04年 7月17日〜8月1日

最近の子供はどうか分らないけど、今の大人の多くはガキの頃に日記を何日か書いた経験があるのでは?
斯く言う私もその一人、当然この日記も不定期です。 (2001年8月19日、記)


04年 7月17日(土)   どうやら変らぬが Don't back down

 5月20日から僕の課のメンバーは昨年度より、今年度始めより、人が少ない。
 まぁ正確に言うと、もともと今年度始めで派遣職員が1人減ってた。だから元々少なかった。それが、5月19日に翌5月20日からの正職員の長期休みが決まった。早くよくなってほしいが、仕事のことを言えば、引継ぎもないからイマダわけ分からんことが多い。6月1日から派遣職員が入ったが、それは昨年度末、つまり3月までいた分。長期休みの正職員とは業務も別。イマダ人員の補充はされない。
 僕はこの課に今年度から来ている。ガチョウだ。もうシゴトは回らない。限界はとうにきている。闇雲にやるという意思だけでは仕事はできないし、成果も上がるはずがない。

 8月から補充があるのではなんて説もあった。しかし、どうもないようだ。たくさん人を入れ、いろんな課に配置するがオレのところはないようだ。あーそうかい、よく分かったよ。ということでいかせてもらう。オレは出戻りだが、奴隷にはならない。オレのやり方にはオレのやり方の許容範囲ってものがある。オレはオレ以外にはならない、当然。なりたくもないし、なることなどできない。オレはオレだからね、君らは君らのあってナイような姿勢を貫けばよい。君らがいる限り、君らは変わらないだろう。君らって誰だ? 何だ?

 オレの回りが変わらないってことを聞いて、その後、連休中に作業仕事でもやろうといつもの3倍の重さにしたバッグを持って帰宅し、ビール飲んでメシ食って、ネットサーフィンしてTVぼーっと見てたら3時過ぎてた。何しとんねん? それで今朝は、10時過ぎだったかな前だったかな、暑くて熱くてたまらないので起きた。何しとんねん?

 そもそも原状復帰の補充があったところで、それで本質的に変わるわけではないのだ。
 そう、原状復帰の補充があったところで、それで何かが本質的に変わるのではない。元々方法論のない世界だからね。

 もはや、夏なんです。田舎の白い畦道で埃っぽい風が立ち止る、地べたにペタンとしゃがみこみ奴らがビー玉はじいてる、ギンギンギラギラの太陽なんです、ギンギンギラギラの夏なんです。今日は息子は野球の大会だ。ココ夏トコ夏ドコ夏。おらおら、夏なんだよ。平日はうるさい奴らさ見たくないその面聞きたくないその声ウルサイうるさい奴らの下で働くが、僕はね、タマシイは売らないよ、君らに、しかしタマシイ売らなくても身を粉にして作業仕事したらタマシイも切れる、ってわけでな、身も心もオレのものはオレのものなんだ、当り前だろ、オレはソウルマンなんでね、きゃつらとは違うわけよ彼奴等とは。ま、俺はいずれ更に開いて直るから。開直するよもっと開直。

 非合理・反合理・不合理・不正・横暴とは闘う。
 で、終わらせるものは早く終わらせる。一旦終わりにするものは早く終わりにする。早く片付けよう。どんどん片付けよう。やりかけ続きは遺憾。終わらせる、とにかく終わらせる。

 幸福は人格である。ひとが外套を脱ぎすてるようにいつでも気楽にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である。しかし真の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命と同じように彼自身と一つのものである。この幸福をもって彼はあらゆる困難と闘うのである。幸福を武器として闘う者のみが たおれてもなお幸福である。三木清はこう語った。

 まぁ更に開直しつつ、どーでもいいものはどーでもいいように、できるだけ吐き棄てるように終わらせよう。多少とも意味もあるものは多少とものやり方をしよう。非・不正かつ無意味なものはできる限りギリギリ無意味なようにさっさと終わらせよう。終わらせよう。
 I WON'T BACK DOWN.  トム・ペティが言ってるよ。ロックは attitude が大事なんだ


04年 7月17日(土)   二郎さん神経科

 昨日の朝、妻に行ってもらった。ヤクもらったよ。ツイカンバンビョー院にも行ってもらったよ。メチコバールもらったよ。こっちは4週間分くれるんだ。相変わらず手が痺れるし上腕が痛いし首も痛いんでね。
 妻に行ってもらうと、二郎さん神経科からは「次はご本人が」って必ず言われるんだが、昨日はどうだったかね。どうもな、時間ないしな、何とか次も妻に行ってもらってヤクもらっときたいね。たのむよ二郎さん。


