09年 3月21日〜 4月19日

最近の子供はどうか分らないけど、今の大人の多くはガキの頃に日記を何日か書いた経験があるのでは?
斯く言う私もその一人、当然この日記も不定期です。 (2001年8月19日、記)


09年 3月21日(土)   息子の演奏を観聴きする。

11時過ぎまで寝てた。午後、妻の運転で会場に行って、妻と二人で息子らの演奏を観聴きしてきた。

携帯で撮った小さな写真は区別つきにくいけど、左の方。
小学生ドラマーの発表をヘルプしてその子の音楽教室の先生がキーボード(右端)、高2の女の子がベーシスト(右から2番目)、高1の息子がギター(左端)。

途中のギターソロとエンディングのギターも上手くいってました。
小学生ドラマーも楽しかっただろうね。

右の写真。中学の時の仲間のリユニオン・バンドで3曲。ギター&ヴォーカル、ベース、ドラムス、息子のギター(左端)、皆で4人です。息子がいつも左なのは左翼だから?

リユニオン・バンドの方はどうも音楽の趣味はあまり合わないらしい。今のところ、息子は軽音先輩とのバンドが一番楽しそうかな。

お疲れさん! 兎にも角にも、音楽は素晴らしいです。


09年 3月22日(日)   痺れる。

 身心身と疲れてる。前週は早く帰って来た。身心身。

昼休みはいつも通り30分なるも就業記録システムでは毎回1時間引かれ、
16(月)はどうしても身心身疲れ増す業務2点のうち、まず1点の協議、身心身と疲れ、17時35分ごろ退勤し、退社、
17(火)は身心身と疲れつつどうしても身心身疲れ増す業務類2点のうちの1点の協議、身心身と疲れ、18時退勤し、退社、
18(水)は身心身と疲れつつ1枚業務ペーパー完成させ、 身心身と疲れ、16時15分退勤して退社、
  痺れる左腕・左手、痛い首肩腰、もったいないグリーン車スイカ自腹、
  早く退勤ヤク処方休憩これでいいのだバカボンのパパなのだ、
19(木)は身心身と疲れつつ昨日1枚業務ペーパー作るもその話は延期、18時チトだけ前に退勤、課のお疲れ会へ、
  20時半には店を出、20時53分発のKTゆきに乗車、
  身心身と疲れ、痺れる左腕・左手、痛い首肩腰、もったいないグリーン車スイカ自腹、
  21時45分頃には我が家に着いた、

祝土日はいろいろだね。ひたすら寝入り、時に起き、土曜午後は息子の演奏を観聴き、日曜はまた寝入り、
左腕と左手が大変に痺れ。 ・・・てなもんだよ。


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■ 2月25日(水)の夜、いわゆる人事の内示があったが、その時は 6月1日付と聞き、
■ 3月2日(月)午後になって、やっぱ 4月1日付だって。

もちろん元々、日付も中身も、俺は何も触りようもなく触る機会もなく、最初から何もない(飛ばされるシグナルが昨年晩秋あたりから徐々に伝わってきていただけだ)が、
しかし行先部門でも 6月1日付という情報だったらしく、ワケの分からん憶測すら出かねず、本当に嫌になった。

■おまけにずっとコブ仕事が付いてる、俺はそれ自体は嫌じゃないけどね、ただ単に無茶苦茶、元々がオカシイ経過なのさ。・・・で、その話も結局どうなってたのか、もう俺にはよく分からん。みんなグチャグチャなのだ。

そもそも身体疲弊極まれりなうえ、頭に来ることだらけなのに、どこまでもどこまでも救われないし報われない、『ボロ雑巾』扱い。

いやしかし、提灯行列を観るのは吐き気がするなぁ。

俺には他で何かするノーがあるわけでなく、家族との生活を守る為には「この鳥爺」と思いながら、時には態度にも出しつつも、まぁ丁寧に意見を言いつつも?(いやしかしほんとウンザリだな、もう意見とか言うのも)、要するにどこかギリギリででも自分を保ちつつ、当面この王朝の田圃で小作人をする他ないわけだ、

