04年 9月26日〜10月24日
最近の子供はどうか分らないけど、今の大人の多くはガキの頃に日記を何日か書いた経験があるのでは? この頃、出戻り以降でも妙な精神状態にある。基本は変わらんけど、なんかぼんやりしてる気がする。何がぼんやりしてるってソレもよー言えんのだけど・・・。金曜土曜と飲んでみたソラナックスもやっぱ、ちょっとキツイな。朝がキツ過ぎるよ。眠った気はするが、朝起きると大変な感じ。重たいんだ。眠りが浅い感じでなくて、でも本当に眠ってるのか、なんかその間、意識失ってる感じって言ったら大袈裟かね。
で、野田知祐が少年時代、野田の母親がいつも言ってたっていう、「人間は50歳からでも充分間に合う」。
人間は 50歳からでも 充分間に合う。
これ何回もHTML打ちしてるけど、「間に合う」って、一体何が「間に合う」ってことだろうね。おいらは一体何が「間に合う」って言ってるんだろうかね。
昨日今日と、久しぶりにポール・サイモンの STILL CRAZY AFTER ALL THESE YEARS を聴いてる。
I'm not the kind of man |
明け方の4時 |
ダイナブック購入、セットアップ。MO設定。MOに入れておいたファイルやプログラムを使う。XP用のインタネ設定。メール設定。FTP設定などなど。ああ、ちと疲れた。しかし、ダイナさんは気に入りました。
デスクトップFMVとノートVAIO持ってるんだけど、古ーい前者はまだ元気。たった4年半前に買った後者はもう2年以上前からハードがぎんぎん鳴り、ついに最近はやたらと電源落ちるようになった。慌ててMO買い、準備。本日ダイナさんを手に入れる。
ソニーさ、おいらの経験だと、品質イマイチが多いような気がするんだよな。CDコンポもわりと頻繁に具合わるくなってよく修理しながら何とか我慢してきたけど、最近買い替えケンウッド。テレビも前はソニーだったけど、けっこう早くダメになった。今は東芝。まぁソニー以外なら何でもって感じで買ったんだけど。VAIOはホンマ早くガタガタになった。ソニーってさ、ブランド・イメージいいんだけど、なんかおいらの狭い経験だけで言うと、もうあんまり信用してないんだよな。
っつーわけで、ダイナさん、これからよろしくね。
いやしかし、けっこう面倒といえば面倒だった。おいらは CATV のインタネやってて、以前カスタマイズCDで接続設定してたんだけど、その間にマイクロ野郎のOSもどかどかっとアップ、で、壊れかけてるVAIOで接続してXP対応の設定ツールをダウンロード、他にもアドレス帳や過去メッセージ、予定表等のデータ、そいからブラウザのブックマーク、家族のアカウントからパスワード、サーバー設定内容、FTPソフトの設定とかその他重要なファイル、思い出の写真等々、何しろVAIOくんが壊れかけてるんで(とにかく頻繁に電源落ちる、もうハードがボロボロやねん)、いろんなもん最近買っといたMOに保管しておいて、昨日買ったダイナさんの方にインポートやら再設定やら。ま、大体できましたです。昨日も書いたけど、おいらはもう当分ソニー買わないと思うよ。これまで買ったCDコンポとかTVとかPCとか、程度の差こそあれ、みんなイマイチの品質だったよ。今はDVDプレイヤーだけ未だ元気だな。そんな年数経ってないけど。・・・ま、とりわけTVとPCはけっこうひどかったな。まぁVAIOは買った時のOSが98のセカンドでコレ自体よくなかったのはマイクロ野郎のせいだけど、まぁハードもよくなかったです。まだしつこくやると電源つくけどね(だけど直ぐまた落ちたりする)。・・・おいらはソニーのイメージで買っちゃってたって気がするな。イメージで物は売れるけど、でも品質でまた売れなくなったりします。評判だって拡がるぜ。
今日はこれから風呂入って晩飯。その後、しばし仕事に手を出してから寝床につくでありましょう。眠れるかね。仕事を家でやるのはよかないし、おいらもやりたくないけど、もう溢れてるし、悲しいことに(笑)、家でやった方が効率よかったりする(理由割愛、笑)。倒錯の世界やがな。明日からまた作業シゴトの毎日。しかしおいらは負けません。ヤクもあるし(笑)。何度も笑うなってか。
