04年 4月17日〜4月25日

最近の子供はどうか分らないけど、今の大人の多くはガキの頃に日記を何日か書いた経験があるのでは?
斯く言う私もその一人、当然この日記も不定期です。 (2001年8月19日、記)


04年 4月17日(土)   深夜の男

 4月に入って昨日で16日。土日2回ずつを差し引くと12日。ま、このあいだの日曜には仕事に手を出してしまったけどな。それは別にしても、12日のうち半分の6日が終電だった。家には0時45分か50分頃つく。着替えて一息つけば1時になる。そのうえ終電は頻繁に遅れやがる。大抵数分遅れる。とにかく、1時過ぎに晩飯を食う。何年か前はそういう時は反ってビール飲んでから食った。近頃は飲む気もしねぇ。歳のせいか疲れきっている。しかし、メシは食う。ぼーっとテレビを眺めがら。で、ヤク飲んで寝る。眠れたり眠れなかったり。翌朝もきちんと起きて朝から働いてるさ。当たり気だ。終電じゃない日も、家に着くのは11時過ぎから12過ぎにかけて。要するに、まぁその日も終わりから翌日にかけての時間帯ってわけだ。けっ!
 僕はそんな長時間ぶっ続けで働けないし、夕方ちらっと夕刊見ながら少しだけ休んだり、時々タバコ吹かして嘆息してる。だから、ぶっ続けではない。当り前じゃん。そんな集中続くわけねぇや。それにしたって、そんな長々と仕事してりゃ、いいアイディアも浮かばない。そもそも、やっつけ仕事に追っかけられ、片付けても片付けても追っかけられって毎日だ。こんなのが仕事かね。
 たまに夜になって腹へってパン食ったりするが、晩飯は必ず家に帰ってから食べる。ヨメさんには本当に申し訳ない。駅からのバスももうない時間だから、迎えに来てもらう。翌朝も疲れてるし、バスに乗らないで駅まで送ってもらう。息子には朝しか会わない。木曜に息子がバッティング・センターで第2号ホームランを打ったそうで、深夜帰宅すると、ヨメさんから息子がホームランのこと父ちゃんに言っといてって言ってたと聞いた。

 仕事は何のためにしてるんかね。組織のため? 出戻り馬鹿者の恩返し? いくら何でも、家族と共に過ごせて、カイシャ以外の活動もやりたきゃ少しでもやれて、それでナンボのもんだろ。だいたい晩飯ならぬ深夜飯食ってそこそこに寝るしかないから、すっげ健康によくないんだよ、ったく。年度末の道路工事みたいな仕事の後始末ばかり続いて、まともにモノ考える時間もねぇだろよ。カンベンしろよ、ったく。木曜の帰りなんて、電車の中で吐きそうになったぜ。そんなにカイシャの仕事やってさ、死んで花実が咲くものかってんだ。 冗談じゃない。こんな仕事のやり方させられて、誰が得するんだ? 年度末意味なし道路工事もその後始末莫大費用も納税者なら怒るだろうが、自分にだって何の得にもならんが(給料はいただきましょう、いくらでもいいよ食えりゃ)、そもそもカイシャの得にも何にもならん。こんなこと続けてたら、このカイシャいつか倒れちゃうよ。出戻り大馬鹿者職員が言っちゃいけねぇかね。だけどマジそう思うもんはしゃーない。

 僕はカイシャインの前に出戻り大馬鹿者カイシャインではあるが、しかし、やはりその前に人間なのだ。人間はメシを食い、衣を着け、何処かに住まい、仕事はその糧になるが、そしてなるべくなら社会に貢献する仕事とかヤリガイってヤツを感じる仕事がしたいが、しかしいずれにしても、それが人間の生きることの全てではない。そりゃそうだろ。少なくとも凡人にはそうだ。カイシャではなく、地域社会や広く社会にコミットして生きることがあり、また、家族と時間や空間を分かちあい、また子供があれば子供の成長を見守り支援する責任もある。 だからさ、生きているうちが花なのよ、死んだらそれまでよ。  生きているうちが花なのよ。 _


04年 4月17日(土)   二郎さん神経科日誌

 行けねぇんだ。行く時がない。へとへとだもん、土曜は土曜で行く気がしない。っつーわけで、昨日はヨメさんに代りに行ってもらって、ヤクをもらってきてもらった。ヤクは変えてない。コカインとLSDだ。・・・?
 様子も聞かないままヤクを処方してくれた二郎さんには感謝しよう。ドクターとしてヨイのかどうかは深く考えない。ヤクはほしいが行けねぇんだからしょうがない。ま、次回は行かなきゃならんだろ。行けるかね


