03年10月 5日〜10月18日

最近の子供はどうか分らないけど、今の大人の多くはガキの頃に日記を何日か書いた経験があるのでは?
斯く言う私もその一人、当然この日記も不定期です。 (2001年8月19日、記)

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03年10月 5日(日)   息子の野球応援!

 本日の1本目。

 今日はがんばって外出。息子の野球の応援です。夫婦揃って、ちょこっと都合つけられて行って来ました。

 市内のリーグ戦の大事な公式戦。息子のチームの会場は今日は息子の通う学校のグラウンド。3試合あって息子のチームは1試合目と3試合目。1試合目を応援しました。試合は勝ち。控えの出番はありませんでした。

 本人によれば、次の試合(その会場の3試合目)も勝ち。息子は、最終回に代打で出てピッチャーゴロ、裏の守備はレフト。その後、3試合目の相手チームと練習試合。息子のチームは6年生と5年生の常時レギュラーを外して臨み、息子は3番レフト。1打席目はレフト前に見事な(親バカ! 「見事な」は見てない俺が付けた修飾句、厳密に言うと「父」親バカ!)ヒット、そんで盗塁と相手ピッチャーの2回のワイルドピッチでホームに一人で生還して先取点! 2打席目はフォアボール。3打席目はピッチャーゴロ、4打席目は三振。っつーわけで4打席3打数1安打、3割3分3厘。イチローの今シーズンの打率より上だぞ(笑)。・・・ 試合は負けたそうで。また、次、がんばりやしょう。

 今日はゴスペル・ワークショップの日なんだけど、その前に余った(?)時間使って、そのちょこっとした間に、近くのコンビニで、再来週の ヨハン・シュトラウス・オーケストラ 日本公演のチケット3人分をチケぴ予約。
 ヨハン・シュトラウスと言えば(もう生きてないよ)、映画 2001: A SPACE ODYSSEY でも使われた「美しく青きドナウ」などワルツが有名のようですが、その偉大な作曲家の名を冠したオーケストラは、シュトラウスの曲だけでなくて、イン・ザ・ムードとかブギっぽいのも演るし、ダンスありコーラスありで楽しそうです。ブライアンセッツアー・オーケストラの来日公演も控えていて、彼らもイン・ザ・ムードは(もっとロックンロールっぽく)やるだろうから、聴き比べも楽しみ。

 ヨハン・シュトラウス・オーケストラ ってのは知らなかったんだけど、昨日たまたまTVでコンサートの番組をやっていて(来日公演営業用かな?)、すっげノリ良く音楽楽しんでる感じで、息子も大乗り気。画面に宣伝が出てきて、「行きたいね」。
 いいよ、普段ムダ遣いしてないしさオレ達、即決で行くことにしました。平日なので、何とかその日は残業しないように工夫しておかないと・・・。
 ま、今年は転石(元々収入なんて最低限保証で十分の転石だったんで収入は何にも気にしてなかったんだけどさ)の後の出戻り転石の結果で、結果的に去年より収入増えてるのは感謝しなければなりません。(も一つ)ま、来年減るかもしれんけどさ。わからんもんね、どこの世界も。もう野となれ山となれだよ、カネの方は。いや、みんなで食っていってちゃんと息子の成長を見守ることができるってのが条件だけどね。後は俺を含むみんなの健康です。俺の場合は心身の健康。何とか、これ以上アタマがおかしくならんように、不眠が悪化しませんようにってわけだ。つ、椎間板もあった。腰だ、首だ、手だ、足だ、助けてくれ(笑、泣)。

 ・・・ 今日も想います。ずっと息子と妻とに幸せが続きますように。そして息子はこれからも優しく、それでいてたくましく強く、育っていきますように。僕が共にいて、導いて、一緒に歩んでいけるように。もちろん基本的には先導(?)しなくちゃならんのだけどさ。息子の自主性主体性を守りつつ・・・ってね。子を育て見守ることは大事なんだ。で、大人になったって親子は親子。子は大人になってるけどね。
 とにかくずっとそうしていけるように。そういられるように。そう想うのは、少なくとも僕や僕らには当り前のことです。当り前だな、全く。

 家族は掛け替えのないものです。全ての愛し合う家族に幸いあれ、僕はそう願います。そして、僕が一番愛してるのは、僕自身の家族です。前にも似たようなこと書いてるんだけどさ。ま、いいじゃん、何度書いたって。


03年10月 5日(日)   ゴスペル新曲練習

 本日の2本目。

 今日は今月1回目のブラックゴスペル・ワークショップ。
 今日は練習曲は新曲で Hallelujah Chorus って曲。繰り返しが多いんだけど、微妙なパートの変化が多くて難曲。今日はこの1曲の前半ぐらいを練習して、続きはまた次回。

