03年 1月 4日〜1月25日

最近の子供はどうか分らないけど、今の大人の多くはガキの頃に日記を何日か書いた経験があるのでは?
斯く言う私もその一人、当然この日記も不定期です。 (2001年8月19日、記)

03年 1月 4日(土)   WISH

 時折り、外から、子供達が遊ぶ声が聞こえる。息子も遊んでいる。

 正月と言って、気持ちが晴れ晴れとするわけではない。覇気は意識しないと出て来ない。というか、出て来ない?
 以前はそんなこと知らなかった(気づかなかった)けど、人間、ただ単に生きているのにも「覇気」が必要です。誰だっけ、パンだけじゃ生きられないって言った人、確か西洋のえらい人だったよな。・・・これは本当です。人間はやっぱり他の動物とは違う。パンや米の類は必要です。これは身体が生きていくことの為に栄養を必要とするからです。しかし、パンや米が少なくても(無くては駄目、そこはヒトも他の動物と同じです)生きている人がいる一方で、パンや米があっても生きていけない人もいる。生きるのには覇気が必要なのです。決定的ではありませんが、それに近いくらい重要です。覇気がなければ必ずしも生きていけない、というわけではありません。そこはパンや米の決定的な必要性、重要性とは違います。覇気がなくても、少なくともパンや米があれば、生きることは絶対に不可能というわけではありません。ただ、辛い。続けることが辛くなってしまいます。
 困難に立ち向かっているという強い意識を持てる時、人間は自分の「覇気」を意識するかもしれません。しかし、取り立てて大きな困難の中にいなくとも、あるいは逆に大きな楽しみの中にいなくとも、ごくごく普通に生きていても、生きている人は覇気があります。ただ、意識しないだけです。ごくごく普通に、人が人として生きることそれ自体に、覇気が必要なのです。そんなこと、以前は感づかなかったなぁ。

 A地点にいて苦しかった。自分なりに頑張っていると思っていたが、自分の力でどうにか克服出来る苦しみとは思えなかった。A地点の周りの事情も悪くなっていたが、そのこととは関係なかった。そうなる前から、自分がそこで発言し続けることに苦痛を感じていた。そのまま頑張り続けるのも道だが、自分には未だギリギリ、時間があると思った。人生は1回しかないようだから、今のうちなら他の環境に行ってみるのも道だと思った。長い間想いが抜けないで、結局B地点に行った。だけど、問題があって、自分が固執する何かをみつけられないまま、たまたまみつけて、やってみたら入口を開けられたB地点に行ったってことに過ぎなかった。もう一つ偶然が重なって、たまたまA地点よりもマシだったら良かった。だけど結果はそこだけ違った。そんなに甘くなかった。A地点よりも、もっともっと自分だけで切り拓ける可能性がなかった。最初は頑張っていたけど、このままでは何も切り拓けないまま、その時にC地点を探そうにも、最早時間切れとなることを恐れた。早く見切りをつけるしかないと思った。で、最後は急いでB地点から離れたけれど、C地点がみつからない。短い間に死ぬほど考えたけど、みつける為のその手掛かりをいつみつけられるか、見当がつかなかった。極度の不安の中にはまり込んだ。もともと、固執する何かを見据えないままに、観念の中を泳いでいたのがいけなかったのだろう。いや、その時もそれはそう思っていたが、結局想いが抜けず、変えられず、抽象的な観念の中で泳いで「出た」ことの結果だった。たまたま運が良ければ、今頃ノッてたかな。だけどそうは問屋が卸しませんでした。

 名無しの地点では、今の自分の諸々の条件では、ますます苦しくなると思った。もちろん、最愛の者達の苦痛も考えた。というか、一時はそればかり考えた。無垢の笑顔や寝息や静寂の中の寝顔に接しただけで、胸が張り裂けそうになった。だけど、自分が弱かったのかな。より正確に言えば、最愛の者達の苦痛を想像するということの(自分の)極度の苦しみから(自分が)逃げた、ということなんだろうか・・・。

 C地点がみつけられないまま、そのうちA地点に戻ることを考えた。離れていたことで、A地点を違った角度から見るようになっていた。少なくとも自分はそう思った。しかし、もちろん、もともとはA地点から離れたいと思って離れた、そのことを想った。A地点で自分に苦しいと感じさせたものが、何か変わっているとは思えなかった。一方で、最早当然のことながら、A地点の入口が開くという保証は何も無かった。成り行きと共に、その都度、その時々に、頭が壊れるかと思うくらいに考えた。少なくとも、その時々には、そう自覚していた。開く保証もない一方で、これも当然、自分の意思固めが出来るかどうかが不可欠のことだった。最終的に、意思固めした、そう思った。