04年 4月17日(土)   息子と昼間会う

 昨夜というか、今日というか、帰宅したのが午前1時近く。明けても出勤するわけでないってんで、ビール飲んで飯食って、ぼーっとテレビ見たりネット・サーフィンしたりするうちに新聞配達のバイクの音が近づいてきた。夜明け前に鳴きだす鳥の声も聞こえ出した。あー、何やってんだオレは。っつーわけで寝床に向かった。目が覚めたら昼12時だった。起きた。ヨメさんが用意してくれた弁当を食った。ヨメさんが外出から帰ってきた。いっしょに息子の小学校に向かった。今日は学校の参観日なのだ。
 国語の時間。漢字の辞書の引き方を習ってた。息子もいつものおっとりした調子で授業に参加してた。僕らは教室の後ろから、座席が後ろの方の息子を間近から見ていた。平日は朝しか息子と会わない。土日は息子は野球の練習に行くから朝会わない。今日は参観日で学校あり。朝会わず、昼間、学校で会った。息子は学校の後、野球の練習、晩飯は6日ぶりの家族3人そろっての食事だ。

 教室に「1年間の抱負」というのが貼ってあった。なかなかよく文章にまとめてたぞ。小学校最後の1年だから悔いのない1年にしたいと結んであった。息子よ、子供のうちに悔いなど気にするな。何でも興味や関心を持ったこと、頑張りたいと思ったことに取り組んでみればいい。大丈夫だ、悔いる必要などないのだ。やさしく人を思いやる気持ちを持って、そのうえで自分の関心が向かうものを探していけばいい。何でもチャレンジしてみればいい。・・・って伝えたいと思います


04年 4月17日(土)   イラク日本人人質解放に触れて政治屋、政治家の格を想う

 イラクで人質になっていた日本人3人 が解放されたが、解放前から解放後にわたって、日本政府や与党からジコセキニンロンが喧しい。公明党の冬柴など、かかった金の一部でも請求したいと言っていた。別におまえのカネじゃねぇぞ、国民の税金だ。国民のコンセンサスがありゃ何も問題ないよ。カネを解放された元人質から取り戻したいだなんてレベルの低い下らない発言はやめな。ま、政治屋だけでなくて、コクミンもけっこう喧しいようだ。曰く「自己責任」、曰く「迷惑を反省しろ」、果ては家族や家族の実家への嫌がらせも、誹謗中傷もあった。

 昨日の夜中、日付はもう今日だったが、JNN系のニュース番組を見ていたら、興味深いリポートがあった。JNNのワシントン特派員だったかが、アメリカのパウエル国務長官にインタヴューしたリポートだったのだが、興味を惹いたのは次の部分。日本では人質になった3人の行動を無謀であり、自己責任だと非難する声が上がっていますがと振られ、パウエルは明確な言い方で、こういう趣旨のコメントをしていました。
 リスクがありながらも正しいと思う行動をしようとすることは尊い。リスクを当事者が引き受けるということはあるが、その行動を我々が非難すべきとは思わない。危険を知っても行動しようとした彼らを、日本国民は誇りに思うべきだ。人質になったからと言ってその行動を非難することはすべきでない。そんなことをしたら誰も行動しなくなる。彼らは我々の仲間なのだ。我々がすべきは彼らを非難することでなく、安全を確保するということだ。
 JNNのワシントンからのリポートでも、日本政府から出ている否定的なコメントと比べて、あまりにも対照的なコメントであると言われた、パウエル氏による寸評でありました。

 もともとアメリカの対外政策に大きな問題があり、イラクの今の混乱もアメリカの独善的単独行動がもたらしたものだ。パウエルは危険を承知でイラクに出向いた自衛隊のことも、日本国民は誇りに思うべきだと付け加えることを忘れなかったが、それにしても、パウエルが述べた、人質になった人たちの行動に対するコメントには、政治屋でない、政治家、ステイツマンの格を感じた。今回人質となり解放された3人の日本人は、イラクの路上生活者を支援してきたボランティア、アメリカが落とした劣化ウラン弾の被害状況を調べようとしたNGO代表の若者、そしてフリー・ジャーナリスト(カメラマン)。だから、パウエルが属するアメリカ帝国の政府とは全く違う立場の人たちだ。しかし、そこを超えて、パウエルの発言には、日本の政治屋の下品さ、下劣さとは一味も二味も違う、政治家としての、あるいは社会に対する影響力を持つ人間としての、格を感じたのだ。こっちにいると程度の低いのはあんまり伝わってこないのかもしれないが(今のアメリカ政府のメンツはけっこうひどいけどな、ブッシュとかラムズフェルドとか品が全く無いもん)、政治家にしろ、知識人や評論家の類にしろ、大抵は日本よりも欧米の連中に、その発言や姿勢、行動から格も深みも感じてしまう場合が多いのは何故だろう。要するに、格が違う。日本側には、真の教養みたいなもんを感じられない場合が多いわけです。そう、格とか教養、リベラル・アートってやつかもしれません。そういうものを感じさせないんだ、大抵の日本の政治屋や著名評論家みたいな連中は。社会のなかに、あるいは教育の伝統とかに、何かが足りないんじゃないかと思います。なんすかね。

