と呼ばれたかもしれぬ人、あるいは保守本流の長老的な人たちからの方が、妙にスピリットを感じたりする。一本、筋が通った attitude です。僕は眩しい、まぶしい、マブシイ。
 箕輪「翁」だけではない。後藤田「翁」を見よ(たしか内務省、警察官僚出身でこの人も昔は「タカ派」扱いだった)。野中「翁」を見よ。そして、元・防衛庁教育訓練局長にして現・新潟県加茂市長である小池清彦「翁」を見よ。

 小池「翁」は、昨年7月8日に、宛先に「衆議院議員各位 様」「参議院議員各位 様」「各大臣 様」と連ね、「イラク特措法案を廃案とすることを求める要望書」なる文書を公にしている。さらに、同年10月22日には、宛先に「内閣総理大臣様」「内閣官房長官様」「防衛庁長官様」「外務大臣様」と連ね、「自衛隊のイラク派遣を行わないことを求める要望書」なる文書を公にしている。この内容がハンパじゃない。凄過ぎて全文紹介したいくらいで、一部載せるのは難しい。論理も信念も情念も、さよくの僕が敢えて(?)使えば、強烈なる「愛国心」も込められている。  後者、「自衛隊のイラク派遣を行わないことを求める要望書」の末文は、これである。

 敷島の 大和心を人問はば イラク派兵はせじと答へよ

 本居宣長の「敷島の 大和心を人とはば 朝日に匂う山桜花」が元歌、元ネタですね。軍国日本では、皇国日本のため、桜のように潔く散れ、それが大和魂、武士道ぞと利用された歌です。ネットで引っ掛けた右翼サイトには、「フィリピンのレイテ湾での戦い」で、「昭和19年10月」に「最初の神風特別攻撃隊」が編成された際、その4つの部隊が隊名をそれぞれ、「敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊と名付けられた」とある。おそらくは、これは本居宣長の本意ではない。知らない。知らないが、江戸時代を生きた本居宣長の本意は違う、そう僕は勝手に想像するだけだ。しかし、いずれにしても、この歌は戦時中にそのように使われた。それを知る時、小池清彦「翁」の、「敷島の 大和心を人問はば イラク派兵はせじと答へよ」の一文には、戦前を生き、今、信念を貫く「翁」の強烈なメッセージ、attitude を感じるのである。この情念の文で2度目の要望書が締め括られているわけだが、両要望書とも、読んでみれば、情念だけでなく、見事に論理が貫かれてもいる。論理と倫理が貫かれている。警世の要望書である。

 というわけで、自称「さよく」の転石男である僕は、近頃、保守や右翼の人の一部の attitude や action に、妙に、強く、心打たれたりしているのである


04年 2月18日(水)   小池清彦「翁」のロック・スピリットあふるる檄文

 昨日の日記のここから小池清彦「翁」の紹介をしたんだが、早くも全国1,000万人の当サイト読者のうち熱烈なる読者から問合せが殺到した。こ、この1日で、早くも350人である(おいおい・・・)。

 要するに、その要望書を読みたいがどこにあるのか、そんな問合せを受けた(ような気がしている)のである。小池「翁」の要望書はいろいろなサイトに掲載されたり紹介されたりしているようなので、自分でも調べてみてほしいが、皆さん忙しいだろう。見やすそうなものをみつけたので、下に紹介しておく。

 イラク特措法案を廃案とすることを求める要望書
 自衛隊のイラク派遣を行わないことを求める要望書

 上記はナンタラ国民連合ってとこのサイトに掲載されているものだが、僕はこのナンタラ国民連合はどういう団体か知らない。ネット検索して引っ掛けたまでで、いい団体かツマラン団体か僕は知らないので、とりあえず気にしないでほしい。僕はとりあえず気にしていない。ただ、ここのが見やすかったのである。小池清彦「翁」はそこらじゅうに紹介されている。
 当サイトの読者は僕と違って(笑)、狭量ではないと思うが、そもそも小池清彦「翁」は、防衛庁出身の人だが、ウェブ上を歩いてみれば分かるが、自衛隊イラク派遣反対のためなら、もうそこいらじゅうに顔(や声や文)を出すのを厭わないようなのである。何たってあの(笑?)「日本労働党」のサイトでも堂々とインタビュー受けてるくらいだから、日本共産党の取材だってチョチョイのチョイである。

