実はこのホームページは、ホームページ・ビルダー等々(ソフトの名前あんまし知らない)のホームページ作成支援ソフトを一切使わないで、いわゆる HTML ファイルを「ゼロ」から作って作成したホームページです。
なーんて宣言してるのは、もちろん威張ってるのではなくて、ご覧の通りのシンプルな作りの言い訳をしておきたいからです。ド素人の初心者なので、そのうち、出来れば工夫していきたいとは思っていますが。
頼りにしたのは、「ゼロからのホームページ作り」(成美堂出版)1冊。「完成までたったの3日間」という副題は、残念ながらヒマ人ではない我々にはウソだけど、かなり使いやすい本です。この本持ってる人なら、このホームページが参考にしたってことはすぐわかるはず(演習課題のやり方をバンバン使ってますから)。
あ、それと、この本に出てなかった点などは、人のホームページのソースを開けて、じぃーっと見て勉強させてもらいました。
そのうち、少しは進歩したら、あるいは進歩しなくても(?)、もしかして特別なテーマも無いまま「掲示板」なんかもアップするかもしれません(んー、「掲示板」は地道な世話人?タイプが管理人でないと無理かな??)。
とりあえず簡単に自己紹介(でもちと長い)。そのうち、もちょっとはカッコつけたいものですが・・・。ん? つけてもしゃーないな。
かろうじて、'60年代の生まれ、と言ってもいいんだよねぇ。・・・1960年、「60年安保」の年の生まれ、4才で東京オリンピック、大阪万博、ビートルズ解散の年に10才。まぁ若くないのは確か。かと言って、いくらなんでも高齢とは言えんだろう、未だ未だ! というような中途半端な年齢の男。妻一人(!)、息子('92年生まれ)一人。
出来れば早く、我が人生のハーヴェストの手掛かりを得たいと切に想うものの、未だ得られず。焦るばかりの今日この頃といったところ。
ハーヴェストに向かって少しずつ歩いていきたい。 ・・・だけど 現実は転がる石のようでもあり (この先は「雑感」のページです)、人生は長い、俺はそう思ってるぞ(021207記)。
ですが、未だサイトは当然ながら序の口なので、これからもっと展開していきたいと考えています。クラプトンについては、'75年の第2回来日公演にも行った(ファン歴自体はたぶん'73年頃から)、わりとヴェテランのファン。
面倒くさいから外国人もカタカナで表記しちゃうと、クラプトンの他は、(順不同)カーク・フランクリン、ポール・サイモン(S&G 時代含む)、ジミヘン、ドアーズ、ボブ・マーレイ、ローリン・ヒル、CSN&Y の面々、イーグルス、ドゥービー、エルトン・ジョン、シェリル・クロウ、ジャニス・ジョップリン、サンタナ、敢えて言えば若い頃のボブ・ディラン(今も嫌いじゃないけど → 2017年4月5日ここだけ加筆:2016年10月から Bob Dylan SUCKS! あんな Racist の ZIONIST 野郎は大嫌い、最悪だ奴は! )、ジェイムス・テイラー、ピンク・フロイド、トーキング・ヘッズ、ユーリズ・ミックス、ソロのアニー・レノックス、ビートルズ、ソロのジョン・レノン、ダイアー・ストレイツ、シャーデー、Gラヴ、それからバディ・ガイや BBキングを始めとするブルースマンの面々・・・(順番ムチャクチャや!)。あー、やっぱキリが無い! 日本では CHAR とかチャボ(麗蘭も良かった!)、キヨシロー、今は無き RC、それからカルメン・マキも、そいから、はっぴいえんど、それとサザンやソロ桑田も人並み(?)に、わりと最近(!?)では UA もなかなか・・・。「イイものはイイ」なので、ジャンルに全然統一感がない。ま、しかし特に好きなのは、ロックとブルース。
サイモンとガーファンクルで、小5か小6の頃(既に彼らは解散していたはず)。でも、その前にショッキングブルーの「悲しき鉄道員」とかも聴いていたかな?