04年 7月17日(土)   このあいだの参院選挙

 先週日曜。入れるなら民主共産紋次郎ぐらいしなねぇかと思ったが、結局民主党。まぁまぁ勝ったようだけど、はて、これからどうなんだろうね。民主党には衆議院にキの付く 西村真悟 がいるからね。コイツを片付けてほしいもんだな民主党には。コイツがまた次の衆院選挙にも出てアホな有権者の審判でまた当選して政治家したりしてもそれ自体はコイツの勝手だが、民主党はこんな奴をナカマとするのかね。ナカマって同志でなきゃダメだろうよ。

 何日か前の新聞に、学者さんが、有権者は何も選ばなかった、何故ならもう一つの選択肢が用意されていないからだと書いていたが、そんなものがないのも有権者ってやつのせいなんだよ。有権者ってやつが長い年月かけて用意するのさ、そういうもんは。誰かが舞い降りてきて用意してくれるんではないんだ。政治の世界は民度そのままだ。レベルが直ぐ分かるしラベルは直ぐ剥がれる。民度民度民度民度。民は大方、あくせく仕事か作業仕事してメシ食ってるんだが、だけどやっぱり民が作らなきゃどうにも選択肢は生まれない。未だ未だ、これからでしょう。あきらめればオワリ。未だ未だこれからでしょう。


04年 7月18日(日)   歯に力が入る

 2、3ヶ月前から気づいている。夜中に寝床でふと気づく時がある。歯に力が入っている。ぐっと歯を噛み締めている。普通何か重たいものでも持ち上げようと全身に力を込めるとき歯を噛み締めているだろう。あんな感じだな。眠れてるはずがない。寝床に横になって眠れるってことは、身体を弛緩させているはずだろう。歯なんかに力が入っているってことは、弛緩の反対だ。
 近頃は起きている間、昼間でも、歯に力が入っていることに気づく時があるけどな。歯に力が入ってることを意識する、自分で気づく認識するってヘンだぜ、ヘン。なんか結局そのせいか歯が弱くもなっているような気がするけどな。そして相変わらず手が痺れる上腕が痛い肩が思いきり痛い。

 今日起きたのは朝10時。サンプロを観た。民主党岡田、日産ゴーン、自民農村・土建組織選挙の衰退など。
 ゴーンの話はシンプルだが面白かった。日産の経営に取り組み始めた時の大きな問題は、(経営の)透明性がなかったこと、長期的なビジョンがなかったこと、利益を気にしていなかったこと(つまりシェアは気にしてもコスト意識がない)。
 透明性がないと問題の在り処が分からない。問題を明らかにしないと、社員に共有されない。それはつまり、問題を解決する機会を失うということ。透明性の確保はきわめて重要であるということ。
 長期的なビジョンがないと、方向が一つにならない。みんながバラバラな個別のビジョンを持つ。
 社員のモチベーションは、経営の透明性や問題・課題の共有、長期的ビジョンの共有によって育まれる。そうっすね。どうしたら、カイシャの経営はそうなりますか。人が変わる以外に方法がありますか。