 僕は小池清彦「翁」なんて書いてしまったが、1937年生まれ(新潟県加茂市)というから、未だ66,7歳ってわけで、「翁」と呼ぶには若くて失礼だったかも。元号で言えば昭和12年生まれだな。敗戦時8歳ぐらいだ。東大法学部卒(す、すまん、学歴なんてどーでもイイはずだった)。1960年防衛庁入庁。英国王立国防大学へ留学。防衛庁・長官官房防衛審議官、防衛研究所長、教育訓練局長など歴任。1992年退官。1995年加茂市長に当選し現在3期目。新潟県市長会副会長。・・・こういうキャリアの人のようです。

 いや、もちろん、どういうキャリアであれ、その人の attitude ( と action )が重要なんだろうが、こういうキャリアの人が、ああいう要望書を公にしたことにも興味が湧くもので。この人は、宛名の各位にこれを送り、かつ公にしています。っていうかさ、この人が現在市長をやってる新潟県加茂市の公式ホームページを訪ねてみてほしい。この市の公式サイトのトップ・ページから、この二つの要望書や、最初の要望書を全国のいろんな人に送った時の前説などのPDFファイルに、リンクが貼られてるよ。うぁおっ! 加茂市民のうちの対米追従支持とかイラク派兵支持の人なんかはタマランかな。ざまみぃ!?

 後の要望書の末文が、
 敷島の 大和心を人問はば イラク派兵はせじと答へよ
 です。

 僕、しつこいすか。大和心(ヤマト・スピリット)も、案外ロック・スピリットに通ずるところありだろうか。なんて言ったら右翼の人に怒られますか。

 このあいだの日曜に密林のある場所に注文したトム・ペティさんのCD、昨日の火曜に「発送しました」ってメール受信して、今日もう届きました。レスポンスの早さ(速さ)に感謝です。トム・ペティさん曰く、「ロックは attitude が大事なんだぜ」、なんですが、コレも何回も書いてますね、僕。しつこいっすね。

 小池清彦さんの要望書の掲載サイトの例とか、そのPDFファイルのある加茂市のサイトを紹介しましたが、いつ頃まで掲載されてるのかは分かりません。僕は保存版として自分のPCに要望書二つダウンロードしちまいました。こういうのが、いつの日か、戦没学生の手記「きけわだつみのこえ」が戦後に読まれたが如く読まれるようになってはいけません。そいつぁ、ぜったい、いけません。そうはならんようにしましょうぞ。そう僕は想うのであります


04年 2月19日(木)   国際赤十字のイスラエル非難は当然

 赤十字国際委員会(ICRC)はジュネーブ時間の昨日、イスラエルが建設を強行しているパレスチナ占領地・ヨルダン川西岸地区「分離壁」について、国際法違反の行為だとして、重大な懸念を表明した。要旨を報道から拾うと・・・。

 占領地内の「分離壁」は境界線と「壁」の間の地域に居住していた、そして居住している、パレスチナ人の生活と権利を侵害している。
 「壁」建設で、パレスチナ人の農地や建物が、破壊されたり接収されたりしている。
 こうした行為は、「国際法が占領当局に認めた措置」、つまりですね、占領時の占領当局に対して、国際法が(やむを得ず)許容する措置「の範囲をはるかに逸脱している」。

 ICRCはこういう声明を出したとのこと。戦時救護が主務で通常「中立」を旨とするICRCが、紛争関係にある一方を批判するのは異例のようだ。たまらず糾弾、って感じだろうか。