そういや、予約してて先月中に届くはずだったニール・ヤングおじさんのグリーンデイルのDVD日本発売版、なかなか届かなねえなって思ってたら12月に発売延期になってた。それもアマゾンは9月25〜27日配送と連絡してきてたのに延期について未だ連絡なし。おいらがヤフーのショッピングサイトで確認したのさ。アマゾンって凄い迅速なサービス態勢だと今まで思ってたから、ちょっと意外だったな。ま、とりあえずこの楽しみはクリスマスの季節まで取っておきましょう(おいらはクリスチャンではありません)。
もう秋です。今週末はマンハッタン・トランスファーです。息子は野球の大事な試合日を挟んでマントラ、充実だなぁ。ヨメさんも同じく。
おいらも生きましょう。何とかなる。 希望を持って。 生きましょう。 _
昨夜、日曜の夜、自宅で作業シゴト。ハタラキ過ぎ。眠い。とにかく眠い。今日は早め退勤。この経緯は何だか倒錯。とにかく眠たくて早め退勤。電車でドアの片隅に寄りかかり眠る。時折り目覚める。前の前の駅に気づく。次に目覚める。あ、降りなきゃ。降りる。見慣れた光景じゃない。おかしいと思った瞬間、最寄り駅の手前の駅名。しまった。振り返る。電車発車、間に合わず。久方早降り。
平日のおいらにしてはメチャ早い帰宅。一旦は早降りしたけどね。とにかくなかなかに早い帰宅。平日ではめったにない、極めて珍しい、妻子と共にする晩飯。食べ始め、箸を落とす。拾う。妻によれば、「洗ってこようか」と言ってくれたらしい。よく憶えてないが、おいらは最初から、箸を落としてイラついていて、妻に「洗ってきて!」という感じだったと思う。息子に言われる。「おとんは箸を落として自分で洗わないの?」。・・・そこから、おいらは妙に機嫌をわるくしてしまった。妻はおいらの箸を直ぐ洗ってくれたが、おいらは息子の言葉に敏感になり、イライラっとして改めて自分でもう一度、箸を洗いに行った。戻ってきて機嫌わるいまま、息子と話す。話す。説明する。詳しくは書かんよ。論理になってない。感情ではある。しかし、とにかく論理的にオカシイ。おいらは正しくはない。感情は常に「正しく」あるべきか。しかし、とにかく、おいらはおいらの矮小な態度をなさけなく思う。おいらは、箸を落として自分で洗わない男。それを息子に指摘されて不機嫌になる男。なんと困った男。しかし、生きる男。生きる人。
早降りする。箸を落として自分で洗わない。反省する。で、まだまだ生きる。
もう秋です。今週末はマンハッタン・トランスファーです。息子は野球の大事な試合日を挟んでマントラ、充実だなぁ。ヨメさんも同じく。
おいらも生きましょう。何とかなる。 希望を持って。 生きましょう。 _
子供の頃、小学生の頃、僕と兄貴が親父に殴られたことがあった。後にも先にも、親父に本気で殴られたのはこの時だけ。来年は喜寿になるという親父がこれから最早中年オヤジになっている息子を殴ることも有り得ないしな。後にも先にも、あの、僕もたしか兄貴も小学生だった時の夜が唯一の出来事だったと言っていい。親父は僕等にとって威厳ある親父だったけれども、怒るときには怒り叱るべきときは叱ったが、手を出したりするような親父ではなかった。唯一、あの日の夜を除けば。
働き者で丈夫だった親父が(今も親父は丈夫だ)、会社を休むなんて肝臓をわるくして入院していた時期以外はほとんど記憶にないが、あの、小学生の僕と兄貴を殴った夜(僕は殴られ兄貴は蹴られたように記憶している)の翌日だけは、はっきり僕の記憶にある。親父は(きわめて)珍しく熱を出し、1日寝込んで会社を休んだ。当時、祖母、つまり親父の母親が言った言葉が印象に残っている。「子供達を殴ったりするから熱を出すんだよ」。その祖母は3年半ほど前に90代半ばの高齢まで生きて亡くなった。