サイモンとガーファンクルというと、食わず嫌いの人は「軟弱なフォーク」(軟弱でなければフォーク系も嫌いではありません)だと誤解しているかもしれないけど、ポール・サイモンはロックンロールを聴いて育った人で、彼が S&G 時代に作った作品の当時のポピュラーミュージックとしての完成度、その実験性、隠喩に富んだ詩等々はどれも間違いなく一級のもので、S&G の名は確実にポップスの歴史に名を留めるはず。ソロになってからも、ポールの勢いは止まず、現在は既に音楽の達人の域に! 一度、確かグレイスランド・ツアーの時の来日公演を観たけど、また来てくれませんかねぇ。(記憶違い! 件の来日公演は、THE RYTHM OF THE SAINTS の後のボーン・アット・ザ・ライト・タイム・ツアーでした。02年3月28日訂正)
とにかく最初が S&G 、マセガキだったから、S&G からソロのポール・サイモン、そしてクラプトン辺りが、私の青春時代の残像の BGM です。
順不同で、クラプトンが'99年来日までで計6回(今年01年行くと7回、パフォーマンスはフロム・ザ・クレイドル・ツアーがベストだった)、カーク・フランクリン、ポール・サイモン、シャーデー、マンハッタンズ2回、マントラ(マンハッタン・トランスファー、何故か前座?がフェンディーのファッション・ショー)、ドゥービー(今年01年で2回目)、初来日時のストーンズ、ロジャー・ウォーターズが抜けてからのピンク・フロイド、再結成時のイーグルス、CS&N 、バディ・ガイ、サザン、桑田バンド ・・・ 後はそんなあるわけじゃないけど、パッと思い出せない。
いや、重要な人を忘れてた。未だ付き合い出す前の妻と行ったスティービー・ワンダー。(ここだけ01年9月25日に追加)
本牧ジャズ・フェス(行ってたのはだいぶ前、あんましジャズ出ない)では、特に印象に残ってるのだけ挙げると、坂田明、梅津和時、ブルースの憂歌団。
ほとんど毎年行ってるジャパン・ブルース・カーニヴァルでは、やっぱりバディ・ガイ、BBキング。今年01年のオーティス・ラッシュも元気で良かった。在りし日のアルバート・コリンズが不調だったのは残念。一度、野音のド真中最前列に座り、憂歌団の木村のツバから逃げつつノリノリに楽しんだ経験有り。飛び入りゲストの CHAR のパファーマンスも観たことあります。そいからシーナ&ロケッツの鮎川誠も。
下手クソながら、ギターが5本。 FENDER ST. EC-model と OVATION CUSTOM LEGEND(これはエレアコ)、それともう何年も触ってない FENDER JAPAN の ST.モデル、オモチャのような ZO-SAN (FERNANDEZ)、あとは妻のクラシック・ギター。
他には、妻と息子が使うヤマハのスタンド・ピアノ(妻の方は上手いッス、速弾きもOK、かな? )とたぶん既に販売されていないポータブル・キーボード(ショルキーって名ですが、これけっこうイイです)、それからアンプやエフェクターの類が少々・・・。それから、無理して挙げれば、息子のハーモニカ(はわりと本格的だけどウチの誰も上手くは吹けない)とかデコーダーとか(んー、かなり無理してるか)。
最初が高校の時。学園祭でクラプトンやドゥービー、ピンク・フロイド(バラバラな選曲!)などの曲をやった。ただしギターの私は下手クソだった。JUNの黒シャツに白のバギーパンツという、今考えるととんでもなく恥ずかしいカッコで体育館のステージに上がった自分を、今も覚えている。ま、当時も十分恥ずかしかったけど。
2回目は、それから十数年後に職場の仲間で作ったバンド。妻がキーボードだった。クラプトンやパープル、イーグルス、ビートルズ、RCサクセション、サザン、それから少しオリジナルもやった。事情あって(笑)、日本に勉強しに来て退屈な週末を過ごす外国人を相手に、何度かライヴをやった。自腹切って(笑)ドリンクまでサービスしたし、退屈している外国人には大いに受けた。ただし、くどいようだが、私のギターは下手クソだった。
それも円満(笑)解散となり、以前は一部メンバーで東京のスタジオで遊んでた時もあったが、現在の私は、たまーに夫婦または親子で自宅でセッションごっこをするのみ。ただし、くどいようだが、私のギターは下手クソ(ま、それでも楽しいんだから)。妻のキーボードは上出来だな。息子は現在、発展途上。
キャンプとか(年1回のキャンパー !! )。映画も好きだけど、映画館にはもう何年も行っていない。旅行も好き(だった?)。学生時代に1年間資金作りしたうえで次の1年を休学、横浜から船でナホトカへ、シベリア鉄道で当時のソ連を横断、北欧からギリシャまでヨーロッパ諸国(今は無き東ベルリンに西ベルリンはチェックポイント・チャーリーから進入、そいから「当時の」ユーゴにも行った)を2ヶ月で縦断、アテネとエーゲ海のサントリーニ島でゆっくり休んだ後、トルコ、シリア、ヨルダン、被占領地パレスチナ、イスラエル、エジプト、再びトルコ(は計1ヶ月強)、イラン、パキスタン、インド(は1ヶ月半)、タイ、韓国と廻って、釜山からフェリーで下関にて帰国という、1年弱の風来坊旅行を敢行(?)。あー、ほんとにこれは昔の話。もう絶対こんなこと出来ない(と思う)。
でもちょっと社民的かな?(日本の社民党は嫌いだけど。ま、個々の議員にはイイ人もいるとしても。)