 世間のリーマンの多くは3連休らしい。僕も一応はそうだ。そうだが、作業仕事でもやるしかないと、金曜にバッグを大きくして帰って来た。息子は昨日も今日も暑い夏の日の野球の大会。昨日はライト前ヒットやバント成功の話を聞いた。昨日も今日も僕は日が昇りきってから身体を起こし、家にいて、昼飯だけ外に買いに行ったりしてる。作業にはなかなか手をつける気がしない。しないが、少しは、あるいはたくさん? 分からねぇな、とにかく手を付けはする。休日だというのに。息子は野球の大会だというのに。
 全くマトモじゃない。
 僕は出戻り。
 前の時期は、職場の何もかもが嫌で嫌でたまらなかった。嫌だ反対だ口に出す文書に書く他人に働きかける他人と話し合う嫌だ反対だコレでいいはずがないずっとソレをしているのが本当に嫌になった。このまま暮らすのか。バカな、職場は暮らしの一部でしかないのにソレだけで生活を変えようとするのかバカなことだったのかもしれぬ。
 今は嫌だ反対だ前のようには言わないしシカシ前と質は違うし質が落ちたとは思わないが方法が違うココでは何より量が違うダカラ発散はできないタマル溜まるシカシ前の自分と比べると本音はともかく外観外見眼にに見える行動言動は卑屈になっているんじゃないか自分は中身は同じだよ本質は変わらないよしかし前より卑屈だって自覚を感じるな。そして更に、前よりどーにもならんって気が強い。実際前よりずっとどうにもならん。前ならとっくに辞めている。しかしとりあえず辞めない。前のほうが比較すれば計量すれば今よりはずっとどうにもならん度はつまり今よりは低かった今よりは楽だったソレでも何かやりたくてではなくてずっとコレを続けるのが嫌で辞めたバカらしい比較すればずっとどうにもならん度が深刻な今は辞めないで過ごしているのに。今はいよいよどうにもならん俺は勝手かソウだ俺は勝手なのだ。今はしかし流石にさっさとなんか辞められない。辞められないだけだ流石に簡単に辞められまい流石に転石だ。ますます追い詰められる。どうにもならん気がしてくる。気だけなら未だマシだ俺は精神は絶対に大丈夫だ二郎さん神経科には世話になってるがね。だけどそうこうしてるうちに生活は破壊されかねない身体も破壊されかねない精神を持たせることはできると思うよ僕は極度の非合理や不正や横暴と闘いながら。だけど身体はどうだろうか。実際、生活はどうなんだ。食える食えないでなく、子供と話ができているか。土曜や日曜は子供の野球を応援に行ってるのか。

 転石失敗の後の時期には食う食えない家族の将来、自分の至らなさそんなことばかり考えていたはずじゃないか食う食えない・・・。少なくとも今は食うのはOK、だけど家族と話す時間がない帰宅すれば息子は寝てるし土日は疲労困憊ヘタしたらそれでも作業仕事ってわけで息子の野球応援にも行かない土日の夜の晩飯以降の団欒だけがゆっくり共にできる時間。
 食う食えない、食えるが生活が破壊されかねない、こういうこと言う資格は出戻りにはない? そんなこと承知の上ではなかったかキミは尽くさねばならないのだ組織にオイオイ本当か。俺は家族と共にする人生を短期日のうちに考え抜いてとんでもない決断をしてしまって食えても(いつまで?)生活は文字通り食うことだけだ食うことと作業仕事以外にキミの時間はないんだよオイオイ本当か。

 申し訳ねぇ、あっしは勝手に生きさせてもらいやす。このままアノママそのまま続けるわけにはいきません。小6の息子は今しかない。中1の息子は来年度しかない。以降もずっとおんなじさ。なんでも求めるのは我が侭だよキミそうですか何でもですかコレは「何でも」ではありませんコレがないと食う意味があるかってことなんでさ。勝手と言われようが石を投げられようが結局あっしは好きなように生きるでしょう。しゃあんめぇ失うわけにはいかないんだこれは。何言ってんだ俺は何言ってんだか歯が痛くても手が痺れても上腕が痛くても肩が痛くても寝不足でもだけど俺は分かってるよ。 _


04年 7月18日(日)   We are all Palestinian.

 パレスチナ子どものキャンペーンの2004年キャンペーンオリジナルTシャツを注文した。妻のと合せて2枚。
 デザインは、パリ在住のパレスチナ人美術家、タイシール・バトニージーさんのドローイングと We are all Palestinian の文字で構成。タイシール・バトニージーさんは 1966年ガザ生まれ、というから、ガザが第三次中東戦争で東エルサレムを含むヨルダン川西岸と共にイスラエルに占領される前の年の生まれ。1992年にヨルダン川西岸の街ナブルスのナジャフ大学美術科卒業、現在パリ在住ということです。絵画・写真・ビデオ等々さまざまなジャンルで活動するアーティストということ。

 Tシャツの文字 We are all Palestinian の意味は深い。僕らはみんなパレスチナ人だ。私たちはみんなパレスチナ人です。パレスチナ人のメッセージとして。そして僕が受け取ることができるメッセージとして、僕はそれぞれを感じる。僕は分かるような気がしている。僕は、僕らは、パレスチナ人なのだ。パレスチナ人は具体的に存在するパレスチナ人の一人一人であり、また一つのメッセージとして何かを象徴する言葉にもなっている。僕は、その何かが分かるような気がしている