今朝、目覚めると、僕はひどく頭痛を感じ、手や腕や足に痺れを感じ、いや身体に痺れを感じ、こめかみ辺りに熱を感じ、身体を起こす力を感じなかった。とても起き上がってカイシャに向かえるとは思えなかった。事実、起きれなかった。僕は結局、カイシャを休んだ。コーエキホージンという名のカイシャを。
僕は昨夜、息子を殴ったりしてない。だけど僕が息子にとった言動は、理屈通りにいけない、筋を通せないことがあるということをとても卑近な例によって息子に知らしめた・・・と言うには苦しい。僕の言動は息子にとって理不尽だったと思う。僕はとても理不尽だった。・・・今朝、目覚めると、僕はひどく頭痛を感じ、手や腕や足に痺れを感じ、いや身体に痺れを感じ、こめかみ辺りに熱を感じ、身体を起こす力を感じなかった。とても起き上がってカイシャに向かえるとは思えなかった。事実、起きれなかった。僕は結局、カイシャを休んだ。
午後1時過ぎに起きて来て、妻が残しておいてくれたマーマレード付きのパンを食べ、ヤクを飲むとまた寝床に戻った。3時半頃、再び起きて、今度は着替えて、降りてきて、妻が残しておいてくれた弁当を食べた。そのうち、息子が帰ってきた。雨でびっしょりだった。妻も帰ってきた。今日は朝からずっと雨が降り続いているようだ。妻は息子をスイミング・スクールに送っていった。僕は熱を計っていた。7度まではいってない。思ったより低い。体感体温はもうちょっと高いんだけどな。熱っぽく感じ、頭痛はまだ残っている。身体は痺れている。だけど一日休んで、今晩早く寝床について、明日は何とかなってるだろう。なってるさ。休むと余計に大変になるんだよ。だけど、まぁ全て、何とかなるさ。 何とかなる。
今日はずっと雨だ。ポール・サイモンの、S&Gの、あの歌を思い出した。 FLOWERS NEVER BEND WITH THE RAINFALL
おいらも生きましょう。 希望を持って。 生きましょう。 それにFEELIN' GROOVY なんだから、生きてりゃ絶対。詩もあるし歌もある音楽もある。人生には全てが詰まっている。満ちている。
サイモンとガーファンクルのデビュー・アルバムは「水曜の朝、午前3時」。今は木曜の朝、午前3時。
10月7日(木)の午前0時15分、というか要するに、10月6日(水)は24時15分に退勤。前の日、体調不調で休んだってのにね。ま、この日もよくはなかったのだがね。
家からバスで出る最寄駅まで辿り着ける終電は既になく、それより二駅手前までの終電、と思って駅に向かったが24時より少し前の地震の影響で電車停止中。しばーらくして動いてその終着駅着。いつもならこんなとこまで夜中に妻に迎えに来てもらってしまうのだが、地震がわりと大きかったので、息子を一人残しておくのは避け、おいらはタクシー乗車することに。それは退勤前に決めており、以前カイシャでもらったタクシー券を今回に限っては使おうかと一時は思ったが、やっぱり意地でも使いたくないと思い(大体こんな時間の退勤がオカシイのだ、タクシー券を使う気にならない)、思い留まって券は引き出しに戻しておいた。で、タクシーには長蛇の列。その影響か、家に近づく頃、道路も夜中にしては混んでいた。家到着。ご飯食べる。妻には先に寝てもらう。おいらはヤク飲み、HTMLヤク打つ。これから就寝前のヤク飲んで寝る。大丈夫、こんなHTML程度は2秒なのさ。睡眠時間には関係ない。眠れるか眠れないか、それだけのことだ。HTMLは少なくともわるい影響は与えない、夜中でもこの程度なら。じゃ、アップしてヤク飲んで寝るよ。じゃ、またな。
生きましょう。 それにFEELIN' GROOVY なんだから、生きてりゃ絶対。詩もあるし歌もある音楽もある。人生には全てが詰まっている。満ちている。
