2001: A SPACE ODYSSEY


(1968年 アメリカ映画)

監督 : Stanley Kubrick
主演 : Keir Dullea


学生の頃だったかいつだったか、1回か2回、映画館で観ました。その後テレビで2回ぐらい観たかな。テレビ放映から録ったビデオを持ってます。本当はもう1回きちんと観てから書きたいところですが、今ビデオを再生し、時々とばしながら、PC に向かったり TV 画面に向かったり・・・。

これは単なる SF 映画ではなく、哲学映画です。何度観ても完全な「理解」は出来ない、たぶん。観る度に新しい発見をする、かもしれない、そんな類の映画でしょう。SF というジャンルに入れられそうな映画の中で、こんなにもパーフェクトな映画は他にあるのかな。制作されて今年で35年、にもかかわらず、どこにも古さ、旧さがない。信じられない、と言っていいレベルの出来の映画じゃないかと思います。現実の 2001年が過ぎたことなんて、全く気にする必要がない。2001年は新世紀の初め、ミレニアムの初め。2001 はもちろん象徴として使われた数字だもんね。だからこそ、逆に 2001 である必要があったとは言えますが。原作はアーサー・C・クラーク。イギリス人ですが、後年はスリランカに住んでいたような…。今生きてらっしゃるかどうかは知りません。たしか本日現在、今もご健在かと?

人類の夜明け。突然現われた石柱(モノリス)。地面に屹立するモノリスに群がる猿人。骨をつかみ、骨を打ち、水牛が倒れる、猿人が道具を手にし、人類に進化していくことを象徴するシーン(シュトラウスの「ツァラトゥストラかく語りき」が流れる)。猿人同士の争い。猿人は骨を放り投げ、空に向かって投げられた骨が落下してくるシーンは、それから400万年後の宇宙空間を漂う(かのような)宇宙船のシーンにつながる(ここで流れるのは別のシュトラウスの「美しく青きドナウ」)。映像といい、音楽といい、その展開といい、まさにパーフェクト。
時は西暦 2001年。月で発見されたモノリスを調査に向かう新世紀の人類。モノリスから木星に向かって発信されている電波。宇宙船ディスカバリー号は木星に向かうが、その中でコンピューター HAL9000 が起こすクルーへの反乱。生き残った船長は木星の軌道上に存在するモノリスを発見する。その後がまたスゴイ(もっと深遠な!言葉使えっての)。それから船長は異次元に行ってしまいます。それは宇宙の果てというか始まりというか、しかしシュールな(?)イメージ世界だったりもして・・・。そこに年老いた自分を発見し、(おそらくは)死を目前として横たわる自分を見、その彼が指差す先には、屹立するモノリス。そして老人が横たわっていたベッドに老人の姿はなく、代って透明な球体の中に胎児の姿。再びモノリスがクローズ・アップされていくと共に聴こえてくる「ツァラトゥストラかく語りき」のオープニング・メロディ。そしてモノリスの彼方に宇宙空間が出現し、最後にスクリーン(映画館ならね)にもう一度、胎児の顔が現われてエンディング。

思想を言語化しなくても(難しいんだからさ、これ、ヘタなコトバ並べられんですよ、あ、でも下にちょっとやっちまった)、観れば(人によってはか・・・)引き込まれ惹き込まれる映像と展開と音楽。やっぱパーフェクト。ちなみにエンディングの後、キャスティング、クレジット等が映し出される間に流れるのは「美しく青きドナウ」の方です。

当然ながら、この映画は映画館で観た方がいい(でも僕が映画館で観たのはずいぶんと前の話)。
オモシロイ、という映画ではありません。難しい・・・です。理解出来るとは言えないが、ウソのない深遠な世界を感じる。英語では Profound と言っていいんでしょうか。Deep だし、ある意味 Heavy でもあります。あ、やめた、あっしの英語力では深入りしないでここまで(そもそもナントカ語とかカントカ語とかどうでもいいじゃん、だね、この映画の世界って)。

宇宙があり、その中に地球があり、猿人が生まれ、進化して人類になる。一個の人間にとっては気が遠くなるような時間が人類の歴史となって経過し、人類は宇宙に出て、原始に猿人が見たモノリスを再発見する。そしてモノリスにアクセスした新世紀の人類の一人が異次元に吸い込まれ、一個の人間の死と生に遭遇する。生と死でなく、死と生の順になっていて、エンディングが胎児の顔、というのは当然意味があるはずです。やはり(当然ながら?)完全に理解したとは言えないニーチェの「ツァラトゥストラかく語りき」(昔2回ほど読んだよ)に通ずるものを感じます(ニーチェのあれをちょこっとここで語るパワーなんてありません、あしからず、笑)。