 ま、とにかく、今後もがんばりやしょう。生きていきましょう。少しでも、時にはほんの少しでも、前を向いてさ。大丈夫、生きていくよ。

 何でもJRのフル・ムーンは夫婦合計が88歳以上ってわけで、再来年の俺の誕生日以降はフル・ムーンらしい、JRのね。ま、どっか行く時に割引されるのは歓迎だけど、全く、自分の人生のハーヴェスト・ムーンも見ないうちにフル・ムーン近しなんてったってなぁ。ま、これからずっといろいろと勝手に(?)生きつつ、睡眠障害さんも椎間板さんも、その他、諸々諸般の事情さんも乗り越えてさ(みんなアルよね、なんか)、いつかずっと先でもハーヴェスト・ムーンは見ますよ。中秋の名月、収穫を迎える月ってんだから、収穫はその後さね。人生、そんなことわからんまま過ぎてくのかもしれんが、まぁ家族みんなが健康で幸せに生きていければそれでいい。そのうえで少し、何がしかは収穫したい気持ちはあるけどさ。何だか、タイトルと離れてきたな、どんどん。タイトルの話はちょっとだけやった。ほな、今日はこれにて。息子を含む将来の世代の平和と happiness と joy を祈願しつつ。俺はこの日本の地で、そんなことのために、時折り(?)微力を尽くしたいのさ。 ・・・ ん? ワケわからん?  俺、正気と本気で書いてるよ、もちろん。当り前じゃん。


03年10月11日(土)   昨日の二郎さん「神経科」日誌

 本日の1本目。

 今日は市内のスミヤに行った。めっちゃ久しぶりにギターマガジン購入。兄貴のちいこい記事と兄貴の自作自演曲がギター販促用にCDで付く話があったんで。立ち読みしたら無かったけど、とりあえずブライアン・セッツァーの表紙写真に惹かれて買った。
 件のギターの記事はあったが、兄貴のちいこい記事ももう一人のギタリストの記事もなかった。兄貴は仕事したらもう無関心。弟の俺の方が心配なくらいだ。録音は先月末だったから、次月号に廻ったのかもしれんが、当のギター自体の記事だけはアルのが気になる。俺、もう複数の知人に身内自慢しちゃったもんね。
 万が一「ボツ」だったら、兄貴が録音の時にロックしまくり過ぎて、そいからもう一人はパンクしまくり過ぎてで、メーカー社長のご機嫌損ねたっつーことかもしれん。しゃーない、難しい世界や。わからんわい。

 昨日は二郎さん「神経科」。
 睡眠はまぁ相変わらずだが、最近ハイテンションを感じる時があって気になる。昔の元気な時とは違うパフォーマンスなんだが時々意見ストレートに言ったり、大きな声で雑談してたりして、しばらくして、気がつく。妙なハイテンションっつーか、興奮状態を感じる。ちょっとおかしい。はっきり自覚する。
 二郎さんの説明によると、「ソウ・ウツ」の「ソウ」は普通は周囲が気づいても自分では気づかない、逆に「ウツ」は自分で気づいても周囲にはなかなか理解してもらえんもので、ロックさんは「ウツ」の方なんで心配するな、と妙な慰められ方をした。ハイテンションの方は自分で気づく範囲なら心配 ないそうで、何ともわかりやすい説明ではあった。しっかし、ずっと自分で気づいてりゃいいんだが、そのうちに、とも訊いてみたが、まぁ今はあんまり気にするなって話だった。有り難う様、二郎さん。

 ・・・ でもな、俺は「ウツ」やないで。俺の症名は Paranoid Schizophrenia なんだって。
 ・・・ はて、専門医の二郎さんが正しいか、ど素人の俺の自己診断が正しいか。そもそも Paranoid Schizophrenia なんて俺の新発見の症名なんだけどさ。むちゃくちゃや(泣、笑)。知らんわい。


03年10月11日(土)   道路公団の藤井総裁更迭、辞任拒否、解任劇の茶番

 本日の2本目。

 先月、幻聴で聞こえた、扇・コイズミ密談(蜃気楼のように見えたのは9月某日の某ホテル、気持ちワリイ)。
オウギ  「フジイの首、私に取らせてよ。私も何か仕事したいわ。」
コイズミ 「だめだめ、今はダメ。コイズミ政権は大胆かつ柔軟なんだ。もうじき解散を控えてる。」
オウギ  「嫌よ。私も国民の人気が欲しいのよ。」
コイズミ 「とにかく今はダメ。解散前に内閣改造して石原ぼっちゃんにやってもらう。新民主党の合併大会の日にぶつけるんだ。」
オウギ  「ひ、ひどいわね・・・。」
コイズミ 「君にも毒まんじゅう、あげるからさ。」
オウギ  「・・・あ、あら、そうなの。まぁ、仕方ないわね。」(微笑)

 こうして当日の、民主党と自由党の(新)民主党合併大会は NHK の7時のニュースでもトップニュースの座を奪われ、2番手のニュースになった。っつーことは、アレがなかったらトップニュースになってたってこと。

 石原ぼっちゃんは言ってた。
「これは総理の意思でもありますから。」
オイオイ、国交相はおまえに代わったって言ったって、ソーリは前からコイズミだぞ。その気なら前から出来ただろうが。

 フジイじいさんの思わぬ抵抗にあって今は苦労してるが、どうなることやら。大体フジイの抵抗だって、どこまでホンモノかわからんぞ。毒まんじゅうの世界は何がなんだかわからん。