 イスラエルは、この 隔離壁 問題を含め、国連などからも頻繁に非難・糾弾されてる。なのに、なんでこんな野蛮な行為を続けられるのか。これを可能にしているのは何? それはもう言わずもがな、イスラエルが建国以来、継続的に、要するに絶えることなく、受け続けている、今や世界唯一のスーパー・パワーであるアメリカからの、超巨大な軍事援助と経済援助。

 イスラエルが中東随一の大量破壊兵器(WMD)保有国であるのは、当事国自身が否定もできない世界の常識。こいつを、WMD保有をデッチ上げてイラク攻撃したアメリカが強力にサポートしているという、いやはや何ともなダブル・スタンダード。なんで?
 アメリカ国内のユダヤ資本を背景にしたユダヤ・ロビーが原因? だから、イスラエル非難したらアメリカ大統領になれない? そればっか言ったら、なんか低レベルの人種偏見的「ユダヤ陰謀説」に陥りかねないよねぇ。WASPを主流とするアメリカのエスタブリッシュメントは、中東の石油をコントロールするためにはアラブ産油国とイスラエルの紛争が永続するのが望ましいと考えている? 何だかよー分からんけどね。要するにカネ、なのかって気もするんだ。オイルはカネです。ネオコンとほとんど人脈が重なりそうなキリスト教原理主義者(クリスチャンと呼ぶのは間違いでファナティックと呼ぶべき)は、イスラエル人に異教徒から聖地を守らせ、しかしハルマゲドンの時は彼らも滅ぶなんて言ってイスラエルを支援してるって説もある。
 何にしても、少なくとも現ブッシュ政権は詐欺者集団であります。これは確実。


04年 2月20日(金)   陸、海、空自の揃い踏み、嗚呼

 イラク派兵の陸自が使う物資や装備を積んだ海自の大型輸送艦「おおすみ」と、護衛艦「むらさめ」が、今朝、室蘭港を出港した。乗員はそれぞれ、約150人と約180人。これで日本国、陸海空3軍の海外派兵揃い踏み。

 今回の時系列順は空、陸、海の順だけど、自衛隊海外派遣の第1号は海自だったんですね。あれは忘れもしない、いや、思い出しはするが国民はよく忘れる、僕もちょくちょく忘れる、いや俺は憶えてるって豪語する人だって正直言えば時々忘れてしまうんでしょ、傷を受けたり肉親を亡くしたりの人なら忘れませんが、あの湾岸戦争(1991年1月)、その戦後の掃海艇派遣です(1991年4月26日〜10月30日の約半年間)。あの時、海自の掃海艇はペルシャ湾に派遣され、機雷処理に当りました。

 その後、日本はPKO等協力法(1992年6月)、たしかそのうち日米(新)ガイドライン(正式名称「日米防衛協力のための指針」の新版?)とか何とかが話題になって、周辺事態法(1999年5月)(今回のイラクはどの辺?)、2001年9月11日の翌月成立したテロ対策特措法(2001年10月)、2003年3月アメリカのイラク侵略から占領へ、日本じゃ有事関連3法も成立(2003年6月)(3法全部言える? 僕は調べないとちゃんと言えない)、イラク復興支援特措法(2003年7月)(米帝イラク侵略占領後方支援法)、そいつに基づくイラク派兵閣議決定(2003年12月 9日)、その後は命令とかクウジリクジカイジ衆院承認参院承認の諸々は僕の日記の雑感索引でも見てね。