 A地点は何も変わっていない。しかし、そこにいる自分が前と違う。前に自分がA地点での自分の精神の拠り所だと自覚していた、ある種のスタンスを取ることは、極めて困難だ。不可能ではないが、以前と同じスタイルは不可能に近い。どの道、前と今と自分は違う。本当は違っていない。本当は自分という一個の個性は変わっていないのに、しかし、A地点の中での関係性が違う。何もかもがねじれている。それは眼に見えないが、まるで自分の眼にはっきりとモノのように見えていると錯覚してしまうほどに、ねじれている。・・・おまけに、この先このまま過ぎて進んだとして、しかしその後に今度A地点から離れることがあったら、そんときゃ石でも投げられるだろうか、少なくとも精神的にはそんな感じだし、それは余程のことでもない限り出来ないって、そう思わせる情的なものまである。だけど、人間いつどこでのっぴきならない事情が持ち上がるかわからないし、そういう意味では、絶対に有り得ないって、そう断定するのは止したい。見えない未来を断定するのはあまりに苦しいし、それ以前に、見えない未来を本当に断定してしまうことは無理だ。可能なのは、気持ちです。
 こんなこと、全て覚悟して想いを固めたはずだった。しかし自分が弱いのか、日々移り変わるヤッカイなもののコントロールが出来ない。虚脱感に襲われる。心に隙間が出来てくる。隙間が大きくなっていく。そこには何にもない。何かが隙間を占拠したかと思うと、それは大きな不安だったりする。かと思うと、放っておくと巨大な空洞が出来てしまいそうなものでもある。そいつはとても危険なものなのです。だから隙間を必死に埋める。何でもいいんだが、少しでもいいからポジティブだと感じられるもので埋める。そういう何かで、無理矢理に頭を使って、心の隙間を埋める。無理矢理に頭を使って、心が機能しないようにする。だけど、ふっと気を抜いていると、気がついたら、また隙間が出来ているんだ。心ってヤツは本当にヤッカイです。誰か、こいつのコントロールの仕方、知りませんか。

 A地点から自分には良かれと思って(しまって)B地点に行って、根拠のない幻想が崩壊した後でB地点を離れ、死ぬほど悩んだんだと思った挙句、今はA地点にいる。予知夢でも見る超能力があったら、もともとA地点にいたでしょう。苦しみ測量器でもあったら、A地点の以前の自分よりも、A地点の今の自分は、何万倍も苦しいと感じてしまっていることが測量できるだろう(ま、第三者からすれば、それは当然のように、おまえA地点にいられるだけで文句言えねぇだろーがってことになる、そりゃわかる、それがわかるとますます苦しい、コントロール不能の悪循環だ)。ただ、同じ場所でも、この二者には時間軸の間隔があって、前者は後者を知ることが出来ないから、前者からはどうにもならない。後者からはどうか。時間軸は逆行出来ないから、これもどうにもならない。
 人はこんな時、どうするんだろうか。いや、こんなことしてるヤツ、滅多にお眼にかからないかもな。人はって言ったって、要は、俺はどうするか。デフレ・スパイラルってどうやったら抜けられるんでしょう? あ、駄目だ、そんな理論に頼っちゃ駄目だよな。でもほしいな。俺は覇気を搾り出すように生きています。助けを得ても、助けを得て、自分の人生の舵を取るのは自分だけです。舵は自分が取ります。取るしかないもん。Yさんの人生を、Zさんが生きるのは無理だもんな。舵は自分が取る。取るけど、羅針盤の手掛かりが欲しいんだ。

 前はいくら苦しくても、最愛の者達と共にいれば、心は穏やかになっていました。今はそんな時でも「隙間」ってヤツが頭をモタゲテきたりする。こんなんじゃ、最愛の人を前にしてるのに愛情を表現することすら出来やしないじゃないか。搾り出さなくても、意識しないでも覇気が出ている人間に戻りたいのですが・・・。そして、それからです、そこから先に進みたい。いや、本当は覇気なんて意識しないものなんだ、何かの手掛かりを得て、先に進むうちに、生きることには覇気が必要だなんてことを忘れて、生きているだろうか。まだ、時間があるよね。長生きさせて下さい。時間が必要です。今は搾り出さなきゃいけない。簡単かな? 簡単だって言い聞かせるんだけどね。時々忘れちゃうんだ、言い聞かせたことを。普通の(?)状態の時って、意識しなくても生きているよね、人間もさ。本当は大抵は「覇気」があるからなんだけどさ。今は、意識しなくちゃいけねーのさ、俺は。コントロール出来ないものを、何とか一定程度コントロールしてるのさ。そのうち、無意識に生きていたいもんです。生きてるさ、必ず。


