03年 5月25日〜7月 6日

最近の子供はどうか分らないけど、今の大人の多くはガキの頃に日記を何日か書いた経験があるのでは?
斯く言う私もその一人、当然この日記も不定期です。 (2001年8月19日、記)

03年 5月25日(日)   神経科カミングアウト(?)

 昨日、初めて神経科というところに行ってみた。と言っても、眠れるようになりたかっただけ。行ったところも、内科なども併せて診療していて、あんまり専門とも言えない医院だったけど。
 とりあえず行く気になったのは、身体の方がきつくなってきたから。とにかく眠れる薬を処方してほしかったんだ。でないと、このままに凌いでいてももうすぐ相当にきつくなるかもしれないと思った。

 1年半ぐらい前までも眠れない時はあったけど、それは今と比べれば大したことなかった。働くことでいろいろ悩んでたのが原因だが、日常生活は問題なかった。去年の2、3月だけは、ずいぶんとよく眠れたな。あれは現実だったのか何だったのか。まぁ空想的現実(?)だ。何だか懐かしい(笑)。その後すぐに眠れなくなり、徐々に悪くなって、去年の7、8月頃は、毎日毎日、極度の不眠。

 で、秋以降もいけません。また段々ひどくなってきた。最初はおそらく昼間の気疲れで夜は比較的眠れていたような気がするのだが、そのうちによく眠れなくなった。そもそも夢ばかり見ている感じで相当に浅い。おまけに朝までに何度か眼を覚ます。特に真夜中に覚醒する。それでも初めのうちは未だ朝まで3時間あるなと思えば少し気は楽になり、辺りも未だ暗いので、その後もある程度は眠れていた(めちゃ浅いんだけどなぁ)。その状態が徐々に悪くなってきて、近頃は、覚醒する時間が朝5時だったり。そうなると辺りは明るいし、もうあまり時間がないし、鳥の声も聞こえてくるしで、全然眠れない。 もともとその前もうとうとしている感じで、何度か目も覚ますし熟睡できてないから、正味の睡眠時間はかなり少なくなる。だんだん体力的にきつくなる。それがさらに悪くなって、4時とか3時半とか、あるいは2時半とかに覚醒してしまうようになった。それから朝まで未だ時間があっても、そのうえ未だ暗いのに、とにかく頭がさえてしまって、眠れない。それ以前もよく眠れているわけではないのだが、さすがに睡眠不足が蓄積してきていて身体が疲弊してきているので、身体の方は相当に眠りたがっていて、寝入るのにはあまり苦労しない。ところが決まって3時間程度の浅い眠りの後に覚醒する。そこで少しでも身体の疲れが取れていると(少しなんだけどなぁ)、そこから先、眠れない神経の方が眠りたい身体に勝ってしまうようで、眠たく思うのに眠れないという状態になる。

 とにかくまずい。出かけるがきつい、出かけても身体が重い、極端に眠くなる。日増しに身体がきつくなっていた。

 結局、昨日、近くにある神経科に行って来た。内科とかと一緒に診療していて専門の神経科、心療内科という風情ではないし、心の中身のカウンセリングを受けようという気は毛頭なかったけど、要するに、とにかく眠れるようにしないと。
 少し気力が出るという薬(アドレナリンにでも影響与えるんですかな)と共に睡眠導入薬を処方された。自分は寝入る際は苦労してないんだけど、薬が継続的に効く時間は個人差があるってことだった。
 飲んだらわりと眠れたよ。効いた部分と、翌朝が休みだってことと(つまり起きなくていいってことさ)、それに睡眠不足の蓄積があるからね、そんなのが相まって効果を出したのかもしれないですがね。これからどうなりますかな。

 核心の部分はどうしたら回復するのか見当もつかんけど、原因自体は自分自身があまりにはっきりわかっているからな。プロの医者に話したぐらいで良くなるとも思えない。まぁプロはプロですから、何か対処療法ぐらいはあるんでしょうな。でもなぁ、根本的原因は自分でしか対処できないよな、きっと。まぁしかし、とにかく無理矢理でも少しは眠れるようにしないと身体が参っちまう。そういう時は、身体の方だけにでも対処療法が必要です。

 自分の中にある自分の過去と現在、自分の中にある自分自身と周囲の関係がねじれてしまって、いつまで経っても強烈な葛藤が静まらない。自分の描く自分の像と現実があまりにかけ離れてしまいました。やっぱね、想像して頭の中で考えることと、実際の経験は違いますね。文字通り並大抵じゃないな。俺なんかやたらと気持ちで動く人間だから、動けないものには本当に動けない。心身が言うこときかねーんだ。やっぱり人生は一度しかないし、ずっとこのままはいけませんな。当り前です。こんなことばっかり、いつまで言ってるんだってとこですが、今は眠ることです。身体壊してもしゃーないし、焦ってもどうにもならない。とにかく日々を凌いでいくのが課題なのだ。それができなきゃどうにもならんですよ。だから四苦八苦してるんだ。これでも頑張ってるんですよ。