-------------
今まで堪えていた(堪えさせられていた?)方がオカシイ! 俺は絶対に今回を切っ掛けにブチ切れるべきなのだ、「ボロ雑巾」だよ本当に、これまで5年と今後の扱い、
爆発して当然の 強烈な怒り をあらためて抱く、それが人間の当り前の心ってヤツだ、


さてさて、1月15日(木)午前の帰宅後の洗面所での身体大揺れ、それから、2月17日(火)の夜の自宅洗面所での身体大揺れ、これは繰り返し記録・記憶しておきましょう、
責任者はアンタらの他にいない。

2004年4月以降、とりわけ5月以降、人間「ボロ雑巾」で何でもありの約5年、労災労災大人災(人てか団?)、あんたらを、いつか、ぶっ飛ばさねば。

「ボロ雑巾」にまともな扱いしてもらわなにゃぁ、と心底思っていたものの、
何も言うことはないよ怒怒怒怒怒。

●去年夏以降、複数回、死んでもおかしくない仕事量実態と過少申告ですら多過ぎの超過勤務時間、伝えたがレス全く無しナシ、

●他部門の役員・部課長とも常に一人で対応、

●晩秋の頃だったか××室とか含め話が聞こえてきてその実、シャチョー室とか、
 (しかし、実際は××室なんてなく)
 暮れからの手続き上も反応も最初から不自然だったが俺はあえてコメントしないできた
 (どのみち何年も前から様々な局面でオカシイと思ったことは何度もあるが、今まで、結局ずっと堪えてきた)

●「この時期だからこそ動かすのだ?」 ・・・ 組織改編や部署所掌の改編の結果で動くのが大半、
 実質は、管理職レベルはそんな動いてないぜ、ってか、そんな他人様のことは最早どうでもいい、


俺は勤務状況含め、全部、記録してある、 今まで堪えていた(堪えさせられていた?)方がオカシイ!  俺は絶対に今回を切っ掛けにブチ切れるべきなのだ!

「ボロ雑巾」だよ本当に、これまで5年と今後の扱い、 死んでも不思議なかったんだぜ、
俺はそこで 当然の 強烈な怒り を抱く、人間、人間であることをやめない、
 ふざけるんじゃねえよ、動物じゃねえんだぜ、

この休み中もやたらと寝入る、左側の痺れはいや増す
俺は今まで5年間、ボロ雑巾のように酷使されてきたが、生まれてこのカタ、人間ドックというものをしたことがない。
14(土)、急遽、病院に当たり、年度内の人間ドック予約しようとしたが、行ける日は予約詰まり、空いてる日はこっちの業務予定上の都合が合わず、
16(月)にあらためて病院の担当者に連絡、4月半ば過ぎの予約がとれた。

痺れる左腕・左手、痛い首肩背中腰、そろそろ、久方の首、腰、MRIも必要かな、人間ドックとは別途。

俺は今まで5年間、ほんとうに、ボロ雑巾の如く酷使されてきた、誰と誰(と誰…)が責任者なのかもよく分かってる。よーく分かってるのだ。
絶対に、心の力は保たねば


09年 3月29日(日)   身心身心。

 今週は月と火だけこれまで通り帰路電車から携帯で未来思惟日記を打ち入れ、しかし水曜から未来思惟に入れるだけの力がなくなった。
 水木金は帰路電車から携帯で自宅PCにメール入れて記録を残した。

 身心身と疲れてる。金曜はってか、金曜から土曜は疲れ果てた。果てたかない身心身。

昼休みはいつも通り30分なるも就業記録システムでは毎回1時間引かれ、まぁしかし近頃の昼休みは片付け中心だった。

●23日(月)
JB線が強風で遅れ且つ一時は1時間停止、出社は9時55分になってしまった。
身心身と疲れつつ18時20分過ぎにとっとと退勤退社してしまい、
身心身と疲れ、痺れる左腕・左手、痛い首肩腰、もったいないグリーン車スイカ自腹、

バスがタイミングよろしくなく、妻の迎えのデミオにて家路、

●24日(火)
8時40分頃に出社、8時45分より前に勤務開始、
身心身と疲れつつ19時10分過ぎに退勤退社、
身心身と疲れ、痺れる左腕・左手、痛い首肩腰、もったいないグリーン車スイカ自腹、

