PARADISE NOW


(2005年 フランス・ドイツ・オランダ・パレスチナ映画)

監督 : Hany Abu-Assad
主演 : Kais Nashef, Ali Suliman, Lubna Azabal

trailer

ずっと気になってた映画。この時にアマゾンから届いた映画 のうちの1本。観たのは今日(2008年7月6日)。

ナザレ出身のパレスチナ人が監督と共同脚本、他に共同脚本とプロデューサーをオランダ人、撮影をフランス人、共同プロデューサーにイスラエル人、ベルギー人、ドイツ人、フランス・ドイツ・オランダ・パレスチナ合作映画。撮影地は1967年以来占領され続けるナブルス(オスロ合意の自治区は名ばかり)、シオニズムと欧米のご都合主義の後押しで建国されて以来イスラエルが統治し建設してきた都市テルアビブ、そしてナザレ。イスラエルの建国1948年から数えて今年がちょうど60年。
この映画自体は2005年の作品。

俳優はほとんどパレスチナ人らしい。イスラエル国内のパレスチナ人、ナブルス出身のパレスチナ人など。

「パラダイス」という来世、「ナウ」という現在を繋げる矛盾をそのままタイトルにした映画。自爆攻撃をした瞬間「天国」に行けると思い込もうとして矛盾を飲み込もうとする青年。イスラエルが不当に占領し続けるヨルダン川西岸での物語。


自爆攻撃の実行者に選ばれてしまった2人のパレスチナ人青年、サイードとハーレド。
「英雄の娘」として生まれフランスで育ち父の故郷ナブルスにやって来たスーハが、「天国なんてあなたの頭の中にしかないのよ」( "Imagine there's no Heaven" 『想像してみよう、天国なんてないってことを』 )と言うと、ハーレドが「ここは毎日が地獄だ。日常の現実にある地獄よりも、頭の中の天国の方がマシだ」と応える。

自爆攻撃に向う前の48時間の葛藤が描かれ、1人は断念し、1人は決行するというのを予め知っていてしまったのだが、自爆攻撃により懐疑心を抱いていたであろうサイード、そして最後まで懐疑心そのものは持っていたであろうサイード(彼は子供の頃に父親がイスラエルへの密告者と見做されて処刑されている)が決行し、こちらが決行するのだろうと予想させたハーレドが「スーハの言う通りだ、別の方法があるはずだ」( "There must be some kinda way out of here" 『ここから脱け出す道があるはずだ..』 )、そう言って思い止まる。

ハーレドがサイードを説得し、一時は応じたかに見えたサイードだが、直前になってハーレドを、テルアビブの街から戻る車に押し込め、自身は自爆攻撃に向かってしまう。

思い返し戻る車の中で嗚咽するハーレド。一方、テルアビブの街に向かい、談笑するイスラエル兵が多数乗車しているバスの中で、押し黙り座席につくサイード。
(イスラエルには今のイスラエル領に残ったパレスチナ人の子孫がいるから見分けはつかない。アラブ系の顔がバスに乗っていてもそれだけでは何の不思議もない。)


映画はここで終わっている。サイードは自爆攻撃を決行し、しかしハーレドの前途も多難だろう。占領地に生きるだけで息が詰まるような毎日なのに、自爆攻撃実行者に選ばれながら決行しなかった彼は、ナブルスに戻っても「裏切り者」の烙印を押されるかもしれない。
映画はその先は描いていない。


映画はパレスチナ情勢を背景に置きながら、しかしスリルとサスペンスの醍醐味を感じさせるもので、登場人物の役回りも見事、キャスティングもよかった。大袈裟な音楽が使われていないのも効果的だった。

イスラエルにばかり肩入れし、エンタテイメントの世界でもその影響は強くありそうなアメリカの映画世界。しかし、この映画は、2006年のゴールデングローブ賞の最優秀外国語作品賞を受賞したそうだ。アカデミー賞ではイスラエルの団体から取り下げ要求を受けつつもノミネート(受賞は逸す)。賞という意味では欧州各国の様々な映画祭で受賞している。

観る者を自然に引き込んでいくスリルあるストーリー展開で、且つ、静かに感動(というか何とも言い難い哀しみというか)が伝わってくる秀作映画だった。


ヨルダン川西岸の被占領地ナブルスは、1983年に僕も訪ねている街。「そこの商店は近くからイスラエル軍に対する投石があったという理由でイスラエルに閉鎖されたんだ」、「先週、あの角でパレスチナ人2人がイスラエル兵に殺されたよ」、といった話を地元で直接聞いたものだった。しかし、あの頃は隔離壁まではなかった。残念ながら当時よりも今の方が悪化している。

それでもパレスチナ人はあきらめていない。というより、あきらめたら生きていけないのだと思う。あきらめずに生きるか、絶望して最後には「自爆攻撃」をするのか、あるいは絶望感に苛まれながら気力を失いながら生きるのか、時には前を向いて生きるのか。
イスラエル、アメリカ、それらを陰に日向に支える日本をふくむ偽物の「国際社会」に無視され続け、一部からはたまに偽物の「慈悲」の声をかけられつつ ・・・ 彼らの生ほど厳しいものが世の中にあるだろうかと思う。

(2008年7月6日、記)