03年 9月 8日〜9月15日

最近の子供はどうか分らないけど、今の大人の多くはガキの頃に日記を何日か書いた経験があるのでは?
斯く言う私もその一人、当然この日記も不定期です。 (2001年8月19日、記)

03年 9月 8日(月)   ついに早降り完了も無事帰宅(当たりめえだ!)

 拝啓。日本スキゾフレーニア臨床学会殿。私は職場を出て走ってた。乗れなければ次は19分後。走るのはきつい。しかし途中ではたと一瞬冷静になり、ポケットの中の時刻表カードを確認。次の電車だと最寄り駅着時刻は25分の差(後でわかったがそれは最寄り駅特急待ちのせいで実際は23分程度?)。しかもバスがなくなる。で、とにかく走った。間に合った。乗った。途中で席が空いた。座った。眠った。目が覚めた。二つ前の駅だった。眠った。目が覚めた。次の駅のようだった。つまり一つ前だ(しかしこれは夢? だったらしい。そうとしか考えられない)。その次の駅でまた目が覚めた。ということは、オレの駅のはずだ。慎重に駅名を見た。オレの駅だ(最寄り駅に見えた。思い込みか幻覚だったのか、笑)。自信を持って降りた。ホームから改札に向かう階段を上った。上り切った所でオカシイと思った。オレの駅じゃない。一つ前の駅だった。手遅れだった。改札を出た。家に電話した。ここでも私はおかしかった。一つ前だったんだから、進行方向の次の電車に乗ればいい。しかし私は、妻と話しながら、時刻表で逆方向の電車の時間を見ていた。それも「そのつもり」で。受話器の向こうで家の時刻表を見ている妻の言う時刻と合わない。間違いに気がついた。逆じゃない。進行方向への乗り直しだ。ホームで待った。電車に乗った。次の駅だ。席は空いていたが座らなかった。降りた。オレの駅だ。もうバスはない。迎えに来てくれた妻の運転するデミオに乗った。無事帰宅した。母親から趣味の絵手紙が届いていた。イチジクの絵だった。妻はそれを見て今日イチジクを買ったと言った。友人(と言うには失礼かもしれない年上の知人だが)からの大事なメールも来ていた。これから母と友人(親しい知人と言うべきだろうか)にメールする。その後ビールを飲みたい。晩(?)ご飯も軽く食べる。そしてヤクを飲む。そうしたら就寝だ。明日は(もう今日だ)確実にフレックスのコアだ。それには間に合いたい。会議がある。それ以上早い出勤は無理だ。今日もそうだったけどさ。

 絶対に I SHALL BE RELEASED だ。今は光が近づいてくるのすら全くもって見えないが、私は妻と共に未だこれから、今からね、60年以上は生きるつもりなんで(真顔!)、長〜い長〜い時間で考えればいつか光が見えて、いつかシャルビーとなる。愛する家族という光は十二分にありますけどね。これは掛け替えのないものです。前にも書いたな。
 ま、収穫を迎える光は待ってりゃいいってもんでなくて、何とかせねばという気持ちも重要です。そりゃわかってますがな。生きてりゃいいんだって気もするけどな。最近わからんくなるよ。「生きること」それ自体でもそんなちっこいことじゃないで。な、詩人ケンさんよ。 ま、絶対に I SHALL BE RELEASED だ。長ーいこと自体が目的なんでなくて、要は長い時間をくださいってこと。禅問答じゃありまへん。これも前にも書いたな。わかってるよ。

 バーチャル・フリーダムの世界に自分の言霊を置く。これが自分をキープする。そしていつかは、I SHALL BE RELEASED だ。しつこいか。いつかはわからんが、そう思う私は正常だ。私はこの我が祖国日本で自分をキープし、自分を解放する。いやぁしかし、おんなじとこに何回もリンク貼るなってか。ま、いいじゃん。いいじゃないかリンクの2回や3回ぐらい!


03年 9月 9日(火)   月と虹と火星と

 バスから降りて我が家に向かう途中、空を見上げると満月に近い月。その周りに虹(と言っていいんだっけ?)。虹の円周の中に、月の直ぐ斜め下に輝く星が見えた。火星に違いないと思った。きれいだった。家に入る前に、インタホンで妻子を呼んだ。外で一緒に月と虹と火星を見た。妻子はさっきも見ていたと言った。さっきはもう少し離れていたらしい。後で録画した「7時のニュース」を見たら、ニュースの終わりに紹介してたな。肉眼で見たほうがきれいだったぜ。

 今日帰宅する前に、田舎の小中の同級生が電話をくれていた。彼の家に別の同級生が来ていて、その別の同級生の娘が、今年の田舎の秋祭りで舞妓(舞子)をやる。祭りに田舎に帰って来るなら、祝いに来てほしい。
 もう何年も田舎の祭りに帰ってない。是非駆け付けたい気持ちはあるが、今年も帰れないと思う。帰宅してから、舞子の父親となる同級生に電話した。帰れないと思うけど、帰ったら是非行かせてもらうよ。帰れなくてもご祝儀をと言ったら、ご祝儀なんてって笑ってた。
 ガキの頃に時代を共にした同級生が連絡してくれるのは素直に嬉しい。嬉しいね。

