03年 4月13日〜5月18日

最近の子供はどうか分らないけど、今の大人の多くはガキの頃に日記を何日か書いた経験があるのでは?
斯く言う私もその一人、当然この日記も不定期です。 (2001年8月19日、記)

03年 4月13日(日)   人生のポケットから出る方法はどこかにある(2)

 昨日、人生のポケットのことを書いた。
 そういう言い方をするなら、自分はまさしく出られないポケットに入ってしまったと意識したりもしている。・・・とこの後もいろいろ書いてみたけれども、あんまり生々し過ぎて世界に公開する(笑、どんな顔して笑ってるのかね)のは辛いのでやっぱり消します。まぁいつものは、これでも生々しくないんです。全部書いたら発狂するからね(笑、同上、再笑)。一言言えるのは、自分は消えはしないってこと。消えてしまいたいような気分はあるけれども、たぶん、消えられないし消えたくないからこその苦痛だと思う。
 極端に辛く苦しいだろうとは簡単に想像できたし、考え抜いて覚悟もしたつもりだったけれども、出られない人生のポケットだと感じることの怖さは、正確に認識して予測することなど出来ていなかった。ただ、「出られないポケット」みたいなものという意味では、ある程度は予測していたとも言える。というのは、間違いなく苦しいことになるということ自体は容易に予想できたけれども、しかし一方で、それでもそうしようと想う過程で、その過程の後にはもう動きようがなくなって、そのことで否が応でも落ち着かざるを得なくなる、したがって、結局は、土日にまで引きずって「生き方」をもやもやと苦しむこともなくなるのではないか、そう考えた事実があるからだ。もちろん苦し紛れにそう考えていることは承知していた。ただ、そういう可能性にすがろうとしたことは確かだろう。馬鹿な話だ。全く馬鹿な話だ。「動きようがなくなって」ということから始まる考えには、そこで動きようがなくなることの、自分にとっての底なしの苦しさへの正確な想像力が働いていなかった。その先の方向を都合よく、何とか、かろうじてでも正当化しようとしていたのかもしれない。「動きようがなくなって」とは、まさにポケットに入りこんだ状態なのだ。承知の上で意思を固めたはずだったし、覚悟をした上でのことだったはずなのだけれども、ただ、そこが人生のポケットであること、その怖さを、正確に予測できてなどいなかった。人生のポケットから出られないことを意識する苦しさを覚悟していたのではなかった。死ぬほど悩みぬいたつもりだったが、それもそう思い込んだだけだったのかもしれない。頭が割れるほどに考え抜いたと思ったが、実は決定的に認識不足だった。逃れれば逃れるほど気がつけばさらに苦しいところに入りこみ、その繰り返しで辿り着いたところが人生のポケットだったというわけだ。いつも納得させようとしてきた。自覚的には逃げているというつもりはなかった。しかし距離を措けば、時間を措けば、違う自分の姿がはっきり見えてくる。どう考えても情けない話だ。

 しかし、ポケットから出る方法はある。どこかにある。これは出られないポケットではないのだ。方法はきっとある。いつかポケットから出ている。いつの日か、今はわからない。しかし、いつの日か、必ずポケットにいない自分を発見するだろう。同じことを何ヶ月も、ヘタしたら1年も2年も言っていても意味がないんだが、しかし言っていないと自分を保てないのなら、やっぱり言い続けるしかない。言い続けながら、生き続けるしかない。生きないよりはマシだ。そのうちマシな生き方になるかもしれないよ。手掛かりを感じてればもう喋りませんよ。そうでなければ、生きるために喋ります。


03年 4月13日(日)   大塚昌文投手を応援したい、応援する

 ポスティングでメジャーに挑戦しようとして、結局指名がなく、希望を果たせなかった大塚が、今は中日にいる。もとは近鉄の抑えの切り札。いい投手です。近鉄に留まる気持ちを持てなかったのか、出ることを希望し、最終的には中日に移った。息子が持ってる今年の「プロ野球選手名鑑」では未だ近鉄の選手の中だ。ギリギリの移籍だった。

 新聞には、近鉄がメジャーの大塚指名に向けて積極的な働きかけをしなかったことを大塚本人が不満に思い、近鉄残留を望んでいない、というような記事が出ていた。そういうこともあるのかもしれない。しかし、想像するに、大塚はとにかく、希望を果たせないままで、失望感を持ってそのまま近鉄に残留すること自体がきつかったのではないかと思う。そのままで心機一転を図るのは無理だったのだろうと思う。
 とは言え、移籍も容易じゃなかった。報道によれば、各球団は大塚の実力を評価しつつも、既に概ね今シーズンの編成を固めていたし、翌年またメジャーに挑戦するかもしれない、何年いるかわからない大塚を迎えることを躊躇したようだった。中日がどんな意図で大塚を迎えたのかはわからないが、とにかく大塚が当面働く場所は確保された。