 今日の夕刊によれば、仏紙ルモンドが 17日付の評論欄の1ページを割き、同紙東京支局長の論評を載せたとのことで、その論評は日本では「無謀で無責任」と批判され始めている3人を弁護するものであり、「日本でもネクタイ・スーツ姿と夜遊びギャルの間に、社会に積極的に関わろうとする人間が存在した」として、3人の行動に理解を示す記事なんだと。市民と社会との関わりや、オカミ(当局)と市民との関係についての考え方など、欧とか米とかと日本との間に、何か根本的な違いがあるのは間違いないと思うんだけど。なんすか。また元気な時にちゃんと書きましょか。


04年 4月18日(日)   昼起きる男

 昨日は11過ぎに寝床についた。疲労と疲弊と寝不足で、それほど時間もかからず眠りについたと思う。しかし、まぁ深い眠りだったわけではない。例によって、かどうか、まぁとにかくいろいろつまらん夢を見たようだ。

 今朝9時過ぎに電話が鳴った。それで一旦は目覚めた。起き上がる力はなかった。鳴り止んだ。なんとか起きて、留守録に入ってるか確認しに行った。何も入ってなかった。また寝室に行った。寝床についた。眠るしかなかった。他に何かするなんて、とても考えられない身体の状態だった。次に11時前後に目が覚めたような気がするが、やはりそのまま眠りに戻った。昼の12時にまた目が覚め、このまま起き上がらなかったらまずいと痛感し、その気持ちが何とか僕の身体を起き上がらせた。力を振り搾って、起きた。昼の12時。

 食卓に行って、弁当を食べた。食べ終わったら、妻が戻ってきた。少し話した後、また出かけた。今日はゴスペルの日だ。しかし、このまま3時半過ぎにゴスペルに行って、という力があるとも思えなかった。無理して行って、夕方戻って、風呂入って、晩飯食って、それで寝床に向かえば、直ぐに月曜からの怒涛の生活だ。冗談じゃない、怒涛の生活だなんて。何だよ、それ。
 今日はゴスペルに行かない。妻だけ行ってもらって、テナーの分も録音しといてもらう。GW(なにが黄金だ!)辺りにでも練習しとこう。今日は息子は野球の試合だよ。デッドボール受けたりしたようだけど、息子はがんばってるさ。なのに、僕が起きたのは昼12時。出かけもしない。冗談じゃない。

 今日、僕は、宣言をした。
名付けて  生きているうちが花なのよ死んだらそれまでよ新党宣言

 僕はカイシャインの前に出戻り大馬鹿者カイシャインではあるが、しかし、やはりその前に人間なのだ。人間はメシを食い、衣を着け、何処かに住まい、仕事はその糧になるが、そしてなるべくなら社会に貢献する仕事とかヤリガイってヤツを感じる仕事がしたいが、しかしいずれにしても、それが人間の生きることの全てではない。そりゃそうだろ。少なくとも凡人にはそうだ。カイシャではなく、地域社会や広く社会にコミットして生きることがあり、また、家族と時間や空間を分かちあい、また子供があれば子供の成長を見守り支援する責任もある。 だからさ、生きているうちが花なのよ、死んだらそれまでよ。  生きているうちが花なのよ。 _


04年 4月18日(日)   パレスチナ、パレスチナ、パレスチナ

 今日、昼12時に起きて昼飯を食い、その後帰宅した妻に新聞を頼んだら、 パレスチナ子どものキャンペーン の活動報告・ニュース誌「サラーム」も一緒に持ってきてくれた。今年度分の運営会員証も入ってた。毎日ドタバタの僕は、新年度分の会費を納めていたか気になっていたくらいだった。でも納めてたんだな。日々の出来事をどんどん忘れていく毎日だ。