 明日はリクジの主力部隊が出発とか(そう言や先遣隊の後このあいだ行ったのは施設部隊)。

 はて、なんで僕はこんなに記録したがるのか。これが ―― わたしの趣味なのだ。 ―― いい趣味でも、わるい趣味でもない。わたしの趣味なのだ。わたしはもはやそれを恥じもしないし、隠しもしない。 とまぁ、こうツァラトゥストラは言ってるんですが、僕はそんなヤヤコシイ名前の人ではないっす。それに名前も名乗ってないし「隠し」もあります。いやつまり、全部のファクトやエモーションなんて当然書き切れませんが、書く気もありません、精神もたんですから。ついツァラトゥストラなんて著名人(著作権はニーチェかね、笑)持ち出す辺り、僕はインディペンデントじゃないっすか。ひゃっ、米帝や英帝(それは昔の話)由来のカタカナ言葉使っちまった。僕はHTM語では名前をロックと言いまして、これもそうです。いや、しっかし、ロックは最早ユニヴァーサルな言葉なんだ。ユ、ユニヴァーサル・・・ふぇー、フ、フヘン、普遍と言いましょう。ちょっと頭痛気味です。さっきまでかなり痛かった。良くなれ! 今日はこれにて


04年 2月21日(土)   I WON'T BACK DOWN

 トム・ペティの I WON'T BACK DOWN を訳しました。くぅー、この歌詞は強い。うーん、この気持ち、これがトムさんの attitude でしょうか。強いです。心がけたいものです。土俵際でも踏み留まるってところでしょうか。す、相撲の例えもナンですが。踏み留まって、さて、どこへ向かうか。

 この歌は、2001年9月11日の後のアメリカのテレビ局のトリビュート音楽番組 にトム・ペティがハートブレイカーズと共に出演した時、彼らが演奏し、歌った歌。オリジナルは 1989年発表のトム・ペティのソロ・アルバム、FULL MOON FEVER に収録ってことですが、僕はついこの間、密林のある場所に注文して購入した、2000年にリリースされた ANTHOLOGY through the years というトムとHBの2枚組ベスト盤から聴きながら、勝手な翻訳、意訳作業を行ないました。

 なぁ、俺はこの足で立ってやるよ。炬燵に座って、そう訳していたら、足がシビレテきました。自然が呼び出したので、訳し終わったところで、「この足で立って」やろうとしました。しかし、足がえらくシビレテいたんです。2、3歩歩いたら、ぐらぐらっときて、後退して( did back down )壁に背中をぶつけました。右足をひねってしまいました。湿布を2枚も貼りました。

 そうはいっても、 I WON'T BACK DOWN.
 足がシビレテも、 I WON'T BACK DOWN.
 たまに下がっても、 I WON'T BACK DOWN.
 いや引き下がらないぜ、 I WON'T BACK DOWN.

 FULL MOON FEVER は、元 ELO(懐かしい名!)のジェフ・リンと、ハートブレイカーズのギタリスト、マイク・キャンベルと共に制作したアルバム。今日、訳した曲はトムとジェフの共作で、あのジョージ・ハリスンがアコースティック・ギターとコーラスで参加しています。その後、この3人は、Traveling Wilburys で活動を共にしていったとのことですが、この辺の詳細は僕は知りません。ただ、そう言えば、Concert for George に、トム・ペティとハートブレイカーズ、そしてジェフ・リンが、クラプトンやポール、リンゴなどと一緒に出演していました。あれは、そういうつながりだったんですね。過去につながりつつも、アイ、ウォウント、バック、ダウン! という attitude を心がけましょう


04年 2月21日(土)   イスラエル、国連安保理決議242、338、総会決議、ICJ

 朝刊から拾い書き。関連日記は、最近では これ とか コレ

 イスラエルはその強引な建国と第一次中東戦争から約20年後の 1967年の第三次中東戦争(6日戦争)で東エルサレムとヨルダン川西岸、そしてガザなどを新たに占領したが、これらからのイスラエルの撤退を求めたのが国連安保理決議242(同年、1967年)。
 イスラエルが国連安保理決議242を無視し続けたので、その242の履行を求めるという、決議の上に決議を重ねた決議が国連安保理決議338(1973年)。
 安保理ってことは、アメリカも拒否権発動を控えざるを得なかったんだな、その頃。