04年 7月25日(日)   意味なきガチョウ疲労困憊

 手が痺れ、上腕が痛い。手の痺れはひどくなってる。今日はこめかみから頭の上にかけて痛い。というかぼーっとする。あーあ、胸も痛い。ひでぇもんだ。土日はぼーっとしてるか仕事に手を出すかだ。量は気分次第だけど、手を出して平日少し早く帰れたほうがいい。ケジメがないな。
 全く平日はたまらない。意味のないガチョウ生活が続いている。一人一人分断分業態勢のなかの一角が体調をくずして休みに入って既に2ヶ月余、しかし結局あっしがガチョウをやってる課はとにかく減ろうが何だろうが、その時現在の現員態勢でやっとれということらしい。仕事の出来映えなんか真の意味で気にしているとは思えない。いや、実際、口はともかく、本当のところ、質なんか何も気にしていないのは間違いないだろう。何もかもエライさんから放置されてるようなもんだ。働いてるもんの健康なんか頭の片隅にもありませんね。口では「倒れないようにやってください」って、それって何も気にしてないことの証左だろ。もう僕は開き直って山積みでも帰っちまうけどね。しかし片付けねぇとどうにもならねぇ。何とかせにゃいかんのです。とにもかくにも終わらせるよ。どうにもこうにも、とにかく終わらせていくしかないんだ。

 「週刊ダイヤモンド」に「3分間ドラッカー」という連載があって、4月以降の昨年度末補助金道路工事の後始末があまりに難儀なことになっていることを聞いた他部署の同僚(他部署でも同じ職場なら同僚でいいんだっけ?)が、4月中旬か下旬ぐらいだったと思うけど、その頃のものだと思うがコピーをくれたことがある。今でも持ってる。僕はこの経営学の巨人の著書は一冊も読んだことがないが(そもそも僕は実は経営学にあまり関心がないのだ、問題かね)、その回のはピーター・ドラッカーの「実践する経営者」という著書を取り上げたものだった。たしか、いつも、ものつくり大学教授の上田って人が解読してる。その解読に曰く、
 成長は、機会を利用することからもたらされる。特に貴重な資源である有能な人材が、昨日の仕事の若干の延命、陳腐化したものの防戦、失敗したもののアリバイづくりに投入されていたのでは、機会を利用することは不可能だ。

 あっしはもちろん「有能な人材」なんかじゃないよ。もう頭も身体も疲れちまったタダの中年オヤジさ。
 しっかし、あっしがガチョウしてる課にはたしかに、若くて「有能な人材」がいるよ。にもかかわらず、まさしく上に引用したドラッカー解読が言うような状況に貴重な時間と労力を投入させられてるよ。で、あっしはと言えば、担当者が体調くずして担当課員ゼロとなった担当業務をやる課員は他におらず、ガチョウのあっしは一応その一人分とガチョウの役と一人二役と相成る。
 しかしココはもともと明らかに足りないと思ってたんだ。そもそも本当に必要なのかなんて長年精査されないままの仕事内容をバッチシ担わされ、その手段が自己目的化したような仕事のやり方がマカリ通ってる状況だ。 Do it anyhow, don't think its objective .... って感じかね。とにもかくにも闇雲にやることが求められる。「まぁ倒れないようにやってください」だの、「倒れればこの部屋から出られます」なんてコトバがエライさんの口から出てくる異常なオ仕事部屋。異常だよね。これが異常でなくて何なのかね。実際に過去に身体わるくしたり、わるくしたうえに辞めたり休んだりって人は何人もいる部屋。
 あっしはもちろん一人二役なんてできない。残る課のメンバーも個人商店的分業態勢だから、ガチョウとしては個別にマネジメントしなくてはならない。戦略なんかマトモに考えられもせず無理矢理編成されたような課なんだ。オレはマトモに納得できる説明聞いたことないよ。もう体力もないが、そもそも絶対的に時間が足りず、いやしかし、足りたとしても体力も脳のスタミナも精神の根気ももたない。ココでは兵隊か歯車みたいなもんだよ。もうとっくにうんざりしてるけど、ガンバル人はガンバルんだな。ここで一人減ってそのぶんやりながらガチョウなんてとてもできやしないよ。私生活つぶしてもいいし、物事への疑問や批判を押さえ込む、もしくはそんなものが初めからないんなら別かもしれんがね。オレは組織人として能力不足かもしれないが、いや、しかしこんなのが組織と言えるのか。
 一人二役はオレには無理だね。まぁオレは一人分だってやってる気はしないけどね。業務環境をこのままにされて二役させられても、片方が0.4人分、もう片方が0.3人分。どうかね、オレ自身は合わせても0.7人分程度だと思うね。遅くまでやり体調くずし、日曜も仕事したりしながらねぇ。ぜーんぶ中途半端だよ、もう。バカらしい。出戻りだし行き場もないし辞められるもんでもないが、こんな有り様で放置されるんなら、ガチョウなんて辞めさせてもらって、休んでるメンバーの仕事に専念させてもらえばずっとマシになるね。どうせみんなエライさんの印一つで左右されちまうんだからさ。組織における職制というよりも、エライさん「個人」の胸一つで左右されるんだ。ガチョウなんて要らないよ、この環境には。意味がない。俺は給料なんて下げてもらっていいよ。とにかくどこどこ片付けやらせてもらう方がいいわ。まぁ、命令されても、不正だけはできませんけどもね(笑)。そういう話はエライさん、オレには気をつけた方がいいぜ。やらねぇどころか、下手してもしなくてもぶちまけるぞ。