 何日か前の中継で、大塚が今シーズン初めて投げるのを見た。鬼のような表情だった。何かを噛み殺している表情だった。中日の抑えの切り札にはギャラードがいる。大塚は中継ぎだ。しかし、もちろん、大塚が何かを噛み殺しているのは、中継ぎだから、じゃない。大塚の心の中には、結局は言葉で言い表せない、噛み殺さざるを得ない何かがあるのだと思う。今の自分は、才能と努力で獲得した自分の切り札を持っている大塚とはむろんのこと比ぶべくもないが、しかし、何故か大塚の苦しさに親近感を感じてしまうことぐらいは許してもらおう。僕は大塚昌文投手を応援したい。世の中には、レベルはどうあれ、事情はどうあれ、苦しい人はたくさんいるんだ。僕は大塚昌文投手を応援する。

 1本目の日記などより、こういうことを言っていた方がまだマシだな。そりゃそうだけどさ。


03年 4月14日(月)   今日は間抜けな日、明日から今週の「出直し」(大丈夫!)

 今日は朝からいつもに増して(笑哀)元気なく不調、最初から休めばよかった。途中で戻ろうと思ったが何となくそのまま出勤。やっぱり不調なので早退した。
 ところが帰りの電車の中で鍵を持っていないことに気づいた。妻はパート。息子は学校。サテンでスポーツ新聞や漫画見ながらコーヒー飲み、今度はマックに行ってイスラエル兵役拒否者の本読みながらまたコーヒー飲み、合計2時間余りそうやって過ごしてから家に向かい、帰宅直後の息子に玄関開けてもらって家に入った。昔は(?)鍵持って出かけていたのに、この間ずっと鍵無しで出掛けていた。早退しておいてこの有り様。間抜けだね。全く間抜けな話だ。

 こんなことここに記録してどうするんだって感じですが、まぁこの間抜けを記録しておきたくなったまで。調子は確かに不良。もっとも長期にわたって不良だけど、しかし昨日今日は頭が痛いわ熱っぽい感じがするわ・・・。まぁ一晩寝れば大丈夫。ぜったい大丈夫。このテの間抜けは今日だけにします。明日から改めて今週の「出直し」。今週の再スタート。もう今朝ほどの状態ではない。大丈夫です。 


03年 4月20日(日)   TEARS IN HEAVEN

 しばらく前に、甥っ子がメールをくれて、訳詞のリクエストをもらいました。そういうわけで、大事な甥っ子のリスエクトに応え、今日はクラプトンの TEARS IN HEAVEN を訳しました。例によって意訳ですが、この歌、意外と難しかった。
 タイトルの TEARS IN HEAVEN が出てくるのは1箇所だけで、And I know there'll be no more tears in heaven という部分。この肝腎な tears in heaven だって、深く考えようとすると、わりと単純なレベルでよくわからなくなる。まぁ英語表現の理解が完璧な人なら、容易にわかる類のことでもあるかもしれないんだけど。
 事故で息子を亡くしたクラプトンが立ち直る過程で作った曲、と簡単に言ってしまうのは気がひけるが、これはあまりに有名な話。このことからすれば、喪失した悲しみが天国に向けて涙を流させる、しかし強くあらなくちゃいけない、もう涙を流すこともないだろう・・・なんて読めたりもする。だけど、そういう訳にはしませんでした。そういう意味じゃ、タイトルの訳し方からへんかもしれないけどなぁ。
 結局、これは自分の意訳なんです。あくまで自分の気分で訳しています。僕は名曲を借りて、自分の気持ちをところどころに織り込みながら、訳詞という表現をしているんだから。こんな訳し方があってもいいじゃん。アートは、鑑賞の瞬間から鑑賞する側のものにカタチを変えていくんです(笑)。