 イスラエルは、今も、ヨルダン川西岸とガザを占領し続け、そして東エルサレムは西側に併合したまま、しかもその併合したエルサレムを「首都」だと言ってる。

 イスラエル非難決議は他にも繰り返し、何度もされてるが、国連総会の決議で言えば、最近では、昨年10月に、イスラエルが建設を強行中のヨルダン川西岸地区「分離壁」(隔離壁!)の建設中止を求める決議が採択された。

 その後、国連総会は続けて、昨年12月8日に、国際司法裁判所(ICJ、オランダ・ハーグ)に「分離壁」に対する勧告的意見を求める決議を採択。しかし、採択されたが、これは割れた。アラブ諸国などを始めとする 90ヶ国が賛成、アメリカとイスラエルを含む 8ヶ国が反対、欧州や日本などの 74ヶ国は棄権だったらしい。欧州などは、建設中止は当然ながら賛成するが、ICJに持ち込んで対立を先鋭化させると政治対話再開が反って難しくなるということを懸念したとのこと(しかし既に十分激しく対立してるし、イスラエルの横暴は限ないほどに続いてる!)。日本の理由は知らん。ここでイスラエル側につくわけにはいかんし、欧州も棄権したから棄権したぐらいだろう。

 ICJでの口頭弁論は、今月23日から始まる。イスラエルはこの口頭弁論に不参加、違法判断が出ても黙殺する構え。
 国際人道法のジュネーブ条約は、その第4条で、占領国に対し占領下の文民保護を義務づけている。常識的には、イスラエルが国連総会決議を無視して建設している巨大な「壁」は、国際法違反であるのは明らかだ。ところがどっこい、今回ばかりは、欧州もICJに諮問する決議を棄権したときのように今後の政治対話への影響を避けたいとして、アメリカと共に、ICJが勧告的意見を出すことに否定的な陳述書を出しているらしい。そういうわけで、原則「中立」を旨とする国際赤十字も国際法違反であり重大な懸念を持つとの異例の表明をした「分離壁」だが、この問題、ICJは判断を出さないという可能性もあるようだ。世界は斯くも不公正、不正義になる可能性があるってこと。

 たった今、アサヒ・コムで確認したところによると、イスラエル政府は、建設済みの「分離壁」のごく一部を撤去する方針を固めたようだ。複数のイスラエルメディアが 20日、政府治安筋の情報として報じた。口頭弁論開始日の前日、22日から撤去を始めるらしい。明らかに、ICJの審理に対するデモンストレーションだ。イスラエルは、「壁は撤去可能。将来の国境になるわけでもない」と主張しているのだが、占領地内にあるイスラエル人入植地をイスラエル側に取り込むようにクネクネと曲げて壁を建設し、そもそもその入植地を撤去しようとは、全く、してないイスラエル政府。何を言っても信じられんね。

 元々、ICJの裁定には国際的な権威としての影響力はあるが、法的な拘束力はない。アメリカやイスラエルに制約を与えるような強力な拘束力はないのだ。たとえ、ICJが国際法上の常識的な判断を下しても、イスラエルは建設を強行し続け、アメリカはイスラエルへの巨大な軍事援助、経済援助を止めないだろう、悲しいことに。

 分離壁は隔離壁であり、占領地を巨大なゲットーにするものだ。ワルシャワのユダヤ人ゲットーで絶望的な蜂起に立ち上がった当時のユダヤ人たちの姿は、現代のユダヤ人に統治されるイスラエル占領下で、インティファーダに立ち上がったパレスチナ人たちの姿に重なる。
 インティファーダでのパレスチナ人は石を投げ、イスラエル占領軍は銃の乱射で応えた。ブルドーザーで家を破壊し、農地を破壊し、戦闘ヘリで街を爆撃し、ミサイルを打ち込み、大量殺戮で応えた。

 インティファーダはアラビア語で、英語なら shake off 、つまり、振り払う、振り落とす、払いのける、そういう意味らしい。絶望という名の絶壁に立たされ続けるパレスチナ人は、藁をもつかむ思いで、抑圧者を振り払いたい、振り落としたい、払いのけたいのではないだろうか