 中秋の名月って、もうすぐなんだっけ? ・・・僕の人生に Harvest Moon が見えるのはずっとずっと先のことだけど、今日の月はきれいだったな。月も虹も火星も。いいものを見た気がしたよ。よかった。


03年 9月12日(金)   朝は二駅乗り越し、夕は定期の二郎さん神経科へ (改題「俺たちに明日はある」)

 拝啓。日本スキゾフレーニア臨床学会殿。今日は起きれた。電車に乗った。いつも通り途中で始発電車に乗り換えて座った。眠った。職場の最寄り駅一つ前で目が覚めた。あと10分ぐらいかな。直前に目覚めるだろうと、おぼろげな気持ちで(しかし、たぶん)決め込んだ。
 目が覚めた。背後に違和感を感じた。最寄り駅ならホームは駅舎内だ。背後は宙に浮いている感じがした。まずい。乗り越しに違いない。降車口の反対側に座っていたオレは未だ込み合っている車内をかき分けた。手遅れだった。隣りにぼーっと立っていた若手のサラリーマン風に駅名を訊いた。一駅乗り越しだった。そのまま立って次の駅を待った。下車した。季節はずれの猛暑(?)の中、野外に曝されたホームで逆方向を待った。幸い朝は便が多い。あまり待たなかった。逆方向はガラガラだ。余計にボケた自分を感じた。しかし座った。あまりに席が空いているのだ。しかし今度は眠らなかった。二駅戻って下車した。歩いた。定時には間に合った。オレは定時を目指す場合はもともと早めに出て、始業前にタバコを2本吸うのがこの間の習慣だ。今日はほんの数分だったが、いつも通り吸った(タバコやめろって、は、徐々に減らしていつかはと思ってはおるのです)。で、定時からちゃんと仕事はしたよ。仕事はしたからね(笑)。

 今日の帰りは早退するぐらいのつもりだったが、それでも何とか定時過ぎの早めに職場を出た。帰りはどうにか乗り越さなかった。二郎さんは早朝から昼過ぎまでと、夕方の一定時間しか営業していない。この営業時間はオレみたいなアホサラリーマン用だろう。それでいて遅くまではやっていないのは、そんな遅くまで働いてちゃならんという(お客さんも自分も?)二郎さんの考えもあってのことのような気がする。つまり毎日欠かさず深夜残業する人は、帰宅途中に二郎さんの客になることができない。
 近頃は寝付きの方がわるいです。途中は起きてないような気がします。少なくともあまり目覚めてる記憶はありません。毎日でもありませんが。だけどとにかく、眠りはかなり浅いんじゃないかと感じています。電車の中では熟睡してしまってるような気がします。少なくとも自覚的にはそう思います。立ってたって、吊り革につかまって眠ってしまう時があります。朝も帰りも乗り越したり、うっかり早降りしたりすることが少なくありません。早降りの方は朝はしたことないですけれども。
 「近頃は何時頃に寝床についてますか。とにかく然るべき時に眠るのが重要なんです。1日8時間の労働は科学的な理由があります。まぁいろいろあるでしょうが、今のあなたにはかなり重要です。もっとも本当は働いてる人みんなに重要なんですがね。産業カウンセラーなんて置く職場がありますが、大抵はどうかなった人を元に戻してまた元通りの働かせ方をさせるためにやってるだけです。原因の除去なんて検討してない。そんなことじゃ何も変わりませんよって私は言ってるんですよ、よく。 ・・・まぁあなたの場合はイロイロありますからなぁ。ココロも難しいところではありましょう。まずは今は自己防御して自分でコントロールすることをしなければいかんですよ。ヤクは前回と同じにしましょう。」

 ははぁ。あっしもなるべく早めに寝床につこうとは思ってるんですがねぇ。早く帰った時でも、なかなか寝床時間はそんなに早くはならんですなぁ。早く寝床につくのもサミシイもんですぜ。あっしは思うんですが、電車で眠れるのは(眠ってしまうのは寝不足だからだけど)、「今日」の時間が未だ残ってるからじゃないかねぇ。休みの日の昼間のソファの上だって、けっこう眠れるよ(眠ってしまうのは寝不足だからだけど・・・くどい!)。夜いざ寝床につく時はさ、もう1日の終りなのよ。となると、いろいろ寝苦しくなるのさ。そりゃそうだろう。あっしにはそのシクミだけはわかる気がするぜ。ま、しかしその日が終りってだけであって、起きれば明日がある。これが本当は重要なんだろうけどね。ココロ的にはどっちにも転ぶファクターだけどさ。