 サラームはアラビア語で「平和」という意味。アラビア語の挨拶に「アレイックム・サラーム」というのがあって、「こんにちは」みたいな使われ方をしているが、言われた側はたしか「ワ・アレイックム・サラーム」と返す。「あなたの頭上に平安を」っていうような意味だったと思う。
 ちなみにユダヤ人、イスラエル人のヘブライ語では「シャローム」という言葉があって、アラビア語の「サラーム」と同じ「平和」という意味だ。どう考えても語源は同じだろう。っていうか、歴史からすれば「シャローム」が先なんだろうが。

 僕がパレスチナに関心を持ち始めて、もう22、3年になる。1983年には、ヨルダン川西岸のイスラエルによる占領地にも、イスラエルにも、そしてやはりイスラエルに占領されているガザ地区にも行った。僕はあの経験を忘れない。忘れないし、これからも記憶し続ける。そしてコミットし続けたい。

 僕はカイシャインの前に出戻り大馬鹿者カイシャインではあるが、しかし、やはりその前に人間なのだ。人間はメシを食い、衣を着け、何処かに住まい、仕事はその糧になるが、そしてなるべくなら社会に貢献する仕事とかヤリガイってヤツを感じる仕事がしたいが、しかしいずれにしても、それが人間の生きることの全てではない。そりゃそうだろ。少なくとも凡人にはそうだ。カイシャではなく、地域社会や広く社会にコミットして生きることがあり、また、家族と時間や空間を分かちあい、また子供があれば子供の成長を見守り支援する責任もある。
 僕は家族を愛し、家族と共に歩み、社会にコミットする。カイシャを通じてしか社会にコミットできないのなら、それは機械と同じだ。僕は自動車工場の溶接ロボットじゃない。僕はスイッチを入れられて動くのでなく、自ら生き、愛し、社会に関与する。参画する。コミットする。
 僕は未だ未だ生きるだろう。僕は未だ未だ生き続ける。でも僕の時間は無限じゃない。僕は未だ未だ生き続けるが、それでもその時間は無限というわけではないのだ。だから、 生きているうちが花なのよ。  _


04年 4月22日(木)   4月になってから初めて息子と

 今日、4月になってから初めて、平日の息子が夕ご飯を食べ終わる前に家に着いた。
 今日、4月になってから初めて、平日の息子が寝る前に家に着いた。いや、最初の1日くらいは間に合ったかな。もう思い出せないよ。
 今日、4月になってから初めて、平日の息子と、夜、言葉を交わした。いや、最初の1日だけ間に合ったかな。
 今日、4月になってから初めて、平日の息子の笑い声を、夜、聞くことができた。いや、1日だけは間に合ったかな。
 今日、4月になってから初めて、平日の息子の笑顔を、夜、見ることができた。いや、1日だけは間に合ったかな。
 今日、4月になってから初めて、平日の息子に、「おやすみ」を言うことができた。いや、1日だけは間に合ったかな。
 今日、4月になってから初めて、平日の息子に、「おやすみ」と言われた。いや、1日だけは間に合ったかな。
 今日、4月になってから初めて、帰路、バスに乗った(バスは10時50分頃に終わるんだ)。いや、1、2日だけ間に合ったかな。
 今日、4月になってから初めて、帰路中途、最寄駅まで妻の運転するクルマに迎えに来てもらわなくて済んだ。いや、1、2日はバスだったかもな。思い出せないのさ。

 これが珍しいなんて可笑しい。哀しい。何かがおかしい。いや、全部、おかしい。
 僕は倒れない。倒れる前に、いや、倒れそうになるよりも前に、何とかするつもりだ。生活がちゃんとできりゃいいんだ。カネと引き換えに、家族との時間を取り引きするつもりなどない。当り前だ。それが、ナチュラルというものだ。そもそも、カネと引き換えでもないんだ。ただ、マネイジされていないことの問題なのだ。そこに、マネイジが、ない。ネジが、ない。

 僕は出戻りだ。しかしガチョウになって、ますます意味ある仕事をしなくてはいけないはずだ。いや。ガチョウなんて役割と責任の話。誰もが、意味ある仕事をしたい。毎日毎日僕らは鉄板の、上で焼かれて嫌になっちゃうよ、なんて働き方しないと仕事を「片付け」られなくて、というか仕事にただ追われて、何か本当の成果を出せるかい? 意味ある仕事ができるかい? 頭が働くかい? ってことは、カイシャのためにだって、よくないはずだろ? 24時間稼動の機械のように働くなんて無理だけど、それを求めるのなら機械が肩代わりできるはずだろ? 人間がやる仕事である以上、そんな仕事じゃないはずだ、本来やるべきことは。ねぇ、チャップリンさん。