 とにかく、「大胆かつ柔軟に」とか「断固として」とか「毅然として」とか、そういう心意気のお言葉パフォーマンスや安部のつまらん顔じゃなくて、何してるかとか、何しようとしてるかで選ぼうよ。国民はなめられてるよ。

 ま、民主党が国民なめてないのは確か。コイズミ・アベの2枚看板に対して、カン・オザワの2枚看板だぜ。カンはともかくとしても、流石に豪腕のオザワのおじさんに舐められる図は、世の奥様方も歓迎せんだろう。そりゃ、カン・オザワだって分かる。っつーことは、彼らが国民をなめてないことだけは確か。ねっ、そうでしょ。後は言ってる話の内容をよーく聴いて判断しよう。それだけやで、ホントに大事なのは。言ってる話の中身とやってることとやってきたことと、やろうとしてること、その是非や優劣を判断するだけだ。
 あ、そういやオザワさんって好きな人じゃないけど、転石だなぁ、あの人も。妙に親近感を感じる俺はへんかい? ん? そういう問題で俺は考えはしませんけどね。ついつまらんこと言っちゃっただけ。許せ。投票はちゃーんと考えて、今回は民主党に入れる。政権取れてその後混乱しても、いずれは、このまま続くよりはマシになる。っつーか、国民が嫌でも何か考えにゃならんくなるんじゃないかと思う。
 はて、ニッポン国民の民度は如何に。イカかタコの頭とおんなじじゃないか、心配です。お、おまえは自分の脳みそだけ心配してろってか。は、まぁ心配して頑張って日々を過ごしてはいますわ。


03年10月12日(日)   GREENDALE

 NEIL YOUNG の GREENDALE 「完読・聴・観、感」。

 最後の「感」は「完」とは言い切れない。未だ、この先も新たに感じたりするんだろうから。だから、「感」の前は「・」でなく「、」としました(細かいな、笑)。

 本作はCDとDVDのセット。ニール・ヤング自身が書いた作品全体と各曲(各章)を語る物語りブックレット付き。
 今日はその日本語訳を読みながら、訳詞も見ながら、改めてDVDで全曲聴いた。つまりは「完読・聴・観」。 ま、「読」は日本語です。英語に全く苦労しない人は、英語原版を英語で読んだ方がいい。歌詞も英語で直にどうぞ。DVDの中では、ニール・ヤング自身が GREENDALE のストーリーを物語りながらライブを進めている。DVDは便利なので、語りの部分は日本語「字幕」設定もできます。これも英語完璧の人は英語から直に入った方がいいでしょう。僕は英語は辞書引き引きレベルなんで、今日は「完読」のために日本語訳を読みました。僕、Hyper Text Markup Language なら得意なんですが、English Language は全然、十分じゃないんです(ホントは前者も時に「辞書」? 引いたりする時がありますがね)。

 まぁとにかく「完読・聴・観」しました。
 ・・・ うーん、言葉が出ません。
 こんな凄い作品作っちゃって、次回作大丈夫かなって思ったくらい。

 でもね、ニール・ヤング自身が、1曲目の falling from above の中で歌ってます。

 Seems like that guy singin' this song
 Been doin' it for along time
 Is there anything he knows
 That he ain't said ?

 それでいて、ニール・ヤングはこれからも歌い続けるでしょう。未だ未だ彼の歌いたいことはあるに違いない。それどころか、これまで歌ってきたことも、また歌い続ける。ニール・ヤングはそういう人だと思います。

 GREENDALE については、とにかく「完読・聴・観、感」してみてください。それで十分です。圧倒されます。
 何か気の利いた言葉を羅列して批評する気にはなれません。「完読・聴・観、感」の後は、もはや「完読・聴・観、感」をお薦めすることだけです。 ・・・ って言って実はいつかまた何か、「日記」とかでは触れちゃったりする可能性は大だけどさ(笑)。


03年10月13日(月)   GREENDALE 、追記

 この上の昨日の日記の最後の行を見てくれ。舌の根も乾かないうちに追記だ(まぁ俺自身は常に渇いてるけどね、笑)。

 今朝起きてきて、いきなりCDの GREENDALE をかけた。アタマの falling from above からだ。タバコ(早くやめろって!)吹かしながら聴いてるうちに、追記しときたくなった。何故って、その理由は、これから書く。

 俺は平日の間、脳神経が切れていて、休日は切れちゃってる脳神経をつなぐ作業をしている。だから、案外、休日の日の方が実は頭がイイかもしれん。昨日「完読・聴・観」したばかりだから、 GREENDALE の内容は大方頭に入ったままだし、 falling from above の歌詞も大方憶えていた。で、朝、朝飯食う前から、CDをプレイさせ、この曲を聴きながら、追記しようと思ったわけさ。理由は、これから書くこと全てだ。

 GREENDALE はたぶん、「コンセプト・アルバム」って言われ方で評されてるし、俺も既にこの言葉を(慎重な使い方で)使っている。だけど、注意しなくちゃいけない。いや、音楽を音楽としてそのまま感じ取る才能がある人は注意しなくても大丈夫。俺は才能不足だからね。