 喪失する悲しみ、残される者の悲しみって、これほどの悲しみはないかもしれない。一方で、喪失の当事者はどうなんだろう。事故や病気で死ぬ時もあれば、自殺したり失踪したりって場合もある。もっと違う種類の喪失もあるだろう。消えてしまったら終りかい。花実は咲かないな。
 天国があるかどうかって、そりゃありません、死んだら終りですって言った方が冷静なんだけど、否定してしまうのもやめときましょう。ただ、確かに、人間はいつか死ぬ。それで人生は終りだ。だからこそ、よけいに愛する者を愛しく感じるのだろう。永遠じゃないと思うからこそ、胸が痛むのだろう。
 幻想的なことを言うけれど、もしも天国で再会するのなら、憶えておいてほしいね。同じであってほしいね。遭うけれども知らないなんて、考えれば辛い話だ。天国で再会しても、いっしょでいたいもんです。そういうことがあるのなら是非ともね。


03年 4月20日(日)   イースター(復活祭)の日にゴスペルを歌う

 今日はゴスペル練習日。雨のせいか、息子の野球の練習も早めに終り、3人揃って出掛けた。行って気づいたんだけど、今日はイースター。イースターだからってことで、教会に入ったところでゆで卵をいただいた。イースターに卵。理由はわからない。尋ねればよかった。復活は(再びの)誕生、誕生だから卵?

 今日は MY LIFE IS IN YOUR HANDS を復習してから、I CAN BE GLAD を一通り練習。この曲はテンポもいいし、ソロとの掛け合い的なところもある。ノレる曲だ。コンサートの時は、ソロ・ボーカルの人が来てくれるらしい。楽しみだ。

 イースターは復活祭。イエス・キリストが人間の罪を背負って十字架に架けられ、その3日目によみがえったことを、クリスチャンが信じて記念する日。クリスチャンでない僕だけど、罪や復活という言葉自体は、僕にもキーワードのように聞こえる。・・・とにかく今日、イースターの日にゴスペルを歌った。たまたま練習日だったんだけど、とにかく、イースターの日に、いつものようにゴスペルを歌った。


03年 4月26日(土)   USA has been deceiving the world.

 この英語、大丈夫? ・・・ま、いいや。
 アメリカのイラク侵略戦争(フセイン政権が独裁政権であるにせよアメリカの攻撃は侵略以外のナニモノでもありませんでした)の前、幾度となくアホ・ブッシュの演説や記者会見における発言がテレビ・ニュースで流されました。その度に彼がアホならぬバカの一つ憶えのように繰り返しイラク政府に浴びせかけていた言葉が、 deception という言葉です。文脈によって deceive って動詞も使ってたかな。まぁとにかく、私の極めて不十分な聞き取り能力をもってしても、しつこいほどに聞かされて強く印象に残りました。欺瞞とか詐欺、ごまかしってとこでしょうか。要するに「イラクの言ってることはペテンなので騙されちゃいけない、国連の査察では無理なので我々が征伐しましょう。」って言いたかったわけですね。

 ところで、4月22日の新聞報道によれば、イラク人科学者が米軍の大量破壊兵器調査チームの事情聴取に対し、イラク当局は開戦数日前に生物・化学兵器を廃棄したと証言し、証拠を埋めた場所にチームを案内したそうです。そのうえで、米軍チームは案内された場所で証拠となる物質を発見したというんですが、こんなハナシ、誰か信じるんでしょうか。

 また、23日の報道によれば、前日22日、開戦前までイラクの大量破壊兵器査察を担当してきた国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)のブリクス委員長は、国連安全保障理事会で、安保理が承認すれば査察再開の用意があると表明しました。ブリクス氏は査察は「独立した機関によって行なわれなければ国際的な信用を得られない」と述べ、アメリカ政府が国連による査察は不要とし、同盟国のイギリスやオーストラリア(この国も今回の戦争支持でした)から元査察官を集めて独自に査察を行なう意向を示していることに、懸念を表明しました。
 ちなみに、同じ日の報道ですが、ブリクス氏はやはり前日22日、BBCラジオのインタビューに応え、開戦前に米英が武力行使を正当化する目的で示したイラクの大量破壊兵器開発・保有の「証拠」の多くを「あてにならないものだった」として、疑問視していたことを打ち明けました。実際、開戦前にアメリカが国連に提出した「イラクがニジェールから核兵器製造目的でウラニウムを購入しようとしていた」ことを示すとするニジェール政府の公文書なるものは、結局偽造(!)文書だったことが判明して国際社会で密かに笑いものになっているはずですし(この偽造文書の件も報道されましたが取扱いは小さく、超大国の詐欺行為はお咎めナシです)、イギリスが主張した「証拠」の中には確か10年以上前の学生の一論文なんてのもあって(引用だったか盗用だったか忘れましたが)、とにかくイイカゲンなものばかりだったということは、受け取った側の大半が正確に認識しているところでしょう。
 これも23日の報道ですが、アメリカのフライシャー大統領報道官は、22日の記者会見で、「兵器は見つかると確信している。委員長が批判するなら遺憾だ」とブリクス氏に不快感を示したそうです。証拠もなく「確信」するのもスゴイですが、フライシャー氏の発言の裏にあるアホ・ブッシュとその取り巻きの本音はこうでしょう。「兵器は見つかると確信している。これは有る無いの問題ではない。必要があれば証拠は我々が作ることだって出来る。必要とあれば、それを我々が発見して見せよう。我々は何でも出来るのだ。委員長が我々を批判するなど図に乗り過ぎた話だ。」