 カラダはキープせねば。そのうえでココロです。順番は本当はいろいろ。というか両方あっての療法(シャレかい?)でしょうが、ココロは二郎さんのお話で何とかなる類のものでは全くありません。とにかく、シャルビーですがな。あっしがわかるのはそれだけです。ま、いいじゃないか。キングとかポーンとかは関係ない。(この詞の内容は、職場の信頼する同僚が、先日あっしの誕生日へのメッセージの中で紹介してくれました。有り難いです。あっしはたまたま、この自分のサイトの中でも自己流に訳してますのですが。それがちょっと前の下線のリンク先ですねん。) ホント、全然関係ないよ。自分にとって(それと「家族にとって」がもう一つあっしには極めて重要な側面ですが、これはまた別の側面のようで一緒のようで、人生はカンタンじゃないね)、どうなのかってことさね。

 僕は僕の人生を生き 明日に立ち向かわなくてはならない(あっしのリンクはいつもしつこいのぉ)。原詩は I must be what I must be and face tomorrow だから、and の前の部分は、あっし用の言の葉としての意訳です。 what I must be なんて今のあっしにはヘビーで言いにくいです。もっとも、ポールさん(サイモンさん)も、この詩を書いた時には、彼としてのヘビーな気持ちを持ちながら、しかし乗り越えて書いたのかもしれませんが。

 僕は僕の人生を生き 明日に立ち向かわなくてはならない(し、しつこい)。まぁ「明日に向って撃て!」のポール・ニューマンとロバート・レッドフォードのように死のうってわけじゃなくてですね(あの映画、たしか原題は「ブッチ・キャシディ・アンド・ザ・サンダンス・キッド」です・・・スペル調べるの面倒なんでカタカナ許して、要するに二人の主役の名前さ、大体やねぇ、あの頃の映画は「俺たちに明日はない」だって本当はたしか「ボニー・アンド・クライド」なんだ・・・いやぁウォーレン・ビィーティとフェイ・ダナウェイもカッコ良かったよなぁ、あ、あれも二人とも死んじゃうんだ、あのね、両方ともあっしが映画館で観たのはリバイバルじゃったからね、はい、長いぞカッコ、すまんこってす)、 ・・・ は、カッコ長過ぎてワケわからん。ま。生きるのさ。シャルビーですがな(本日2回目のシャルビーですがな、あ、これで3回)。


03年 9月13日(土)   菅と小沢のタッグには(実は、笑)期待している (0914追加改題「ケンポウモンダイ、にも触れて」)

 本日の1本目。
(内容に合せて 14日の日曜に追加改題加えました。ま、最後の方じゃ、野中じいさんにまで触れてはいるんですけどね。「ケンポウモンダイ」はちょっとだけ表現も手を加えました。)
 横着だけど、わりあい最近、信頼する知人に書いた別件メールの中の自分の文章を写してちょっと加工しつつ付け足し。言葉足らずで誤解招くおそれもあるけど、ま、いいっす。ゆっくり書いてるパワーないが、ちょっと今のうちに書いときたいだけなんだ。あっしのようなフラフラの「転石出戻り野郎」は力強く言えることじゃないんだけど、ちょっと書いときたくてね。

 もう旧聞だけどさ、菅直人と小沢一郎のタッグ。あっしはわりと期待してるよ。彼らが何か出来るというよりも、それで自民党とか現体制とかこわれるんなら、そのうち、いろいろ考え直さないかんようになるかもしれぬ。

 日本の反体制は体制の周りをぐるぐる廻ってるばかりで、なかなか現実を動かさない。例えば、あっしは個人的にはケンポウは「平和憲法」でいいと思う。それでみんなが行こうってんなら、そういう国にしなくちゃいけない。でも日本国民の多くは真剣に考えたりしてないので、だったら、いっぺん作り直して自分の頭でどういう国にしたいのか考えたうえでの憲法にした方がいいんじゃないかとも思ってる。このへん、あっしは「敗戦後論」の加藤典洋に近いかもしれぬ。
 飾り棚に飾った憲法はしょうがないし、その憲法を活かさないからいけないんだと言ったって、自分の頭で考えたり作ったりしたわけでもない憲法のことを本気で考えるのも、ほとんどの日本国民には無理なのさ。あっしも似たようなもんかもしれぬ。

 ゴケンゴケンといって咳き込んでる人たちだって、そういう人が本当は多いような気もする。非ゴケン勢力の周りをぐるぐる廻って「ゴケンゴケン」と言っている。永久運動だ。世の中、実際には全然ゴケンじゃない。日本は法治国家じゃないよ。矛盾はずっと置き去りだ。放置国家だ。あっしは自己放置人間かもしれぬが(いや、ちゃうちゃう)。