 今日さ、ビートルズの STRAWBERRY FIELDS FOREVER の訳をやろうと思ってたんだけど、時間なくなっちゃったな。来週気が向いたらやろう。あの曲好きなんだ。昨日は大塚が中日の勝利投手になったし、俺もせいぜい頑張らなくちゃなぁ。強引な締め方だ。ま、いいじゃん。なんで日記アップしてんのかね。だけど書き続けようと思ってんだ。やめない方がいいと思ってんだ。


03年 5月30日(金)   対処療法

 仕事帰りに神経科に寄った。これで治るなんて思ってないけど、少なくとも、まずは身体は守らなくちゃいけない。

 寝る前に薬を飲んで、明らかに前よりは眠れるようになった。前がひど過ぎたからね。だけど時々眼が覚める。5時頃眼が覚めたりもするけど、それでもその後うとうと出来るな。前は完璧に覚醒しちゃったからな。
 時間が来たら、身体を起こさなくちゃならない。でももっと寝ていたい気がする。昼間も眠くなる時がある。ぼーっとなる時もある。未だ睡眠不足だからなのか、それとも薬のせいなのか。実際のところ、未だ十分に眠れているわけじゃないんだけど。
 薬を半分にしてみたらどうなるかと素人ながらに考えてみたけど、医者はこのままでいいと言った。「とにかく十分眠ることです。」
 少し元気になるんだか気力が出るんだかって薬は、自分でも効き目があるのかないのか感じられないな。多少は効果が出ているようにも思えるけど、それも気のせいかもしれない。
 この間、テレビのコマーシャルでキムタクと一緒にチャーがギターを弾いている姿を見て、ギターの音を聴いて、久しぶりにチャーを聴きたくなって、CDをかけた。SMOKEY!
 この間ずっと、カーク・フランクリンや他のゴスペル、それにポール・サイモンや S&G ぐらいしか聴く気になれなくて、そんなふうにチャーを聴きたくなるなんて、ちょっと不思議な気がした。ほんのちょっとだけ元気が出てきてるのかなって思ってみたけど、本当のところはわからないな。
 薬で治るはずがない。ただ、病は気からなんて言うように、たぶん気持ちが塞いでいると、身体の中の何かの分泌とか神経とかに良くない影響が出て、フィジカルにもいいことがない。メンタルな部分がフィジカルな部分を刺激して、それでまたメンタルにも影響する。メンタルな部分には決定的な核があるにしろ、悪循環がいいはずがない。だから薬で、メンタルな部分に影響されまたメンタルな部分に影響するところの、フィジカルな部分にアプローチする。それで少しでもメンタルな部分の状態を和らげる。僕はそう受け取っている。薬がメンタルな問題の核心を解決するはずがない。それでも何かをくい止める、あるいは緩和するってところかな。たぶん、あるとしたら、そんな種類の効果なんだろう。効いているのかね? わからんな。そっちの薬は増やしてみるってんで2倍になったけど。はて、どんなもんかね。

 核心の部分を解決するのは自分自身。人生に解決なんてないのかもしれないけれど、良い方向には向かいたい。容易じゃないし、やっぱり時間がかかるかもしれない。でもどんなに時間がかかっても、いつか何とかなる。何とかする。生きていることは楽しいし、喜ばしいことだろ? そういうことを感じながら生きたいじゃん。当り前だよね。はて、医者に通うのはこれからどうするのかな。いつまでもってことはないよな。だけど眠らなくちゃいかんのは確か。まぁ先のことは考えたり考えなかったりってとこか。この日記、これからどうなるもんやら。ずっと書くのかね。


03年 5月31日(土)   STRAWBERRY FIELDS FOREVER

 ビートルズの STRAWBERRY FIELDS FOREVER を訳した。ジョン・レノンの STRAWBERRY FIELDS FOREVER です。

 この曲、ジョンが子供の頃に遊んでたリヴァプールの孤児院だか感化院だかをイメージして作った曲だってことだけど、僕の大学時代、ジョンが殺された時にニューヨークのラジオ局の特別番組が日本のどっかの局で流されてて、DJが何か語った後に流れた曲がこれだった。