 最後は25日の報道。アホ・ブッシュは24日、オハイオ州の戦車工場で演説し、イラクの大量破壊兵器が既に廃棄あるいは移動され、イラク国内に存在していない可能性があると言い出しました。報道によれば、アホ・ブッシュ曰く、「フセインが大量破壊兵器を持っていたことは分かっている。すでに廃棄されていようが、どこかに移動されたり隠されたりしていようが、我々は真相を突き止める」。ホントのところはこんな感じでしょうか。「我々がフセインが大量破壊兵器を持っていたという言う以上、それは事実なのである。もはやイラク国内には無いのかもしれないが、我々が主張していた時期にはあったのだ。事実は常に我々の側にある。必要となれば、我々の主張する通りの事実を作ればよいのだ。それを我々は真相と呼ぶことにしよう。」

 国際社会を欺きつつも、国際社会の執拗な働きかけによって徐々に国際社会に協力せざるを得なくなっていた、開戦前のフセイン政権。確たる証拠も示さないまま、イラクは今も大量破壊兵器を開発・保有していると主張して戦争をやってのけたアメリカ。テロ支援国家だ、大量破壊兵器だ、民主化だと、戦争の理由をその時々の自らの都合で変えてきたアメリカですが、deception というなら、もっともその言葉がふさわしいのは、案外ブッシュのアメリカかもしれません。案外ってこともないな。かもしれませんってこともないな。ベトナム戦争時のトンキン湾事件を持ち出すまでもなく、アメリカって前からそういう国だもんね。ただ、ブッシュになって、ネオコンのオヤジ達が力を増し、ますますタチが悪くなってしまったということは言えるかもしれません。
 アメリカはス―パー・パワーですからね。「天下の」国連に平気で偽造文書を出したって、国連総会で懲罰動議に付されたりもしません。報道だって、所詮はアメリカ寄りです。批判記事も確かに出ますが、アメリカ政府発の大量の情報が圧倒的な影響力を持ってしまいますからね。小さな記事でも、出来る限りは気をつけて見ておきたいもんだと思います。


03年 4月26日(土)   I am deceiving myself ?

 この英語、大丈夫? ・・・ま、いいや。deceive myself って、辞書では「誤った考えを抱く」とか「甘い考えを抱く」、あるいは「思い違いをする」「誤解する」といった意味の熟語になっていますが、僕がここで言ってるのは、myself を deceive する、つまり文字通り「自分自身を欺く」という意味です。

 しかし「自分を欺く」なんて本当に出来るでしょうか。他人を欺くことなら可能かもしれません。実際それは世の中に有ることです。なぜなら、「他人」が「自分」を本当に理解することは困難だからです。である以上、人が他人を欺くことは可能なのでしょう。

 自分自身を欺くのは無理です。他人は欺けても、自分自身の心の底にあるものは、自分自身が知っています。いや、心理学的には「知らない」場合も有るというのかもしれませんが、しかし、基本的に自分自身の心の底を欺くことは不可能です。仮に一時的に可能だとしても、その人の心はバランスを失い、自分が自分を騙していることに何らかのかたちで気づくでしょう。それを意識するにせよしないにせよ、実際には「気づく」のです。

 自分が自分を欺いていると思うことは辛いことです。誰しも心の底で思う通りに日々を過ごすことは出来ないでしょう。稀有の人を除けば。しかし、核を失ってはいけない。核なんて本当に自分にあるのかとも思いますが、いや、仮にずいぶんとひ弱な核しか持ってないのだとしても、それはそれで裏切るわけにはいきません。僕は自分を保たなくちゃいけない。僕はこれからも生きていきたいし、愛する者と共に息をしていきたい。僕はバランスを喪失してしまうわけにはいかないのです。自分を欺いているのではないかと日々の生活の中でしばしば感じるようなことのない生き方を、日々の過ごし方を、これからの僕は出来るのだろうか。出来るのだろうか、じゃなくて、いずれそういう日々を取り戻さなくてはなりません。僕は僕自身を取り戻す必要がある。どんなにひ弱なものだったにせよ、それを取り戻し、そしていずれは強固にしていく必要があるのです。僕が僕であるために。まずは、いつか、取り戻すことが出来るだろうか。未だ手掛かりが見えなくても、何とかしなければなりません。何とかしたいという気持ちを、しつこく持ち続けることです。僕が僕であることを取り戻すために。