 ・・・ とまぁ、愚痴は限がない。適当にやって適当に片付けなければいつまでも終わらない。片付けろ。終わらせろ。とにかく終われ。そういうことなんだよな。

 今日、パレスチナ子どものキャンペーン から「サラーム」って名の会報が届いたよ。職場で闇雲にガンバル人って、こういうことに関心持ったりしたらどうすんの。っていうか持たないか。
 平日は曜日の感覚が希薄になる。何曜日だったか忘れたが、秋のマントラ のチケットが届いた。ちゃんと席の希望は考慮してくれ、調整もできたようだね。ネットで席位置調べたら希望通りステージ左右に対しては真ん中辺りみたいだ。いいプロモーターやがな。美しい秋を迎えられるよう、せいぜい身体にゃ気をつけねばねぇ。
 今日は例によってこれから仕事に手を出す。息子は昨日も今日も野球。今度の土曜は大きな大会。親父はそのときは設営とか早朝から手伝いにいかなきゃならない。体力温存しとかないといけません。あんまりなくとも、なんとか力はもたせて、ちゃんと親父の役割、果たすときゃ果たさにゃね。いやホント。今週は土曜の力仕事を計算に入れて平日の作業仕事を片付けてかなきゃな


04年 7月25日(日)   ジェイムス・テイラー

 たまりませんなぁ って日々を過ごす毎日だが、土日の夕方は家族と時間を共にできたりする。それは僕の救いだ。僕の救いは僕の幸福だ。
 幸福は人格である。ひとが外套を脱ぎすてるようにいつでも気楽にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である。しかし真の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命と同じように彼自身と一つのものである。この幸福をもって彼はあらゆる困難と闘うのである。幸福を武器として闘う者のみが たおれてもなお幸福である。三木清はこう語った。
 また書いちまった。Over and over again だな。

 昨日は買物にくっついて行き、帰りにCD屋に寄った。何を買うか決めてなかったが、何かCDを買おうと思った。手にするうちに迷ったのは、ジョン・メレンキャンプの前々作カッティング・ヘッズ、ニール・ヤングのずいぶん昔のアフター・ザ・ゴールド・ラッシュ、それとジェイムス・テイラーのたぶん一番最近のオリジナル作、オクトーヴァー・ロード。
 結局、ジェイムス・テイラーのオクトーヴァー・ロードにした。オクトーヴァー・ロードは October Road 、アルバム2曲目の同名曲には、ギターで ライ・クーダーが参加してる。ドラムは全曲スティーヴ・ガッド。

 October Road は 2002年発表作みたいで、グラミーでも何かの部門で受賞したりしたようだけど、僕は全然知らなかった。何しろそういう動きとかフォローしてないし、何かでたまたま知って関心を持って買うかどうかってところ。このアルバムは昨日CD屋で手にして初めて知ったよ。

 ジェイムス・テイラーは昔々キャロル・キングの You've Got A Friend をギター弾き語り調でカヴァーして大ヒットさせ、僕は中学から高校にかけ、よくこの曲をギターで弾いて歌ってた。田舎の家には彼のデビュー・アルバムと One Man Dog があった。それから高校に入るか入る前頃かな、Gorilla ってアルバムを買った記憶がある。僕だったか兄貴だったか。今の自宅には、2枚組セットのライヴ盤のCDがずいぶん前からあるよ。

 October Road には、日本盤向けのボーナス・トラックってやつが2曲入ってて、そのうち1曲が、One Man Dog に収録されてた Don't Let Me Be Lonely Tonight なんだけど、これはジャズ風にアレンジしたやつでオリジナルとはまた雰囲気が違う。どうもジャズ・ミュージシャンのアルバムに参加してこれを歌い、この曲のヴォーカルでもグラミー取ったりしたみたいだな。クラプトンがレプタイルでカヴァーしたこの曲は、たぶんこっちのカヴァーだね。