人間にとっては空間も時間も長大広大な宇宙。その宇宙(これは広い意味での世界と言ってもいい、要するに森羅万象、universe です)を認識しようとする人間。宇宙は人間の脳の中に「出力」された世界でもある。その人間の、宇宙の時間とは全く比較にならない個々の歴史( Life )が繰り返されていく、そういう人間の脳の中で認識されていく世界・・・。

この映画、僕の記憶では、ピンク・フロイドにも音楽制作が依頼される計画があったとか実際にされたとか・・・。実現はしなかったけど(経緯は知らない)。依頼があったとしても不思議はないですね。猿人のシーンなど、フロイドの ATOM HEART MOTHER(「原子心母」)をそのまま使えそうです。以前何かのサイトで読んだけど、この映画のどこかのシーン、ATOM HEART MOTHER だったか MEDDLE(「おせっかい」)だったかな、あるいは他のフロイドのアルバムの曲だったか、とにかくフロイドの何かの曲を聴きながら見るとトリップ出来るなんて説(ウワサ?)があるとか。まぁマコトしやかではあるものの、本当かどうかはわかりません。ちなみに現代というか未来のシーンでも、(初期の方の)フロイドの音楽を使えそうなところはわりとあります。ちなみにモノリス調査のために月へ向かった博士の名前がフロイドってのは、いくら何でも偶然でしょうな。スペリングはどうなんでしょう。映画をビデオで観なおしても、確認は出来ませんでした。ま、いいね。(一番下の追記ご参照くだされ・・・)

フロイドの音楽は使ってませんが、それでよかったという気もします。僕はフロイドのファンですがね、わかりません。とにかく、この映画の音楽、音楽効果は十二分に素晴らしいんで。
この映画の音楽監督みたいな人の名でもチェックしようと思って、最後のクレジットとかも見たんだけど、どうも使われた複数の曲の作曲者名が出てくるという感じで、はっきりつかめませんでした。超有名な2曲を決めたのも監督(キューブリック)かな?

「ツァラトゥストラかく語りき」は誰の作曲だっけって思いながら名前を思い出せないでウェブで検索したら、リヒャルト・シュトラウスの作。「美しく青きドナウ」は誰だったっけって言ってたら、妻が教えてくれました、ヨハン・シュトラウス。二人ともシュトラウスだなぁ。クラシック・オンチの僕はこれ以上は書きません。「ツァラトゥストラかく語りき」が使われていることは、上に触れたニーチェの原作「ツァラトゥストラかく語りき」とオーヴァーラップするこの映画のイメージを、象徴しているようにも思えます。

蛇足だけど、コンピューターの HAL は、IBM の3つのアルファベットを一つずつ前倒しにしてネーミングしたって、昔何かの雑誌で読んだな。これは間違いないでしょう、たぶん。偶然とはとても思えない。
もう一つ蛇足、「2010年」という続編的映画も観ましたが、これは深遠さに格段の差。「2001年」の謎の解読もしてたような気がするのに、細かいところを覚えていません。米ソ(露)対立と和解なんかが前面に出たりして、急に俗っぽくなってしまいました。原作は同じ人ですが、監督は違います。
この「2001年」の監督はスタンリー・キューブリック。他に A CLOCKWORK ORANGE(「時計じかけのオレンジ」)をむかーし観ました。昔過ぎて自分も若過ぎたかもな。最近ではトム・クルーズとニコール・キッドマン元夫婦がたしか夫婦時代に共演した EYES WIDE SHUT も同監督ですね(後者は遺作、最後の作)。こっちはテレビで観たけど、たしか後半の方をたまたま観たんだったような。ジャック・ニコルスンさんの「シャイニング」もキューブリックですね(まともに観てない、笑)。うーん、長い蛇足。

そのうえ最後にもう1回。 2001: A SPACE ODYSSEY は完璧で深いです。
さらにさらに、中身確かめないままおまけ。早川書房のこんなサイトがありました。「2001年宇宙の旅」ホームページ(あ、これもうかなり前からリンク切れてます; 161011記)って名のサイト。謎解きとか出てるのかね。

追記: どうもピンク・フロイドの MEDDLE の中の ECHOES の音楽と歌詞(詩)が、この映画の最終章 JUPITER AND BEYOND THE INFINITE の映像とその展開(物語)に強烈にシンクロするという話があるようで。時間にして約24分。クレジットが出る直前のラストシーン、宇宙空間上に浮かぶ、眼を見開いた胎児の顔のシーンまでで ECHOES が終わり、秒単位の時差しかないらしいようなので、何とも出来過ぎの話です。おまけに ECHOES の詩の最後は・・・ No one sings me lullabies, And no one makes me close my eyes, And so I throw the windows wide, And call to you across the sky ・・・ですからねぇ。うーん・・・。本当に細部までシンクロニシティ( Synchronicity )があるのかどうか、いつか気が向いたらやってみましょうか

(2003年7月26日、記)

(2003年8月4日、追記)