前日は台風関東直撃前の荒天で電車心配で早め退勤したかったが結局は終電。翌、土曜はいよいよ台風迫る。試合が中止で室内練習の息子が帰宅し、コンサートが中止でないことをハーモニージャパンのウェブサイトで確認して、風雨の中を家族3人、バス停に向かう。しかしなかなか来ない。オカシイ。・・・と思ったら、息子がバス停の時刻表見るとそのバスは土日運休のバス。しまった! おいらとしたことが自宅にある時刻表の見間違い。そういうわけで次のバスを待ち、予定より遅れて駅へ。そしたら電車は間引き運転。ほとんどが運転休止。駅に着いたのが4時なのに5時20分過ぎにならぬと次の電車なし。それでは開演にはぜんぜん間に合わない。妻の機転で、やむを得ず2駅先方の駅までタクシー走らす。ここからは通常、都心への電車が多い。どうにか動いていて東京へ。会場は東京国際フォーラム ホールA 、ここは我々お気に入りの会場。会場入る前に貼り紙、「本日は曲間入場です。曲の途中の場合はお待ちください」。いいね、これ。
席はハーモニー・ジャパンのウェブでのチケット予約で希望書けるようになっていて「なるべくステージに向かって中央の位置」と書いて購入したチケット。ほぼ希望通り。前から33列目でステージに向かい真ん中辺り。希望通りは結果論としても、購入時に希望入れられるのはナイス。某うどーナンカ、ネットの先行予約でも平気で武道館2階席、しかもステージほぼ真横ギリギリの、しかも最後部の壁から4、5列目だったりする。全く殿様商売の某うどーは気に入らない(ただし観たいミュージシャンをアレが招聘しちゃうとおいらは行ってしまう)。
悪天候のためとのアナウンスで予定より15分遅れの7時15分開演。台風のせいで観客少なくてマントラ気の毒と思ってたが、いやいやどうして、ほぼ満員と見えた。
バンドはピアノ(バンマスのよう)、ベース(エレキもウッドもやった)、ドラムス、パーカッション、ギターの5人。1曲目は知らない曲だったが、サビの連呼でおそらくは Walk in N.Y. って曲かと思ったら、後でアマゾンで調べるとマントラのニュー・アルバムの1曲目の Walkin' in N.Y. だったようだ。おいらのヒアリングはこんなもん。ま、これ聴き取るのは楽じゃないでしょ? この1曲目だけ、おいらのいい加減な耳にはちょっと完璧さを欠く出来と感じられたが、これはもちろん元々マントラの完璧さを知ってのこと、日本にごろごろっと(?)存在するコーラス・グループのレベルで言っているのでは全くない。ほんのちょっとそう感じただけ、で、2曲目以降ラストまで感動しまくり、まさにプロフェッショナルなエンタテイメントの見本。ハーモニー、コーラス、ソロを取るヴォーカルの完璧さだけでなく、とにかく客を楽しませるそのスピリット、素晴らし過ぎます(笑)。
彼らのMCから判断しても、ニュー・アルバムからの曲はけっこう多かった。当然といえば当然。ボサノバのアップ・テンポ調の曲(これは相当気に入った)やちょっと民俗音楽っぽい曲調だった Greek Song って曲、その他のマントラNY風(?)の数曲もかなりよかった。
おいらがよく知ってる曲で最初にやったのは CANDY 、他にも TRICKLE TRICKLE 、BIRDLAND 、TWILIGHT ZONE / TWILIGHT TONE など歌ってくれました。TWILIGHT (テナーのアラン・ポールのイントロ部分のナレーションはほんまそのまんまね、笑)はもちろん、BIRDLAND とかやっぱ、超絶かっこ良かったっすね。もうプロプロのプロって感じ。どう表現したらいいもんかね。
知ってる曲では、他に BOY FROM NEW YORK CITY 、OPERATOR 、TUXEDO JUNCTION とかも聴きたかったけど、彼らも毎度同じ曲ばかりってわけにもいかんだろうしなぁ。以前、今12才の息子がまだ生まれる前の話、横浜から東京ベイNKホールにクルマ走らせて妻と観に行ったマントラのライヴの時はみんな聴いたと思うな(あんときゃ FENDI のファッション・ショーがオープニング・アクトでした)。