03年 4月27日(日)   息子の試合観戦

 今日、市内の小学生の野球チームのリーグ戦が開幕した。息子が所属しているチームも2試合。1試合目を観戦した。息子は終盤にライトの守備で出たが球は飛んでこなかった。息子のチームがコールド勝ちになり、結局打順が廻ってくる可能性のあった最終回を待たずに試合終了。打撃機会はなかった。それまでは1塁コーチの役を受け持ち、途中で監督から「キャッチボールをやっておけ。」との指令。こりゃ出場機会有りかなと思い、父親の方もわくわくしました。守備機会だけだったけど、これまでの練習試合出場に加え、何とか公式戦の試合出場は果たしました。2試合目は比較的強敵との試合で出場機会はなかったとのことだけど、試合は息子のチームの勝ち、今日はめでたく2連勝でした。

 妻によれば、息子は昨日寝る前に「試合に出るかもしれないから緊張するなぁ。」と言っていたとのこと。お父さん達にはお前のことがわかるよ。試合には出たい、考えると緊張するけど、試合に出て頑張りたい。ちょっとどきどきするんだよな。でも負けないで頑張るんだよな。お父さんもしっかりしなくちゃなぁ。


03年 4月29日(火)   無題

 今日はショーワ・テンノーの誕生日。だったよね? まぁでも今そんなことについて何か書く気はぜーんぜんしません。

 書くことがない。いや、書くことはある。だけど、書くことがない。何言ってんだかわからん。いや僕はわかってる。無理矢理書くのはやめよう、今日は。

 今日は息子の野球チームは練習試合。妻は応援に行ったのに、僕は家でうだうだしていた。今日は出番がなかったとのことだった。出番はこれからまたあるさ。今日の日記はこれにて!


03年 5月 1日(木)   メーデー

 今日はメーデー。メーデーの日の日記ですが、雑感の日記索引の SOCIETY には入れません。全く極私的なメモ。思いきり MYSELF な(?)メモだもんね。

 メーデーと言えば、一昨年まではいつも日比谷公園へ。歩いて(デモして)昼飯食って議論して飲んで。去年は仕事してました。今年も仕事です。行き先は違うけどな。でも昔の行き先だけどな。メーデーの日にここに出勤したのは最初の1、2年だけだったな。あ、でもその1、2年は場所自体は違うけどな。去年と今年は全然気分が違う。まぁ去年の今頃も本当はくすぶってたんだろうけど。

 今日はいい天気。記憶にある過去のメーデーも、晴れた日が多かったように思う。5月の晴れた日に歩くのは気持ちいいんだ。本当に気持ちいいんだ。溶けてしまったアイスクリームの味は忘れられない。完全に溶けちゃったと思ってるわけではないんだけど。そんなふうに確信したりはしないよ。何も確信なんか出来ない。5月の晴れた日に歩くのは気持ちいいんだ。そいつは本当のことさ。


03年 5月 3日(土)   横浜ぶらり旅

 息子がランドマーク・タワーに行きたいというので横浜へ。昔(!)横浜に住んでいた時に行ったことあるんだけど、横浜で生まれた息子が横浜に居たのは2歳半までだからね、さすがに本人は憶えていないようです。