03年 1月 5日(日)   初詣

 家族3人で初詣に行った。神頼みです。

 私は特定の宗教を信仰していない。去年も一昨年も、キリスト教の教会でゴスペルのワークショップに参加した。一昨年は妻と2人で。去年は息子も含めて3人で。去年は、クリスチャンでない者が参加することについていろいろと考えるところがあったが、たぶん、今年も機会があれば参加すると思う。
 クリスマスの時は、息子に「サンタのプレゼント」をあげた。息子は去年初めてサンタの存在に疑問を感じたようだが、おそらくは未だ、半ばもしくは半ば以上信じている。クリスチャンでない我々は、結婚前はクリスマスの機会に二人でレストランに行ったりもしたが、結婚してしばらくは、信仰者じゃないんだからと言って、特別何もしないで過ごしていた。しかし、息子が生まれて何歳からだったか、「サンタのプレゼント」を息子にあげるようになった。小さい時は何かファンタジーがあったら楽しいだろうし、大きくなったら信じなくなるようなことを信じる時期があるというのはいいことじゃないか、それがたまたまキリスト教に由来するクリスマスの機会に訪れることであってもいいじゃないか、そう考えるようになった。私自身は、キリスト教の歴史や考え方にある程度の関心を持ってもいる。
 以前住んでいた場所では、正月になると妻と二人で仏教の寺に行って、達磨を買ったりしていた時もある。二人でよく歩いた商店街の先にある寺で、楽しい思い出のある場所だった。いや、楽しい思い出のある場所だ。また遊びに行く時もあるだろう。
 今住んでいる場所では、これまでに何回か、神社に初詣をした。去年は一昨年自分の祖母が亡くなって喪中だったので、喪中には初詣しないのだと親族に聞いて、行かなかった。一昨年は自分が世間で言うところの厄年だった。今想えば、厄払いとかしてもらっとけば良かった。今の自分は本当にそう思っている。今日はその神社に行って、3人それぞれが賽銭を入れて、願いを込めた。私は家族3人の幸せや健康などを願った。長寿だって願いました。「家内安全」の札も買いました。
 私は理論や理屈が好きな人間だ。今後もそうだろう。それでいて、私は今、きっとこれからも、こういうことをする人間です。宗教は信仰していません。ただ、それに向って願うことの出来る、何か絶対的な存在がある、そう信じていたい。自分にとっては、好きな理論や理屈の世界を超えた、超越的なものとしてそれはあって、自分の頭の中では両立している。人によってはおかしいと思うに違いない。おかしいと思う人は多いだろう。自分もそういうのはおかしいと考えた時があったと思う。今はおかしいと思わない。きっと、これからも。

 家族は絶対に幸せで、健康であってほしい。私は、覇気を持って生きていきたい。そのうち、前向きな覇気が湧き出てくるように、前を向いて、笑って生きたい。必ず。


03年 1月 9日(木)   がんばりやす

 12月に入った辺りから、覇気が希薄になってきた。
 こんなんじゃいかん!

 ぜーんぜん眠れなかった日々を想い出さにゃ。
 近頃の方が眠れてはいるもんね。前の日々に戻っても、しゃーないで。

 決めた通り、迷わず行かにゃ。
 迷わず、揺るがず、揺るぎなく。

 仕事とか、仕事以外のたーくさんのものとか、いろいろ、ひっくるめて生きていくってこと。
 だからリラックスして、複眼で生きればいいじゃないか。

 こういうときは、とにかく、プラス思考で行かにゃ。プラス思考。
 で、明日からまた、がんばりやす。    (自言自聞)


03年 1月12日(日)   プラス

 そりゃこれが自分の人生じゃなけりゃ、客観的に言うんなら、プラス思考って単純には思い浮かばんで。

 しかしこの人生を生きるのは俺以外の誰でもないのであって、この人生を生きるのはこの俺だけなのであって、他の誰かが代わりにこの人生を生きてくれるわけじゃないのであって。

 常に、自分が居る地点は「マイナスではない」。最低限が「ゼロ」である。
 ということは、0.1でも進めばそれは絶対的にプラス。

 常に、自分が居る地点は「マイナスではない」。少なくとも「ゼロ」である。
 ということは、0.1でも進めばそれは絶対的にプラス。

 これを繰り返せば常にプラス。

 すっげぇ理論だ。常時プラス思考可能理論。

 前向きに生きていこうってことです。こうやってプラス思考でいくってことです。俺は客観的に思える理論とか理屈とか思想とか好きだけど、この人生だけは客観視してもしゃーないし、客観視は不可能であり、客観視する必要も無いし、もともと客観視する対象ではない。何やってもいいってことでなく、自分の人生を自分が考える時に客観も主観もないってこと。自分の部分であり、全てであることを考えている、そのことは何かのオブジェについて思考しているということとは全く違うことであり、そのことは自分が生きているということの中にあり、結局、生きていることと同義なのだ。