 奇抜なことは何もやってないし、気負いも感じない曲作りとパフォーマンスのこのアルバム、 October Road 、ジェイムス・テイラーの円熟を感じさせます。歳はもうずいぶん取ったはずだけど、声の艶は若い頃と変わらないようにさえ聴こえる。それでいて幾歳月もの人生の日々を過ごし、ずっと音楽を創り続けてきた人の円熟を十分に感じさせます。落ち着けるな。こんなふうに行けたらなって想うな。成熟とか円熟とか収穫とか、そんな言葉が似合うような気がする。いいアルバムをみつけましたよ。人生の後半に入ってるはずの今の自分の心と耳にすーっと入ってきて、それでいて少年時代も想い出せるような妙な懐かしさも感じられる。いや、気に入りましたね


04年 7月27日(火)   二郎さん早め神経科日誌

 まだ金曜だか土曜までヤクはある。しかしなかなか行けぬ。二郎さんも8月中旬は医院休業。オレは昨日午前さま帰りで疲れてる。で、今日行った。同じ状況。勤務状況も変わらずというか悪化というか、まぁそんな近況を話す。二郎さんによれば、昨年8月だったかな、厚生労働省が、精神的な病についての注意喚起、残業の問題にも絡めてらしいが、通達を出してるらしい。労基署も知ってるはずだと。厚生労働省のホームページにも出てるだろうと。二郎さんの話によれば、官庁にも多く、それでイヤでも問題が意識されて通達だか通知だかの運びとなったそうだ。組織の場合、エライさんの責任は大きいですよ、こういう問題や残業の問題。そう二郎さんは明解に言う。明解だ、明快だ。

 次のサイクルの2週間はオレも二郎さんも夏休みに入る。オレ時間ないし、妻にまた頼もうかな。

 俺は幸福を武器として闘おう。その幸福はオレの生命と同じようにオレ自身と一つのものである。オレが生きる意味があり、オレが生きたいと心底想っていることがオレにはよく分かる。それは、そんな幸福があるからに違いない。 for good and all !


04年 7月27日(火)   Anger, but Smile

 俺の第一の友人の話だ。彼はもう1年以上神経科に通ってる。ま、軽い方だと思うがね。

 彼んとこのエライさんは(なにが偉いのか彼には皆目分からないが)、以前そういう世界で何ヶ月か休んでた人だ。前のことぁその職場の大概が知ってるが、現況はプライベートでしょ。彼は知ってても公言はしねぇ。
 そのエライさんは彼が神経科に今通ってることを知っている。以前話し合ったことがあるからだ、互いのことについて。で、彼の部のなかでは、もう一人のエライさんしかそのことは知らない。どのみち関心はないんだがな。
 前者の方だが、つくづくマウンド江本のベンチなんで彼はよく頭に来ることがある。彼は本気で怒るとそうとうなもんらしいが、怒るのも基本的には空しいし、意見を言う。で、ほんの少し投げ槍な言い方や、ほんの少し声を荒げた言い方で意見を言う時もある。彼は自分の精神状態を自覚すること自体はできているので、意識して抑える時すらある。しかし、常にできるかね。ちょっとこの先までは分からんね。

 今日、そのエライさんとやり取りがあった時、彼がその前に「今日は病院に行くので早めに退勤したい」と言っていたという背景があるかもしれぬが、そいつが彼に「とにかくまぁ、心身をフツーにしてください」と言ったそうだ。彼はむっとしたものの、やり取りを少し続けて止めた。っていうかエライさんの方が席に戻っていかなければ、もうしばらく続いたかもね。分からん。彼は帰りの電車で、妙に腹が立ってきたそうだ。そう言えば、彼はちょっと前に両腕に湿疹がたくさんできて皮膚科に行ったんだが、行った翌日、そのエライさんは「きのう病院に行ったんですよね。どうでしたか。ストレスですか」。こいつ、アホとちゃうか。ストレス性のものかどうかは医者も分からんが(もうほとんど治ったがな湿疹は、ま、彼、その処方ヤクも今飲んでるがね)、ほんまにストレスだったら「ストレスですか」なんてフザケタ面して言われたら余計にストレス溜まるがな。てめぇの能面のような面と声と気持ちわるい言い回しそのものがストレスなんだよ。
 ふざけるんじゃねえよ。 ま、これでも彼は少しは笑ってるけどな。怒りのカタマリになったら、エライさん危ないよ。・・・って伝え聞いて(笑)ネット上で書いてること自体オレもアブナイかい? まぁ、だから彼もオレも笑ってるんだって。