 あれがアメリカからのもらい物もしくは押し付けだったのは確かな話さ。そんなものだってイイものならいいじゃないか、日本人はあれを喜んで受け取ったんだって言う人もいるけど、本当かな。わかんねぇな。喜びも悲しみも人それぞれ。喜んで受け取った人も、その後の世界の中における日本のビジョンまで「よーく」考えてのことではありません。たぶん(オレ未だ生まれてなかったもんね)。大抵の日本人はそんな余裕なかったんじゃないかい。少なくとも、最初からか(最初は多くの人がウレシカッタのは確か、戦争の実体験に基づいて感情的に多くの人が肯定的にウケイレタのは確かです、でそのことが大変重要な事実であるのも確かです、でも実体験を理論的論理的に総括しなかったんです日本人は)、とにかく、最初からなのか、いつの頃からなのかってのは多少はデリケートなハナシだけど、少なくとも戦後の長〜い間、日本人は、本当のところはヘイワケンポウの中身のことなんか、突き詰めて考えたりしてないよ。ま、占領はされてたけどねぇ最初は。でもそれはドイツも同じ。えー、日独比較はもしもいつか気が向く時あったらヤリマス(気が向いたらね)。
(この上の2段落、14日の日曜に一部ちょっとだけ手を加えました。本旨は変えてないよ。)

 あっしはね、国民、市民が真剣に議論して(議論を避けないで)憲法を作り直すなら賛成。それで徴兵制でもできたら逃げたいね、そんときゃ別に国籍なんか拘りません。ずるいかい? だから議論は真剣にせにゃいかんだろうけどさ。それにあっしは日本にいるよ。いろいろあるもん、あっしは日本にいて抵抗するよ。そん時の力の範囲でさ。

 でも、とにかくはっきり言いたいのはね、
「我が国はアメリカのイラク攻撃は支持します。しかし軍事作戦は協力しません。いやぁ、申し訳ない んですが、ウチにはヘイワケンポウというのがありまして出来ないんです。血は米英とイラクで気が済むまで流してください。ウチはお金や物資の運搬なんかは協力しますよ。何しろアメリカの攻撃は支持してますから。アメリカさんの基地だって我が国にはたくさんありますからねぇ。」
こういう国は絶対世界から尊敬されません。アメリカのネオコンにも、本音のところではバカにされてると思うね。

(下の3段落、余談の前までの部分、14日の日曜に一部ちょっとだけ手を加えました。本旨は変えてないよ。)

 ゴケンの日本人はアメリカのイラク攻撃支持の日本人とは別の人だ。一緒にしちゃいかんって? それ詭弁ですよね、外から見たら。何しろゴケンの人は非ゴケン勢力の周りをぐるぐる廻って「ゴケンゴケン」と言っていて、お互い日本を補完してるんだからさ。日本人Aさんがヘイワケンポウがあるんで血は流しませんって言って、日本人Bさんはアメリカさんのイラク攻撃支持しますって言って、体制の人は大抵Bさんみたいな人なんだけど、外向けにはAさんになったりもする。外から見たら、日本人はABさんだ。で、日本の中で、AさんたちはBさんたちの廻りをぐるぐる廻っている。Bさんたちも大抵はAさんたちに正面からは手を出さない。ま、でもどっちかっていうとBさんたちの方が威勢がいいかな。Bさんたちは本当のところは早いとこヘイワケンポウ変えて非「ヘイワケンポウ」にしたいって思ってるから、どっちが議論したがってるかっていうと、Bさんたちのほうだね。ま、情勢見ながらなんだけど。Bさんの中でも体制の中にいる人は、体制の中から出るようなことにはなりたくないって思ってるからね。自分の時代は当らず触らずってのが大勢だ。Aさんたちは、ケンポウ「そのもの」の議論をするだけで(ゴケン非ゴケンの議論のことじゃないよ、それも法治国家なら大事に決まってるんですが)、「アブナイ」と思ってる人が多いね。もう本当は十分に「アブナイ」のに。日本は法治国家じゃないからさ、ヘイワケンポウの有る無しにはほとんど関係なく(ゴケン非ゴケンの議論の有無にかかわらず実態としてそうだもん)、なし崩しの非「ヘイワケンポウ」化がどんどん進んでるじゃん。周りぐるぐる廻るだけの議論してたら、なし崩しだよ、とりわけこの日本では(飾りさえキレイなら気持ちいいと思ってるんなら別だけどさ)。どんな国にしたいかってこと抜きで、ゴケン非ゴケンの土俵だけで相撲とってるんだから。ゴケンのためにはケンポウ本体(ケンポウ「そのもの」の内容について)の議論しないでいることが肝要です、なんて倒錯してるよ。なんでゴケンがいいのか(わるいのか)って根っこのことの議論をするのは倒錯でもなんでもありません。

 だって日本人はあんまり考えないで、日本国としては外交や軍事(の必要性の有無や中身も)をアメリカに任せ、アメリカさんの外交的軍事的庇護のもとでお金稼ぎしてきたんだって、そりゃ歴然とした事実なんだからさ。これからもそのままいく、なんて無理だもん。何故って、世界(国外)でお金稼ぎ過ぎちゃったんだからさ。ワタクシたちはお金は世界から稼ぎまくりますが、その他のことについてはアメリカさんをお金でお手伝いし続けます、なんてそりゃないよね。アメリカさん(のやり方)が大嫌いで嫌だって言ってるところからだって稼ぎまくってるくせに。 ん? オレ経済と政治ビビンバしちゃってるかい? いかんいかん。でも日本自体がビビンバだもんね。ま、ビビンバはあっしは個人的に好きです。あれは美味い。プルコギの後に食べるのもイイよ。スキゾフレーニアの文章ってオカシイかい?