 そういう意味で、プラス思考でいく。今はまぁ「ゼロ」になっているんで、とにかくこれだけが、その日の目標。で、そのうち、あんまり意識せずに前を向いているようになりたい。で、そのうち意識せず何かをしていたい。そう願っております。今という瞬間は常に去ります。常に前向きな気持ちを意識して生きるのであります。で、いつか、前向きな気持ちを意識はしていなくても、しかし前向きに生きているのであります。    (自言自聞)


03年 1月13日(月)   とにかく凌いで、活路を探す、いつか活路をみつける

 覇気が出ないのは自分の現在がなかなか認められないからで、何か自分を押さえつける自分とは別のものがあるわけじゃない。そういうものがあればそれにとりあえず抗えば覇気が出ると思うのだが、自分の現在、現在の自分という実在そのものが原因とあっては、どうにも立ち向かいにくい。生きている限り、自分を消してしまうのは無理だし、自ら現在の状況に入り込み、その自分が認め難く、しかも、最早その自分の現在の状況を変えることは極めて困難になってしまった(しかもそれを承知のうえでの自分の選択だった)。何とか乗り切ろうと意思固めして入り込んだものの、どうにも心の隙間が拡がるのを止められない。そして、もうこの状況から出られないように感じる。途方に暮れる。

 これといった、まともなアイディアが浮かばない。何度も何度もメモを書いて、自分を奮い立たせて少しの覇気でも出そうと試みる。しかし、すぐにメモ自体を意識しなくなる。かばんに入れても、眼の前に置いても、そのうち風景になってしまう。

 昨日は、数日前に思いついてペンダントを買った。雑誌の通販の広告によくあるような、魔法のペンダントではありません(本当にそんなのあったらマジで欲しいよ)。
 クリスチャンではない自分だが、それと関係なく(あるような無いような)、とにかく十字のペンダントにしようと思った。十字はイエス、イエスを YES と読み替え、YES は肯定、肯定して今の自分を「ゼロ」の自分として、とにもかくにも認める、そんな連想ゲームだ。メモでは意識しなくなる。身に付けるもので、心が危なくなったら思い出せるようにする。身に付けていれば、意識できるだろう。苦肉の策です。しかし、これが、付けてみるとそぐに違和感を感じなくなってしまう。適度な違和感がないと、果たしてどの程度の効果が望めるのか。んー、苦しいな、これ。とは言え、思いつくものは何でもやってみます。

 生きていきたい。しかし、生きている限り続くと思ってしまうような苦痛と付き合うのは至難だ。気持ちの切り換えが出来ない。今ある自分を認め難い、その今ある自分(の環境)を最早変え難い。逃げられない。脱け出せない。

 にもかかわらず、いつか、何とか活路をみつけるんだろうか、俺は。みつけない限り、苦しくてたまりません。
 しかし生きていきたい。

 自分をどうにも認められないのでは、あまりに苦しい。絶対的だと感じられるような原因から脱け出せないのも苦しい。だけど、何とか自分を認めなくてはいけない。受け入れなくてはいけない。肯定しなくてはいけない。時には褒めてやらなくちゃいけない。

 とにかく凌いで、活路を探す。今は、これだけです。だから、とにかく凌いで生きます。明日からまた、がんばりやす。相手は自分の人生なのです。自分で何とかするしかないのです。
 今は「マイナス」でなく、「ゼロ」と位置づける。しんどくても常に「ゼロ」以上。ほんの少しでも進めばプラス。とにかく凌いで、活路を探す、いつか活路をみつける。活路を探すには、まずは凌ぐことだけでもよい。まずは。まずは。    (自言自聞)


03年 1月18日(土)   今現在は、凌ぐこと、工夫して出来る限り最大限に近く、精神を安らかに凌ぐこと

 人間の個々の人生には、おそらく個々の出来事に条件付けられた分というものがある。分をわきまえることが、幸福感を持つことの本質にある。この頃そう思う。幸福感を持てなかったが何かを成し遂げた、ということは世の中にあるだろうけれど、ここは個々の人間が主観的に幸福を実感するしないの話。

 ある教訓の話。これから、いつかこの教訓が生きたと思える時をつかみたい。今は方法もわからんし、凌いでいるだけですが。

 こんなんでいんだろうかという想い、そういう巨大な観念を持ち続けた昨春までの5年間。
 ある種の不安は抱えていたが、しかし、幸福を実感出来る時はたくさんあった。喜び、感激はたくさんあった。かけがえのない時間がたくさんあった。悩みは抱えても仲間との時間は貴重だった。今はそのことが正確にわかる。最早戻ることの出来ない過去のその時に、なぜ自分の分をわきまえる考えを持てなかったのか。最早どうにもならないことを考えない、そうは思ったものの、どうしても悔む気持ちを消すことが出来ない。消すことが出来ないから、ますます苦しい。