 バスに乗って電車に乗って、ちょこちょこっと乗り換えて東京で横須賀線に乗車。電車好きの息子は使う路線に拘るのです。横浜で根岸線(京浜東北線)に乗って石川町へ。改札行ったら大賑わい。今日は横浜みなと祭りだそうで。
 歩いて中華街へ。保昌で昼飯。昔(!)妻と行った店。横浜時代に田舎から親父お袋が来た時も行った店。妻の両親が来た時も行った店。韓国語通訳をしていた李さん夫妻と共に子供を連れて行った店。思い出の店です。エビチリ。レタスの肉包み。牛肉入りのラーメン。炒飯。相変わらず美味かった。息子も満足。エビチリと炒飯はもう少し味が濃くてもよかったな。
 さて、今からどうしよう。山下公園まで行って懐かしのシーバスでも乗ろうか。歩いていくと公園前は祭りのパレードの真最中。横浜はやっぱハイカラだね。パレードもキマってる。海風を感じ、晴れわたった空の下、しばし見物。あのまんまもしも横浜に住み続けていたんだったら、その後の人生はどうなってたかな。例によって例の如く想う。それからシーバス乗り場へ。
 シーバスで MM21 地区へ。3人で大観覧車に乗りました。ベイブリッジもよく見える。いいねぇ、ヨコハマは。その後ランドマーク・タワーに向かう途中、人だかりに近寄ると大道芸をやってた。芸達者の妙芸に息子も大喜び。終りまで3人でずっと観ていた。大道芸人はえらいよ。身一つで生計立ててる。身体も資本、大変なことだ。チップ(?)を献上してその場を去りました。そこかしこで大道芸をやってたようだった。5月といえば寒くもなく暑過ぎもせず、大道芸の季節なのだろう。
 ランドマーク・タワーに着くと、最高速度が分速750メートル、世界一速いというエレベーターで地上69階の展望フロアーへ。その速さには息子も驚き、感激してました。ゆっくりパノラマを展望した後は桜木町駅へ。駅前でも外国人の大道芸人がいたな。たまたまやって来た横浜線で横浜へ。横浜からは東海道線で東京へ。途中、大分へ向かう寝台特急ふじとすれ違い。息子はこの時間にすれ違うことをよく知っていて、よく見える側に席を陣取ってました。上野に行って駅構内で晩飯。その後は札幌へ向かう寝台特急の北斗星の入線を待って発着ホームへ。北斗星を知らせる駅の放送や北斗星の出発前の車内放送を録音したいという息子のリクエストをきいてやりました。そのために、録音用に MD を持って来てたんだもんね。3年前の夏は、この北斗星で3人で北海道に行ったんだっけな。あんときゃ楽しかったよ。今日は北斗星の発車を見届けてから帰路へ。

 今日はちょっと懐かしかった。横浜時代は、よく仕事で外国人を中華街や山下公園、ランドマーク・タワーなどに連れていってました。幾度となく歩いた場所。横浜はいい街だったね。いい街でした。


03年 5月 4日(日)   ゴスペル、コンサート前日

 明日はコンサート。今日は GW 集中ワーックショップの参加者と合流して練習。息子は野球の遠征試合で出られませんでした。

 今日はこれまでの4曲、MY LIFE IS IN YOUR HANDS 、I CAN BE GLAD 、PUT ALL YOUR TRUST IN JESUS 、HE REIGNS FOREVER に加えて、OH HAPPY DAY ! も歌いました。やっぱ、この曲は身体でノレます。何度歌っても飽きない。今日はおまけに仙台から登場の黒人男性と我々を教えてくれている音楽牧師の奥さんでもある女性ジャズ・シンガーがソロで引っぱってくれ、いつもに増してノレました。I CAN BE GLAD や PUT ALL YOUR TRUST IN JESUS にもソロが入り、かっこよくなりました。MY LIFE IS IN YOUR HANDS も完成度が高まったような気がしたな。明日はこの5曲プラス MAKE US ONE の6曲がクワイヤで歌う曲。その前に子供達のクワイヤも何曲か歌う予定になっている。我々3人も思い切り歌いやしょう。

 今日は練習に出掛ける前はいつもよりさらに厄介な精神状態になっていましたが、歌っているうちに少しは楽になりました。特に MY LIFE IS IN YOUR HANDS かな。少しでも心を穏やかにしてくれる歌だと、僕は感じています。


03年 5月 5日(月)   ゴスペル、コンサート当日

 コンサート前というのに、夜中に腹痛で目を覚ます。激痛。そういえば3、4日前から腹の調子は悪かった。いや、もっと前からかな。ひどい下痢だ(汚ねぇな)。朝起きてからもひどい状態。結局、妻に連れられ休日当番の医院へ。水分が足りないってことで、点滴なんと2時間。夜中に腹痛で目を覚まし、翌朝は点滴。A→B→A の A→B の試験の日と同じだ。あまりに同じなので、つい思い出してしまった。あの時はさらにひどい激痛で熱ももっと高かった。にもかかわらず、点滴を打って試験に行ってしまった。それほど A 地点を辞めたかったんだ。あの時、無理しないで受験をやめとけばどうなってたかな、その後。だけど A 地点は辞めたかったもんな。A 地点は今も変わらないさ。ずっと変わらないよ。僕だって、本当のとこ、今も何も変わってない。これからも変わらねーだろう。どうすりゃいいのさ思案橋。どうなってたろう。相変わらず、考えても仕方ないこと。だけど、見事に同じだもんね。夜中に腹痛で目を覚まし、翌朝は点滴、なんてさ。