 ビートルズの曲の中でもかなり好きな曲。僕は妻との結婚式でこの曲を使った。二人で会場に入場する時に使った曲だ。僕らには大事な曲だね。
 最後の方の歌詞が難しい。まぁこんな意味だろう。後で家にある青盤CDに入ってた訳詞を見てみたけど、けっこう違う訳だな。だけど僕の訳詞の方が断然いいぜ(笑)。 someone ってのが「ひとかどの人物」でこれが同じ訳だったのはご愛嬌かな。そうそう使う言葉でもないし、わからんけど、もしかしたら以前見たことがあって頭に残ってたかもね。まぁ勘弁してもらおう。他にイイ言葉が思い浮かばないし、無理に変えるのもなぁ。まぁ僕の訳は気に入ってます。自画自賛です。ま、いいじゃん。


03年 6月 1日(日)   テレビを買った

 今日からもう6月かい。
 もうずいぶん前からテレビの調子がおかしかった。修理に出そう出そうと言っていたら何故か一時的に直っていたんだけど、数週間前から再び同じ症状。つまりですね、スイッチを入れて映像が出るまで恐ろしく時間がかかります。最近なんか、10分近くかかっていたかもしれません。つーわけで修理屋さんへ。ところが、診てもらったら、ブラウン管の調子も悪く、そもそも映りがかなり悪い。実際、確かに映り良くなかったんだけど、もう慣れちまってた。しかし、眼にも良くないんだよな。ブラウン管まで問題あると、テレビ本体を買うのとそんなに変わりません。もう10年ぐらいは使ってたからなぁ。結婚した時はもらい物のテレビで見てたから、結婚して最初に買ったテレビだね。ま、うちは基本的に電化製品大事にしてるし、洗濯機なんか今も全自動じゃないもんね。テレビはもうちょっと使いたかったけど、しゃーない、この機会に買うことにしました。修理屋のおじさん、いろいろ教えてくれて有り難う。商売にならなくて申し訳ないことでした(笑)。
 さて、それでは量販店にでも行って買いましょうってことになったんですが、今までブランドなんか気にしてないんだけど、テレビとかCDコンポとか、MDウォークマンとか、ソニー製を買って来てたんですねぇ。でもね、自分の経験だけの話だけど、わりと故障少なくない気がするんだよな。ま、多いとまでは言わんけど。どうなんだろうねぇ実際のところ。ってわけで、今回は何となくソニー以外なんて思いましたが、店に行って一番映りが良さそうに見えたヤツを買いました。メーカーは選ばなかったけど、たまたま東芝さんでした。東芝さんがイイかどうかは知りません。それと、将来の全局デジタル放送化対応のアップグレード型テレビなんてのが大きく宣伝されてたけど、高いんだよな未だ未だ。どうせそういうのって、その頃にはかなり安くなるんだよねぇ。買ったのは普通の25インチのやつ。前のが21インチだったから、ちょっとサイズは立派になったね。当然、映りはだいぶ良くなりました。
 今日の日記はこんな話です。大した話ではありませんな。前のように、あんまり社会問題の話書く気がいまいちいま2起こってこないんだよな、相変わらず。昨日はメンバーになっているアムネスティとパレスチナ支援団体のニュースが届きまして、いろいろと関心は持続してはいるんですけどね。今一番肝腎なのは自分の元気です。前のテレビはリサイクル代払って置いてきました。リサイクル法であります。リサイクルにも消費税を取られます。税金ちゃんと使って下さい。税金ちゃんと使いましょう。テレビを買いました。6月になりました。元気は、どうでしょう。頑張って行きましょう。生きましょう。頑張る頑張るって思っていても消耗したりするのですが、そう思わないと力が抜けてしまう時もあります。元気、が必要です。金土と寝つきが悪くて、土日は寝起きがいまいちでした。そうすると一日あんまり良くないですなぁ。今日は出来るだけ眠りたいもんです。テレビを買いました。ビデオやDVDで好きな音楽映像を見て楽しむ、前は普通にそうしていた、そういう元気が、僕には必要です。気持ちが起きてこなきゃ本当の自分じゃない。楽しいことを本当に楽しいと思って過ごす。そういうふうに、いつか、なりますか。なりますよね。いつか、きっと、なりましょう。


03年 6月 8日(日)   祖母の三回忌

 今日は祖母の三回忌。本当は昨日から家族3人で帰省するはずだった。新幹線の指定席も取ってあった。御仏前も用意してあった。息子は従兄弟達と会うのを楽しみにしていた。その息子が水曜か木曜あたりから風邪をひいて熱を出し、自分まで一昨日あたりから鼻風邪で昨日は熱を出し(今日はわからんが少しぼーっとする)、結局帰省は取り止めにした。一度は指定席を後の新幹線に変更してぎりぎりまで迷ったけれども、やっぱり無理はしないことにした。
 今頃は寺での時間が終わって会食が始まろうとしているところかもしれない。法事は故人を想いかつ家族親族が集う機会。行って日常からしばし離れる時間を得られるような気もしていた。昨日はゆっくり兄貴と酒でも飲みながら話せたはずだった。残念。息子は好きな電車に乗り、そしていつも仲良く遊んでいる従兄弟達と会う機会を逃し、がっかりしている。まずは風邪を治す。次の機会を楽しみにすればいい。今度帰省したら、墓参りして線香をあげなくちゃ。時々田舎に帰りたくなる時がある今日この頃ではあります。