 自分の分のなかで幸福を実感するということを理解出来ないまま、抽象的な焦燥感という観念に追い立てられて転進した。他に何か特定の、具体的に目指すものがあって転進したわけではなかった。しかし、このまま過ごしていって何かを得られるんだろうかという、自分の人生に対する漠たる想い、まさしく抽象的な焦燥感を抱え続けた5年を経て、とにもかくにも転進した。そして、以前は自覚出来ていなかったかけがえのないもの、その多くを失っている自分に気づいた。当初は何かが好転したと錯覚した(しようとした)が、すぐに現実を確認した。そのままの環境で何かを取り戻す、あるいは獲得する、その可能性があるとは思えなかった。その位置に居たまま環境を動かすことが出来る、その可能性も閉ざされていると考えた。結局自分は漂流し、元の場所に戻った。

 そうして、過去に元の場所に居た時の自分は、あれだけ苦しんだり悩んだり不平を言ったり不満を言ったり何とか出て行きたいと考えたりそう言ったり、そうしていたにもかかわらず、その場所を人生の部分に繋ぎながら、かけがえのない大切なもの、かけがえのない大切な時間を、その生活の中から享受していた、そのことに思い至った。当時はそのかけがえのなさを理解していなかった。

 人間には個々の歴史に裏づけされたある種の分がある。人間のその時々の可能性は、当然ながら無限にあるのではない。無限にあると感じられる時もあるだろうが、それも、個々の分の中に訪れた一瞬の出来事だ。その一瞬の機会を最大限に生かす条件と能力と意思がととのった時、そういう稀有の瞬間に、人間は分を突き抜ける時もあるのだろう。しかし、大方の時間は、間違いなく個々それぞれの分のなかにある。
 当時は、当時持っていた、かけがえのないものと時間の、そのかけがえのなさを理解していなかった。今、場所は同じでも、時が違う。この間に自分の人生とその場所との関係が変転した。いや無責任な言い方は言えない、自分が自分の人生とその場所とを改めて関係させようとしたからこその今だ。少なくとも自分の意思がなかったら、今は物理的に無関係のままのはず。自分の意思だけで実現したことでは全くないが、自分の意思が結局大前提ではあったのだ。

 とにかく、今は当時の場所に居る。苦しんだり悩んだり不平を言ったり不満を言ったり何とか出て行きたいと考えたりそう言ったり、そうしていたにもかかわらず、その場所を人生の部分に繋ぎながら、かけがえのない大切なもの、かけがえのない大切な時間を、その生活の中から享受していた、今は本当に正確にそのことがわかる、その場所にいる。その場所と関係している。しかし、その関係は全く変わってしまった。
 今、その場所に当時の自分は居ない。本当には笑っていない(前は笑っていたよ)、心の底から考えを吐き出さない(前は言っていたよ、誰が相手でも)、自分がそこに確かに居るという実感が持てない(前はそこで考え、臆せずものを言っているということについてはある種の確信を持っていた)、そんな自分がそこにいる。どうにも自分の存在が認められない。とにかく出て行きながら結局戻ろうとした(そして何とか戻ることが出来た)人間が、確信もなく、自分の本来の言動をする力もなく、何となく申し訳なさそうに、そこに居る。ただ、その現実を受け入れることだけはしようとして、それが確かに今現在の現実であるということを肯定することだけはしようとして、そうして何とか今現在を凌いでいる人間が、そこに居る。現実は否定出来ないのだ。事実であるということは肯定して、そこから進まなければ破綻してしまうのだ。それでいて、そこに居る自分の有り様が認められない。正真正銘苦しい。しかも、今は苦しさのあまり脱け出すことを空想する、夢想するということにすら、別の苦しさを感じざるを得ない。何もかもが変わり、ねじれてしまった。前のような自分ではいられない、そのことの葛藤も考え抜いて意思固めしたつもりだったんですが。おまけに、最早脱け出せないと思えば気持ちも落ち着くはずだって考えたんですが(これは今のところ全くの見当違い)。頭が割れるほどに考え抜いたと思ったんですが。このままじゃスパイラルですよ。スパイラルからは絶対脱出しなくちゃいけない。今は凌いでいるだけです。

 今ははっきりわかる。過去のその場所と自分の人生、今現在のそれ、二つを横に並べたら、どちらに本当の自分が存在しているのか。しかし、現実には前者は後者を知らない。後者は前者を知っている。前者に存在した自分と、後者に今現在存在している自分は同じではない。同じだが違う。前者は後者のことなど、知る由もなかったのだ。知ろうとする努力は必要だったんだけどね。These 2 do not coincide. ってことでしょうか。何言ってんだろうね、おれ。