バスがタイミングよろしいようで、
20時20分発のバスで家路、20時30分過ぎに家に着き、

着替えたり手を洗ったりウガイしたりトイレいったり手を洗ったり、

手を洗っているうちに電話が鳴り、息子が出て、俺宛ての電話だった、昨年初夏に亡くなった旧友の嫁さんからだった。

直感した。辛い知らせだった。親友の奥さんの訃報だった。
いつか来るのは頭で分かっていても、落ち着いて話を聞いているのは到底無理だった。

辛かった。全てが辛かった。しかし彼はどんなに、そう想うと尚のこと…。

それから夜遅く同じく知己である共通の友人、田舎の同級生から連絡をもらった。
どうしても行きたいのに、どうしても今は行けない。カイシャをあらためて憎らしく思った。
結局、その友人に俺の気持ちを託すことにした。

●25日(水)
朝、カイシャに向かい歩きながら田舎の実家に電話した。親父が出た。
親父に、同級生に俺の気持ちを託してもらうよう頼んだ。その日が通夜だった。

8時45分より前に出社して勤務開始、
シゴトに気持が入るわけがない、それよりも昼休みに田舎の親父に電話し、朝の頼みのその後を確認した。朝、親父が俺の友人に電話して、それから気持ちを託しに行ってくれていた。

元々カイシャに気持が入るわけがない、本当はだいぶキツイのだが、19時10分過ぎに退勤退社、
身心身と疲れ、痺れる左腕・左手、痛い首肩腰、もったいないグリーン車スイカ自腹、
20時20分発のバスで家路、20時30分過ぎに家に着き、

親友のところに、同級生がたくさん集まっているはずだ。

●26日(木)
8時50分より前に出社、勤務開始、
身心身と疲れつつ、21時10分退勤退社、
身心身と疲れ、痺れる左腕・左手、痛い首肩腰、もったいないグリーン車スイカ自腹、

21時30分発のTHゆきに乗車、
22時11分に最寄り駅に着、バスあわず妻の迎えのデミオにて家路、

今日が葬儀なのだ、そう想いながら1日を過ごしていた。

●27日(金)
8時50分より前に出社、勤務開始、
身心身と疲れつつ、仕事中、アタマに来ることがあった、しかしそんなことはもうドウデモいい気がする、そんなことは、もう、ドウデモいい、

●28日(土)
0時17分退勤、0時20分退社、

最寄り駅に着く終電ナク、
0時35分発のTDゆき遅延電車、
0時40分ごろ発、TDゆきの最終に乗車、

1時10分ごろにTD駅に着、
こんな夜中にTD駅まで迎えに来てくれた妻の迎えのデミオにて家路、

家の小さな駐車場にデミオが入った時、カーステの時計を見たら、
1時37分だった。それからしばらくして、昼のサンドイッチから14時間近く後の食事をとった。

28(土)は12時半頃に身体を起し、午後、夕刻近く、親友から電話をもらった。
もともとこちらから連絡するつもりだった。申し訳ない。辛いことが多い人生。・・・知る立場からでも十分に辛いのに、本人にはどれだけ辛いことか。それでも俺達は前を向く他ないのか。分からないことだらけの人生。

28(土)は12時半頃に身体を起し、午後寝込み、29(日)も寝込む。
だが起き、申し立てを書き、次年度のシゴトのことを考え業務分担をメモしてみる。
疲れる。散歩する。
左腕と左手が強烈に痺れる。以前は常時でなかったのが、昨夏から常態化、ずっと続いている。
左だけでなく右側も酷くなっている。



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■ 2月25日(水)の夜、いわゆる人事の内示があったが、その時は 6月1日付と聞き、
■ 3月2日(月)午後になって、やっぱ 4月1日付だって。

もちろん元々、日付も中身も、俺は何も触りようもなく触る機会もなく、最初から何もない(飛ばされるシグナルが昨年晩秋あたりから徐々に伝わってきていただけだ)が、
しかし行先部門でも 6月1日付という情報だったらしく、ワケの分からん憶測すら出かねず、本当に嫌になった。

■おまけにずっとコブ仕事が付いてる、俺はそれ自体は嫌じゃないけどね、ただ単に無茶苦茶、元々がオカシイ経過なのさ。・・・で、その話も結局どうなってたのか、もう俺にはよく分からん。みんなグチャグチャなのだ。