 「コンセプト・アルバム」って言われるけど、この言葉が通常イメージさせるニュアンスに騙されちゃいけない。ま、簡単に言うと、この言葉に騙されちゃいけないってこと。 GREENDALE の持つ「コンセプチュアル」な意味は、そういう普通の手垢がついた意味とは違う。そういう類のことは他のところでも書いたけど、とにかく違う。まぁ比喩で言えば、農夫か木こりの手垢が付いた「コンセプト・アルバム」ではあるけどね。

 ニール・ヤングが、ニール・ヤングとしては趣向を凝らして変わったことをやったって思ったら、大変な誤解をしてしまうかもしれない。ま、変わってるし、それでいて傑作なのは確かだ。でも、別にニール・・ヤングはこのアルバムの中で別人ニール・ヤングの異才を発揮してるわけじゃない。

 さぁ、ようやくこの追記の結論めいた話に近づいてきた(前置き長くて申し訳ない!)

 ニール・ヤングは結局、これまで歌ってきたことをテーマにして歌ってる。言葉が違ったり、メロディが違ったり、彼が新しく取り組んでる話題も入ってはいるかもしれない。だけど、真中にある太い幹は変わらない。
 彼は今回も、家族とか友人とか仲間とか、人間が成長することとか成熟することとか、人生を真摯に生きていくこととか、その人生の収穫のこととか、そういうことを歌ってる。相変わらずね。蛇足で言えば、「いい意味の」「相変わらず」だぜ。
 彼の永遠のテーマかもしれない。

 彼は今アラスカの自然を救えと歌う。若い頃には、オハイオ州の州兵がベトナム反戦デモに発砲して4人が殺された事件を取り上げて「ブリキの兵隊とニクソンがやって来て、オハイオで4人が死んだ」って歌った。今回の GREENDALE の中でも、ホワイトハウスやビッグ・オイル(アメリカ系を中心とする石油の多国籍企業のことを指しているんだろう、メジャーのことさ)なんかを縦横無尽に攻撃してる。つまり、彼は前と同様に「社会性」のある言葉を発している。でもこの「社会性」って言葉にも騙されちゃいけない。っていうか、誤解しちゃいけない。足元に何もない、自分自身や家族や近隣がない「社会性」なんて、それは「評論家」先生のご本の中の話だけで十分だ。

 ニール・ヤングは、いつものように、家族とか友人とか仲間とか、人間が成長することとか成熟することとか、人生を真摯に生きていくこととか、その人生の収穫のこととか、そういうことを歌ってる。それを真中に置いて、「社会」に向けたメッセージを表現してるのさ。
 ニール・ヤングはニール・ヤングだ。彼は何も変わらない。それでいて、成長し、成長し続けるのかもしれないけれど。そして、時には休息も取るだろう。停滞する時もあるかもしれない。そいつは人生そのものだからだ。

 昨日俺は、日頃の運動不足を想って、妻につきあってもらって散歩に出かけた。散歩の途中で妻とケンカした。って言うより、(おそらく)俺が一方的に妻を責めた。妻は何もわるくない。ワルイのは俺自身だ。俺自身が自分を抑えられなくなっている。
 で、GREENDALE の中には、その日撃ち殺されるとも知らないで(普通はそうだな)、その日の出勤に向う朝、妻と激しい口論をして、結局それが妻との最後の別れになってしまった「カーマイケル巡査」って人が登場する。ニール・ヤングは「物語り」のなかでこう言ってるよ。

 so it makes you think about always try to be nice to the one you love
 because you never know what's gonna happen.

 それは簡単なことじゃない。でも always try してみなってことさ。

 falling from above のなかでは、こんなふうに歌ってるよ。

 A little love and affection
 In everything you do
 Will make the world a better place
 With or without you

 言うほど簡単なことじゃない。でも always try してみようってことなのさ。
 俺は未だ未だ生きるから(妻と共に100歳超!)、With or without you ってのは With or without me っていうように即物的に自分に向けて受け取ったりしない。 or の後はね。もちろんニール・ヤングだってそんな即物的読み方は求めてないんだけどさ。でも、とにかく、これから60年(!)以上経っていつかは死んじまう俺らの先の時代を考えれば、やっぱりこれはそのまんま真理さ、俺にとってのね。ま、本当は今日交通事故で死んじまうかもしれない俺にとっても、真理の言葉だって言っていいんだけど、ま、今の俺は長生きしたいし、そのつもり(!)、その予定(!)なんで、ちょっと余計なこと書かせてもらった。
 いや、死ぬとか(未だ)死なないなんて話は抜きにしたところで、俺は俺の息子の未来が含まれる将来の世代の世界が、今より a better place になることを、真剣に、心から願ってるよ。そんなふうに真剣に願うのは俺らの親権でもあるのさ(コテコテだな、笑)。親権でもあり、親務でもある。 ん? 権利と義務の話だよ。
 俺は息子の居る世界にずっと居たいって願望持ちつつなんだけどさ。これは親愛だな。愛は愛情でもあり、エゴでもある。エゴは別にわるいことじゃないぜ、元々はね。願望は実現させるつもりだ。決めている(!)。