 分は間違いなくある。その人間それぞれの分のなかで、それに見合った幸福をどうやってつかむか。人間は大抵無意識なまま、そんなふうに生きていて、成功したり失敗したりしているのだろう。きちんと意識出来ていれば、成功の確率はより高まるけれどね。大抵は意識出来ない。まぁ正確に意識出来なくとも、無理しないって言い方、あれは分をわきまえるってことを言ってんだろうね。してみると、大方の人間は、そこまでの自分史に裏づけされた分というものを、案外理解しているのかもしれないね。
 おれは駄目でした。覆水盆に帰らず? 溶けてしまったアイスクリームを食べたくなる馬鹿馬鹿しさよ? ハハ、おれは何を言っているんでしょう? これからも、生きていくのですよ。ということは、とにかく今を凌ぐわけです。まずは凌ぐわけです。これはもう、とりあえず今は、苦しいって言ったってどうにもならない。まぁでも、無理しないで言わせてもらおう。自分にとっては、苦しい。これはその人間がどういう考え方をし、どういうふうに生きてきたかってことに制限されることなんだ。だから、人によっては、さして苦しいことでもないと想像するのかもしれない。しかし、苦しいです。自分の意思があってこそ、こうなっちゃったんだけどな。とは言え、なってみるとあまりに手ごわかったわけ。ま、そういうことで、いつまで耐えられるかって思う時があります。というより、最近はそれの方が多いか。しかし、耐えるも耐えないも、生きていきたい以上は、今現在は凌ぐんだよな。凌ぐんですね。何とか工夫しながら、凌ぐんだよな。今は、凌ぐこと、少しでも工夫して、出来るだけ安らかに凌ぐこと。今現在は、凌ぐこと、工夫して出来る限り最大限に近く、精神を安らかに凌ぐこと。    (自言自聞)


03年 1月25日(土)   fracture

 挫折することは早いうちに知った方がいいという言い方がある。挫折というのは人生にちょこちょこある失敗でなく、立ち直るのが容易でない程の困難といったところだろうか。

 私は人並みに悩んだり失敗したり、あるいは時には(おそらく)並外れて悩んだり苦しんだりしたこともあったけど、そしてそこそこ頑張って生きてきたけれど、思うに、つい数年前までは何となく乗り越えていて、結局とてつもない壁みたいなものにはぶつからなかったようだ。

 性格が性格でよく悩んだし、考え過ぎて決断に時間がかかるなんてことはよくあったし、いや、時間がかかるというか、とにかく考え抜く。で、考え抜いたあげく、時期が差し迫ってから突然気を変えるなんてこともしばしば。あるいは決めてしまって事態が動いた後にまた思い直すことも幾度か。若い頃よくあったんだけど、それでいていつもうまく結果がついてきた。自分次第で、もっといい結果が有り得たこともあったんだろうけど、それでもともかく、ぎりぎりまで逡巡しようが、一旦決めてから思い直そうが、最終的にはそこそこの経過なり結果なりに繋がった。そういう意味では、本当の挫折を知らないで過ごしてきたかもしれない。まぁ長きにわたって悩んだり精神的に参りそうになったこととかはやはりあったけどなぁ。それと、挫折するからには、それなりに何かに挑戦するってことがなくちゃいけなくて、大体そんな挑戦と言える挑戦を自分がしたことがあるのかどうか。いや、何回かは、確かに何かに挑んだことがあると思う。ただ、それらの経験ではあんまり不安というものが伴ってなかった。人並み、あるいは性格で人並み以上に不安を持つくせに、昔は結構思い切ったことをやってしまったし(でもそういう意味じゃ、挑めたものには本当は大した不安も感じてなかったってことかもね)、たまたま挑んだ結果もそこそこついてきていた。

 挫折って若いうちにしといた方がいいかもしれない。しかし実際のところ、挫折なしで(人生にちょこちょこある失敗のことではありません)、人生を生きていく人って、いないようでいて実はわりと少なくないんじゃないかと思う。と言っても、全ての失敗はまずはその当事者にとっての失敗であって、それはその失敗した人の環境や条件や過去やそれらにも起因する当人の主観によって、大きくもなり小さくもなる。だから、わからんな、やっぱり。人生そのものと同じで、失敗も挫折も漠然としたそういう現象があるわけでなく、また不特定の誰かが経験することではなくて、特定の主語があって初めて現実の意味を持つものなんだ。例えばガンになって経験する困難がある人にはとてつもない困難となり、同じガンという病気が他のある人には(困難ではありながらも)失うものの代わりに貴重な何かを得られる機会にもなる、そういうことが人間の世界にはあるみたいだ。結局、その人にとってどうなのか、ということ。ガンが他の困難を呼び起こすこともあり、あるいはガン(の場合はそれだけで十分大変ではあるけれど)の他に呼び起こされる大きな困難はないなんてことだってある。ガンという病気や現象だけではわからない。人はいろんなものを抱えているし、心の奥底に沈ませたりしている。それを喋る人もいれば、喋らない人もいる。日記にだって書きませんな。人間は結局、孤独です。自分と向き合ってしまうと、孤独だと思います。自分と向き合ってしまうともろもろのものが眼を覚ましてくる。あんまり向き合わなくて済めばいいのにねぇ。
(アップ後の追記。ガンを例えにするのは適当じゃないな。今の自分の心の中だけでしか成立しない例えだ。何か大きな困難ということです、主観的な、あるいは客観的な。)