 リハーサルは休むことにした。妻と野球を早退の息子はリハーサルへ。その間に熱も8度まで上がる。妻が迎えに来てくれ、開演前に会場へ。クワイアの記念写真には間に合いました。ペンダントを忘れたことに気づき、家に直行。ペンダントをつけて再び会場へ。この半年ぐらいだろうか、クリスチャンでもない僕だが、時々、十字架のペンダントをつける。時折り首に感触を感じることで、自分の精神をぎりぎり保つことを目的にしている。何かをリマインドさせる「何か」が必要なのだ。今日はゴスペルのコンサート、そのペンダントをつけようと思った。熱と腹痛に抗して出かけるのに精一杯で、忘れていたのだ。何とか家に戻る時間があって良かった。運転してくれた妻に感謝。

 コンサートはキッズ・クワイアがまず4曲歌った。キッズ・クワイアは若い人達の生バンド付き。これ、やっぱいいですね。野球と掛け持ちで練習不十分だった息子も楽しそうに歌ったり踊ったりしている。安心。次にOH HAPPY DAY ! と MAKE US ONE の2曲を大人のクワイアとキッズ・クワイアが合唱。その後、子供達はステージを降り、大人だけで HE REIGNS FOREVER 。休憩をはさんで仙台より加勢のジャマイカ出身男性がソロで2曲。1曲目は AMAZING GRACE のジャズ・バージョン。3曲目はワークショップの指導者である音楽牧師の奥さん(ジャズ・シンガー)とデュエット。次から再びクワイアが登場。PUT ALL YOUR TRUST IN JESUS 、MY LIFE IS IN YOUR HANDS 、I CAN BE GLAD 、最後にアンコールでもう一度 HE REIGNS FOREVER 。熱と腹痛を抱えたまま参加したコンサート、何とか無事に終わった。今年はジャマイカ人男性のソロも加わり、重厚さを増した。クワイアもだんだんレベルが上がってきたように感じる。

 息子もステージ下でも歌っていて、いい時間を過ごしたと思う。MY LIFE IS IN YOUR HANDS は何度歌っても同じように胸に迫る。
 今日は早く寝よう。体調は相当にひどい。それでもコンサートだけは参加出来た。早く寝よう。


03年 5月 6日(火)   今日も今日とて腹痛し

 今日も腹痛。下痢です。汚ねえっす。今日はもともと休みにしてあったのですが、でなくても休むしかありませんでしたな。

 今日は昨日付けの日記を書いてアップしました。それから仕事帰りの妻に病院に連れて行ってもらいました。手のかかる夫です。昨日は休日当番の医院に行ったのですが、薬も少しだったし、今日も治ってはいないので、改めて以前にも風邪とかで何回か行ったことがある別の医院に行きました。熱も未だあります。関節も痛いです。腹の調子は明日になったら快復してるとは思えません。もう1日は必要でしょうな。明日も休ませてもらおうと思います。この状態では働けません。働きゃ悪化、結局休みが長くなるだけです。つーわけで、明日は急の休みです。申し訳ないですな、しかしやむを得んです。申し訳はありますか。


03年 5月 7日(水)   今日も仕事は休み

 今日も腹痛。まぁ少しは良くなりました。と思います。未だ不調だし、関節も痛いですが。熱も少しあります。だいぶ下がりましたけどね。仕事は休みました。明日は何とか出たいと思っています。