 平日は、平らな日。ま、ナチュラルな日だ。家族との時間があって当り前。土日は休日。家族と共にいて当り前。土日だって、今月の僕は、疲れて昼まで眠ってる。起きてからだって身体が重い。疲れはとれねぇよ。息子は朝から野球さ。夕方近くなって、ご対面だ。土日の夕ご飯だけは一緒だったさ。今日も夕ご飯は一緒じゃないよ。僕はね、毎日ゴゼンサマって名の愚か者で、風呂入る元気もなかったし、ヒゲ剃る時間もなかったのさ。きたないかい? 今日は、まずは風呂。風呂から出たら、息子の夕ご飯は済んでたよ。それでも息子と話し、息子の笑い声を聞き、息子の笑顔を見て、息子と「おやすみ」の言葉を交わせてよかったよ。だけど、これ、当り前だろ。単に、ナチュラルなことなんだ。

 何度も言うが、出戻りにも五分の魂。いや、出戻りである前に、僕は、人間だ。僕は、機械じゃない。自動車工場の、溶接ロボットじゃない。人はみな、人だ。人間は、みな人間だ。いや、そもそも僕がこうなっているのは、僕が出戻りだから、ではない。ただ、僕が出戻りでなかったら、もっと僕は怒りを表に出しているだろう。僕は反乱しているだろう。しかし、僕は、僕が出戻りであるという事実の前に、ナチュラルな僕でいることが容易でない。
 それでも僕はナチュラルでいきたいと思う。ナチュラルでいこうと思う。本当だったら、ワイルドでいこう、って言いたいとこだけどね。僕は、ナチュラルでいいよ。ナチュラルでありたい。生きているうちが花なのよ死んだらそれまでよ。生きているうちが花なのよ。  _


04年 4月24日(土)   広河隆一のパレスチナ、イラク講演

 昨日、パレスチナ子どものキャンペーン 主催の、「メディアとパレスチナ」と題する講演会に行った。話者はフォト・ジャーナリストの広河隆一。もう20年以上前、僕がパレスチナに関心を持ち始めた頃、彼の写真と編集による「ベイルート1982」という本を買って読んでいて、その本は今も家にあるが、それ以来、僕が尊敬するジャーナリストの一人だ。件の本は、1982年にイスラエルがレバノンを侵攻してパレスチナ人を虐殺、とりわけレバノンのキリスト教右派民兵に直接手を下させて引き起こした、サブラ・シャティーラ難民キャンプでの虐殺事件を(証拠)写真と共に取り上げた本だった。僕はその翌年、いわゆる富裕な国の金のない若者としての貧乏旅行の途中にパレスチナ、つまりヨルダン側西岸被占領地と現在のイスラエル(これも OCCUPIED PALESTINE だ)、そしてガザ地区(被占領地)を旅した。

 広河隆一の話の内容は、時節柄、実際には、「メディアとパレスチナ、イラク」といってよい内容だった。彼はもちろんイラクも取材している。多くの写真をスクリーンに映して、話を進めてくれた。

 彼は話のなかで、つい先日の、3人と2人、イラクでの2度にわたる日本人拉致・人質解放の事件について、とりわけ政府関係者及び日本国民からの彼らを「自己責任」の名のもとに非難し、果ては救援費用の一部でも請求しようという愚見、そしてそれを、家族を含むプライバシーまで暴き出して煽った新潮、文春等のメディアの卑劣さに関して、嘆きと共に言及した。世界のジャーナリストに知己が多い、外国でも名の知れたジャーナリストである彼は、この日本の風潮、政府、国民、メディアの愚劣さが、いかに世界のなかで突出しているか、際立っているかについて話してくれた。彼のもとには、「おい、いったい日本はどうなっているんだ」という外国からの声が寄せられているそうだよ。恥ずかしい限りだね。

 細かいことを書いておくと、いずれ帰国する予定ではあった彼らの復路航空運賃ぐらいは彼らの負担になっても、それは分かる。ただし、それが政府の手配した、おそらくはノーマルチケット並みの超高額運賃に値するものである必要があるかどうかは、やや検討を要することかもしれない。しかし、いずれにしても、例えば自公党(公明党)の冬柴が醜い顔を顕わにして述べた「当事者には救援費用を請求したい」との発言は、そんなことを述べているものではない。それは、彼の醜い顔と同様に愚劣極まりない愚見に過ぎないものだった。何が愚かだって、ここでは書く気もしないよ。19日の朝日夕刊に載った高橋源一郎の文章が、政府とメディアと一部(?)国民の愚見を完膚なきまでに喝破しているから、そっちを読んでくれ。