03年 6月 8日(日)   NOWHERE MAN

 風邪ひいてぼーっとしてる感じなのに、横になってる気もしない。だけど横になったりもする。まぁいいや。とにかくぼーっとするのにぼーっとしてる気になれない。ビートルズの NOWHERE MAN を訳しました。ジョンの曲です。居場所のない、行き場のみつからない男の話ですかね。
 僕には家庭という素晴らしい居場所はあります。だけど正確に言えば、僕も妻も息子も、それぞれの人生を歩んでいて、その中で大きな場所を共有しているんだね。だから、それは本当に大事な場所だけど、それぞれの人生はそれだけで全てカバーできるものでないことも確か。まして息子はいつか巣立っていきます。人はそれぞれの居場所や行き場がほしい。それは 100パーセント自分以外の人と共有できる、というものじゃない、そういう種類のものだ。そりゃそうだよな。当り前か。人はみんな違うんだ。だから愛し合うこともできる。NOWHERE MAN, SOMETIME SOMEWHERE MAN .....


03年 6月13日(金)   ヤクが切れたぜ(乾笑)

 仕事帰りにドロップ院。数日前まで、まぁまぁ眠れるのだが朝起きてももっと眠りたい感じ。昼間も眠くなる気がする。寝る前の薬は半分がいいのかもなんて素人考え(?)してた。この数日間は薬飲んでも眠りが浅い感じで4時半頃はっきりと覚めたりもする。処方される前のようにその後一睡も出来ないってわけじゃないが、飲み始めの頃と比べて浅い。息子の風邪の咳で眠りにくかった日がきっかけになったような気もするし、状態は自分では判断出来ない。わからんな。そのまんま伝えて、結局処方の内容は変わらなかった。坂上二郎氏は言った。「とにかく眠ることが大事」
 坂上二郎に似てるんだよね。顔の醸し出す雰囲気(?)が似てる。顔が似ると、輪郭、骨格が声を作るんだか声も似てきたりするよな。実際、声も喋り方も似てる。医院に電話がかかってくると二郎氏自ら電話に出てる。二郎さんのように妙に元気な声だ。内科とかも併せてやってるから、どのくらい専門と言えるのかはわからない。それほど細かい話をするわけでもない。だけど嫌な感じはしない人だ。このくらいでちょうどいいかと思ったりもする。深刻と言えば深刻なんだけど、そんなに突っ込むパワーがこっちにあるわけでもないくらいだからな。というわけで、続くのであります。


03年 6月14日(土)   ブライアン・セッツァー・オーケストラ

 昨日から今朝は眠れた。が、日中も眠い感じ。というか力が湧いてこない。いつものことか。薬のせいでもないな、これ。病は気からか、本当にフィジカルに調子ワルイんだか、わかりませんね。なんもわかりません。メンタルに力出てこないのはわかりきっとるのですが。いつまで言っとるかって、そんなん知らんがな。
 妻と買物に出た。父の日の贈り物。晩飯の材料。今日は息子が大好きな手巻き寿司。ウェブで献立発表してどうすっかね。

 帰りにCDを買った。BRIAN SETZER ORCHESTRA の BEST OF THE BIG BAND っていうベスト盤。別に特別好きで聴いてたわけじゃない。それどころかCDなんて持ってなかった。ただ、ストレイ・キャッツの頃からかっこいいと思ってた。しばらく名前聞いてなかったらビッグ・バンド率いるようになってた。それもずいぶん前だよな。へーっ、これもかっこいいなってセンスの良さに感心してた。前にも来てるんだけど、また今年の秋に来日するって知って、行こうかなって思った。で、CD買ってみようかって思ったわけだ。
 本当に行くかどうかはわからん。コンサート行くだけの元気あるかね。なくても行くかい。行けば楽しそうだって気がする。ブライアン・セッツァー・オーケストラって、いかにも楽しそうだよな。家族3人でノレそうだね。CD聴いたらやっぱイカスですよ。イカスだなんて古語だな。気が向いたら行ってみようか。