 さっき久しぶりにタバコを喫いました。さすがに点滴打ったその日の朝から喫ってませんでした。久しぶりといっても中2日ってとこか。腹の調子悪い時にいいはずないんですがね。やっぱりよくありませんでしたよ。ただ、明日から出勤してタバコ喫わないでいるのも辛いものがあるな。職場は事務所内は禁煙ですがね。事務所の外には喫える場所がありまして。日に何回か、いたたまれず立ち寄るわけです。明日はどうなんだろうねぇ。タバコ喫えるような体調になっててほしいもんですな。無理でも喫ってしまいそうですよ。それでもカラダが受け付けなきゃ葛藤しますかね。
 何度かタバコをやめた、というかやめようとしたことがあるのですが、息子が生まれる時、妻から妊娠の連絡を受けて1本だけ喫ってそれから1年以上やめたことがありました。息子の無事の誕生は本当にうれしいことでした。あのままタバコをやめてしまって、ついでに仕事もやめてしまえばよかった。・・・ん? あんときゃどうしてもやめたいってもんじゃなかったな。しごと。
 今は「本格的に」、なかなかやめられません。もともと喫わなきゃどうなってんだかと思いますが、喫ってしまう僕は、ストレスのかったまりのような中でタバコの本数が増えてしまっています。よかないです。ただ、今は生半可な健康を願う気持ちが薄れてしまってましてね。とはいえ、大病はいけません。それは困る。言ってることとやってることが矛盾してるかい。ま、とにかく、タバコは未だやめられん。去年の3月も何回か目の禁煙断煙をしたんだけどな。頭の中じゃそのまんまいくつもりだった。1ヶ月以上は続いたと思いますが、結局自分が予期したような生活にならず、再び喫う毎日になってしまいました。甘いというか。弱いというか。まぁ今そんなこと言っててもねぇ。しょうもない日記だなぁ全く。ただでさえイカンな状態ですから、体調快復せにゃイケませんな。早いとこアップして横になりますか。テレビじゃイチローと松井の対決と銘打ったマリナーズ VS ヤンキース 戦をやってます。今日はマリナーズが圧倒していて、もうすぐ試合が終わるところです。松井が最後の打者になる寸前でしたが、今ヒットを打ちました。後続もヒットを打って松井はホームに帰って来ましたね。試合の方は、マリナーズの勝ちです。調子の悪い二人ですが、今日はそこそこ打ちましたね。イチローは3打点。長谷川はいい投球しましたよ。大したもんです。中継は終わりました。さ、いいかげんコノヘンにして横になりますか。明日は出ようとしているのです。休んでおかなきゃいかんですからな。


03年 5月 8日(木)   今日も休む明日は出たい

 今日は何とか出るつもりだった。そのつもりで起きた。お粥を食べた。食べるとやはり腹が痛くなる。どうしようか。だんだん痛くなる。服は着替えた。迷った末、結局やめた。熱なんか5度9分になってる。ほんとかよ。関節は未だ痛い。腹は未だ治らない。痛みが時折り襲ってくる。じっと座って仕事出来る状態には遠い。これじゃ闘病日記だ。今日一日ゆっくり休んで何とか明日は出る。完治してなくても明日一日出て土日またゆっくりすれば大丈夫だろうと思う。このまま休んだら胃腸炎治っても5月病になりかねん。冗談じゃない。医者の診断はリッパなウィルス性胃腸炎です。徐々に良くはなってます。明日は出たい。息子は今日は宿泊学習。楽しんで来い。日記も迷走だ。これで了、休みます。 


03年 5月11日(日)   ノンタイトル

 昨日も今日も天気が良い。昨日は息子の野球チームが遠征試合。母親は遠路応援へ。父親は胃腸炎病み上がり、未だ若干不調の大事を取って留守番。試合は3チーム参加、息子は2試合のうちの2試合目にライトで先発出場。2打数1安打。守備機会2回。1度はライト前に落ちるヒットをワンバウンドで取り、2度目は逆に大きなワンバウンド目を頭上に逃してしまったようだ。試合途中で交替。という話を後で聞きました。今日も息子は練習に行っています。妻はさっき買物から帰って来ました。ブラウス2枚とそうめんに合いそうな食器4ヶの1セット(?)、計3点。3点全て同じ値段。さて、いくらでしょう。答えは各200円の合計600円。食器なんか1ヶ50円ってことになります。全部リサイクルショップ。妻は買物上手です。あっしは何してるんでしょうか。取り立てて何か日記に書く元気はありません。そういうのを元気というかどうか知りませんが。体調はイマイチですが、昼食べた後はぶらっと外に出ましょうかね。まるで、じいさんだな。いかんいかん。何か、せねば、何か。


03年 5月18日(日)   ゴスペル歌いました

 妻とゴスペルのワークショップに行って歌いました。6月のコンサートに向けての練習。今回はキッズプログラムは無し。息子は今日は留守番。新しい練習曲 GOD IS GONNA FINISH JUST WHAT HE STARTED はトラディショナルなゴスペルとのことですが、アップテンポでノレる曲でした。歌はイイです。
 歌いに行く前に妻と散歩した。去年の9月頃もよく一緒に歩いた。去年の3月頃もよく一緒に歩いた。精神状態は全然違う。どっちにしても懐かしく想う。オレ未だ若いんだからさ、あんまり懐かしいなんて言ってちゃいけないか。そもそも散歩が年寄りくさいか。そんなことないぜ。中年だって歩くのはいいことさ。本当はもっと元気に歩きたいんだけどね。相変わらず何とかしたいとは思ってる。思わなきゃ。