 幸福は人格である。ひとが外套を脱ぎすてるようにいつでも気楽にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である。しかし真の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命と同じように彼自身と一つのものである。この幸福をもって彼はあらゆる困難と闘うのである。幸福を武器として闘う者のみが たおれてもなお幸福である。三木清はこう語った。

 彼もオレもこれに共感するんだがね。人間、怒ったりもする。笑ったりもする。生きとるわけよ。薄気味わるい奴は好かんがのぉ。オレは怒りもするし笑いもするぜ


04年 8月 1日(日)   生活を侵害する作業仕事

 7月28日(水):
 終電。午前1時着。シャワー、飯。午前4時まで家で仕事。
 翌日、朝から1日、しょうもない会議もどきがあったからね。出たくなかったが。
 つまり、電車乗って直ぐからは 7月29(木)に入ってる。

 7月29日(木):
 しょうもなき会合1日。正味2時間程度の睡眠はきつい。
 会合終わってからも残業。22時ごろまでだったかな、よく憶えてない。
 何しろ2時間くらいしか眠ってなかったんだ。どんな仕事ができる? アホくさ。

 7月30日(金):
 流石に転石も起きるのがきつくいつもより1時間遅く寝床から起き、
 フレックスのコアの10時から出勤。日付変わって夜中0時10分まで残業。
 終電は終わっており、2つ手前の駅までの最終に乗車。こいつすら遅れてくれた。
 そういうわけで、午前1時をゆうに回った時刻、妻の迎えの車に乗車。
 遠き我が家まで車を妻が走らし、帰宅後、めし。妻には先に寝てもらった。
 翌日、というか、もう当日なんだが、息子の大一番の野球の大会。
 俺は午前4時に寝床へ。
 正味2時間もなき睡眠の後に、6時過ぎ起床。
 息子の野球大会の応援テントを他の親父さんたちと会場へ運ぶ。
 眠い。身体がきつい。しかし、息子はこれから大事な試合だ。・・・


 全くバカげてる作業仕事。全くバカげてるエライさん。
 俺の第一の友人は、金曜午前は今年度の部目標のレビューってのがあったのだが、上司のおっさん、4月に彼との話し合いであまりに非現実的な目標(単なる作業日程で本来は「目標」なんて呼べないが)なので彼から言われて外したり変えたりしたはずの、つまり変える前のどうにもならんものを役員に配り、「実施できてません」の連発。呆れてモノも言えないとはこういうことだが呆れるのは日常茶飯事、もはや黙ってるわけにはいかないんだと。もっと上のエライさんがいようがいまいが、言わせてもらおうってさ。
 彼は横から口を出し、後半はずいぶんと喋ったってさ。この間の業務環境。全部は話しきれんがねってさ。「目標レビューは目標管理と今後の改善が趣旨と理解しているので、実態に即した説明をさせていただきたいと思います」と言ってから説明したってことさ。まぁ時間の制約もあるし、それに生々しい言い方はしなかったがね、って話。トップを前にして取り繕いの説明をしてもしかたないだろう。バカげた上司の説明は聞いてられんかった、とは俺の第一の友人の弁。アホらし。どうしたらこういうのは何とかなるのかね。法人性統合失調症やバカげたエライさんの問題はどうしたら変わる? ピーター・ドラッカーさんによれば、歴史の外部にいたものが必要っていうが、俺だって彼だって歴史の一部。そして歴史から出、歴史に戻り、歴史と苦闘する。しかし、本当に歴史なんていう大袈裟なものかね、俺の、彼の、眼の前にあるくだらないものは。

ふざけるんじゃねえよ。 ま、これでも彼は少しは笑ってるけどな。あんまり笑ってないか(微笑)。怒りのカタマリになったら、エライさん危ないよ。・・・そうネット上で書いてること自体オレもアブナイかい? まぁ、だから彼もオレも笑ってるんだって。あんまり笑ってないか(微笑)。

 幸福は人格である。ひとが外套を脱ぎすてるようにいつでも気楽にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である。しかし真の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命と同じように彼自身と一つのものである。この幸福をもって彼はあらゆる困難と闘うのである。幸福を武器として闘う者のみが たおれてもなお幸福である。三木清はこう語った。