 あっしのような「転石出戻り倒錯野郎」が言うのもなんですがね。議論しなけりゃ最終ラインは守れるなんて、そんなバカな話ないんだって。・・・ 国民市民が徹底的に議論してみたら変わっちゃいました、ってんならそれでシカタナイんだって(あ、シカタナイって言っちゃった、ウォルフレンさん御免なさい)。それが民度なんだから。ま、もちろん民度レベルだけで最高法規作るのはとってもイケナイ(けどシカタナイ? うーん難しいハナシ)ことなんで、この国民市民的議論の中で、チシキでご飯食べてる人(知識人サン文化人サンとか、文化人って何でしょう?)たちの責任は当然ながら大きいんだけど。「転石出戻り倒錯野郎」のあっしは、自分の国の人の(自分も含めたってことになるのかなぁ、ははは)徹底議論で決まれば、それがどっちに転んでも「共同幻想」としての日本人の覚悟ってことでしょうから、そん中で、しかし生きるのは個人だからね、あっしの人生を他の日本人が生きるわけじゃないんだからさ、そういうわけで、(必要なら)嫌なことは嫌だと言ってそれを議論と説得で通すことをしつつ生きる所存です。個人的には今「覚悟」って何に対するものか、まぁ弱いもんですから。力なくも、頭の中で思うことを書いてしまってるわけでして。ま、書くだけ書かせてよ(誰にも止められんか、笑)。

 余談。
 最近、野中広務じいさんが引退と引き換えに小泉(と青木と村岡カメおやじ、あの人カメ顔だ)を倒すと言って話題になった。というか、引退発言それ自体が話題になったと言うべきか。あのじいさんは小沢一郎が大嫌いで(あっしも好きではない)、そのくせ「悪魔と手を結んででも」と言って連立組んだりしたこともあってちょっと注意ではあるんだけど、でも、実は野中じいさんほど信念の政治家は自民党には少ない。沖縄特措法の国会での「日本の国会を再び大政翼賛会にしてはいけません」と体を震わせながらやったアレとか、靖国問題での姿勢とか、イラク特措法(だっけ?)の時も退場したりとか、まぁ言動の方法はいろいろだけど、こと戦争の問題になるとハンパじゃない。信念の人です。政策はどうあれ、信用出来る。スゴイ古いタイプの裏技使いの政治家かもしれぬが、信念は感じる。残念な気はする。

 もう一つ言うと小沢一郎。あっしは決して支持者じゃありません。しかし、あの人にも(実は、笑、なんで?)、信念を感じる。というか、前にニュース・ステーションに呼ばれてインタヴューされ、彼がそこで考えを語ったのを聴いた時もそう思ったし(たしか2回だったかな)、以前サンプロで見た時も思ったけどさ、何言ってるかわかるよ、あの人の話。内容を支持するかどうかってもちろん大事な話だけど(支持できる面も出来ない面もありそう)、日本の政治家のほとんどってさ、テレビに出たりした時にでもよーく聞いてみてよ、何言ってるかわからんよ。大抵は支離滅裂だったり言語不明瞭、そのくせカブキ役者みたいに顔だけ造ったりしてさ。小沢一郎は明確だもん。言ってることが。議論の当事者にはなれるよ。菅直人もそう。話はよくわかる。何言ってるかってさ。まぁそのうち二人はお別れかもしれないけれど、体制変革の刺激にはなってほしいです。話ができる政治になりますよう。・・・

 ・・・あーあ、こんなハナシ言えるような人間になりたいなぁ。ってすいぶん書いちゃったなぁ。自分が情けないと、なかなか口に出して言えません。こういうギロン、好きなのに(笑)、機会もめちゃ減ったし気力もわきません。はは、ダメじゃんオレ。ま、ずいぶん粗雑かつ乱暴に、今日は書くだけ書かせていただきました。唐突ですが、ま、あっし自身は、そのうち、I Shall Be Released  と思いまして、根拠も無く、この我が祖国日本でたくましく生きていく希望だけは捨てぬように心掛けている所存であります。どうか清き一票を(ってか)。


03年 9月13日(土)   息子、打ちましたぜ!