そもそも身体疲弊極まれりなうえ、頭に来ることだらけなのに、どこまでもどこまでも救われないし報われない、『ボロ雑巾』扱い。

いやしかし、提灯行列を観るのは吐き気がするなぁ。

俺には他で何かするノーがあるわけでなく、家族との生活を守る為には「この鳥爺」と思いながら、時には態度にも出しつつも、まぁ丁寧に意見を言いつつも?(いやしかしほんとウンザリだな、もう意見とか言うのも)、要するにどこかギリギリででも自分を保ちつつ、当面この王朝の田圃で小作人をする他ないわけだ、

-------------
今まで堪えていた(堪えさせられていた?)方がオカシイ! 俺は絶対に今回を切っ掛けにブチ切れるべきなのだ、「ボロ雑巾」だよ本当に、これまで5年と今後の扱い、
爆発して当然の 強烈な怒り をあらためて抱く、それが人間の当り前の心ってヤツだ、


さてさて、1月15日(木)午前の帰宅後の洗面所での身体大揺れ、それから、2月17日(火)の夜の自宅洗面所での身体大揺れ、これは繰り返し記録・記憶しておきましょう、
責任者はアンタらの他にいない。

2004年4月以降、とりわけ5月以降、人間「ボロ雑巾」で何でもありの約5年、労災労災大人災(人てか団?)、あんたらを、いつか、ぶっ飛ばさねば。

「ボロ雑巾」にまともな扱いしてもらわなにゃぁ、と心底思っていたものの、
何も言うことはないよ怒怒怒怒怒。

●去年夏以降、複数回、死んでもおかしくない仕事量実態と過少申告ですら多過ぎの超過勤務時間、伝えたがレス全く無しナシ、

●他部門の役員・部課長とも常に一人で対応、

●晩秋の頃だったか××室とか含め話が聞こえてきてその実、シャチョー室とか、
 (しかし、実際は××室なんてなく)
 暮れからの手続き上も反応も最初から不自然だったが俺はあえてコメントしないできた
 (どのみち何年も前から様々な局面でオカシイと思ったことは何度もあるが、今まで、結局ずっと堪えてきた)

●「この時期だからこそ動かすのだ?」 ・・・ 組織改編や部署所掌の改編の結果で動くのが大半、
 実質は、管理職レベルはそんな動いてないぜ、ってか、そんな他人様のことは最早どうでもいい、


俺は勤務状況含め、全部、記録してある、 今まで堪えていた(堪えさせられていた?)方がオカシイ!  俺は絶対に今回を切っ掛けにブチ切れるべきなのだ!

「ボロ雑巾」だよ本当に、これまで5年と今後の扱い、 死んでも不思議なかったんだぜ、
俺はそこで 当然の 強烈な怒り を抱く、人間、人間であることをやめない、
 ふざけるんじゃねえよ、動物じゃねえんだぜ、

この休み中もやたらと寝入る、左側の痺れはいや増す、右側も酷く痺れるようになってきた
俺は今まで5年間、ボロ雑巾のように酷使されてきたが、生まれてこのカタ、人間ドックというものをしたことがない。
3月14日(土)、急遽、病院に当たり、年度内の人間ドック予約しようとしたが、行ける日は予約詰まり、空いてる日はこっちの業務予定上の都合が合わず、
3月16日(月)にあらためて病院の担当者に連絡、4月半ば過ぎの予約がとれた。

痺れる左腕・左手、右側も酷く痺れるようになり、もともと痛い首肩背中腰、そろそろ、久方の首、腰、MRIも必要なんだろう、人間ドックとは別途。

俺は今まで5年間、ほんとうに、ボロ雑巾の如く酷使されてきた、誰と誰(と誰…)が責任者なのかもよく分かってる。よーく分かってるのだ。
絶対に、心の力は保たねば
左腕と左手が強烈に痺れる。昨夏からずっと続いている。今はもう右側まで酷く痺れている。 絶対に、心の力は保たねば


09年 3月29日(日)   不平不満は「生産」しないが、 身心身 … なのは事実。 どうすっか。

 不平不満は「生産」しないが、 身心身 … なのは事実。 どうすっか。