 僕も、このことに関する日本の愚かさについては、今月17日の日記 で触れ、立場が全く違うパウエル・米国国務長官ですら、彼らが他国の人を支援しようとして危険を知りつつ行動したことは、彼らが人質になったからと言って非難されるべきでない、そんなことをしたら誰も行動を起こさなくなる、日本国民は彼らを(非難するどころか)誇りに思うべきではないか、と発言していることを紹介した。
 その後も、この日本と日本国民の際立った愚劣さについては、フランスのルモンドが続報し、ドイツの南ドイツ新聞も取り上げている。

 上にも触れたが、19日の朝日夕刊の文化欄では、作家の高橋源一郎が、見事な表現方法で、彼らを鬼の首でも取ったかのように非難する論調について、痛烈に批判、批評している。ここでの高橋源一郎の文章と主張の内容は特筆されるべきもので詳細を取り上げたいくらいだが、あんまり見事なので、全国1,000万の当サイト読者のうち読んでない人は直接入手して読んでほしい。よろしくね。

 話が少し逸れたな。昨日の広河隆一の講演は盛況だった。大きな会場ではなかったが、ほぼ満員で、熱気を感じた。広河隆一の中東や日本の現状に対する危機感は深く、強く、現場を知る彼の悲痛な話し振りは、日本が既に加害国の側に完全に立ってしまっていることに触れたとき、とりわけ深刻に、聴く者の耳を捉えた。

 彼は最近、DAYS JAPAN というタイトルの極めて硬派なフォト・ジャーナリズムの雑誌を創刊した。僕は会場で創刊号と第2号を買ってきたけれど、彼の話を聴いていると、そういう、つまり、サマワの自衛隊の今日、みたいな提灯写真じゃない、批評精神のある写真を取り上げるメディアが、日本国内で極めて少なくなってきているのではないかと感じる。彼は今回自ら写真誌を創刊したわけだが、このたいへんな仕事のために、彼自身で写真を撮る時間が十分に取れなくなってきている矛盾について苦笑しながら話していた。

 ところで、昨日は平日、僕はいつも通りに出勤し、午後は業務上のセミナーに出かけ、夕方まで聴講し、そのまま職場に戻らず、さらに広河隆一の講演会に出かけた。人間は生き、いつか人間は死ぬ。僕にとって生きるということは、カイシャインであることだけでなく(当り前だろ!)、自分が世界で一番大切に想う家族と生活を共にし、そして家族を超えた、いや、自分と家族から連なる社会に参画する、そういうことだ。社会は近隣の地域社会でもあり、日本社会でもあり、世界でもある。僕にとってはそうだ。別に日本の外に行こうってことじゃない。日本は否応なく世界と繋がっている。僕や僕ら、あなたたち、日本国民の生活が、世界との繋がりのなかで成り立っていることは、誰の眼にも明らかだ。気づかない人は、見ようとしないだけだ。見る、見ないは人の自由かもしれないがね。僕は、それを僕の自由とはしないだけだ。僕らの生活は、否応なく、世界との貿易、時には世界からの収奪から成り立っている。今や、グローバリズムだの、グローバル・スタンダードだのと喧伝される、愚にもつかないはずのグローバルな経済活動によって。僕の仕事もそこに連なっているけれどもね。あなたの食べているものにも、ほら、たくさん、あるだろう。本当に、世界はこうあるべきだろうか。世界はみんな、おんなじになるべきかい? 実際はそんなこと不可能なんであって、世界大で存在する「持つ者」「持たざる者」の格差を拡げているだけの話なんだけどさ。今や、暴力は戦争だけじゃない。経済活動だって、リッパな暴力なのさ。そして、メディアも。僕はときどき、無力だろうが何だろうが、そんな現実に連なっていく「社会の扉」を開けて、何がしかの自分自身の「生きること」をそこに繋いでみたいと思うだけ。でも、とにかく、僕は、人間はカイシャインとして生まれるのではないと強く感じている。あまりに当り前かい? でも、あなたも、あなたの隣りの人も、カイシャをシャカイと勘違いしたりしてしまってないかい? はは、そんなの勘違いしようが、そう確信しようが、勘違いに気づこうが、それはあまりにおかしいと思おうが、みーんな人の勝手かい? まぁいいや、僕は、何とか、僕の勝手をできる限り通していきたい。僕は既に、札付きの勝手な人間なんだ。勝手でいかせてもらうさ。生きているうちが花なのよ。  _