 話がちょこっと(?)脱線したかな。俺はそうは想わないけど。ま、このアルバムのことにストレートに戻ろう。

 ニール・ヤングは、売れない絵描きであるアール・グリーンのことを歌ってる bandit って曲のなかでは、こんなふうにも言ってる。

 Someday
 You'll find
 Everything you're looking for

 アール・グリーンは、この物語り GREENDALE の主人公って言ってもいいサン・グリーン、そのサン・グリーンの父親だ。
 ここでは、俺みたいな、Paranoid Schizophrenia で先天性粘着質で、ついでに椎間板ヘル持ちで、他にも(世のもっともっと苦労してる人には全く甘いくせに耐え難い)苦痛を抱えてる、そんな気持ちになりがちな人間にも、「人生には何かいいことがある」って感じさせてくれる歌を歌ってるよ。

 最後の2曲、sun green と be the rain は、アール・グリーンの娘、サン・グリーンからの「現代社会」ってやつへの強烈なメッセージだ。言葉は荒いかもしれない。でも気にしないでくれ、サンは未だ二十歳になるかならないかの娘なんだ。大体この作品作ったのは、ロック界の木こり哲人ニール・ヤングなんだぜ。彼は武骨で素朴で、だからこそ現実味のある言葉で、この物語りを物語るのさ。

 追記にしては、ずいぶん長かったな。上でも言ったでしょ、俺は先天性粘着質なんだって。そのうえ Paranoid Schizophrenia なんだからさ。
俺の HTML クリックしてるとグルグルいろんなところに行っちゃうよね。典型的な俺の症状だよ。でも大丈夫、ちゃんと戻って来れるしさ、進めるようになってるんだ。だけどそろそろ首もズキズキ痛んできた。このへんにするよ。

 さんざんウルサイこと書き連ねておいてナンだけどさ、最後に昨日の日記にも書いたことに戻るよ。
 GREENDALE については、とにかく「完読・聴・観、感」してみてください。圧倒されます。

 俺も相当な粘着質だな。納豆特産県に住んでるしなぁ。俺は水戸納豆や くめ納豆や おかめ納豆のように、何とか粘っこく、勝手に生きるよ。愛する家族と共に。たまには「社会」にもメッセージを出しながら


03年10月16日(木)   アンドレ・リュウ with ヨハン・シュトラウス・オーケストラ 、ライヴ!

 ライヴ! なんて書くとまるでロック・コンサートって感じかな。ヨハン・シュトラウス・オーケストラって語感と合わんかね。ところがどっこい、これは ライヴ! って書いた方がしっくりくるコンサートでしたね。

 いやぁ、期待通りの楽しさでした。アンドレ・リュウって人はオランダのマストリヒト出身、ブリュッセルのコンセンバトワールを首席で卒業したっていう、れっきとしたクラシックのキャリアを持つ人。ブリュッセルのコンセンバトワールなんて、俺、知らないよ(笑)。そもそもたまたまテレビで彼らのコンサートの様子を見て、こりゃ面白いってんで急にチケット買っただけなんだから(今月 5日)。パンフによれば、御年、54才ってとこかな。あ、その番組では演ってた GETTIN' IN THE MOOD を今日は演らなかったってのが唯一残念でした。まぁそれも結局気にならなかったかな。あんまり楽しかったんでね。
 オーケストラの楽団員は通常のオーケストラの半分くらいの人員ってとこ。クラシックに造詣の深い(!)妻によれば、そのせいか、双眼鏡で見たとこ、それぞれの楽器がマイク使ってました。コンサートは他にも5、6人の声楽隊(コーラス隊ですね)が入ったり、ブラジル人のオペラ歌手2人が2人で登場したり、1人ずつ出たり。

 クラシックと言っても、クラシック・エンタテイメントって感じでしょうか。アンドレは、通訳を付けて、かなり聴衆に語りかけたし、笑わせたし、ダンスしたり、ジャンプしたりのパフォーマンス。ブラジル人のオペラ歌手2人は途中で登場してクラシック曲を歌って舞台袖に戻ったかと思うと、すぐにまた登場しなおし、いきなり上に羽織ってたガウンを脱ぎ捨て、ミュージカル「ウェスト・サイド・ストーリー」から I FEEL Pretty を派手なパフォーマンス付きで披露。一人の方は後半ではゼンマイ仕掛けの人形のようなパフォーマンスをしながら歌うなんて芸当まで見せた。

