1972年発表作。たぶん「紫の峡谷」とかいう邦題だった。っつったって僕はこの年に小6の坊主(ガキ)。 S&G など洋楽の世界に親しみ始めてはいたが、ライ・クーダーは未だ知らなかった。僕の初めてのライ・クーダー体験は、たぶん中学入ってからのこと。同じく 1972年発表のアルバムだと思うけど、BOOMER'S STORY に収録されてた Dark End Of The Street って曲を聴いた。このアルバムで聴いたんではないけど、当時田舎の家に、兄貴が買った企画モノのLP(たしか2枚組)で、(たしか)ワーナー所属ミュージシャンの曲を集めたようなアルバムがあって、その中に入ってた。それでライ・クーダーを知ったんだけど、その時の印象は、なんか渋くてカッコイイ曲だなって感じだったと思うな。
ライ・クーダーと言えば、どっちかっていうと通好みのアーティストって感じですかね。職人のようなイメージもあるかもしれない。だけど、もちろん、実は何も難しくない。僕はたくさん聴きこんでるわけでないし、彼に関する知識は希薄。でも理屈抜きで楽しめる。こういう表現、大好きだな。難しく考え込むなよ、もっとリラックスしな。人生を楽しめよ。そう言われてるように聞こえてくる。なんだ、こんな雰囲気で生きてきゃいいんだ。そう想えるかもね。まぁ現実はいろいろ辛いこととかあるんだけどさ、ライ・クーダーの音楽を聴くと、こんなふうに日々を送りたい、こんなふうに人生を歩みたいって僕は想う。彼の音楽表現、音楽に対するアプローチの方法、attitude って言い換えてもいいけど、それを人生へのアプローチに置き換えるとどうなるんだろう。僕はこの頃、ライ・クーダーの音楽を聴くと、そんなことを考える。人生って楽しいはずじゃないか。
5曲目の Teardrops Will Fall は、1959年にヒットしたオールディーズのカヴァーみたいだけど、ジョン・メレンキャンプが 2003年発表の TROUBLE NO MORE ってアルバムの中でもカヴァーしていて、こっちと聴き比べると面白い。メレンキャンプは何というか男っぽいカッコ良さがあるんだけど、ライ・クーダーの、何だろうな、あの独特の力を抜いた感じ、これがいいんだな。
ライ・クーダーの音楽みたいな「方法」で人生を生きたいんだけど、それってどうしたらいいんでしょう。僕の人生の「方法」に置き換えると具体的にどうなるのか、それは分からん。でも、気持ちはそれでいきましょう、ライ・クーダー。
(2004年4月10日、記)
1972年発表作。INTO THE PURPLE VALLEY と同じ年だけど、実はどっちが先の作か、僕は知らない。ネットで調べた限りではこっちが後、前者が2作目でこれが3作目ってことらしい。この年の僕は小6です。
僕が初めてライ・クーダーを聴いたのは、たぶんしばらくしてからで、中学生になってた。当時田舎の家に、兄貴が買った企画モノのLP(2枚組だったと思う)で、(たしか)ワーナー所属ミュージシャンの曲を集めたようなアルバムがあって、その中に、本作の6曲目、Dark End Of The Street が入ってた。他にはドゥービーの Listen To The Music 、ヴァン・モリスンの Wild Night 、シールズ・アンド・クロフツ(サマー・ブリーズなんて曲名だったような)なんかも入ってたな。懐かしいや。そのなかでのライ・クーダーの印象は、とにかく渋いってことだったね。渋くてかっこよすぎるって感じ。そりゃ Dark End Of The Street を聴けば、大抵のロック・ファンには納得してもらえると思う。
改めてこのアルバムを聴くと、以前、ライ・クーダーの音楽のように生きたいって日記で書いた、その印象は間違いないなって想う。ライ・クーダーって玄人受けする職人ミュージシャンみたいなイメージがあるけど、その音楽の表現は小難しい屁理屈を並べ立てるようなセンスのものじゃない。実は何も難しくない。これまで彼の音楽は聴き込んでないけど、でも理屈抜きで楽しめる。
INTO THE PURPLE VALLEY のところにも似たようなこと書いたけど、要するに、Don't think too much 、もっとリラックスしな、人生を楽しめよ。彼の音楽はそう言っている。こんな雰囲気で生きてきゃいいんだな、あるいは、こんな雰囲気で生きてきゃいいんだがなって気分になる(前と後ろの気分はけっこう違うものだがそれは聴く側の問題だ)。
まぁ現実はいろいろ辛いこととかある。そんな現実を生きる僕に向かって、ライ・クーダーの音楽は、こんなふうに日々を送れたらいいだろ、こんなふうに生きていけないかいって話しかけてくる感じだ。彼の音楽に対するアプローチを、人生へのアプローチに置き換えるとどうなるか。ここのところ、僕は本当にそういうことを考えるんだ。人生って楽しいはずじゃないかってさ。
今日ネットで検索してたら、いい文章に当ったので、下に、2段落使って掲載させてもらおうと思う。転載許可は取ってないけど、僕がライ・クーダーから受け取るのとほとんど同じ受け取り方が書かれていたので、やっぱそうだよなって想いを強くして、そのまま転載させていただきます。知らない人だけど、佐々木実さん、感謝します。無断転載ご容赦あれ。
人生の重さを正面から描いてみせたのがザ・バンドなら、人生の重さを抱えながらもそれを裏側に隠して表面的にはひょうきんな笑顔をつくってみせるのがライ・クーダーの音楽だと思います。それは人生の重さをより深く感じさせてくれると同時に、その重さに耐えかねて崩れ落ちそうになる私たちの精神を優しく癒してくれます。
「人生はあまりにも長すぎて、時々手に負えないような気分になる。だけど、ほんのわずかな微笑みを持つことをいつも忘れなければ、案外やっていけるものだよ。」ライ・クーダーはいつも私にそう語りかけてくれているような気がします。
上の2パラグラフの引用は、こっちのサイトのこっちのページ からです。
1曲目の Boomer's Story から、最後の Good Morning Mr. Railroad Man まで、人生の重みから逃げない、しかしヤタラと立ち向かうのでもない、時には逃げる、いや逃げるという感覚でもない、重たい現実をひょうひょうと受けとめ、にっこり、あるいは微かに笑いながら、時には力を抜いて、しかし脱力してしまうのでもない、何か不思議な attitude を、あるいはスタンスを、ムードを、感じることができます。やっぱり想うんだな、僕は。こんなふうに生きたいもんだって。
(2004年5月1日、記)