 未だに大好きなクラプトンやブルースが聴けない。今も好きなはずなのに聴く気が全然起きない。ゴスペルの他は、ほとんどポール・サイモン、S&G、たまのディラン、ビートルズってとこだ。何でかね。このへんは聴ける。わかるようなわからんような。
 この間はテレビCMがきっかけでチャー聴いて、あっ聴けたって思ったね。今日はクィーンのボヘミアン・ラプソディかけてみたけど、どういう風の吹き回しかね。続けざまにユーア・マイ・ベスト・フレンドかけてそれでおしまい。とにかくクラプトンとブルース聴いてないな。甥っ子のリクエストでティアーズ・イン・ヘブン訳す時に久方ぶりにあれ聴いたのが例外か。
 S&G、ポール・サイモンなんて自分の洋楽の入口から耳にしてた音楽だからやたらと長い付き合いだけど、クラプトンだってもうそれに近いくらいの長さだね。ポール・サイモンだってクラプトンに負けず劣らず好きだしなぁ。自分のこれまでの人生に欠かせないってことでは同じ。何か自分との関係性の質でも違うのかね。昨日の夜はたまたまテレビつけてたらブルース・ブラザースやってて、ベース弾いてるドナルド・ダック・ダン見たりバンドがスウィートホーム・シカゴやるの聴いて、気持ちが複雑に動いたな。好きなものは好きなように聴く。ノーマルに戻りたいなぁくそっ。けっアタマにくるぜ。つったってしょうがないか。無理なものは無理。無理な時は無理。そんな時代もあるさね。ってこと? ブライアン・セッツァー・オーケストラはたぶん大丈夫だよ。これまでの自分が深入りしなかった対象だからね。聴いて苦しくなんかならないと思う。そのまんまピュアに音楽としてだけ聴けるさ。たぶんね。


03年 6月15日(日)   ある日曜日

 日を明示しておいて「ある」日曜日もあったもんじゃないか。
 しつこい風邪で1週間学校を休んでいた息子が、今日久しぶりに野球の練習に行った。昨日も行きたがっていた。一昨日帰宅したら息子はバットをみがいていて、いかにも明日の練習は行かせてくれって感じだった。素振りもしてたらしい。だけど未だ咳も出るし、無理させてはいけないから、今我慢した方が後で思い切り出来ると言って説得した。で、昨日は休ませた。行きたいという気持ちが大事です。
 今日は朝5時50分起きで早朝から練習に出掛けた。昼前に妻が様子を見に行った。途中で疲れが出てしまったようだ。今日は試合の日で、試合後の練習でダッシュを繰り返している最中にへとへとになり、監督から言われて練習から外れたとのこと。で、最後まではいないで母親と共に戻って来た。明日から学校に行き、体力をだんだん取り戻していくから、次回の練習からはもう大丈夫だ。昨夜寝る前の息子は、久しぶりの練習でドキドキするなぁと言っていたようだ。ドキドキするけど出掛けたい、そういう気持ちが大事です。そういう気持ちになるのが好きなこと、やりたいことだよな。

 そう言えば昨日はゴスペルのコンサートの日だったな。息子が野球の練習に出るはずで、そのコンサートは遠征で帰宅が遅いんで、結局やめたんだった。父親は力が入らない。今日も眠い。横になってたら本当に昼寝してしまった。気づいたらもう夕方近く。何してんのや。起きた。PCつけた。ブライアン・セッツァー・オーケストラの来日公演チケット予約した。ノリノリにロカビリーしてロックンロールしてスウィングする中年おやじブライアン・セッツァーって、ストレイ・キャッツの頃なんか、すっげ若かったんだよな。1959生まれなんだと。1歳しか違わないよ。片や日曜に昼寝かよ、くそっ。とにかく行って観て聴きやしょう。
 昨日テレビでブラピのファイト・クラブやってた。たまたま途中から、後半だけ観た。全然想像と違うストーリーだった。意外と面白かった。しかし暗かった。なんかこめかみの辺りとかぼわーっとなるんだよな。あこれは自分の話。支離滅裂。とにかくブライアン・セッツァー行こう。行くのは未だ先の話。