 1時間弱やったところで休憩を挟み、後半は男性陣だけで登場。アンドレが Where have our girls gone ? って叫ぶと、女性奏者たちがスイスかギリシャ辺りの民族衣装みたいなヤツ(よーわからん)を着て、さらに大袈裟な木靴のようなものを履いて登場。あ、そうだ、後半の1曲目はパンフによれば「木靴の踊り」って曲だね。それを男性陣だけで演奏し、女性陣はステージ真中でその間、ダンス・パフォーマンス。闘牛場でかかる曲ってのをやった時は、あらかじめ客席に座らせておいた赤いドレスの女性の当惑した顔がステージ左右両側のスクリーンに大映し。しかも、なんと神聖なる(?)クラシック界の偉大な作曲家の名を冠したオーケストラのコンサートに、ついには着ぐるみの闘牛まで登場させ、件の女性を追いかけさせるパフォーマンス。会場外まで追いかけ、曲の終わり頃には着ぐるみの闘牛が赤いドレスを角に引っ掛けながら再登場するというコテコテのパフォーマンス。いやぁ、びっくりさせてくれます。それにしても、あの赤いドレスの女性、顔も背格好もコテコテのパフォーマンスも、アメリカの超お下品番組 MAD TV のレギュラー・コメディアンの一人にそっくりだったなぁ。スクリーンに大写しされた顔は同一人物にしか見えなかったけどなぁ。

 スクリーンには演奏者たちの顔も映し出されるんだけど、それがまた本当に楽しそうな表情。中にはカメラに向って顔でパフォーマンスする人もいる。ピアニストは何回かジャンプしながら弾いてたし。ありゃもう、エルトン・ジョンだよな。

 アンドレは通訳を通して話しました(しかし非常にきれいな英語でわかりやすい表現しかしなかったので俺の英語力ですらだいぶ聴き取れましたね)。

「ヨハン・シュトラウスは皆さんにこんなしかめっ面(顔でパフォーマンスしてスクリーンに大映し)して音楽を聴いてもらうために彼の音楽を作ったのではありません。皆さんに笑い、踊り、楽しんでもらうために彼の音楽を作ったんです。」

 そうして改めてヨハン・シュトラウスのワルツ曲を始め、最初は確実に演出だと思う、楽団のスタッフと思しき男性が客席最前列真中の女性にお辞儀をして誘いをかけ(この女性まではスタッフだろう)、ステージ前で音楽に合わせてワルツを踊り始める。その後の光景は音楽のマジックですね。10組程度か、それより少なかったかもしれないが、客席から通路などに出てワルツを踊り出す観客が出始めた。中には老夫婦らしきカップルもいたし(日本人ですぞ)、パートナー無しで一人で踊る女性も。ステージ前の辺りの席からは3歳程度の女の子がステージ下まで一人でとぼとぼ歩き出してしまい、一旦母親のところに戻ったけれど、結局母親に抱き上げられてステージ下まで行って親子で踊る。俺らは(もちろんわしら家族の3人)は後方の席から、立ち上がって体を動かしがら、その光景を見ながら、ヨハン・シュトラウスのワルツ曲を楽しみました。俺は首も腰も椎ヘルで(椎間板ヘルニア、今も軽症のままと信じております!)、ワルツなんて踊れませんなぁ(元々踊り方なんて知らんけど)。

 「美しく青きドナウ」はアンコール含めて2回やりました。ベートーベンの「喜びの歌」も賑やかにやったよ。カタブツのベートーベン・ファンなら怒るかもね。

 終盤になると我々を含む1階席後方の観客たちもステージに近い前方へどんどん出て行く。近頃はロック・コンサートだって警備がうるさくて、せいぜい自分の席で立ち上がる程度だぜ。俺が中学の時に観に行ったクラプトン2度目の来日の時の観客席の光景を思い出しましたよ。
 天井の方から無数の風船が舞い降りてきて、観客たちがその風船を割ってパンパン音をたてたりする。どうもあれって、感動してますってサインみたいだね(たぶん)。
 アンコールは何回だったか。5回ぐらいはやったと思うな。チェロかなんか弾いてたような男性奏者2人が立ち上がって歌ったり(それもけっこう、て言うか、かなり上手いんだ)、メドレーをがんがんやったり。アンドレは客席に向って、もう1曲でいいか? って訊くようなパフォーマンス。5本指を開いて、え? 5曲、勘弁してよってな笑顔のパフォーマンス。「咲いた、咲いた、チューリップの花が・・・」って曲までやったよ(オランダから来たからねぇ)。それも日本語だったな、たしか。さらには「荒城の月」まで(これはハミングだったと思う)。相当派手にアンコールを繰り返した後、最後のアンドレは腕時計を見て観客には「もう眠りなさい」っていうジェスチュアを見せ、自分はもうビールでも飲みたいっていうようなジェスチュア。で、最後にやったのが、これはもう漫才で言うところのオチってとこかな、子守唄ですよ。「眠れ〜眠れ〜」ってやつですね、日本語で言うと。シューベルトでしたっけ?(違ってたら恥かな、俺、クラシック知識ないもんね)。

 とにかく楽しかったよ。
 俺の独断と偏見で言わせてもらえば、まぁロック・ファンとかブルーズ・ファンにもいるんだけど、クラシック・ファンにはカタブツが多い。あ、御免、「少なくない」。ジャズ・ファンにも多いな。あ、御免、「少なくない」。カタブツは型にはめるのが好きでして、型に入ってないと怒っちゃう。それとか、やたらとテクニカルなテクニック(トートロジーっぽく言ってるのでなくまぁ皮肉を込めて特定の意味込めて言ってます)だけで音楽を聴こうとする。例えばね、ジャズ・ギタリストのハイテクのギターの超速弾きの数々の音の華麗で流麗な流れよりも、例えて言えば、ある人にとってはクラプトンのギターのエモーショナルなたった一音が心を動かすってことだってある。音楽はマジックなんだ。本当のミュージシャンは、音楽を愛する凡人に(時には才人にも)、魔法の力を与えたりするのさ。