04年 2月21日(土)   陸自の主力部隊が出国、テロ警戒レベル「最高」、国連アナン事務総長が入国

 リクジでイラクはサマワに行ってるのは先遣隊と本隊の施設部隊。今日は本隊の主力部隊の第1派がクウェートへ。約150人。派遣部隊の指揮官である番匠幸一郎1佐もこの中。
 昨日、陸自第2師団の隊員116人が旭川駐屯地から東千歳駐屯地へ向かった時は、旭川駐屯地で市民やOBらが 2000本余の日の丸で見送った(約2000人いたってこと?)。新憲法制定などを目指す日本会議の地元支部、日本会議上川(旭川市、会員約120人!)ってのが、師団側に提案したうえで、日の丸の小旗を配ったそうで。(このナンチャラ日本会議って時々目に耳にするけど、何だっけ?)
 今日午前、東千歳駐屯地を約150人で出発した時は、隊員や家族ら約1,500人が見送り。夕方、空自千歳基地での見送り式に出席、政府専用機でクウェートへ。そして現地で訓練後に、陸路、イラク南部のサマワへ。この部隊には警備要員も多く、日本陸自はこれまでのオランダ軍宿営地を離れ、リクジ独自の宿営地に移るらしい。
 来月下旬までに陸自本隊はもう2回分の派遣があり、リクジは最終的に約550人派遣となるらしい。

 ところで、昨日、警察庁は全国の警察本部に対して重要施設の警戒警備をさらに高めるよう通達を出し、今日から人員や警戒回数を増やした。国内警戒度は「最高レベル」ということだが、国内のフンイキ自体に緊張は感じられない。代りに、かどうか、日本のテロ警戒態勢強化「最高レベル」の報道は「オレンジ色レベル」の親分アメリカに伝わり、20日のニューヨーク外国為替市場では、円が急落した。日本は、カネ、だ。

 今日は、午後、国連のアナン事務総長が来日した。22日に川口外相、23日に天皇、それと小泉と会談。天皇とは「会見」って言うらしいけどなぁ。
 日本の対米追従を、国連ラップで包みたいんだね、日本政府は。国連にはおカネも沢山出してるし。

 上に書いた、今日の陸自の見送り式、テレビのニュースで見た。指揮官の番匠1佐は、挨拶で、「50年、100年後の後輩たち、日本人たちから、よくやったと言われる、胸を張れるような仕事をしてきたい」と言った。
 政府、与党、他の国会議員、そして昨年の総選挙で「民意」などというものを示した国民、責任は大きい。後には戻れない。これからの日本と世界の50年、100年は、これからの人々のコミット次第としか、言いようがない。

 僕は、ま、生きていきます。妻と息子、家族と共に。よく生きて、よく世界を生きていく。僕らは勝手に生きるのですが、勝手に、よく世界を生きていく、のであります


04年 2月22日(日)   歌った

 今期2回目のゴスペル・ワークショップ。今日の練習曲は LOOK AT ME 、OH HAPPY DAY 、HE REIGHNS FOREVER 。 LOOK AT ME は前回の復習だったのに、今日は遅刻してしまって、肝腎の復習に参加できなかった。でも後で歌って、結局3曲歌うことはできた。

 我々のクワイアからの数名を含むグループが、2月28日(土)に出発して、LAツアーに行く。教会での1回やアフリカン・アメリカンの多い小学生クワイアとのジョイントなどを含むコンサートをやる予定だそうだ。宿泊はホーム・ステイ。面白そうだね。楽しそうだね。事情が許すなら、僕ら家族3人も行きたいくらい。でも、事情は、許しません。家族の事情、学校休めん、仕事休めん等々ですねん。
 3月9日に帰国予定。言わずもがな、無事の帰国をお待ちします。ロスの道端でトム・ペティさんとばったり会ったら(・・・なわけないか?)、サインをもらってきていただきたい。よろしゅう。ご無理な冗談リクエストでした(笑)。