03年 6月21日(土)   ゴスペル・コンサート出演

 今日は妻と共に、キリスト教会の催しのゴスペル・コンサートにクワイアのメンバーとして出演。場所はいつもの教会礼拝堂でなくクルマで30分強、国際会議場の中。いやぁ立派な建物でありました。歌った曲は、O Happy Day 、God Is Gonna Finish Jusu What He Started 、Make Us One 、He Reigns Forever 、My Life Is In Your Hands 、計5曲。今日はソロ無しで、いつもの O Happy Day のソロパートはソプラノ1の皆さんで。この5曲の中では、O Happy Day 以外では、気持ちいいノリの God Is Gonna Finish Jusu What He Started と カーク・フランクリンの名曲 My Life Is In Your Hands が特に好きであります。久しぶりだったけど、パートを大体憶えていて楽しめました(実は往きのクルマの中で練習を録音したMD聴いて復習したのであります)。(たぶん)他の地区の子供達のグループも出て、タンバリンありダンスあり、ギターやドラム、キーボードの生演付きだし、賑やかで元気良くてよかったです。生演いいね。他に教会の皆さんのフルート、ギター、ドラム、キーボード演りつつの歌と、ジェニファーさんという人の美しい歌声。みんな良かったです。伝道師の説教もありました。途中余興で○×式のクイズがあって最後に私と妻の二人だけ残ったのはサプライズでありました。当たりは伝道師の共著の本とその奥様の料理の本でありました。帰りのクルマの中で共著の本をめくっていたら、アメリカ政府が日系人に戦時中の強制収容所についての正式謝罪と補償をしている実例の紹介と、はて日本はアジアの国々に対してどうだろうかとの話が出ていました。今日の伝道師とは別の共著の人の文章でしたが、その著者はちなみにアメリカ人宣教師ではなく日本人であります。確かに、我が日本は、と思います。アメリカももちろんイラクとかアフガンとか誉められたもんじゃありませんが、はて我が祖国日本は、いかがなもんでありましょうか。
 アメリカ政府が正式に罪を認め補償した6万人の日系人生存者に発行した書類には、こう書かれているそうです。
 戦争中、日系人市民永住者を収容所にとじこめたのは、私たちの罪でありました。
 私たちは、心からその罪をお詫びします。
 罪の償いのしるしとして、アメリカ政府は、あなたがた6万人の生存者に、1人宛て2万ドルをお支払いします。
 二度と同じ罪をアメリカ市民が犯さないよう、この事を教科書に記して、子供たちに教えます。

 私は話がいろんな方向に行ってしまうのであります。話は今日のゴスペル・コンサートで始まったのでした。
 例によって寝起きが悪く、例によって元気の出ない朝でしたが、重い腰を上げて出掛け、歌ったり聴いたりして少し元気になったのでありました。帰りのクルマの中ではブライアン・セッツアー・オーケストラのCDをかけておりました。元気になりたいっすねぇ。ならねばならんのですが、ねばならんというのもいけませんな。意識しないで何とかなりませんかね。そうは簡単に問屋は卸しませんな。それはそうと、そのうちカーク・フランクリンの Lean On Me 歌いたいですねぇ。あ、またカークさんのライヴ観たい。話がまとまりませんなぁ。
 今日の息子は野球の遠征試合。風邪でこのあいだまで何回か練習休んでいたし、今日の試合の出場機会はありませんでしたが、練習もして日に焼けた顔で夕方帰ってきました。また、そのうち試合に出れるようになります。がんばりましょう。


03年 6月22日(日)   お体を大切に、心身を大切に

 昼食の後だんだん眠くなって、畳の部屋で横になってたら眠ってしまいました。先週もそうだったかな?
 起きて、ポール・サイモンの RUN THAT BODY DOWN を訳しました。確か邦題は「お体を大切に」ってなってると思うけど、原題はそのまま訳したら、体をこき使って息切れさせちゃうってニュアンスだろうか。ちょっと自信ないな。ここでつけた「へとへとになって」なんて訳もしっくり来ないんだけど、まぁ原題に近づけてみました。「お体を大切に」って邦題はイイと思うけどね。
 この歌は S&G 解散後のポールのソロ・アルバム に収録されてます。だからポールが30歳頃に作った歌。ポールはその後も精力的に活動したり、少し休んだり(?)しながら、数々の名作を発表してきました。今も元気ですね。ステージも続けています。
 生きる。生きるって、愛するとか、守るとか、闘うとか、休むとか、楽しむとか、悲しむとか、元気を出すとか・・・、そのどれか一つだけではありません。一つだけではないです。人生いろいろ。演歌じゃないよ。いいことはあります。僕は生きたいと思っています。何言ってんだか、よくわかりませんがね、生きることは素晴らしいことに違いないんです。名作を発表するかどうかは別の話。少なくとも、名作を鑑賞して感動することも、生きることのうちですね。そりゃそうだな。そうさ。