マントラはベース・ヴォーカルのティム・ハウザーがリーダー。途中、バックのベーシストとユニゾン聴かせました。ティムをはじめ、アラン、ソプラノのシェリル・ベンティーン、アルトのジャニス・シーゲル、それぞれソロの曲も歌ってくれました。アルトのジャニスは小柄ながらとにかくパワフル、ソロの時も4人のパフォーマンスの時もその迫力が強烈な印象を残しましたです(ちなみに TWILIGHT のリード・ヴォーカルは彼女)。
歌はもちろんだけど、バック・ミュージシャンも凄かったね。おいらには特にピアノとベースが見事でした。もうメチャ上手い。それって当たり前なんだろうけど、いや、しかし改めて上手い、とコメントしたくなるカッコ良さ。
マントラの歌う歌は、ハーモニーが完璧なうえ、曲のメロディも難易度かなり高そうな曲多いし(そういうことを感じさせなく歌ってるのが彼らだけど)、テンポは自在に変わるし、早口だし(時に速射砲のような歌い方しちゃうもんね)。ま、最後の早口は横に措いても、日本でマントラの曲の多くをマンマ歌えるプロ歌手って誰だろうって思っちゃうけどね。意外と売れセンじゃない系の歌手にはいそうですが(ちょっとは思い浮かびます、笑)。
最初の1曲終えてティムが「こんなテラブルな天気のなかを来てくれてありがとう」とMCして続けたマントラのライヴ、1時間45分。美しいハーモニー、コーラス、ヴォーカル、リズム、ダンス、充実のアンサンブルと時折りソロを披露したバンド・サウンド、全てがプロのエンタテイメントを満喫できました。息子も楽しんだし、妻もノッタし、おいらも大満足。台風のなかを途中駅までタクシーまで使ってがんばって来場して大正解。
帰りは超間引き運転の電車。最寄駅まで行く電車がようやく動き出したとの情報は、しかし途中駅で待とうとしたらあと1時間以上。再びタクシー使って帰りはそのまま自宅へ。台風で交通は大変だったけど、しかしマントラは素晴らしかったのだった。人生にはこういう音楽がある。おいらが作ったのではなくても、こういう音楽に触れることが、生きているからできる。そういうこと想えるくらいよかったぜ! _
先月の『週金』に「必要な薬と不要な薬」という記事があって、「抗不安剤・睡眠剤」が特集されてた。おいらはレンドルミンがあるか気になったんだけど、その記事には出ていなかった。
先週の『週金』でまた同じテーマの記事が出て、今度は「抗うつ剤・SSRI は要注意」って名の特集。ヤクの分類と共に「必要(すべて必須薬)」というのと「限定使用(必要なこともあるが、十分な注意が必要!)」ってのに大きく分かれていた。ただし前者は具体的に現れる副作用がけっこう多いようだ。前者の適応症には躁病、双極性障害(躁うつ病)、大うつ病(すげぇなこの症名)、強迫性障害・パニック障害、それから統合失調症(スキゾフレーニアですな)。後者には再びスキゾフレーニア、それから抗うつ病(抗うつ病って括弧付きで記載されてんだけど「抗うつ病」って何だ?)。ルボックスは最後の欄に対応する SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害剤)として出てました。
「SSRI は、人の安心感や自信に関係するといわれるセロトニンを脳内で活発に働くようにするため」、セロトニン不足を補う薬として使われるとのことだが、どうもかなり複雑な働きをするヤクのようで、「必要な人には大切な薬ですが、安易に使われるには注意すべき点がたくさんあります」だと。小児、青年期等、未成年者には禁忌らしい。自他に対して攻撃的になる場合もあると。まぁおいらは元々、内面は自他に対し攻撃的なところがあるような気がするけれど、これを服用したから攻撃的になってるという気はしてないな。合っているのかどうか・・・。性格は穏やかでもあり短気でもあり、元々矛盾した内面を抱える人間です、あっしは。昔もそう。近年もそう。ルボックスで何か影響が出てるとは感じてはいない。おいらにはまぁまぁヨイ方に効いていると思ってるんだが、どうでしょう、二郎さん。このまま、いいっすかねぇ。大丈夫だよね、二郎さん。ほんまか。ま、おいらは何とか自分をコントロールするさ。おいらはスキゾフレーニアの方がいいんだけどね。なんだそりゃ? 何なのオレ? ま、コントロールはするさね(笑)。_