 まぁ今日のコンサート、クラシック・ファンの一部(一部と期待します、笑)はマジで怒るかもね。あ、こう書いてる俺もダメなんだけどさ。音楽は一人の心の中に響いてくる。相乗作用があって時には大衆を動かすかもしれないけれど、初めは自分自身の心の中の話だ。他人の話は本当はしなくてイイんだよね。わかっちゃいるんだけどさ。俺さぁ、口数多過ぎるんだよ。これ、俺の持って生まれた資質だからさ、しゃーないって。・・・ちっちゃい頃はどっちかって言うと無口だったみたいだけどなぁ。よーわからんわ(ま、わかるけど今日はやめとこ)。

 余談。
 コンサートが終わると東京駅に急ぐ息子。はぁはぁ言いながら息子を追いかけるわしら夫婦。息子の頭の中には、9時51分(だったかな?)に東京駅の何番ホームかに(俺は忘れた)入線し、10時に発車する「サンライズ」何とかって(俺は忘れた、「サンライズ瀬戸」とか「出雲」とか、そんな名だったかな)名の寝台特急の勇姿が浮かんで来ていたのだ。何とか間に合い、列車に乗り込み、降り、先頭車の写真を撮り、満足して帰路へ。息子の電車好きはちょっと凄すぎる・・・。ま、好きなもんがあるのはいいことさね。


03年10月18日(土)   道路公団の藤井総裁更迭、辞任拒否、解任劇の茶番、その2

 本日の1本目。

 先週土曜に書いたヤツ の続編みたいなもんですわ。
 昨日、藤井の聴聞ってのやってたね。法律では個人の身分に関することとかって理由で非公開ってことになってるけど、当の本人が公開を要求。石原ぼっちゃんは「個人的には構わないと思います」なんて言ってたけど、結局テレビカメラが入ったのは冒頭だけ、聴聞が始まる前だけです。その後はテレビカメラ無しで記者は傍聴のみ許されるってんで、まぁ国民には公開しませんでしたね。記者が聞いてそれぞれのメディアの主観を通して報道する。半公開型ですな。辞表提出拒否されて「受けて立ちます」なんて大見得切ってた石原ぼっちゃんは、結局、国交省の役人に任すってんで聴聞会は欠席です。要は敵前逃亡でしょ?
 で、またまた幻聴で聴聞会の当事者間の本音のテレパシーのやり取りが俺には聞こえてきたんだけどね(俺ってアブナイかい?)、大体こんな感じだよ。

フジイ  「おまえら、元々国会答弁だって一緒に作ったじゃないか。道路局の連中との合作の作文だぞ。なんでオレだけ責任取らされるんだ!? なんでおまえらがオレの首取れるんだ!?」

国交省 「首取るなんてめっそうもない。僕らの元事務次官様相手にこんなことしたくないんですよ、本当は。」
フジイ  「じゃ、なんでこういうことになるんだよ。」

国交省 「殿もお察しの通り、コイズミ・石原ラインはとにかく新民主党の合併大会がトップニュースになるのマズイんで、日曜だってのに、わざわざその日に殿の更迭発表をぶつけてきたんですよ。元々選挙対策なんですから、彼らの。それを殿が拒否するから、僕らもこんな嫌な役廻りになったわけでして。」
フジイ  「そんなことは分かっておる。オレはあの日は1人で来いって呼びつけられて、行ってみたら向こうは4人だぞ。官房長付きまでは許せるが、後ろに更に2人、最後まで名乗らんし、石原も紹介すらしなかったが、後で分かったよ。石原の政務秘書官と事務秘書官だったんだ。しかも、ヤツは自分の政務秘書官にメモ書いてもらって、それ見て質問してくるんだぞ。4対1の環境の中でな。それでもヤツはまともな理由説明できなかったぞ。ま、オレもロクな話してないがな。」

国交省 「そりゃそうです、殿。 石原ぼっちゃんは1対1で殿との論争に勝てるような器じゃないんですよ。今日だって僕らに任せてトンズラですからね。僕らも辛いんです。殿の居場所がわからなくて業務上支障出たなんて理由まで言ってますが、殿がご在宅でなくたって、殿は国交省がお渡しした携帯電話を持ってらしたんですから、別に支障もナニもあったもんじゃないんです。」
フジイ  「おまえらもよく分かってるだろう。前任の扇大臣はおまえらの現事務次官や道路局長立会いのもとでオレの説明を聴き、疑惑無しってことで了解して、その通りに扇のおばちゃんもオレも国会答弁してきたんだぞ。」