03年 6月28日(土)   昨日は病院をハシゴ

 昨日は病院をハシゴ。WWW で全世界にリリースだっ(乾苦笑)。
 月曜から左手が痺れる。しびれるって麻痺の痺を使うんだなぁ。しかし麻痺はしてません。最初は電車かメシ屋の冷房の加減か何かでなったかもなんて思ってたが、治らない。昨秋からしばらく腰のヘルニアで左足の痛みが続いたことを妻が思い出し、似たような原因の可能性を口にした。金曜までずっと痺れが続いたので、結局気になって早めに職場を退出、腰を診てもらった時の総合病院の整形外科へ。妻の知識は正しい。どうも今度は首があやしいらしい。困ったもんだ。来週MRIを撮ることになった。ここのところ神経科で処方されてる薬の副作用ってことはないだろうかと素人考えしたが、整形外科先生に見せたところ、その可能性はないってことだった。この整形外科先生は非常に感じのいい人で、丁寧過ぎることもなく乱暴でもない、親しみやすい態度で過不足なく説明してくれる。首が原因でなきゃ肘から下の末梢神経の問題。どっちにしても、原因を固めたらビタミンナントカを飲んで様子見だ。今日もやはり痺れております。ま、すぐには治らんじゃろう。とほほ。
 昨日の続き。次はその足で(クルマだけどさ)神経科へ。いろいろ訊かれていろいろ感じる通りに話していたら、朝夕の薬が1錠増えてしまった。最初が1錠だったのが2錠になり、今度は3錠ずつ。まぁ最初から増やしながら変化を見ていきますなんつってたけど、しかしなぁ。思わず「どんどん増えることもあるんでしょうか」なんて尋ねてしまったが、多少効いてるようだが未だ中途半端なのでってハナシ。睡眠用は変わらず1錠。もともと自分の場合、薬で精神状態がどうにかなるとは思ってないんだがなぁ、まぁあまりに眠れなくて身体が壊れるといけないから、眠るための薬がほしかっただけなんだから。根本は薬で解決しない。理由はよくわかってて、さっさと解決するような話じゃないんだ。どうするかなぁ。実際よくわからんのだ、睡眠は眠れてるかどうかだからわかりやすいんだけどさ。前より多少は気力が出るような気もするし、そうでもない気もする。大体睡眠以外については薬で変化してるのか何なのか、確信なんか持てないもんね。何か処方されてる素人側の安心感てのはあったりするけど、それも増えてくると不安もモタゲル。こういうのは素人判断で止めるとまずいみたいだしねぇ。とりあえず睡眠だけをナントカするつもりで行ってみたのが始まりだったんだけどな。はて、これからどうなりますか。

 昨夜は寝つきも悪かった。近頃は寝つきもイマイチ。相変わらず夜中にも起きる。今朝は朝の目覚めの後も眠い。しばーらく眠ったり転がったりしていたが、結局十分に睡眠したとは感じられないまま起床。もう朝じゃなかったけどさ。今こいつは、オージェイズのアルバム EMOTIONALLY YOURS を聴きながら打ってます。ボブ・ディランをカヴァーした同タイトルの曲が入ってるヤツ。R&B VERSION と GOSPEL VERSION が収録されてて、特に後者がド迫力でソウルフルなんですよ。完璧な出来です。


03年 6月29日(日)   そして音楽が始まる

 東京12チャンネルに「そして音楽が始まる」という番組がある。名曲やヒット曲が作られた知られざる(?)過程や背景を紹介するというコンセプト。以前 S&G の「明日に架ける橋」が取り上げられたりもした。30分番組でCMの時間も引けば、そんなに深い内容は期待できない。何かに焦点を当てるから、多少強引になる可能性もある。それでもまぁ、結構面白い。
 最近クラプトンの ティアーズ・イン・ヘヴン がフィーチャーされたので、ビデオを撮ってあって、昨日夕食を食べながら見てみた。クラプトンの極めて個人的な体験がこの曲を作らせたのにもかかわらず、詞は共作だ。息子を失うという体験はあまりに耐え難く、クラプトンには一人で詞を完成させるのは不可能だった、ということかもしれない。曲を仕上げるのは大変な作業だったろうが、しかしクラプトンはよく言われるように、この曲を作っていく過程で立ち直っていったのだろうと思う。クラプトン自身は登場しなかったが、ネイザン・イーストのベース一本による弾き語りはなかなか良かった。
 'cause I know I don't belong here in heaven ってところは、大抵「なぜって僕は天国にふさわしくない人間だから」って訳されてて、番組でもその訳が使われていた。それが正しいのかもしれないけど、僕はそういう訳し方をしていない。深いワケがあるってほどでもないけど、なんかそういう表現はしたくなかったんでね。