 fracture って骨折って意味もあるし、挫折って意味もある。足を骨折したら外科手術をしてリハビリすれば回復するんだよな。精神が複雑骨折した場合はどうするんでしょうか。治りますか。ん? 精神の医者だっているじゃん? いや、プロの人にいろいろ喋らされるのは嫌だね。喋りたくないよ。最近ね、どうも健康にも不安があります、精神じゃなくてさ。だんだんわけの分からんことを言うようになってきたな。いや、わけは分かるけど。ま、凌いで生きていると何かが新たに生まれるかもしれないと思って(あんまり思わんけどさ、とにかく)凌ぐことが必要なのです。あんがい大丈夫かもしれないしなぁ。つーことを確認して、今日はお題を変えてもう1本(結局おんなじこと書いちゃったりして)。    (自言自聞)


03年 1月25日(土)   Love the one you're with

 パレスチナ支援の NPO の会員になった、今週。とりあえず会員になっただけで、何か活動に身体を参加させたわけじゃないけど。今後も会員で、いつかパワーが出たら、何かやってみるかもしれない。
 パレスチナは今から20年前の秋に行った。リュックかついだ貧乏旅行の途中だった。パレスチナにいたのは3週間ぐらいだったかな。ヨルダンから 1967年の 6日戦争後ずっとイスラエルが占領しているヨルダン川西岸地区(West Bank )に入り、エルサレムに宿を取って、エルサレムやベツレヘム、ヘブロン、ナブルス、ビルゼイト、ジェリコ、ナザレなどを廻ったり、イスラエル国内のテルアビブやハイファ(建国前はパレスチナの一部だったわけだけど)に行ったり、それから同じく占領されているガザ地区に行って宿を取ってガザ地区を歩いたり。その後はエジプトに向った。
 テルアビブではホロコースト・ミュージアムに行って、ナチスがヨーロッパで猛威を振るった頃のユダヤ人の困難についての展示を観たけど、その中にはナチスによって閉鎖されるユダヤ人の商店というのもあった。占領地では、イスラエルが同じことをパレスチナ人の商店にやっていた。その方向からイスラエル軍に向って石が投げられたからという理由で。ヘブロンだったかナブルスだったかでは、訪れた前の週にパレスチナ人がイスラエル兵に射殺されていた。ほんの短い滞在だったけど、あの時でもパレスチナ人の離散から35年。今はそこからさらに20年経っている。

 パレスチナのことは旅行の前からずっと関心を持ちつづけているし、本や雑誌の記事も特集もずいぶん読んだし、テレビで特集のドキュメンタリーでもあればいつもよく見ていたけれど、これといって何かしたこともなかった。もともと時事系の関心は高いし、学生の頃は韓国人政治犯救援の運動に参加したり、札幌から東京まで出てきて外務省や韓国大使館へのデモに参加したりもした(あれから韓国はずいぶんと変わったなぁ)。その後も、結婚してから夫婦で長良川河口堰反対デモに出かけたりクルマにステッカー貼ったり、二人で天皇制批判の集会に出かけたり、アムネスティのグッズを買ったり、9.11テロの後のピース・ウォークには家族3人で出かけて参加したり・・・。でも、そういうこと以上のことはしなかった。何でだろうな。やればやれたし、その気持ちもあったけど、結局いつもそれ以上はしなかった。この 5、6年は、自分の極私的な日々の悩みでいつも疲れていて(実は今思うと気の持ち様でもっと幸福感を持てたと思うんだけど)、とにかく何かしようって気持ちが高まらなかった。気の持ち様だったな。もっと本格的にやれば良かった。例えば、支援団体の会員にでもなって、もっと本格的な活動に参加してもよかったと思う。そういうことに何か手応えを感じて、日々の気持ちにもいい影響が出て、ネガティブな精神状態も変わっていく可能性があったと思う。取っ掛かりの気の持ち様が駄目だった。時既に遅し。