04年 4月25日(日)   イラク日本人人質問題を巡る日本の低劣な民度

 昨日の日記 でも、今月17日の日記 にも、このことは書きました。このことを巡る日本の政治家、いや政治屋の、そして官僚の、そしてメディア(影響力の点で最も罪あるメディアは読売だったかも、その他には新潮、文春等いつもの面々)、そして日本の世論の、つまりは日本国民の、つまりは日本の民度の、全てにわたる低劣さ、下劣さ、卑劣さ。どれだけ罵っても足りない気がする。
 あんまり低劣過ぎて、いちいち論駁する気持ちにもなれないのだが、日本では、僕の眼にとまった限りでは、19日の朝日夕刊の文化欄での作家・高橋源一郎の文章が一番よかった。彼の文章の結びにはこうある。
 わたしはわたしの国の人質の人たちにこういいたいです ― こんな恩知らずの国のことなんかもう放っておきなさい。

 「恩知らずの国」とは、もちろんイラクのことではない。人質の母国である日本のことだ。この結びに至るまでに、高橋源一郎は、彼らは国やメディアや日本国民からの非難の嵐に遭うのではなく、感謝状を贈られていいくらいだ、ということを具体的に書いているのだが、僕もそんなふうに思っているくらいだけど、作家が作家の表現手法で上手に書いているから、是非ともそっちを読んでください、全国1,000万の当サイト読者の皆さん。

 ちょっと他の例をあげておくと、20日の朝日朝刊に載った ピース・ボート 共同代表の吉岡氏のコメント。「彼らがこれまでの活動でどれだけ日本の評判をよくしたか、その効果は絶大なもの。政府がその点を評価しないと、海外の人道支援活動をつぶしてしまう。自国民を保護するのは、そもそも国家の義務だ」。「彼らはなぜ捕まったか。自衛隊派遣で米軍に協力している日本の国民だから。なぜ解放されたのか。非武装で人道援助をし、自衛隊派遣を批判していたからだ」。
 もう一例。19日付のルモンド。僕がフランス語で読んでるんじゃないよ。20日朝日夕刊からの転載だ。「人道的価値観に駆り立てられた若者たちが、死刑制度や厳しい難民認定など(国際社会で)決して良くない日本のイメージを高めたことを誇るべきなのに、政治家や保守系メディアは逆にこきおろし」、謝罪や費用弁済を求める「無理解と激高の怒声」が広がっていると日本国内の異様な世論を紹介、「社会秩序を乱した者は後悔の念を示さなければならない」「日本の習慣」を説明した。

 最初の人質、ボランティアの人にもNGO主宰の若者にも、ジャーナリストにも、そして後の人質、ジャーナリストにも人権活動者にも、おそらくは全員からその政策を批判されているであろうアメリカの国務長官パウエルが、彼ら日本人の人質を、危険を冒してでも人を助けようとする行動をした人であり人質になったからといって非難されるべきでなく、日本人が誇りに思えばいいし、彼らは仲間なのだと言っている。結果があのようになったからと言って否定的な扱いを受けたら誰も行動しなくなるではないかとも言っている。これは日本のメディア、JNN、つまりTBS系から取材を受けて応え、何度もテレビで放映されたインタビューでのパウエルの発言要旨だ。パウエルは、私たちは「あなたは危険を冒した、あなたのせいだ」とは言えない、彼らを安全に取り戻すためにできる全てのことをする義務がある、と答えていた。

 フランスのルモンドも複数回にわたって、日本の異常な論調を特集した。ドイツの南ドイツ新聞も取り上げた(人質の家族が途中から発言の自由を失っていく日本社会の恐ろしさに触れて)。
 昨日のテレビ報道で知ったが、アメリカでも、ニューヨーク・タイムスを始めとするメディアに、日本の異常さが取り上げられているらしい。

 昨日見たテレビでは、人質の民間人が解放されればお祝いすべき話だ、パーティだよ、場合によっては英雄になるかもしれない等々、アメリカでの街頭インタビューが紹介されていた。もちろん、メディアでは、彼ら人質の政治的立場、どんな活動をしていたかってことも報道されている。そのうえで、「自己責任」の名の下に、彼らを非難しプライバシーまで暴き立ててバッシングする日本の風潮を、理解に苦しむものとして取り上げているわけだ。

 「自己責任」といえば、普通なら欧米の方が本家本元だけどね。そりゃ、そうだろう、どう考えたって、日本人はおかしいよ。今回の日本人の、まるで鬼の首でも取ったかのような「自己責任」論は噴飯ものだ。味噌も紫蘇もクソも一緒にするなっての。自己責任なんて普段はあんまり考えてない日本人のくせに(僕もね)、何なんだ今回のエラソーな態度は。あんたら(僕ら)日本人はそんな立派かい? あんたら軽率な行動なんて取ったことないのかい? 判断ミスなんてしたことないのかい? 不可抗力に遭ったことないのかい? 若い頃は十二分な思慮分別のある若者だったのかい? それとも「寄らば大樹の陰」だけを考えて、打たれる「出る杭」にもならない若者だったかい? え? どうなんだ? (僕は誰に向かって書いているのかというと、今回彼らをエラソーに非難した連中に対してです。ま、言葉は届かんのだけどさ。)