久方の「ロック」更新。ロック の PAUL SIMON のところに、STILL CRAZY AFTER ALL THESE YEARS を加えました。いいアルバムだよ。
僕の人生は色あせたりはしないさ。僕はこのアルバムの中の、 I Do It For Your Love って曲が好きだ。アルバムの中の他の名曲、ヒット曲と並べると比較的目立たないんだけど、そっとこんなラヴ・ソングとしての佳曲が入ってる。とにかくいいアルバムだよ、これは。
僕はまだまだ生きていく。まだまだ、「何か」をやる。生き続ける。「何か」をやる。僕には希みもあるし、cause もある。
今日も再び、ポール・サイモンの、S&G時代のあの歌につながっておこうと思う。 FLOWERS NEVER BEND WITH THE RAINFALL です。
それと、FEELIN' GROOVY ね。フィーリン・グルービーだよ、生きてりゃ。詩もあるし歌もある音楽もある。人生には全てが詰まっている。満ちてるって。
昨日は24時05分頃退勤。要するに正確には今日になってるんだが、それから歩き、最寄駅より2駅手前に終着する電車に乗り、午前1時ちょっと前にクルマで迎えに来てくれた妻に会い、その我が家のデミオくんで家路に向かう。家で焼酎飲み、晩ご飯を食べ、しばらくぼーっと起きていてから寝床に着く。もうその前に朝刊配達のバイク音が聞こえている。
今週は月曜が祝日で休み。4日のうち1日が終電乗れず、残る3日のうち1日が終電、1日が22時半頃発の電車に乗ったか、残る1日はわりあい早めだったような。あんま、憶えてない。記憶する余裕がないもんね。
今日は眠たく、ソファで日中はうたた寝三昧。うたた寝は転寝と書くようだけど、転がるというより、沈み込むような、でも「込め」ないような、そんな寝方、眠り方か。もっとも、転がるって、横になるって程度の意味ならまぁそんなもんだけど。ほとんどそんなで土曜が過ぎた。いや、まだ一応は土曜なんだけど。
土曜が過ぎても、日曜が来て、平日になって、また土曜になる。過ぎても、オワリじゃない。まだ、ある。だから、身体が休養を取ろうとするのは、そういうことだ。そういうことにしよう。
ホームページの「日記」ってさ、けっこうタイトルなんか付けてなくて、兎にも角にも「日記」をアップしてたりするのも多いよな。多い、かな? ま、分からん。ほとんど見ないもんな。ということは、おいらの「日記」もヒトに見られたりしてないんだろうけど、まぁおいらの「日記」はタイトル付ける慣わしなのよ。でね、時々困るんだよね、日記アップしようって思うし、まぁ打つんだけど、タイトル付けるようなもんでもなかったりするわけだ。一応その時々なんだけどねぇ、それは。で、今日は、土曜が過ぎていく。
今朝は9時過ぎ、10時過ぎに目を覚ましつつ、結局11時10分頃に身体を起こした。この間ずっと、土日にたっぷり寝ておきたいと思っても、結局は8時過ぎとか9時過ぎ、遅くても10時前くらいには起きてる。身体はもっと横になっていたいんだが寝床に横になっていられない。起きてしまう。寝不足のまま過ごす。
今朝は珍しく11時過ぎになったように思うけど、やっぱり何度もユメを見ていて、深い眠りをした感じはない。最後のユメは、横浜時代にわりと親しくしてた同僚でおいらが東京に転勤してからしばらくして退職した人が出てきた。8年前かそれ以上くらい前の退職者だけど、もっと昔のように思える。ユメの中では転職先を辞めたみたいなことを言ってた。ずっと交信してないし、近況は全然知らない。ユメの中の彼の言動は、要するにおいらが鏡映しになったようなものだろう。