 本日の2本目。
 横着だけど、これは本日、信頼する知人(1本目と同じ人)に書いた別件メールの中の自分の文章を写してちょっと加工しつつ付け足し。あっしにはエラク大事なことだけど、コピーして加工すると便利なんや。皆さんよくやるっしょ。

 今日、午後から息子の野球の試合を応援に行ってきた。試合はダブルヘッターで、1試合目の先発 レギュラー組の試合では出場機会なし(試合は勝ち)、2試合目の5年生以下のメンバーで固めた試合に先発(2番センター、途中からライト)(息子は5年なんだからもちろん大事な試合さ、こっちだって)、一応最終回まで出てた。
 1打席目は送りバント成功(相手エラーで本人も生き、送られた子が結果的にホーム生還して先取点につながり)、2打席目は内野ゴロ、その間に相手チームから逆転されてたけど、最終回の3打席目で息子がヒットを打ち(本人は二塁打と言うかもしれないけど、と思ってたら、笑、いや本人もそこは冷静でした、笑、実際は1ヒット・1エラーでの二塁走塁成功)、これが同点打となるタイムリーヒットとなり、結局試合は引き分けだった。息子の1ヒット・1エラーでの二塁走塁の間に二塁味方ランナーがホーム生還だからね、これを正確に適時打、と言っていいかどうか。ここも息子は冷静に受け取ってたけど、ま、おとんはタイムリーって思っとくよ。3点のうちの2点にからんだんだから今日は上出来。

 普段行けても妻の応援が多いけど(あっしは疲れて元気なく力もなく眠く・・・家でゴロゴロしたり別の用事したり)、今日は出かけてみた。思えばあっしが初めて試合を応援に行った時も、それまでなかなかヒットが打てなかった息子が試合での初ヒット、まぁあっしの応援は縁起モノかもしれんな。

 近頃はあてもなく田舎に帰りたい気分もするけど、妻の実家の方の事情もあるし、少なくともあっしの田舎に帰るのは夢のまた夢かな(仕事もないな、ははは)。家が田舎の酒屋かなんかでしかも儲けてたらヨカッタかなぁ。なーんて軽口言うのもバカヤローだ・・・。少年野球団はないと困る。日本なら大抵あるかい? ここに住んどるのは必要なんだ、あっしとあっしらには。

 頑張ってるからね、My Beloved Son は。あっしは英語なんか大して知らんけどさ、この Beloved って「感じ」出てるイイ言葉じゃん。ま、あっしの場合はもちろん My Wife と My Son ですね。家族ノロケしてどうすんねん。知らんがな。ええやん。

 バーチャル・フリーダムの世界に自分の言霊を置く。これが自分をキープする。そしていつかは、I SHALL BE RELEASED だ。はは、また言ってら。いつかはわからんが、そう思う私は正常なんだ。って言い聞かせてんのかって。はい、そうです。あっしはこの我が祖国日本で自分をキープし、自分を解放する。 ・・・ 自分の別の日からも引用しちゃってさ、転載許可したのかね、オレは。

 ま、何とか仕事をやってここ我が祖国日本の北関東から首都圏範囲で(笑)、日々を過ごしていれてるから、大丈夫。カラダが壊れるほどにはならんでしょう。カラダとココロをキープしていつかは収穫するねん、生きてりゃ何かを。っつーよーな、いつものワケわからん話(ワシはわかる、笑)になったところで2本目はおしまい。


03年 9月13日(土)   サイモンとガーファンクル、日本来てくれぇ!

 本日の3本目。
 えー、話題になっておりますが、サイモンとガーファンクル(今日は S&G でなくカタカナとしておきましょう)の再結成北米ツアー。何としても、その後、日本公演に来てもらいたいもんです。あっしは最近、某プロモーターに3通メールしましたよ。要するに、是非とも彼らの来日公演を実現させてほしい、彼らの人気からして、数少ない公演回数ではチケット取りも至難、かといってドーム公演はあまり似合わない気がする、武道館クラスの会場での数多い日本公演が実現されますよう何卒宜しくお願い申し上げる、という内容のリクエストをしておきました。

 何せあっしは これもん です。彼らの歌だってけっこう勝手に訳してます(この中にわりとあるよ)。前回の20年余り前の再結成来日公演の時は学生時代で札幌在住、涙を飲んで(すっぺぇ)コンサートには行けんかった。ポール・サイモンのソロ(のバンド付き)来日公演は行ったけどね、イカッタす。

 今年のグラミーだったかで功労賞もんで久方振りにデュオしたのがきっかけみたいだけど、まぁ実際の理由は何でもいいよ、うーん、何でもいいってわけでもないけど、とにかく来てくれ。ニュースで記者会見の模様と「早く家に帰りたい」や「ボクサー」を歌った二人をちらっと見たけど、大丈夫。60歳超えたみたいだけどさ、未だ未だ歌えるよ。ポールなんて未だバリバリ現役だし、アーティはどうかな。でも彼の美声はやっぱ彼らのハーモニーに必須。ポールの才能が抜きん出たのは確かだけど、サイモンとガーファンクルの、サイモンとガーファンクルとしての名曲の数々に果たしたアーティ(の声と存在)は大きいよね。