 今も例えば、パレスチナへの関心は続いている。続いているが、しかし、今は逆に、例えばテレビでドキュメンタリーなどあっても前のようには観れない。関心はあるのだが、ああいうものを観る時には最低限の力が要る。観たり観なかったりだが、何とか観る気になるのはたまだ。観ようとする気持ちが起き上がって来ない。以前はあんなに気持ちが動いたことなのに。
 にもかかわらず、今週、支援団体の会員になった。あんなに気持ちが動いた頃には逆に会員とかならなかったのに。とりあえず、会員。とりあえず、資金協力(微々たる)。パレスチナだけでなく、少し寄付してアムネスティ・フレンズというアムネスティの支援者にもなろうかなんて考えている。動機が「不純」だ。今の自分は心に隙間が出来てきて大きな空洞になったり、それが心の奥底からの不安で埋められたり、何とも危なっかしい状態だ。それを克服できるということ自体が想像できないくらい。
 外堀を埋めているのかな。空洞が大きくなって心を侵食し、そのうち空洞が外に向かいそうになる、ますます心の中の制御が効かなくなる。危なっかしい。駄目だ駄目だ、自分の内にばかり向かっていると、コントロール出来なくなる。それでいて、自分の内に向かうのを止められない。無理に抑えれば爆発しかねない。何か心が身体の外に向かうことをしなくちゃ。仕事? いや仕事は駄目です。今の自分の仕事は嫌でも自分の内に向かう作業なんだ、ま、きちんと仕事はやってるけどね、だけどこれは自分と直接格闘しているようなもんです、いやそもそもさ、こいつとこいつを巡るもろもろのこと、過去と今のもろもろのことが、今現在の自分と以前の自分を区別してるんだから。それでいてそこから今去るわけにもいかないし今去れないし去らないし。とにかく仕事以外の何かに関わる。気持ちが動きそうな何かに関わる。身体を少しでも動かしてみなくちゃわからない。そのうち心が以前のように起き上がり、そのうちもっともっと力が湧き上がる、かもしれませんからね。そのうちはいつかわかりませんがね、そのうちはそのうちです。

 今度はゴスペルの話。関係ないようで関係ある話。
 昨日、塩谷達也という人のプロデュースで日本人シンガーやクワイアが共演するゴスペルの CD 、 O, JESUS! というのを買った。Oh Happy Day がスピーディにノリ良くアレンジされ、その他にカーク・フランクリンの GOD'S PROPERTY から MY LIFE IS IN YOUR HANDS をカバーしたり、 THE NU NATION PROJECT に収録されているカーク・フランクリンのバージョンの Gonna Be A Lovely Day を取り上げたり。さらにさらに、CSN&Y のライブの名盤 4 WAY STREET の中でスティブン・スティルスがリードを取ってかっこ良くキメてる Love The One You're With が、歌詞も一部ゴスペライズされて見事なパフォーマンスで再現。他に日本語のゴスペルもあり。全体的にポップな仕上がりかな。塩谷達也という人のことは知らなかったけど、バンドで演りながら、ソロでゴスペルシンガーとしての活動もしているみたいだ(ちょっと WEB で調べたんだけどさ)。昨日は収録曲に惹かれて買った。良かった。

 来週の日曜から月2回、しばらく夫婦でゴスペルのワークショップに参加する。歌いたいと思いつつも、仕事が休みの日に外に出かける元気があるって気がしなかった。ワークショップで MY LIFE IS IN YOUR HANDS を取り上げることを知って、徐々に気持ちが動いた。身体の外に心を動かすのだ。クリスチャン的にはゴスペルも神との対話ではないかと思う。だけど、今の自分には、心を身体の外に動かしていくこと。確かにゴスペルという音楽には、それを聴くことや歌うことを通して励まされる気がするけどね。その励ましはものすごく貴重で、だけどその力がそのまま永続するわけではない。当り前だね、精神の万能薬はありません。でもゴスペルっていいよ。クリスチャンじゃないのに何でだろう、生きようとする希望を感じることが出来るんだ。何故かってずいぶん考えたことがあったけど、今はそれは考えません。今そんな力はないもんね。

 外堀を埋めようとしても内は残る。やっかいな心ってヤツはもちろんなくならない。生きてる限り。こいつとどうやって付き合うのかってのは、やっぱり残ります。ほんの少しでも付き合いやすくなるのかな。

 Love the one you're with の the one って、スティブン・スティルスのオリジナルでは隣にいる彼女。昨日買った CD のゴスペル・バージョンでは、心の奥でいつも共にいてくれるひとって意訳が付いてる。これってイエス、もしくは神のことだよね。
 Love the one you're with. 自分には妻であり、息子であり、それから今、そしてこれから、もう一つ the one があって、神が存在するかどうかはわからないけれど(少なくとも「存在しない」と言う気はないんだな)、何か希望を繋いでいくことができる絶対的な力、もしくは存在、って感じかな。        (自言自聞)