今日は秋晴れ。地区の公民館協議会みたいなものの主催の運動会。息子の野球チームの行進と紹介が昼頃にあるってことで、それは観に行かなくちゃと思って慌てて妻が残してくれたピザサンドを食べて出掛けた。息子が参加した行進は観ることができた。行進後に一人ずつマイクで自己紹介。「6年生の『ロックJr.』です。レフトです」。息子の元気な声も聞こえた。その後、妻の手製の弁当を妻と一緒に芝の上で食べ、おいらだけ先に帰ってきた。帰る時は綱引きが始まろうとしてたような感じだった。以前は、何年か前は、地区の運動会でも、おいらも綱引きに出たり、何か他の競技に出たりもした。身体は今より力があった。精神もあっただろう。まぁこれからだね。そう思うことにしている。いや、きっとそうなるさ。
これから少し休んで、しばらく在宅作業シゴトをやるだろう。でもね、首の痛みは増してるし、両腕ともパンパンに張ってるし、きついね。首も、腕も、張ってるんだ、とにかく。それでいて、土日の心身は、何だか伸びきったゴムのような感じだ。ま、何とかなるさね。
外は秋晴れ。秋晴れなのに、今日もポール・サイモン、S&G時代の FLOWERS NEVER BEND WITH THE RAINFALL につながっておこう。 それと、FEELIN' GROOVY にもね。
今はこれ、ライ・クーダーの INTO THE PURPLE VALLEY 聴きながら打ってるんだけど。
僕はまだまだ生きていく。まだまだ、「何か」をやる。生き続ける。「何か」をやる。僕には希みもあるし、cause もある。
詩もあるし歌もある音楽もある。人生には全てが詰まっている。満ちてる。
金曜、友人と飲むときに待ち合わせた場所で、CDを買った。近頃、久しぶりに、中学から高校の頃に田舎の自宅にあったLPでよく聴いた、ポール・サイモンの THERE GOES RHYMIN' SIMON を聴きたくなってて、探した。なかった。代わりに(?)、THE PAUL SIMON SONG BOOK をみつけた。幻のアルバム、今年の初夏辺りに40年の時を経てCD化されたもの。
これも、小学校高学年頃(たぶん)から中高にかけて田舎の自宅にあって、一時期LPでよく聴いていたもの。S&Gデビュー・アルバムが商業的には失敗作となり、失意の底で彼がイギリスにわたりスタジオ録音されたギター1本のポールのソロだ。1964年録音だと思うが、翌1965年、イギリスだけで発売、しかしポールの意向で直ぐに回収され、アメリカでは元々発売されず、日本では(本人に無許可だったらしいが)1969年に発売された。田舎の自宅にあったものは SIMON BEFORE GARFUNKEL とタイトルが付いていたが、その後、日本でもオリジナル同様に THE PAUL SIMON SONG BOOK というタイトルになった。その後は、どうもポールの指示みたいだけど日本でも廃盤、文字通り、正真正銘の幻のアルバムになってたものだ。
ポールとしてはあまりに感情を吐露し過ぎて気恥ずかしかった、ほとんど一発録りのような感じでやった出来が気に入らなかった(ギターは完璧、じゃ歌が気に入らなかった?)、一部ディランの影響をあまりに色濃く残したと思えるパフォーマンスが引っかかった、そのうちサウンド・オブ・サイレンスが勝手にエレキ・バージョンにされて再発されて大ヒットした ・・・ ポールのこのアルバム回収の理由はいろいろあるんだろう。しかし、貴重な録音だ。
サウンド・オブ・サイレンス も、S&Gのものとはずいぶん違う。アルバムの中は、当時のポールが若干22歳にして抱えた孤独と絶望、それと、もしかしたらかすかな希望、そういうものをストレートに歌っている曲ばかりだ。うちの田舎にあったLPは髭面のポールの顔だったが、金曜に買ったCDのカバーは当時のポールと女性一人が二人で映っているもの。イギリスで一時的に発売された当時のLPのジャケット写真(日本でも後でこれになったようだけど)がなぜか反転している。どっちが反転モノか分からないけど。
このアルバムでも キャシーの歌 が歌われているが、後のS&Gの名曲 アメリカ の歌詞にも登場するキャシー、その人がこのカバー写真に映っている女性だと知った。ちょっとびっくりだね。実在の人の実在の名前だったのかね。ついでに言うと、CD化された日本盤にはライナー・ノーツの一部には漫画家の柴門ふみのエッセイが掲載されている。これはトンデモ余計なシロモノ。こういうの勘弁してほしい。