 最近、職場の同僚から彼ら(にも)関係の面白い日本人個人サイトを紹介されて、リンク載せようかと思ったんだけど、ちょっと見たとこ、少なくとも自分のサイトからの転載とかには神経使ってる人のようなので、リンクも連絡しないままじゃどうかなと思って断念。今のあっしは知らない人に連絡するのって面倒だからね。
 探せばいろいろありまっせってことか。うまいサイトです。なんか簡易ソフトとか使ってんのかな。唐突に言い訳させてもらうと(半ば自慢?)、あっしは未だに HTML の打ち込みが全て。ま、見出しの看板(?)だけは、立ち上げ時に参考にした本のおまけ CD-ROM に入ってたヤツちょっと拝借して加工したけどね。あとはずっと HTML 打ち込みのみ。これって進歩ないってことかい? だけどわりと簡易ソフトだけでやってる人多いぜ(いいじゃんそれで、はい、そうです、失礼しました、ホントだ何もわるくないって)。ま、いつか気が向いたら、あっしも簡易ソフト使ってもっとビジュアルに冴えた作りにしないといかんかもね。
 大体文字が多過ぎて嫌になっちゃうでしょうよ、みんな。おれ活字好きなんだよ。見るのも読むのも書くのも。話がどんどん逸れて、今日はこれにて。いかんいかん、打ってるうちに 9月14日(日)に突入だ。更新する頃は夜中の0時半頃だぜ。時々やっちまうんだけどさ。不眠症対策には少しは二郎さんのヤク効いてると思うんだけど、バーチャル・フリーダムの世界に書きまくるのって、オレの自己カウンセリングなんよ。二郎さんのそれ用ヤクとどっこいどっこいかもなんだからさ。ま、しかし、はよ寝床つかんと。二郎さんに言われてるんやワシ。


03年 9月14日(日)   ゴスペル・ワークショップ 2003年セカンド・シリーズ2回目練習日

 クリスマスに向けたワークショップ。あっしはクリスチャンじゃありませんが、こういう歌も訳してますし、はい。はは、この間も書いたな。この話題の度にコピーしたりして。
 今日の練習曲は Put All Your Trust in Jesus と Make Us One でした。

 先日からなんだけど、今回のワークショップには、韓国から来た他の教会の宣教師も参加してる。クリスチャンネームを名乗ってる人だけど、姓の方で、韓国通(?)のあっしにはすぐに韓国の人だってわかった。あっしはむかーし韓国語をちょっと勉強したことがあって、もうだいぶ忘れちゃってるけど、今も少しは憶えてる。相手はほんの数ヶ月の勉強でもう日本語に不自由ないって感じで(韓国語は日本語と文法がほとんど同じで「てにをは」もあるし、そのうえ日本語の方が発音が単純だから、韓国人パワーで日本語を勉強すると上達はえらく速いのだ!)、日本語で十分なんだけど、ちょこっと何とか憶えてる韓国語で話しかけさせてもらったりするのも楽しい。

 ところで、今日改めて感じたんだけど、演奏も可能なら生の方が気持ちいいですね。キッズプログラムではコンサートではよく青少年バンドの生演奏付きなんだけど、我々大人のは基本的にはバックはカラオケ。バンド演奏の録音だから完成度は高いんだけど、練習でけっこう先生の生ピアノ演奏(正確にはヤマハ、グラヴィノーバです)で歌うときがあって、これがなかなか気持ちいいんですよ、歌ってて。やっぱ、生の魅力ってありますね。楽器も生にはよりソウルを感じる、って言うと大袈裟かな。まぁバンドまで付けたら練習が大変すぎるけど、例えば先生のピアノだけで歌う曲があってもいいように感じたりもしました。ま、歌うだけで十分に楽しいんですけどね。

 来週は東京都内で大きなワークショップがあって、我々のクワイアはゲスト・クワイアとして他のクワイアと合同コンサートしたりする予定なんだけど、あっしらは来週は不参加にしました。あっしは疲れ切っちゃってるし、息子の運動会の翌日だし(? でも息子は今回野球優先でキッズにも参加してないんだ)、帰りの時間考えれば息子一人留守番させとくわけにもいかんし、妻も用事いろいろあるし。ってわけで・・・。

 次回のワークショップ参加は10月。また、これからもがんばりやしょう。あっしもいつかはシャルビーですがな(はは、またやがな、ホントこればっかしや)。シャルビーってずっと先でもいいんだからさ、あっしらは100歳以上生きる予定なんだから(ん? 深い意味はないです、いや、あります)、いつかはシャルビーになりますがな。ココロだけでなく、カラダもキープしとかんといかんなぁ、そういう意味では尚のこと。最近クビ痛いんだよな。椎間板がちょっと心配。いや実際こっちもモンダイなんで、神経科でない外科の末梢神経系のヤクも飲んでまして。とほほ。