 よーく分かるのはね、欧さんとか米さんとかだと、当事者が時の母国の政府の政策に批判的だろうが、反対する活動を行なっていたんだろうが、よその国に行ってその国の民のために良かれと思ったことをやろうとした。たとえ、母国の政府の立場と全く違うにしても。そんな彼ら彼女らがその国の武装グループに拉致されて人質になった。母国では大きな話題となり、政も官も、やれる人は民も、何とか彼ら彼女らの命が助かるように努力した。それぞれの立場で。そして彼ら彼女らが解放された。それをみんながよかったよかったと喜んだ。そのときに、最初に家族が会見でもっと謝るべきだったとか、反省しろとか当事者も謝罪しろとか、迷惑千万だったとか、費用を弁償しろとか、そうやって責め立てる国が、果たしてこの日本国以外にどのくらいあるだろうか。少なくとも民主主義国のなかで、そんな国があるんだろうか。は? 日本はもともと民主主義国じゃない? そっか。

 20日の朝日朝刊に出ていた JVC (日本ビクターじゃないよ、笑)代表の熊岡氏の発言はこうだ。「自己責任は活動の原則だ」。「安全確保とそのための情報収集と判断が紛争地での人道支援活動の前提」。それでも残るリスクはあるが、だからと言って、大抵の場合、活動から全面的に撤退することはしない。残るリスクを背負って活動する。そうやって、政府機関にできない、国益を超えた人道支援活動を担う。そんなNGOが誘拐やテロなどの危機に陥った時は、「官民あげて(救出に)あたるのが普通だ。救出された側に自己負担をを求めるなど聞いたことがない」。

 今日の午前中のサンプロに、後で人質になった方のうちの一人、フリー・ジャーナリストの安田純平氏が出演して議論に参加していた。未だかなり疲れを感じさせるが、僕は彼の言っていることにはいちいち納得できたな。自分の調査不足、注意不足は反省しているが、ファルージャにジャーナリストが入らないということはおかしい、そこで何が行なわれているかジャーナリストが報道しないのはおかしい、もしも自分がファルージャに入って報道に成功したとしても、やはり国の退避勧告にもかかわらず勝手な行動をしたと論難されるのだろうか・・・。コメンテーターの高野猛が「欧米のジャーナリストやNGOならプロの武装警備員を付けるくらいだと思うが」と発言した時の安田氏の反応は、現場を知るものの説得力があった。曰く、「今のファルージャに武装警備員を伴って入ったら反って危険であり撃たれるでしょう」。

 とにかくね、嫌な国だね、日本は。僕がそれでもここに住むのは、ここで生きなきゃ生きていけない諸般の事情があるのとね、実際、自分が大切に思う家族や親族がこの国にいるからさ。だからこの国に住み続けるし、故郷と想う愛着はあるけど(とりわけ本当の故郷のまちにはさ)、この国は、ほんとうに嫌な国だよ


04年 4月25日(日)   眠くても一人百家争鳴で起きる

 昨日と今日は昼まで眠らなかった。目覚めた後、未だ未だ眠いのだが、頭痛。頭のなかでは、既に、というか一気に、いろんな思索、感情、苦痛、苦悩、思惑、希望が渦巻いている。とても抑えられない。抑制できない。身体は眠りたい。精神も眠りを欲している気がする。なのに眠れない、眠りにつけない。起きるしかない。そうやって起きた。
 何とかしなくちゃ。僕は、人間は、世の中で一番大事に想う家族と、自分自身と家族から連なっていく社会と、そのなかで生活する糧を得られる仕事と、その3つで生きていると想っている。仕事だけが目的で生きてなんかいない。僕は人間であって、カイシャインという名の動物ではない。いや、機械ではない。僕は既に、札付きの勝手な人間なんだ。それでも僕は、本来の人間なら当り前の勝手を、何とか通していけるようにするんだ。なぜなら、僕は、札付きだろうが何だろうが、人間であることに変わりないからさ。僕は人間なんだよ。それに、生きているうちが花 なんだからさ


04年 4月25日(日)   息子が三塁打

 息子が帰宅。二試合で5打数3安打4打点。三塁打1本。試合も2勝。めでたしめでたし