孤独と絶望、希望は若者の特権ではない。生きているうちは、時に瞬間瞬間にすらそういうものを感じて生きてるような気もする。・・・田舎の家にあったあのLPは相当なレア物のはずだけど、今はどこにあるのかなぁ。あんがい今も田舎の家か、あるいは兄貴が持っているのかも。
えー、たぶん、そのうち、おいらのこのホームページの ロック のコーナーでレビューします。ま、おそらく、の話。
シゴトは生きることの一部。出戻りのくせになんだ? 出戻りのくせになんだとはなんだ! 出戻っても人は人、言論・表現の自由はあります。言うだけじゃないな、行為も所作も生きることも全て表現です。人の人生は1回。それは誰にも同じ。表現の自由とは生きることの自由でもあります。おいらは別に人であることの一部を失ったわけではない。おいらが言うことは言い、表現することはする、その自由や権利は非・出戻り人と比較して抑制されるものである、そんなバカなことはあるめぇ。
ウダウダ言うのもイカにも意識してる感じか。しかし、兎にも角にも、おいらはイカでもタコでもなく、人なのである。
朝日の日曜には「ベストセラー快読」ってコラム欄があって、いろんな人がその時々のいろんなベストセラーを取り上げて、誉めたり扱き下ろしたりしてる。
今日は梅森浩一って人の『残業しない技術』ってのが取り上げられてた。「書評」したの永江朗って名の「ライター」。これ、なかなか面白かった。
「残業に割増賃金が支払われるのは、使用者側へのペナルティの意味がある。働き過ぎは体に悪い。命を縮める。だから労働時間は法律で決まっているし、労使間の取り決めもなしに残業を命じることはできない。私にいわせれば、サービス残業なんてものは傷害罪だし、もし過労死なんてことになれば経営者には殺人罪を適用すべきである。」
おいらはガチョウになってしまって残業の割増はないけど、この永江氏の言説、本質的に正しい。ちなみに、氏が言う「労使間の取り決めもなしに残業を命じることはできない」ということは労基法の第36条に定められていることから、その「労使間の取り決め」(労使協定)を三六(サブロク)協定と呼ぶ。
永江氏によれば、この『残業しない技術』という本は、「基本が間違ってる」。みんながダラダラ無意味に残業を続ける職場で如何に自分は定時に脱出するのか、という「要領」集なんだそうである。「定時に帰りたい日はいいスーツを着て取引先との会食を装え」とか、「セコイアイデア」ばかりなんだそうだ。
まぁしかし、自分の精神や身体をギリギリ守るためには、こういう世渡りマニュアルも必要なのかもしれない。おいらはちょっと向かないけどなぁ。まぁ納得いかねぇ抑圧的な環境の中で身体壊すよりも、死ぬよりも、セコい要領で健康をギリギリ守れ、ってんならまぁボツな話でもない。
しかし、永江氏が言う、「働くってどういうことか、給料って何なのか、もう一度よく考えてみるべきだ」ってのは、確かにそうだ。永江氏は、この本、歯磨きしながら15分で読み終えちまったらしい。・・・確かに、労働することや賃金のこと、多くの労働者が考えなくなってきてる。そもそも、「労働者」という言葉があまり使われない。カイシャインだったり職員だったり。
おいらだってそうだ。出戻って、ますますやばい。前はもっとそういうこと考えてたけど、そういう根本に思考が行かなくなってきてる。まずいね、これ。
ま、今日も、ポール・サイモンの FLOWERS NEVER BEND WITH THE RAINFALL につながっておこう。この曲、金曜に買ったCD にも入ってる。
前を向いて、FEELIN' GROOVY にもつながっとく。
僕はまだまだ生きていく。まだまだ、「何か」をやる。生き続ける。「何か」をやる。僕には希みもあるし、cause もある。
詩もあるし歌もある音楽もある。人生には全てが詰まっている。満ちてる。