 彼もオレもこれに共感するんだがね。人間、怒ったりもする。笑ったりもする。生きとるわけよ。薄気味わるい奴は好かんがのぉ。オレは怒りもするし笑いもするぜ。腕が痛い。肩も痛い。パンパンに張ってる。怒りも張ってるぜ。
 ついこの間も書いたばかりじゃがのぉ  


04年 8月 1日(日)   息子の野球の大会

 今日と昨日は、息子の野球の大一番の大会。野球はこれからも続くが、息子たちにとって、これまで頑張って力を付けた成果を出す日。

 僕は昨日、金曜の残業のせいで睡眠2時間足らずとなったまま早起きして応援テント張りへ。そしてそのまま2試合応援。
 2試合ともシャットアウト勝ち。息子は2試合とも7番レフトで先発。1試合目は途中交代。2試合目はレフトオーバーになる可能性のあった相手打者の鋭い当たりを、左翼線に逸れていく打球を追いながらキャッチするいいプレーを見せた。打撃も相手のエラーを誘う2本。安打かエラーか微妙。息子にとってはヒットと思えばよい。暑い中を息子たちは頑張った。どの子も頑張ったと思う。
 疲労困憊かつ極度の睡眠不足の僕は何とか身体をもたせた。そこで倒れたら労災も出んかね(笑)。倒れるなら職場かい? バカらしい。
 片付けも一緒にやり解散。親父連は飲む話もあったが、僕は不参加。もう身体がもたない。

 今日は準決勝と決勝。僕はとても行ける体力を残していない。大事な息子の大会の更なる大一番に応援にも手伝いにも行けぬ親父。
 作業仕事は僕の生活をひどく蝕んでいる。僕は怒髪天をついている。

 さっき妻の携帯に電話を入れた。準決勝で負けたそうだ。息子は途中交代。守備でうまくいかぬところもあったようだが、フォアボールを選び、得点に結びつき、ランニングは「ナイス・ラン」と褒められたそうだ。
 息子の大一番の大会が一つ終わった。息子のチームは3位。

 僕は家で疲労困憊な身体をいかんともできず怠惰に過ごし、そして持ち帰りの作業仕事をやる日曜日。僕は、絶対に負けない。あまりにバカらしい作業仕事とそれを異常と思わぬ能面ヅラのエライさんに。こんなバカげたことで生活を侵害されてたまるか。出戻りには人権なしなんて「世界人権宣言」もアムネスティも、そんなバカなことは言ってません。僕は生きることの一部として、生きることのために仕事をする。生活を侵害し、蝕むものとしての作業仕事は転倒している。出戻りであれ何であれ、僕には僕の attitude がある。ね、トム・ペティさん。俺にはあるんだ。
 俺はイエス・マンの皆さんのように思考停止したりしないぜ。俺がイエスというものはもっと別のものだ。他人サマの、エライさんの下で、ただ「やります、やります」と思考停止の反応をする類のバカじゃないんだ。俺はもうちょっと違う類の大馬鹿者さ。わるかったな、表裏能面の皆さんよ。
 俺には俺の作法があるんだっての。 俺の作法は形式じゃないよ。ロックなアティチュードってやつでね、俺の生きてる意味はそこにあるわけ。
 笑えるね。生きてくんだからさ。生きていくことには怒りもあれば笑いもあるんでね。

 俺はいい加減にくだらないことどもに鉄槌をくださなくてはならいない。物騒かい? 俺の今、息子の今、妻の今、俺と家族の今は、常に時間の経過と共に昨日になっていく。一つ一つの時々は、機会は、戻ってくるものではない。俺は何が大事なのか分かってる。くだらないものと付き合うのはほどほどでおさらばしなくてはならない。俺は俺の作法を通すだろう。それは出たり戻ったりで消え失せるものじゃない。俺は俺。変わらないものがあってね、たたかうべき時はたたかわせてもらうよ。

 昨日今日、息子たちは暑い日の大会を一所懸命たたかった。
 ・・・今、息子が帰って来た。だいぶ悔しかったようだ。辛そうな顔で帰って来た。お父さんは行かなくて本当に御免な。お父さんも悔しいぞ。だけど息子よ、頑張ってその力でたたかうことはこれからもある。悔しさを忘れないでこれからまた頑張れ。お父さんも絶対に負けない。
 ・・・息子には、今日の悔しい気持ちを忘れるなと伝えた。夕方、息子と久しぶりにキャッチボールをやった