 ビデオは、見たいというより、今見ておこうと思って見た。クラプトンは未だに聴けない。クラプトンとブルーズが、未だに聴けない。困ったもんです。これ、正常じゃないです。僕自身が変わってしまったわけではない。いや、養老孟司の「バカの壁」によれば、人間は本当は夜眠りにつく前と朝起きた後ですら変わっていて、本人が意識しないだけだという。まぁしかし僕はよく眠れてないし、あんまり変わってないだろう。なんてつまらん理屈はさておき、コアはそう変わりません。実際、嫌いになったんじゃないんだ。本当は好きなのに聴けないのさ。何が本当かなんてわからんけどさ、とにかく聴けなくさせている何かは、僕を眠らせない何かと共通した部分を持っていて、何とかしたいわけよ。これ、本当のオレと違うもん。いや、これも本当なんだろうけど、とにかく違うわけ。自己同一性みたいなものを確信できないわけよ、こんなんじゃ。何とかならんのだけどさ、なかなかに。
 今日から、全国的にカヴァーするCATV の某県ローカル局で(っつーわけでもちろんローカル放送です)、我が3人家族がみんな登場するゴスペル・コンサートの放送をやってる。1日2回だもんね。あ土日は1回か。平日は2回。今日の昼の放送見ました。いやぁ、今回は昨年と違ってステレオ放送のようで。息子も妻も僕も出演してます。他の大勢の皆さんと共に。

 僕らは音楽が大好き。音楽がなきゃ始まらない。そんな僕も去年の一時期、まーったく音楽を受け付けない時期があった。というか、気づいたら、音楽を一切聴かない毎日を過ごしていた。しばらく続いた。再開し出したのは S&G 、ポール・サイモン、カーク・フランクリン、それとカークさん以外のゴスペル、その辺りから。その後も少しは拡がったけど、未だに元には戻らない。ギターも全然弾いてない。いつ、僕に全ての音楽が戻ってくるんだろう。いつ、僕は音楽を取り戻すことができるんだろう。いつか、取り戻すよ。取り戻さなきゃ。音楽が始まって、また始まるのさ、リアルな生活が。なんかさ、そのうち何とかなるわけよ。そればっかしだけどさ、いつなんて知らねっ。いつか、なる。と思うことが今の全て、かな。ま、他のこともしてるけどさ。


03年 7月 6日(日)   眠れん、病院、アムネスティ、ブライアン、クラプトン

 そのまんまのお題ですがな。
 昨夜は特にひどかった。寝付けない。鼻も詰まる(何でだ!)。今朝起きても眠くてたまらん。ここのところずっとそうなんだが、眉間から前頭葉(?)、頭頂部(?)、後頭部にかけてボワ〜ンとしてる。ぼわ〜んって書いた方が感じ出るか。とにかく頭がぼーっとする。睡眠不足だからか神経科の薬のせいもあるのか、近頃の鼻の調子もからんでるのか、よーわからん。よーわからんが、迷ったあげく、今日はとりあえず耳鼻科に行った。診て直ぐにアレルギー性の鼻炎症状だと言われた。イネ科の花粉か、気温の変動のせいか原因ははっきりせん。点鼻薬と飲み薬を処方された。神経科の薬と整形外科の薬を見せたが、併用してもいいってさ。ただし飲み薬は眠くなるので、夜一緒に飲まないで朝でもいいって。でもね、昼間もっと眠くなるのも困るんだよね。もっとよく眠りたいんなら夜寝る前に併用してもいいって言うからそうするよ。鼻炎の薬は1週間分出されただけなんだけどね。杉花粉症の時飲むのとおんなじさ。一緒にすると睡眠効果どの程度なのかはやってみんとわかりません。眠りすぎても困るけど、最近眠れんからねぇ。今晩両方飲んでみるさね。毎日眠たいんですわ。たまらんわ。くそっ! やけくそになるような力も出て来んのです。何とかならんかいな。ったく、くそっ!

 昨日はアムネスティからクロネコメール便。協力依頼。日本もハーグの国際刑事裁判所(ICC 、International Criminal Court)の加盟国になるべきですという、小泉ソーリ宛ての葉書きを今日送りました。ICC にはこの6月現在、世界で 139ヶ国が設置規程に署名、批准国も既に 90ヶ国になるそうです。紛争国におけるジェノサイドや戦争時の民間人殺傷等の責任を問う法廷として意味がある ICC ですが、日本は署名も批准もしていなくて、アメリカとなると、アメリカ市民を ICC に引き渡さないという免責協定を結ぶよう世界中の政府に要請し、拒否したら軍事援助などを打ち切ると脅しているそうです。

 今日はブライアン・セッツアー・オーケストラの今秋のチケットを入手しました。ステージからそんなに遠くないけど、だいぶ端のようです。それと、クラプトンも今秋来日との情報がその筋から・・・。本当かいな。もうずっと聴けてない僕ですが、来るなら行く選択しかないでしょう。来たらどんな感じで聴くのかね。いつかは取り戻さねば、と思ってはいるのです。ただ、ココロのヤツが主人の言うことを聞かないのです。   ・・・ ったく!