国交省 「いやそれが、聞くところによると、本当は扇のおばさんも殿の首を斬りたかったらしいですよ。それをコイズミ・ソーリがおばさんに毒まんじゅう渡して納得させて、わざわざ選挙用の内閣にしてから、民主党大会の日にぶつけて殿の更迭パフォーマンスをやったってわけですよ。」
フジイ  「くそ、どいつもこいつも! ・・・ 確かにな、わしらも汚れ仕事は十分やったわ。政治屋の連中と一緒にな。しかし、ヤツらも結局は人気取りや選挙対策で斬る時は斬るわけだ。・・・ ま、そんなことは、この世界に長年君臨してきたオレ様だ、分かっちゃいたがな。・・・ しかしおまえら、オレは我慢せんぞ。オレは生活には何も困らん。金の問題なんか無いんだ。行けたはずの更なる天下りだってもう要らん。これはな、恨みだ。恨みなんだ。よーく憶えとけ。これで聴聞終わりってわけじゃないだろうな。オレは今日を序の口にして未だ未だ言いたいことがあるんだ。2回目も開けよ、分かってるだろうな。」

国交省 「いや、殿のお気持ちは分かりますが、僕らも生活がありまして。とりあえずは石原ぼっちゃんとその後ろにいる頭のわるいコイズミ・ソーリの言う通りにしとこうかなと思ってまして。大変申し訳ないです(泣)。」
フジイ  「くそ、オレは金と権力は大好きだったがな。国民の人気なんてどうでもよかったんだ。政治屋の連中はオレよりもそこだけはウワテだな。・・・ くそ、それにしても我慢ならんのはあの石原の若造だ! ヤツは得意満面でオレのことを口汚く罵ってやがる。全くオレとは別種の貧相な面構えだぞ、アレは。くそ、我慢ならん・・・ぶつぶつ、ブツブツ・・・。」

 こうして、とにもかくにも、明確な証拠を出せないまま、とんだ茶番劇となった聴聞は終わったのだった。

 選挙は近い。
 はて、ニッポン国民の民度は如何に。イカの頭とおんなじじゃないか、心配です(前にも書いたな、笑)。お、おまえは自分の脳みそだけ心配してろってか(コレも前にも書いたな、笑)。は、まぁ心配して頑張って日々を過ごしてはいますわ(コレも書いたわ、泣、笑)。ま、わしは何とか日々を過ごして頑張りますわ。生きてりゃ何かを得るんだよ。前向いて生きてりゃさ。とほほでも何でもないぞ俺は。大真面目に、勝手に生きてやる。と言いつつ、平日切れてる脳神経をつなぐ作業に忙しいワシであった(誤ってA線の切れ端とB線の切れ端をつないじゃうと大変でしてね、神経が要るんですよ、一部切れてるにも関わらず)。
 まぁとにかく、前向いて、勝手に生きるさね、勝手にね。真摯に。勝手に。


03年10月18日(土)   ファミリー

 本日の2本目。

 ファミレスのことではない。

 息子はちょっと前から風邪ひいてて、木曜のコンサート行きの日 も、朝から咳してた。でもちゃんと学校行って、それからコンサート行った。好きな電車も見た。で、翌日風邪がわるくなって熱が出て学校休んだ。ひき始めに行った医者にまた行った。風邪には風邪だがちょっと先日よりわるくなりましたね。先日は軽かったのがちょっと進んだ程度、心配はないですけど。ま、そりゃ違いない。

 昨日の夜帰宅すると、やっぱりちょっとぼーっとした顔つきだった。でもまぁ、メシはまぁまぁ食えたみたい。風邪なのに、玄関まで行って、自分のスパイクを手に取って、じっとスパイクを見つめてる息子の後ろ姿。気持ちが出てたよ。翌日の今日は公式大会の試合の日なんだ。

 今朝起きると熱は下がって良くなってきたってんで、息子は結局ユニフォーム着て出掛けた。今頃どうしてるかな。出番が廻ってこなくても、上着羽織って暖かくしてろよ。

 ・・・

 えー、今帰ってきました。今日は出番なかったけど(風邪なのに参加だからねぇ、笑)、トーナメントの試合は2試合勝ち。来週は準決勝らしい。

 ・・・ 今日も想います。ずっと息子と妻とに幸せが続きますように。そして息子はこれからも優しく、それでいてたくましく強く、育っていきますように。僕が共にいて、導いて、一緒に歩んでいけるように。もちろん基本的には先導(?)しなくちゃならんのだけどさ。息子の自主性主体性を守りつつ・・・ってね。子を育て見守ることは大事なんだ。で、大人になったって親子は親子。子は大人になってるけどね。
 とにかくずっとそうしていけるように。そういられるように。そう想うのは、少なくとも僕や僕らには当り前のことです。当り前だな、全く。

 家族は掛け替えのないものです。全ての愛し合う家族に幸いあれ、僕はそう願います。そして、僕が一番愛してるのは、僕自身の家族です。前にも似たようなこと書いてるんだけどさ。ま、いいじゃん、何度書いたって。僕が生きる大事な理由の一つなんだ。一番大事なことさ。パラノイドに見えるかもしれないが、僕には何度でも書いていいし、時には一字一句同じように書くのさ。何度も書くのはね、心の中だけじゃおさまらないんだよ。おさまりきらないんだ