03年 9月15日(月)   11時 9分前に起きて、9月11日を想う

 これ、言葉の遊びだな。しかも下らない(笑)。腹の調子はどうだい? ちなみにここで言う「9月11日」はあの 9.11 のことでなく、あっしの誕生日です。大方はですね。

 たまたまこの歴史的な日(2001年9月11日)の41年前に(1960年の同じ日っつーことね)、あっしはこの世に生を受けたんですが(おっかさんのお腹の中にはその前からいたさ、当たりめぇだ)、日本と NY の時差はあるんですがね、あれは確かに日本時間でも「9月11日」でして、あっしはよく憶えてるよ。だってオレの誕生日祝いのその時に、テレビで「超」臨時ニュース的にやってたんだからさ、忘れられんさ。 アメリカ同時多発テロについて とか、 再び、アメリカ同時多発テロについて とか、 アメリカ同時多発テロ、その後の雑感 とか、その頃いろいろ書きましたよ。これクリックすると大抵「文字だらけ」ですから、まぁ改めて読む気になる人はおらんと思いますが、ああ書いてたなぁと想い出して載せておきたくなった次第であります。ま、その後もいろいろこの件書きましたが。ちなみにクリックして気づいたんですが、上の1本目は書いたのは 2001年 9月15日、たまたま2年前の今日でありました。コインシデンスとかシンクロニシティって信じますか。へへ、信じる信じないのモンダイじゃないか。

 今日はなかなか起きれませんで、ふと目覚めた時に時計を見上げたら 10時を廻ってまして、その後は暑い熱い中をうとうとウダウダゴロゴロ、ちゃんと目覚めてようやく起き上がれたのは、11時ちょい前でしたね。ま、11時 9分前ということにしときましょう。
 その前におかしな夢を見てましてね、今でも内容をわりと憶えてるんですが、職場の(しかも以前の方が)親しかった人達が何人か登場していたようで、どういうわけかあっしを含めて何人かと旅館みたいなところに宿泊してるんですが、あっしの部屋にカブトムシを含む昆虫がたくさんいまして、というか、あっしの部屋には堆肥みたいなものを入れた箱があって、その中にカブトムシとかいろいろいたんですね。部屋の中にはクモの巣も張ってたような気がするし、とにかくヘンな夢だったな。拝啓 日本スキゾフレーニア臨床学会殿。何ですかね、この夢? ま、見る夢はヘンなのが多いんだけど、この後に目覚めて起きましたよ。意味なんてあるのかどうか、ま、ないことぁないんだろうけど、わからんね。

 今日は地区の自治会(町内会)対抗のソフトボール大会で、妻子は早く起きて出かけてましたから、起きた時のあっしは家に一人です。妻は今日急用もなく、幸い希望通り参加できました。妻は運動神経よかぁないんだけど、運動はけっこう好きなんですよ。一回送りバントを成功させたそうです。応援に行った息子も出させてもらったようで、大人相手にピッチャーゴロ。二塁守備機会もあって中継プレーあったりで楽しかったようです。あっしも何年か前に自治会役員の順番だった時に出て、けっこう楽しかったんですが、ちょっとあっしは首と背中の椎間板がねぇ・・・(泣)。

 あっしは思えば 96,7年頃から惑いまして睡眠不足気味になりまして、2000年頃から更にひどくなり、2001年なんてそりゃもう慢性化でして。その間年齢超えの応募したり NGO応募して迷った末にあまりの低収入に応募辞退なんかもしつつ(その ヨイNGO 翌年財政難で解散、入ってたら今のあっし、考えてもねぇ)、そのうち、あの 2001年9月11日が来るんですが、アレ以降もっと眠れなくなるんですね。あっしは人類の未来を心配する「ローマ法王」でも何でもないのに、なんでかね。たまたまですか。結局その後はミゴトに「転石出戻り野郎」です。対策なしで惑うのがアホです。ココロは今も転石でんがな。睡眠障害はずっと続いとるなぁ(切れた時あったけどね、一時、笑)。

 なんでしょうかね。友よ、その答は「風に吹かれて」舞っている。ってココから自己流の訳詞にリンク貼りたいところですが、それ未だなんだよ。近いうちに気が向いたらやるよ。

 最近 BS で時代を刻んだ歌「風に吹かれて」ってな感じの番組やってたけど、内容はなかなかヨカッタよ。ただ、ナレーションが渡辺満里奈とか、オイオイってのはあったけどね。ディランはもちろん、リリー・マルレーンのマレーネ・ディートリッヒの例とか、韓国の例も紹介されてた。韓国の部分では、自らの意思と意志で時代に抗い、自らの近代史を辛抱強く切り拓いてきた韓国人と我が祖国日本の民との落差をも想ってしまいました。あっしを含む(当然!)日本人の方はぐるぐる廻るばかりでさ。

 友よ、答は風に吹かれている。風は吹いたり止んだりする。止んだら答はどこに行くんだい。わかんなぇな。でも風は亡くならない。また吹く。答は風の中にある。とにかくあるんだよ。っつーわけさ!